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2007-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20070303090328

俺もほぼ一年前につきあってた子がそうで、わかれた途端俺の存在が消された。

人としてこんな扱いをうけたことがなかったので、激しくショックだった。

ツンデレもわかれりゃ只のツンツンツン!

あれは生きている人間に対する仕打ちじゃない。

自分もストーカーをされた経験があるのでつきまとわられることの嫌さは知っては居る。

だけど、自分が好意をもっていた人の近況とか元気にしているのかとかぐらいは知りたい。

そもそもなんでわかれたのかも自分のなかでは釈然としないんだ。

俺だっていつも余裕があるわけじゃない。むきー!ってなられたら、もういいよってなることもあるさ。

「もう、わかれたい」とかいいながら昔し別の機会に泣かれた姿が頭をよぎったんだ。

わかれた途端「あなたはもう私の頭の中には居ないの」なんて言われたら、立ち直れないほどショックだよね。

故人だってたまに偲ぶだろ。

お盆に帰ってきたら塩なげつけられたら死人の心臓も止まるわ。

というか俺は死んじゃいねぇ!

そういえばわかれるときに、

「他に好きな人でもできたの?」と聞いたら、

「他に好きな人ができたのならとっくにわかれてるわよ」とか言われた。

わかれるときには逢ってもくれなかった。

「わかれた人と会うのは怖い。」って。

メール電話で終わりかよ。

怖いって……。怖いのかよ。。

いい子だとは思うんだけどな。

これから出会う人に失礼か・・・。

いままでに出会った人達にも礼を失しないようにしてほしい。

「ずっとわかれたかったの!」とか・・・いわれた。

やばい、罵倒のかずかずがきこえてきた。涙でそう。

俺あまり人のことを好きになったりしないんだ。嫌いになることもあまりない。

だから嫌われるとどうしていいかわからない。

切れてばかりのブリジットジョーンズを思い出す。

なんて女性は難しいんだろう。

死んでいない証拠にやつの目に触れるぐらいの活躍をしてやろうと心に誓う。

でもやっぱりへこむよな。

Nullで初期化された気分。エラーって吐きたくなるよ。

2007-03-02

昨日酔った勢いで告白したら付き合えた

めずらしくスーツで出社した日で、飲み会に誘われて、人数が余って総務の女性たちの席に座らされて超きまずかった。共通の話題わかんないし話せないしでモツ煮込みつついてビール飲んでたら酔っ払ってきて、帰りの方向(飲み屋の最寄り駅が3つあった)が同じだった人が前から気になってて、何ていったかよく覚えてないけどぼんやり記憶がある。今朝携帯電話見たらその人とメールやりとりが残ってて、今日の昼はビルの外で一緒に食べた。話すことなくて困るかと思ったら意外とパソコンの話でも通じるな(匿名ダイアリーで話題になってることとか普通女性でも興味持てることもあるんだな、たとえば服選びについてとか、学歴の話もした)。

酒の席で変なことやらかしたことなんてなかったのに不覚みたいな感じでヘコみつつ、信じられなくて嬉しすぎるっていうのもあって、すごい複雑で頭が整理できない。自分は性欲があんまりなくて(アセクシャルみたいなのではない)、だけどこの人となら最高だっていう人で、電車男じゃないけどいろんなことに興味持ち始められるかもしれない。明日がほんとに楽しみだなー。

2007-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20070228014621

私の場合

小学校:友達はたいてい自転車でいける範囲に住んでたし、それなりに遊びにいったりもした。でもたいてい集合は空き地か公園だな。遊ぶなら外って感じだった。

中学高校電車通学をするようになって友達の部屋へ行くことはあまりなくなった。定期券から外れたところにある友達の部屋に行くのもなんだかね。部活もあるし。行くならみんなで街。あるいはカラオケボックス

大学東京一人暮らしするようになった。友人にも一人暮らしの人が多くなる。お金もかかからないし友達の部屋にいることが多くなる。泊まることも増える。部屋で飲んだほうが安い。

社会人:寮ぐらし。寮→会社会社→寮。寮→会社会社→寮。

今:実家暮らしほとんど家から出ることはない。友達?アドレス帳にデータとして残ってるよ?

2007-02-26

私Aの場合

AnonymousDiary(以下、増田)って何なの?

自分がマジメになってダラダラと長文書いて、ブクマが数名でも付いてたらやっぱ嬉しいものだって事を実感して。

まあ、これまたブログと同じような自己顕示欲と自己承認欲求の充足(某氏の言うところのインレテクチュアル・マスタベーションというヤツか)なのかも知れないと思ったのだけれど。

あと匿名性による自己保身ってのが加えられても良かろうかってのをちょっと思う。

増田の捉え方は人それぞれ違うものだと思うんで、私A(キャピタルエイとでも呼んでおこう)の場合。

"マジレスカコワルイ"と言われようとも"釣り釣りだ"と言われようとも、ある事柄に対する自身の反応というのは素直なもので。自身の素直さを尊重しつつ、それを匿名性を利用して書いてみようってのが、Aの認識する匿名ダイアリー

匿名性という観点から言えば。「Aのブログ」(匿名ダイアリーではなく、はてなダイアリーの方で)を書いているAがいる。そのAが誰だか知らないという人も「Aのブログ」を読んでくれたりするのかも知れないし、一読したぐらいではAの素性について分かることはあまりないのかも知れないけれど。Aこと自分自身この私は「大抵のウォッチャーはAについての同一性認識を持っている」という認識と、「対外的に言って良いことと悪いことがある」という自明の理と、少々の常識と、多少の自意識を保持した状態で「Aのブログ」を書いてる。だからといって、「Aのブログ」にAのホンネが書かれていないかというとそうではないのだが、それでも外向けに書かれたものだし、完全に自己の内側に向けて書いているのなら公開する必要は全く無い。寧ろすべきではないとも思う。

そういう場に増田ってものがあって、匿名性を利用して言えることもあり。

頻繁に(というか、常時)繰り広げられている不毛な無限ループの議論(やりとり)をあれやこれやと見かけるにつけ、結局、増田2ちゃんねる存在はあまり変わらないのかも知れないと思い。けれど長い文章が書けるので、うだうだとホンネを書き連ねることが出来るってことは、ちょっとした思いつきだけでは書かないだろうと期待してみたりもして。で、条件反射的なレスではなく、匿名性を持ちつつも、それに応じる個々人の意見ってものがあって。その期待はそこそこ当たってたり。

