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2019-05-11

author-date方式引用しづらい文献

文系学問における注と参考文献の話、補遺」(anond:20190511125053)への反応見ていて、ブコメだけじゃなくtwitterでも「author-date方式でいいじゃん」という声がたくさんあり、やっぱり伝わりにくいものなんだなぁと思いました。

author-date方式、私もそれで論文いたことあります。とても便利なやり方です。引用するのが学術論文書籍だけなら。

ところで、次のような文献はどうやってauthor-date方式引用すべきでしょうか(手持ちの英語文献から引っ張ってきた例です)。

RGASPI, f.89, op.8, d.1016, l.1.

最初アルファベット文字公文書館の略号、それに続いているのは公文書館に所蔵されている史料(つまり公文書)の整理番号です。

もういっこ例を挙げておくと、日本公的デジタルアーカイブであるアジア歴史資料センターが推奨している史料引用方式はこのようなものです。

JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02030938800(第58画像から)、共産党宣伝関係雑件/対日宣伝関係 第三巻(A.3.4)(外務省外交史料館

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/www/doc/before_browse.html

公文書館って、こういう史料がたくさんあるわけですよ。これをどうやってauthor-date引用しろと。

また、無記名の新聞記事を大量に引用するような場合、どうすればいいでしょうか。たとえば、1919年における『ホゲホゲタイムズ』の紙面からホゲホゲ国のナショナリズムを読み解く、みたいな研究普通にあるわけですが、いちいち引用文献リスト

『ホゲホゲタイムズ』は、新年を祝う記事において、「あけおめことよろ!」(Anonymous 1919a)と書いた。翌日の記事では、「謹賀新年!」(Anonymous 1919b)と述べた。……26日の記事では、「昨年は世話になったな!」(Anonymous 1919z)と主張した。さて、27日の記事では……あっ、もうアルファベットがない!

引用文献一覧

Anonymous. 1919a. “Column.” Hogehoge Times, 1st January, p.1.

Anonymous. 1919b. “Column.” Hogehoge Times, 2nd January, p.1.

Anonymous. 1919z. “Column.” Hogehoge Times, 26th January, p.1.

って書くんですか? めんどくさくねえ? それだったら普通に

『ホゲホゲタイムズ』は、新年を祝う記事において、「あけおめことよろ!」(注1)と書いた。翌日の記事では、「謹賀新年!」(注2)と述べた。……26日の記事では、「昨年は世話になったな!」(注3)と主張した。さて、27日の記事では「今年もよろしく!」(注4)と宣言されているが、これはどういう意味だろうか。

注1 “Column,” Hogehoge Times, 1st January 1919, p.1.

注2 “Column,” Hogehoge Times, 2nd January 1919, p.1.

注26 “Column,” Hogehoge Times, 26th January 1919, p.1.

注27 “Column,” Hogehoge Times, 27th January 1919, p.1.

って書いた方がよっぽどスッキリしませんかね。

もちろん、工夫すれば上で挙げたような文献もauthor-date方式引用できます。できるんですが、簡便で伝統的な書き方があるのにわざわざ不向きなauthor-date方式を使わなきゃいけない理由がわからない

なのでまあ、何が言いたいかというと、

……という感じですかね。author-date方式は便利だから先行研究の整理とかするときには愛用してるけど上で挙げたようなやつまでauthor-dateで書けとか言われたら「ああん?」ってなります

追記

author-date方式って大嫌い。(シェイクスピア2019)とか(アリストテレス2018)みたいな意味不明の注ができるし、ページ数が書いてなかったりするし、あと私は年号がない文献も使うから

さえぼー先生からこういうブコメいただけてもうなんか満足です。書いてよかった。あ、『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』むっちゃ面白かったです。

で、私はauthor-date方式はどちらかといえば好きなんですが、さえぼー先生が「大嫌い」とおっしゃるのもわかります

きじゃないなら単に使わなければいいのに何で「大嫌い」って思うかといえば、頓珍漢な推測だったら申し訳ないんですけど、「author-dateを使うべきだ! author-dateじゃないとおかしい!」って押し付けてくる他分野の人がウザいというのが理由として大きいと思うんですよね。

