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はてなキーワード: 石仏とは

2023-09-18

ドイツ世界文化遺産リベラル破壊されたってニュースでやっていた

振り返ってみれば21世紀になってからも、バーミヤン石仏タリバン破壊され、古代都市ハトラがイスラーム国に破壊されたし、オデッサの街はプーチン破壊された。

政治素人の目には酷いことするなあと映ったけど、厳格な政治思想を貫くためには、世界遺産であっても最低限破壊するしかないこともあるんだろうな。

でも、東西冷戦が終わった後のドイツ文化財まで対象になるのは意外だった。

2023-05-24

anond:20230524173737

タリバン立場からすれば破壊するのは当然」と「だから私は石仏破壊を悲しまない」は異なるぞ

anond:20230524172213

たとえばバーミヤン石仏の爆破には仏教徒以外も怒っていたがそういう感情理解できない?

2023-03-26

希望のたね基金は着服されているのでは?

https://anond.hatelabo.jp/20230326003519

の続き

韓国マリーモンドの名前だけ借りて資金源に

マリーモンドジャパン 2周年記念イベントのお知らせ

2020/11/20

ここからわずか1年後、韓国マリーモンドは終了している。

https://www.marymond.jp/post/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AA%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B :<マリーモンドからの大切なお知らせ>]

2021年12月1日

マリーモンドを応援してくださっている皆様、ありがとうございます

既に韓国では公表されているのでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、マリーモンドは2021年11月をもって、活動を休止することになりました。

マリーモンドは2013年に韓国若者たちが立ちあげました。「慰安婦」にされた女性たちの尊厳を取りもどすために、一人一人の人生を学び、彼女たちを象徴する花を選び、その花をモチーフにしたアイテム販売し、その利益を「慰安婦問題教育支援寄付していくというスタイルで、多くの人々に支持されるブランドとして成長してきました。また、その活動は「慰安婦問題にとどまらず、児童虐待被害者支援、性暴力被害者支援へと拡大し、暴力のない、人権尊重される社会を実現するために行動する企業として歩みを進めてきました。

2018年にマリーモンドジャパンをたちあげ韓国運動連帯してきた私たちも、今回のマリーモンド本社活動休止を、辛く悔しい思いで受け止めています

マリーモンドが休止に追い込まれた背景には、フェミニズムに対するバックラッシュ人権平和を守ろうとする運動に対するバックラッシュがあります。「慰安婦問題に取り組み続けてきた団体への理不尽攻撃や、メディアによる誹謗中傷にも関係者は苦しめられてきました。それはマリーモンドが継続できなくなるほどの力となっています

そのバックラッシュ空気は、「慰安婦問題に関わり続けてきた私たちには痛いほどわかるものです。だからこそ今、韓国マリーモンドが切り拓いた希望や、意思を絶やさずに継続させ、韓国との連帯意思を表明するための取り組みを、日本から発信したいと思います。そのため2022年以降、当面の間、マリーモンドグッズの販売日本を中心に行っていきます

(略)

新しい商品制作の準備や、韓国の休止に伴う商品の整理などにしばらく時間を要しますが、これからマリーモンドジャパン活動を、多くの方のご協力をいただきながら進めてまいります韓国マリーモンドと共にある、これからもある、という思いでブランドを大切に守っていきますので、今後ともマリーモンドを一緒に育てていっていただけるよう、心よりお願い申しあげます

キボタネマリーモンドの名前を借りているだけでなんの関係もない

マリーモンドジャパン2018年12月にはじまりました。3回目の冬は、すこし寂しいお知らせになってしまいましたが、新たな出発の月にもなりました。

皆様への感謝を込めて、ポップアップショップセールを開催します。東京大阪で同時開催です。ぜひ皆様、ポップアップショップにいらして下さい。

またマリーモンドジャパンとしてエシカルエコバッグ制作を行います。これについても随時ご案内してまいります

マリーモンドジャパンの売り上げは、「希望のたね基金」の活動費、韓国マリーモンド再生のために使用されます

なんのことはないキボタネ資金源なのである

ところが法人解散してしまった。するともう韓国マリーモンドどころか、人身取引組織支援である希望のたね自体再生課題となってしまった。

にもかかわらず寄付金をこんな使い方

韓国旅行をしている。

JudyさんはTwitterを使っています: 「@himasoraakane @YouTube 「あの団体」御一行様ですが… 3月22日 正義連の水曜集会に参加していました。 https://t.co/okcohd1eWW」 / Twitter