まあ増田で交わされるやりとりに何か生産的なことはあるのかと問われてみれば、恐らく無いんだろうけれど、それは増田に限ったことではなくて、大小問わず種々の掲示板ブログコメント欄においても同様だと思うし。勿論、このエントリーも言わずもがな。

段落構成も、丁寧な文章を書くということも、そもそも文章を書くということすらも殆ど考えずに只管書き連ねてみたが。

増田は、個々人の欲求の充足に対してそれなりの場を提供しているのではないか。けど別に増田である必要性ってのは不見当。このエントリーは不毛だが、Aはこのエントリーを書くことで軽い充足感を得た。ぐらいが書き終えて思ったこと。

2007-02-24

建設的な妥協

http://anond.hatelabo.jp/20070223172044

この記事を読んで思ったことを、全く世間を知らない学部生が書き散らしてみます。

人は他者と関わりを持たずして生きるのは難しいので、他者との比較は不可避なものだと思う。コンプレックスなんてものは、他者との差異性が生み出すもので。けれども人は、差異性の中で自己を確立出来るもの。そしてその自己確立の過程においては、建設的な妥協というか自分に折り合いを付けることが必要だと思う。

タイトルは、大学で見かけた就活冊子に書かれていた就職支援室長だったか誰かの言葉

私の通う大学には優秀な人が多く、今まで受験という競争を勝ち抜いてきたこともあって自信のある人が多い。そんな大学生にとって就職活動という存在はちょっと厄介な存在である。多様な価値観の中で、自分探しをし、自分にとって適職とは何かを探し、面接で何を言われても就活を頑張る。思うに、就活とは建設的な妥協を促してくれる重要な下地になっている。

さて、何故就活の話を出したかというと、人生には就活のような建設な妥協を促してくれる場面がちょくちょくあると思うからである。

幼少期、父が「人は生まれて一番初めに知覚する限界は、肘の関節が一定方向にしか曲がらないと気付かされる時である。」などとわけのわからないことを言っていたのを記憶しているが、確かに人は己自身の限界を感じながら生活をしている。例えばスポーツだったり、受験だったり、恋愛だったり、就活だったり、仕事だったり。自分自身の力ではどうしようもないもの(往々にして他者か環境なんだけど)の存在を知らしめさせられ、どうにか体の良い言い訳を探す。「やれば出来る」は天才の戯言であり、凡人にはその言葉は当てはまらない。「やっても出来ない事がある」という言葉意味を否応なしに理解させられ、それでもなお自己肯定に拘泥する。その過程において建設的な妥協がなされ、それと共に自我が形成されていくと思うのだ。

話は戻って。

このエントリーを書かれた方は、学業に関してそういった状況を全く与えられずに修士課程まで出たということになる。学業に限って言えば、上記に挙げた受験や日々の学生生活において、他者との比較がなされ、限界を知ることになる。本来ならば、そうなるはずである。

私も大学に入って、世の中にはこんなに凄いヤツがこんなにもたくさんいるのかと感心した。一応、高校時代は頭のいいキャラで通っていたが、大学に入ると下から数えてすぐぐらいの頭。それでも他人は他人だし、わざわざ他人との比較の中にだけ生きる必要は無いと思ってるので、コンプレックスというのを感じたことはあまりない。まあ、大学生活において友人達の聡明さに感心することはしょっちゅうだけれど。

しかしながら、比較対象が全て自分よりも下(何を基準にするかは不明だが)と自身が認識するような存在であった場合、優越感は抱いても劣等感を抱くことは極めて少ないであろうことが容易に想起される。価値基準に多様性を求めない限り(というか、この人は頭の良さという単一の価値基準しか持っていなかったのかも知れないが)、この人は「どうすればまた輝けるのかを」見つけられない気がする。彼の言う「輝く」が「優越感を抱く」を指しているのであればなおさらであろう。

優越感を抱くこと自体には多分、それほど問題は無い。人間関係を阻害するぐらいでなければ、鼻にかけるのもそんなに問題ではないのかも知れない。ただ、個人的に問題だと思うことがひとつある。優越感を抱いた人は、肥大した自我を持ちやすいということだ。かつて自分自身も肥大した自我を抱いたことがある。いや、正確にはまだ抱いてはいるが、それが比較的自分自身の身の丈に合ってきたといった方がよいだろう。兎も角、肥大した自我存在は絶対的である。自分の知覚する世界において、ほぼ万能。一種のナルシシズムといえるのかも知れない。「正直、世界の構造の探求とか、どうでもよかったのだ。 難しいことをやれていれば。」とは、この方が書かれていることだが、他者には理解できないような難しいことをやっている自分が好きだったのだろう。そして、それを賞賛されることでデキる自分という自己認識を作り上げていく。それはそもそも他者との関係性の中から生まれたものであるにもかかわらず、外部環境が変化しても不変なものとして"他者よりも優れた自分という存在"をつくる。その存在と外部環境のギャップに煩悶する。肥大した自我を自ら作り出してしまったが故に、前に進めなくなる事がよくある。

で、結局何が言いたいのかというと。

多分何かを言いたいということはなく。

ただ、能力があっても比較の中でしか生きられない他人のエントリーを見て、ちょっと優越感を抱いて難しいことを言ってみたかっただけなのだろうが。

今から建設的な妥協をしながら多様な価値観を身に付けることは難しいと思う。悲劇といえば悲劇なのかも。開き直れといわれても出来るものなら既にやっているだろう。畢竟、答えなんてものは簡単に見つかるものでもないし私のような他人が考えられるものでもない。この人に対しては残念ながら自分が出来ることは何も無い。けれども、この人に頑張ってほしいとは思った。

以上"蛇頭蛇尾"で書き散らしてみました。

2007-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20070222045706

 曖昧な「場」とか「空気」みたいな、しばしば“日本的なもの”として表現されてきたものが、部分的に無効化していったんだろうなとも思う(全面的にではないが)。生まれつつある新しい「空気」には、曖昧な調整機能があまりない。

 主観的意識が巨大な世界と直接対峙して切り結ぶ「われ思う、故にわれあり」な西欧の近代個人主義的感覚が、形を変えながら日本でも自生しつつあることの表れなのかな。

2007-02-18

Re: レンタルCDのリッピングについて

(踏み込んだ話になってくると専門家じゃないので間違いもあるかも。突っ込みがあったら修正します。)

補償金やコピープロテクトの問題はクリアしている前提で。あとゲーム等のプログラムはまた話が別。

コピーしたものを個人で使う限りは自由。コピー元を返そうが売ってようが関係無し。日本レコード協会みんなコピーした後原盤売るので法律でなんとかしてほしいと文句を言っているぐらい。

  • > 友達から借りて、コピーするってのは?

