はてなキーワード: 越えちゃいけないラインとは
最近、越えちゃいけないラインを平然と越える人多くね?
ここに上がってるような人等は、越えちゃいけないラインを一応分かって書き込んでる感はあるな。
だから上がってなくても、かなりヤベーやついるでしょ。見慣れないidだから新入りかと思ったら、かなりのブクマ数があってもっと驚くことも多いよ。
https://anond.hatelabo.jp/20220425213225
まあ一線を越えたら司法の出番なわけで、
それ未満であれば批判を甘受せよ、なワケで。表現の自由の範囲内なわけで。それが表現の自由を尊重する体制に於けるコスト負担でしょう。
表現の自由のある世界、自分だけがキモチイイセカイでも何でもないですからね。むしろ真逆で。不快な表現のほうが多いんじゃないですかね。スルースキルが低い人には生きづらいんでしょうけど。フィルターなりブロックなりを使っていかないと。
議論するつもりがない人にとって論敵に耳を貸す必要はなくて、司法がいう越えちゃいけないラインだけ見てればいい話なんですよね。
表現者にとっては便利ですが、表現の価値を高く評価していなかったり、表現しない人にとっては、表現の自由を理解できない人も多いのもわかりますが。
表現者なのに表現の自由を理解してない人も割といるのが不思議なんですが、どういう認知で生きてるんでしょうね。ジャイアニズム論者なんでしょうか。自分が何のおかげで生きているのかを理解していないって相当な〇か者だと思うんですが・・・。
10年前はコミケの持ち帰り紙袋も脚部丸出し当たり前で、駅には子供もいるのでせめて局部丸出しはやめてください、って地元民からの嘆願に「地元民ならコミケの日は子供を外出させなきゃいいだろ」って意見なオタクが多数だった。どんな紙袋だったのかはググれば今でも出てくるが、今の若い世代のオタクはドン引きすると思う
https://togetter.com/li/1427855
一方で、去年炎上した秋葉原のエロゲ看板案件は、近くに小学校があることもあってフェミもオタクもみんな批判してた。擁護していたのは一部の高齢限界オタクだけ。批判する奴はフェミ、ともならなかった。越えちゃいけないラインがあることは、若い世代のオタクもわかっているようだった。
つまるところ、若い世代のオタクの大多数は、フェミなのではないか。いや、彼らはフェミは嫌いだと思うが、実のところその感性や線引きラインは「10年前にフェミと呼ばれていた人たち」と同じではないか。そしてその傾向はどんどん加速していくように思う。10年前に痛袋を批判しようものなら「このフェミめ!」だったけど、今はオタクですら痛袋もエロ看板も批判するもんね。若年オタクとフェミの違いは「エロ表現についてどこで線引きをするか。どこまでがセーフでどこからがアウトなのか」の考え方だけであって、そのラインの存在自体はお互い認めているし、しかも年々その線引きはフェミ側に寄っている。
なのでたぶん、さらに5年経過したら、宇崎ちゃん献血ポスター炎上の件さえも、献血ポスターとしてはよろしくなかったよね、って意見がオタクの中で多数派になる。いい悪いじゃなく、予想として。
口も育ちも悪い。
幼少期から「〜じゃねぇよ」「〜だろ」みたいな言葉遣いばかりしてきた。
女の子なんだからそんな言葉遣いしないでって親にも言われてた気がするけど、そもそも親から移った言葉遣いなので、さして厳しく矯正された覚えはない。
小学生の頃、同じ学区に養護施設があって、親が死んだり虐待された末に施設で暮らす子供が、だいたい学年の10%くらいいた。
施設の子供は、窃盗恫喝虐めを繰り返す不良から、いつも笑って心優しく振る舞う模範生まで様々だったので、人間性は家庭環境に寄らないのだと思っていた。
人見知りの恥ずかしがり屋で、授業で当てられると極小さい声で短く答えるような、でも仲のいい友達とはよく笑ってよく話せる、大人しめの子供だった。
私も似たような性格なので仲良くなって、休み時間も放課後もよく一緒に遊んでいた。
仲の良いAのことを施設の子だと意識せず一緒にいられたかというとそういうわけではなく、Aには一定の嗜虐性が見られた。
