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2020-07-21

書いたな、俺の前で、アクタージュの話を!

anond:20200715160608

まりはそういうことなんだが、アクタージュ好きなんよ。私はね。

ちょっと前にチェンソーマンおよび藤本タツキ激推しお気持ち文書いたんだけど、この増田に対してあのレベル激推し文が書けるほどのバックボーンが私にはない。ただアクタージュってワードに反応して語りたく成った迷惑早口キモオタだ。許せ。

漫画マニアなら、演劇漫画と言えば大御所大御所金字塔金字塔ガラスの仮面が思いつくだろう。累も大好きだけど、あれは演劇主体かと聞かれたら微妙なところだ。アクタージュの凄さ面白さは、ガラスの仮面を下敷きにしながらきっちり少年漫画に落とし込む上手さ、現代性の取り入れ方だ。演劇なんてジャンプっぽくない題材で、どうやって少年漫画に落とし込むか?という方向性に疑問が行くだろう。しかし、違うのだ。元々のガラスの仮面、このガラスの仮面こそが、極めて少年漫画的で、かつ化け物じみた少女漫画なのだ

ガラスの仮面において、しばしば主人公マヤ狂気性がクローズアップされる。どれだけ弱めても「狂気」だ。少女漫画はえてして、人間関係のドロドロを誇張含めて描きがちであるガラスの仮面ファンも、アンチも、なんとなく読んだことがある人も、「こいつはヤバい」と思っただろう有名エピソードとして「泥まんじゅう」がある。ネタバレは出来るだけ避けるが、この狂気性はどうしても伝えたい。ガラスの仮面をこれから読む人でネタバレが気になる人はさよならだ。まあ流石に居ないだろ。

基本的には、マヤは「月影先生や速水の寵愛を受け、美味しいところを持っていく」役柄で、作中でもきちんと周りから指摘され、嫉妬される。なろう系のように「さすマヤ状態にはならない。それこそ、ほぼ殺人未遂の石(本物)を舞台上で投げつけられたりする。まんじゅう泥団子すり替えられたりする。さすがのマヤも手が止まる。だが、「おらぁトキだ!」と、マヤが演じるトキになりきって、泥まんじゅうを満面の笑みで食ってしまうのだ。もはや「さすマヤである。あまりにも強烈過ぎる自己否定だ。彼女マヤではなく、あの瞬間、間違いなくトキだったのだ。マヤは、自らがマヤであること、演技力がある人間であること、紫のバラの人に憧れを抱く人間であることなど、そんなアイデンティティほとんど執着がないのだ。劇中で自分ではない何かに成った自分こそが彼女アイデンティティなのだ物語に没入していなければ「なんだこいつ」だし、没入してても「狂気」だ。「演劇をやりたい」という極めて明確な目標を元に、自分すらも捨て去る。演劇主体として見ればとても少年漫画的であり、生き様としてみれば少女漫画エッセンスがこれでもかと濃縮されている。不朽の名作だ。

さて、アクタージュの話だ。主人公の夜凪景は、いわゆる演目になりきる憑依型のアクターだ。まんまマヤであるさらライバルキャラの百城千代子もほぼ亜弓である。そして主人公演劇界に引っ張り上げた演出家には、いつかやりたい「幻の演目」……当然ながら「ガラスの仮面」への類似性への指摘されるし、あの名作と比較してどんな差別化をしてくれるのか、と比較される読み方をされていたと思う。ガラスの仮面を読んだことがない人も、ガラスの仮面ファンにも、ちゃん面白いと思ってもらわなければ連載は続かない。

アクタージュは、必ず「この人はなぜこうなったか」「なぜそれができるか」「なぜそうするか」が描写される。つまり描写される演技には必ず「アクター個人としての」アイデンティティが関わってくるように描かれている。ガラスの仮面のあまりにも強烈過ぎる自己否定など、微塵もない。この一点こそ、マヤと夜凪の、ガラスの仮面アクタージュの決定的に違うところだ。ガラスの仮面ファンもニッコリ。

そしてもう一つ大きな違い、「個と組織」の違いだと考えている。ガラスの仮面は圧倒的に「個」だ。読めば分かるが、ガラスの仮面組織組織の強みを生かしたシーンが実は少ない。組織の良くない、ドロドロしたところの描写のほうが多いくらいだろう。マヤ理解である月影先生劇団主催ではあったものの、強烈な周りに理解されない天才、「個」だ。速水さんも明確な「個」である。強烈な個がぶつかり合う様でガラスの仮面は成り立っている。

