はてなキーワード: 自己推薦入試とは
いろいろ考えたらモニョモニョして眠れなくなったので、寝る前に思っていることを書こうと思う。
深夜のノリでザーッと書き出したので読みづらい文章だったらごめんなさい。
少し前にこんな記事が流れて来た。
http://news.livedoor.com/article/detail/14627657/
すっごい簡単に書くと、田舎にいるとまともな教育を受けられない、受ける権利が侵害されている。っていう話。
そのあとに、
http://tmaita77.blogspot.jp/2017/08/2017.html?spref=tw
こんなデータを見た。
進学率の男女比を出したデータだ。2017年現在のものなので、少し古いかもしれない。
こんな私(女性)も田舎出身で、地方から出て来て大都市圏で理系大学に通い、仕事についている。
この記事と、データを見ていたところ、めまいがするような衝撃と同時に田舎にいた時の記憶が蘇って来た。
私が住んでいた場所は、この記事を書いた筆者ほど教育リテラシーが低い場所ではなかった。
ちょっと街に出でて、本屋に行けば赤本とか普通に売ってたし、ちょっと街に出れば美術館もあったし、一応Fラン大学も近くにあるような場所。
とはいえど、ちょっとどこかに遊びに行くといえばジャスコだったり、アリオだったりっていう土地柄でした。
だから、まだ高校卒業したあとには大学に行く文化はあったのかなと思う。でも、進学校といっても半分ぐらいは専門学校にいくようなそんな場所だった。
こんな場所で育って、一番強く覚えていて、今でも心に刻まれているのが
と家族に言ったところ
「そんなところ、女が行く場所じゃない。女なんて、医療の専門学校や、簿記の資格取っておけばいいんだ。婚期が遅れる。早く子供作って孫(ひ孫)の顔見せておくれ。」
正直、かなりショックだった。そのあといろいろあり親を完全に説得して、理系大学に入って今に至る。
(ちなみに、婚期は遅れませんでした!子供はまだ遅くなりそうだけど。。。)
私は、男女比の資料を見て、実際かなり納得した。田舎ほどまだこのような考えを持つ人が多いのは事実だったんだな。と。
高校の時、進路指導室に行っても指定校推薦みたいなものは確かに男性優先だった。。。のかもしれない。
正直、指定校推薦はも貰うつもりがなかったので、AO入試やら、自己推薦入試やらを活用して自分の力で入学を勝ち取った私ですが、
今思うと、高校の進路指導室でももしかしたら、話半分に思われていたのかもしれないと感じる。
実際、受かった時の進路指導室は大騒ぎでしたし。
ちなみに、田舎だとまだ理系は男の仕事という印象がかなり強いと感じています。だから余計に大騒ぎだったんじゃないかなと思う。
あともう一つ、今でも抜けない感覚がある。
「女は男に尽くすもの」
という感覚。
具体的には、
結婚して、夫に指摘されていろいろ気がつきつつある感覚なんだが、私が生まれ育った田舎だとご飯を食べるのは男性が先。
家事をやるのも、基本女性の仕事。お手伝いなにそれおいしいの。
女は男性を超えることは許されない。
どんな時でも男性が一番。男性のいうことに口答えするのは許されない。
私の夫は都会育ちなので、こういう感覚はないらしい。
私は、こういう感覚を気がついたら意識せず植えつけられていたらしい。
「女に三角関数を教えてなにになる」
みたいな発言をして大問題になりましたが、進学率が地方の女性ほど、私みたいな考え方を自然に植えつけられているのかもしれない。
だから、男性を越えるような行為を行うことはあり得ない、恥だと考えるような感覚が地域に染み付いているのではないか?と今私は思っています。
私はこのような感覚が100%ダメだとは思っていないです。性差で適材適所があるのが事実だとは思っているので。
とはいえど、この感覚で気がつかないうちに自分の才能や夢を諦めさせられている人がいるのは悲しいかなとは思ってしまう。
私はおそらくこのような文化を気がつかないうちにぶっ壊して、今の立場にいるのかなと思っています。
でも、この空気感、感覚が本当にできる人を潰しているのであれば、男女間の教育権利も侵害されているのではないかと思ってしまった、そんな一女性の嘆きでした。
小学校の時はよく仮病でさぼっていた。
野球が好きだったので中学は野球部に入り、わりとまともに練習していたが、他のポジションで上手いやつが自分のポジションにコンバートされ、レギュラーを奪われて以降はほとんどさぼっていた。
