はてなキーワード: すがやみつるとは
https://web.archive.org/web/20190804191818/http://m-sugaya.jp/sci-fi.htm
「第二次世界大戦後、「Famous Monster Magazine」を編集していたフォーレスト(フォーリー)・J・アッカーマンという編集者が、ステレオの「Hi-Fi(ハイファイ)」の発音にヒントを得て「Sci-Fi(サイファイ)」という「Science Fiction」の略語を生み出しました。これがウェブスター辞典いうところの1955年なのでしょう。アッカーマン氏は、自分の車のナンバープレートも「Sci-Fi」にして、この言葉の普及につとめたようです。
アッカーマン氏はファンジンの祖としても知られている人でして、日本ではマンガの主人公になったこともありますが(^_^;)、コンピュサーブ会員の説明によると「(もちろん本人は認めないが)クズSF映画(trashy sf movies)」の愛好者で、彼がこれらの映画に「Sci-Fi」の名前を冠したため、一般メディアは、ゴムのぬいぐるみが出てくるモンスター映画のようなものを総称して「Sci-Fi映画」と呼称するようになったのだとか。
「2001年宇宙の旅」から「スターウォーズ」までの期間の前後は、「Sci-Fi映画」といえば目玉の大きなグロテスクな宇宙人やロボットなどが出てくるホラー系、モンスター系映画の代名詞となっていた(いる)のだそうです。
さらに60年代に入ると、出版業界の中で、モンスター映画に似た安っぽいSF小説を「Sci-Fi」と書いて「Skiffy(スキッフィー)」と呼称するようになったのだそうで、「サイファイ」と並行して「スキッフィー」もポピュラーな呼称となっていったようです。
「Sci-Fi(スキッフィー)」という呼称には、多分に侮蔑的なニュアンス、あるいは自嘲的な意味合いも含まれていたようで、ジョークの中には「SFファンの前でスキッフィーというときは、逃げ出す準備をしてからにしろ」というようなものまであるそうです。
このような経過を経たせいか、「Sci-Fi」には屈辱的、あるいは差別的なニュアンスがつきまとうようになり、SF作家の中には「Sci-Fi作家辞典」への掲載を断ったりする人も出てきたのだとか。
そのためコンピュサーブの「Sci-Fiフォーラム」は、その名称を「SF/Fantasyフォーラム」に変更し、「GOコマンド」からも「GO Sci-Fi」が消えることになったとのこと(1990年頃のことらしい)。ここでいう「SF」とは、「Science Fiction」であり、また「Speculative Fiction」であり、ハインラインやクラークの伝統を引き継ぐ作家、作品を指しているようです。ちなみにニューウェーブやサイバーパンクの作家名は出ておりませんでした。
ただし、ここで留意しないといけないのは、コンピュサーブは元もと料金が高かったこともあって会員の年齢層と地位も高く(これを称して「コンピュサーブの3高(c)Mitsuru Sugaya)」という)、大半のフォーラムではハンドルが使えないなど、保守的なオンラインサービスとしても知られているところです。
……てなことを書いていて、またコンピュサーブにアクセスしたら、最近までは使えなかった「GO Sci-Fi」が復活しておりました。「SF/Fantasy Forum」グループのメニューが出てきます。コンピュサーブもAOLが親会社になったことで、ポリシーを変更したのかな? それとも前に探したときにタイピングをミスしたのかな?
しかし、このコンピュサーブの「Sci-Fi」に関する議論は、なんとなく「ハッカー」についての議論を思い浮かべてしまいました。はい、「ハッカーとクラッカーを一緒にするな」というアレでございます。ケーブルテレビにも「Sci-Fiチャンネル」という、24時間連続でSF系のテレビ映画などを放映しているテレビ局もあるくらいですから、すでにアメリカでは「Sci-Fi」という言葉は市民権を得ているといってもいいのでは……なんて思っちゃうんですよね。これも、「面白ければSFでもSci-Fiでもかまわない」というこだわりのなさからなんでしょうが。
15年ほど昔、手塚治虫先生に、「最近、『ゲームセンターあらし』は、すっかりSFになってますねえ」と言われ、「げえっ! 手塚先生が『コロコロコミック』まで読んでるう!」とビックラこいたものでしたが、そのとき「スキッフィー」という言葉を知っていたら、「いえ、ぼくのマンガはスキッフィーです」と言えたのになあ。あのマンガで目指していたのは駄菓子屋マンガだったから。
すがやみつる(1999/3/20記:1999/8/2一部書き足し)」
😌スッキリした
via アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の秋葉原オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分の秋葉原を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない秋葉原の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、秋葉原のことを紹介するために
見せるべき10店を選んでみたいのだけれど。
(要は「もえるるぶ」の正反対版だな。彼女に秋葉原を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「電気街口」なので、時間的に過大な負担を伴う昭和通り口、万世橋の向こうは避けたい。
あと、いくら秋葉原的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
秋葉原好きが『東京青果市場』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
秋葉原知識はいわゆる「素敵なサムシング」的なものを除けば、ラジオ会館のビットインは知っている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「とら以前」を濃縮しきっていて、「とら以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。店舗も隣同士だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な店について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな店(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「秋葉原としてはこの二つは“家電量販店”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のマイコンオタが持ってるチップへの憧憬と、18時閉店のオタ的な営業へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも秋月的な
の二つをはじめとして、オタ好きのするパーツを店内にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「超超超超激やーす」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜のチェーン店がその後続いていないこと、昔、格安AT互換機を売っていたこと、
アメリカならdellになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり秋葉原はPCのためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「TSUKUMO」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この店でかける「HELLO,SOFMAPWORLD」のアレンジが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも11店舗、っていう店数が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
ソフマップの無軌道な店舗拡大を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
ビックやヨドバシだったらきっちり本店に集約してしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて時空館を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の在庫を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ野口がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。買い取り自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でぷらっとホームに行ったたことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
Linux Cafeよりも前の段階で、本多の哲学はこの店で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの店が秋葉原でこの時代に売っていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくLinux好きとしては不思議に誇らしいし、
すがやみつるの看板でしかオヤジを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ダイナの「画」あるいは「音づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「どうせiPodで128kbps ACCを聴くくせに、やけにヘッドホンに拘る」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそSTAX『SR-007』の試聴はダイナミックオーディオ以外ではあり得なかったとも思う。
「買えもしないヘッドホンを被る」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はダイナミックオーディオにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうサンボ風味の牛丼をこういうかたちでサンボ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9店まではあっさり決まったんだけど10店目は空地でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
とらから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ヨドバシ以降の秋葉原時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい店がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10店目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。