コピーよりまず貸し借りの行為が問題。

公衆(不特定または多数の人)に貸すのは貸与権ってヤツに引っ掛かる。一般には「50人を超えれば多数」とされるので、クラスメイトぐらいだとセーフかも?あとその程度で訴えられることもあまりないと思う。

いづれにせよ合法的に借りた物を私的にコピーするのは問題無し。

  • > 自分の手でするか、人の手でするかによりかわるの?
  • > 人のCDを、その人のためにコピーしてあげるってのはOKだよね?

「その使用する者が複製することができる。」らしいので、複製者=使用者じゃないと私的使用のための複製とは言えないだろうね。その人との関係にもよる(家庭内とかならセーフ)だろうけど。

いわゆる「デジタル万引き」って奴のことだとすると、違法ではないらしい。(cf: デジタル万引きの防止対策) 店内にコピー機が設置されていて、それでコピーする場合はまた別(「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器を用いて複製する場合」にあたるので。)

"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか

障害者といえば、障害者天使だのなんだのとやたら美化する人々を思い出すが、彼らは実在するんだろうか。どうも都市伝説の風味がある。「数十人で手を繋いでゴールする小学校」が嘘だったように。いや、まあ、そういう掲示板を見ると、そういう書き込みがあるので、完璧な虚像とは思ってないけども。

んで、人権擁護団体と聞くだけでうさんくささを感じて忌避しようとするほど彼らは嫌われてるわけだが、下手に障害者をかばったら自分も彼らと同じに思われると感じて自衛的に障害者を嫌うってのもあるのかなあ、と。人権擁護団体のせいで人権侵害が拡大してるという、不条理な構図になるわけだ。

そもそも人権ってなによ、と言われてきちんと答えられる人がほとんど居ないのも要因か。定義っぽいものの暗誦ならできそうだけど、理解してるかというとそうでもない、みたいな。そのへんの漠然とした認識に、障害者天使だとか同和とかが植えつけられて、人権うさんくさいって意識ができあがる。義務教育における人権教育って、実務的には差別の見本市なだけだし。

人権とかポリティカリーコレクトなことを楯にされると、学校とか行政とかスイミングスクールも反対しづらいみたい。そこらは役所お得意の毅然とした対応しろよ、とも思うが、波風立てたくないんだろう。立ってるけども、そういうんじゃなくて、圧力とか。ああ、タブー視されるのもこれか。

そのへんの不満とか、わだかまりなんかが、知的障害者へ向けてたぶん放出されるわけだ。

知的障害者は継続的教育なしに社会適応できるわけがない

タイトル 「http://anond.hatelabo.jp/20070218013048 に」

(追記 MellowMoon 「"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか?」は良エントリと思いました。

動画に入っている「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するもの - マル激トーク・オン・ディマンド - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局と、そこで話している山本譲司さんのAmazon.co.jp: 累犯障害者: 本: 山本 譲司もご参照を。MellowMoonさんありがとうございました。)

これはほんとにいろんな問題が絡んでいる。

知的障害者犯罪を犯してもよい、とは私も思わない。良いわけがない。

彼らが犯罪意味を知的障害がない人と同じスピードと深さで理解できない、という事実

さらにそれでも自分の行動に対する責任を自分で取る「権利」を有する、ということ。

これらから逃げていては、解決はありえない。

彼は触ってはいけなかった。なぜなら、触られた人がそれを嫌がっていたから。

(この「なぜなら…」は大いに議論の余地があるけれども、ごく基本的なとこだけ残します)

でも、彼はさわり続けた。

触られた人が嫌がっている、というのを感じることが出来なかったのかもしれない。

触られた人が嫌がることが、彼の中で楽しかったのかも知れない。

問題は、「それはいけないことだ」ということが、彼に継続的に教育されなかったこと、

そのしわ寄せが被害者である「女の子達」にむかったことだ。

「言って聞かせたけれど」と先生は言ったというが、

知的障害がある子供は(障害の程度によるが)一回言って聞かせたくらいではわからない。

(この「障害の程度を正確に把握する」という過程も、専門知識の乏しい現場ではごっそり抜け落ちやすい)

ましてや若干の性的興味と衝動を伴う問題行動であれば、わかっていても抑制がきかないことだってある。

彼も女の子達も、両方を守るつもりならば、とにかく彼の行動を修正するしかないのだ。

たとえば。

問題が表面化したら即座に、スタッフを一人増やしてでも、彼の行動をきちんとフォローする。

女の子達にも、触られたらスタッフに訴えるように話しておく(いいにくい子もいるからサインを決めておいてもいい)。

彼が女の子を触る度に、その場で「相手が嫌がっている」事を彼に明確に伝えて、

それはしてはいけない事だ、と同じやり方で伝え(両手を組ませるなど、わかりやすい「怒られてるんだよサイン」を作るなど)、

その場で触った子に「ごめんなさい」をさせる。

一回も余すことなく、やるたびに根気よく、1日に何回でも。

2週間??一ヶ月以内ぐらいの短いスパンでこのアプローチをトライして、効果を判定をする。

ダメなら「物理的対策」として、刺激から遠ざけるという選択も必要になるだろう(クラスを移したり、辞めさせたり)。

こういう大人のサポートがあって初めて、触られた女の子はその場で「触らないで」と明確に伝えることが出来るようになる。

むしろそうしなければ、触られた女の子達には

「理由があれば、触られても我慢しなくてはならないんだ。こんなことは些細なことで、いちいち大きな声で言ってはいけないんだ」

という自己否定観が残ってしまう。

(これが歪めば、DV痴漢冤罪に……なんていう風に広げることも可能だが、ここでは触れません)

