はてなキーワード: ご愛敬とは
参政権付与が一般的に禁止されているわけじゃないから、認められないとまではいえないんじゃないの?
判例は、禁止説は否定してるような。
航空機の登録を受ける権利が、性質として日本国民のみを対象としているんじゃないの?
許可を必要としてるってことは、少なくとも一般的には禁止されているわけだろ。
この許可が講学上の「特許」なら、権利付与ってことになるし。
で、判例通説はどこにある?
下でお前さんが引用してるのは前文みたいな間接証拠ばっかりじゃないか。憲法15条も最判H7.2.28も引かないのは脳内概念の自覚があるからか。
だから、ご愛敬だといったじゃないか。
途中からは、まんま浦部説だけどなw
前国家的な人権が理念として、または史的現実としてありうるかどうかは議論の余地がある。というかその手の空虚な定義から演繹的に何かを導こうとするのは科学的じゃない。
(中略)
条約を出せば相手がびびると思うな。国際人権規約B§25は締約国に外国人参政権を義務付けたものじゃない。国連総会第6委員会の議事録でもぐぐっとけ。
そこまでって、性質説の論証だけど。
そこからの国民主権との関係性が、浦部説の展開で。
未成年者は、その未成熟性からパターナリスティックな制約ができるよね。
最判H7.2.28の「わが国に在留する外国人のうちでも永住者等であって、その居住する区域の地方公共団体と特段に密接な関係を持つに至ったと認められる者」って、生活実態が国民一般と変わらないってことじゃないの。
参政権についてこう考えているってことは、規範として「人権の問題を考える際に重要なのは、その人の国籍ではなく、生活の実態である。」と考えてるってことじゃないかと。
責任転嫁すんな。「参政権を含む」人権についての外国人の享有主体性の話だろうが。「参政権を除く」人権について話をしたのはお前だ。
は?
参政権を除く話などしてないだろ。
同じ要件を具備しても、国民様は登録できて哀れな外国人は登録できない。人権の享有に「特権」的な差をつけられてる。貴族なんだろ、お前が言うには。吐いた唾は飲めんぞ。
他の制度との整合性や議会資料から推定できる立法趣旨と、お前さんの脳内概念とでは天と地の差だよ。その気になればお前さん、いくらでも「個人の尊厳」の内容を膨らませることができるだろ。その結果、現行憲法の明文規定が空虚化してもいとわない。それが「ひっくり返す」ってやつだよ。
そのために、判例なり通説なりで補強するんじゃないか。
補強できるようなものがなければ、脳内概念と言われてもそれはそれで仕方ないけど。
人権とは、『人間であれば、人種、性別、身分に関わらず、たとえ国家が存在しなくても個人の尊厳という価値観を前提として、当然に有する普遍的な権利』である。
そして、憲法の前文の3段落目で、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」とされている。
また98条2項で、「締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守する」と規定しており、『憲法は国際協調主義を採用している』といえる。
さらに、国際人権規約などに見られる人権の国際化を理由に外国人にも人権を認めるべきである。
ただし、国民主権原理(前文、1条)との関係から、権利の性質上日本国民のみを対象としているものを除いて認められる。
国民主権は民主主義と密接に関連し、民主主義は治者と被治者の同一性を要求する。人権の問題を考える際に重要なのは、その人の国籍ではなく、生活の実態である。
したがって、生活の実態という点で日本国民一般と変わらないような外国人に対しては参政権を保障すべき。
その保障が及ぶ生活実態の基準として、永住資格の有無は合理的であるといえる。
通説でないのはご愛敬。
ttp://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/asia/1260261764/627
627 :日出づる処の名無し:2009/12/19(土) 22:21:41 ID:83qBHCGB
918 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/12/19(土) 11:50:52 ID:UqSw3naQ
「それでこれからも飯が食えるのか?」
「誰得?どう得?いつ頃から得?そのために最小限やんなきゃなんないのは何?」
おかげで何とかここまで来た。
だから対自民攻撃点はただ1つ。
「これからどうしたいか見えない」
そりゃそうだ。リアリストには夢を語る必要も暇もないからな。
魚屋に来て「夢ください」
政治にはこれからも「安全に安心して生きるためには何が最適の方策か」
を考えてもらいたいもんだ。
「日本人が」だ。
そのためのツールとして「夢」語るのはご愛敬だが。
その苦心惨澹の成果物をたった3ヶ月で小突きまわしやがって。
日米欧の関心は雇用と所得、鳩山次期政権は現実に対応出来るだろうか?