私もとある機会に全部author-dateで書け、注で出典表示するのはいっさい認められん、と言われて、ふざけんなこんなのどうやってauthor-date引用するんだよと食って掛かったことがあります。もうほんとね、他分野の人がどんな資料引用してるのかについて想像力を持ってほしいですわ。

というか人文系の人が理系社会科学系の人がauthor-date方式使ってるのに文句を言っている場面はまず見ないのに対して、人文系引用方式文句をつける理系社会科学系の人をそれなりに見かけるのはいったい何なの? って思います(あ、でも、『史学雑誌』の書評でauthor-date文句つけられてるのは見たことあるかも)。このへんの憤懣があるんですよね。

全部url管理して欲しい

日本語読めないマンすごい……

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2018-08-11

[]政府ドメインはてブランキング

政府ドメインリスト https://cio.go.jp/domains にあるドメイン対象に、その下のページが何回はてなブックマークされたかランキング

データ2018年8月11日9時頃取得

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3総務省webサイト, 総務省ttp://www.soumu.go.jp/39,565
4文部科学省Webサイト, 文部科学省ttp://www.mext.go.jp/37,580
5経済産業省webサイト, 経済産業省ttp://www.meti.go.jp/37,223
6首相官邸ホームページ, 内閣官房ttp://www.kantei.go.jp/17,160
7国土交通省webサイト, 国土交通省ttp://www.mlit.go.jp/16,325
8外務省webサイト, 外務省ttp://www.mofa.go.jp/15,625
9国税庁Webサイト, 国税庁ttp://www.nta.go.jp15,181
10防衛省自衛隊webサイト, 防衛省ttp://www.mod.go.jp/14,383
11財務省ホームページ, 財務省ttp://www.mof.go.jp/12,937
12国立国会図書館webサイト, 国立国会図書館ttp://www.ndl.go.jp/12,778
13経済産業研究所Webサイト, 独立行政法人経済産業研究所ttp://www.rieti.go.jp/10,993
14農林水産省webサイト, 農林水産省ttp://www.maff.go.jp/10,551
15科学技術振興機構Webサイト, 国立研究開発法人科学技術振興機構ttp://www.jst.go.jp/9,385
16特許庁webサイト, 経済産業省ttp://www.jpo.go.jp/8,663
17法務省webサイト, 法務省ttp://www.moj.go.jp/8,649
18産業技術総合研究所webサイト, 国立研究開発法人産業技術総合研究所ttp://www.aist.go.jp/8,554
19環境省webサイト, 環境省ttp://www.env.go.jp/7,891
20総務省統計局ホームページ, 総務省ttp://www.stat.go.jp/7,731
21文化庁Webサイト, 文化庁ttp://www.bunka.go.jp/6,924
22金融庁ウェブサイト, 金融庁ttp://www.fsa.go.jp/6,551
23裁判所ホームぺージ, 最高裁判所ttp://www.courts.go.jp/6,352
24日本貿易振興機構WEBサイト, 独立行政法人日本貿易振興機構ttp://www.jetro.go.jp6,102
25政府広報オンライン, 内閣府ttp://www.gov-online.go.jp/6,092
26労働政策研究・研修機構ホームページ, (独)労働政策研究・研修機構ttp://www.jil.go.jp/5,353
27気象庁webサイト, 国土交通省気象庁ttp://www.jma.go.jp/jma/5,306
28警察庁webサイト, 警察庁ttp://www.npa.go.jp/5,156
29国民生活センターホームページ, 独立行政法人国民生活センターttp://www.kokusen.go.jp/5,023
30衆議院webサイト, 衆議院事務局ttp://www.shugiin.go.jp/4,325
31消費者庁ホームページ, 消費者庁ttp://www.caa.go.jp/4,323
32国土地理院webサイト, 国土交通省国土地理院ttp://www.gsi.go.jp/4,308
33内閣官房ホームページ, 内閣官房ttp://www.cas.go.jp/3,357
34海洋研究開発機構Webサイト, 国立研究開発法人海洋研究開発機構ttp://www.jamstec.go.jp/3,261
35国立研究開発法人情報通信研究機構Webサイト, 国立研究開発法人情報通信研究機構ttp://www.nict.go.jp/3,142
36宮内庁ホームページ, 宮内庁ttp://www.kunaicho.go.jp/3,073
37JRAホームページ, (特殊法人日本中央競馬会ttp://www.jra.go.jp/3,042
38参議院webサイト, 参議院ttp://www.sangiin.go.jp/2,968
39公正取引委員会Webサイト, 公正取引委員会ttp://www.jftc.go.jp/2,848
40内閣府ホームページ, 内閣府ttp://www.cao.go.jp/2,811
41日本年金機構ホームページ, 日本年金機構ttp://www.nenkin.go.jp/2,706
42国立研究開発法人国立がん研究センターwebサイト, 国立研究開発法人国立がん研究センターttp://www.ncc.go.jp/jp/2,579
43日本学術振興会Webサイト, 日本学術振興会ttp://www.jsps.go.jp/2,558