知的障害の人が社会に出ることはいいことだ。

しかし、現状は、これまでのように障害者を囲い込んでおける財源がなくなってきたので、

障害者を受け入れる良い社会にしよう」という正論の尻馬に乗って

無理やり社会押し出している、といったところだ。

結局問題は、全部現場任せ。

(教育医療みんなそうだな)

降って沸いた問題に、専門的知識もお金も人手もなく、もちろん世間の後押しもなく、

右往左往した挙句に弱い人にしわ寄せてしまう。

そんな現場、見えないだけでゴマンとあるだろう。

そして、しわ寄せを受けて傷ついた人の心から、小さな花がひとつ消える。

知的障害者なんて、隔離してしまえば良いのに」

はっきり言おう。

知的障害者普通の人より社会生活能力に劣ることが多いのだから、

社会生活に適応するには、だれかからのサポートなしにはありえないのだ。

(この「劣る」に向き合わないことが、心神耗弱関連の裁判の問題にも絡んでいると思う)

社会へ出るトライは、社会でしか出来ない。

それを社会でやっていくだけの「コスト」をどこが取るか。

私には、そういう問題に思えてならないのだ。

で、そういう「弱者救済コスト」をみんなで負担しよう、という空気は、今の日本にはとても乏しいと強く感じる。

(そして今のところ政府はそのコストを取ることから離れる方針)

結果。問題は現場に残され、弱い人、優しい人にコスト押し付けられ、社会から「寛容」が消えていく。

知的障害者サポートするには、専門的知識と人材という「金」がかかる。

世の中には社会福祉障害者教育研究してる人がいっぱいいる。

でもそれらを現場に生かす仕組みは乏しいし、現場には人を増やす余裕なんてない。

専門的知識と人材なしに社会に新しい価値観を生み出すことなんて、絶対にできないだろうと私は思うのだ。

優しさと思いやりだけではどうにもならん。愛だけでは地球は救えないのだ。

(まあ、そういうのを政府に頼らずNPOで、っていう「小さい政府維持」のやり口もあるだろうけど、noblesse oblige精神があんまりなくて(違法とかいう意見もあるし)「ボランティアに金を渡す=それはボランティアではない」ってな風潮では、ちょっとむずかしいだろうね??)

それからもうひとつ。

もし、知的障害の子が女の子で、触られるのが男の子だったらどうだっただろう、という仮定を投げかけてみる。

(この話は、病院看護師ヘルパー患者から受けている継続的暴力の問題と似たような構造を持っていると感じたです)

最後に。

17歳の彼女。しんどかったね。触られたこともそうだけど、ずっと我慢させられたことが、しんどかった。我慢しなくちゃいけない理由なんてなかったんだ。あなたは悪くない。きっとこの本音は、周りの人には言ってないんだろう。増田だから言った。あなたは優しくて、正直な人だ。自分にウソをつく人が多い今の世の中で、あなたはとても正直な人だ。これからも自分にウソはつかなくていい。嫌なことがあったら嫌だって思っていいし、言っていい。

で、もしよかったら、たくさん勉強して、世の中にあふれる難しい問題を、自分の気持ち・直感を大事にしながら、自分の頭で考えて、自分の言葉にできるように、なってください。それが大人になるということの一側面だと、私は思います。

2007-02-16

他人にできることはあまりない。(気がする)

こと、精神的諸問題に対しては、本人が立ち直る以外に方法無いもんなぁ・・・。

他人にできることはあまりない。(気がする)

私の父親は鬱病で、恋人はセックス恐怖症(幼少期における近親者との性的関係がもたらした性嫌悪)だ。

んで、私がこの二つ事象に対して、なにをしているかというと、何もしてない。

というか、何もできてないし、何をしたらいいのか何をすべきなのかも分からない。何かひとつ、私がしている(あるいはできる)ことがあるとすれば「そばにいる」ということだけ。

他はなにもしていないし、できない。

2007-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20070212000347

自分が非モテゆえか、これを読んで彼に対して「幸せになって欲しい」とかという感情が微塵もおきない。つーかナチュラルに不幸になって欲しいと思う。昔から漠然とは「他人に優しい人間になりたい」と思っていたつもりだったが、どうやら自分は思うだけでそうはなれなかったらしい。どこでどう間違えたのだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20070213170330

とりあえず、深く考えるようにするのが不幸の始まりなのでもっと考えて悩んで泥沼に突っ込んでほしい。社会人になるっていう環境の変化は彼女との仲も変化することになるので、悪い変化になるのを心より願っている。ついてに仕事忙殺されて鬱にでもなるともっとよろしい。

女の腐ったような男(非モテゾンビー)

だと思う。自分。女性には失礼極まりなくて申し訳ない。

ぴあ背表紙近くの占いのコーナーは毎週立ち読みするし、

何か携帯占いコンテンツ(月額数百円)の入ってるし、

その内容いかんで結構一喜一憂している。

当たってると思う事も多い。

テレビドラマも観るときは観るし、色恋沙汰に興味津々な時もある。

これって女の腐ったような男というんだろう。

やっぱり変なんですかね。

何かに翻弄されちゃってますか。

マイノリティーなんですかね。

どうなんですか。そこんとこ。

2007-02-10

小説ジャンルにもよるんじゃないかな

http://anond.hatelabo.jp/20070210112613

一口に海外の娯楽小説といっても、ロマンス小説なんかは特性上、圧倒的に女性作家が多い。

ハードボイルド冒険小説なんかは男性が多い。ファンタジー推理小説はどっちもどっちな感じ。

日本ではあまりないけど、女性男性名義のペンネームで書いたり、その逆もあったりするから、わりと作家名のイメージだけで判断するのが難しい面もある。

絵の分野は良く知らないけど、料理に関してはおっしゃる通りと思う。中華料理の分野に特に女性料理人が少ないことも肉体的理由が大きいかと。

2007-02-09

自己磨きとかよくわかんねえ。

http://anond.hatelabo.jp/20070209195956

30歳を契機じゃあダメなんだ、兄弟。

彼女持ちになる道程、その恋愛ってギャンブルワークスは、いわば場数の世界なんだ。場数の世界って事はアレだ、そもそも鉄火場に数当たる事、そいでもって毎度馬鹿張って大損こいて、更にそれでも次の場が無きゃ回せねえってこった。

