はてなキーワード: 音声学とは
メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ、世界史の教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い。
東アジア史が中心。
価値観が現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。
旧約聖書を読み始める。
旧約聖書を読了。学生時代に新約聖書を通読したから一応全部読んだことになる。
生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白い。ネタが尽きない。
ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。
十三機兵防衛圏については友人に薦められたからクリア後のノリで買った。
今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。
「シン・ウルトラマン」★★
「プラットフォーム」★
「12モンキーズ」★★★
(長くなったのでブコメ)
起きたらとんでもないことになってて慌てが鬼なって精神的寿命がマッハなので、内容的にはここに全部含まれてると思うのでここだけ言及。
寝てる間についてた言及やブコメ見てたら「えっこれ系の単語ってこんな数あんの……マジで……」ってなって、流石に輸入上の事故とかじゃすまない上に何より言及されたようにスマートじゃなくてこんなたくさんの例外突っ込まれたら頭ばかになっちゃうので所感書いとく。でもマジで素人で音声/音韻方面の専門じゃないんでその辺は頼むわ。
新規に作られた言葉にまでこの現象が起こるようだと、もうこれ誤用とかじゃなくて新しいルールとして音韻論内(学問じゃなくて言語機能の方)に成立してるなーと普通に思う。
それが成立した経緯に、「似た発音の単語をたくさん輸入してしまって、ほとんどの人にはそれぞれどっちが正しいのかわからなくなってしまった」という歴史的事情と、音声学的な発音しづらさが相まって、「促音+有声破裂音+母音」の音素列に対して、「有声破裂音は無声化しても良い」っていうルールがもう出来ちゃってるなぁーって自分も普通に思った。
更に輪をかけて、functional loadの観点から言うと(音声上のある要素がどの程度その単語の識別に関わっているのかという概念)、「バックでもバッグでも通じるのでどっちでいい」みたいなブコメいくつかついてたけど、少しでもかじった身としては「よくねえわ!!!そんな単純だったら誰も苦労しねえわ!!!」ってなるけど、でも今回については確かにこれが寄与してるなーと思う。
functional loadの影響で消えたものだと最近だと半世紀くらい前に英語の短母音・長母音の区別が長さから音質(舌の位置)に変化した有名な話とか。どこの国でも国語教育に関わる奴ってのは頭がお堅いもんで、教科書には短母音と長母音というセクションがあるんだけど、生徒はみんな「はああああああ???いや、長いとか短いとかじゃなくて、別の音じゃん、それ」ってなるらしい。Pinkerが書いてた。Pinkerは研究自体自体の方はあまり評価されないけど(個人的にはかなりあの方面は正しいと思うけど)、こういう日常的な話書いてくれるから引き出すのに便利だ。流石にこのくだりどこにあったか増田で言及するために探すのは面倒なんで勘弁して。
あと日本語だと「おばさん」と「おばあさん」みたいなのはかなりの部分イントネーションで区別してるのも有名で、それぞれ逆のイントネーションで発音して自分でどう聞こえるとかもやってみると面白いよ。アワレにもこれを専門外の人が読んでたら向け。
ミッドガルでもミットガルでもエアリスが死ぬゲームの話してるのは分かるし、他の単語についても言われてみたら明らかだわなぁーってなった。
た歴史的経緯(英語の単音節語で似た単語死ぬほどあるよね……ブコメにあったけどpodとpotとか)、どっちでも通じるという光と闇の力が合わさり最強に見え、音韻論内で頭がおかしくなって区別が死んだのかもしれんね。
ただ、無声化「しなければならない」ではなくて「してもしなくてもよい」である以上、音韻規則のレベルにはまだなってなくて過渡期かな、と感じる。あと十年、下手したら今の子供がどういう規則を身につけて成長するのか凄く楽しみ。