https://twitter.com/SXMKPQtD7a4OB2F/status/1639586449044672512

このツィートは確認した

表記揺れ:양징자 梁澄子 ヤンジンジャ ヤン・チンジャ

23.03.21 16:32l最終更新23.03.21 16:33l

ユン・ソンヒョ(cjnews)

希望種子基金日本青年たちは3月20日に陽山を訪れ、「キム・ボクドンの道」を通った

ⓒキムボクドン平和公園陽山市民推進委

日本青年たちが日本軍「慰安婦被害者であるキム・ボクドン(1926~2019)、祖母の慶南(キョンナム)量産生家を探して22日、ソウルで開かれる「水曜集会」にも参加する。

21日、キム・ボクドン平和公園陽山市民推進委員会(下記推進委)は、希望のたね基金代表ヤンジンジャ)が日本青年20人余りと一日前日(20日)の陽山を訪問し、「キム・ボクドンの道」を歩いて関連活動を行ったと明らかにした。 。

2017年6月日本で結成された「希望のたね基金」は翌年から韓国青年ツアーを進めてきている。 コロナで中断されてから3年ぶりに日本青年たちと一緒に訪れたのだ。 この団体2015年慰安婦関連した日韓合意以後、日本で「若い世代事実を正しく知らせよう」という趣旨で結成された。

「キム・ボクドンの道」は、メギドゥル村学校で量産を人文学観点体験するために開発した地域教育プログラムの一つで、キム・ボクドンおばあちゃんの生家から小説スラド>の中の日本慰安婦共出場所である土橋まで続く区間だ。

特に非営利団体の「キム・ボクドン希望」が民主化運動記念事業会とともに昨年10月末に「キム・ボクドン希望学校」を開き、量産を訪れて「キム・ボクドンの道」を回答しながらさらに知られた。

ヤンジンジャ代表は「コロナ19で青年期が中断されている間に状況が変わった。 なくなった」とし「これまでおばあちゃんたちはずっと帰ってきて、もう直接会える方を見つけるのが大変な状況になった」と話した。

ヤン代表は「生存者に会えない世代として記憶継承していくためにどんな活動をしなければならないのか考えなければならなかった」とし「そんな中、「キム・ボクドンの道」の存在を知り、記憶継承する良い事例だと思った」と付け加えた。 。

少女像見た日本青年質問「どんな力が市民動かせるのか」

青年たちはこの日ソウルからリョウサンに来て、推進委執行委員・会員たちが出て歓待した。 パク・スヨンさんは、金の祖母の生家で故人の生涯を日本青年たちに聞かせた。

当時通っていた住民も関心を見せて応援した。 参加者たちはキム・ボクドンおばあちゃんも歩いた道に沿って量産南部市場サムジ公園に移動した。

サムジ公園には日本慰安婦被害者を称える「少女像」がある。 推進委はここで「金福洞平和公園平和少女像」を市民の手で作ろうとする意義と進行経過を話した。

この時、日本のある青年は「どんな力が市民をこう動かせるか」と尋ねた。 これにイ・ホンスさん(ヤンサン)さんは「あまりに遅く分かるようになったごめん」とし「キム・ボクドンおばあちゃんの訃告」を新聞報告書だと量産での日本慰安婦病気歴史を知ることになってごめん、故郷で一緒に戦わずキム・ボクドンおばあちゃんだけ 苦軍奮闘させた申し訳ない」と答えた。