鉄火場で数当たりゃあ人生の時間はどんどん減る。結構金も減る。面子も削れる。つまりな、そういうのは「若い」っつー万事の免罪符が無いとやりづれーんだ。まだまだ次がある。出会いの機会もある。多少面子が削れても若いからって言い張れる。

でもなあ、歳食っちまえば時間も無い。やり直せる時間はどんどん減るのに機会も減ってく。金だけはあっても、歳食ってると恥ずかしい真似はそうそうできねえ。職場で面子削っちまえば飯の種にだって影響する。

コミュニケーションとか自信とかスタンスとかモテとか非モテとか。そういう難しいのは良くわかんねえ。つうかそんな理論若え時に考えて恋愛してんのか?って思う。つまりな、言っちまえば所詮は運なんだ。若え時にちょっと興味が向いて、んでもって運良く場数に巡り合えた奴だけが、歳食ってからも通じる博打の打ち方を身につけられるんだ。

歳食ってから恥ずかしい真似してソイツを身に付けるってなぁ、おうよ、エリート級に難しいだろうなあ。すまねえ、兄弟。でも超頑張れ。

2007-02-07

暇が空いたのでかつて世間が騒いでたアニメを見てるんだけども

いや、エウレカセブンね。こんなの敢えて書くまでもないかもしらんので初増田アニメの知識はあんまりない。

とりあえずその引用過多とかはなんとなくしってたんだが、ここまでクラブカルチャーの語彙も濫用してるとは思わなかった。

SL-1200とか、まあそれぐらいならニヤリとできるのでよかった。鬱展開とか数合わせのだるい展開にとってつけたような四つ打ち曲をかぶせるのもまあ許せた。

でも今22話のレイブもどきの場面を見てて、こいつらその手の引用に何の愛も執着ももってないんだなあと今更の様に気づいた。

なんじゃあのダンスは。せめてハルヒライブシーンぐらいのシンクロはさしてくれ。ミキサーのことが台詞にもなっているにもかかわらず(でも声優ロータリーとか理解してるとは思えん)なんかフェイダーがありえない形をしている。

オープニングがポップスばっかりなのもスポンサーとのギリギリの妥協なんだろうなーとか好意的に解釈してたのがあほらしい。

追記:そういえばサムライチャンプルーという凡作が大々的に売り出された時と全く同じ流れ。これを手放しで賛美した上野俊哉はやっぱり信頼できない。

いや、ちゃんと最後まで見るけどね。

エウレカかわいいし!

2007-02-06

エロゲだと(http://anond.hatelabo.jp/20070206190840へのトラックバック

あなたは行動する、しないに関わらず彼女と結ばれることはなく、

そうして落ち込んでいるときにその隣の人(女性でないなら女性化)から

叱咤激励されーの優しく慰められーので、最終的には

なし崩し的な肉体関係を結んでしまいます。

行為の後になって隣の人から告白を受け、これまたなし崩し的に付き合うことに。

しかしその後何だかんだで隣の人とも彼氏彼女になってきた頃になって、

何故か別れた彼と元サヤに収まったかのように見えた彼女DV被害に遭い、

これまた何故か貴方のもとへ駆け込んできます。

こうしてドロドロの同居生活が始まるのです。

まあそれはそれとして、

>そこで僕はある意味安心してしまい、ヤケクソ気味に告白して、予定調和的に振られた。

について。実は俺もほとんど同じ行動を起こしたことがあって、

多分きっとあなたは俺と同じような心理状況で告白に至ったのだろうという気がするのだけど、

しかし俺はこれは特殊な感情であり行動であり、

あんまり他の人にはわかってもらえない類のアレなんだろうなと思っているので、

実際他の人はどう思うんだろうなということが少し聞きたかったのです。

そういえばトラックバックした意味があんまりないことに気づいたんで

なんかとりあえず言っとくと、まあ元記事の人はこれを見て

考えるだけ無駄なものにも広がりがあって、

こんなに無駄なものがあるんだから俺のは割と現実的だよなぐらいに思ってくれたらいいと思います。

杞人の憂い

世の中には考えるだけ無駄なことがいろいろとあって、例えば「好きな人がフリーになって目の前にあらわれたときにどうするか」というのもその一つだと思う。

彼女に最後にあったのは、もう半年以上前のことで、僕はそのときにあることに気づいてしまった。あること、ともったいぶって書くほどのことでもないな。要するに彼女とある人が彼氏彼女の関係になったのだなということが、何故かわかった。そこで僕はある意味安心してしまい、ヤケクソ気味に告白して、予定調和的に振られた。「ありがとう。けど誰それと付き合ってるから。ごめん」。うん、知ってる。その後、彼女の「友達でいよう」宣言と、年始メール、そして僕がそれを文末だけ書き換えて返した適当まりなメールぐらいでやり取りは途絶えていた。

そして現在に至る。というわけだけど、その集まりに彼女が来るのはある程度予想できた事だった。それよりむしろ僕のほうがその集団からの距離が遠くて、外乱因子だったというべきだろう。だから、彼女の名前が彼の名前と同じ文脈で出てきたときも、少しドキッとしたけれど平静を装うことができた。

僕が彼女に会うたびに思うことが一つあって、それは「こんな顔だったっけ」ということだ。失礼極まりない話だけれど、本当なのでしょうがない。僕が基本的にあまり顔を覚えない人だということを差し引いても、よくわからないことではある。そういうわけで、遅れてきた彼女が軽く手を振って「ひさしぶりー」といいながら、目の前のスツールに座ったときも、僕は手をグーパーとさせながら、一瞬誰だろうと思った。だけど、知り合いでこんなにかわいい人は他にいないので(彼女は本当にびっくりするくらいかわいい)彼女だと思うことにした。それでも少し時間が経つと、彼女彼女でしかなくて、はじめてみるメガネ顔もかわいかった。

