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2017-11-28

愚者あほ)が出てくる、村外(とかい)‪が見える

愚者あほ)が出てくる、村外(とかい)が見える――『屍人荘の殺人批判に答える

28鮎川哲也賞を受賞した今村昌弘『屍人荘の殺人』が話題になっている。私も読んだ。

夏休み大学生たちが山荘を訪れて、その場が閉鎖状況となって連続殺人に発展するという、設定だけなら片手で数えられる以上の似た作品諳んじることができよう。

しかし、本作はその閉鎖状況の構成要因が変わっている。それが閉鎖状況下で発生する第一の(一見平凡な)密室殺人や第二の殺人を、この状況下「だからこそ」の、より不可解な謎を生じさせている。

(余談になるが、この構成要素に関して、小説の興趣を削ぐから箝口令を敷く空気が流れているが、要素そのもの真相でもなく、そこから推理小説としての面白みに繋がるわけだから、過敏になる心証がよくわからない。だって、みんな有栖川有栖月光ゲーム』の内容紹介に火山噴火のことが書いてあるからって怒らないでしょう?)

そして、謎解きの段に於いても、用意された設定が存分に活かされたうえで意外性のある真相へ導かれていくのだから新人デビュー作としては文句のない出来だ。

選考委員の一人である北村薫氏が選評でも書いているように、年末ミステリランキングにもランクインすることだろう。江戸川乱歩賞受賞作が出なかった2017年に至っては最大の新人である。票が集まる可能性は高い。

なお、これより先の文章は『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は注意されたい。そうは言うもの作品分析とは違うので、そういうものをお望みの方には本文章無用である。ほかの小説評論を読んでいるほうが、よほど有意義時間の使い方というものだろう。本格的な『屍人荘の殺人』論は私も読みたいので、その仕事はほかの方にお任せしたい。

それでは本題にはいろうと思う。

あらゆる作品に言えることだが、普段そのジャンルの読者を標榜する輩が仲間内で褒めているうちは、実際の読者数はそんなに多くないというのが常だ(そういう輩は自分の村の外には碌に目を向けられない田舎者で、声だけは無駄におおきい)。

一方そういったジャンル読者のなかから以下のような記事(詳細はリンク参照)を書く者が現れ始めると事態は変わってくる。田舎者批判するのは他所者と相場で決まっている。つまり、彼らの仲間以外の人々がその作品について(読んで)語っていて、その感想へのカウンターとして下記のような記事は生まれてくる。これはより多くの読者を獲得しつつある、要は売れる兆しと言える。


藍川陸里「『屍人荘の殺人』を読んで16の疑問」(補遺の坂)

http://rikuriaikawa.blog.fc2.com/blog-entry-28.html


本人のtwitterを拝見する限り、文学フリマでは200頁超のミステリ評論頒布したらしい。熱心な書き手である。残念なことに自分ミステリ評論のほうは手に入れていないのだが、それほどの分量なのだから、すくなくとも労作であることは間違いないだろう。

もし、そのミステリ評論も先に紹介した記事と同程度の読みの確度であるなら、物を書くことに徒に時間を浪費するより、余生は別の趣味を見付けることをお勧めしたい。

読者の疑問に対して、作者が答えられる機会はそう多くない。作者一人に対して読者は数千数万といるわけだし、アホな質問にいちいち答えられるほど作者も暇ではない。

なので、ここでは氏の疑問に対して僭越ながら自分が答えたいと思う。

もちろん私は『屍人荘の殺人』の作者ではない。ましてや作者の知人でも、インタビューして伺ったわけでもないので、あくまで氏と同じ読者の立場から作者の意図を拾って回答するかたちとなる。ここでの回答が作者の望むものとは同じでないことは(こんなこと本来は言うまでもないことだが)留意してほしい。

「『屍人荘の殺人』を読んで16の疑問」という記事を書いた藍川陸里氏は、冒頭を読む限りでは、まず『屍人荘の殺人』が「過剰に絶賛されて」いる状況に疑問を持っている。本作が完成度以上の賛辞を得ている点には、私も反論はしない(とはいえ、その現象に対して私が差し挟む疑問や意見もない)。氏は本作に関して「さすがに不備が多すぎるんじゃないか」と、本人曰く「辛口レビュー」を展開している。

