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はてなキーワード: 都落ちとは

2023-04-15

anond:20230415164915

進学は地方関東圏の地方

卒業就職…は出来なかったけど就労都内

都内関東近県

その後訳有って実家に戻る

実家都内に無いってのが一番の敗因です

仕事出来なくなったりしたら実家に戻るのがセオリーだけど、実家地方なら地方に戻ることになり

そこから再び上京するのは至難の業になります

(何らかの能力に秀でており、都内仕事を探すのが容易な場合は別ですが。てか、それなら元々都落ちしねーしな。肉体精神病んで実家で療養とかじゃない限り

後、再上京出来る条件として、親が太いとか実家に居る間にちゃんと働いて一人暮らし資金を貯められるというのも重要です)

そんなこんなで現在に至る

最悪です

では、仕事行ってきます

2023-03-17

anond:20230316145654

これ分かるわ。

売ったところで生活するためには買うなり借りるなりどちらにしろ値上がりした不動産に金払う必要あるから、値上がりしても別に得にならんだろと思う。

値上がり率の高い地域から値上がり率の低い地域に引っ越す場合のみ得になるんかな?値上がり率低い=人気ないだから都落ちになるけど。

2023-02-25

anond:20230225105046

なぜ昔から都落ちって言葉があるのか考えてみればいいのに

都で負けた人間は都で生きる価値がないんだよ

2023-02-19

同級生成功した可能性。それを見た瞬間に恐怖を感じた

とある分野の成功者として、昔の知り合いに似た特徴の人物が出てきていた。ハンドルネームを使っているが、私には心当たりがあった。

進んだ分野、趣味の傾向、おおよその予想される年齢。それらの情報から自分の頭の中に1人の人物像が浮かび上がる。同じ高校同級生だ。自分が無理をして進学し、深海魚*となった学校で、同じ深海魚をしていたアイツ。そうして腐り果て放課後にダラダラとマックモンハンしていた集団の1人の顔を思い出す。

だが奴は、大学受験直前に「やりたいこと出来たわ」とニヤニヤしながらやる気を取り戻し、気づけばそれなりの大学に進学した。一方自分は、大幅に偏差値の下がった大学へと都落ちし、そのまま腐り果てしょーもない職場で今は働いている。

焦った自分はソイツの名前検索をかけた。論文が出てくる……最近論文だ……奴は大学卒業後、本当に行きたかった分野で働いているらしい……。恐ろしくなった。今の自分比較たからだ。自分はもう全く研究内容と無関係なことをしている。というかほとんど事務員営業の間の子みたいなことを延々とやっている。何かについて研究したことなんて無い。大学出てから勉強なんてエクセルマクロについて少しやっただけだ。取引先の資料がよく分からない時もググって終わらせるだけで詳しく学ぶ気なんて無い。

不安に急き立てられるままにさらなる情報収集を行っていくと、趣味の分野は一緒だがその中で微妙に好みが違う。宗旨変えをした?いや、どうなんだろう。確信は持てない。別人なのか?もういい別人ということにしよう。こんな気分で日曜日の夜を終えられるものか。

自分の中で無理矢理に結論は出したが、そうなると今度はこんな事に対して慌てふためいた自分の方へと視線が移ってしまう。同級生成功していたからってなんだというんだろう?あの時自分もなにかやりたい分野を見つけていればよかったのか?だが自分だってやりたかった事が無いわけじゃない。一応は興味の有りそうな分野に進み、一応はその分野の論文を書いた。そうしてから競争についていくほどの気力はないからと楽な就職先を選んだ。そしてグズグズと腐っていった。そもそも価値観がそうだっただけなんじゃないのか?やりがい搾取をされまいとする自己防衛意識が強すぎた結果、仕事によって自己実現をすることに拒否感を持ったのが失敗だったのだろうか。大学教授人格破綻ぶりを見るうちに、精神構造脆弱人間が変に自分の力に固執することに警戒心を覚えた。いや待てこれは流石に物語を作りすぎだ。単にだらしない人間だったのだ。そして、そのだらしなさに見合う人生を選んだ。選んだ選択肢に後悔はあっても間違いと言えるほどじゃなかった。落ち着いてきたぞ。やっと落ち着いてきた。だが恐ろしい……無数の同級生、無数の知り合い、ネットで作った友人、嫉妬出来るような相手はまだまだ無限にいる。早いうちに上手くラインを引かないといけない。年齢的にもそろそろ誰もがそれぞれの道で頭角を現す頃だろう。若き天才はそうそはいない。だがある程度やって全く何も出来ずに終わる人間も少ない。人間なんて一生に1つか2つ立派な仕事が出来ればいいと言われるが、その1つを手掛ける奴らが次々出てくる頃だ。自分仕事にそんなものはない。延々としょーもないことをやり続けるだけだ。人生においてやり遂げた1つがない。そして実家に帰ると今でも「高校受験でいい学校入ったのがピークだったよね」みたいな話が飛んでくるのだ。人生で成し遂げたことが高校受験?は?ゴミクズすぎるだろ?死にてえ……助けてくれ……。もう無理寝よう。

