はてなキーワード: たくやとは
これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。
4つだけは本当だということじゃない。
8つすべては「真実」に近いと思う。
実践できれば楽に生きれると思う。
それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。
ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。
いったいなにを欺いているのか?
リンク先で語られている内容よりも
語られなかった内容に注意してほしい。
1、今に生きる
過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的。
2、人や社会に期待をしない
求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる
自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。
その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。
こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要
6、ワクワクするものごとを選ぶ
選択の連続の人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤やジレンマに苦しむ
7、自分の行いは必ず帰ってくる
きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。
自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。
8、物事は全て中立
「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分が意味付けをしてるだけ。
たとえば同じ場に居合わせて災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分の宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。
ぐうの音もでない。
いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば
わりと納得できる考え方だなーと。
(というかこれがわからないとしんどい)
しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。
でも、とりあえず
ということはほぼ間違いないと思う。
世界じゅうの人がみんな
この方法を身につければ
きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。
ちょっと想像してみよう。
(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府、日本、テロリスト、なんでも)が
もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。
こりゃパラダイスだ!
ぼくたちはお互いがお互いを認められるような
真に寛容な社会を実現できる!
誰と遊んでいようが楽しい!
よーし!あの丘の上まで競争だ!
これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。
でもそれは「従うことができれば」の話。
実際、どこの場でも目にする。
「人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい
長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると
最後にはだいたい前の8つくらいに収まる
(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビで美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。
昔の人は偉いなあと思う。
そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。
もちろん、まだまだ読み足りない。
なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。
きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど
個人的には、ぼくの考えを
そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して
今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。
いや、正確に言うと、否定してくれはするけども
それが納得できないのだ。
ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど
もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。
まず1つめのウソ。
ぼくが言いたいのは
すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。
古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら
さっさとそれを実行すればいいのに
なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。
それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど
じゃあ、なんでその普遍的な問題が
大昔から今まで解決されないままなんだろう。
般若心経の新訳を読んだ。
ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?
そりゃあれじゃないの?
大笑いしながら観ていた。
その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が
実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。
おいちゃんは父親にこう言われたらしい。
「団子屋に文学なんか必要ない」
団子屋が文字を読む必要がないなら、
本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。
これは団子屋だけの問題か?
かなり多く存在してるんじゃないのか?
それでなんの不自由もなく生きていけたなら
感覚だけで生きていくことを恥じることもない。
それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。
難しいことはわからない。
バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに
なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。
でもそれがどうした?
バック・トゥ・ザ・フューチャーの理屈がわからなくてもなんの不自由もない。
熱心な仏教徒や
わかりにくいな…。
その最初の救いを信じていたら
いつのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ
(オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。
「念仏を唱えれば救われる」って
そそのかされただけじゃないのか?
バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん。
念仏を唱えるだけの百姓。
そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?
つまり、ぼくが言いたいのは
読めない人がいるかもしれないということだ。
読んだ人に待ち受けているのは
でも、読んでない人はどうすりゃいい?
で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?
そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。
でも、現実はそうじゃない。
何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。
この人生訓がなぜいいのかということを
絶望的なまでに理解できない人がいる。
そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。
要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。
このたぐいの人生訓すべてが。
掛け算までしかわからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。
上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。
いつまでも掛け算のところでつまづいて
文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?
掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?
やっと言いたいことの一つが終わった。
冗長になりそうだけど
もうひとつ言いたいことがある。
更に絶望的な想定だ。
さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。
(まちがってたら言ってください)。
なんかさぁ…
内容自体はそんなに変わらないのに
急にうっとうしくなった気がしない?
どこかで見たことあるなあ…
これどこで見たんやろう…
ああ、そうか
「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?
その時どんな気分がした?
殺したくなった?
泣きたくなった?
正義づらした誰かに強制されるのだ。
それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。
この想定のたちの悪いところは
その大義名分が「間違ってない」というところだ。
誤解なら間違ってると指摘することはできるけど
ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。
え?
間違ってないなら実行できない人が無能で怠惰なんだから仕方ないって?
wikipediaによると2009年の時点で日本のニート総数63万人
彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?
賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?
ニートだけじゃない。実際働いている人でも
(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格を破壊するには充分すぎるとおもう)。
(統計を出すつもりはないけど)。
1つめのウソで言及しているような
感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手は
2つめのウソで言及しているような
こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?
損する人のほうが多くないか?
そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。
この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。
でも納得できない。
これでは救いにならない。
でもいつまでも状況に進展がない。
だれか否定してくれよ。
「おまえ間違ってるよ!」って。
1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど
そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。
枠組みを作ろうと思う。
ほとんど働かなくてもいいような枠組み。
楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。
そうして、口やかましい人たちを黙らせる
http://auauai.tumblr.com/post/9080858048
これはブログでも書いてるけど
やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。
優しくて閉鎖的な空間だ。
個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。
そういう人と連帯を組むことはしたくない。
じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは
そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。
自信を少しずつ取り戻す。
まずはそこからだ。
誰だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。
心底、世の中に絶望していた。
どれも納得できなかった。
共感をもたらしてはくれたけど
やっぱり現実はしんどいままだった。
山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた
(いまでもその選択肢を考えてる)。
いくら本を読んでも
現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。
でも最近考え方が変わった。
それもやはり本を読んで変わった
(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。
だめ連の本によると
連帯すると分散される(当たり前か)。
家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。
近隣の人の援助もあったらしい。
それはちょっとできるかどうかわからない。
でもぼくらにはインターネットというツールがある。
レゴ作って2chにスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり
自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画がYoutubeで何万再生もされたり
「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり
要するに「好き」とか「やってみた」とかの
ということは
そういうしょーもないアイディアが収益化する可能性があるのだ。
ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。
社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。
誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。
心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。
外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど
ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。
とりあえずヒマならその家に集まってみて
生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。
なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら
そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる
(ぼくもいくつかアイディアがある)
奇しくもこの考え方は
楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。
しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所
(SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)
これができるだけでも意味はあると思う。
もうだから早く家借りよう。
とりあえず、ツイッターかmixiかメールかなんでもいいから連絡をください。
http://twitter.com/yukkun1986/
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi
breed0902@gmail.com
(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。
たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。
怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。
別に住まんでもいいのよ家には
慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。
もう疲れた。
もう待てない。
もう泣きたくない。
誰かが泣くのも見たくない。
きみは死ぬな。
それでも生きれるようにしたいのよ。
ぼくもきみも。
これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。
コメントに返事を書く!
なげーよ。
ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。
短く的確に書ければいいなと思います。
書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます。
誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰/自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる
DMMでDVDを高画質ダウンロードすると1ファイル2, 3GBいくので、DMM三昧の生活を続けている俺は深刻なHDD容量不足に見舞われている。仮に一ヶ月に30ファイルダウンロードするとどうなるか?30ファイルって毎日1本もダウンロードするのかよと思うだろうが、驚くなかれ。俺は多い月は100本くらいダウンコする。しかしそこまでするエロマニアは稀少だろうからとりあえずここでは一ヶ月30ファイルで計算してみよう。すると月に2, 3GB/file * 30files = 80GBくらいもHDDを占有してしまうのだ。つまりどういうことか。1TBのHDDは1年で任期満了になるということだ。なんてこったい。一昔前であれば1TBなんてそう簡単に埋まらなかったが今はDVDまるごとダウンコなんて当たり前の時代。また、エロDVDでなくても今は動画共有やストリーミング配信隆盛の時代ですよ。avi形式で録画するとすぐにギガバイト単位のファイルができる。長時間だと何十GBになることすらある。おそロシア。好きな配信者のストリーミング配信を録画しまくってる知人がいるがもうHDDの中は巨大動画ファイルでギッシリ。毎日数GBいくと言ってたな。ほかにもテレビ録画マニアもいてデジタル高画質だからすさまじい巨大ファイルがあっちゅうまにできあがる。今はそんな人が多い。動画をたしなむか否かで雲泥の差。たしなむ人は月に100GBくらい余裕。たしなまない人は月に10GBとかそんなとこ。そういう時代なのである。で、たしなむ人はどうやってHDDを調達してくるのよ?年に1TB~数TB食いつぶすとなると、1~数TBのHDDを買ったとしてもそれを年に1個買わないといけない。なんかとんでもない話だ。外付けHDDを切り替えるのが面倒ではないのかどうなのか?USBハブで複数つないでるのか?それにしても卓上のスペースを逼迫してやまない。まったくやっかいな話である。
件の女子については、いくらダダ漏れとはいっても必要ないものや不快な物をまきちらして、それをメディア特性の所為にするなということですわね。
それはメディアの特性がもたらす安心感があればこそできることだけど、だからといって陰口をたたくやつはやっぱりクズだけだってのと同じ。
いくらメディアのせいにしてもクズがクズであることには変わらないし、ちゃんとやるやつはちゃんとやる。
境界線がどこかって話は難しかろうけど、そもそも境界線自体意識してないならまぁ確実にクズだわ。
で、この女子、どっかでノー編集とノー遠慮の区別がつかなくなったんだろうな。
まぁわかる。限度を越さないうちは、ノー遠慮の方が面白く見えるしな。
そこで軽くたしなめてもらう代わりに応援が増えたりすると、まぁその先は海老蔵状態になる。
しょうがない。外部の干渉でむりやり報酬系ねじ曲げられたようなもんだから、それでなお正常運転しろって言われても難しいだろう。
ノー遠慮の芸は齢70超えてからにするか、芸能人の中でもプロと呼べる人に学ぶとかしないと無理だろう。
ノー遠慮のように見せかけてぎりぎりのところで一戦越えないコントロールするのは、やっぱりプロの芸人レベルのセンスいるんだろうし、
プロの芸人ですら一線超えて爆死するやつ時々いるし、それで萎縮しておとなしい芸しかできくなったアレとかもおるわけで
一般人の、しかも20歳そこそこの子供が無防備に突っ込んでいったら爆死するのは当たり前でしたという話。
でも新しいジャンルにおいて最初に鉄砲玉が突っ込まんで場をかき回した上で爆死した後、二番手が一番美味しいところ持っていくというのはまぁ自然な流れ。
就活時の業界への関心の有無が明暗の分かれ目だといつも言えるかどうかというのは疑問で。
客観的に見れば、人も羨むような難関企業にするりと入ってしまったのはいいけれど、
自分の実力と会社の期待の乖離を埋められずに苦悩してけっきょく潰れてしまったという話であって。
この増田さんがIT業界に対する興味・関心が1でもあればモチベーションを奮い起こしてこのギャップを乗り越えられたはずだと信じたいのは分かるんだが、
スペシャリストよりもゼネラリストを育てたがる日本企業の慣習からすれば、その人の意向や能力を一向に配慮されない人事権が振るわれることなんて山のようにあるわけで。
いざ希望する業界の希望する部署に配属されるという幸運に恵まれたとしても、
何年かして合理的な理由もないのに興味がなくまったくやる気の起こらない仕事内容の部門に配属されたら、そこであなたは退職しなければならないのかって話になってくる。
個人的な意見でいえば、それがどんな内容の仕事であれ、1程度のやる気を自分の中に見出すことは難しくないように思えるし、
たとえ膨らますことができたとしても開始時点は1であり、期待される仕事の水準が高すぎては動機が膨らむ以前に重圧に潰されるのでけっきょく同じことなんじゃないかと。
ちょろっとやってみたいな程度の動機がいかなる重圧を乗り越えられるほどの力を発揮し得ると考えてしまうのは、たぶんそれを持たなかった者の幻想であり言い訳だろう。
そもそも世の中で興味も関心もゼロの職業に就いた人が必ずしも不幸かといえばそうでもなく、
志望動機がないどころかこれだけは死んでもやりたくないと忌み嫌っていた親の仕事を家族のために無理やり継がされた人が、
その仕事を日々こなしているうちに、自分がまったく知らなかったその仕事の面白みややりがいを見出して、
事と場合によってはこれこそ自分の天職ではなかったのかと気づいてしまうようなケースすらあるわけで。
視点を変えれば興味や関心が0ということは何の先入観も期待ももたずにフラットな状態でその仕事に向き合えるという利点もあって、
その業界に対する志望動機といえるものが100あったとしても、それが具体性を伴わない幻想やら漠然とした憧れで構成されたものであったら、
甘ったるい夢や幻想を現実にぶち壊される苦悩というものを味わうことになるし、実際に希望した業界に就職できたはずなのに幻滅して辞めて行く人も多い。
あらゆる物事はケースバイケースであるといってしまったらもう身も蓋もないんだけれど、
たぶん優先度の高さからいえば、動機そのものよりも、自分自身の正体をどのぐらい知っているかのほうが重要なんじゃないのかな。
本当にやりたいことにしかがんばれない人間もいれば、まったくやりたくなかったことにも面白いと思える部分を探し出してがんばれる人もいるし、
実力不相応の難関企業に入って期待に応えられず潰れていく人もいれば、多々益々弁ずで期待が大きいほど自分の実力以上の力を発揮していくタイプの人もいたりして。
動機が0か1かは万人にとってはそれほど決定的なことではないのではないような気がするな。
自分がどういう状況ならがんばれたり、がんばれなかったりする人間かをどの程度正確に把握しているかが、幸不幸の分かれ目になったりするんじゃない?
もっとがんばれると思ってたのにがんばれない人もいれば、もっとがんばれるはずなのに自分を過小評価して小さくまとまってしまってるもったいない人もいたり。
まずは、自分自身のことは自分でもよく分からないものだという自覚を持つところがスタート地点。
試してみないと分からないことは、世の中にはたくさんあるし、いちばんよく分かっているはずの自分自身のことでもそれは例外じゃない。
そういう文脈でいえば「自己分析なんて意味ないから辞めちゃいなよ」という識者の意見は傾聴に価するもので、
分析するに足るだけの十分な判断材料がないのに自分自身が何者かと問い詰めたところでドツボにはまるだけだよね。
わかんないものはわかんないんだし、わからないことは試すことで確かめるしかない、と割り切ることも大事で。
やりたいことを目指さないと不幸になるというバイアスがかかると、そのことで自分自身の本質を見誤った行動をとりつづけて、
それはそれでかえって不幸に陥る人もいるんじゃなかと思って、ちょっとおせっかいで書いた。
テレビは金払ってるようなもんだよ。コマーシャル見させられてるってのはそういうことだ。ただで予算使ったコンテンツ見せるバカはいない。視聴者は立派な客。
NHKやなんかの有料放送なら100%金払ってるし。だからコマーシャルはないわけで。
君と友人の行き違いは、けっきょく「できる人の中で比較的できない人を言い表す言葉」の不在が招いていると思う。
例えばプロ野球選手の2軍の補欠とかは毎日1軍の試合を見てる目から言うと見る価値がないわけだけど、単に野球のうまさで言ったらもう超超超人的にうまい。そりゃもう想像を絶するほどうまいんだ。想像できるのは「この近辺でめちゃくちゃうまい奴」レベルなんだけど、普通思いつく想像だと、その近辺レベルと2軍レベルを何かすごく近い、地続きで考えてしまいがちなんだけど、実際は地続きなんてとんでもないくらい隔たってる。近辺レベルの遥か向こう側に2軍はいる。もう遠すぎて見えないくらい。でもそんなすごい人でも試合に出てダメだと「へたくそ!」とやじられる。実際へたかと言うと下手じゃないのにだ。
