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2014-01-16

伊勢参りと家制度

知らない人も多いのかもしれないが、伊勢の神宮に参詣することが全国的に定着したのは江戸時代以降のことだ。

そもそもは、伊勢の神宮は、皇祖神である天照大神の寝所に相当するもので、皇族ならばいざしらず、一般庶民訪問するなんてもってのほかなのだ神宮皇族の家であり、皇族でない者にとっては他所様だ。近ごろ赤福経営者が「外国人観光客伊勢神宮に来るのは不本意だ」という主旨の発言をしていたが、そもそも、日本人であっても一般庶民神宮に参詣してはいけなかったのである

ところが、江戸時代神宮が一般庶民に開放されて、一般庶民訪問が可能になった。その背景には、国家という「家」意識があったのだろうし、また、一般庶民にとって皇族将軍家などが憧憬の的だったことがあるのだろう。

そもそも江戸時代よりも前には、一般庶民の多くには移動の自由がなかった。特別な理由がなければ他所土地に入れてもらえない。そして例えば奈良時代には朝廷に納税するために村代表奈良まで行っていたが、荷物のすべてが納税品なので、帰り賃なんて持っているわけがなく、奈良で野垂れ死ぬホームレス化するかという使い捨てだった。ということは、お伊勢参り流行した江戸時代なんていうのは、経済的成熟していて、しかも個人の観念が発達もし、だから観光旅行流行ったのである。いまならば「一生に一度は地球一周旅行をしたい」なんて言う人がいるが、江戸時代の移動手段や科学技術レベルからすれば「一生に一度はお伊勢参り」という話なのである。お伊勢参りだとかおかげ横丁だとかいうのは、江戸時代にはもう資本主義市場経済成熟していたことの表れだ。

さて、いまも「総氏神」と言って神宮の神札を一家にひとつ祀るという考え方を、そもそもの神宮司庁伊勢)や神社本庁東京)が流布している。その「総氏神」という発想はつまりは、天皇を頂点とする国家という家制度思想の表れだ。一種の国家神道だとも言えるのかもしれない。

本来は、天皇家は私のようなパンピー(笑)とは異なる家・血族なのであるからして、庶民は、血族・産土神自分所属)を祀るのはもっともでも、神宮の神札を祀ったり、ましてやお伊勢参りをするなんて、きわめて奇異なことなである。そもそも、失礼だと思う。私は純然たる保守なので、そう思う。一般国民なのに神宮の神札を祀るというのは、国全体を家ととらえた「家制度」をみているかなのだ

しかし残念ながら、「保守」を自称する多くの人たちは、さかのぼってもせいぜい本居宣長くらいで、つまり江戸時代くらいにしかさかのぼっていない。江戸時代なんて、日本史ではつい最近ことなのに。前述した通り、江戸時代にはもう資本主義市場経済成熟していた。丁稚という「会社員(笑)もいたし、江戸京都大坂などという大都会では個人の観念が定着していて「観光旅行をしたい」と言っていたわけなのだ。「保守」と言う割には明治江戸くらいにしかさかのぼらないなんて、なにを日本古来の文化だと言うのだろうか。私にはわからない。

 
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