ミッドガル/ミットガル以外に言われて一番あーって思ったのはドッヂボールとドッチボール。破擦音にまで拡大してる上に、「ドッチ」って日本人が認識するような輸入された単語は多分ないと思うので(日本語話者の形態論が外来語と和語と漢語についてかなりの程度区別を保ってるのは様々な例でよく知られているという逃げ口を使うので「どっち」は原因に考慮しない)、もうこれ輸入の失敗とかじゃねえなってなったので、現状の日本語としては普通に言及先の増田の方が正しいと思う。またメスガキに負けた。
とりあえず濁音の点について、この点は出ねぇよってなる理由はいろいろあるけど主要っぽく見えるのはこんな感じです。よしなに。単語を輸入されただけで輸入した言語に致命的な影響出たのはそれこそNorman Conquestとかがあるし、輸入上の間違いの例を知ってるからといって誘惑に負けて無理に現在の言語機能から切り離そうとするとヤクザが教壇に足乗っけて追ってくる。
※追記
この現象が起こりやすい単語と滅多に起こらない単語を追ったら少し楽しそうだと思ったけど、デバックにはバックが含まれてたり、ドラックにはラックが含まれてたり(rackとluck)、それぞれどういう原因で誤用の率が変動するのか考えるのむっちゃキツそうって思う。個人差と方言差の問題まである。いずれにしてもとりあえず、ありとあらゆる要因のせいで区別が消滅しかかっているのだろうね。
「一般的には音声学的特性から促音+有声閉鎖音の末尾の閉鎖音は無声化しやすい」でいいじゃんよ。
他の人がググって、例あるべやって言ってるとおり、あなたが見たことないって言ってる例は山ほどあるだろうし。
(Web上のテキスト検索の結果だから、必ずしも使用者がその語句の音韻構造をどう認識してるか正確に反映できてるかはおいといて)
新しい単語でも「ハイブリッド→ハイブリット」「グリッド→グリット」、「ミッドガル→ミットガル」とか造語でもふつうに起きてる。
少なくとも日本語においてはそういう制約が働いてると思うけどなー。
うへえーガチの人来たやべえ
見たけど、破裂音が2語連続する場合に前の音が内破音になる例しか何故か乗ってない。でもこれはむしろマイナーな例で、英語の音声学の教科書なら絶対に語末で内破音になる例の方が先に乗ってる。
あと何故か知らんけど日本語版Wikipediaには記載がある。
音声学から音韻論に繋げる時に、英語から入った人間(自分とか)には、
破裂音の例使って、語頭のaspiration出る異音、普通の異音、語末内破音の異音を並べて音素の概念を導入するのがほぼお決まりなくらいで、
語末の破裂音はマイナーとか方言とかではなくてイギリス英語でもアメリカ英語でもそれぞれの標準語でほぼ内破音になります。
この辺はどっから音声学入ったかによる気がするものの、とりあえず英語にはそういうルールが間違いなくあって、英語音声学の教科書なら100%stop/plosiveで絶対最初に出てくるのは伝えておきたい。
追記:
貼って頂いたURLでもここから始まるあたりに記載がありました:
In American English, a stop in syllable-final position is typically realized as an unreleased stop;
アメリカ英語では、という但し書きがあるものの、いや普通にBBCの発音をモデルにした音声学の教科書でsyllable-finalのunreleased stopの話出てる……?となり結構謎。
他の増田が有名な話を書いてるけどこれは実は間違い。確かに日本語には「促音+濁音」で終わる単語は少ない、だから清音になるという説(※1)。
だけど、これには簡単に物凄い数の反例が出る。
「エッグ」のこと「エック」って言う?
「ゴッド」のこと「ゴット」って言う?
「マッドサイエンティスト」のこと「マットサイエンティスト」って言う?
こんな間違いする人1度も見たことないよね。
実のところ、この現象が起こるのって「ベッド」と「バッグ」だけなんだ。他にあるとしても、ごく一部の単語に集中する。「ビッグ→ビック」も、ビックカメラがbic cameraって社名にしたから。
実はこれは単に明治期の単語の輸入と誤用の問題なんだ。音声学的な説明は一応最後に書いとくね。
なんで「ベッド」と「バッグ」でだけこんなことが起きるのさ、ってのは、明治期の日本がドイツからかなりの単語を輸入してたのに由来する。
「ベット」はドイツ語なんだ。他の増田が書いてるこっちが当たり。「バック」は少しめんどくさいけどこれもドイツ語のせい。