しかし「レビュー」とは言ったものの、「手落ち感のあった16の箇所」を列挙しているだけなので、いわゆる書評体裁からは程遠い。「手落ち感」という予防線を張った書き方も気になるが(明確に「手落ち」と言えるのであれば手落ちと書けばいい。取って付けたようにオブラートに包むことで批判を「雰囲気」に回収して最初から退路を用意する書き方は、物を書く(それによって批判する)者のスタンスとしては最低である)、ここは氏のやり方に倣って自分も箇条書きにて回答したい。

念のためもう一度注意を促すが、これより先の文章は明確に『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は、このくだらない文章を読む前に、興味があるなら作品を読むことをお勧めする。世評や他人感想ばかり集めて読んだ気になるのは、読書於いて最大の愚行である


1.登場人物ゾンビへの対応

……登場人物のひとりが話す(映画における)ゾンビの特徴を実際に発生したゾンビに当て嵌めて話を進めるのは納得いかない、と氏は批判している。しかし、謎解きの道具である特殊設定(現実では有り得ない設定)の説明に筆を割けば割くほど、物語における主従が逆転して本末転倒になっていく。氏の指摘は尤もだが、これは特殊設定を活かしたミステリ全般が孕む問題であり、本作に限ったものではない。ほかにもそういう作品があるから本作でも問題にならないというわけでは勿論ない(こういった問題クリアしている作品もちゃんとある)。本作はミステリ研究会の会員が作中でミステリについて言及するなど「お約束」を踏まえた舞台づくりになっていて、更にそこに加えられた異常な状況を、ゾンビ映画の「お約束」で説明している構図になっている。自己言及的なこういう遊びは、すれっからしのマニアもにやりとさせるためのサービスなのだと考える方が多少は面白く読めるというものだ。読書はすこしでも楽しい方がいい。

当該記事のなかでは数少ないまともな指摘なので、あまり長くなっても仕方ない。ここで止めておこう。

2.推理をせずに自白に頼るのはミステリとしてどうか

……記事から引用しよう。「‪第一殺人ではゾンビがなぜ部屋から消えたのかは犯人から自白によって落下したということが明らかになるけれども、さすがにそこは落下したという証拠を元に推理をして探偵が独力で辿りついて欲しかった‬」

端的に言って、この指摘は誤りである。まず、犯人指摘より前の段階、第一殺人真相が明かされた直後に探偵役は「詳しい状況はわかりませんが」という留保のうえで、「星川さんは進藤さんと揉み合いになり、手すりを越えて下へと転落したのでしょう」と推理している(267頁2-3行目)。この推理は厳密には真相と異なるが、星川麗花(ゾンビ)の落下に関しては自白の前に既に推理が為されている。何より、第一殺人直後の現場検証於いてベランダの窓は外に向かって開け放たれ、足跡というほど明確な形ではないが何者かが歩いたような血の跡がベランダの外へと続き、手すりにもべったりと付いていた」と手掛かりまで書かれている。

また、この項目のなかでは「最後犯人を指摘する際、葉山か静原のどちらかが犯人だというところまで来て、結局しズはら自白により犯人が決定したのも手落ち感があります。この腐対rのどちらが犯人なのかという所はちゃんと推理で絞って欲しかったです」と指摘が続く(誤字まで原文ママ)。

かに解決編では犯人が自ら名乗り出る。

しかし、これに関しても、用心深い読者なら頁を遡って「彼女に見送られて俺は部屋に戻り」(191頁8行目)という記述を見付けたことだろう。この記述から最後に自室に戻った人物(=犯人)が静原美冬であることは明白である。語り手の意図によって一部欠落した記述はあるが、彼は嘘はついていないので、上記の箇所も手掛かりとしては有効だ。ここまで親切に手掛かりが用意されてあるにも関わらず、確認もせずに批判する人間がいるとは思えない。もし確認したうえで上記のような批判を出しているのであれば、氏は真に恐ろしい書き手である