44NEDOホームページ, 国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構ttp://www.nedo.go.jp/2,545
45レベル放射性廃棄物バーチャル処分場, 経済産業省ttp://www.enecho.meti.go.jp/2,491
46理化学研究所Webサイト, 国立研究開発法人理化学研究所ttp://www.riken.go.jp/2,478
47UR都市機構ホームページ, 独立行政法人都市再生機構ttp://www.ur-net.go.jp/2,417
48政府統計の総合窓口(e-Stat), 総務省ttp://www.e-stat.go.jp/2,355
49防災情報のページ, 内閣府ttp://www.bousai.go.jp/2,114
50科学技術学術政策研究所Webサイト, 科学技術学術政策研究所ttp://www.nistep.go.jp2,025
51NISCホームページ, 内閣官房ttp://www.nisc.go.jp/1,950
52国立科学博物館Webサイト, 独立行政法人国立科学博物館ttps://www.kahaku.go.jp/1,919
53日本学生支援機構Webサイト, 独立行政法人日本学生支援機構ttp://www.jasso.go.jp/1,862
54国立社会保障・人口問題研究所, 厚生労働省ttp://www.ipss.go.jp/1,857
55内閣府男女共同参画局webサイト, 内閣府ttp://www.gender.go.jp/1,856
56東京国立近代美術館Webサイト, 独立行政法人国立美術館ttp://www.momat.go.jp/1,854
57中小機構WEBサイト, 独立行政法人中小企業基盤整備機構ttp://www.smrj.go.jp/1,795
58JICAウェブサイト, 国際協力機構ttp://www.jica.go.jp/1,753
59物質・材料研究機構Webサイト, 国立研究開発法人物質・材料研究機構ttp://www.nims.go.jp/1,714
60日本原子力研究開発機構Webサイト, 国立研究開発法人日本原子力研究開発機構ttp://www.jaea.go.jp/1,703
61日本学術会議webサイト, 内閣府ttp://www.scj.go.jp/1,596
62内閣府経済社会総合研究所webサイト, 内閣府ttp://www.esri.go.jp/1,581
63国環研webサイト, 国立研究開発法人国立環境研究所ttp://www.nies.go.jp/1,315
64人事院ホームページ, 人事院ttp://www.jinji.go.jp1,312
65国土交通省 川の防災情報, 国土交通省ttp://www.river.go.jp/1,271
66日本貿易振興機構アジア経済研究所WEBサイト, 独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所ttp://www.ide.go.jp/1,255
67国際交流基金webサイト, 国際交流基金ttp://www.jpf.go.jp/1,243
68内閣府原子力委員会webサイト, 内閣府ttp://www.aec.go.jp/1,180
69日本政策金融公庫Webサイト, 日本政策金融公庫ttps://www.jfc.go.jp/1,104
70地震調査研究推進本部Webサイト, 文部科学省ttp://www.jishin.go.jp/1,091
71国立教育政策研究所Webサイト, 国立教育政策研究所ttp://www.nier.go.jp/1,073
72電子政府の総合窓口e-Gov), 総務省ttp://www.e-gov.go.jp/1,012
73税関ホームページ, 財務省ttp://www.customs.go.jp/1,004
74食品安全委員会webサイト, 内閣府ttps://www.fsc.go.jp/994
75WAM NET, (独)福祉医療機構ttp://www.wam.go.jp/907
76国立国会図書館国際子ども図書館webサイト, 国立国会図書館ttp://www.kodomo.go.jp/904
77消防庁webサイト, 消防庁ttp://www.fdma.go.jp/897
78日本工業標準調査会WEBサイト, 経済産業省ttp://www.jisc.go.jp/890
79国立公文書館ホームページ, 独立行政法人 国立公文書館ttp://www.archives.go.jp/866
80衆議院インターネット審議中継, 衆議院事務局ttp://www.shugiintv.go.jp/866
81データカタログサイト, 総務省ttp://www.data.go.jp/809
82独立行政法人農畜産業振興機構Webサイト, 独立行政法人農畜産業振興機構ttp://www.alic.go.jp/809
83国立公文書館 アジア歴史資料センターホームページ, 独立行政法人 国立公文書館ttp://www.jacar.go.jp/796
84国立感染症研究所, 厚生労働省ttp://www.nih.go.jp/niid/782
85国立精神・神経医療研究センターwebサイト, 国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センターttp://www.ncnp.go.jp/738
86復興庁Webサイト, 復興庁ttp://www.reconstruction.go.jp/734
87船舶交通安全情報WEBサイト, 国土交通省 海上保安庁ttp://www1.kaiho.mlit.go.jp/703
88政府観光局webサイト, 独立行政法人国際観光振興機構ttps://www.jnto.go.jp693
89海上技術安全研究所webサイト, 国立研究開発法人海上港湾・航空技術研究所ttp://www.nmri.go.jp/686
90国立循環器病研究センターWebサイト, 国立研究開発法人国立循環器病研究センターttp://www.ncvc.go.jp/672

