はてなキーワード: めいっぱいとは
神に誓おう。仏でもいい。
そのために、何のバイアスもかけない言葉だけを伝えるようにした。
「君は悪くない。でもこうしてみたらもっとよくなると思う」
「僕も同じ事を考えたことがある。でもうまくいかなかった」
「僕と同じ失敗をして欲しくない」
「一度は失敗しないと分からないけれど、できれば終わらせて欲しくない」
僕に出来なかったことを成し遂げてほしい。そして幸せになってほしい。
そんな想いだけがあった。
彼女は僕のことも愛してくれた。
ふたり同時に好きになるって、本当は許されないのかな。
僕はそんな引っ掛かりもあったけれど、それでも、僕は彼女がめいっぱい自分のことも愛してくれることが、ほんとうに嬉しかった。
ちゃんと、節度はあったのかな。
普通に見たら、どう考えても許されなかったけれど。
それでも、自分たちの間には、ちゃんとラインが引かれていた。
それでよかった。僕がそれ以上を望んでいることも、彼女には正直に伝えたけれど。
でも、ふたりが納得して決めたことでないと、意味をなさない。
趣味もこれといってない
本読んだりするのも好きだけど、
気に入ってる作家の新刊を少し待ってからブックオフで買うくらい
結婚したいとも思わない
同棲したこともあるけど、
人と住むのに、いつまでたっても慣れない
親元離れて何年にもなるが、
やっぱり一緒に暮らしたいとは思わない
人が嫌いなわけじゃないけど、
密度の高い付き合いができない
物欲が全くないわけじゃないけど、
余分に働いてまで欲しいわけじゃない
認められたいとも思うけど、
棚ぼた的に認められたらいいな、あわよくば、
くらいで努力する気もおきない
お金使わないけど、
これといって貯まらない
なんかスカっとしたいけど、
どうやって発散したらいいのかわからなくて、
いつもなんか楽しくなくて、
不満ででイライラして、
惣菜をバカ食いしたり、
やっぱりなんかイライラしてて
不満ってことは、
なんか足りてないのかな、
とか思うけど、
何が足りてないのかわからなくて、
ってそう見えるらしいけど、
ぜんぜんそんなのできてなくて、
ただ何が足りてないのかわからなくて、
淡々としてるように見えるんだろうけど、
なんか、暴れたり引っ掻き回したりすれば、
それでスカッとするならしたいけど、
なんどかしたことあるけど、
なんの意味もなくて、
市営プールでくたくたになるまで泳ぐとか、
こういうときは旅に出たりすればいいんかな
金をめいっぱい稼げば変われるかな
で、まあ、
でかいことやれば変わるんかな、とか思ってる
戦場に行ってみるとか、
死ぬ気で勉強して稼ぎまくるとか、
でもそれもできないっていうか、
やる気ないっていうか、
覚悟も努力もない、
それが大問題だが、
大問題なのに、
解決する気もおきないっていうか、
がんばれや自分
がんばれがんばれがんばれがんばれ
とりあえず英語かなんかすっぺ
がんばれがんばれがんばれがんばれ
いや別に真面目な話がしたいとかではないんだけどね。硬いタイトルにしたけども要するに「今って幼少期の環境で自分の人生大きく左右されちゃう時代だよなあ」っていうのを最近強く思ったんだ。
要するに今って「高度情報社会」じゃなんですよね。こういう書き方するとほんと胡散臭く見えてははは、ってかんじなんだけれども。でもそれはどうしようもないほど真理なわけであって。ドラッカーなんか引くまでもなく、現代は知識労働者が引っ張っていく時代になっていくし、それはもう始まっている。そしてそれらに乗れている人間とそうでない人間の差は顕在化し始めていて、僕らはそれに対して「デジタル・ディバイド」という名前が付いているのを教科書で目の当たりにした。