彼女はテーブルの向こう側で別の人と話していて、僕はこっち側で隣の人と話しつつ、それでも半分くらいは彼女を眺めていた。目の保養にはなるけれど、むなしい行為だと思う。それで気がついたのだけれど、彼女は先に来ていた彼氏と全然話そうとしない。それどころか、互いに避けているようにも見える。あまりにも自分に都合のいい想像が頭をよぎる。いかんいかん、と思いつつ隣の話に戻ると、何故か好みタイプ食べ物に例えるというわけのわからないお題で盛り上がっていて、僕にも順番が廻ってきた。僕は苺のショートケーキという答えを返し、「えんくみは苺のショートケーキとはちょっと違うよ」と言われた。この際、えんくみは関係ない。

彼女の答えは「セロリ」。わかるようなわからないような微妙な答えだけど、隣の人は追い討ちをかける。ちなみに、この人は僕側の事情をほとんど把握していて、その上でこんなことを言うのだから怖い。「そこの彼氏と付き合ってるんでしょ?彼、そんな感じなの?」そして彼女の口から発せられる決定的な一言、「別れました」。

こういうとき、どういう顔すればいいのか僕は知らない。だから、神妙な顔をして隣の人を小突いてみたりしたけれど、内心複雑だった。彼女が別れたからといって、僕にチャンスが回ってくるわけではないというのは理解しているのだけれど、それでもそういう想像をしてしまって無限ループに陥っているというのに、そういえばいつもよりちょっとだけ元気なさげな彼女の横顔はあいかわらずかわいいしで、もうなんだかわけがわからなくなってしまった。そうやって自己撞着に苛まれていると、隣から一言、「○○くんが今何考えてるか分かるような気がする」。ええそうでしょうとも。

ちょっと長くなりすぎた。ここからは簡潔にいこう。この後、次の場所に行ったのだけど、彼女は次の日が早いとかで先に帰った。以上。というわけにはいかないよね。多分。

僕は彼女を追っかけて走った。どのみちその場所にいたってしょうがない。彼女はもうそこにはいない。そして、追いついた。追いついたのはいいのだけれど、話すべきことが全然出てこなくて、意味のないことを話してしまった。次の約束でも取り付ければいいのだろうけど、それは何故か切り出せなかった。ここで本当に以上だ。連絡先も消してしまっているので、連絡のとりようはない。同じような集まりがあったときにまた会うかもしれない。

結局のところ、「好きな人がフリーになって目の前にあらわれたときにどうするべきか」という問題が日ごろ考えておくべき事項かどうか、まだわからないでいるのだけれど、いずれにしろ僕にできるのはいつも走れるような靴を履いておくということぐらいだと思う。まあそれにしたって杞憂なんだけれど。

2007-02-03

はまちちゃん - CSRFを知ったのははまちちゃんがきっかけ

一部の部外者(kyoumoeとか、kyoumoeとか、あとはkyoumoeとか)と多くの当事者にとって、はまちちゃんのやり方は迷惑極まりない。

とくにIPA中の人心中は察するに余りある。

でも、はまちちゃん脆弱性をいたずら目的で公開することで、その脆弱性が修正され、関連する問題について認知が広まっていることもまた事実

(恥ずかしながら、私、CSRFを知ったのは「こんにちはこんにちは!」しちゃったのがきっかけですの……)

正しいといわれている手順を踏んだからといって、それが最善のパフォーマンスを出すとは限らないのですよね。

ひろみちゅが超必死になって「サニタイズいうな」とか言って回るより、はまちちゃんが「こんにちはこんにちは!」したほうが効果的だったりするんだから。(あくまでそういうケースがあり得るというだけの話)

ところで、はまちちゃんは人を怒らせることをなんとも思っていないことじゃないかと思う。

こういう人に向かって怒りを顕にしても、スルー力を忌憚なく発揮されてしまいます。それぐらい察しろといいたいところ(怒るのではなく、もっと冷静に対処しようって意味ね)だけど、当人は怒っているんだから無理な相談でした、残念

2007-02-01

私の大学

http://anond.hatelabo.jp/20070131010646に触発されて、私も大学の事を書いてみた。超長文な上完全な独り言なので注意。

元々大学に入る気はあまりなかったのだけれど、一応は進学校の端くれの高校に進学した。その高校の図書室で一冊の本出会い大学に行って専門分野を勉強したいと心から思った。しかし両親にはこう言われた。

大学の学費は入学金くらいしか出してやれない。仕送りもしてやれない。お前を予備校にやるお金もない。それでもいいなら好きにしなさい」

両親は女の私が大学に進学する事は考えていなかった。だから大学の分の学費を積み立てる事はしていなかったのだ。

それでも大学に進むことにした。地元国立大ならバイトをすれば何とかなると思ったのだ。就職の世話なんて一切してくれない高校でもあったし。しかし地元国立大は難しかった。その地元国立大以外は一切受けなかったため、あっという間に浪人生になった。

予備校に入るお金はなかったが、一人での勉強には限界を感じていた。そのため、アルバイトをしながら週に一度だけ予備校の個人指導を受けにいった。バイト代は右から左へ個人指導の月謝へと消えていった。

日中はアルバイトをしているため、勉強必然的に夜遅くまでになる。そのことで両親にいろいろ言われた。

父は、

「そんな夜遅くまで勉強しなきゃ受かんないような大学だったら行くのはやめろ」

と言った。

母は、

「あんたみたいに昼間ぶらぶらして夜になってあわてて勉強してるのが受かる分けない」

と言った。

好きにしろとは言っていても両親は進学に反対なのが嫌というほどわかった。そんな両親への不信の念は募っていった。私が大学合格するなどとはかけらも思っていなさそうな両親が唯一約束してくれた入学金も、もし嘘だったらどうしよう?そんな妄想にかられ、勉強が進まないことも一度や二度ではなかった。

また、この浪人期間にはいろいろと考えさせられることがあった。まず、このまま勉強を続けても地元国立大に受かるぐらいに成績を引き上げるのは厳しいということ。志望先の学部の就職率が低いこと。当時は就職氷河期であり、高卒就職しようとした中学時代の友人たちは、半数以上がフリーターになったこと。両親からの支援なしで大学に通うということは、思ったよりも厳しそうだということ。もう一年浪人することは無理だろうということ。