3.ホワイダニット真相

‪……探偵役が提示した「全員が死ぬか生きるかという追い詰められた状況で、わざわざ密室の中の進藤さんを殺す必要があるのか」(142頁6-7行目)という謎の提示に対して、氏は「その真相が「こんな状況じゃなくても元から殺す予定だった」っていうのはさすがにしょぼすぎる」と批判しているが、これも正しくはない。‬

‪まず、第一殺人(進藤殺し)の犯人は「元から殺すつもりだった」(290頁16行目)静原ではなく、ゾンビとなった星川である。よって静原の動機は、ここでは本来関係ない。‬

‪また、第一殺人における眼目は「なぜ殺したのか?」に見せかけた「誰が殺したのか?」である犯人人間ではないという真相が明かされることによって「なぜ殺したのか?」も明らかになる。明かされる事件の構図から考えても、「動機がしょぼい」という批判的外れしか言いようがない。‬

4.1つめの殺人推理ロジック

……「‪推理根拠となったのがただ1つ「布団の裏側に血がついていた」というものだけ」とのことだが、2.の回答でも書いた通り、そんなわけがない。‬

そもそも、この疑問自体ほとんど2.の重複で、さして意味のないものである。きっとこの項の手前で氏は一度記事を書くのを中断したのだろう。途中まで書いた内容を忘れて、同じ疑問を書いてしまったに違いない。‬

5.1つめの殺人の顔が食べられた謎‬

‪……このあたりから、箇条書きの見出し日本語が怪しくなってくる(係りが不明である)。‬

‪進藤の顔がゾンビとなった星川に「噛みちぎられた」理由解決編で犯人が話している通り「星川さんに口づけをした」からである(292頁14-15行目)。氏は本当に解決編を読んだのだろうか。‬

6.推理が始まってから証拠が出てくる

……この項にいたっては、該当頁の典拠さえ誤っている。他人文章をあげつらう労力の何割かを自分文章に向けることをお勧めする。

7.登場人物名前をゴロ合わせで覚えやすくしているけれども意味がない。

……難癖以上のものではない。

8.キャラの書き方が雑すぎる

……言い方を変えてはいるが、新本格に対する「人間が描けていない」という批判と何が違うのか。ここで繰り返すのも馬鹿らしいことではあるが、謎解きを主軸に据えたパズルストーリイに対して、心理描写多寡をあげつらうのは的外れも甚だしい。こういう時に出てくる「深み」という言葉は、どうしてこれほどまでに浅薄に聞こえるのだろう。

9.音楽伏線の回収は面白かったけれども、伝聞であるのが良くない。

……このあたりから作品評を離れて、遂に難癖をつけること自体目的となってくる。氏によれば、探偵役とワトソン役が体験した以外に集めた手掛かりはぜんぶ信憑性はないそうだ。それでは、探偵役が証言を集める事自体意味はなく、安楽椅子探偵は頭から存在否定されることとなる。

10.最初ワトソン役の推理ものすごく適当推理をする意味が分からない‬

‪……氏曰く「偽の推理をさせる場合は最低限納得できるものにしてほしい」とのことだが、こういうのは可能性の消去であって、推理於いては当たり前の手順である。‬

11.犯人メタ読みできる

……だから、どうしたというのだろう。

読者を驚かせることが推理小説第一義でない以上、犯人の予想がつくことは瑕疵とはなり得ない。

何よりメタ読みは推理でもなんでもないので、それで犯人がわかることを殊更に主張する真意がわからない。

12.叙述トリックが地味すぎる

……叙述トリックが本筋でないことは誰が読んでも明らかだ。これもまた的外れ批判である

13.探偵心理が異常

……「――あげない」

強い口調。

「彼は、私のワトソンだ」(302頁15-18行目)

