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はてなキーワード: 神使とは

2015-03-12

「ネヲチ界のケルベロス」と呼ばれたころのkanoseを知らない人間

幸せだ。

無垢そうなヨークシャー・テリアである彼をただ愛でていればいい。

でも私達は覚えている。

狂犬のひきつった嘲笑を。

血に塗れた牙の鈍光を。

昔は誰もが知っていたのに、今となってはもう存在すら忘れ去られてしまったidたちの断末魔を。

人は彼ははてな村村長だと言う、あるいは長老だと言う。誰もが畏敬する。

なぜだ? ただ古参だというだけで、ただ居座った、意地汚く居残ったというだけでそこまで?

間違えるな。彼は居座ったのでも居残ったのでもない。

「生き残った」のだ。

かつて、はてな戦場だった。今となってはもう語るものすらいないほどの昔の話だ。だが事実だ。

そこは天上の地獄だった。毎日だんじり祭だった。憎しみが連鎖し、血が血であらわれ、idコール果し状がわりの白い手袋マッチョウィンプのケツを掘り、非モテどもには要は勇気がなかった。そんなキリング・フィールドで「ただ生き残る」ことがいかに至難であったか。あの時代を体験した人間で、自らの手を汚さずにいられたものなどいなかった。

そうして、上から目線ゲームバベルの塔ばりの高さに達したとき、かつてはてなでバトルを繰り広げたバトラーウォッチャーたちは神の怒りに触れ、そんじゃーねとばかりに現実へとディアスポラし、転職したり共著を出したり単著を出したり映画化されてみたりTBSラジオでメインパーソナリティを務めたりインターネットバカ暇人のものにしてみたりモテないやつは脳に問題があると言ってみたり秋ごとに翻訳小説ハゲラッパーに紹介したりメンヘラとヤったり自分が死んだあとの世界を計劃してみたり女子高生野球部マネージャーピケティを読ませてr>g野球に目覚めさせたりした。

名も無き弱者たちは地下へと潜り、今は増田と呼ばれる非ブログアクターとして現代はてな社会を新しい暗黒に追いやっている。

だが、彼だけは違った。

彼だけは、はてなを離れなかった。離れられなかった。なぜか。神がその存在を許したからだ。ここに在るように命じたからだ。

疑うなら最寄りの神社へ行ってもらいたい。

門の両脇に据えられた、二匹の犬の像を認めるはずだ。

彼らは地上につかわされた神使であり、エジプトスフィンクスなどとも起源を一にするという。

向かって左の犬の像は、阿形、すなわちサンスクリット語における「しなもん」を表し、

向かって右の犬の像は、吽形、すなわちサンスクリット語における「ケンケン」を表す。

はてなには狭き門も広き門もなく、ただ遺物ARTIFACT)を護る番犬がいるだけだ。

私達はその犬を、犬たちを畏れる。彼らは古参から。彼らは生存者だから。彼らは勝者だから

私達は犬たちを忘れることができない。

犬たちは不滅だ。たとえ肉体的な死を迎えたとしても、その眼は常に生き残る。左の犬の眼は私達を愛し、慈しむ。右の犬の眼は私達を監視し、専制する。

「カノセ」は「カオス」がなまった言葉だという。私達はそれを信じる。

はて「な」を「支」配する「者」、秩序(コスモス)を司るしなもん対置される混沌。陰と陽。ふたつでひとつ世界

しなもんとはkanoseであり、kanoseシナモンである、というのは単に「神とは神のことである」とトートロジックに言明しているにすぎないだろうか?

そう、彼らは神である。自らに命令し、自らに従う最上位の権力だ。

今なら私達はローマの偉大なる詩人ユウェナリスの疑問に応えることができる。

"しかし、誰が見張りを見張るのか?"

私達はその犬の名前を知っている。その半身たる半神は今もここに在る。

すべてはしなもんkanoseの導きのままに。

http://anond.hatelabo.jp/20150312042513

 
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