続いて参加者たちは春秋公園にある春秋園寺を訪れた。 ここはキム・ボクドンおばあちゃん1947年帰郷して壊れた体と心を療養したところで、おばあちゃんが療養される前には母親が石火を持って置いて引かれた娘が無事に戻ってくるためにいつも訪れた場所として知られている。

当時、キム・ボクドンおばあちゃん母親が持っていた石仏は、まだ法廷の隅にある。 日本青年をはじめとする参加者たちは石仏の前にお寺に参拝もした。

イ・ジヤン執行委員長は「切る姿は痛みを一緒に覚えている人々の切実な祈りだった」とし「春秋原師を出る道には天理香の香りがいっぱいだ。 同行する私たちの心が天理万里に広がり溢れることを望む心だったはずだ」と話した。

日本訪問青年たち、22日需要デモ参加

希望のたね基金青年ツアー最後場所として通道士白蓮がんを訪れた。 ここにはキム・ボクドンおばあちゃんが立てた石などがある。 彼女1992年に公開証言を皮切りに日本慰安婦問題解決のために国内外活動し、以後釜山にしばらく拠点を置いてここに石などを建てた。

執行委員長は「おばあちゃん証言し、日本軍の戦争犯罪証拠が生きて証言するにも日本は認めようとしなかったし、日本慰安婦問題解決兆しがなかった」とし「おばあちゃんは休息のため釜山に降りてきて、その年が 1999年だ。1947年帰郷ほど体も心も疲れただろう」と話した。

彼は「釜山に降りてきて、おばあちゃんは通道師白蓮岩に石灯を見た」としながら「石灯を見てどんな心だったのか私たちは推測すら難しい。 ソウルに行った」と説明した。

キム・ボクドンおばあちゃん最後まで祀ったキム・ドンヒ「キム・ボクドン希望運営委員青年期行に共にした。 彼は「おばあちゃんは「私は希望を持って生きています。私に従ってください」と言われました。 心を読む"と目を覚ましたりもした。

希望のたね基金青年ツアーは推進委に平和公園造成に使ってほしいと20ウォン寄付し、推進委は「平和少女像」が描かれたバッグと「キム・ボクドンバッジ」をプレゼントした。

推進委は22日から今後毎週水曜日午後4~6時の間、量産イマートの前で「キム・ボクドン平和公園平和少女像作り水曜活動」を繰り広げる。

去る18日韓国を訪問した希望種子基金青年たちは22日景福宮見学に続きソウルで開かれる'第1588次水曜デモ'に参加した後日本に帰る。

김복동 생가터 찾고 소녀상 앞에 선 일본 청년들 - 오마이뉴스

20ウォン不正送金しか言いようがない。事故がなかったのが幸いだ。もし事故が起きたらアイセックのように誰が責任を取るのかよくわからない状態になっていた。

たこお金はどこから出しているのか。法人はもうないのである本来法人名前では出せないはずである

しか実態のないペーパー団体手続きは困難が伴う

登記をこのままにして活動することはできない。会社のような法人と違い、税金はかからないのだろうが。

契約はすべて取り消すことができる。なぜなら、法人格が存在しないかである。おそらく課税されないか放置しているのだろうが。

しかし、その一方で登記再生するには、まず過料に処せられる可能性がある。

次に正義連にいつ、いくら払っているのか。

募金いくら正確に扱っていようが、そもそも韓国国内の活動違法である

にもかかわらず法律無視して集金して使っている。

本来清算手続きのはずである

太田啓子のような弁護士もいて、全く何もしない。

認知プロファイルすると、この団体法人登記住所には誰もいないため、法務省からの通知も気づかなかったのだろう。つまり実態のないペーパーカンパニーであることがわかる。

ということであれば、韓国旅行している以上、希望のたね基金は全く実体がなく、양징자が寄付金を一人で使っていたにすぎないということになる。

オーマイニュースには希望のたね基金ツアーと書いてあるので、個人的旅行だという主張は無理である

さら正義連は批判されこそすれ、同情する余地は全くない。慰安婦をかわいそうだとか、なにか支援したいと思うときには絶対正義連の関係者取引してはいけない。こいつらは完全にクズだ。