深海魚……無理に良い学校に入ったせいで授業についていけなくなった人。受験背伸びしすぎた身の程知らずのカス受験終わった途端にナマケ始めったクズとされている。学校カラーと合っていれば受験背伸びしていても深海魚にはなりくいという噂も。そのため、単に偏差値の高さだけ見て学校を選んだバカとしての側面もあるとされている。酷い。そこまで言うな。

2023-02-13

大富豪の6のカード効果はなんだった?

都落ち手札交換ありにくわえて、スペードの3、5スキップ、7渡し、8切り、9リバース10捨て、11バック

ローカルルールだと6は3枚で革命発動可能だった

2023-01-28

anond:20230128183813

紙の価値が高い

それで政治的記述をするわけでもなく雑記に紙を使うなんて酔狂な真似なかなかできんわな

内容に価値があるというよりあん時代にそんなこと書いた動機の方が評価対象な気がするが

貴族の娘の書いた文ということで丁重に保管されたのもあろう

都落ち農民がいい文章紙に残しても後世に残るような保存状態を与えてもらえなかったろうな

昔はより中身より権威もの価値を見そうだから

というわけでとりたてて教材にして文章の手本にするような価値はねーんじゃねーの。せいぜいあるのは歴史的価値

2022-12-22

anond:20221222100557

文化資本がなんだとか言える立場じゃない貧乏人が東京にこだわるからダメなんだろ

都落ちすれば車も持てる

2022-11-04

anond:20221104151005

都落ち感あって精神的にもしんどい

子あり年収600万(しか交通費込み)はどう考えても東京に住める身分じゃないで…。

それが嫌だったら年収を上げるしかない。

anond:20221104145829

一理ある。それしかないのかも。悲しい。

通勤1.5hくらいまで伸ばせば確かに家賃安くなるだろうけど…

肉体的にもしんどいし、都落ち感あって精神的にもしんどい

こんなはずじゃなかったのに。

2022-07-15

創価学会二世としての記憶感想を私も書いておきたい(クソ長文)

創価中高ですごした増田https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。

今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構インパクトがある出来事のような気がする。

たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。

増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。

生誕とほぼ同時に入会

うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。

父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。

私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。

このシステムがまずすごいよなと思う。自発的意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権蹂躙っちゃそうだろという気がする。

入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプル理由

幼稚園(『お寺』との断絶)

私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリ活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。

地域役員地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。

人がたくさん集まってて、同年代の子ももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだ絵本よんだりしてるくらいの感じ。

ちなみにこのころは、まだ学会日蓮正宗破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。

が、破門されたとたん日蓮正宗邪宗筆頭みたいな扱いになる。

戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。

小学校(自宅で会合が始まる・合唱団入団選挙活動

自宅で会合が始まる

母が地区役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。

家が創価学会会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶しかない。

家に人がたくさん来るのがシンプル楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。

嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。

会合最初にみんなで法華経方便自我偈をとなえたあと、唱題する。

低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。

あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。

会合座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。

学会歌を歌う時間とかはもちろんあった。

家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。

https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8

朝この曲で起きてました。奇特すぎ。

役職についてる人がいるとはいえ子どもの目には会員同士の関係あくまフラットな感じに見えていた。

合唱団入団

今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。

しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。

母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。

ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。

一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。

入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日文化会館指導があった。

指導学校音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的合唱曲練習をしていた。

たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポ別にいらない…。

小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。

創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃん外国歴史上の偉人リスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。

小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。

なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。

このとき練習普段練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。

あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。

今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。

なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補

練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき自分でやるっていったんだから責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通ダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。

選挙活動

学会二世には「選挙祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。

実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたし投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。

でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。

私は自分友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。

とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。

話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。

完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。

あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラス候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。

若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。

今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?