田舎からきたんですよ。それもすごい田舎から。親は中小の企業を営んでて、某大手の下請けやってたんだけども、不況の煽り受けて受注減ってどうしようもなくなったみたいで仕事を畳むことになった。
初めて東京にきたときは地元との彼我の差にしばし佇んで、なんともいわれぬ感情に微睡んだ。人も、金も、そして情報も何もがこの都市において集積して、そしてすごい速さで回っているのを感じた。
こっちの人間と付き合うようになって最初に驚いたのはネットスラングの氾濫だったかもしれない。主ににちゃん発のワードが並んでいる中で、wwwが沢山並んでいたんだけども全く自分のなかで意味を為さなかったのを鮮明に覚えている。中高時代にコンピュータなんて殆ど触らなかった。オタクの持ち物だと思われていたし。その距離が遠ければ遠いほど、リアルで権勢を誇ったカーストの上位層とは仲良く出来るような気がした。
こっちにきて育ちがいいような、毛並みのいい連中と話してて思ったのは、そういう奴らって親からしっかりと人生訓みたいなものを受け取りながら、親の書庫を眺めて好きな本を手にとってはそれを自分の書庫にもしまっているんだなあというのを感じた。教育格差の再生産として論壇でしばしば指摘される実情が、それはもう如実にこの先進国日本で広がっていて、波に乗った人間とそうでない人達の生活様式、行動様式が全く異なったものになろうとしている。自分の親なんて家に書庫も無ければ、インターネットなんて普段使わないから、なんて言って最近契約を切ってしまった始末だ。
あの時、そのことを知り得たら、その情報に触れられたら、自分の行動を変えられたかもしれないのに。
そういった環境に生まれ育つ中で、インフラとしてのブックオフみたいなものって田畑に囲まれた自分の街には無かったし、再販価格制に守られた書籍の価格は結構に高くて、当時子供だった自分が手を伸ばしても届きそうには無いくらい高いところに陳列されていたように思えた。どんなにそれが目の前に平積みにされていても。自分には手を伸ばしても届くことはなかった。
インターネットは時代性も多少合ったけれども、家族内で共有されているその利便性というものは終に自覚されることもなく、単なる断線した箱になって、今はひっそりと部屋の隅に隠れている。
今さら怨嗟の赴くままに自分の歩んだ轍を見て、その不備を詰ってみるなんてあまりに非生産的なんだろうと思う。ただ、ここまで20余年生きてきた中で大きく社会は変わろうとしつつあるし、それに対する適応の可否によって自分の今後見ることになる風景というものが大きく変わることになるのは火を見るより明らかなんだ。
もし自分に子供ができたときは、めいっぱいの書庫に、パソコンだとかの情報環境を、これ以上不可能なほどに整備して、この情報の海を自由に泳げるような環境を準備していあげたいと心から思う。
っていうかさぁ、ほんとうに。
バスタブいっぱい水道水を飲んでも大丈夫というデマ(本人が実験して確認したわけではないという意味において)を流している人と
そこまではいいとしても
それを真に受けて、水道水を飲むオフとか、言い出す人は 本当に何とかならんのか・・・。
そのバスタブ一杯って、ヨウ素の2.2x10^-5という係数計算と水道水のベクレル濃度をいくつに取って、安全なシーベルトをいくつに設定して計算したんだ?
それに、レントゲンとかの被爆線数は 全身被ばくであって、経口摂取による体内被曝で特定臓器が破損した場合の係数じゃないぞ?