寄付の停止を

以上から、この団体には実態がまったくないうえに、代表者が個人的お金を使い込んでいる可能性が高い。

以上から寄付したり、マリーモンドの製品を買ったりしてはいけない。

HPにもある通り、もはや慰安婦とは関係がないことが明らかである

さらにもとの正義自体韓国刑事告訴されている。他ならぬ慰安婦証言きっかけに、である。したがってファクトチェック以前に直ちに謝罪すべきなのである

でなければ慰安婦告発無視する以上、慰安婦なんて本当はどうでも良くてお金儲けの道具にすぎないという連中でしかない。

また、法人格はない以上、現時点では契約したり、お金を受け取ったり支払ったりはできない。例えばマリーモンドの商品を買おうとしてお金を支払っても商品は来ない。なぜなら、法人格がないのでそのお金がどこに行くのかがわからいかである

2021-10-03

NHK特集シルクロードをもう一度見た

40年ほど前の番組だ。

子供の頃に断片的に見ていたけど、何しろビデオもろくに普及していない時代だ。

見るのも途切れ途切れになってしまい、終わりの方は全然見れなかった。

それでも、メインテーマとともにはっきりと記憶に残っている番組だ。

中国は唐の都長安、いまの西安から西へ向かうシルクロード旅路を伝えるドキュメンタリーだ。

数千年に亘る歴史が積み重なった土地のかつてと今をこれでもかと見せてくれた。

敦煌楼蘭天山山脈といった異郷への浪漫を駆り立てる番組構成は、当時の大ブームにもなった。

自分より少し上の世代中国好き、シルクロード好きになった人間は、結構な率でこの番組の影響を受けていると思う。

それがNHKBSで再放送されていたので、録画して少しずつ見ていった。

今見ると、日中共同取材班という名前中国共産党・人民解放軍の全面協力の下に作られた番組だったのがはっきりとわかった。

覇権主義に陥る前の、それ自体は友好的なもので、当時の門外不出のような情報ばんばん出てくるわ、よくそんなところまでカメラが入るのを許したというかヘリまで使ってどんだけ協力してるんだよという場所映像がどんどん出てくる。

こんな番組を見たら中国好きになるのも納得で、それから数十年くらい日本人中国観をかなり友好的にしたんじゃないかと思う。

現地に旅行に行った人もいっぱいいたそうだし、そのまま中国との商売日中友好のために活動するようになった人もいただろう。

この番組がなかったら、その後の中国への日本投資もだいぶ違ったのではないだろうか。

なにも証拠は挙げることはできないけど、少しずつ世界史を変えることになった番組ではないか勝手に思う。

牧歌的景色の中に、ウイグル生活侵入していく道路鉄道と、中国共産党によってあの地の生活が変えられていく予兆のようなものが伺えるのは怖かった。

あそこで笑っていた人々の多くは40年も経って大半がもう亡くなっているだろうけど、自分と歳の近いあの子たちは今どうしているだろうと思ってしまう。

第二部に入って中央アジア突入するとかなり印象が変わる。

良くも悪くも中国共産党の協力が無くなって決められたルートが消え、かわってソビエト科学アカデミーの協力とともに旅路が多岐にわたるようになってくる。

まだソビエトが現役だったこであるという事実とともに、それからの四十年であれほどの大国が消えたということがシルクロードをめぐる国家興亡の歴史の最新の一ページになっているとも思う。

かのバーミアン石仏破壊される前の姿が番組で記録されていないのは、かつてのソ連アフガン侵攻の影響で取材班が入れなかったかなのだそうだ。

それでも、NHK取材班の人々の冒険家ぶりには何度も心躍らされた。

何十年ぶりかで人が訪れた砂漠廃都とか、歴史上初めて日本人が訪れたことになる山間部の村とか、四人もの通訳を介してようやく取材できる古い言葉とか、NHK取材班自体シルクロードを行く旅人のものとなって歴史を記録していく様が残る。