芸能の場合は測定の基準があいまいだから、難しいところはある。さらに金を生む基準も能力と正比例というわけじゃあない。
だから誤解を生まないためには、とりあえず金を生み出す力は別にしてダンスならダンス歌なら歌の実力について、プロもアマもインストラクターも混合でざっと偏差値の分布を作って、そのどこに位置しているかを指し示す方がいい。
例えばダンスなら、ダンス教室のインストラクターをめざすなら偏差値このくらいが必要で、その人たちが集まってやってる大会のレベルがこのくらいで、習いに来てる人がこのくらいで、始めたばかりの人がこのくらいで、まったくやったことない普通の人がこのくらいで、運動が苦手な人がこのくらいで、そしてそのアイドルグループはこのくらいだ!ってやればいいんだよ。
誰にも相談できないので、叩かれるのは承知で書いてみる。
20代後半。男。
転職して今の会社に入った。前から入りたかった会社で、内定をもらったときは本当にうれしかった。これからはこの会社で頑張っていこうと思った。
しかし、内気な性格のせいでうまく人と喋ることができず、人間関係が築けない。
上司には、仕事ができないせいなのか、内気なせいなのか分からないが、冷たい態度をとられている。今は恐怖の対象になってしまった。後輩には劣等感を感じて敬語を使ってしまい、うまく話せない。
自分は対人恐怖症なのかと思って、ネットで対人恐怖症克服の何万円かする教材を購入したが、効果はなかった。
モチベーションが全く上がらない。知識、情報の収得に取り残されている。焦りは感じるが、まったくやる気にならない。
鬱病なのかと思い、メンタルクリニックに通院するようになった。
飲酒の量もかなり多くなったと思う。仕事帰りに近くのコンビニに寄り、500mlと360mlのハイボールを購入し、駅までの道を歩きながら一気に飲み干す。実家のある駅に着いたら、またコンビニに寄って、500mlを1本、360mlを2本購入。実家に着くまで歩きながら1本飲み干す。就寝する前に、残りの酒と抗鬱剤をチャンポンしながら飲む。背中全体に赤いブツブツができてきたが、多分肝臓が悪いせいだと思う。
一旦会社は休職してゆっくりするべきなのだろうか。耐え続けて通勤するべきなのだろうか。どうすれば前の会社の時のように、高いモチベーションを保ちながら、楽しく過ごせていけるようになるのだろうか。前の会社の思い出を美化しているだけかもしれないが。
どうすればいいのか、どなたかアドバイスを頂きたい。
批判でも結構です。
■追記
皆様へ
おかげさまで、仕事はしばらく休職して、心身が休める時間と今後について考える時間がもてました。
転職するか、もうちょっと今の職場で頑張ってみるかは、これからゆっくり考えて行こうと思います。
ストレスを感じない生活を送ることができるので、アルコールも暫くは控えるつもりです。
今の職場は、前の会社より、コミュニケーションがとても希薄で、仕事のレベルも高いものが求めたれていたので、それでストレスがたまったのだと思います。
よくわからんが、大企業の正社員でも断る人は断るよ。とくに組合が強い大企業だと休みは取りやすい。
そんでもって技術職だと休みはさらにとりやすい。(まったくやすめないプロジェクトとかもあるけど)
あと、半減勤務というのもあって、給料半分になるけど、労働時間が7割になる。というシステムもあった。
(もちろん業務都合はある程度考慮するとしても)自由に休めない会社って、ブラックなんじゃね?
研究所勤務なんて、それこそ、裁量労働制で1日の最短労働時間5分で出社扱いとかの人もいるし。
正社員だからというのは、あまりないと思うけど。
http://anond.hatelabo.jp/20100501012802
(続き)
でも対して、
「気がつけば縛っているのってめぐりめぐって国民だよね」
っていう風に見てくれている人が少なからずいるのにも救いを感じる。
狂童日報っていうブログ]をよく見てたんだけど(最近更新されないが)、
(http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=count&url=http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/)
この人が口酸っぱくして言ってたのが、
「自分が縛られているからって相手を縛るな」ってことだったな。
コンビニ店員の接客態度を怒鳴りつけちゃうみたいな。
自分が労働者であると同時に消費者である、っていう関連付けは、
自分が有権者であると同時に行政サービスの受け手である、っていう関連付けとあわせて、
ぜひみんなに共有してもらいたいわ。
ってかまずマスコミの評論家たちの「我々国民は」っていう台詞をすべて禁圧すべき。
我々国民という日本国最高の大主権者様が無体な要求をするたびに、
現場が縛られて、最終下流の行政サービス受益者が、コストも不便も負担するっていう、
みんなが涙なくして語れない業の輪廻から早く抜け出そうよマジで。
(http://www.geocities.co.jp/SweetHome/8404/index.html)
これまためっきり更新されてないんだけど、
ここにマスコミがもっとも恐れる最大のタブーの相手は誰かっていうネタがあってね。
もっと国民主権の意味をもう一度考え直して見た方がいいんじゃないかというのが自分の考え。
この国民が理不尽な清潔思想の専横を始めてると思うんだけど、っていう問題提起を始めてみるべきじゃないですか。
元増田の最後の方で露悪的に学生とか主婦とかを悪し様に書いたのは、
この種の人たちに「タテマエで絶対に逆らえない錦の御旗」をご気軽にぶん回す手合いがすこぶる多いという私の個人的なルサンチマンがそうさせました。
少しは反省してます。
でもさあ、この話の元になった佐々木さんの記事も、紙幅の関係で言いたいこと細大漏らさずって訳にはいかないんだろうけれど、
それにしたってもういい加減「業界の既得権益」とか「恐ろしく複雑で巨大な利権システム」って紋切り型の非難は止めてくんないかな。
そういう利権もあるだろうし、非難そのものが間違いではない(この留保がほんとにタチ悪い)が、
上にも書いたように、官署系統の激烈コスト肥大と非合理性の淵源はどこにあるのかってことの、
でもそうすると記事が売れないんだろうけどな。そっちの方がよっぽど言論利権じゃねえかよ。
なんつって、記者の人も生活かかってんだよな。相身互いで。
翻って見るのならそれは世間・国民のタテマエに過ぎる清潔性と無理解なんじゃねえのか。
役所ってところは、世間・国民のタテマエの吹き溜まりになっちまってるんじゃねえのか。
そこまで細かくしてどうするの、って
そこまでストリクトに縛り上げてどうするの、って
そこまでしなくちゃいけないことなのか、って
そりゃ間違ってはいないことかもしれないけれど、
だからってそこまで厳しい清潔な規律を、
際限なく敷衍していって歯止めが利かないこの世の中って、
どう考えてもおかしくないですか、って
昭和を振り返る言説がちらほら出てるけど、
(昔はもっとおおらかだったとか何とかそんな感じのやつ)
元の濁りの田沼恋しきってことなんだと思うんだわ
好きでやることならとことんまでやるけど、
それが義務になった瞬間に一切の意欲が失われる、って話してた(ラクガキ王国の話だったと思う)
西洋のフロー方式の業務管理ってどうしたって向いてないと思うんだが、どうだよ。
ホンネとタテマエ、ホンネがどんどん薄れていっているから、
息苦しくて動きづらい、生きづらい世の中になってんじゃないか???