もちろん受験勉強もさぼっていたので底辺高校に入学。その高校は不登校になり中退。
今は倍率も上がったそうだが、当時の専修大学二部には自己推薦入試という無茶苦茶な入試があって、作文を二回書いて面接を受けただけで合格した。学力は一切見られなかった。二部とはいえまさかこんなので大学に入学できるとは思わなかった。
そうして専修大学二部に入学したものの、持ち前のさぼり癖で留年。
生活費が無いがバイトをする気にもなれず、学生ローンに金を借りたが、ついに上限の30万に達した。
一応申請すれば上限額は上げられるらしいが、なんかこれ以上金を借りるとやばいことになる気しかしなくてイベント運営のバイトを始めた。
イベント運営のバイトは最初の二時間くらいは真面目に働くが、一回目の休憩が終わった後は次の休憩まで他の派遣会社の控え室にしれっと紛れ込んでさぼっている。
これを30分おきに繰り返し、いろんな控え室を渡り歩く事で終業までさぼることができる。
さぼっている間何をしているかというと別にゲームしたりして遊んでいるわけではなく、ただただぼーーーっとしているか、この記事のようなしょうもない文章を増田とか2chに書いている。
そして俺は今年度で大学を卒業する。金銭的にこれ以上留年できないと親に言われたので卒業するしかない。
でもまだ就活を始めていない。就活もさぼっている。この時期にもなって就活してないやつとか居るんだろうか?まあ友達も居ないのでみんながどうやって就活を進めるかとか全然知らないけど。
こんなさぼり続けた俺に、さぼることしか頭のない俺に就ける仕事はあるのだろうか。向いてる仕事はあるのだろうか。要はさぼれる仕事、だが今時外回りの営業だってそうそうさぼれないだろう。そもそもさぼっている営業マンは成果を出した余った時間をさぼっているだけだろうし、さぼりだけで生きていっているわけではないだろう。
この先どうやって生きていけばいいのかわからない。そういうことを考えるのも今までさぼってきたが、もうさぼるわけにはいかないようだ。さて、どうしよう。
②数学は出来る
③英語は出来る
④どちらもできない
たったのこれだけだ。
①の生徒の多くは国立大へ進学するだろう。文理もあまり関係なく、好きな進路を選ぶ。②の生徒は高校の時点で理系へ進む。③の生徒は理系へ進むことはできなくとも、それなりの大学の文系学部へ進学する。問題は④の生徒だ。彼らが進学を希望する場合、レベルの低い大学に進学するか、あるいは受験科目数が少なく、ペーパーテスト以外の部分が評価の対象となる方法を選ぶことになる。すなわち、現在問題になっている公募推薦入試や、自己推薦入試、AO入試と呼ばれる入学試験に挑むことになる。この入試方法は早期に学生数を確保したいという大学側の思惑と、一般入試では合格することの難しい大学に進学できるという受験生の思惑が合致し、一見すれば双方にとって都合のよいシステムとなっている。しかしながらこの④の生徒を受け入れることは大学にとっても泥水を飲むことに等しいのもまた事実だ。そもそも学力が一般入試組と離れているため、講義についていけず不登校になったり、大学全体の悪い噂が広るなど、結果として大学全体のブランドを貶めることにもつながりかねない。もちろん、全てのAO入試がこのような経営側の視点によって実施され、不毛な結果を生んでいるわけではない。例えば私学でもトップクラスの大学であればAO入試は十分に機能するシステムだろう。もちろん、そのような大学のAO入試は④の学生では受からないようになってはいるが。ただ問題は日本中に山のようにある「それ以外」の大学なのだ。
ちょうど、
という記事が話題になっているが、④の学生を採るということは、このような事態を生む原因を作ることとほぼ同じ意味を持つ。少し考えてみて欲しい、英文を読む必要があるときあなたはどのような行動をとるだろうか。おそらく多くの人は文章全体にざっと目を通し、わからない単語や熟語を辞書で調べようとするだろう。しかし彼らは違う。その場でフリーズしてしまうのだ。英文を読むためにするべきことがそもそもインプットされていないので、どうすることもできない。そのため大学でそこから教える必要がある。
「大学はそのような人間の来るところではない」というのは至極全うな指摘だと思うが、既存の大学(特に一定レベル以下の)が生き残るにはもはや彼らを受け入れるしかない。この流れを止めることは誰にも出来ないだろう。