シリア砂漠では、数十年前に終わってしまったラクダキャラバン隊に参加していたかつての少年が成長したラクダ牧場の主を見つけ、シルクロードキャラバン旅路再現を頼み込んで、それを実現してしま旅路の記録を撮影していた。

民族故郷の地から遠く離れても続く結婚風習商人たちが集う市場に集う食材や茶、纏う色鮮やかな服と絨毯、そこに息づいていた確かなシルク足跡とそれを作る技術の伝来は確かにシルクロードの記録だ。

現代に生きる自分にとっては、当世風の見慣れた異世界よりもはるかに物珍しい、それは異郷の数々の確かな記録だった。

あれからの四十年で消えてしまったものの、最後の記録となったものも山ほどあるだろう。

グローバリゼーションインターネット世界は大きく激変し、風習が消えた村も人が消えてしまった村もたくさんあるだろう。

現に、シリアにあった数々の美しいものたちは、その後の内戦瓦礫となってしまった。

長安からの長い長い旅路の先に、ボスポラス海峡渡りアッピア街道を走り、NHK取材班がついにローマにたどり着く光景には、言いようのない感動を覚えずにはいられなかった。

取材班が到着した日にイタリアラジオニュースで、取材班の到着を現代マルコポーロに喩えた報告がなされていた、と番組中で説明されていたのはメタ的で笑うしかない。

だがマルコポーロのたとえも過言ではないと思う。

取材は足掛け五年に及び、訪れた国の数は二桁に及び、映った人の数は万を数えよう映像の数々はさながら見聞録だ。

世界が近くなってしまった今、これほど遠大な紀行番組が作られることはもはやないだろう。

世界が変わってしまった今、あれと同じ光景は二度と撮ることはできないだろう。

だが、子供の頃に見られなかった旅路の果てに、ようやくにたどり着けた。

ありがとう、かつてのNHKありがとう再放送してくれた今のNHK

2019-02-17

ちかん情報など(岩倉市石仏町)

https://www.gaccom.jp/safety/detail-323794

■発生日時

2月16日(土)午後11時40分頃

■発生場所

岩倉市石仏中屋敷地内の駅

■状況

男が女性に対し、下半身露出した

不審者

男1名、40〜50歳位、170cm位、ダウンジャケットハイヒール

 ふーん、下半身露出かあ……ってハイヒール

2017-05-19

壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山寺院である本尊地蔵菩薩、開基は園城寺三井寺)の僧快賢である中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺[1]、心浄光院と号した。

目次 [非表示]

1 歴史

2 境内

3 文化財

3.1 重要文化財

3.2 焼失した重要文化財

3.3 重要無形民俗文化財

4 行事

5 関連項目

6 アクセス

7 脚注

8 外部リンク

歴史[編集]

園城寺三井寺)の僧快賢が、991年(正暦2年)に自身の母のために建立したとされる。京都では珍しい律宗総本山奈良唐招提寺寺院である

中世に融通念仏の円覚上人が中興。大念仏会の際に上演される重要無形民俗文化財の「壬生念仏狂言」(壬生狂言)は円覚上人が始めたものと伝えられる[2]。

江戸時代後期の幕末には京都治安維持目的活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠壬生村の八木家に置かれた。当寺境内新選組兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたという。その縁で境内には局長近藤勇銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも会津若松市三鷹市などに存在する)。

当寺旧本尊地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」と呼ばれ信仰を集めていたが、1962年昭和37年7月25日放火により本堂とともに焼失した。現在本尊地蔵菩薩立像は、火災後に本山唐招提寺から移されたものである

境内[編集]

現在の本堂は1970年昭和45年)の再建である境内には他に大念仏堂狂言舞台重要文化財)、近藤勇銅像壬生塚、千体仏塔(パゴダ様式仏塔に1000体の石仏を円錐形に安置したもの)などがある。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩立像唐招提寺旧蔵、平安時代

錫杖(しゃくじょう)