アクタージュは、組織的なものちゃん組織として役割を担っている。それだけだと、ただ主人公ライバル活躍するだけの漫画かと思ってしまうが、きちんと「組織」が役柄をもっているため、組織の存続に関する視点が本筋に関わっていく。商業的な視点も取り入れながら、きちんと少年漫画をやっている。実に現代的な視点であり、ガラスの仮面リバイバルとしても十分に面白作品となっている。ガラスの仮面知らない人もニッコリ。

強烈過ぎる自己否定からくる演技への執着、それによって誰にでもなる、なってしまガラス「仮面」マヤ、時には暴走するが、自らのバックボーンを捨てることなリアル演出する「アクター」ジュの夜凪。対比として美しいって書いてて思った。

どっちかのファンでもどっちも知らない人でも、片方読めば楽しめるし、両方読めば4倍楽しめる。1+1で2じゃないぞ、2の2乗で4倍だ4倍。読んでくれ、特にガラスの仮面

2020-06-12

僕ヤバ:ミルクティ問題

解決考察

僕ヤバの楽しみのひとつは埋め込まれ考察ポイントの答え探しなのだが、いくら考えても検索してもスッキリした答えが見つからない事も。

その最たる1つが

ミルクティーは何故、山田初恋の決め手となったのか」

という事で、未だに完全に納得できる説明を見つけられずにいる。

ミルクティー登場の状況確認

重要アイテムミルクティーが登場したのは職業見学編の最後

マンガ編集部見学を経て市川の新しい面を知った山田市川への意識を強めていくなか、

山田ミスで二人は他の班員とはぐれてしまう。

自責の念から顔を伏せて落ち込む山田

飲み物くらいはいいだろ」と市川差し出したのがミルクティーだった。

手渡されたペットボトルミルクティーだと気付いた山田自分でもわかるほどに赤面、顔を上げられなくなってしまう。

山田の心に何が起こったのか

この瞬間山田が恋に落ちたのは「片想いの終わりに」と言うのりお先生コメントもあって間違いないと思うのだが、一体このときに何が起こったと言うのだろう?

まず、山田の表情からして難しい。

「ありがとう」でも「優しいね」でも「嬉しい」でもなく「緊張まじりの驚き」。

もし市川が正体を隠した殺人犯ミルクティーが決定的証拠なら、

「そうか、こいつが犯人なんだ・・・!!」

と気付いてこんな顔をしそうな表情。

要するにこの場面では何か重要な事に気付いたのだろうし、目一杯顔を赤くしている事から市川が私を好き」か「私は市川が好き」のどちらかだという事は間違いなさそうに思える。

山田が恋を自覚するのが karte.30 という前提を踏まえれば消去法で「市川が私を好き」と気付いたと考える他ない。

ミルクティーは「決定的証拠」なのか?

さら問題なのは、なぜそういった気付きがミルクティーを見た事で引き出されたのか?という事。

飲み物くらいはいい」「ミルクティー」の合わせ技で市川職業見学の朝の山田達のやり取りを気にかけていた事は分かる。

なんならツイヤバの「好きなものクイズ」を覚えていたとしてもいい。

だとしても、それだけで市川山田を好きと確信するには弱すぎる。

第一ミルクティーが決め手なのだとして普通

 ミルクティー?

  →え?なんで知って?

  →もしかして市川・・・

  →赤面

くらいのステップを踏みそうなところを、

 ミルクティー?

  → 赤面

なのだありがとう一言をいう間もなく、一瞬で気が付いてあの表情。

何か思考ショートカットする要因があるのだろうか??