この箇所にすべてが書かれてある。氏が、こういうロマンティシズムに感興の湧かないひとなのだと思うだけである

14.‪3つめの殺人の毒の入手方法面白かった。けれども、毒を仕掛ける部分の描写がさすがに不足している‬

‪……これ程までに作者に説明強要する理由がわからない。‬

から十まで書かれていないと理解できないのだろうか。書いてあることも理解できていないのだから、仕方ないのかもしれない。

15.屋上まで逃げた時に、丁度ヘリコプターが来るのはさすがにずるい‬

……「救助のヘリが現れたのはそれから時間後」である(303頁18行目)。

何がずるいのかさっぱりわからない。

それでは、何時間後にヘリコプターが現れるのが現実的だというのかご教示いただきたい。

16.文章は読みやすいけれども、引っ張ってくれない‬

……読みやすさは、ひとつ美徳である。「引っ張ってくれない」と作者の「もてなし」を求めるのは、「お客様神様だ」と宣うことと何が違うのか。こういう考えを抱く読者が改心することを願って已まない。


ここまで氏が指摘した「手落ち感のあった16の箇所」に対して回答したが、その後も熱心に指摘が書き連ねられている。

それらのひとつひとつに付き合う程私も暇ではないが、看過できない指摘もある。

例えば、以下のようなものである

‪「選評で北村薫が「奇想と本格ミステリの融合」と評しているのだけれども、ただゾンビを出しているだけだと思います。化け物が出てくれば何でも奇想とするのはさすがにどうかとは思いました」‬

‪……恐ろしい。とうとう選考委員北村薫氏まで批判対象となるのである。‬

推理小説於いて「奇想」という言葉が謎の不可解さや意外な真相形容する語として用いられることは、多少推理小説を読み慣れている者には周知のことだろう。もちろん北村氏も、ここではゾンビ存在を踏まえたうえで事件不可能趣味真相の意外性を以て「奇想」と評して、それが本格ミステリ作法に則って書かれているから「融合」と賛している。‬

‪決して「ゾンビ」が出てくる事自体を「奇想」と評しているわけではないことは、前後文章を読めば大半の読者にはおわかりのことと思う。文脈が読めない読者というのは、作者にとっては脅威以外の何物でもないだろう。‬


田舎者も村の外を一歩でれば、自分価値観や考えが偏ったものと知ることとなる。‬

‪そこで考えを改めるか、それともこれまでの考えに固執するかで人間は分かれる。‬

‪すくなくとも、村の外に出ることなく、出ていった者や訪れてきた者を思い込み批判する人間は、内と外どちらにとっても害悪以外の何物でもない。

‬まずは卑小な自意識を捨てて、村の外に出ることを勧める。(WY)

2017-06-23

日本ミステリ略史

日本ミステリ史をまとめようとしている人を見たので自分でもやってみようと思った。

箇条書きでも大体分かるだろう。あと本格中心なのは許してくれ。

探偵小説輸入の開始

http://fuboku.o.oo7.jp/e_text/nipponbungakukouza_19270530.html

神田孝平訳「楊牙児奇獄」1877

黒岩涙香翻案『法庭の美人』1888

須藤南翠『殺人犯』1888(『無惨』に先立つ創作) "まづ未成品で、単に先駆的なものしか見られない"(柳田泉


黒岩涙香『無惨』1889 "日本探偵小説嚆矢とは此無惨を云うなり"

・"日本最初創作探偵小説" (乱歩)

・「探偵叢話」連載開始(都新聞) 1893 ……探偵実話の流行

ドイル「唇の曲がった男」翻訳 1894

映画「ジゴマ」公開 1911

谷崎潤一郎「秘密」1911「白昼鬼語」1918 「途上」1920 日本探偵小説 "中興の祖"(中島河太郎

・『中央公論』「芸術的探偵小説企画(谷崎・芥川佐藤春夫里見弴)1918


雑誌新青年』創刊 1920 "第一の山"(乱歩

・当初は翻訳を重視

横溝正史(1921)、水谷準(1922)、甲賀三郎(1924)、小酒井不木(1925)、大下宇陀児(1925)、夢野久作(1926)、海野十三(1928)など登場