紙本墨画淡彩列仙図 長谷川等伯筆 六曲一双(左隻の一扇を欠く)

壬生寺念仏堂狂言舞台)(附 道具蔵、脇門、土塀2棟、棟札2枚)

典拠2000年平成12年)までに指定国宝重要文化財については、『国宝重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録名称索引統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

焼失した重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩半跏像 旧本尊鎌倉時代

木造四天王立像 鎌倉時代

金鼓 正嘉元年(1257年)銘 - 「金鼓」は仏堂の軒先に吊るす「鰐口」のこと

以上3件は1962年火災で焼失した。[3]

重要無形民俗文化財[編集]

壬生狂言

壬生六斎念仏踊り(指定名称は「京都の六斎念仏」)

行事[編集]

壬生狂言

毎年節分春秋に演じられる無言劇。大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とも呼ばれる。重要無形民俗文化財指定されている。公開は2月節分の当日と前日、4月29日から5月5日まで、及び10月体育の日を含む3日間(年間12日間)[4]。詳細は「壬生狂言」を参照

壬生六斎念仏踊り

年中行事として、かつては毎年8月9日精霊迎え火、16日の精霊送り火23日の地蔵盆壬生寺で上演されていたが、現在は9日にの実施されている。重要無形民俗文化財。詳細は「壬生六斎念仏踊り」を参照

地蔵盆時の出開帳

壬生寺は、地蔵菩薩本尊とする寺として、地蔵盆の際に地蔵石仏を貸し出す、俗称レンタル地蔵」を行っていることでも知られる。

京都でも新興住宅地などでは地域地蔵がなく、地蔵盆が行えないことがある。この場合宗教色を薄めた「夏祭り」とする所もあるが、地蔵を借りてきて地蔵盆を行うところもある。壬生寺場合は、明治時代から京都各地の区画整理などに伴って祀れなくなった石仏が多数引き取られており、これを出開帳の形式をとって希望する各町に貸し出しているのである