安全だというなら、どういう計算したのか、せめて、途中式を書いてくれ。
危険だと言いたいんじゃなくて、式があってて言ってるのか、間違ってるのか、第3者が検算できないだろ。
100ベクレルでWHO基準だと 45.45L/年 事態が収まるまで1ヶ月として1日1.5L 乳幼児は1.5LLも飲まないから、安全だとは思うけど
今日スーパーの帰りにフラっと立ち寄ったモデルルームで、そのままマンションの契約をしてきた。
比較もなにもなく、1軒目。
「昨日さ、○○(俺の名前)作戦を発動しちゃったよ」
とはつまり、衝動買いしたよ、ということだ。
例えば電気屋に電球を買いに行っただけのつもりがパソコンを買っちゃったなんて話は、少なかれどまったくない話ではないだろう。だが、マツキヨでシャンプー買った帰りに3000万のマンションも買っちゃったなんて人はそうはいまい。
本題に入る前に少し、過去の話を書こうと思う。
学生、親の管理下にいる頃はお金の扱いに非常に厳しく、お小遣いすら支給してもらえずおやつひとつ買うのも母親の承認が必要で、100円のおやつがほしいともなれば3日はおやつを我慢しなければならなかった。
社会人になり自分でお金を稼ぐようになって、その反動がきたかのように「ほしい物を、ほしい時に」買うようになった。はじめは会社の寮に住んでいた為お金は溜まりに溜まり、とにかくありとあらゆるものを即金で買うようになった。パソコン、ホームシアター、大型液晶テレビ。最近はホームベーカリーやCisco社のルータも買った。特に衣食住における”住”のウェイトが高かったように思う。
その考えはそのまま住居に直結し、不景気の煽りで退寮を迫られたときには賃貸のデザイナーズマンションを契約し、引っ越した。家具家電も全て新調したため、引越し総額は100万を軽く超えた。
しかし、それまでタダ同然の家賃でで暮らしていた自分に9万オーバーの家賃は想像以上に重くのしかかり、それ以降まったくお金も貯まらず、それでも浪費癖だけは健在でボーナスを含めた総支給でなんとか生活が出来ている状態だった。いや、なんとか、というと語弊があるかもしれない。少なくとも切り詰めてはいないのだから。スポーツジムにも通ったし毎年冬山に7,8回程度滑りに行っていた。今が幸せで楽しければそれでいい。そんな考えで手取りをめいっぱい使って生活していた。もちろん今もその考えは変わっていない。(だからこその3000万の借金なのだが)
そんな自分にも彼女ができ、結婚を考えるようになった。デザインがどんなに優れていようが、居心地がどんなによかろうが所詮一人暮らし用の賃貸マンション。さすがに手狭で引越しを考えていた。お金もないし結婚資金も必要で、現実的に考えてもう少し広めの、もう少し安めの、普通のアパートに。
だけれども自分にとってやっぱり衣食住の何が大事かということを考えると、”住”なのだと思う。今よりもう少し広めの、もう少し安めの、普通のアパートに住むなんて、もちろん現実的だけど自分には考えられなかった。
風俗のシステムについての知識がないので見当違いなことを書いてるかもしれない。
1.1人の売り上げが突出してる場合、その人がやめたときの店の損害が大きくなる。そこで、ランキングを操作し、他の人の売り上げを伸ばせば、総売上は減るかもしれないが、リスクを分散できるというメリットがある
2.人気No.1に勤務時間めいっぱいに固定客の指名が入る場合、ランキングにのせる意味があまりない。かつ、No.1をランキングからはずしてNo.2をランキングにのせたほうが、とりあえず店のNo.1を指名したい客が他店に逃げないので、店にメリットがある
3.人気No.1は固定客が付いているものの、一見さんへのサービスが悪かったり、特殊な嗜好を持ってる人にしか好まれないタイプなので、リピーター率が低いという場合。店としては他の人をランキングにのせたほうが一見さんをリピーターにしやすいのでメリットがある。
Twitter の説明って極端なのが多いように思う。しかもそれぞれの派閥のマナーとか言い出してなんか議論が斜め上に・・・なので、多分普通な Twitter の説明をしてみる。良く聞かれる、 RT 周りについて重点的に書くよ。あくまで、筆者の周辺での"普通"なので一意見としてどーぞ。
こんな感じで、色んな人がいるけど、特にマナーがどーのと言い合いになったことはないよ。