子ブタ兄弟は自分達が食べていくための、親からお金をもらって、この砂漠に小さなお店をだすことにしました。
次男「そうだ!僕はパンがすきだからパン屋さんをやろう、自分もパンが大好きだし友達も売ってくれるかもしれない」
次男はパンが大好きでパンが作りたかったのでパン屋さんをつくりました。
長男はお金がほしかったので、いろいろな物を売るお店を作って次男が作ったパンを売ることにしました。
「いっぱい製品をならべて安く売れば、人がいっぱい来てくれるに違いない!」
長男は、売り子さんをやとって商品をいっぱい並べました。机や鉛筆、パンは次男がつくったのでとても安く売ることができました。
だけど、ここは砂漠で、だれ~もお客さんがやってきません。
長男は次男に言いました。「お前のパンがまずいからお客さんが来ないんだ」
次男は傷ついて、もっとおいしいパンをつくろうといっぱい研究しました。
南にパンに詳しい人がいると聞いて、いろいろなパンを教わりました。
北におおきなパン屋さんがあるときいて自分のパンを売ってもらえないか一生懸命頼みました。
一生懸命おねがいしたので、いろいろなパン屋さんと仲良くなってパンをおいてもらうことができ次男のパン屋さんにもいろいろお客さんがやってくるようになりました。
やがて次男のお店の前に大きな道ができて車も止まるようになりました。来年は汽車もやってくると聞きました。
でも長男のお店は、ときどき安いものを買いにお客さんがくるだけです。お金をはらって道路をつくったり、他の砂漠にもお店をだしてみたりしました。なので、なんでお客がこないのか長男はたいへん不思議に思いました。
やがて長男は町で次男のパンがおいしくなったことを酒場の噂ばなしにききました。
それを聞いた長男は次男に「パンがおいしくなったって聞いたから、パンをいっぱいくれ」とあたらしいパンをもらいました。
でも長男の砂漠のお店には、お客さんがやってきません。パンもすぐにダメになってしまいます。
長男はなんでパンが売れないのか疑問におもいうわさ話をきいた町の酒場にいき、またあたらしい噂ばなしをききました。
酒場のお客は「次男のパンは、長くないから食べづらい」「北のパン屋さんには、次男のパンが売ってるらしい」という話をきき、長男は「そうか、たべづらいのか、それに北のパン屋の話ばかりで、自分のお店の話がぜんぜんないな、だから売れないのだ」と思いました。
長男は次男に「お前のパンは長いからたべづらいと聞いたぞ、パンがうれないのはお前のせいだ」、「それにお前のお店にきたお客さんをこっちに紹介しろ!」
次男は困ってしまいました。
なぜなら次男は他のパン屋さんのためにどんどんパンを作っています。
北の町のおおきなパン屋さんからも、おいしいパンをありがとうと言われています。
長男のお店だけを紹介したら、いままでお店までの道路を作ってくれたり、汽車をひいてくれたりした他のパン屋さんは怒ってしまうでしょう。
そこで次男はいいました。
「お兄さん、町の酒場はよっぱらいばかりだから、信用しちゃだめだよ」
だけど長男は信じません。
また次男は言いました
「とおいけど東にパン好きな人たちがあつまっているから、そこでお兄さんのお店を紹介してもらったらどう?」
でも長男はとおいからいやだといいます。
「パンを売っているから、ジャムを買っていっしょに売ってみたら?」
長男は怒っていいました。
「そんなことをして、ジャムが売れ残ったらどうするんだ!」
次男は困ってしまいました。
どうしたら長男にわかってもらえるのでしょう?
