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2017-01-27

チベットについての脚注

夕方の静かな時間、私は1987年出版された本のページを繰っていた。

B・バルトークの「遺書」の一部分を掲載したページにきたとき、その下にブダペストについて脚注が書かれていた。

ブダペスト Budapest ハンガリー人民共和国首都

ハンガリーがまだソ連の影響下にあった時代記述だ。

しかしこの脚注は、出版から約2年で過去のものとなる。

1989年ハンガリー共和国憲法施行され、ハンガリー三共和国が成立するのだ。

私は脚注一瞥すると、本文に戻っていった。

ストーブの微かな駆動音の他にはなにも聞こえない暮れ方で、自然と読む速度も上がっていった。

しばらく読み進めていくうちに、今度は藤原新也の「満月の海の丸い豚」が紹介されているページにきた。

そこにはチベットについて脚注が書かれていた。

チベット Tibet 中国四川省の西、インドの北、パミール高原の東に位置する高原地帯現在中華人民共和国チベット自治区

私の目は今度はまじまじとこの脚注を見た。

この記述現在も正しいものだ。間違いはない。

しかし私はこのチベットについての脚注今も正しいことが間違いだと思った。

現在チベットについて脚注が書かれるとき、この本と同様の内容が記されるのだろう。

それならば、それらの脚注が速やかに過去のものとなり、正しくない記述となることを願うばかりである

2010-03-26

藤原新也「撮りながら話そう」(metro min. 2009/04号)

小説家パン屋八百屋と同じ商売なのよ。あなたは小説家が特別なものと思っているところが作家として未熟なのよ」

宇野千代瀬戸内寂聴に語った言葉

2008-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20080118222850

肉親が死ぬと殺生が少し遠ざかる。一片の塵芥(ごみ)だと思っていた肩口の羽虫にいのちの圧力を感じる。草を歩けば草の下にいのちが匂う。信仰心というのはこんな浅墓(あさはか)な日常のいきさつの中で育まれるものか。老いた者の、生きものに対するやさしさは、ひとつにはその人の身辺にそれだけ多くの死を所有したことのあらわれと言えるのかもしれない。

メメント・モリ」藤原新也

 
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