中学校(活動に疑問を持つようになる・教学試験

活動に疑問を持つようになる

小学生のころから国語社会歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。

母の蔵書である古典文学全集解説書、文学文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。

円地文子清少納言枕草子解説している文章リリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。

腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語現代語訳を読んで、平経正守覚法親王関係都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え

絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語随筆舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。

しか学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。

寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。

教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様名前が書いてあるのに謎すぎる。

(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)

私は母に、はるかから善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。

訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。

そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。

世間一般学会偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。

中学友達立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち

政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。

でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動生活破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。

(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。

ちなみに、法華経方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)

読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)

日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。

教学試験

教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。

一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるいかそういうもんでもないらしいがよくわからない。

上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。

ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。

さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強シンプルおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるからしかったし、普通に合格した。

でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。

母親は一番上まで持っていて、父親は未受験

高校同級生に会員がけっこういることに驚く・創価大学受験して進学しない)

同級生に会員がけっこういることに驚く

高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。

信教の自由であるとか、折伏新聞啓蒙選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。

やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分あんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。

親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。

高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。

けっこういるのにおどろいた。

多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。

創価大学受験して進学しない

学会員の間では、創価大学は超絶いい大学東大にも負けない日本最高峰大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。

めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。

活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期から刷り込みしか言えないと思う。

偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。

当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。

同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。

親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。

大学学会ネットワーク驚愕偏見を感じる)

学会ネットワーク驚愕

そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。

ネットワークマジで驚いたしちょっと怖かったよな…。

ちなみに大学には創価学会サークルがあって普通に活動していた。

極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会サークル普通に野放しになっていた。

別に実害ないってことなの? 今思ってもちょっと謎。

どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。

この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。

名前は忘れたけれど、今でも大好きで大切な一冊を勧めてくれた人がいたことはずっと覚えていたい。

続き(https://anond.hatelabo.jp/20220715032335

2022-05-07

リモートワークでどこに住めと?

ITエンジニアでそこそこ都内で働いてきた23区住みフリーランスなのだけど、完全リモート可な案件増えてきたし、ここいらで都落ちしようかとおもってる。

けど、一番困っているのが、どこに引っ越せばいいのかがわからない。

  

今までは、だいたい職場に近いとこに引っ越してた。電車時間生産的に過ごせないので。

わりとそれを重視していたので、リモート前提だと急にどう決めればいいかからなくなった。

 

リモートからどこでもいい。それが逆に困る。

 

いまのところは、なんとなく神奈川かな、ぐらいしか思い浮かばない。

 

別に、いざとなったら職場に通える距離だし、とかでは全然なくて、

ただ単に選べないから仕方なく神奈川

 

他に住む場所の条件って何があるんだろう。

通信速度だって、いまどきどこも変わらんやろ。

クリエータじゃないし50M以上実測であれば十分。

メタバースだのVRだのが進むと5Gとかじゃないときいかもだけど、まだ考えなくていいと思ってる。

 

広大な自然とか特にいらない。

一応ベランダから緑は見えたほうがいい、くらいには思うけど。

 

別に実家に戻る気もないし、それはつまらん。

 

税制とかでITエンジニア向きとかあるのだろうか。

 

英語喋れるし海外でも問題ないが、ビザとかとれるのかよくわからん

つよつよエンジニアじゃないからね。

 

 

人は制限だとか欲望とかがないと何も決められないものだなぁ。

 

リモートワークでおすすめ都道府県おしえて

 

2022-04-05

anond:20220404171712

千葉都落ちしてから気づいたが、テレワークがメインでたまに東京東側に出勤という勤務態勢なら、千葉交通網クソなのは無視できるぞ。

自然も多いし、県内観光だいたい完結するし。

2021-12-14

自営業はじめてから5年経つが辛い

資金調達とかSaaSとかベンチャーとかスタートアップとかベンチャーキャピタルとか、そういうキラキラとは別な零細自営業について語ります

特に戦略とか持たずに、のんべんだらりと会社をやってきたおっさん独り言です。同時期に会社を急速に伸ばした人を見ると、自分のだめさ加減が露呈して辛い。



2017年

転職直後に、家族うつ病に。辛い。

家族ケアをしながらできる働き方はないか模索したところ、「起業、、、ありかも」と思い立ち、友人知から仕事を集めたらなんとかなりそうなことが判明。

よっしゃ、辞めるぞ、ということで、転職から1年未満で退職退職時は、同じ会社の人に結構微妙対応をされる。まあ、そりゃ実績も出さずに1年未満で辞める人にかける言葉もないよな。辛い。