長男はいいます。「そうだ!もっと品物を揃えよう!他のお店に売っていない品物を置いたら、お客さんもくるだろう。でもお金はつかいたくないし、もし売れなかったら困るから少しだけ買おう!そんな素晴らしい品物を探すんだ!」
長男は売り子さんにお店をまかせて、珍しい品物を探しにいきました。でもあまりとおくに行きたくないので、近くの知っている人に聞きました。
「めずらしい品物はありませんか?」訪ねた長男は西の町にめずらしい品物があることを聞きました。
西の町に行った長男は「めずらしい品物を売ってください。それにこの珍しい品物は私だけに売ってください」とそのお店に言いました。
お店の人は「いいですよ たくさん買ってもらえればあなただけに売りましょう。」
でも長男はめずらしい品物が本当に売れるか不安です。ただめずらしいだけかもしれないからです。
「売れるかどうか、わからないから2個だけ売ってください。」長男はいいました。
「とんでもない2個だけでは、売れないですよ、めずらしい品物はあなただけに売っていたら私が破産してしまいます。」交渉決裂です。
つぎに長男は、次男の作っているパンをもっと安く売ろうと思いました。他のパン屋より安くすれば売れると思ったからです。
「次男からやすいパンをいっぱいもらったぞ。これでお客さんがいっぱいくるはずだ」
長男は安いパンをお店にいっぱいならべました。
でもお客さんはまったくやってきません。やがてパンもだめになってしまいました。
「パンは売れない、もうパンを売るのはやめよう。」長男は決心しました。
次男はそれを聞いてとても悲しくなりました。
長男はどうすればよかったのでしょうか?
早く起きすぎた(4時起き)。潰しきれないので日ごろの疑問とかを時間つぶしに書きます。
以下本題。
どんな状態でも常に自分の体に違和感を感じる。私鼻が低いからコンプレックスぅ~~とかそんなレベルじゃない。こんなレベルなら気にしてないけど出っ歯を治したい。あとO脚。
他人からすれば気にしすぎ、整体通えばってなるんだろうがそれらが原因で自分を嫌いになった。
最初は小学生の時、アキレス腱あたりに違和感を感じて足を引きずったりしてた。
とはいっても毎歩ではない。不自然なのは分かってたから我慢した。
でもまったくやらずにいたらなんか頭の中でストレスだか何かが爆発しそうになる。多分ベッドの上でバタバタする程度だろうけど。
次は首だった。表現しづらいがもう違和感感じまくりだった。ここ5年くらいはひどく、切り落としたい、折りたいと感じる。
でも痛いのは嫌だし死にたいわけじゃない。ただ首がいらない。でもマフラーは好きだよ。ラブ。だがタートルネック、お前はダメだ。
次は肩(これのみはスポーツでの負傷が原因でかばってて発症した)これも今はもういらない。
ただ座ってるだけ、寝てるだけでも苦痛、要は生きてる限り常に違和感を感じる。
それ以外に目周辺も、背中(背骨?)も何かが違うと感じる。整形じゃない、とりかえたい。
これら全てを分かりやすく例えると魂が入るべき体を間違ったかのような感覚(多分)。
ちなみに整体体験したしストレッチもやったが意味なし。気持ちよかったけどね。
まぁ、なんだ。その結果生きるのが苦痛になった。だって例え金無限にあろうとこの違和感からくる苦痛とストレスに耐えられないんだよ。お金あったらそりゃ楽しんでやるけど。。。
鬱じゃないけど考え方は鬱と診断されるやつと同じになった。(楽しいと感じないとか、素直に感動しないとかetc)
死にたくはない。でもこの先この違和感が増えてくと思うと怖い。どうしよイライラして首折ったり目を取りだして洗おうとしちゃったら。。。
高速道路を運転中にサイドブレーキに手を置いてもし、くしゃみの勢いで引いたらどうしようって言う無意味で起こり得ない心配レベルだけど怖い。
アダムスファミリーの首なし兄貴みたいな動きになるのもやだしな。。。
所でIQが高い事が後々分かったのだが確か250~500人に一人程度らしい。ここまでくると一問感で当てただけで100人単位変わりそうだよ。
IQ高いと頭おかしいっていうし体の違和感電々はこれが原因かもと思ったがこんなん日本だけで何人いると思ってるんだ。レア度で言えば生徒会長以上。。。悪くないかも。
MENSA(学校の1クラスにつき一人入れるレベル。学級委員ね)も入ったが海外行くことになったので最初の参加だけ。
賢いと思える人はたくさんいた(IQ関係なくそりゃたくさんいますよ)けど私みたい人はいなかった。そりゃそうだ。
ちなみにルービックキューブは全然とけなかった。IQにも向き不向きがあるということか。
私はIQ高いと言われておいて出来ないのが悔しかったので結局色々考えてパターン化することで3分きれるようになった。
でもパターンで覚えてるから久しぶりにやると見ながらやるよりパターンにハマったら目を瞑ってパターンをただ思い出してやる方が楽。
だから目を開けて実は間違ってたり落としたりしたら絶望的。(これは最速狙うわけでも、ベストな解き方だと思ってるわけじゃなく、ただ私に合ってる解き方)
IQが高くても別にいいことはない。今思えば、少なくとも私はIQを無駄遣いしてたようなきがする。
英語は周りと比べるとろくにしゃべれないし文法は本当にまったく知らないのでTOEICは実力は750くらいが妥当だろうに