乱歩二銭銅貨」1923 "これが日本人の創作だろうか。日本にもこんな作家がいるであろうか"(森下雨村

http://www.aozora.gr.jp/cards/001826/files/57173_58183.html


戦前探偵小説最盛期 "第二の山"(乱歩)"第一の波"(笠井

浜尾四郎殺人鬼』 1931

大阪圭吉デビュー 1932

・『ぷろふいる』創刊 1933

木々高太郎デビュー 1934

小栗虫太郎黒死館殺人事件』1934

夢野久作ドグラ・マグラ』 1935

・蒼井雄『船富家の惨劇』 1935

横溝正史真珠郎』1936

久生十蘭魔都』1937

◇「本格探偵小説

http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20081205/1228485253

甲賀三郎「印象に残る作家作品」1925 が初出 http://kohga-world.com/insyouninokorusakukasakuhin.htm

小酒井不木当選作所管」1926 (「本格」「変格」使用

・当時の「探偵小説」という語の広さ……「本来の」探偵小説detective storyとそれ以外を区別

・"理知的作品"と"恐怖的作品"、"健全派"と"不健全派" 1926(平林初之輔

・本格・変格論争 1931(甲賀、大下)

探偵小説芸術論争 1934-36(甲賀木々



戦時下の中断

乱歩 少年探偵団(二十面相)シリーズ中断 1938

乱歩芋虫発禁 1939

・"探偵小説全滅ス"(乱歩) 1941


戦後ミステリ復興 "第三の山"(乱歩)"第二の波"(笠井

・横溝『本陣殺人事件』1946

・横溝『蝶々殺人事件』1947

・横溝『獄門島』1948

安吾不連続殺人事件』1948

高木刺青殺人事件』1948

雑誌宝石』創刊 1946

・『宝石第一公募 1946(香山滋飛鳥高山田風太郎島田一男

大坪砂男天狗」 1948

・『宝石』第四回公募 1949(鮎川哲也土屋隆夫日影丈吉

中井英夫虚無への供物』1964(構想1955-)

◇「探偵小説」→「推理小説

当用漢字表制定 1946.11

日本探偵作家クラブ設立 1947

講談社「書下し探偵小説全集」1955-1956

・清張『点と線』1958 (表紙に「推理小説https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAVVEU

講談社「書下ろし長編推理小説シリーズ」1959-1960?

日本推理作家協会成立 1963

参考…

甲賀三郎『音と幻想』1942 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007753808-00

雄鶏社推理小説叢書」1946.7-

安吾推理小説について」1947

安吾探偵小説を截る」1948

安吾探偵小説とは」1948

安吾推理小説論」1950


松本清張点と線』1958

・「社会派推理小説」、清張ブーム

心理的要素・動機の重視、小説としての充実重視

・"探偵小説を「お化屋敷」の掛小屋からリアリズムの外に出したかった"(清張)

◇「本格冬の時代」?

・謎解きの興味の強い作品は絶えていない……『本格ミステリ・フラッシュバック

・清張は謎解きを排斥していない。「新本格推理小説全集」1966 "ネオ・本格"

・「現実離れ」の作品が世に出にくかった……らしい https://togetter.com/li/300116

風俗を描いただけの謎解きの要素の薄い作品が氾濫していた……らしい?

"社会派ということで、風俗小説推理小説かわからないようなものが多い。推理小説的な意味で言えば水増しだよ"(清張、1976)

複数対立軸? http://d.hatena.ne.jp/noririn414/20070314

リアリズム――非リアリズム

・「おじさん」――「稚気」

・都会・洗練――土着

海外ミステリ――国内ミステリ

サブジャンル・隣接ジャンル

歴史ミステリハードボイルドエスピオナージュ、「冒険小説」、伝奇小説SF、……

・ここ掘ると全体が何倍かに膨れ上がるから触らないよ


◆「新本格」以前の非・サラリーマンリアリズム系譜 "2.5波"(笠井

桃源社「大ロマンの復活」1968- (国枝史郎小栗虫太郎海野十三久生十蘭香山滋……etc

・『八つ墓村』(漫画)1968-

中井英夫虚無への供物文庫入り 1974

・『犬神家の一族』(角川映画)1976

雑誌幻影城』1975-1979(泡坂妻夫連城三紀彦栗本薫竹本健治……etc)"探偵小説復権"