退職直後は、友人知から祝儀仕事が来て結構ハウハとなるが、その後、ご祝儀案件がすぐ蒸発。辛い。

あなたに任せるよりも、安いインターンに任せることにしました」という屈辱的なこともたくさん言われる。辛い。

友人と共同で受けた案件、お客さん会社社長パワハラ気味で、やった作業簡単にひっくりかえすx3を食らう。辛い。

この時点でサラリーマン仕事6ヶ月(給与)+自営業6ヶ月(売上)=800-900万円



2018年

友人から仕事で食いつなぎつつ、クラウドソーシング。辛い。1文字1円のライター業とかやる。格安SIMがどうとか、転職がどうとか、そんな記事を量産する。

格安SIM記事なんて、定められた構成に従い、機械的に書くだけ。書く機械。人ではない。そして、1円ライターでも「もっとちゃんと書け」と怒られる。辛い。

それ以外にもクラウドソーシングのよくわからない案件をこなす光通信系の会社の人からプロだと思って頼んだら全然だめですね」と言われる。辛い。

新卒入社した会社結構有名企業だったので、「あー、あんな有名な会社に勤めていたのに、そのまま勤めていれば年収もずいぶん高かっただろうに、いまは1円ライターやっているのかー」と自分客観視すると、辛い。

単価高いITエンジニアがうらやましくて仕方ない。ああ、どうしてプログラミングやらなかったのだろうと人生を後悔する。辛い。

元同僚の会社営業代行などしてしのぐ。営業なんて大嫌いなのに。辛い。

自営業12ヶ月(売上)=700-800万円



2019年

クラウドソーシングの受注案件から強引に営業したら、月額30万円くらいの安定収入になる。嬉しい!

営業代行仕事好調結構売上が伸びる。ただ、営業対応出張が多いのと、売上にならない案件フォローとかがかなり面倒。フォロー遅れると怒られる。辛い。

家族うつ病が再び悪化仕事したいのに、やる気もあるのに、張り付いていないといけなくて仕事できない日が増える。辛い。

Switch買ったら、昔のゲームやるのが面白すぎて仕事が進まない。でも止められない。作業遅れ多発。辛い。

また別な継続案件口コミで受注するも、親会社が推奨する会社リプレースされてしまい、一瞬で案件なくなる。辛い。

業界違いの案件を受けたら、「メールChatworkで連絡してください」としたにも関わらず、毎日電話くる。そのうえ、レスが悪いと怒られて案件終わる。辛い。

自営業12ヶ月(売上)=1000-1100万円



2020年

子供生まれる。しか双子!嬉しい!でも、お金なくて色々申し訳ない。旅行するときに、泊まりたいホテルでなくて、安いホテルから順に調べないといけない。辛い。

行きたいタイミング旅行に行けず、カードマイルを使って特典航空券が空いているタイミングを選ばないといけない。辛い。

元同僚の営業代行していた会社から、いいがかりをつけられて売上が減少。新卒入社したときは、楽しく酒を飲み交わしたことを思い出す。一緒に仕事しなければ友情は続いたのだろうに悲しい。紙の契約書がないって辛い。

売上どうしようと思い悩んでいたところ、交通事故あい、そのさなかにクラウドソーシング経由で営業した安定収入案件を失注。辛い。

別な友人経由で仕事をもらうが、「すみませんが、成果でないですね」と言われ、2ヶ月で切られる。辛い。

コロナで友人知人と会えず、精神的なバランスも崩れる。精神的なバランスが崩れても、息子たちのおむつ替えもミルクも待ってくれない。辛い。

自営業12ヶ月(売上)=700-800万円



2021年

知人からの紹介で再び別の案件を受注。月30万円くらい。嬉しい。

他の案件ほとんどなくなり、辛い。業績低迷を理由コロナ融資受ける。ある意味コロナ恩恵を受ける。うちみたいな会社お金貸してくれるなんて最高。大好き日本国

から、「稼ぎが悪い、お金がないか子供の服を1着買うのも悩む、友人は家を買っているのにうちは車すら買えない、ちゃんと考えずに会社経営しているだろ、融資返せるのか」と言われる。辛い。

