はてなキーワード: あるあるとは
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070204k0000m010116000c.html
のジニ係数の図がひろみちゅの言う捏造(棒)グラフhttp://takagi-hiromitsu.jp/diary/20070128.html#p01
になっている件について。
0.070が0.079になるのがものすごく大きく見えるが、この値は0-1の範囲を動く。
ちなみにこの種の捏造グラフの件はブルーバックスの名著「統計で嘘をつく方法」でも書かれていることなんだけど、だれかそのことは指摘したのだろうか。
そもそもこの話は我々人間の認知の特性として、我々の目はものの大きさを、絶対値ではなくて比として捉えるということを利用したトリックなのです。私がこのことをはじめて読んだのはGregory Batesonでだったけど、認知心理学では知られた話でしょう。
だからたとえば今回のジニ係数だったら、グラフの一番下から0.070までと、グラフの一番下から0.079までとで長さが2倍あるから、まるで2年で倍増したかのように見えるというわけ。
でもさ、科学者としてはこういうこと言うけど、ほんとうはどうでもいいと思うんだよな。はてなは大学生多いからこういうこと気にする人多いのかもしれないけど、あるあるだって、水伝だって、細木だって、江原だって、楽しんでる君らのお母さんとかを啓蒙しなくてもいいし、そういうのを仮想敵にする必要なんかないと思うけどね。とか言って非コミュ問題とかにしてみたりして。
なこといって、テレビなんてあんなもんだと言う人。
いや、それはそもそも、まんま信じちゃう奴らがいるからいかんと言う人。
だから疑えと言う人。
疑ってばっかで何を信じたらいいかわからんと言う人。
わからなくなって何でもイロをつけて悪口ばかり言う人。
イロづける安易について(一見)冷ややかな批判を言う人
暴露で世の中よくなると言う人。
それの嫉妬をルル言う人。
それで、この世の中をどーするんだ?
フツーに生活しながら、自分を囲む世界を
仕事をやすらぎを
豊かにしていくための
当たり前の言葉
当たり前の情報
当たり前の発信
当たり前の受信
ねぇ、どうしたら、できると思う?
ハイ!ハイ!ハイハイハイ!ワァオ!
頼むでーちゃんとあるあるネタだしてやー
分かってる分かってる西川くん やいやいいいな
いくでー
ハイ!ハイ!ハイハイハイ!ワァオ!
レギュラー さよなら
http://anond.hatelabo.jp/20070130015940
数字がとれてもスポンサー料は減ってきてたんじゃねーかな。
予算が減ってくるとどうしても検証とかにかける金も限られてくるし、
そうすると「できます」と言ってくる会社があると多少信用が足りなくてもそこに発注するしかなくなる。
「うーん。もう予算も減ってきたし、このスタイルを続けるのはもう厳しいな」
と内心思ってたんじゃないだろうか。
その一方で経営側とか番組編成を検討する立場の人は「高視聴率番組だから続けるべきだ」と思ってた、とかね。
科学的な検証が土台となるべき番組作りに適さない制作体制だったわけだ。
あるあるは数字がとれる番組だったが、いかんせん長くやりすぎた。
『おもいっきり』とか『ガッテン』とかは大丈夫なのかねぇ。
http://anond.hatelabo.jp/20070130012931
これは俺の想像でしかないのだが、だいたい、こういう類のもので、
組織の階層構造が多段になっている場合は、
「ちゃんとしたものを作るために」プロセスが決まっている。
だから、今回も、実験を始めたりするまえに、
「番組の構成としてはxxで、yyのような実験をしてzzの結果を出します。
aaさんにインタビューした結果をこのタイミングで挿入します」
というような企画書あるいは設計書が事前に関西テレビ担当者との間でレビューされていたはずだ。
おそらく、ここでは捏造は考えてなかった。うまくいくはずだったんだろう。
いや、この時点でうまくいかないと下請け側の担当者は思っていたかもしれない。
しかし衝撃的な実験結果を出すとか、決定的なインタビューを入れるという内容を企画書に盛り込まないと、
受注が成功しなかったのかもしれない。