自分より弱い者に対して、小学生でも越えちゃいけないラインの罵倒を繰り返した。
加えておくが、A自身が自分より弱いと認める人間はごく僅かで、私は最初はAが誰かを見下すことすら想像できなかった。それくらいAはいつも大人しく謙虚な態度だった。
しかし、一度でも自分より相手が弱いと認識すると、聞いてるこっちまで苦い表情をしてしまうほどの酷い罵倒を勢いよく吐いた。
我々と同じクラスに、いつも浮いてしまう女子Bがいた。なんとなくクラスメイトからは軽い無視やいじられを受けていたが、本人は自覚がない上に正義感が強く、クラス委員を立候補するような人だった。(そして投票で落ちる)
ある日、白衣を忘れたので私服のまま給食当番をするAを、Bがやんわり咎めた。
咎めても仕方ないのだが、Bはそういう性格なので指摘せずにいられない、というようだった。でも出来るだけ優しく、言葉を選んで軽く注意した。
Aは激昂して、持っていた箸とアルミ皿を、音を立てて机に叩き置いた。
お前如きが、このブス、役立たず、しゃしゃり屋、吃り、ニキビ、死ね
そのあとも色々続けていたが、授業中では2cm以上開くことのない唇が大きく歪んでよく回っている様が目に焼き付いてしまって、他の言葉をよく覚えていない。
ただ、確かに最後は、「お前の皿にピーナッツ混ぜてやる」と言った。
Bは重度のピーナッツアレルギーで、給食では特別な待遇を受けていたので、クラス中がBに誤ってピーナッツを食べさせてはならないという認識を共有していた。
もはや脅しで、殺人予告だ。
徐々に衆目を集め始めたAは、ピーナッツで死ぬのなんかお前だけだ、と言って締めた。
インターネットで日々、差別や偏見を目の当たりにしている今読んでも、どこが超えてはいけないラインなのかと拍子抜けするかもしれない。
当時の私には、AがBを殺害方法を添えて殺人を宣言しているように見えた。給食当番のAには容易に為せるのだ。
本当に殺人が起きてしまう、という緊張感に、超えてはいけないラインが見えた気がした。
何度かラインを踏み抜いていくAを見てきた。あまりにも感情が昂ったときは、手を上げていた。
一度だけ施設に入るまでの話をしてもらったが、本人も詳細がわからないらしく、母親に連れてこられ、そのまま預けられたと言っていた。
口も育ちも悪いと自負しているが、Aの前でだけはそう言えなかった。
アイドルや女優を見て「まじでかわいい!」と興奮しながらいうの楽しい
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女友達が可愛い格好してたら「それかわいい!」って褒めるの楽しい
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本音ぶちまけあってるようなツーカーの同僚の女の子を「かわいい!」って褒めると気持ちがいい
男から女にかわいい!っていうと下心あるみたいで言えば言うほどやらしい気がして控えてたけど、
「かわいい」と言う事を抑圧されている分だけ、「かわいい」と発すると妙な開放感があってすがすがしい。
かわいいと言うのが楽しすぎて、関係ができていない相手にも「かわいい」と言いたくなるんだけど
流石にそれは越えちゃいけないライン超えてるんだろうなぁ
越えちゃいけないライン計測用
世の中恥ずかしい妄想っていろいろあると思うんだけどさ、
でもどれだけ落ちぶれようとも社会的地位が低かろうとも
「無職キモヲタが異世界転生してチート能力を手に入れて助けた美少女奴隷たちに感謝されながらハーレムを作る」
みたいな妄想っていくら頭のなかの世界でもしてしまったら人としての尊厳に関わりそうっていうか、
人間としての『越えちゃいけないライン』みたいなのを越えちゃってる気がするんだよね。
小説家になろうのランキング見てあまりにもそういう臭さがある作品が上位にあると
需要に合わせて作品書いて承認欲求満たしてる作者はともかくとして、
その手の作品を読んでも自分が感じてる臭さみたいなのを一切感じないどころか
主人公に自己投影して作品を十分謳歌できちゃう読者の人たちって結構な数いるようで、
なんか凄いなーって思っちゃう。