ドイツ語が残ってるのは結構広範に渡って残ってる現象で、化学で"oxide"(英語読みならオクサイド)を日本で「オキシド」って呼ぶのも、化学をドイツから輸入した名残りだったりする。(※2)
どっかの予備校講師はクメンヒドロペルオキシドという名前に文句つけるのやめたのかな。hydro-もper-も英語読みならハイドロとパーだけど、ドイツ語だとヒドロとペルで良い(※3)。
話が少し逸れたけど、英語の"bed"はドイツ語では"Bett"。これがそれぞれ違う時期に輸入されたので、「寝台」をbedと呼んでもBettと呼んでもよくなった。でもそんな経緯を知らない現代の我々は混乱する。
荷物入れの「バッグ」を「バック」って言う話は少し面倒くさい。"bag"と"back"は英語だけど、"Rucksack"(リュックサック)がドイツ語。このせいで、「体のbackに背負うbagをRucksackと呼ぶ」という物凄いキメラみたいな構図が発生する。ここからリュックサックに限らず、荷物入れ(bag)を、backに背負わないものでさえ全部backと呼んでしまうようになってしまったのではないか、と思われている。Rucksackという単語が輸入されてなかったらこの混同は起きなかっただろう。
ただ、これだと、「でもやっぱ、ベットよりベッドの方が、こう、言いづらくね!?」っていうモヤモヤ晴れないよね。音声学の方から引用しとく。
話を凄く簡単にしちゃうけど、まず、日本語のtとdの音は、音の強さ・大きさが、他の言語のtやdと比べると平均から見てかなり弱いんだ。
これだけなら問題は起こらないんだけど、厄介なのは「ベッド」の「ッ」、促音と呼ばれているもの。これは実のところ「後ろの子音を長く発音する」という記号なの。いきなり聞くとえー?って思うかもしれないけど、これは実際波形取ると分かるんでそういうものだと取り敢えずわかって欲しい。(※4)
子音を長く発音するにはその分息がいっぱい必要。「ベッド」と言おうとするとき、「ベッ」の瞬間、貴方の口の中には次の「ド(do)」を出すのに必要な空気がいっぱいいっぱい溜まってるの。
だけど、さっきも言ったけど、日本語のdの音って弱いの。すっげえ弱いの。みこすり半で出ちゃうくらい弱い。そんな弱さに見合わないくらいの大量の空気を放出しながらデカエアに負けないでdの音を維持するのはすっげえキツいの。
それに比べるとtって音はdよりはまだ強いから楽だ。dの無声音なんだけど、とりあえずもう今パンパンにお口の中で溜まってる空気そのまんまぶちまけたら出ちゃうような音。気の強い音は空気に弱い。
「ベッ」の時点でパンッパンに空気が溜まってるから、本当は「ト」ってtの音を思いっきりぶちまけて出したくてたまんないのに、「ド」っていうふにゃふにゃした放出で我慢しないといけないの。すごく、すっごくつらい思いをすることになるの。
これが「ベッド」が「ベット」より言いづらい理由だったりする。
でも「ゴッド」を「ゴット」って言う奴はいないように、これは言いづらいけどきちんと普通に発音できるもの。
結局、「ベッド→ベット」「バッグ→バック」の例って、他にあるとしても似た音の単語の輸入や誤用に起因するものであって、構図が日本語に稀とかそういう問題ではないんだよね。
「ドラック」の誤用のルートは自分知らんけど、いずれにしても「バック」とかわざと書いてる人は間違いが慣用化したのを使ってるだけで、脳の中で変な処理は起きてないと思っていいよ。
(※1 本当は促音+有声破裂音+母音とか書きたいよね。ここでいう清音も本当は無性破裂音+母音と書いた方が正確に近い)
(※2 なんで「オクシド」じゃないの?って思ったら鋭い。現代日本語は外来語に後続する母音のない子音が含まれないときuを挟むのが普通だけど、iを使っていた時期があった。これはインクのことをインキって呼んだりするあたりに今にも名残がある。)
(※3 ドイツ語のrの発音が変わって[x]になったので今は正しくないけど当時は正しかった。)
(※4 後ろに子音が無い場合は1モーラ分のglottal stopが発生する。息を呑むような音だと思ったら良いよ。実は促音はすごいめんどいので流石に割愛。)
※追記
なんかとんでもないことになっててビビってて、到底手が回らないものの、とりあえず一番重要で言及しないと思ったこのあたりだけ:
>(この増田は否定してるけど)トラバへの回答で出てる『語末有声子音が強制的に無声化されるのはドイツ語の方のルール』を脳内にインストールした(してしまった)人の影響はあると思うけどどうなんだろ?