そして、これが受注できなかったら会社がつぶれる、みたいな瀬戸際だったりすると
どうしても楽観的な計画を立ててしまう。
で、まあとにかく、途中でうまくいかないことがわかってきた。
測定するのに適切な実験をやっていなかったことが判明したとか、
そもそもそういう測定はできないんだとか、
インタビューした結果がショボかったとか、
番組制作を請け負った会社としては、「やります」といった手前やりきらないと会社の信用を落とすことになるし、
とはいっても少ない予算で受注しちまってるんで製作を2重化してリスク回避なんてのもできないし、
これがちょっと前みたいに企業軍団というか護送船団方式っぽい感じの企業間の付き合いになってたなら、
「すみません今回はミスで番組しょぼくなっちゃうんですが」「しょーがねえなあ次はがんばれよ」
みたいな感じで済ますこともできたかもしれないが、昨今の流動化の激しい世の中では、
「すみません今回はミスで番組しょぼくなっちゃうんですが」「レビューのときはできるっていってたんじゃないかお前のところでなんとかカバーできないのか。ダメだったら仕方がないけど次からはちょっと発注するの考え直すわ」
みたいな感じになる可能性も高いだろう。
そうなったら下請け側責任者にとっては成果主義が行き届いているせいで今期の評価が最悪レベルに転落する。
会社の業績もすげーさがってしまう。
それはなんとしても避けたい。そうすると下請け側責任者は現場担当者に
「なんとかしろ」「なんとかしないと皆のクビが飛ぶぞ」「なんとかなるまで帰るな」
というように脅すようになる。そうなったら
「どうせクビが飛ぶんなら、もういっそのこと捏造でもいいか…」という思考にいきつくまでにそう長くはかからない。
いや、さすがに最初のうちは
「でも捏造なんて人としてやってはいけないことだ」と思っている。ところが徹夜を3日くらい続けるとおかしくなってきて
「この地獄から抜け出せるなら捏造するくらい…」という感覚になってくる。
年始に放送されたあの番組は年末進行でクタクタになったスタッフがやっちゃった結果なのかもしれない。
さてこの俺の妄想シナリオではちゃんとしたものが出来なかった理由としては
「下請け構造」「系列の流動化」「それに伴うコミュニケーション不足」「成果主義」あたりが挙がるわけだが
こんな妄想ではなく、事実がどうだったかというのはぜひ解明されて欲しい。
叩くだけでは真の原因は排除されないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070129173104
問題は高校になり自分より成績のいい奴か出現すること。
進路が複数になり、正解のない答えを要求する問題が増えること。
大学に入り自ら問題点を挙げて、それに対する分析と適当な対策や新たな問題提起など、
実務的な作業を要求される課題が増えること。
それらがうまい具合にこなせなかったときにどうしたらいいかまでは、
某教材のあかまるさんはおしえてくんないけどね。
うおおおおおあるあるよくある
ま た 納 豆 ネ タ かとか言われそうだけどまた納豆ネタ…ってここは増田だから輪下欄か。
asahi.com:花王、「あるある」スポンサーから降板 - テレビ・ラジオ - 文化芸能
花王は「日頃から広告主として信頼性のある番組であることを要望していたが、捏造によって今回の事態を招いた。番組を続行するかどうかはテレビ局側が考えること」としている。花王は関西テレビの調査結果を踏まえて今後の番組提供について検討する予定だったが、視聴者の反響の大きさなどを考慮して前倒しで結論を出したという。
信頼性のある番組であることを要望していたが、ってとこに無性に「いまさら何をおっしゃいますやら」(水曜どうでしょうの藤村D風に)とツッコみたくなる罠。というかそういう花王さんは健康エコナを出す頃にあわせてあるある(2じゃないころ)でコレステロールだったか中性脂肪だったかの特集をやって「中性脂肪を減らす成分が(花王によって)発見された」とか取り上げさせて、番組中のCMでもちゃっかり健康エコナのCFを流してたりしてたなよなぁ、確か。