これはどこでも説明は大差ないから割愛。フォローとフォロワーとタイムラインについて、それが何なのか大体わかってるのを前提として話をすすめるよ。
Twitter では、プロテクト (許可した人にしか見せないよ!という状態) にしていない限り、ありとあらゆる人が発言を見れる。でも、 Twitter にはすごーーい沢山の人がいるから、全く知らない誰かの発言一つを探し出して穿り返そうなんて人はそうそういない。例えるなら、どこに住んでいるかもわからない知らない人の飲み屋での愚痴を調べようとするようなことだからね。
でも、偶然その飲み屋に昔の知り合いや会社の上司がいたりしたらどうだろう。自分が有名人で、どこかそこらに記者やファンがいたらどうだろう。それで、「やっべー」と後悔するような会話をしちゃうこともあるかもしれない。
Twitter もそれと似たようなもの。どーせ同じテーブルについてる人しか会話聞いてないしーと思って、恥ずかしい話をしていたら、偶然隣の席の人が聞いてるかもしれないんだ。その恥ずかしい話が恋の失敗談なら他人に聞かれてもたいした問題じゃないけど、犯罪行為を自慢していたら大変だ。
Twitter の世界は、とても声の通りがよくなるように出来てるんだ。これは、ルールとかじゃなくて、 Twitter というサービスの設計志向、仕組みがそのように出来ているということだ。みなわいわいと自由に大きな声で話している酒場のようなものだ。だから、もし隣のテーブルから声が漏れてきたら、面白そうな事には聞き耳を立て、興味のある話には入っていったほうが楽しい。同じように、あなたの話にも誰かが聞き耳を立ててるかもしれないんだ。そしてそれは多分素敵なことだ。
Twitter をめいっぱい楽しめるかどうかは、人の声が聞こえてくること、自分の声を聞いている人がいるかもしれないことが素敵だと思えるかどうかにかかってると思う。もちろん、本当に仲のいい人にしか聞かれたくない聞きたくないという人だっている。だからといって、「他人の話に聞き耳を立てるなんて!」「なんで勝手に聞いているんだ!」「聞いてもいない話が聞こえるのがうざい!」というのは、 Twitter ではちょっと無理がある。Twitter がそういうコミュニケーション向けに作られていないからね。本当にそう思うなら自分のアカウントをプロテクトにするという手段があるし、そうするべきだ。だけど、そんな Twitter の使い方は楽しみを狭めてしまうかもしれない、悩みを増やしてしまうかもしれないということは考えて欲しい。
賑やかな中で漠然と話をしていても、がやがやしすぎて誰に呼びかけているのかよくわからないことがある。もし、呼びかけたい相手がはっきりしているなら、 @名前 という方法で発言しよう。例えばこんな感じに。
例) @masuda さん、忘れ物してるよ!
こうすれば、増田さんは自分充ての発言としてあとでまとめて見る事ができるんだ。見た目にも、自分に対して呼びかけられた発言だとわかりやすいよね。これは、文章のどこに名前が入っていても同じだから、こんな使い方もできる。
例) 明日来るのは、 @masuda @masuko @masuo の三人でいいのかな?
どちらにも言えることだけど、 @ をつけてもその人にしか見れないわけじゃない。イメージとしては @masuda さんの方を向いて話してるって感じ。あくまで見て話してるだけだから、声は他の人にも聞こえてる。もし本当に聞かれたくない話題をしたいなら、 DM (ダイレクトメッセージ) を使うべき。
@ には、一つだけ仕掛けがあるんだ。それは、 "@が発言の最初にあるときだけ、@された相手と発言主の両方をフォローしていないと、タイムラインに表示されないようになる" ってこと。わかりにくいから例をあげるよ。
@masuda @masuko @masuo の三人がいる。 マスダとマスコはフォローしあってる仲良しで二人はよく @ でおしゃべりしてる。マスオはマスコの事を気になってフォローしてみたけど、 マスダのことはフォローしてない。こんな関係で、仲良し二人がおしゃべりしたとする。
マスダの発言) @masuko はマスオのことどー思ってるの
マスコの発言) @masuda うーん、アホだけど面白いし結構いい奴なんじゃない?
