はてなキーワード: しおりとは
いまさらだけれども。なんていうか、自由について思ったことについて書く。
個人的に、規制論が出てくることは悪くないと思う。というか、むしろ喜ぶべきことだと思う。表現をめぐる、とっても正常で健全な構造がある証拠でしょう。
多様な見方があるからこそ文化は成熟し、研磨されて受け継がれていくんだ。提示された疑念がよりいっそう文化に付加価値をもたらす。
ただ、その際に、議論は推奨すべきであっても偏った結論に辿り着いてしまっては駄目なんだと思う。偏った意見同士がぶつかり合うごちゃごちゃした議論こそ第一の目的とするべきなんでしょう。
結果として、とてもあいまいなルールしか生まれないかもしれない。ルールなんて生まれなくて、一回りして始まりに戻ってきてしまうこともあるかもしれない。
でも、きっとそれでいいんだと思う。どのような形であれ、積み重なった意見が肥沃な土壌を生み出し、また議論の球根を芽吹かせて、ぐるぐるぐるぐる表現の自由が語られていくんだと思う。
角川文庫のしおりに、自由って案外不自由なのかもしれないとかなんとかっていう一文があった。これって、かなり正鵠を射ているような気がする。
自由であればあるほど個人は幸福になれるのかもしれないけれども、社会的動物としての人には害悪が多くなることがあるのかもしれない。
人は自由に向かって不断の努力を続けなければならない。それは紛れもない事実なんだろう。表現することを邪魔する規制に立ち向かうことには絶対的な意味がある。
でも、その果てに自由を手にしてしまったら駄目なんだ。自由であることを実現してしまったらおしまいなんだ。
そんなことしたら、個人としてではなく社会的な存在としてひずみが生まれてしまう。公私の境界が取っ払われてしまう。私の自由で誰かが傷つくこともあれば、誰かの自由で私が傷つくこともありえてしまう。
だから、ずっと挑み続ける。決して辿り着かないように、前進を続ける。そうあるべきなんだと思う。
たぶん、手に入れることがとても困難な価値観――平和とか自由とか――というのは、そこへ辿り着くために足掻き続けることこそが実質的な価値なんだろうな。
ぐだぐだだけどいいやこれで。
「ラシミール 医療用医薬品 - ノバルティスファーマ」 http://www.lamisil.jp/
「ラミシール外用液1% 添付文書」(ノバルティスファーマ株式会社) http://www.novartis.co.jp/product/las/pi/pi_lassol02.html
「ラミシール外用液1% くすりのしおり」(ノバルティスファーマ株式会社) http://www.novartis.co.jp/product/las/si/si_lassol00.html
QLifeお薬検索 http://www.qlife.jp/meds/rx12177.html
「成分一致薬品」(医薬品情報 サイト イーファーマ) http://www.e-pharma.jp/dirbook/contents/data/seibun/2659710Q1078.html
「抗白癬外用薬(医療費のお話)平松皮膚科医院」 http://hiramatu-hifuka.com/hoken/yakuka01.html
「格安処方薬ジェネリックで得する術 極意は「2度のオーダー」」(日経TRENDY) http://202.214.174.123/article/column/20090624/1027230/?P=2
どこぞのコメンテーターは、電子媒体ばかりでは教育によくないとか何とか言っていたが、俺はそうは思わない。
紙の本に囲まれることの何が良いだろうか?コンテンツは同じである。iPadでは長時間の読書はつらいかもしれないが、電子ペーパーならある程度緩和されるはず。ハードウェアの進歩で解決される。電子書籍といえどメモやしおりはつけられる。紙の本のように場所も取らなければ持ち運びに苦労することもない。俺は紙の本も大好きだけれど、本棚を置く場所が限られてきたから電子化おおいに結構。物理的な限界をデジタルの力でクリアーできるのだからうれしいことである。
電子辞書ではなく紙の辞書を使うように、と指導する教師もけっこういる(らしい)。周りの単語も目にする機会があるとか、手で辞書を引くという行動から記憶に結びつくだとか、いろいろと言い分があるみたいだ。けれども、電子辞書のほうが圧倒的に便利。軽く小さく、素早く辞書を引けるうえに横断検索だって出来る。個人的には、その場ですぐに辞書を引く(最近はマーカー機能を備える電子辞書もあるからそれを使ってもいい)。同じことばを忘れてしまっても、5秒で調べられるのだからまた辞書を引けばいい。反復によって覚えればいい。
