はてなキーワード: アイザック・アシモフとは
MJって記憶屋ジョニーか?ってそれJMだろと、一人寂しくボケツッコミをしちまったじゃねーか。
個人的にはアーサー・C・クラークのが印象深い。「2001年宇宙の旅」の著者といえばわかるだろう。wikipediaからひっぱってくると「ロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所」の最後の一人だ。時代を感じたね。
なんてのは正直どうでも良い。10年前の、あの訃報に比べれば。
あれは今日と違って本当に天気のよい日だった。あの本当に天気が良かったという記憶は一生忘れないだろう。
夏の葬列には負けるだろうが。
なんて話もまあどうでも良いだろう。
冬休み帰省の足で向かった通夜と、春休みの帰省の足で向かったお悔やみの、あの年の夏休みに比べれば。
ま、早く帰らなければまた間に合わないのではという思いと、帰らないほうが良いのではという思いが交錯した、ってだけで、実際は何も起こらなかったわけだが。
人生、生きていれば色々な死と出会う。
これから先はこれまでの死よりももっと多くの死と出会うだろう。
親の死、友人の死、自分の死。
ま、本当はそんなこと、どうでも良いことだろう。自信はないが。
http://www.eagleeyemovie.com/intl/jp/
最近レンタル開始されていたようなので何気なく借りた。ストーリー自体は、アイザック・アシモフかアーサー・C・クラークが元ネタっぽいよくあるやつなんだけれども、それなりに捻ってあって面白かった。
それにしても、ハリウッド映画における国防総省の登場頻度の高さは日本映画には真似できないレベルだなとつくづく思う。「イーグルアイ」で記憶に残っているものでも、ブラックホーク、F-16、グローブマスターっぽい輸送機などが当たり前のように登場しているし、ペンタゴン上空の映像も何気ない演出で出てくる。中でも無人攻撃機(おそらくMQ-9リーパーだろう)なんて、1、2年前に配備され始めたばかり最新兵器だ。他の作品でも、「ダイハード4.0」や「スーパーマン リターンズ」ではステルス戦闘機F-35が、「トランスフォーマー」ではF-22ラプターやAC-130ガンシップが登場していたっけ。
また、「イーグルアイ」では国防総省が微妙な立ち位置で登場するわけだけれども、こういう作品の存在に目くじらを立てないアメリカのしたたかさが垣間見えるような気がした。あるときは主人公を陥れる陰謀を張り巡らせる機関であったり、逆に主人公をバックアップする心強い後ろ盾だったり、人類存亡の危機に陥れる兵器を流出させてしまう間抜けな組織だったりするのだ。そんな作品を無数に作り出し、大々的に宣伝し世界中で上映させているのだから、それを鑑賞する我々への心理的効果は単なる映画会社の利益を越えたレベルに達しているに違いない。
そうやって「アメリカ国防総省」という存在を、なにやら怪しげで強大で外連味たっぷりな存在であるかのように幻想させる(これはフィクション作品に登場する「CIA」にも言える事か)。世界中の人々がそんな幻想を抱く事を、彼らは意図的に引き起こし、したたかに利用していく。日本のサブカルチャーも、いずれはこういった視野で戦略を立てていく事も求められていくように思う。
昔からありがちな思いこみ。
たしかアイザック・アシモフも、20代の頃は40代なんてセックスの面では死んだも同然だと思っていたが、それは喜ばしいことに全く間違っていた、というようなことを書いていた。
「読書感想文に決して書いてはいけないこと。」で,読書感想文について触れられていたので少し.
「本を読むことで人間は変わる」
……という物語なのです。
「この本を読んだことで私はこのように変わりました」
……という、美しい物語を描いてください。
何を考え,感じたのかを「ありのままに表現してください」とか言われても,困る.
心の内側を,赤の他人になんか見せたくない
僕は,大切なことは心にしまっておきたいんです.
不特定多数の他人なんかに,教えたくは無いんです.
そこで僕は考えた.
ストーリーは単純明快で,「ひ弱な主人公(ナード)がある日突然強力な力を手に入れ,世界を守る」というものである.
このような構図は,例えばマトリックスやトランスフォーマーなど多くのアメリカ映画に見れるが,何故だろうか.
アメリカの中学生,高校生を理解するのに不可欠な概念として,その階層構造が挙げられる.
この階層構造は,主に体育会系の支配者層(Jock;ジョック)と,非体育会系,日本で言うオタクなどに相当する被支配者層(Nerd;ナード)で説明される.