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鳩山政権は明日発足するらしい。しかし不思議や不思議、熱狂的期待感は皆無、酒井のりビー保釈と閣僚人事予測が同列のエンターテインメントになっている。この一種壮大なニヒリズムは何だろう?
本来のニヒリズムではなく、投げやり、明日のことはどうでも良い、難しいことは考えない。そんな怪しい空気が日本を蔽っている。政権交代とか、個別、民主党の圧勝とかの区分けは表面的すぎないか、と多くの政治分析を眺めつつ一種違和感が私の脳裏に去来する。もっとも筆者には自民党を断固支持するというメンタリティはない。
日本の「政権交代」は結果として、イデオロギーの交替でもパラダイムの交代でもなく、或る精神の後退である。戦後日本の精神的混迷という極北状況の中で、導き出されたひとつの結論である。それは耐えられない日本の軽さの証明でもある。
ブッシュ・シニアは湾岸戦争を主導し、国連決議を成立させてイラクに空爆、圧勝をもたらした。当時、アメリカ国民の人気は90%もの支持率を誇った。しかしパパ・ブッシュは再選されなかった。クリントンがいみじくも言ったように[Stupid,It’s Economy]だった。
パパ・ブッシュは選挙中にスーパー・マーケットに立ち寄り、庶民の味方という政治演出を試みたが、まったく物価を知らない実態を写し出され、国民の多くが反発し、アーカンソウの馬の骨(クリントン)にも票が流れた。保守革命を忘れたブッシュに保守側から挑んだロス・ペローによって共和党支持票がみごとに分割し、馬の骨が漁夫の利を得た。
麻生首相は漢字が読めない漫画ファンというのはご愛敬にしても庶民の物価感覚がわからなかった。自民党支持票は大量に小沢ガールズに流れた。
クリントンは学生時代にロシアに招待され、夫人のヒラリーはニクソン弾劾キャンペーンの活動家だった。
青春時代、いわば極左にいたクリントンの政権が誕生し、保守は不安視したが、しかし政権掌握後、クリントン夫妻が選択した政策は保守主義の濃い、中間路線だった。リベラル色濃い政策は議会が反対した。
おりからのITブームにも助けられクリントンは軽々と再選を果たした。民主党を支えたのは左派イデオロギーではなく、雇用と安定と所得の増加だった。
▲「Stupid,It’s Economy」とクリントンは言った
その政策に息切れがでたときにブッシュ・ジュニアが本命ゴアを破って辛勝する。ジュニアは反テロ戦争に打って出て、やはり90%近い支持率に支えられ再選されるが、政権最後の日々は不評さくさく、ブッシュ・ジュニアの後継になる筈だったジョン・マケインはイラク戦争を表面にだして巧みに中盤戦をリードしたが、リーマン・ショック直後からの経済混迷の荒波にあっけなく飲み込まれ、どこの馬の骨とも分からないオバマに敗北した。アメリカ国民が求めたのは『気分転換』だった。
共和党の敗因は経済であって、イラクでも、アフガニスタンでもなかった。アメリカ国民は雇用と所得に関心があり、外交問題は二の次、三の次だった。
鳩山民主党は濃厚な左翼イデオロギーが支持されて勝ったのではない。経済である。つまり、選挙民にとって身近な問題は雇用と所得であり、失業増大、所得の目減りに対して殆ど無策と言って良かった自民党に対して体制保守、生活保守派さえ失望した。
明日はどうなろうと、空気の入れ換えを求めた結果が自民党の大敗を産んだのである。経済政策に何かを期待して、民主党を選んだのでもなければ、中国政策に共鳴して投票したのでもない。まさに「Stupid,It’s Economy」だった。
さて鳩山政権は誰が見ても、というより世界水準から言って三流の政治家である。一流に絶対になれないことは誰もが知っているが、二流にはなれる可能性がある。それは何か?