それらのことを考えて、結局初志を曲げて志望校、志望学部ともに変更をした。志望校学力的に確実だと思われ、そして経済的にも何とかなりそうな国立大の夜間に、志望学部は就職氷河期の当時ですら100%近い就職率を誇っていた学部にした。この時点で大学に行くこと自体が目的になってしまっていたのは間違いない。

そしてセンターも終わり二次試験。母は私を送り出しながらこう言った。

「全力でテストを受けてきなさい。あんたなんてどうせ受かんないだろうけど、全力を出さなきゃ採点してくれる先生に失礼なんだからね」

母はツンデレ流行を先取りしていたのだろうか?しかしこの言葉を聞いた時私は母を恨んだ。

二次試験も無事に終わり、合格発表の日。少し遅れて発表を見に行ったため、もう人もいなくなり閑散とした掲示板の前で、自分の受験番号を見つけた。感動は無かった。

そして大学に入学した。両親もさすがに入学金のことでは嘘をついていなかった。女だてらに家賃3万円台の共同風呂アパート引っ越し(私以外の入居者はみんな男性だ)、私の新生活は始まった。アルバイトも安定して月10万は稼げ、確実に授業に出れるいいバイトが運良く見つかった(しかも仕事内容は厳しくない)。新生活奨学金が入るまでは金銭的に厳しかったが、月5万の奨学金が入るようになってからは思った以上に懐に余裕ができた。学費の積み立て3万円、家賃3万とちょっとで残りは生活費として特に考えなく使っても余裕があった。

また、実家を離れたことで心情にも大きな変化があった。毎日続く母からの嫌みを聞かずに済む生活は、思った以上に開放感を与えてくれた。それと同時に、離れて感じる親の恩というものも無いではなかった。さらにそれに加え、同じ夜間の同級生たちですら親からの仕送りが一切無い人など滅多にいないという現実が、私の両親への愛憎をより複雑にさせた。年二回の帰省以外では、殆ど両親との連絡は取らなかった。

そうした思いを噛み締めながらも真面目に勉学に励み無事卒業して就職した、となったら美談だっただろう。しかしそうはならなかった。

まず、下手にお金が余ったため遊んでしまった。ギャンブルにこそハマりはしなかったが、ゲームをやったり漫画を買いあさったり、勉強をしないには十分な遊びだった。そのため授業についていけずにいくつも単位を落とした。極めつけに、就活研究室配属という大きなイベントを目前にしてメンヘラになった。メンヘラになったきっかけは定かではないが、とにかく自分を貶めるようになった。アパートに一人でいるときは、とにかく自分に向けて「死ね、お前なんてくずだ」などという罵声を独り言で浴びせ続け、授業に出ては脳内で自分を罵倒し続け泣いてトイレに駆け込んだりと、相当にめちゃくちゃだった。成績はますます悪くなり、就活も上手く行かず、ついに留年した。なんとか決まった研究室もチャラになった。そして私は学内精神科医の先生を訪ねた。

精神科医の先生は、私には服薬治療が必要だが、それを始めるには両親の許可が必要になる、両親に連絡をさせてほしいと言った。私はそれが嫌だった。両親に、ほら、やっぱりお前はだめだった、と思われるのが心の底から嫌だった。しかしそうしているうちにも、妄想にかられ注意が散漫になり交通事故に遭いかけたことや、毎日のように自殺を考え、そして自分で自分を罵倒し続ける生活に耐えられなくなり、連絡はまだしも話の分かる父にするということを条件に精神科医の先生治療を頼んだ。

そしてその日の夜、先生からの連絡を受けた父から電話がかかってきた。電話をとるのを少しためらった。怒られるだろうか?呆れられるだろうか?問いつめられるだろうか?そんな嫌な想像を膨らませながら電話をとった。

ーー○○、父さんだ。大丈夫か?大変だったな。

ーー先生は治ると言ってくださっているのだから、しっかり病気を治しなさい。

ーー大丈夫だよ

父は静かに、私が全く想像もしていなかった言葉をかけてくれた。涙でのどがつまり、ただうなづく事しか出来なかった。

ーー母さんはストレスたまったらカラオケにでも行きなさいと言っているよ

それはもうやった、と小さな声で答えた。

ーー何かあったらいつでも連絡してくれ。父さんはこんなんだけど父さんなんだから

父は、そう会話を結んだ。

私はその日一晩泣き続けた。

その日以来、折に触れて父と連絡を取り合うようになった。こんな他愛もなく当たり前の事が今まで出来なかったのはなんでだろうと心底思った。留年して奨学金が出なくなる5年時の学費は父が出してくれると約束してくれた。

そして今、再び研究室配属や就活を目の前にするようになった。しかし一年前の私とは違い、今の私は非常に落ち着いている。自分は地面に足をついている、それを信じる事が出来る。それはきっと薬のお陰だけではなく、大学に入る前から私の中でずっとくすぶり続けてきた醜い何かが治まったお陰だ。結果論ではあるが、メンヘラになり留年した事で私は親への信頼を取り戻す事が出来た。メンヘラになった事は不幸であったと同時に天佑でもあった。

これからしっかり就活をして卒論も書いて卒業して就職して、そしてボーナスでも入ったら両親を連れて旅行に行こうか?一年前だったら思いもしなかった様な事を今はささやか目標にしている。

それとどうでもいい蛇足ではあるが、うちの大学の保健センターは薬をただで処方してくれる。国立だからなのかどうかは分からないけれど、大学に心底感謝している。

2007-01-31

もちろん女性機械ではない

が、子供を生む「機能」があるのは事実だ。

そしてその機能は「受精」という機会がなければ使われることはない。

自然であれ人工であれ、「受精」をすればその機能は働く。

だから子供を生むは「機能」

知り合いで、40代の独身女性

「もう自分が子供を生むことはないのか」と思ったら

しばらく暗い気持ちになった、と言ってたのをつい最近聞いた。

月経という定期的・肉体的な「宿命」がある女性にとって

妊娠出産は大きな「動物としてのイベント」だろう。

その機会がなかったことからくる心痛は人によるだろうが大なり小なりある。


機械」と言う表現に呼応して

女性議員から「私は不良品か」とかいう発言があったらしいけど

そういう言葉そのものに反応してしまう独身女性だってきっといる。

絶対にありえない方向の考え方だけど、

「『機械』というならば、その『機能』を行使できない大勢の女性がいることを

大臣はどう思われますか。男性は死ぬまで子供を生ますことができる『機械』ですから

女性の機能の難しさをご存知ないんじゃないですか?」とか言ってみたらどうかね?