これについては似たようなことを言及してる方がいたので所感を下に書いておいた。言及先含めて興味があれば。私がいない間にたくさんの反例(反反例?)を見つけてくれた皆様、ありがとうございました。普通に有難いです。
「ベッド」と「ベット」等を混用する現象については書いた通りに思われますが、それだけではもう済まないですね。しかしながら、純粋に音声学的に解決出来る問題でもないように思います(以下追記したURL)
https://anond.hatelabo.jp/20190720173216
これは専門っぽい方を相手に言及したので、普通の人でも読めるように簡単に纏めると、
「歴史的な誤用の重なりや、似たような外来語の氾濫、音声学上の発音のしづらさ、ぶっちゃけどっちでも何を指してるのか通じるやんという多数の要因が相まって、現代人の脳内で促音+破裂音の組の処理自体に対して変化が起きつつある」という所感です。
現代はまだ「有声破裂音を無声化してもしなくてもいいし、無声破裂音を有声化してもしなくてもいいし、しかも適用される確率について単語によって非常に差がある、おまけに個人差や方言差やシチュエーションでの差も高い」という過渡期にあるようです。
しかしながら上のURLで書いたように音韻規則化されつつある事は(音韻規則というのは音の文法だと思ってもらえれば良いです)、頂いたデータ等から最早疑いようがないように思います。
これが最終的にどういう形に落ち着くかについては、マジで数十年待って何世代か先でどのように変化するのかを見て確かめるしかないでしょう。結果に関係なく楽しみです(そしてこういう変化は結構誰の予想も裏切る形に終わったりするから面白いのです)。ブコメや言及等頂いた皆様、ありがとうございます。
ちょっと話はズレるけど、授業で英語を話しやすいのはどっちのクラスか。
いやどっちも笑うなよ、という話ではあるが、どちらかというとAではないだろうか。日本人ならジャパニーズアクセントは(話したくなくても)話せるし、むしろ発音が苦手な人はその方が話しやすい。まあそれでいいから、とにかく英語を話すようにしよう!ジャパニーズアクセントも悪くないよ!というのは、今の学校英語教育の方向性でもある。
話を戻すと、「英語の授業で発音が良いとネタにされる風潮」は確かによくない。よくないが、そう意見した同じ口であなたはジャパニーズアクセントを笑っていないだろうか?
この話で一番問題なのは、ちゃんと英語を話したい生徒がその絶好の機会であるはずの授業中に話せないという点だ。これはよくない。しかし、英語を話せないことの、何がよくないんだろうか?
C. 発音が上達しないこと
増田やブコメで問題にしていたように見受けられたのはCの方だが、平均的な日本人にとってより深刻な問題なのは、明らかにDだ。つまり、英語の授業で発音が「良い」かどうかを気にしすぎる視線が、そもそもの弊害なのだ。私には基本的に増田やブコメには同意する気持ちがある一方で、それぞれの意見に見え隠れするネイティブアクセント信仰のようなものには、やはり引っかかるものを感じる。そこじゃないんだよ、と思う。
もちろん、英語を話すことと発音は切り離せない。わかる。ネイティブの発音ができればネイティブが話す英語のリスニングも上達するし、あとスペルも覚えやすくなる。わかる。しかし、インドやシンガポール、フィリピンの英語を考えれば、日本人が英語を話すために必要なのは「良い発音」ではないことも明白だろう。英語を「話す」能力を身に付けるために、発音を強調しすぎるのは、本末転倒だ。
ちなみに私は高校で英語を教えているが、生徒の発音をネイティブアクセントにするのは非常に難しいと思う。それに比べて、生徒に(ジャパニーズアクセントでも)英語を話させることは、まだ可能だ。「この授業は英語を話す授業です」ということにして、ちゃんとステップを用意すれば(大変だけど)、生徒は英語を話す。少なくともそういう授業を受けている生徒の間では、「良い発音」がネタになっている様子はない。もしかすると、「誰もが英語を喋らざるを得ない時間」が少ない授業では、「良い発音」はネタにされているのかも知れない。授業中に生徒が英語を話す必要がない場合、例外的なアクセントの英語は「おもしろい」のかも知れない。
ただ難しいのは、誰もが英語を話す状況だと、例外的なアクセントが「おもしろ」くはなくても、「わかりにくい」場合がある。つまり、「良い発音」が「わかりにくい」と、やっぱり生徒はジャパニーズアクセントになる。コミュニケーション上の要請というやつだし、アジア諸国の英語がネイティブアクセントでない理由に相当する何かだろう。かくいう私自身も、職場でジャパニーズアクセントの同僚と英語で話すときは、英語の発音をカタカナ語に近づけることがよくある。恥ずかしさとか、下手に出る的な心情がそうさせる。逆に相手がネイティブアクセントだとリミッターを外して喋るが、こういうリミッターは、コミュニケーションの内容をも規定する。英語の力量に差がある生徒同士で喋るときなど、彼らは極めてシンプルな英語を話している。