対象:堀北真希のCMでおなじみ「安心のゴールキーパーでありたい」でおなじみ新医療保険α
(必ず)~の上
2年くらい前までどっぷり「成人向け」のジャンルでつくる側の仕事をしていて、今回の騒ぎについて思うことがあるので書いてみる。
自分はエロゲを、まぁ2本、それと数え切れないほどのエロ雑誌をつくってきた。雑誌のほうは風俗モノからいわゆるロリマンガまで多種多彩。ある程度、何が売れるかもわかっているつもりでやっていた。
そんな自分から見て、まず思うのは、最近の一般マンガ誌はひどいな、と。「○○がエロすぐるwww」なんて草生やしてる場合じゃないな、という思いがある。
早い話が、「エロトピア」や「快楽天」より「チャンピオン」がエロかったら、それはいけないことだと思うんだ。表紙に「18禁ですよ」と書いてあって、最近じゃシール留めもしてあって、そのなかに初めてエロというのは存在すべきものだと思うんだ。そういう、自分たちの仕事に対する後ろめたい気持ち、良く言えば、慎み、を持って、少なくとも自分は仕事をしてきた。
たとえばもう10年近くまえになるけれど、「はじめてのおるすばん」というエロゲが発売されたことがあった。双子の少女といっしょにお留守番をしながら、少女たちにエロいことをしたり、されたりするゲームだ。しおりとさおりの姉妹は体操服にブルマだったり、パジャマだったり、もちろんハダカだったりするわけだが、誰がどう見たって完全に小学生なのだ。だけど、このゲームは一切の規制を受けなかった。それどころか、最近でも続編が発売されている。なぜなら、メーカーは彼女たちを「18歳以上です」と言い切ったからだ。
エロの発信者たちはそうやって、自分たちがニッチを相手に商売していることを自認しながら、社会のルールと折り合いをつけて生きてきた。バカだと思われても構わない、少女を描くならそれが「18歳以上である」と言い張り続ける努力をしてきた。そこにエネルギーを使ってきたし、レイティングによって客層が限定されるなら、その限定に甘んじてきた。それ以上の層に(つまりは18歳未満の層に)自分たちの商品を提供しない、という枠の中でしのいできた。そこには明確な棲み分けがあったはずだ。
先にルールを破ったのは、出版不況とやらにあえぐ大手出版社の少年マンガ誌ではなかったか。
エロ業界が必死に言い張ってきた「この娘たちは18歳以上だ」というバカバカしい主張をスッ飛ばして、彼らは「こどもですよメコスジですよ赤貝ですよ」と、そういうものを流通に乗せてきた。魔法少女だから、人間じゃないから、少年誌のなかで少女のマンスジや顔射を描いていいなんて誰が言ったんだ。
エロ屋のつくるものはエロくて当たり前だ。だからオレたちは知恵を搾った。血尿を垂れ流しながらドラマをつくった。「オレたちの表現は自由だ」と、そう自分たちに言い聞かせながら大手に対するコンプレックスを飼い慣らして、仕事をしてきた。
ところが、大手がタガを外した。言い訳を考える手間すら費やさずに、コンビニにマンスジを並べた。小さい弟も大きいお兄ちゃんも、それに群がった。規制の話が出るのは当たり前だ。
表現の自由なんて声高に叫ぶ前に、考えなきゃいけない。先にルールを破ったのは誰だ。本当に自由を、文化を、殺そうとしているのは誰だ。「非実在青少年」なんて意味も味気もない日本語を生み出した元凶は、いったい誰だ。
ルールがないことと自由とは同義じゃない。エロの世界でも優れた表現や作品は数え切れないほどあるし、たとえ優れていない作品がそれ以上に存在していたとしても、それでも世の中の多くの男にはエロが必要なんだ。誰かの尻馬に乗っかって批判のための批判を叫ぶよりさきに、考えることがあるんじゃないか。ユーザーのために、オレたちは仕事をしていたんじゃないのか。
うちにはまだ「目立つ力」は届いていないのだけど、何それ。
404BlogNotFound:公言は傲慢にするべき3つの理由
勝間「断る力ッ!」
いや、状況によらない。
発言の大やけど、もとい公度が高ければ高いほど、より傲慢にするべきというのは、例外なき法則と弾言、いや断言する。
っていうのが弾さんの言い草だけど、これ、悲しいけどはてブでは正反対なのよね。
1. 傲慢は表現を簡潔にする
2. 傲慢は表現を簡潔にします
3. 傲慢は表現を簡潔にするはずです
4. こいつ、馬鹿なの?
