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2016-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20160122134653

コウモリって超音波で周囲の状況を把握しているっていうけどさ、どんなにコウモリという物質分析したって、コウモリ超音波をどのように感じているかっていうのは、人間には実感できないじゃん? そういう物質的には分からない感覚ってやっぱり存在するんじゃん? それがクオリアなんじゃん?

ライオン言語を話せないのではなく、まさしく話さないのだ(L.ヴィトゲンシュタイン)」…コウモリ感覚を「感じる」ことができない、という問題ではなく、そもそも他の人間であっても、その人がどのように「感じているか」を「実感」してると考えているとしたら、それは間違いで、それは単に勝手自分理解できる何かに置き換えて(翻訳して)いるだけのことだ。

人間は喋ることができるがコウモリは喋れない。それだけのこと。もし、コウモリが喋ることができて「○○HZの音って何かスーッとする感じなんすよ」とか言い出したら、あなたは「なるほどー」って思っちゃうんじゃないの? 自分以外の「感覚」への理解など、そもそも全てが想像産物に過ぎない。仮に脳と脳を直接連結しても、誰にも他者感覚をそのまま「感覚する」ことなどできない(感覚する主体は『自我なのだから感覚できたらそれはもう「他者」ではなく、そのときあなたは今までと同じ「自分」ではなく、ある共有された集団的自我となった「何か」であるに過ぎない)。

たとえば生まれからずっと白黒の部屋で生活してるマリーちゃんが、在宅学習を頑張って「色」に関する全ての知識を身につけたとするじゃん? そのマリーちゃんが部屋から出て生まれて初めて「色」を見たら、知識だけでは分からない、何か新しい体験とか感覚みたいなものを得るんじゃねえの? それがクオリアなんじゃねえの?

現実問題として、生まれからずっと白黒の部屋で生活してるマリーちゃんには「色」を認識することはできない。猫を使った心理学実験で有名な実例。(実験「横縞を認識できない猫」http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/vital/TrueLook.htm動物のような「本能」をもたない人間にとって、「認識」とは自動的に生まれる何かではない(もしそうなら、赤ん坊は生まれた瞬間からいきなり「世界」を認識できなくてはならない)。あなたは「モノゴコロつく」まで、生まれから何年間必要だった? 人間の「認識」は膨大な学習からまれものだ。

たとえば同じリンゴを見ていても、自分認識しているリンゴの色と、相手認識しているリンゴの色は違うかもしれないじゃん。どんなにリンゴの色に関する知識を身につけても認識齟齬には気付けないじゃん。やっぱ表面的には同じでも内面が異なることはありうるよね!

内面が違うと主張するなら、あなたはまず「内面が違う」ことを証明しなくてはならない。そして、そもそもそんなことができるなら(他人感覚感覚できるなら)、その場合しろ内面」は違わないのだ。

たとえば人間とまったく見分けがつかないゾンビがいるとするじゃん。見た目も行動も完全に人間なんだけど、でも内面的には意識とかは持ってないのね。そういうゾンビ論理的存在可能だけど、ゾンビ意識が欠けていることは物理的には説明できないわけじゃん。やっぱり何でもかんでも物理現象だけで説明するのっておかしくね?

ゾンビ内面がないと主張するなら、あなたはまず、どこから見ても「内面があるとしか見えない」ゾンビに「実は内面がない」ことを証明しなくてはならない。

どうやって?

あなたが言っているのは、「全く同じ重さだけど、実は違う重さの物質があるとするじゃん?だから物質の重さなんて分からなくね?」みたいな、全く無意味仮定に基づく無意味な問いとどう違うのか。

たとえばある人間が死んだ瞬間にさ、物質的に全く同じ人間が出現したら、それは同一人物と言えるの? っていうか、それで意識同一性みたいなものは保たれてるの?

一卵性双生児は、ほぼ「物質的に同じ人間」ですが? で、それをあなたは「同一人物」と呼びますか? というだけの問題。「意識同一性」など保たれるわけがない。スワンプマンに関して言えば、スワンプマン意識同一性を「主張」するかもしれない。だが、その言葉証明することもできないし、上のように考えれば、信用することもできない。

モリヌークス問題

まれてずっと目が見えない人は、球とか立方体とかを触った感覚認識してるけど、もし目が見えるようになったとき、その人は見ただけで球とか立方体とか認識できるのかな?

先の猫、赤ん坊の話と同じく、認識できない。ただし、既に手触りなどで「球」の認識をもっていた人なら、新たに得た「視覚感覚を、これまでの「学習に基づく認識」と結びつけることによって、赤ん坊よりずっと早く「視覚的に認識する=見える」状態に到達できる可能性はある(もし、相当素早くその段階に到達したのだとしたら、その人は、今までずっと触覚を通して「見て」いたということ。目のないコンピュータだってセンサーによって世界を擬似的に「見る」ことは可能なのだから、目が見えない人だって「見る(対象視覚世界に配置して認識する)」ことは可能だし、そういう能力がある以上はそういう認識を育てる可能性はある。)。

中国語の部屋

引きこもり中国語文通できるからって、その引きこもり中国語理解しているとは限らないじゃん? 部屋の中で隠れて日本語製の応答マニュアルを見てるだけかもしれないじゃん?

日本語を話す私とあなたが、会話できていると、いつから錯覚していた?

人工知能に関する「中国語の部屋問題」を持ち出さなくても、これは「そもそも人間同士、言葉が通じているっていうのが誤解かも」問題として、言語哲学上では有名かつ重要問題。そして、そちらの結論は極めてシンプル「会話できてるならおk

テセウスの船

ある船の古くなった木材を徐々に新しい木材に置き換えていったとき、全部新しい木材になってもそれは元の船と同じだって言えるの?

人間細胞の素材もどんどん入れ替わっていますhttp://banyuu.txt-nifty.com/21st/2005/06/post_50b9.html 考え方や好みなんかも、成長だけでなく、立場や条件で変化するものですしね。「わたし」という人間は、なんらかの形で記述規定できるようなものではないのです。モノではなくコト、物質ではなく現象なのです。

船でたとえるなら、「古くなった木材」でなく、単に別の木材に置き換えるという仮定で考えると分かりやすい。Aの船の木材を交換し、元の木材で別の場所に船Bを造っていく。最終段階を見てみれば? はい、モノとしては、当然どこからどう見たって船Bが「元の船」です。バラして組み立てただけですし。しかし、Aの船が、たとえば航海しながらどんどん部品を入れ替えているというような場合は? そう、どんなに部品が入れ替わっても、Aの船が「元の船」と呼ばれるしそれは正しい。つまり現象=コトとしての「元の船」はA。物質=モノとしての「元の船」はB。

これは単に見方の違いによるものなのです。

とりあえず、あなたが知りたいようなことは大体全部本に書いてあるから、興味の赴くままもっとたくさん本を読むといいと思うよ。

ちなみに「意識の発生」に関する面白いお薦め本はコレ。

「群れは意識もつ 個の自由集団の秩序」(PHPサイエンスワールド叢書、郡司ペギオ-幸夫

 
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