例えば「君オク」にそういうエピソードがあるという類の。

正直、この線での検討手詰まり

まったく別の仮定

このとき山田が気付いた事が、まったく想定外な事だったらどうだろう。

例えば、山田はこの時初めて「ご自由にお使いくださいティッシュ」の主が市川だと気付いた、とか。

顔を伏せて落ち込む山田は涙を流しており、それを不器用な優しさで励ます様子は karte.15 を連想させなくもない。

山田はあのティッシュ大事に取っておいているし、もし誰の仕業か気づいていないのだとしたら「紫のバラの人(古!)」的に心の拠り所にしているかもしれない。

市川がその人と気付いた瞬間、あんな顔もするだろう。

でもこの説は当然ダメ

ティッシュ市川仕業と気づかないと、そもそも山田市川に心を開く理由が無くなってしまう。

こんな具合で

結局よくわからないのだった・・・

とりあえず、ミルクティーは市川がいつも山田大事に思ってきた事の表れ、と言うことにして何とか飲み込んでいるが、このモヤモヤを晴らせる日は来るのだろうか。

情報求む

2016-05-05

ノエル呪いと援助

例のノエルくん。N高に通うらしい。逮捕鑑別所に入れられて、その後なんかうだうだやっていたそうだ。

http://kai-you.net/article/28504

そういえば、ノエルくんが何をしているかからない間、「高校辞めてプロゲーマーになる!」と豪語して周りから失笑ときつい説教を受けた高校生がいた。

http://togetter.com/li/947722

彼のことを例のノエルくんと比較してコメントしている人間は少なからずいた。

ノエルの超越者と、件の高校生の囲いは、同じタイプ人間だ。現金を出すだけ出してあとは知らんぷり。なんとなく頑張って欲しいとは思うが、それ以上は何もしない。

この点、ガラスの仮面紫のバラの人は本当にすごかったと思う。彼は北島マヤ現金支援をしていない。高価な化粧セットとか、期間限定で別荘を使わせてあげるとか、先生の病室を手配してあげるとか。お金がらみでいうと学費の援助と劇場の改修くらいだろうか。劇中を通してみても、マヤ自由に使えるお金紫のバラの人が援助した描写はない。あくまマヤの「演劇」を援助したかったのかもしれない。そしてこれらの支援マヤ事実上芸能界/演劇界から干された時期でも継続していた。

無論、漫画現実を比べるな、というご意見が来てもおかしくはないが、マヤが苦労の連続なのに対してドローンのひともプロゲーマー志望のひとも人生なめくさってる感はある。

まあ人生なめくさってても、別にいいんじゃないの?とは思う。それでイージーモードだと感じるままに人生終了しても楽しいと思えたならそれはそれでいいんじゃないの?とは思う。それもそれで人生だろう。人生楽しいと感じれるなら人生とか社会とかなめてても人生楽しくないと思えるよりはマシなのではないか?

そう思うのは自分自分の周りがそれなりに苦労してるであろう人しかいなくて、というか人って程度の差はあれ人生の中で苦労をしていて、なんの苦労もないまま人生を終わらせる人ってこの世にいるのかな?って思うだけなのかもしれないけど。

彼らについては、人生なめくさっているというよりは周りの人を見下す中二病感覚自分は感じている。それを人生なめてるっていうのかもしれないけど。

ノエルプロゲーマー志望を見てて、学校みたいな小さな社会の中では「普通じゃない人間をどう支援していくのが正しいのか、はなんとなく考えることがある。自分収入はそこそこあるけど家庭を持つことは考えていないので、なんとなく、顔を合わせなくてもいいから見ず知らずの子供を助けたいって言う気持ちが時々ある。それはStudyGiftのアレでも、ドローンでも、プロゲーマー()でもない、家が貧しいとか、何がしか施設に通っていたりとか、イジメに遭って不登校になったりとかで、本当に何がしか支援を求めている、求められているこどもたちに対して。少なくとも「個人に直接現金を送る」は駄目っぽいのはノエルとかプロゲーマー志望とかを見て思った。なんか変に増長させるから。でも、施設や団体を通すならモノよりはやっぱりお金なんだろう。自分とある施設に通っていたことがあり、同じような施設お金を送りたいと思うんだけど、「ここに振り込んで欲しい」っていう銀行口座もないので困っている。現金書留になるんだろうか。それとも銀行口座のある団体を選べばいいんだろうか。

2015-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20150816205944

昔の少女漫画70年代あたりの)では高校教師やら青年実業家やらと女子高生というカップルが割と定番扱いされているよね

ガラスの仮面マヤ紫のバラの人なんかもそうだし、スポーツマンガコーチと恋仲な展開ってのも多かった気がする

時代性なんじゃないかなあ

80-90年代少女漫画定番といえば同級生か同じ学校の先輩だったと記憶

そんな中にあってぼくの地球を守っては思えば異質だったかもしれない

2012-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20120320054947

うさドロのあれは男性にはむしろ不評だったような気がする

女性向けで、あしながおじさんや丘の上の王子様、紫のバラの人の亜種なのだと思う

血の繋がりのない保護者結婚するってのも女の夢の一つだから

光源氏と若紫もそうか

 
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