まあそういうわけで、私は、日本人が本当に英語を話せるようになるためには、こうした傾向はある程度はしょうがないと思っている。それよりも大切なことがあると思ってやっている。
蛇足を続けると、(矛盾するようだが)私はネイティブアクセントの練習は、英語を英語圏で使いたいなら、必須と言っていいほど大切だと思う。だから、学校でちゃんと教えた方がいいという多くのブコメの指摘には頷く一方で、実感として発音指導は難しいんだよなあとも思う。
まず何より、発音には、スポーツや歌、楽器の練習に似ているところがあって、生徒の適性によって教育効果にものすごく差が出る。私は音声学とかが好きで自分でもアメリカ南西部のアクセントを意識して練習したりもしていたので、教員になりたての頃は生徒にその手法を叩き込んでやろうとフォニックスとか口の形のトレーニングとかをよくやっていた。が、一斉指導ではなかなかどうして生徒の発音はよくならない。もちろん自分の指導力不足によるところが大きいのだが、そうして躍起になっていつも発音にフォーカスしてやっていると、それこそ生徒に英語を話させることが疎かになってしまって、いつの間にか「正しい英語」を押し付けるような授業になってしまっていた……と今になると思う。
おそらく、「発音が良いとネタにされる」ことに嫌悪感を抱く気持ちは、「正しい英語」を追求する「正しさ」を否定された気持ちに近いのだと思うが、日本人の英語に「正しい英語」など、そもそもない。極論だとは思うが、私はむしろ、日本人が喋る英語は、日本人にとってはすべて「正しい」のだと考えている。(ただし、英語圏にはそれぞれに「正しい英語」がある。その人の望む場所における「正しさ」はあると考えた方がよい。)
話が散逸してしまった。まあ言いたいこととしては、少数の事例を除いて、日本人の英語は、今までもこれからも、多かれ少なかれ、良くも悪くも、ジャパニーズアクセントなのだろうから、それを前提として英語を話せるようになることの方が大切だ、というようなことです。
日本人は、発音がよくならないから終わっているのではなくて、英語を話したいのに話せないことの方が終わっていると思うんで、それをなんとかしていこうと思っています。
英単語のカタカナ化の仕方に文句を言う増田がたまに見られる。ついこの間も、「imageは『イミジ』が正しい」みたいなことを書いている人がいた。
しかしカタカナ化というのは、音が近ければ良いというものではないんだよ。
言語には意味のある音の区別と、意味のない音の区別がある。例えば日本語なら、「難波」の「ん」と「あんな」の「ん」は違う音だけど、日本人にとってはどちらも同じ「ん」だ。音声学上は区別されるが、音韻論上は区別されないともいう。
タイトルの「ワラ」に関しても、確かにwaterは「ワラ」のように聞こえる。単純に「一番それっぽく聞こえるカタカナ表記」ということなら「ワラ」が正解かもしれない。でも英語では、このラ行のように聞こえる、waterのtの音と、普通にタ行に聞こえるt、例えばtalkなどのtは、同じ音なんだ。それなりに乖離があるので、英語ネイティブの人でも聞き較べてもらえば違いはわかるだろうけど、普段話しているときは意識しないし、同じ音だとして扱っている。日本人にとっては全然違う音でも、ネイティブにとっては同じ音だということ。
そしてもっと重要なことは、waterのtをtalkのtで発音しても問題ないけど、talkのtをwaterのtで発音することは許されないということ。どちらもtの音と言っても、片方が本来であり、もう片方は一応同じと扱われている、変化した音ということになる。そして「本来の」tは、間違いなくラ行よりはタ行に近いのだ。
次に、外国語をカタカナで表現する際は、まず問題になるのが、カタカナの表現力が限られているということ。
英語では途方も無い数の音が表現されるが、カタカナは所詮50音である。文字通り数える程しかない。
とはいえ、この数える程の文字数で、工夫して、できるだけ本来の言語の表現力が失われないようにしなければならない。そうでないと、その言語から大量のカタカナ語が入った際に、だんだん同音異義語が増えて区別がつかなくなってきてしまう。だから、英語で区別がない音は、カタカナで表現する際も、できるだけ区別しないようにする必要がある。本当に必要な区別をしたいときに被ってしまうと困るからだ。