5. 正論。
6. 同意。
7. 俺が前々から考えていたことを言語化してくれた感じ。
この例を見れば分かる通り、同じ内容でも、傲慢度が上がるほど簡潔度もましている。
簡潔すぎて、元々持っていたはずの意味部分すらも削げ落ちている。
ブクマがプライベート限定であった時代であれば、そこにおいてクソをミソにするだけの贅沢も許されよう。しかしこれだけブクマが溢れ、その理由付けが求められている時代、それは受け手の視界を汚す表現公然猥褻物陳列罪とでもいうべきものなのだ。
確かにブクマ元が間違っていた場合において、それが速やかに修正されて、発言がより正しく広く伝わる、というのはよくある。
他人の馬鹿発言のために己が100文字の何割かでも割こうとする聖人はそうそういない。
割いても「↓こいつ馬鹿か?」程度の中身ゼロな悪態がせいぜいだ。
あなたは、それにより傷つく。しかもそれによって公はより正しい意見を手に入れることが出来るというわけでもない。
そもそも傲慢なブクマに対しての反論は、基本的に効果がない。
修正を念頭においてオピニオンを表明するブクマカもまた稀なのだ。
だからブクマカは傷つかない。当然、発言前に自らの意見をより厳しく検証する行為とは無縁になっていく。
その上、はてなスターという良かった探し機能の存在が、"肯定"以外の他者からのメッセージを切り捨てる。
これで研鑽できると放言できるほうがどうかしてる。
結果、発言者の言動は、はてブ利用を通じてより無責任にあまり成長しないような有様となる。
(あと、まぁ、ここらへんに「傲慢なブクマ」と「傲慢なつぶやき」は違うとかなんとか)
これ以上続けるとSAN値が下がるのでまとめる。
ブクマにおいては、
傲慢な発言もいいけど、せいぜいストレス解消と割り切って、まかり間違っても自分が百パーセント正しいなんて勘違いしないでよねっ。
「間違い」は叱られたり、ペケつけられたりで、はじめて生まれるモンじゃないんだからっ。学生時代とは違って。
そんじゃーね。
Masuda the Anonymous
図書館の本は公共のもので、そういうことしちゃいけないってわからないんですか?
借りた本は借りたときの状態で返すのが普通でしょう!
目印をつけたいのなら付箋とかしおりとか使ってください!
なぜ私がこんなに怒っているのかというと
この間借りたパリのガイドブックの、ほぼすべてのページにおいて
目がチカチカしました
http://daitai.diary.to/archives/1645741.html
これ読んだんだけど、皆結構神経質じゃね?
「自分の本であっても、読みかけの本を開いたまま机に置くなんてしないでしょ?」って言ってる人がいてかなり驚いた。
そんなん日常茶飯事なんだが…しおり?持ち歩くの面倒だからほとんどしたことないよ
あるいは図書館の本では流石にしないけど自分の本だったらドッグイヤーとか普通にやりまくるし。
っていうか「本を大事にする」っていう発想が正直あんまないんだよね
だから「本を大事にしなきゃ」って言ってる人がいてびっくりした。
なんで?だって本って重要なのは中身だろ?そりゃバッラバラになって解読不能、なんてことになったら困るよ?でも読みかけの本を置いておくと跡がつくとか、ちょっとも汚れるのは嫌、って、なんかよくわかんねーんだけど、その感覚。それって「本」の中身が好きなんじゃなくて本の外見が好きなのか?まあデザインがいい表紙の本だったら分かるけどさ…写真集とか、でもそういうのはもとより持ちあるかないしな…
本は何より読んでなんぼでしょ?大事にするより、多少あらっぽくても何度も読まれたほうが寧ろ本を大切にしてると言えないか?
こんなに当然の如く本を大事にしなきゃ!って人がいるのに驚いたわ
神経質だな~
自分も、洋服を買う=遊ぶにはつながらない女で旅行が趣味なので、増田の気持ちはよく分かります。
きっとまだ若いと思うので、同年代の女の子の趣味にあわせていたら疲れてしまったんだろうね。
「せっかく東京に来たんだから、お土産を見たい、浅草に行きたい!」そう思ったら主張する勇気も必要。
気が合う仲間なら、ちゃんと意向を汲んでくれるはずでしょう。
元増田も書いてるけど、「友達“と”遊ぶ」ことが重要であるのなら、その仲間でどこへ行っても楽しいでしょ?