子供を生まない女性がいるのは、別に「機能」だけの問題じゃないでしょう。

つまらぬ揚げ足取りに終始して、見た目にわからぬあらたな傷をもってしまう女性たちがいるかもしれないことを

女性議員先生たちはわかってるんですかね?


あーなんかまとまりなくてすません。

二十年一日

http://anond.hatelabo.jp/20070131005733 なんだが、こんなのがあった。

http://www31.ocn.ne.jp/~hid/Bn/otaku.html#kettota

  1. 専門家の人と、5分5分とはいえないまでも、4:6いや3:7で話せる趣味をもっている。
  2. 「君おたくだよ。」と言われても、「いや、自分より○○の方がおたくだよ。」という人をいえる。
  3. 一番親しい友だちとは趣味が一致している。
  4. 自分の趣味を、専門用語なしで、それをまったく知らない人に、説明する自信があまりない。
  5. 恋愛と、趣味、どちらかと言われれば、絶対趣味をとる。
  6. 自分の趣味以外の話題で、場を保つ自信がない。
  7. 好きな異性(同性の可能性もあり)とは、互いに会話できない存在だ。
  8. 自分の趣味の前では、他人の目はそんなに気にならない。
  9. どうせ趣味の物を集めるなら、類するもの全部を集めたい。
  10. 自分の趣味の通じない相手とは、無理に話す必要はない。

他のところを読んで判断するに、これが最初に書かれたのは約20年前らしい。

20年前からあちこちでオタク論なんてのをやってたのかオタクの人たちは。

まあとりあえず、こういうオタク論については自分よりももっと詳しい人がいると思うのでその人に話して欲しいな。

2007-01-28

最近はてブやってない

はてブは見てはいるけれど、自分ではてブに何か登録するというのは数ヶ月くらいやってないような気がする。最近時事ネタやら技術ネタやらに追従する気力がないからというのもあるけれど、何か引っかかるネタとかカチンとくるネタにいちいち脊髄反射的にコメントしたら負けだと思うんだ。

ひどいネタに「これはひどい」が並んでるのを眺めるのはそれなりに楽しいんだが、自分で「これはひどいタグとか「お前が言うな」タグとかを使う気にはあんまりなれない。一応自分でも使ってたけど使ってるブクマが三つくらいしかなかった。あんまり使いたがらないのは単に流行ってるモノに対して素直に反応したくない気性のせいだけかも知れないけれど。

そういや「これはひどい」の元ネタって「大冒険」(サブタイトルセントエルモスのナントカカントカだったと思う)っていう伝説的なクソゲーだったような。でもなんで大冒険発祥のセリフが代表的なタグになってるのに「せっかくだから」というタグはないのだろうか。あと「ボク頭がヘンになっちゃった」とか「しんぱい入りません」とかもないな。

そんな自分にタグ[だったらお前がやれよ]

「age」という名のテスト

良い文章だったので上げてみた。

しかし上げるという行為は、普通スレッド掲示板で行われる。

掲示板だからこそ意味のある行為だと思う。

しかし、このように増田でも「age」を行うことができ、他人に過去エントリを読ませる、という効果がある。

つまりここは掲示板なのだろうか。

Diaryではなかったのか。

増田ってなんだろう。

(とここまで書いてふと思ったが、はてブも広い意味で考えたらageの集まりなのかもしれん)

(ageって呼ばれないだけで、世の中にageは多いのかもしれん)

Web2.0=Web1.0+ageなのか?)

工場で働くか、農家を継ぐべきか。いずれにしろワーキングプアっぽい

26歳。高卒仕事がなくて、東京へ出てフリーターをやっていた。いまは派遣でとある地方の工場労働者をやっている。年収は200万いかないぐらいか。いわゆるワーキングプアでは無いと思いたい。

実家は稲作農家だけど、とても農業だけでは食って行けないと聞いていた。農業収入は年間100万ぐらいで、親父が工場で働いておふくろがパートに出て、なんとか俺らを育ててくれたみたいだ。子供に金がかからなくなったんで、親父は工場を早期退職制度で辞めて(つか辞めさせられて)、今は稲作一本でちょっと規模を拡大して200万ぐらい稼いでるらしい。だけど年も年だし、俺の所に声がかかってる。

実家に帰るとしたら、年老いたじいちゃんとばあちゃんに、もう60を越える親父と60に近いおふくろを、ほぼ一人で支えなければならないみたい。まわりでもこんな世帯が多くて、実家のある集落は、50歳以上の人間しかいないとのこと。耕作を放棄する家もあり、農地を守るために耕作できる人を探しているような状態でもあるようだ。ここでいっちょ若い俺がさらに規模を拡大して、とも思うのだが、農家の息子だけど農作業経験はあまりないし、そうするにしても正直先行きが不安だ。

コメだけで食っていくにはやはり厳しいだろうし、施設農業を始めるにも先立つものが無い。日本人人口は減る一方だし、国内の食料需要が伸びる余地はないだろう。実家のあたりが南魚沼みたいなコメブランド産地であれば良いけど、何の変哲もない一地方だ。北海道見たいに大規模に農業をやれば、という考えもあるが、農産物価格がさらに下落すれば、北海道だって危ないのは、日豪EPAで懸念されている通り。

コメを輸出するってったって、安いカリフォルニア米やオーストラリア米にはとうていかなわないだろう。そもそも、コメを食ってる国は経済発展中のアジアが多いし、食ってるコメタイ米みたいな長粒種が主流で、日本コメ見たいなのはそんなに多くない。肝心の国内の米価はバブル崩壊以降、下がる一方で、まぁ戦後の農地解放と食料増産、その後のコメ余り状況の中で、自民党の票田として機能してきたうちみたいな零細兼業農家を、米価維持政策で温存してきたツケが、今になって噴き出しているとも思うわけで、うちみたいな農家はもうその役割を終えて滅びる時なのかもしれない。

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