なんとなく出題者の意図とか聞き取れないところを補完して感覚で800後半はコンスタントにとれる。
文法問題は雰囲気でしっくりくるのに決めてる。これで8割以上。SVOとか修飾とかよくわかんない。主語はすぐわかるよ、最初に書かれてる。一文字で始まってたら確実。
ボキャブラリーは日本の出来る高校生並程度なので単語覚えるだけで900点は行くと思うが、これじゃ見かけ倒しだ。自信もって履歴書に書けない。
他のテストでもこれで助かってきた面は多いと思う。
他にもIQが高いから故か楽してきた。
それに左利きから右に直され、ペンを持つのが苦痛(↑の違和感もあり)だから読む事メインで対応できるようになり、相対的に字は汚くなった。
余計ペンを持たなくなった。これじゃ自信もって履歴書"が"書けない。
格闘技してた時も別の事情で半年で辞めざるをえなかったけど1Rなら相手が経験が段違いでも一緒に練習してた人なら性格と練習量からどう考えてるか分かるから完全にリードもできる。(少し嘘)
2R以降は体力の問題できびしくなるしパワーで負けてたけどね。
とあるスポーツでも超経験者よりもいい案を出すことも結構あった。これが助け船になったこともあるので力になれて嬉しかった。
他には日常生活で便利というか回転が早い故の効率がいい行動とか行為を発見するのが早いくらいしかない。
そろそろ準備する時間だ。無意味な上に中途半端だが気にしない。でも体に違和感電々は本当に悩みであり苦痛です。
読んでくれた人いたならありがとう。
増田です。
裁判員制度を問い直す議員連盟が緊急総会なるものを行ったそうで、『「裁判員制度」凍結、見直しにむけた「12の論点」』なるものが事務局長である保坂展人議員のブログに掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/21929301bf51872669470a5abd17bbeb
これの前に保坂議員が思いのたけを書き綴っている日記もあって、こっちを読んでおくと主張の背景が判るかも知れません。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/2a0f3fcc5177f4a295dea218a6f0a4ef
…なんですけど、幾ら読んでも、その主張がさっぱり判りません。なんと言うか、筋が通らない。単に増田の読解力が破綻してるのかも知れませんが、他増田はどう思いますか?
①思想・信条による「辞退」や面接時の「陳述拒否」が認められない
「私は人を裁くことはできない」という強い信念を持つ国民が、裁判所からの呼び出しを拒んだ時、「正当な理由なく出頭を拒否した」として10万円の過料の制裁を受けるのは憲法上の問題があります。また、裁判員候補面接時に「死刑も含む法定刑を選択出来るか」と問われた国民が、「『憲法19条の思想・良心の自由』に照らして、私はこの質問にお答えできません」と応答した時に「正当な理由なく陳述を拒んだ」として制裁を受ける危険があるのも問題です。憲法の上に、裁判員法が位置しているかのような倒錯があります。
「辞退権があるべきだ」と言うスタート地点から話が吹っ飛んで、「出頭拒否OK」に着地してるみたいですが、どんな理由であれ「辞退したい」と言うだけの理由で出頭拒否出来る必要が何処にあるんでしょうか? 裁判員なんてなりたくないのに無駄な時間取らせるなよ、と言う思う人は(沢山)居るとしても、事前に送付する質問票で辞退理由に当たるかどうか判断されている以上、制度として出頭拒否を肯定する必要なんてないと思うのですが…。
で、恐らくスタート地点であろう「辞退権があるべきだ」には、特に異論はありません。が、大々的に拒否権ありますって事にしたら、裁判員がやりたくやりたくてしょうがないって人しか裁判員なんてならないんじゃないかな(それはそれで激しく怖い)。つーか、実際問題として質問票なり面接の時なりに「裁判員なんて絶対やりたくない。選ばれたら出席はするけど、全ての審議に棄権する(or無効票を投じるor少数派につくetc)」って言えば、落とされるんじゃない? それでも選ばれる位、裁判員候補が酷かったらどうするんだって話はあるでしょうが、それはベツバナでしょう。
陳述拒否も同じ。そもそもそんだけ信念を持ってるなら回答を拒否する必要ないですよね。意識的に自分の思想を隠して、裁判官や弁護士、検察官を欺きたいってんなら話は別ですが、これも制度として肯定する理由を感じません。
つーかね。思想隠しOKなんて事にして「死刑万歳」とか「死刑なんて絶対ありえない」とか「左の頬を叩かれたら右の頬を差し出すべき(だから無罪)」とか言う人達で裁判員が構成されてる裁判なんて魔女裁判と変わらんと思うんですよ。そんな裁判絶対関わりたくないわ。審議の内容を見ずに思想だけで評議する奴は裁判員から外せってのは当然じゃないですかね? 保坂議員は死刑廃止論者で、裁判員制度見直しの話に死刑廃止の目論見を混ぜ込んでる(と言うか単に切り分けられないだけか?)ふしが散見されるんだけど、死刑万歳な連中が同じ事をした時の害を考えれば、自身の主張が馬鹿げてる事は自明だと思うんだけどな。
②守秘義務・虚偽陳述の罰則が重すぎる