私はそう。何もない公園でも、買い物でも、食べ歩きでも、楽しく過ごせる。
ただ自分の希望が叶えられなかったので不満が爆発してしまったんだよね。
その場で合わせていたら、元増田もほんとに楽しかったんだろうと、彼女たちは思っていると思うよ。
旅慣れた友達と行くなら「行きあたりばっ旅」もすごく楽しいんだけど、
初めて行く土地でガッツリ観光したいなら、旅行前にミーティングすることをおすすめする。
旅のしおり作ったりね。たのしいよ。
・黙っていった方が無難だし、一々、報告しない。
「こ、この店は別に今回のために探したわけじゃないんだからね!たまたま知ってただけなんだからね!」
・ボケるのは人を見てボケること。突っ込みとボケは信頼関係が大事。
・例えば、飲み会当日に「いいお店だね」とか褒められたら、その時に初めて「今回は色々とリサーチしたんだよ」って言ったらいいんじゃないだろうか。
逆に言うと、これで下手こいた場合、「アレだけ下見してもこの程度かよ・・・」という評価になる。
・本当にボケたつもりで発言したの?
少なくとも同僚はそれをボケとは受け取れなかったんだと思う。
もしかして、幹事って新年会とか歓迎会の店の下見とかってしないの?
わし「今日は3件、現地調査にいってくるぜ!」
同僚「はぁ~!?なんでそんなことを・・・」(ひいた感じ)
あるぇ~??
(追記と現状のまとめ)
・現地調査はかまわない。
・黙っていった方が無難だし、一々、報告しない。
「こ、この店は別に今回のために探したわけじゃないんだからね!たまたま知ってただけなんだからね!」
・ボケるのは人を見てボケること。突っ込みとボケは信頼関係が大事。
・実は新年会とかはPublicな行動らしいので、社会人と会社員の自覚をもって適切に処理すること。
・飲み会のしおりなる物を作ろうと思ったけど、ちょっと自重しとく。
・この日記が、こんな議論になるとは思わなかったよ!と思いつつ、部屋でガタガタふるえる。
タイトルが長すぎたのでちょっと縮めた。
本当のタイトルは
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/20429154.html
一般常識ブログマナーを訴える人と、全く話がかみ合わないたった一つの理由
http://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-550.html
http://anond.hatelabo.jp/20081123222911
一番上のが問題の発端となった記事ですね。
一番上のアホみたいな記事を読んだ人のなかで、
頭に大きな「?」マークが浮かぶと同時に呆れにも近い不快感を覚えた人は
僕だけではないはずだ。
一番上の記事の著者への問題指摘だとか、
「なんでこんなアホなこといってるの?」というある意味分析に近い記事はもう結構でまわってるし、
自分もおおむねそういった人たちの主張と一致している。
皆が言うように、問題のヤフーブログの著者はとりあえずインターネット、しいてはブログというものを大きく勘違いしている。
(一応僕の意見も下のほうにメモ書き程度に書いておいたので興味のある人は読んでほしい)
さて、ここで僕が問題にしたいのは
「大人のマナー」とか「一般常識」とかいう言葉を隠れ蓑に使った議論の進め方はそろそろやめにしないか?
ということだ。
「現実世界ではこれが一般常識でしょ?だからインターネットでも大人のマナーじゃない?」
とか言っている。
僕が思うにこの「一般常識」とか「大人のマナー」だとか「最低限のモラル」とかそういう言葉を使って、
たとえば、なんでも良いのだが、
自分は特に問題だとも思わずにとっていた行動が、実はある特定の人の中ではそれが許されない行為で、
その人に注意されたあげくとどめの一言に「それはないだろJK」とか「それが常識じゃないの?もっと大人になれよ。」とか言われると、
『え?!自分ってそんなに常識ない人間だったのかなぁ・・・。』とちょっとショックを受けたりする。
でもこういうことにかぎって他の周りの人に意見を聞いたりすると、
むしろ反対意見のほうがおおかったりすることもある。
みなさんもある程度『大人』ならこういう経験は少なからずあるのではないか?