ヒトラーが名言を吐いたと三島由紀夫は『我が友ヒトラー』のなかで、次の台詞を用いている。「政治とは右を切り、左をきって中道を歩む」ものである。民主党イデオローグは左バネが強いが、そちらに傾斜すると政権の運営は難しいだろう。
自民党は改憲を謳い、靖国神社参拝を公約しながら実行せず、いやそれどころか後藤田、野中という極左を中枢に抱えて左傾化した。さらに自民党は連立相手の公明党バネに押されて政策を歪め、中道から左にぶれた。つまり自民党の無様な敗北は左傾化という誤断からだった。
同様に鳩山民主党が党内党友の左派路線にぶれると基本の方向性を歪め、再選はあり得なくなるだろう。鳩山次期首相が党内左派の連合、日教組、同和路線を斬る蛮勇があれば、二流の仲間入りが出来るだろう。
国民の多くは日米同盟の破綻を望んでいなければ、中国への急傾斜や東アジア共同体の成立を期待してはいない。雇用が安定し、所得が回復すること、外交にはそれほどの関心がないのである。
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通巻第2712号
久々に行ったら雰囲気がまるで変わっている事に驚いてしまった。
ヲタクなお店に行くのは8年ぶりくらいで、その頃のアニメイトと言えばただ黙々とグッズを眺め手に取りする。
アニメイトに限らず同人ショップやその類の店はだいたいそんなもんだったと思う。
そんなつもりで久々に行ったら、中高生のグループがワイワイキャーキャー楽しげに品定めしているし、カップルもいっぱいいるし、
仕事帰りっぽいオシャレなおねーさんもいるし、以前はまず見られなかったチャラい兄ちゃんもいる。(もちろん一人で来てるヲタク青年もいた)
「おおおおおっ!? これどうしたんだよ!? すげー賑やかじゃん」
ってそんな気持ちだった。
いろんな人がいる事やワイワイ騒いでいることも驚いたのだけれど、それより何よりお客さんの目がとても自然で生き生きしていた事にもっと驚いた。
本当にみんなとても楽しそうにショッピングをしているように見えた。
萌えブームやヲタクブームやらでマスコミが持ち上げたことでにわかファンが増えたような話もあるけど
ヲタクが以前ほど虐げられなくなったってのが、こういう所に良い影響として出ているのだろうか。
なんて思いました。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
何やらはてなで在日が話題になっているようなので、便乗してみる。
私も在日であった。そして、割と成長するまで自分が朝鮮人だという事を知らなかった口である。でも、通名を使用していなかったので自分が外国人だという事は知っていた。どういう事なのかというと、私は自分の事を中国人だと考えており、朝鮮人だとは思っていなかったのである。おそらく、友人も自分を中国人だと思っていたと思う。
何せ名字が「李」で(ちなみに、自分の名前は日本式だった。例だけど、李 一郎みたいな感じ)、周りで外国人と言えば中国人、朝鮮人は一人もいなかった。さらに、我が家の稼業はラーメン屋だった。これで中国人じゃないなんて、ギャグとしか思えない。
朝鮮人だと知ったのは、おそらく中学に入った頃だと思う。どうしてなのか、きっかけは忘れたが、親に「我が家は中国人なのか」と聞いて、帰ってきた答えが「いや、朝鮮だよ」だったのだけは覚えている。その時に思ったのは、驚きよりも「朝鮮ってどこ?」だった。
当時はまだ小泉純一郎も首相になっていない時代だったので、ニュースに興味もなく成績も学校で下の方だった中学生にとって、朝鮮というのは未知の国でしかなかった。韓国の北だよ、と言われてようやく分かった(当時はソウルオリンピックが開催されていたので、さすがに韓国くらいは知っていた。大韓航空機爆破事件も知らなかったほど、当時の自分はニュースに興味がなかった)
そんな感じだったので、朝鮮人だと分かった後も、自分が朝鮮人だと気にする事は無かった。中国人だとの意識も抜けなかった。周りに朝鮮人が一人もいないのだから、朝鮮学校なんて物もなく、私は小学校から短大まで、日本の学校に通った。名字が珍しい事以外、差別をされた経験もなければ、在日だからと同情された事もなかったので、朝鮮人と強烈に意識する事は皆無だった。