マスコの発言) 晩御飯の支度ー
マスオの TL には、「晩御飯の支度ー」は表示されるけど、「うーん、アホだけど面白いし結構いい奴なんじゃない?」 は表示されない。もちろん、マスコのユーザーページに行って履歴を見れば、あーあんときマスダにこんなこと言ってたのかよwwと知る事ができる。けど、マスオが二人の会話を TL で追いかけようと思ったら、マスコだけじゃなくてマスダもフォローしないといけない。
たまたま文章の最初が @ になるんだけど、伝える相手を制限したくない場合は、この仕組みが邪魔になってしまう。そういう時は、発言の最初が @ でなければ良いから、頭に . (ピリオド) をつけたりする。
例) .@masuda さんに紹介されたラーメン屋に行ってみたのですがとてもおいしかったのでお勧めです。場所は・・・
RT は、 Retweet の略。
まず、公式 RT について。基本的な仕組みはこう。 (単に RT と書くけど、ここからは公式 RT のことだよ)
もうちょっと例を具体的にしよう。
公式 RT が優れている点はこんな感じ。
最後が多分わかりにくいと思うので、説明するよ。
例えば、とても有名なアーティストの発言を RT したとする。この発言はとてもセンセーショナルなものだったから、この先も沢山 RT されるにちがいない。何百回とね。ところで、自分のフォロワーにはこのアーティストをフォローしている人が 10 人いるんだけど、こいつらも驚きのあまり全員 RT しやがった。そしたら、RT されるたびに 10 回も自分の TL に表示されちゃうんだろうか?というとそんなことはない。表示されるのはオリジナルの一回だけで済むんだ。
非公式 RT は、公式 RT が無かった頃に使われていた生活の知恵みたいなものだ。ユーザーの創意工夫で、「こういう風にしとけば引用だってわかるし便利じゃね?」って感じで広まったものなんだ。基本的な書き方はこう
例) すぐ修正出しますのでお待ちください! RT @masuda 最新バージョンで~~な不具合を発見しました
RT が、そこから先が引用であることをあらわすお約束、つぎに引用元の発言をした人、発言そのものという風に繋げる。人によっては、 : が入ったりする。
多くの用途において公式 RT の方が優れているから、非公式 RT を使うべきシーンは結構少ない。いくつか、よくあるケースをあげてみる。
言葉遊びの非公式 RT は、多少変更されようが問題ないし、漫才のかけあいのようなものは非公式 RT ならではだ。逆に、内容や発信者が重要な発言は非公式 RT ではなく公式 RT した方がいいってことだね。
非公式 RT の問題点はこんな感じ。
稀に、会話の殆どが非公式 RT のような人がいる。こういう人は大抵、 "自分のフォロワーの中に全然フォローしあってないグループがいて、もう片方のグループにも会話の様子を伝えたい" 状態に常になってしまってる。これはある程度諦めが必用だよ。会話が全部非公式 RT のようになってしまうと、既に会話相手をフォローしている人にしてみれば、毎回 TL の内容が繰り返される事になる。それってちょっとうざったいよね。 140 文字フルにつかえないしさ。
@ で会話するのってなんか閉鎖的だから非公式 RT でおしゃべりすればいいじゃない・・・という意見にしてもそうなんだけど、 @ で会話するのが閉鎖的と思ってしまうのは何か面倒というか勿体無い気がする。気になる会話があるのなら気になる方から気軽にフォローしていけるのが Twitter なんだ。よほど第三者に会話の流れを見せたい意味がある時以外は、やりとりは非公式 RT ではなく @ でするのがいいと思うよ。
例えば、釣りとネトゲが趣味で、それぞれに関係したフォロワーがいるとするよね。そしたらなんとなく、釣りに関係するグループ、ネトゲに関係するグループってのが自分のフォロワーをも超えたゆるーい枠として感じられると思う。それがクラスタかな。
人がクラスタと言った時、どの位大きな範囲を示してるのかはコンテキストによる。「事件のせいで~~クラスタが大騒ぎだ」と言った時は、結構大きい範囲を示してるのが想像できると思う。逆に、自分の身内の内の特定のグループを指してクラスタという言葉を使う人もいる。
そんな必用はないよ。全然そんな必用はないよ。大事な事だから2回言いました。
この人フォローしたら面白そうだなあ、結構話してることに興味あるかもーと思ったときだけフォローで全然かまわない。苦手だな、全然興味持てないなあ、ただフォロワーふやしたいだけにみえるなあ、って時は放置でいいんだよ。
逆に言えば一方的に片思いでフォローしたっていい。フォローしたりされたりするのに許可とかいらないからね!