(ここでいう『大人』とは僕のようにもうそこそこいい歳をとって数十年くらい生きていると、という意味としてあえて使った)
ちょっと話が特殊になるかもしれないが、
僕もIT(SI)畑で仕事をする人間で、はてなーにもこういう人が多いと思うのであえてもう一個例を出すと、
お客さんが色々と要求を言ってくるときに、ちょっとでも曖昧な部分とか『暗黙の了解』として残しておくと
後跡になってそれが問題の火種になることがある。
これも両者の常識(みたいなもの)がずれてた例だろう。
ここで言いたいのは、結局「一般常識」とか「最低限のマナー」とかいうのは人それぞれなのだ。
その人の生まれ育った環境などにおいて勝手に構築されるものである。
その人の中で勝手に構築された「一般常識」や「大人のマナー」をやぶると
こういう言葉を使われると強制リセットを受けたような気になる。
さも、
そんな非常識人間さんとはこれ以上議論の余地はありまえん、じゃーね」
と言われたかのようだ。
大切なことなのでもう一度言う。
「常識」なんて人それぞれです。
あなたが「こんなの一般常識でしょ」と思っていることでも、実は「常識」という言葉通りみんなが認識しているものではないかもしれません。
だから意見を主張するときに「こんなの常識だと思います」とかいう言葉を使って、いかにもまともそうに見せるのはやめましょう。
ふぅ、とりあえず言いたいことはこんな感じ。
とりあえず問題のブログの著者はこれだけ批判を浴びたんだから少しは自分の中での『常識』が
みんなの中での、すくなくともインターネットにおける『常識』ではなかったということを認めるべきだろう。
皆もご存知のようにインターネットはコンピュータ間の通信から始まり、
その通信網がどんどん広がり誰でも利用できるようになった。
特に情報発信のツールとしては重宝され、世界のどこにいても情報の取得・発信が可能になり、
このようなインターネットという世界において、現実世界におけるまったくもって的外れな例を持ち出しては
「一般社会でのマナーですよ。だからインターネットの世界でもそうするのが当然でしょ?」と言っている。
例えるなら日本人が言葉も文化も違うアメリカに行って、なおかつ日本の常識をアメリカにあてはめようとしているしか思えない。
インターネットとわれわれが日々生活する現実社会は思想も文化も発展した経緯もすべて違う。
郷に入っては郷に従えである。インターネットの世界にはインターネットの世界のルールがあるのだ。
それを彼女は
「ブログは自分の家と同じだ。コミュニケーションのためブログは門戸を開いているが、批判等は自身のサイトで行え。」
とか言ったかと思えば
「ブログの記事は図書館の本と同じだ。かってにしおり(ブックマーク)をはさまないで。」
とか言ってる。
いったい彼女にとってブログは家なのか店なのか、はたまた図書館に置いてある本なのかいったい何なんだろうか。
それにコミュニケーションとは自分の意見に対する賛否両論の意見を交えつつ、
堂々とブログで「批判は自分の見えないところでやってね」と主張するとは
これまたこのご時世にずいぶん面白い意見だ。
彼女は「コミュニケーションのためブログは門戸を開いているが、批判等は自身のサイトで行え」と唱えている。
ある人が「私は〓〓だと思う!」と情報を発信すれば、
当然「私もその意見に賛成だ!」という意見もあれば「いや、私は反対だ。なぜなら〓〓だからだ!」という批判もあびる。
そりゃ匿名性が高いインターネットだと「うるさい、氏ね」とか平気でぬかす輩がいるがそんなのは無視だ。
このようにして数多くの意見を交換し合い、その中から自分なりの理論を構築できるのがインターネットの世界だ。
だからインターネットにおいて論理性というのは非常に重要だし、
インターネットの世界を渡り歩くための唯一にして最大の武器、というかツールというか言語にも近い。
僕もこのような記事を、特に増田なんかに書いた日には色々言われそうだが、
批判意見は真摯に受け止める。
批判意見の理論のほうが正しいと思ったなら、自分の理論を改める。
そのようにしてインターネットも、それを利用する個人も成長していくべきだと考えている。
まさかこんなに長くなるとは・・・。
ここまで読んでくれた人はありがとう。
一般常識・礼儀とブログマナー - ☆女の徒然草☆ - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/20429154.html
前もこいつ見たような気がするぞ?