自分が初めて健康エコナのCFを観たのがまさにその回だったんで、その印象を引きずっていった結果いつしか(真実かどうかはわからないけど)「あるあるは取り上げる題材の業界とマッチポンプの関係にある」というイメージを抱いてしまったわけだけれど、花王が健康エコナ以降カテキンモノを出したりして健康志向を結構前面に出していくのを見てると「(曲がりなりにも)健康番組(と呼べなくもなさそうなバラエティ番組)のスポンサをやるってのも結構効果があるもんなんだなぁ」と微妙にさめた気分になったりならなかったり。花王って企業は別に嫌いなワケじゃない(野暮ったいとは思うが)けれど、こと健康関連の製品についてはあるある自体のクオリティというか信憑性のアレっぽさ加減をモロに受けて「なんだかなぁ」としか思えなかった。
納豆の件には花王は(スポンサーである以外は)直截絡んでない訳だから、提供してる番組に不祥事があった場合には降板するってのは当たり前なわけだけれど、なんとなく「甘い汁を吸っといて何を言うかー」と思ってしまうのはなんでかー。
先程、何となくテレビを見ていたら『マジック革命』という番組がやっていた。あの街なかで看板からハンバーガーを取り出して食べちゃうマジックが有名なセロが出ている番組だ。
その番組の中で、ゴルフ場を舞台にセロがマジックをする場面があったのだが、これにモロにCGだと思われる映像の乱れ(画像のブレ、解像度が微妙に違う)が見受けられた。「これに対して視聴者はどう思っているんだろう?」僕が、テレビ番組を観てる最中にそう思ったときは、2ちゃんねるの実況板を覗くようにしている。大方の予想通り「どう見てもCGです。本当に(ry」との意見が目立つ。そんな中にも「CGとか言ってるやつキモい」「セロのマジックはCGと思わせるほどに凄い」との意見もある。
あれが本当にCGかどうかは別として、僕はテレビ番組でCGを使って視聴者を騙す様な作りは別に良いと思っていた。それは観る側にメディアリテラシーがある、と僕が思っていたからである。夕食を食べた後、緩〜い編成の垂れ流しテレビ番組を見ながら、「これはねーよw」「今のはさすがにCGってバレバレだなw」とか言いながら、お腹を休める。これが現在のゴールデン番組の立ち位置だと僕は思っていた。
先程から過去形を頻出させてるのは、現在改めて考え直さざるを得ない状況にあるからだ。それが、今巷を賑わせる『あるある大辞典』の問題だ。僕はほとんどあるある大辞典という番組を観なかったし、例え観たとしても「納豆でやせるだ?有り得ねーだろw」とケチつけながら、ガキの使いが始まるまでの時間つぶしとして観ていただろう。
しかしこの問題で浮き彫りになったのは、あるある大辞典の情報を信用している人が結構居た、ということである。それでまた、ねつ造をしていたことに対して「怒っている」人が居るってな始末である。近頃の炎上ブームに乗っかって、ただ単にお祭り騒ぎがしたくてあるあるを批判している人も大勢いるとは思うが、あれだけスーパーから納豆がなくなる事態が起きたってことは、そういう人も少なからず居るのである。
さてここでセロの話に戻る。僕が今思うことは、あるある大辞典の情報を鵜呑みにしてしまう層の人々が、「マジック革命」を観たらどのような反応をするのだろう。ひいては(セロのマジックがCGで加工されていたと仮定して)セロのマジックがCGだったと週刊誌が報じた場合、どのような反応をするのだろう。この場合ややこしいのは、「マジック番組でCGを使ってはいけない」というルールが存在しないことだ。しかし、CGを使うということは、加工前の映像を撮影しなくてはならないので、出演者(セロのマジックに驚く役者)もマジックに共犯的に加担している。これをやらせと呼べるかどうかは限りなくグレーである。
しかしこの風潮だと「やらせだ!騙された!」という論調が通ってしまいそうな気がしてならない。
あるある問題で、関西テレビが謝罪番組を放送した。ここでの「放送局の信頼を裏切る行為。視聴者、関係者の皆様。誠に申し訳ございませんでした」との発言が引っかかる。僕は、まず前提として「放送局への信頼なんて1ナノも持ってね〜よ!」というスタンスである。だからこそ、CGを使ったマジック番組も鼻で笑って観られるし、エセ科学とねつ造情報の番組も時間つぶし程度に観られるのだ。
しかし頭っから信用してしまう人もいるんだな、ということ知り、更にこれからテレビ番組は面白いものを作ることが難しくなってきたな、と思う。なぜなら面白いもの作りには、作り手と受け取り手にリテラシーが備わっていることが条件だと僕は思うからだ。