はてなキーワード: 黒電話とは
ガラケーで停波まで頑張ろうかと思ってたけど、半導体不足とかインフレとか縁起の悪い話が聞こえてくるから、いっそ現金をスマホに変えとくかと。
そんで、スマホ買って電話かけたらこれが使いにくいのなんのって。
ガラケーなら、通話ボタンを押して通話開始。終話ボタンを押して通話終了。これ文明の利器。
ところが、スマホでは通話履歴の番号を触ったとたんコールバックしている。
もうね、先走り度が黒電話。ワン切り業者の回し者かよてめーは。
で、肝心の詳細画面は極小ミニマムちっこいアイコンを触らんと出てこないというね。
さらに、通話中、着信の時間を聞かれたので調べようと思って触ったら通話切れる。
終話ボタン以外で切れるようなら警告をしろと。馬鹿かとあほかと。
さらにさらに!焦ってなんか触っていたらコールバックした上にその画面がどこかへ消える。
そうなると、そのほかのどこを触ってもコールバックがゴーイングマイウェイ止まらないこの気持ち。死ね。
時々ブコメで正常性バイアスで認知の歪みが起きている、みたいな指摘がある。
今回のロシアによるウクライナ侵攻は多くの人にとって正常性バイアスにより誤った予想をしていたように思う。
ロシアの侵攻を予想していた人もいるし、海外だとさらに悲観的なものを危惧している人も珍しくないらしい。
ちなみに韓国には北朝鮮が威勢のいい事を言うとガチでビビる層が一定いるそうな。日本だと黒電話がまた言ってる、程度だけど。
今回の件とは全く関係なく、ブコメは正常性バイアスとか公正世界仮説などの誤謬を指摘しているけれども、認知バイアスは認知バイアスだと気が付かないからこそ認知バイアス足り得るわけで、それをもって非難するのはどうなのかなと考えている。
特に公正世界仮説を挙げる人は非難というよりも侮蔑的に使っているように読めるものを見かけることが多く、まるで「私は認知バイアスに陥ることはない」と言っているように思えてしまう。
信じられないかもしれないけど、お父さんの小さいことから今まで、なんか残したいなと思ったから、書く。
お父さんのお父さん(祖父)と、お父さんのお母さん(祖父)も、何にも残せてないから、こういう環境があったということを残したい。
お父さんは、あの九州の山奥で生まれ育った。四方を山に囲まれて、冬は日が照るのは11時頃から14時くらい頃までで、道の氷が一日中溶けない。
家は村の借家で、鍵もなく、隙間だらけの平屋のボロ家でした。縁側の戸は、ガラガラと開けるやつで、隙間だらけだから、風が入ってきて、ガタガタ鳴る。
冬は寒くて、寝てても息が白かった。だから、布団を何枚も重ねて、重たい布団で寝てた。だから今でも、布団が重いほうが落ち着く。
風呂は隣の人と共同で、順番に入ってた。五右衛門風呂で、下から木で焚く。五右衛門風呂に入る時は、木の板を両足でバランスよく底に沈める。
木の板は、すのこみたいに隙間がないと、うまく沈まない。でも側面が熱い。だから背中とかが五右衛門風呂いつかないように絶妙にしゃがみながら直立してた。
五右衛門風呂は、とにかく熱くて、我慢して入ってた。そういえば、「1、2、3、・・・」って十まで数えさせられてたのを思い出した。
「肩まで浸かんなさい」、「10まで数えなさい」とよく言われてた。風呂って、こんなに我慢しなければいかんのか、と思ってたから、いまだに浴槽に浸かるのはすきじゃないし、
熱い風呂は苦手。
でも、2才くらいまでは、タライに入ってて、お母さんにガーゼで腕や手の甲を拭くように洗ってもらってたのははっきり覚えてる。たらいのお湯はぬるくて、気持ちよかった。
小学生になったら、風呂焚きを任された。竹の筒で、フーフーしながら薪に火を焚きつける。これを任されるのは、少し大人になった気分。
お父さんが仕事から帰ってくる17時頃には焚きあがるように沸かす。
お父さんはほぼ必ず17時に帰ってくる。50ccのYAHAMAのバイクの音がすると、帰ってきた、となる
一番最初に風呂(一番風呂)に入るのは、お父さん。どんなことがあっても、一番風呂はお父さん。
小学校くらいから、お父さんと風呂に入ってた。そこで、詩吟を歌った。
小学校4年くらいから、ガスの湯沸し器になった。でも、五右衛門風呂。五右衛門風呂に穴開けて、筒を通したみたいなやつ。
なんか、風呂に偏ってしもた。ま、深く考えずに残していく
信じられないかもしれないけど、お父さんの小さいことから今まで、なんか残したいなと思ったから、書く。
お父さんのお父さん(祖父)と、お父さんのお母さん(祖父)も、何にも残せてないから、こういう環境があったということを残したい。
お父さんは、あの九州の山奥で生まれ育った。四方を山に囲まれて、冬は日が照るのは11時頃から14時くらい頃までで、道の氷が一日中溶けない。
家は村の借家で、鍵もなく、隙間だらけの平屋のボロ家でした。縁側の戸は、ガラガラと開けるやつで、隙間だらけだから、風が入ってきて、ガタガタ鳴る。
冬は寒くて、寝てても息が白かった。だから、布団を何枚も重ねて、重たい布団で寝てた。だから今でも、布団が重いほうが落ち着く。
風呂は隣の人と共同で、順番に入ってた。五右衛門風呂で、下から木で焚く。五右衛門風呂に入る時は、木の板を両足でバランスよく底に沈める。
木の板は、すのこみたいに隙間がないと、うまく沈まない。でも側面が熱い。だから背中とかが五右衛門風呂いつかないように絶妙にしゃがみながら直立してた。
五右衛門風呂は、とにかく熱くて、我慢して入ってた。そういえば、「1、2、3、・・・」って十まで数えさせられてたのを思い出した。
「肩まで浸かんなさい」、「10まで数えなさい」とよく言われてた。風呂って、こんなに我慢しなければいかんのか、と思ってたから、いまだに浴槽に浸かるのはすきじゃないし、
熱い風呂は苦手。
でも、2才くらいまでは、タライに入ってて、お母さんにガーゼで腕や手の甲を拭くように洗ってもらってたのははっきり覚えてる。たらいのお湯はぬるくて、気持ちよかった。
小学生になったら、風呂焚きを任された。竹の筒で、フーフーしながら薪に火を焚きつける。これを任されるのは、少し大人になった気分。
お父さんが仕事から帰ってくる17時頃には焚きあがるように沸かす。
お父さんはほぼ必ず17時に帰ってくる。50ccのYAHAMAのバイクの音がすると、帰ってきた、となる
一番最初に風呂(一番風呂)に入るのは、お父さん。どんなことがあっても、一番風呂はお父さん。
小学校くらいから、お父さんと風呂に入ってた。そこで、詩吟を歌った。
小学校4年くらいから、ガスの湯沸し器になった。でも、五右衛門風呂。五右衛門風呂に穴開けて、筒を通したみたいなやつ。
なんか、風呂に偏ってしもた。ま、深く考えずに残していく