さすがに食っていけないので、ほぼフルリモートサラリーマンも再開する。成功できずサラリーマン都落ちした気持ちになる。恥ずかしい。辛い。

ただ、普通に考えて自分会社仕事しながら、サラリーマンやるのは普通に考えて無理がある。溺れながら時々顔を出して仕事をしている感を装っているような感じ。情けないし辛い。

自営業12ヶ月(売上)+サラリーマン4ヶ月=700-800万円



2022年予定

来年は、サラリーマン年収が1000-1100万円+自営業が600万円。結局自営業金額はしょぼいので、ダメ社長だ。辛い。

金額全体が増えたのはうれしいが、仕事コントロールできず溺れている。自分会社サラリーマン仕事完璧にできていない。だましている感が強い。辛い。

大学時代の同期は、キラキラベンチャーでCxOして資産数十億円築いたり、コンサル上り詰めたり、起業して成功したり、外資系部長職で年収3000-4000万くらいのポジションについている。羨ましくて仕方ない。辛い。

2021-12-05

anond:20211205212424

旦那が職を失ったり都落ちしたりすると離婚する妻っているけど、あれ意味わからんのだよな。離婚したら生活レベル落ちるだけじゃんっていう。生活レベルを落としてでも負け犬のオスと一緒にいたくないということなんだとするとメスとしての矜持を感じるけど。

2021-11-08

anond:20211108182858

わいみたいに、家でプログラミングしてお遊びしているだけで、君たちよりよく稼いでいるか申し訳なくて職業いいずらいわ。

学歴は、アホだったら都落ちして旧帝。生まれたところ、山手線の外やから貧乏や。山手線の駅から歩いて10分ぐらい。

2021-10-14

anond:20211011001804

そういうBL作家って少年漫画二次創作出身の人だけだよ。

BLっていうのは少女漫画の中の一ジャンルみたいな立ち位置にあるので、基本的に女々しい恋愛ものなの。読者も男性向け漫画のような男の友情みたいなのはまり求めていないし、作家もどちらかといえば少女漫画から都落ちしてきたような人が多い。

2021-10-08

「今免許更新に来た」と日記のようなLINEメールが届く。

会話の流れがあってそういったことが紛れ込んでくるならわかるんだけど、ほんとうにその一文だけ。だからなんなんだ。

最初こちらで話を膨らませて返答していたけど、妙なところで会話を向こうから辞めてしまうしこちらの話題に興味がない場合無視である

これでは会話というよりログを送りつけられているだけだ。そんなことなTwitter日記にでも書いておけばいいことだろう。

そんなところから任期ポスドクを繰り返して44歳になってしまった理由垣間見しまった気がする。

一番大事な時期に論文も書かず海外学会ついでに遊びまくっていたからかもだが、結局顔見知り程度の人脈しか残らなかったんだろうな…。

会話の際にも「~さんとは面識がある/ない」とか聞いてもないのに言い出すが面識や博士号があれば、無条件に人は評価してくれると思ってんのかな。

そしてその人は事務職を見下したり、一般企業に対する研究界隈への無理解に怒っている。お金が集まらないのは企業研究への価値を認めないからだ =認めないのは知性がないからとのこと。某プロジェクト表彰されたとき第一声は「国は表彰より金を出せ」と冷水ぶっかけている。

この人の今までの給料馬鹿にしている営利企業税金で成り立ってるし、だいたい何様なのかと。お前が買った自慢の最新iPhoneは誰かの税金だよ・・・ちゃんと出してるよ。あなたは見返りに何を残しまたか残業文句をつけ、1時間程度の時差分で起きたような超過勤務ケチすらつけていましたが。

視野が狭すぎじゃないのか。

お勤め施設の要覧などを見ても大きいプロジェクトから外されてるし、3年後はどうなることか。もはや都落ちしないことだけに必死になってるように見える。

早く方向転換したらいいと思うけど、もう話するたびにストレスたまる関係を持つことを諦めた。

かまってほしいだけのために使われても自分にはメリットもない。会話くっそつまらんもん。

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