またこの背景には,スポーツを趣味とするのが是であり,それ以外の文化系の趣味に勤しむことは変人である,というアメリカ的価値観などが関係していると言われている.
多くのアメリカの映画,ドラマではひ弱な主人公(ナード)と,その主人公の邪魔をする嫌な奴(ジョック)が登場し,また最終的にはひ弱な主人公(ナード)が何らかの活躍をするものが多い.
これは作品の消費者,つまり国民全体に占めるナードの割合が多いこと(一般的に非支配者層は,支配者層より人数が多い),作品の監督など文化人にナード出身が多いことが理由であると言われる.
さて,このような階層構造を理解した上でこの映画を眺めてみると,………
(ここまで:514文字)
主人公であるチャーリーの日記という形で物語は進んでいき,チャーリーが白痴から天才へ,そしてまた白痴へと戻っていく過程を鮮やかに描いている.
本書はダニエル・キイス著「Flowers for Algernon」の訳書であり,翻訳はアイザック・アシモフ著「I, Robot」(邦題:われはロボット)などの翻訳で有名な小尾芙佐氏が行っている.
本書でも,時間経過(知能の変化)によって変化する日記の文体など,氏の文章構成力が光っており,恐らく氏以外の翻訳ではここまでこの小説が有名になることは無かったのでは無いかとすら思わせる.
しかし残念ながら,物語の発端となるチャーリーへの人体実験については,その非科学的なリアリティーの欠如から,物語を素直に楽しむことができなかったのもまた事実である.
物語中では,ネズミのアルジャーノンの結果が出る前に,チャーリーへの実験を開始しているが,動物実験が終わっていない治療方法を,人体に試すことがあるだろうか?
こうした常識的な「科学的考察力」の欠如は,現代社会における様々な問題の一因ともなっているとも言える.
マイナスイオン,水からの伝言(水に「ありがとう」というと綺麗な結晶ができる,という都市伝説),血液型占いなど,これらは基礎的な科学の心得があれば,疑ってしかるべきものである.
SF小説では,いかにしてアイディアに科学的リアリティーを持たせるかが重要な鍵の一つであり,例えばアーサー・C・クラークは軌道エレベータ,………
(ここまで:620文字)
つまり物語そのものだけじゃなくて,その周辺情報について解説・評価すれば,自分自身の内面世界を全く描写することなく,楽々と(しかもそれっぽく)文字数を稼ぐことができる.
先生受けも,それなりに良い.
例:作品が書かれた社会背景と作品の関連についての解説,著者の他の著書や業績,社会に与えた影響,作品の一部分を抜き出してその社会現象について解説する,…
問題は,普段からのそれなりの読書量,周辺知識が無いと書けないこと…かな.
昔は、知的水準の低い人間は、満足な医療を受けられなかったり、そもそもちゃんと養うことができなくて栄養状態が悪かったりして死亡率も高かったわけで。
能力の無い人間にも最低限の生活・医療を保障する社会になったことが馬鹿大増殖の理由でしょ。
で、気がついたかも知れないけど、この問題ってば格差社会が進行すれば解決する筈。
(「昔は(もしくは昔も今も)金持ちの家に生まれた奴が金持ちで、貧乏な家に生まれた奴が貧乏なんだから、そんなことはないのでは?」と思うかも知れないけど、家系とか遺伝子レベルで見るなら「ある時点で優秀な奴がいたからその子孫も金持ち」なのであり、「悪い遺伝子が一定以上入ってきたらその家も没落する」もんです。『唐様で貸家と書く三代目』なんて川柳にあるように、昔だって浮沈がないわけじゃなし。)
余談だけど。「IQの高さと子供の数は反比例する」というのは結構前々から知られていたことで、アイザック・アシモフがエッセイ中でそのことに関して危惧を表明してたりもします。
アシモフのもみあげをみると亡くなった隣りのおじさんを思い出す。
それはともかく、アシモフとかマイクル・クライトンみたく
これってひょってして科学的にも伸展の余地があるんじゃないか??
みたいな展開を読むとわくわくする。
あれらは最後の落ちは創作だけど、途中までは完全に科学だよね。
ところで、最近話題?になった
は、
生命と非生命のあいだ アイザック・アシモフ
のオマージュ作品ということでいいんですか??
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50846414.html
なんかこのタイトルに引っかかった。
既読感。
あれ、なんだっけ・・・
生命と非生命のあいだ
そうだ、アイザック・アシモフだ。
・・・。
同じ内容じゃないよね?
アイザック・アシモフはクソして寝ろ。