わかるし、自分は男の側からそれを感じる。
自分から行かない男がよく「積極性がない」「だらしない」「草食系」と馬鹿にされてるけど
行ったら行ったで、めいっぱい娯楽として馬鹿にされたり、優越感ゲームとして気持ち悪がられたりするわけじゃん。
もっとえらいことになった時には「犯罪者」とか「女性を脅かすナンタラ~」みたいにになることも実際にある。
あとは、「もっといいやり方を教えるセミナーがありますよ」的な。
「いじめていい奴」「搾取していい奴」として入信前より一層酷い目に遭う仕組みが見えている。
なんでそこまでして
特に、今は男の方から口説くのが主流なのに、
なんだろう。
例えば、「自分から来る女の子」のことをあれこれ言うけど、男のすることだって客観的に見たら同じようなおかしさがあるもんだよ。
経験をある程度積んで洗練されてくるまでは男も女もみんなそんなもんだし、それを上から目線で「女子力(笑)」とか批評したってしょうがないっしょ。
こういう暖かい目線は
男から女には注がれても女から男に注がれることは決してない。
そのくせ「最近の男子は積極性がない」とか言う。意味がわからない。
2人の姉を手始めに家でも学校でも年上の女が多い環境にいることがおおかったけど
女が自分に何かアプローチしてきた男を肴に「キモい!」「怖い!」といって
優越感に顔をほてらせながら嬉しそうな会話をすること、どの女も例外がなかった。
おみそとしてよく傍にいて空気のように観察してた俺が言うんだから間違いない。あれは女が一番好む楽しみだ。
そういう思いやりの無い扱いをして喜んでる女の日記みたいなものばかりネットにも一杯ある。
よほどイケメンで、黙ってれば向こうから来るぐらいの余裕がある人以外は
「自分から行く」アプローチも恋愛自体もしたがらなくなるのは当り前だと思う。
イケメン以外もイケメン並みの待ちの恋愛。ていうか恋愛しない。
ここ5年くらい、直属で下につく後輩が全部ゆとり。同僚には「うらやましいな」なんてからかわれたもんだけど、俺は世代で差別・区別しないし、彼らが成長していけるようにやれることをやってきたつもり。だが、最近”もしかして、区別は必要なんじゃないか?”と思い始めてる。
新卒で入社して何もわからない彼らがこの業界で一人前に仕事ができるようになってもらうために、俺はこの数年間仕事をしていたと言っても過言じゃない。情熱を注ぎ込み続けてたよ、まじで。ようやくみんな仕事ができるようになってきて、「面倒みなければならない後輩」って感じから、「一緒に目的を達成するための仲間」という感覚になった。彼らに仕事を任せられるようになってきたおかげで俺は他のやるべき仕事に集中できるようになってきて、これからめいっぱい活躍してもらおうと思っていた矢先に、退職や転職が連発。
もちろん転職はいいよ。若者にはいい仕事してほしいし、同僚として心から祝福したい。だけど、やっとまわりはじめたチームから色々な経験を共にした優秀な仲間があっさりいなくなってしまうという現実に、ものすごい喪失感。ゆとりは5年くらい働けば転職を考え出す年齢なのかもしれないが、仕事によってはそのくらいの経験があってこそプロになれるという分野もあったりするとおもう、俺の仕事はまさにそういう類のもの。ゆとりはいずれ転職・退職する人だからと、期間限定の人として考えていればよかったんだろうか。俺の世代区別しないって考え方が間違っていたのか?だとしたら、だれでもできていつ抜けられてもいいような仕事だけ任せてればよかったのか?