家ではキムチが出た記憶が無く、おそらくは他の日本人と同様の食生活だったと思う。休日の昼は必ず餃子とラーメンだったのはご愛敬だけど。親からも、朝鮮人の誇りだとか、金日成の話なんて聞いた事はなかった。今思えば、不自然なくらい、朝鮮の匂いなんて物が無かった家だったと思う。親戚付き合いも皆無と言って良く、自分は祖父母以外に親戚に会った事がない。聞けば、祖父母には兄弟がいたらしいけど、朝鮮戦争のごたごたで亡くなったらしい。
朝鮮人だと強烈に意識したのは、拉致問題だったかな。社会人になっていたけど、相変わらず一部の人(例えば、勤め先の社長とか)以外、私を朝鮮人だと知る人はいなかった。私が、積極的に朝鮮人だと言う事がなかったからだ。何せ、朝鮮人だと言ったところで、朝鮮半島の事なんか、韓国の首都がソウル、北朝鮮の首都は平壌だという事くらいしか知らないのだ。
ただ、通名は使用してなかったので、周りは自分の事を中国人だと思っていた。自分自身、中国語も喋れないが、中国人だとは思う事はあっても、朝鮮人だと思う事はなかった(本気で中国人だと思ったわけではなく、中国人という単語を「外国の人間」という感じで使っていた)。だから、拉致の時も、私は何も言われなかったが、私自身が自分の国籍を気持ち悪いと思った。こんな野蛮な連中と、同一の民族に思われたらかなわない。そう思い、とっとと帰化してしまおうと思った。
こういうと、ひょっとしたら「日本は昔野蛮だっただろう」と言う人もいそうだけど、その時に私は生まれていないのだから、その辺の事は個人的に「どうでも良い」事だ。正直、六十年も前の事をいまさら蒸し返すのは、馬鹿馬鹿しいとしか思えない。
だいたい、親の代から日本に住んで、日本語をしゃべり、日本の会社に務めているのに、日本国籍を持っていないなんて、どうにも不自然で仕方がない。正直、日本が好きか嫌いか以前の問題だった。帰化に関しては、ぶっちゃけ拉致発覚以前から考えていた事だったけど、拉致問題で踏ん切りがついた。
書類が集まらなくてやたら時間がかかったけど、取り敢えず拉致発覚の1年半後くらいに日本に帰化した。名前はそのまま。苦労した割にあまり「日本人になった」という達成感も実感はなく、金がかかって損した気分にもなったが(だって、何も変わってないのにお金は数十万円もかかったんだぞ)、現在私は日本人である。
私の家は、通名を使用していなかったので、外国人だとは知っていたが、在日朝鮮人ではなく中国人だと思っていた事は先述した通りである。そして、以降も朝鮮人としての自我は、全く芽生えなかった。ひょっとしたら、差別をされたら、逆に朝鮮人としての意識も出てきただろう。だけど、幸運な事に、私はそういう機会がほとんどなかった。
ただ、自分が自分を朝鮮人だと思えなかった最大の理由は、それは、我が家に朝鮮との繋がりを示す物が殆ど無かったからだと思う。前にも書いたが、キムチをはじめ、朝鮮の料理すら殆ど食卓には無かったのである。せめて、誰か親戚でもいれば朝鮮人としての意識も育っていたかもしれないが、これも無かった。これは、以下のような理由らしい。
先にも言ったように、祖父母は命からがら朝鮮戦争から逃れてきたらしく、親戚一同は皆殺しになったらしい。
曲がりなりにも同胞に家族を殺されたせいなのか、祖父母は朝鮮に関係する物を意識して遠ざけるようになったらしい。我が家が妙に朝鮮の匂いがしなかったのは、祖父母の教育のせいらしい。殺された親や兄弟の為に、「李」という名字は残しつつ、子や孫(つまり、私や、私の父)には日本名を付けていた。祖父母の話では、日本では意外な事に差別らしい差別を受けなかったらしい。
言い忘れていたけど、ここでいう祖父母は父方の方である。母方の祖父母は、私が生まれる前に亡くなったので、会ったことがない。ただ、聞いた話では、母方の祖父母は父方の方と違って、かなり差別を受けたらしく、意識して日本人と同化しようとしていた家のようだ(母は、例え話として太平洋戦争の時、日系アメリカ人が自分達への差別を無くそうと積極的に米軍に志願したり、アメリカ文化に同化しようとしたのと同じだと言っている)。そのため、親戚からは白い目で見られるようになってしまった。母方の親戚は父方と違って何人か日本にいるらしいのだけど、全く付き合いが無くなってしまった。そして、母親も普通の日本人と殆ど変わらない人間となったのである。ちなみに、母の家は日本に同化しようとしたのに日本国籍ではないのだけど、単純に金がなかったかららしい。母方の祖父母は、晩年かなり身体を壊しており、治療費がかなりかかっていたらしく、帰化費用も惜しかったのだとか。