したがって、waterのtもtalkのtも区別せず、両方タ行で表すべき、ということになる。
あとはだいたい同じような話なんだけど、ついでなので、waterの他の音についても。
現在概ね採用されてるカタカナ化には、だいたい共通した法則があって、例えば、長母音は長音記号を使って表すこと、がある。このようにすることで、短母音と長母音でカタカナでも10種類の母音を表現できることになり、かぶりが少なくなる。「ワラ」と短く聴こえても、water /wɔ́ːtər/ の最初の母音は長母音だから、長音記号を使う。また、この母音は、ア段ではなくオ段として表現することも習慣で決まっている。wall も「ウォール」とオ段で書かれるが、これも同じ母音である。
ちなみに、この /ɔ/ の音がオではなくむしろアに聴こえるという人も多い。「ワラ」に近いというのはそのためだろうと思う。しかし、これがア段ではなくオ段に当てられているのは妥当なんだ。なぜかというと、英語には他にもアのように聴こえる母音がたくさんあって、cat /kæt/ の /æ/ もそうだし、car /kɑːr/ の /ɑ/ も間違いなくアに聴こえるし、あと曖昧母音 /ə/ の直後に/r/ が続いた場合も間違いなくアに聴こえる。これらは実際カタカナではア段が割り当てられていて、これにさらに /ɔ/ まで加えるとなるとア段で表す音が多すぎてちょっと被りが心配ですねという話になる。一方、オ段で表す母音は /ɔ/ の他には cold /koʊld/ とかの /o/ くらいである。
このように、現在のカタカナ表記にはそれなりの合理性がある。こっちの方が聞こえ方が近いから、とか安易な理由で覆すべきではない。
〜 追記 〜
ブコメ数にビビっております。こんなにもらったことなかったので。
いろんなカタカナ語の指摘とかがあるのですが、はっきり言ってカタカナ語のルールは一貫してないと私も思います。その中には、比較的合理的なものもあれば、ブコメで上がっている「ディティール」のようにわけわかんないのもあります。「ウォーター」はかなり合理的だと思ったので、ウォーターで書きました。あと、「イミッジ」も合理的だと思います。「イミッジ」を批判してるみたいに読めるなあと思ったので一応書いておきます。
あと、せっかくなので宣伝させてください。日本語文法を英語で解説するサイトをやっています。最近更新が滞っておりますが・・・。↓
http://anond.hatelabo.jp/20161108134523
だからそれはでたらめ。ロシア語では「ряа(=[rya])」・・・などの表記と音が存在する。物理的に 発音できないなどということはありえない。「英語では物理的に発音できない」という主張だとしても「なんで言語によって物理法則が変わるんだ」ということになるから、その問題提起はあきらかにおかしい。また、だとすると「日本語では平安時代は物理的に"ぴゃ"という発音はできなかった」という意味のわからない主張が正しいことになる。
そもそも、
ということと
ということは同じではない。
英語ネイティブの人でも気づかないだけで[rya]という音は発声している。ただ、それが音韻として用いられていなかったり、あるいは弁別性を有しなかったりするだけ。あなたの言っていることはそもそも文字と音声言語を混同してるんだよ。
そもそも「ラリルレロ」は"L"か?"R"か?"L"の方が近いのでは?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ら行
頭子音の音声学上の実際の発音は、「り」を除く「ら」行音の場合は一般的に、語頭や、撥音(ん)の後では歯茎側面はじき音 [ɺ] 、そり舌側面接近音 [ɭ] または有声そり舌破裂音 [ɖ] に発音され、撥音(ん)の後を除く語中、語尾では歯茎はじき音 [ɾ] またはそり舌はじき音 [ɽ] に発音される。「り」の場合は他の「ら」行音に比較して頭子音が硬口蓋化するため、語頭や、撥音(ん)の後では歯茎硬口蓋側面はじき音 [ɺʲ] 、硬口蓋側面接近音 [ʎ] または有声硬口蓋破裂音 [ɟ] に発音され、撥音(ん)の後を除く語中、語尾では歯茎硬口蓋はじき音 [ɾʲ] または硬口蓋はじき音 [ɟ̆] に発音される。
つまり、コンテキストによって r や l どころかまったく違う音になっている。話者は音韻として「ら行」に分類しているだけ。ここ、ブクマでもトラバでも「おれ英語知ってるしー。ら行はRじゃないよねー」とか物知り顔で言ってる人多いが恥ずかしいだけだぞ。
「リャ・リュ・リョ」の英語表記において、"L"か"R"の2択でなぜ"Rya,Ryu,Ryo"が発音できない"R"を選んだのか?