・・・今はまだ整理できていないので、言いたいことがあるわけじゃないんだけど、とにかく仕事上の相棒を突然失うことになり、ただただ喪失感。もしよかったらいろんな意見きかせてほしい。まぁここまでかいてひとつ思ったのは俺は仕事しかみてなくて、視野が狭かったんだろうな。みんなの人生の部分まで考えたことなかったし、考えるべきじゃないと思っていたし。だからこんなことでがっくりきてるんだとおもう。ずっと一緒に仕事できるメンバーなんて、いるわけないのにね。。。
ここ5年くらい、直属で下につく後輩が全部女性。同僚には「うらやましいな」なんてからかわれたもんだけど、俺は男女で差別・区別しないし、彼女達が成長していけるようにやれることをやってきたつもり。だが、最近”もしかして、区別は必要なんじゃないか?”と思い始めてる。
新卒で入社して何もわからない彼女達がこの業界で一人前に仕事ができるようになってもらうために、俺はこの数年間仕事をしていたと言っても過言じゃない。情熱を注ぎ込み続けてたよ、まじで。ようやくみんな仕事ができるようになってきて、「面倒みなければならない後輩」って感じから、「一緒に目的を達成するための仲間」という感覚になった。彼女たちに仕事を任せられるようになってきたおかげで俺は他のやるべき仕事に集中できるようになってきて、これからめいっぱい活躍してもらおうと思っていた矢先に、結婚退職が連発。
もちろん結婚はいいよ。女性には素敵な結婚してほしいし、同僚として心から祝福したい。だけど、やっとまわりはじめたチームから色々な経験を共にした優秀な仲間があっさりいなくなってしまうという現実に、ものすごい喪失感。女性は5年くらい働けば結婚を考え出す年齢なのかもしれないが、仕事によってはそのくらいの経験があってこそプロになれるという分野もあったりするとおもう、俺の仕事はまさにそういう類のもの。女性はいずれ結婚退職する人だからと、期間限定の人として考えていればよかったんだろうか。俺の男女区別しないって考え方が間違っていたのか?だとしたら、だれでもできていつ抜けられてもいいような仕事だけ任せてればよかったのか?