2017-09-02

大正9年→大正12年で朝鮮人超増えてる

https://anond.hatelabo.jp/20170901172529

もしこの古賀議員の指摘や前提自体瑕疵があれば、

私よりずっとこのような事件に詳しい2氏ならば「6000人にはこんなにしっかりとした根拠がありますー! バーカバーカ!」と

嬉々としてソースを突きつけ本筋の反論をするはず。

が、それをせずに迂回した。

これはたしかにダセエ。ダセエのでブコメで端的に指摘しておいた(b:id:ss-vt)。で、ここでも書いてみる。

すでにBuzzfeedでも報じられているように、古賀議員都議会において、大正9年国勢調査をひいて関東地方朝鮮人人口の少なさを指摘している。

が、この当時朝鮮人内地への渡航は急増していたのである大正9年国勢調査では、内地朝鮮人の総人口は40,755人。いっぽう同年12月現在内務省警保局による調査統計では30,189人となっているが(多くの要因で数字に大きな差がある)、内務省統計を年次ごとに追うと大正10年38,651人、11年59,722人、震災の起きた大正12年末には80,415人に至っている。これには朝鮮植民地化に伴う小作農の貧窮化や、第一次世界大戦後の好況に伴う内地工業化都市化の進展、また大正11年末の渡航自由化大正8年以降、三・一独立運動の影響で朝鮮人内地渡航制限されていたが、企業日本人よりも安価労働力として朝鮮人を求めた)など、複数の要因が影響している。

さて古賀議員の挙げた大正9年国勢調査に立ち戻ろう。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  2,485人、