笠井潔『バイバイエンジェル』1979

島田荘司占星術殺人事件』1981

江戸川乱歩賞青春ミステリ……小峰元アルキメデスは手を汚さない』1973、梶龍雄『透明な季節』1977、栗本薫ぼくらの時代』1978、小森健太郎『ローウェル城の密室』(最終候補)1982、東野圭吾放課後』1985


◆「新本格ミステリ」 "第三の波"(笠井

綾辻行人十角館の殺人』1987.9

・「新本格」の公称は『水車館の殺人から……講談社文三によるブランディングの側面

◇「新本格」に顕著な要素(佳多山大地)……

・〈青春ミステリであること

・本格推理形式の先鋭化・前衛化が著しいこと

古典的天才探偵復権

大学ミス研のコネクションを軸とした作家の発掘

講談社――島田荘司――宇山日出臣――京大など

東京創元社――鮎川哲也――戸川安宣――早稲田立教など

公募による「新本格作家の発掘

鮎川哲也と13の謎 13番目の椅子 1989

鮎川哲也賞 1990-

・『競作 五十円玉二十枚の謎』1993

・『本格推理』1993-2008

・創元推理短篇賞 1994-

メフィスト賞 1996-(『姑獲鳥の夏』1994)

2014-04-24

ミステリの基礎知識:新本格ミステリって何?」についてコメント

ミステリの基礎知識:新本格ミステリって何?」

http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2014/04/23/093914

という文章について。

文章のはじめで「新本格ミステリってなんやねん、というひとを意識してる軽いもの」「ざっくり主観的に書きます」と逃げは打っていますが、単純な事実誤認があるのでコメントします。

この文章では

1980年代後半、「新本格宣言」を島田荘司氏がオルタナティブにブチ上げます

と言い、島田荘司の文章を引用します。そして

これらを読むと解るんですが、新本格とは「古典的本格ミステリコードお約束定番)を意識しながら現代風に書かれたミステリ」を指します。ですから何でもかんでも今のパズラーミステリを「新本格」と呼ぶのは誤用なんですね。

と書いています

しか引用している島田の文章は、1995年(ここ重要)に出た『本格ミステリー宣言II』に載っている「新本格の七則」というもの

また「新本格宣言」と書いているのは、おそらく『本格ミステリー宣言』を指すのだと思いますが、これが出たのは1989年12月

一方、一般に「新本格」という言葉が使われたのはそれよりも前、1988年に発表された綾辻行人の第2作『水車館の殺人』の帯の言葉

十角館の殺人』につづく香気あふれる新本格推理第2弾!

とされます

島田荘司氏の新本格宣言に乗って講談社から新本格作家」として綾辻行人有栖川有栖法月綸太郎らが登場します。

これら作品の隆盛によって新本格ムーブメント(第三の波)が起きることになります

とありますが、デビューはそれぞれ、綾辻87年、法月88年、有栖川89年。しか有栖川有栖東京創元社からデビューです(「鮎川哲也十三の謎」の一冊として)。

また『本格ミステリー宣言』の内容は、新本格作家からも異議や反発する発言があったように記憶しています

したがってそもそも島田荘司言葉を引いて「新本格はこういうもの」と言うのはおかしいわけです。

80年代終わりの状況としては、講談社(おもに講談社ノベルズ)で、綾辻デビューきっかけとして本格を書く新人デビューさせていくという流れがありました(京大勢の場合、書ける人を募ったところ法月と我孫子が手をあげた)。

一方、東京創元社海外ミステリだけでなく日本人作家も扱うようになり、その手始めに日本探偵小説全集が編まれて(デビュー前の北村薫実質的な選者、出版1984年1996年)、叢書「鮎川哲也十三の謎」(1988年1989年)、鮎川哲也賞(1990年~)、『創元推理』(1992年~)という流れがありました。