・・・今はまだ整理できていないので、言いたいことがあるわけじゃないんだけど、とにかく仕事上の相棒を突然失うことになり、ただただ喪失感。もしよかったらいろんな意見きかせてほしい。まぁここまでかいてひとつ思ったのは俺は仕事しかみてなくて、視野が狭かったんだろうな。みんなの人生の部分まで考えたことなかったし、考えるべきじゃないと思っていたし。だからこんなことでがっくりきてるんだとおもう。ずっと一緒に仕事できるメンバーなんて、いるわけないのにね。。。
比喩ではなく。まったく頭がクリアにならない。クリアだったときがあるのかどうかも怪しいけど。
ここのところ、それが酷くなってきた。
うまく考えることができず、仕事で毎日叱られている。
「本当はあなたに仕事頼みたくないよ、ややこしくなるから」
「何とんちんかんな事言ってんの?」
希望していた職種で、せっかく倍率が高い中で転職できたのに、結果がこれ。
お荷物・役立たず。昔からそうだった。
子供のころから問題児で、勉強と集団生活についていけなくて不登校も経験済み。
今、何とかひとり暮らしできているのが奇跡だと思う。
死んだ方がいいのではないか、と思うけど、ただでさえ迷惑かけてきた両親より先に逝くのは親不孝すぎる。
草木も眠る丑三つ時、という表現はもはや古いのだろう。最近は人間だって眠らない。
雨がアスファルトをぬらす午前三時、老人はコンビニエンス・ストアにやってきた。夜道に煌々と灯る店内の光はきわめて人工的で浮いていて、蜃気楼みたいに所在ない。彼はいつもそのくらいの時間に訪れる。長い間手入れも洗髪もされていない長い髪の毛と、擦り切れた服、老廃物の酸っぱい臭いが老人の人生を伝えていた。顔には深いしわが宇宙空間から見たヒマラヤ山脈みたいに刻み込まれていたけれど、ともするとその印象より若いのかもしれなかった。
疲れ果てたような表情で背中を丸くしてアルコールコーナーへ向かうと、カップ酒をつかんでレジスター・カウンターへ差し出した。左手からめいっぱいに握られた十円玉がざらっと流れ出る。店員がお釣りの小銭を渡そうとすると、老人は何も言わずに、ふるえる指でレジスターの横にやる気なさげに佇んでいる募金箱をゆびさした。この町で人々から忘れられた十円玉たちは、そうして二〇〇ミリリットルの日本酒と、世界の貧困に対する少しばかりの善意に換算されるのだった。
むせかえるような雨のふる夜だった。傘を持たない老人は一人、静かな町の静かなコンビニエンス・ストアの軒下でカップのふたを開けた。
http://sillyfish.blog2.fc2.com/blog-entry-727.html
結局この女子大生もはてサ化していっちゃうようでがっかりだなあ。 まあ、実際にリスクとらされることがない学生さんだから、 観念的にしかものを考えられないのは仕方ないっちゃ仕方ないけど。
たぶん、自分も潜在的には立場の弱い「外国人」だと思ってるんだろうけど、 実際には(内容はともかく)こんな子は帰化しようと思えばいつでも
できるはずだし、在特会なんて電波はもともと誰にも相手にしてないんだから どれだけサンドバッグにしても大丈夫だし、実際は「安全地帯」から ものを言ってるだけなんだよね。多分自分じゃ気づいてないんだろうけど。
最後の文章に見事に現れてるね、その辺が。
>幸か不幸か、深海魚はもともとヘラヘラしたカンに障る生き物ですから、
>簡単なことです。それ見て血のめぐりの悪そうなアタマにめいっぱい血を上らせて、
>血管爆発しちゃえばいいと思うよ。
>外国人」諸君、あたしたちには、生きることそのものが抵抗だ。
いや、これだと正確じゃないな。自分は自分を高く評価するのが苦手だ。
自分なりにものすごくよくやった、とてつもなくいい結果を残せたものでも、
もっとできる人と比べてしまうので、100点がつけられない。
めいっぱいやってもせいぜい80点くらいが上限か。
あとから先生や上司に「もっと上げてもいいでしょう」と言われてから上げる。
低いほうは簡単につけられる。30点とか20点とか。
でも上の人に言わせたら「もっと上だよー」。で、修正する。
これは単純に、
・上の人に「もっと点数を上げろ」と言わせたい
・目標(基準)が高すぎる
のだと思っていたのだが、実際に他の人の点数をつけさせると甘いほうなので、そうでもないらしい。
自分だけがマイナスの下駄を履かされている感じになってしまう。
それでも、最近は、数値で出てくるものはそこそこに評価できるようになってきたのだが、
相対的に評価するものはどうしてもだめだ。
これってよく言えば謙遜だけど、悪く言えば嫌味だよなぁ。
そして救いようがないと思うのが、自分が四捨五入したらもう○十代だということで。
こりゃ一生治らないのかな……