まあ、こうして、我が家は朝鮮人の家系でありながら、私は朝鮮人としての意識が皆無の人間として育った訳である。
今でも日本人かと問われたら、何となく違和感があるけど(子供の頃は、中国人だと思っていたわけだし)、少なくとも朝鮮人だと聞かれたら、はっきりと首を横に振れる。
ここまで長い文章書いて、何か意味があるのかなとも自分で思ってしまったけど、まあこういう朝鮮人としての意識を最近まで全く持っていなかった在日もいるということで。
家を飛び出して今は漫画喫茶にいるわけです。
ちょっとここ最近、
一緒に住んで喧嘩して疲れるのなら、
一人の方が楽だなという気持ちです。
そこで「なぜ」を考えてみたいと思います。
「なぜ」を考えてぐるぐる同じことを考えてる時があると思いますがそこはご愛敬。
「私の気持ち」と「彼女の気持ちの」2つをスタートにしていきたいと思います。
というわけでまずは「私の気持ち」から。
なぜ私は疲れたかと考えると、
なぜ自分の気持ちを我慢して相手に合わせるのかと考えると、
例えば、「しんどい」「後で考える」「適当で問題ない」という言い訳。
プライベートな行動時は、深く論詰めて考えて行動したくないから。
ダメ男ですな・・・。
「バカなやつだ」と言ってこんばかりです。
なぜ彼女は怒るのかと考えると、
彼女に対して、喜ぶことをしていないから。
なぜ彼女に対して喜ぶことをしていないかと考えると、
一緒に住んでいると家族のように感じ、
私は「彼女はそこにいてあたりまえ」という気持ちになっているから。
うーん、独りよがりな考えなので、
自分勝手なこと言いまくってますねー。
彼女がこれ見たらなんて言いますかね。
まぁ、見せないけど。
もうちょっと自分の気持ちとか、現状を上手く考えることができれば、
今とは違った未来が待ってくれてそうですね。
さて、そろそろ帰りますね、家に。
最近ヌイてなかったので、職場を出てすぐソープに電話し以前指名した若くかわいい娘を予約。
その後も予約が入っているのか、予約の電話で希望時間から開始時間を10分早められ、電車の乗り継ぎも駆け足で。
店に着き待合室に通されるが、用意されたお茶を飲みきる前に“21番さんご案内で~す”との声が。
顔を見るとやはりかわいい。
簡単な挨拶を交わした後は無言で歩き、入った部屋で少し気まずい沈黙。
“久し振りです♪”と言われ覚えていてくれたかとニンマリ。
ベッドに座ってトークをした後は一緒に風呂へ。
じろじろ見まいと思いつつも、服を脱ぐ姿をしっかり横目でチェック。
体を洗って貰った後に湯船で胸をモミモミしつつ雑談。
いよいよベッドへ。
前回は攻めっぱなしだったので今回はまずは受け。
乳首の攻めがなかなか上手い。
気分が乗って来たのが伝わったのか、反対の乳首も執拗に攻めてくる。
し痛くなってきたが、まだ若い娘だしご愛敬だと少し我慢。
いよいよ局部を責められると、その顔が何ともエロい。
しばらくハアハア言わされた後に攻守交代。
唇、鎖骨の辺り、胸、胸、胸、胸、局部と責める。
局部がやや匂う。若いから手入れが甘いのか?変態になったつもりで我慢。
前回は膝を立ててうつぶせにさせて責めるとヌレヌレだったので今回も同じ展開へと・・・。
その娘が、“お尻や背中を責められるのが好き”と言い出だしたので、やはりそうかとお尻の割れ目のあたりへと舌を進めると・・・・。
ティッシュのカス?垢?
よく分からないが、とにかく汚物の類なのは間違いないもんが尻の割れ目に点々々々々々々と。
さすがにそれは・・・。やはり手入れの仕方がなってない。
さっきから無視、無視、無視。個性だから。
と思っていた匂いも、少し冷静になってくれば自分がトイレに入った時に匂うものと似ている。
ヤバい。この娘、本当に手入れがなってないんだ。俺、無理かも。
元気がなくなってきて、休めないようにしていた両手の動きが止った。
それをどう解釈したのか、「ゴムつけていいですか?」とその娘が言ってくる。
ヤバい。今は無理。
「もう一回舐めて。」
「ハイ。」
しかし全然元気にならない。
そうしている内に残り10分の合図。
こうなったらもう、とゴムを付けて強引に挑む。
かわいい娘を組み敷くとさすがに力が湧いてきた。
が、急がなきゃ!と言う冷静な部分が水を差したのか不発。
ションボリしつつ、
「ざっとシャワー浴びさせて」
局部だけは丁寧に洗ってもらい、バイバイして店を出た。
まばらに振る冷たい雨が気持よかったので電車には乗らずにiPodを聞きながら歩いて帰り、途中でラーメン屋に寄って酒も飲んで帰って寝た。