ローマ字表記はラテン文字圏向けに26文字のアルファベットで日本語を表記する方法として考え出されたものです。英語表記するためのものではないです(なお「ラテン語表記」でもないです。いまの時代ラテン語で新語の表記なんかできるかボケ)。
「そんなの細かい違いでしょ」と言い出しそうだが大問題。たとえば国語表記にアルファベットを使っているベトナム語も「英語表記なんだから英語の発音を考慮せよ」ということになってしまう。
こんなんね。「えー! アルファベットじゃないじゃーん!」とか不平言ってもダメ。これはアルファベットにダイアクリティカルマーク足してるだけ。ダイアクリティカルマークをアルファベットじゃないと言い出すとウムラウト打ってるöドイツ語もアルファベット使ってないということになる。
英語でしかものごと考えないくせついてるからそういう変な発想になるのよ。
ここも若干厄介な問題が絡んでいて、英語とは"value"を「バリュー」と読むくせに"Lue"は「ルー」と読む言語なんですね。
それも間違いです。英語の表記は「その単語が英語文化に移入された時点では表記と読みが一致していた」んです。ただ、英語の場合はノルマンコンケストとかいろいろな文化の交流があったせいでさまざまな表記が残ってしまった。結果として音声・表記不一致になっているように見えるだけ。実際には歴史的背景を知っていればスペリングから発音を推定できるようになっています。中学か高校でちゃんと習ってるはずだけどhttp://bit.ly/2eRDbuy:ノルマンコンケスト]についてはWikipediaでも読んで。
ただし、"Rya,Ryu,Ryo"だと読みを慣例化していく以前に、「原理的に発音できない問題」が出てしまい、不適切だと思います。
うん。だから誰にとって「原理的に発音できない」のか明らかにして。
この件に関しては私が無知であり、"R"よりも"L"の方が日本語に近いと勘違いしていました。
音声学だったり色んな経緯があって"R"になったようですね。
先にも書きましたがLでもRでもありません。また、音声学的背景で決まったものでもありません。そもそも /l/ と /r/ は「流音」と言って似たような音の仲間です。
ヨーロッパのことばの中でも「単語の中の-rolor-って部分、時代が移り変わるうちに -lorol- って間違って巷間に流布しちゃった。テヘペロ」などということがふつうにあるレベルです(ポルトガル語や中世ロシア語の流音交替現象など)。「日本人は発音しわけられないし聞き分けられないんだよねーププ」という指摘がよくなされますか、広い視野で見ると「そんなに変わらない音」なんです。
だからローマ字で L と R どちらを採用したかは「気分で決めた」以上のなにものでもないです。
本当にそうだと思います。
なるほど。ではお聞きしますが、
xa で打てばいいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20161108134523
なぜか日本語のラ行は英語のRよりはLに近いと思っている人が多いようだが、少なくとも英語話者からすれば日本語のラ行はRにより近い。
仕事柄ちょくちょく海外に行くことがあるんだけども、自分の名前をどう呼んでもらうかで毎回非常に悩んでいる。
タイトルの通り、名前の一部にRyuが入っており、一部の外人には大変に読みづらいらしい。
この「リャ・リュ・リョ」問題で指摘されている事柄と自分が気付いたことをまとめる。
舌を喉側に巻きながら「アール(アーゥ)」と発音するアレです。
これに基づいて"Ryu"の表記に従うのであれば、"Ryu"は、(1)"R"の巻き舌をしながら(2)「ュー」で舌の先を弾く必要がある。
つまり、『巻き舌をしながら舌の先を弾く』というパラドックスが"Rya,Ryu,Ryo"に存在するために、スペル通りの発音は絶対にできない。
ネイティブスピーカーうんぬんに関わらず、英語で"Rya,Ryu,Ryo"を「リャ・リュ・リョ」にように読むことはそもそも原理的に不可能なのだ。
確かに昔、石川遼くんがアメリカの大会で名前を呼ばれたときに、"Ryo"を読むのに非常に苦労しているアメリカ人のおっさんの動画を見たことがある。
ニュースでも流れていたので誰か覚えている人がいるかもしれない。
上記の通り英語に「リャ・リュ・リョ」と読む"Rya,Ryu,Ryo"の発音は存在しない。
それでも無理やり"Ryu"を読むとするならば、"Ry"で「ライ」、"u"で「ユー」と読まざるを得ない。
これではもはや別物になっている。
厳密に言うと"L"は非常に難しい発音だが、それでも日本語のラリルレロは"R"よりも"L"に近い。
特に「リャ・リュ・リョ」は巻き舌の"R"を使うと発音できないのだから当たり前だ。
フランス語を勉強したことがないので何故読めるのかは分からないが、フランス人はこの表記を苦もなく読めるようだ。
フランス人に"Ryu"を見せて「これ読める?」と聞いたら普通に「リュー」と返ってきて非常に驚いた記憶がある。
サンプルが多くないので全員が読めるわけではないのかもしれないけれど。
(日本人も含めて)非ネイティブスピーカーであれば読める可能性があるのは間違いない。
理由を知っている人がいればぜひ教えてください。どの国の人なら分かる、という事を知りたいので。
もし同じ苦しみを持つ方がいれば、ぜひ参考にしてほしい。