さらに、「裁判員の守秘義務」の範囲が不明確だとして、「裁判員等の守秘義務の範囲の明確化と国民への説明」が付帯決議で指摘された点は、いまだに判然としていません。裁判員として途中経過に関しては一定の守秘義務が必要であっても、判決を終えた元裁判員について、評議の中で自らが述べた意見及び経過の要点については、他の裁判官・裁判員の評議・評決の態度に言及しない限り、可罰対象にするべきではありません。「評議の秘密は墓場まで」「守秘義務違反を行えば、逮捕覚悟だぞ」という威迫は、不要で過剰な重圧を国民に与えるだけです。
また、これらの守秘義務によって、裁判長や裁判官が一方的な評議の進め方をした時や、裁判員の声を無視して評議と異なる判決をした時等の「異議申し立て」も封じられてしまいます。
裁判員の守秘義務は裁判の傍聴では知りえない部分に限定される訳で、具体的には「裁判員の名前」やら「評議の経過」「事件関係者のプライバシー」。評議で言った事を後で公開・糾弾される心配をしながら裁判員なんて出来ないですよ? 怖すぎて。有罪に票入れれば犯人に恨まれ、無罪に票入れれば被害者に恨まれ…。何にも言えませんって。例えば、精神鑑定が議論になる様な裁判で「裁判員の一人が精神科医で、そいつの薀蓄で他の裁判員が抱き込まれて無罪になった。でも裁判官は全員有罪に票を入れてた。あんなのはおかしい、絶対有罪だ」なんて事も言って良いって事ですよね? 無罪判決が出ても一人の裁判員の思い込みで「裁判官は全員有罪だったんですって怖いわねぇ」とか言われても仕方がない、それが裁判員の権利だって事ですかね? 被告への社会的ダメージは計り知れないのでは? 裁判関係者(裁判員、被告、被害者等)を守る為にも守秘義務は必須でしょう。どうしても判決が納得できないなら、傍聴すれば誰でも知り得る範囲で活動すればいいのであって、裁判員しか知りえない情報を公開可能にする必要は全く感じられません。
あと、ここ以外でも主張の下地に「裁判官が腐ってた(裁判員を誘導した、裁判員を無視した)らどうするんだ」って言う疑念にある様に見えるんですが、これはそもそも裁判員制度の問題じゃないですよね? 現行制度なら裁判員を誘導したり無視したりする必要すらないんだから。「裁判官が腐ってたら裁判員制度は機能しないから、腐った裁判官だけで裁判すべき」って言ってる様にしか見えないんですけど…。
他にもいっぱい書きたい事はあるんですが、いい加減長いので、一先ずこの辺で終わります。
単に増田の読解力の問題ですかねぇ…。
会社がやっていることの全体像をまず知るみたいな意味では、今の業務内容はとても役に立つと思うんだけどどうかいな。
本来望んでいた業務をまったくやる前に、「最初の業務が思っているのと違ったから辞めました」じゃあ、あまりにもあまりにも…と思うよ。次の面接で正直に言えるかとかじゃなくて、社会人として人としてね。
あとは、今の肉体業務の中でもいろいろ観察して、今後に役立てるようにしておくとか方法はいろいろある。
どんな素材がどういうふうに使われるものなのか、なんてのはデスクワークに入ってからも大切な知識でしょ。
名前と顔を一致させるのはもちろん、どういう人なのかを見きわめる。誰がどの技術で一番上かを見きわめるとかね。
そうやって周囲をよく見て、自分が会社にどういう形で貢献できるかをいつも考えるようにしていると、あとあと役に立つと思うよー。
ああ、これはよくない考え方だなと思ったのはここ。
「その言葉よく出てきますけど、どんなアレなんですか」「うちはそういう仕事が多いんですか」とか、貪欲にどんどん聞いていくこと。会社の業務内容をしっかり理解していかないと、とんちんかんな失敗を招いたりしちゃうよー。
「仕事できないのは当然」という考えは、就職前日で終わらせておくこと。今日は昨日より仕事ができるようになって終業を迎えるくらいの意識を持っていくべき。そうなれば「会社にとけこむのはこれから」なんて考えていられないってわかるはず。
派遣村に集まっていた人たちはやる気のないホームレスまがいの連中が大勢に違いないし、
どちらも俺の嫌いなタイプだが、それでも派遣村を支持せざるをえない。
派遣村に集う失業者は、単に職がないというだけでなく、社会から相手にされない連中だ。
そもそも、人をクビにする立場からすると、やる気のないように見えるやつから順番に
クビを切るだろ。だから派遣村には、そんな好感度の低い連中集まっているに違いない。
同じクラスにいても友達にはなりたくないやつらが派遣村に集っている。
報道をみるかぎり、まさにそんな感じでしょ。
俺だったら、もし、目の前で彼らがひもじい思いをしていても、
手を差し伸べるのは嫌だね。なんで自分と利害も血縁もないやつらを
救わないといけないのって思う。かわいい女の子なら助けるけど、おっさんは嫌。
でもさ、社会をよりよくするためには、無職やホームレスの救済は必要だろ。
親族も友人も誰も手を差し伸べてくれないような、顔も性格も要領も悪くて魅力のない
おっさんが、不況の折に職を失っただけで死にゆくような社会は良い社会ではない。
ただ生きていくためだけに、やりたくもない仕事に低賃金長時間労働を
何度挫折しても、生きているかぎり自分の可能性を追求し続けられる社会が良い社会だ。
性格の悪い俺でも、そう考える理性は持っている。
俺は醜いおっさんは大嫌いだ。だから直接手を貸すのは勘弁してほしい。
自分ではやりたくないことは、金を払って他人にやってもらうのがいい。
オッサンの面倒を公務員に代行してもらえるんだったら、