埼玉県  78人、

千葉県  40人、

神奈川県 782人、

合計3,385人。

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/society/14990

から大正12年の数字引用して、古賀議員発言形式に合わせると、以下のようになる。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  8,567人、

埼玉県  311人、

千葉県  317人、

神奈川県 3,645人、

合計12,840人。

工業化都市化の進展」に伴って多くの朝鮮人労働力としてやってきたため、東京神奈川といった都市部工業地帯に集中しているわけだが(横浜での虐殺目撃証言の多さにも反映している)、少なくともこの時点で、

6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい

とは言えなくなる。

また自分が直接参照した一次資料として、国立国会図書館デジタルコレクションに所蔵されている『在京朝鮮人労働者の現状』(東京府学務部社会課、1929年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445292 には、大正12年の「在京朝鮮人労働者」は5,347人と記されており(警視庁調べ)、アジア歴史資料センター所蔵の『在京朝鮮人状況』(朝鮮総督府警務局東京出張員、1924年5月http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03041602800 によれば、「八月末震災直前の見込綜数は八千人を超へ」ていたという。

繰り返しになるが、とりあえずこのあたりで「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えないことをご理解いただけるだろうか?

ちなみに6,000という数字の具体的な出所は、震災直後に在京朝鮮人迫害事実調査会が独自調査を行い、上海大韓民国臨時政府機関誌独立新聞』に12月5日付けで発表された数字6,661人。この調査10月末までの中間報告では2,613人という数字が出ていて(当時東京で催された経過報告会でも発表された)、その後さら神奈川県遺体発見できなかったおよそ1,800人などが追加されている。シノドス山田名誉教授は「追加合計数根拠今日解明することはできない」としていて、その点ではたしかに6,000人という数字根拠は薄いのだが、同時に帝国政府がマトモな調査を行わなかったことにより、これをデタラメであると断ずる根拠もまた乏しい(はからずも、秦郁彦が『当時ロクに調査せず公文書終戦時に焼きまくった以上、30万人に代わる数字日本から出すのは無理』と嘆いた南京事件と似ている)。少なくとも犠牲者数のもっとも大きな数として採用せざるを得ないわけである

内閣府ホームページで公開されている、災害教訓の継承に関する専門調査会による報告書 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf

殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。

という書き方になっているのは、そうした事情によるだろう。

追記

b:id:y-wood 8500人のうち6000人殺せるのか、すげー。『「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えない』

揶揄のたぐいだとは思うけど念のため。

「6000人」というのは虐殺犠牲者の総数である東京府朝鮮人人口比較するのは不当。ついでに、古賀議員が何故か東京神奈川千葉埼玉限定しているのもいささか不当で(たとえば群馬でも、自警団警察署を襲撃して朝鮮人17人を殺害した藤岡事件などが起きている)、山田名誉教授シノドス記事によれば茨城群馬栃木を加えた関東地方1府6県の大正12朝鮮人人口は14,144人となっている。

また、山田名誉教授の著書内容の、内閣府報告書コラム殺害事件検証http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/22_column8.pdf から孫引きになるが、例の「6,661人」のベースとなった在京朝鮮人側の調査では、東京府犠牲者数はおよそ1,000〜1,400人。最終的に『独立新聞』に掲載された数は1,781人となっている。

y-wood氏の言葉を借りるなら

「8500人のうち1800人殺せるのか、すげー」

となるが、現実味は如何?

b:id:fu-wa 戦争知らないんだろうなあ。戦車でダーってやっても6000人殺すのってものすごく大変なんだよ。

ルワンダではそれこそカマとか棍棒とかのたぐいで、およそ100日で50万〜100万人が殺害されている。こうした事態と「戦争」を比較するのは不当。まして、繰り返しになるが「6000人」は関東地方1府6県の総数である。「戦争」を持ち出すなら、せめて戦域や作戦継続期間が同程度に及んだ戦闘でなければならない(それでも戦闘員vs戦闘員では不当だが)。

2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

 
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