こうした同時代的な流れに与えられた名称が「新本格ムーブメント」だったので、

何でもかんでも今のパズラーミステリを「新本格」と呼ぶのは誤用なんですね。

ところが今では「現代書かれたパズラーミステリ」はすべて新本格と呼ばれてるんですね、これが。

と言ってしまうのは、主観に寄り添いすぎた変な認識でしょう。

メフィスト』「メフィスト賞」にしても宇山秀雄(宇山日出臣)の立ち上げたもので、少なくとも出発点としては明白に新本格でしょう。京極夏彦森博嗣清涼院流水などはデビュー当時はっきりと(良くも悪くも)新本格作家とみなされていましたし。

京極夏彦は、講談社原稿を送ったのは講談社ノベルズ新本格を読んでいたから、というような発言もしていたはずです。『姑獲鳥の夏』裏表紙の推薦文が綾辻、法月、竹本健治という時点で(※当時(今も?)竹本新本格に属する作家と見られていた)、自身を新本格作家だと思っていたかどうかはともかく、デビュー初期において新本格の流れにのっていたという認識はあったでしょう。

2007-10-09

最近読んで面白かった小説

まず「哀しみキメラ」。最近読んだライトノベルの中では結構よかった。タイトルで損してると思う。ややワンパターンながら4冊できっちり終わってるし。でもまあ何度も読み返すほどではないかも。

護樹騎士団シリーズ未完結なのだけど、マイナーなので途中で永遠に未完ってことにならないように推しておく。ひょんなことから巨大ロボに乗って戦うことになった巡礼(下層民と思ってもらってOK)の少年が、実は色々と出生に謎があって…みたいな話。成り代わり&サクセスが好きな人は結構楽しめると思う。若干暗い&重いけど。貴族社会ってやーねえ。全く無名の作者だと思ったら「僕はイーグル」(だっけ??)の人の別名だという噂を聞いた。あの人無駄シリアスするからあんまり信じたくないので真偽は知らぬ。

東京バンドワゴン」の新作。一作目もよかったけど二作目もまたよし。宮部みゆき古本屋のお爺さんと孫の話が好きな人には自信をもってオススメできる(いやにピンポイントだが)。藤島さんかっこいいよ藤島さん。

「氷の華」。ミステリ。60才過ぎててデビューってことで騒がれていたけど普通に面白い。ぶっ飛んでて覚悟があって潔い女犯人を見たいならこれを読むべし(ネタバレじゃないよ)。

「モップの魔女呪文を知っている」お掃除やさんの何作目か。もうとにかくシリーズ一巻から読んでください。出てくる人出てくる人みんな泣かせる。猫丸先輩好きな人なら好きなはず。でも猫丸先輩知ってる人なら知ってそうだ。

「卵の緒」瀬尾まいこはいいんだよ!「幸福の食卓」がDVDレンタルされてることだしこれを機会にどうでしょ。読みやすい文体。特に何事もない展開。何故かほっとする読後。あと瀬尾まいこが好きな人には栗田有起を。「ハミザベス」とか「お縫い子テルミー」とか「オテル・モル」とか、奇妙でほっとする話を書かせたらこの人の右に出る人はいない!……と思う。

「方舟は冬の国へ」擬似家族ものが好きな人に是非。何の縁もなく集められた二人の男女と一人の少女家族になるまでの過程を書いた話、と個人的には思ってる。SF的なとことかミステリ的なとこはアクセントで。

「6時間後に君は死ぬ」も最後のつながりが良かった。ダンサーの話も。説明しづらいので読んでみて欲しい。

「世紀末大バザール 六月の雪」全然鮎川哲也賞っぽくない話。鮎川哲也賞ってだけで敬遠してる人がいるなら読んで欲しい。ちょっぴりダブ(エ)ストンな感じで日本ファンタジーノベル賞っぽい(しかしダブはメフィストだったかも)。全然ミステリじゃないのだ。でも元ネタ読んでると笑えるとは思う。

ということで私の趣味も分ってもらえたと思うので何かオススメの本を教えて欲しい。

 
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