幸い、名字は比較的読みやすいので、一部の友人には自分を名字で呼ばせている。
ただし、もちろん友人同士は名前で呼び合っているので、そこはかとない疎外感を感じる羽目になる。
しかも逆に「ホントに名字で呼んでいいの?」と相手に気を遣われたりすることもあるので、この方法はあまりオススメしない。
ゴルフプレーヤーの石川遼くんも「イシカワ」で呼ばれることの方が多いらしいが、意図的に呼ばせているのだろうか。
まぁ、プロのスポーツ選手なら名字で呼ばれるのはそこまで違和感はないかもしれない。
存在しないのなら、教えればいい。ということで、何度か教えたこともある。
『「ルー」と「デュー」のちょうど間くらいの発音だよ』だったり、
『これ表記は"R"だけど実は"L"っぽい発音だからね』だったり、
若者が相手のときは『ストリートファイターってゲーム知ってる?あの波動拳撃つ奴と同じ名前だよ』だったり、色々である。
ストリートファイターで合点が行った友人には、なぜか「ドラゴン=サン!」と呼ばれるようになったが。
ただ、想像の通り非常にめんどくさい。
初っ端の自己紹介くらいサクッとやりたい。
まぁ、これでちょっと話の種になったりするのもあるんだけどね。
名字呼びも余所余所しいし、"Ryu"の発音を教えるのもめんどくさいときは、簡単な名前で呼ばせることにしている。
何だかんだ今のところこれが色んな場面で一番便利。
具体的には、『正しくは「リュー」って読むんだけど難しいから「ルー」って呼んでね!※』と言っている。
これは、スタバでコーヒーを注文したときに「名前なんですか?」と聞かれたときの非常に良い対策になる。
「ルーです」と言えば必ず一発で通じる。"Lou"と書かれていることが多い。次点で"Lue"。まれに"Lew"。
これを"Ryu"の発音で言えば必ず聞き返されるハメになるが、この煩雑さを避けられるのは思った以上に楽である。
「クレジットカードの表記と違いませんか?」と聞かれるようなことも経験上はなかった。
※一時は「デュー」と呼ばせたりしていたが、個人的には「ルー」をオススメする。
というのも、口語で"Dude"という英語があり、「気取り屋、しゃれ者、都会育ちの人」という意味から派生して、ラッパーが使うような"Hey, Men!"と似た意味合いで"Hey, Dude!"と使われるらしいのだ。
※参照:http://www.eigowithluke.com/2011/02/dude/
学生の頃は知らずにこれで呼んでもらったりもしていたが。
色々と実情と個人的な対策を述べてきたが、私が一番言いたいのは、
とにかく「リャ・リュ・リョ」を"Rya,Ryu,Ryo"で表記するのは英語のスペル上おかしいし日本語の発音にも合ってないという誰得な状況になっている、ということである。
かといって国に対策を求めるのもなかなか難しい話なのかもしれない。
仕方がないので私はルー大柴のように「ルー」と呼ばせながらブロークン・イングリッシュを使うことにしている。
数々のご指摘ありがとうございます。
文章の不備により混乱させてしまって申し訳ない。逐一整理していきます。
『舌を巻く"R"の発音で「リャ・リュ・リョ」は物理的に発音できない』ために英語に存在しないんですが、
ブコメにもありましたが"value"が良い例ですね。
リャ・リョの例はまだ思いついてません。
●「リャ・リュ・リョ」の英語表記において、"L"か"R"の2択でなぜ"Rya,Ryu,Ryo"が発音できない"R"を選んだのか?
●そもそも「ラリルレロ」は"L"か?"R"か?"L"の方が近いのでは?
ならば"Rya,Ryu,Ryo"は日本語の発音にも合っていないのでは?
という点でした。
(1)にもある通り、個人的には"L"を使うべきだと思います。
次のステップは、"L"を使ってどうやって表記するか?という問題です。
ここも若干厄介な問題が絡んでいて、英語とは"value"を「バリュー」と読むくせに"Lue"は「ルー」と読む言語なんですね。
すなわち、表記と読みが一対一対応していない、ということです。
逆に言うと、「リャ・リュ・リョ」の表記を先に決めてしまって(例えば"Lya,Lyu,Lyo"など)、それを英語のネイティブスピーカーに「リャ・リュ・リョ」と読ませるように慣例化していくことが可能だということです。
もちろん、「リュ」1つとっても"Lyu,Liew,Liu"などの候補があり、議論は必要だと思いますが。
ただし、"Rya,Ryu,Ryo"だと読みを慣例化していく以前に、「原理的に発音できない問題」が出てしまい、不適切だと思います。
この件に関しては私が無知であり、"R"よりも"L"の方が日本語に近いと勘違いしていました。
音声学だったり色んな経緯があって"R"になったようですね。
ただ、例え「ラリルレロ」が"R"であったとしても、「リャ・リュ・リョ」は「ャ・ュ・ョ」が入ってしまう限り物理的に発音ができなくなってしまう"Rya,Ryu,Ryo"を用いるべきではないと思います。
その場合は「ラリルレロ」は"Ra,Ri,Ru,Re,Ro"、「リャ・リュ・リョ」は"Lya,Lyu,Lyo"という不思議な現象が起きてしまいますが。
本当にそうだと思います。
まぁ、どうせ英語のネイティブスピーカーが読む可能性があるのなら、読みやすくて発音が近い方がいいじゃないですか。
書きました。