現在92ブクマもついておりちょっとした騒動になっているが、この騒動の焦点になっているのは、以下のソーシャルブックマークに関して言っている箇所。
また、ブックマークに関してですが、本来のブックマークとは本にはさむ、しおりのことを言います。
ここで本来のと書いたのは、Wikiなどの内容から引用して反論する方が居られることを想像して
そのように書いているのです。
しおりである以上、その機能は個人の趣味嗜好によってなされるものとなります。
そして、ブックマーク禁止を表示しているサイトやウェブページ、ブログについては
公開ブックマークを行うべきではないと考えております。
図書館で利用者が勝手にしおりを挟んでいるようすを想像してください。
施設によっては利用者が数万人、あるいは数十万、数百万人もの人が利用して、
それぞれの利用者が勝手にしおり(ブックマーク)をすると、どのようなことになるでしょうか。
きっと図書館はしおり(ブックマーク)であふれかえり、しおり(ブックマーク)に書かれた内容が
その図書館においてある利用物となってしまいます。
これでは本来の図書館としての役割を果たすことは困難でしょう。
また、何もかもが自由であるとして人の家にまでしおり(ブックマーク)を貼り付ける行為は
ブログは、企業などの団体が書いているもの以外、すべて個人の家と同じです。
門戸は開放されていますが、それはほかの方との交流を容易にするコミュニティーの手法であるだけで
要は彼女の言い分はこういうことだ。
ブログという開放されたスペースでやっているが、それは他の人とコミュニケーションするためであり、
乱暴な人がブックマークコメという手段で言いたい放題するのを許可するためではない、と。
ブログのコメにある反論に対しても、意味不明な例えと自身のインターネットに関する浅薄な知識とのらりくらりとした答弁を武器に
なかなか頑張っている。
私の雑感だが、
四つめについては他の増田に聞きたいけど、はてブにはブクマされないような設定ってあったよね?
たしかMETAタグを埋め込むとかだったはず。
仕事先の環境でホッテントリをチェックして、面白そうなエントリを見つけたら中身を見ないで[あとでみる]タグを付けてブクマする。自宅に帰ってからそれらをゆっくり消化していく。主にようつべ・ニコニコ・ブラウザゲーム・(18+)ネタなど。
[資料]タグをつけてブクマしておいて、後で仕事先のPCのブラウザでお気に入りに登録する。上のパターンの逆バージョンか。
これが一番多いかも。何か面白い・あるいは話題性のある記事を読んだときに、日課としてとりあえずブクマするみたいな。
例えばブログで何か記事を書いているときに、ふと昔読んだWebページを引用したくなったりするが、記憶があやふやな中でその目的のページを素早く見つけるのに役に立ったりする。
短編集。特に「Live me Me.」と「Slowlife in Starship」は入門として理想的な完璧さ。同じ短編集である「老ヴォールの惑星」でも良いが、入門なら上記を薦める。
内容が面白いのは当然だけど、最近発売されたから簡単に探しやすいってのもオススメの理由であったりする。こういう入門書とかで、絶版になった過去の名作とか薦めても仕方ないしね。
小川一水で準備体操を終えたら、イーガンに挑戦してほしい。理知と言語感覚と背景世界の美しさを味わいつつ、自分が翻訳物に向いているかどうかも確かめる。
イーガンを読み終えることができたら、君も立派なSF者だ。多分。それで誰に何を自慢できるのかということは別として。
強いて言うなら、あまり厚くないもの、シリーズでないものを選ぶべき。サクサク読める分量の短編集とかがベスト。前半4分の1あたりにしおりを挟んだまま半年経ったりすると、多分2度とSFに戻らなくなるから。
最初の1冊が地雷だとあんまりなんで、最初は上を薦めるけど、その後は自分の感覚を信じて、次の1冊を手にとってみるといい。選ぶときは Amazon も良いけれど、本屋で「自分で手にとって選んだ」って体験は強い。自分が選んだ本って、やっぱり特別だと思うんですよ。
そもそもネットの中で、「善・悪」を分けるのが野暮ってもんだな。
もっと殺伐としたもんなんだよってことで。
村上朝日堂(80年代末のエッセイ)で、そういう二分法(イケてる・イケてない)がはやってるってので、
パロってからかってるエッセイがあったけど、山崎元もその時代の人か。
っつうか、JMMだって、結局はMLだから、コメント付けられないのだから、1)の原則からしたら野暮だよな。
たんなる村上龍的経済観の押し付けでしかなかったし。単にネットを利用した経済評論としてうまくのっかっただけ。
で、山崎のおっさんの理屈によると、それによって「議論がクールになった」っつうんだから、
1)と9)が矛盾するじゃん。そういう論理的整合性の無いものを二分法で分けるってのは、頭が鈍感で幸せなんだね。
それにさあ、なんで九鬼周造で、「いき」の分析的側面じゃなくて、そういう「しおりの一遍」っていうか
学者として頭使ってないレトリックを引くんだろ。ブックオフでそういう線引いてある奴見たら、馬鹿と思う。
信じたいことだけしか頭の中に入れてないんじゃないの。