2017-01-09

慰安婦少女像

あちこちに建ってるらしい慰安婦少女像て、カルトが建ててる石仏みたいなものと考えれば、報道したり政府が乗り出したりするまでもないと思う。

2016-09-16

女坂

十五夜鈴虫の鳴き声に誘われてふらりと外に出た。雲間に見え隠れする満月を眺めながら歩いていると、「女坂」と書かれた石碑がふと目に留まった。

見上げるとそこには確かに急な坂道が続いている。しかし、わずか二十メートルほどの名前をつけるのには遠慮したくなるような、どこにでもあるような小さなである

私はなんだか興味が湧いたのでこの坂を上ってみることにした。

女坂の始まりは、進むのもやっとの急な勾配から始まる。しかし、十歩ほど足を進めるとすぐに平坦な場所になる。

階段の踊り場のようなその場所から右を向くと平坦な土地が広がっている。ここは、どうやら駐車場として使われているようだ。

左を向くと、右にカーブを描きながらさらに険しい道が続いている。そのまま坂を上り切ると分かれ道となり、そこで女坂は終わっていた。

左には街頭の点いたきれいに舗装された道、右には鬱そうと生い茂った木々の暗闇の中に砂利道が続いている。

私はまず、きれいな道を進むことにした。まっすぐな道をしばらく行くと正圓寺(しょうえんじ)というお寺に出た。

門前には湧水を利用したであろう手水場があり、喉を潤すことができる。その隣には「聖天山(しょうてんさん)」と書かれた石碑があった。

聖天山の女坂を登ると正圓寺。なるほど、女が正しいご圓(縁)に導かれ坂を上れば昇天すると。。。ただの下ネタじゃないか

女坂の名前をつけた昔の人は、よっぽどこの下ネタが気に入ったのだろう。まったく、ウチの近所は昔からこんなのばっかりかよ。

などと考えながら、今度は反対側の砂利道を進んでみることにした。

道を進むとひらけた高台に出た。そこには小さな社があり龍神様が祀られていた。

神様を取り囲むように、お稲荷さんやお不動さん、弁財天お地蔵さんなど小さな祠や石仏がたくさん並んでいる。

なるほど、縁がなかった女はここで龍となって昇天するか、はたまた八百万の神となるということか。

女の道は引き返すことのできない一本道、途中の分かれ道がまさに運命の分かれ道だと諭しているのだろう。

月明かりに照らされた女坂を下りながら、人生下り坂に差し掛かった気がした十五夜であった。

私はこの時、まさかこの駄文を書いている最中ウンコを漏らすことになるとは知る由もなかった。

2013-08-24

お子様ランチ日の丸にバツを書く行為

これって、つまり自分が気に入らないシンボルに対しては、どう扱っても良い」と子供に教えているわけで、タリバンバーミヤン石仏破壊を肯定してるようなもんなのだが、左翼に自覚はないらしい。

2009-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20091031003415

薬を飲んでいるため文章の保証はしない。学会の話を記す。

学会というのは「講」である。つまり、「講」だ。この時点で、まともな宗教団体ではなく土着の宗教信仰宗教団体である。

つまり、創価学会は「池田先生」なるものを依り代にして集まっている「烏合の衆」であって、宗教的なものを目当てとしない。

よって、中身は基本的に町内会の井戸端になっちゃうんだ。

「三丁目に住んでいる高橋さんの家に会合についてのパンフ渡してきて」

「あ、そうだ。ついでにこの間いった旅行土産もついでに(ry

こんな世界学会だ。創価学会なんてものすごく着飾って言っているけど、ただの中身はこんなもんだ。2chとかと一緒。

でも宗教団体なんだ。だから、変なノルマもあるし、特に「講」という制約があるから近所付き合いになる。

煩わしいと思うのならやめた方がいい。そして近所付き合いである以上、黄金地区に住むなら嫌になる。だから嫌われてるんだと思ってる。

学会の良い点も悪い点も「講」だからだよ。宗教講だったか。集団講だったかでぐぐれ。石仏信仰で出てくるあの「講」だ。

俺は「池田」はいらない。俺は「講」が欲しいけど、「池田」はいらない。

「講」という依り代にいたいけど、そこで「先生凄い」とまではいえない。

しかし哀しいかな、そうしないと「講」として成り立たないんだ。教祖が凄いとやらないと無理。

だからあんな道化に走ってるんだと思う。名誉賞とか、勝利とかってうたい文句はそうしないと講として成り立たないんだ。

よって俺はどこまでいって創価学会は土着の泡沫宗教組織と時代の中に埋もれていく地域集団としてしか見えない。

宗教じゃなくていずれ郷土資料館で話されるようになる程度の集まりなんだよ。日本人らしい集まりだよ。あれこそ。

2009-07-14

新彊ウィグル自治区路地裏の真実

宮崎正弘トンデモ中国真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)

 

(拙著からウィグルの紀行部分のダイジェストです)

モスクに祈りの音楽が聞こえない

ウィグル自治区で殆どのモスクイスラム寺院)は静謐そのもの、宗教活動は地下へ潜ったと見られる。

新彊ウィグル自治区地理的にみると中国の西北に位置し、その面積は百六十四万六千八百キロメートル。じつに中国総面積の六分の一を占める。日本の総面積の四倍以上だ。

大半が砂漠である。だから中国は平気で核実験場としてきた。そのうえ新彊ウィグル自治区カザフスタンキルギスアフガニスタンパキスタンなどとの国境線だけでも五千七百キロに達する。

国境警備にも力点をおくわけだから長大な防衛戦において兵站の確保は並大抵ではなく、どこからでも駱駝は進入できる。ビンラディン一派に通じるイスラム原理主義過激派ゲリラ武器中国国内に運びこむのもさぞ容易なことだろう。

極めて厳しい自然環境乾燥した気候である。とても住み良い、暮らしやすいという環境ではない。砂漠では水の確保も簡単ではない。広大であっても貧しいこの地域におよそ千六百六十万人が住んでいる。そのうちウィグル族が約九百五十万人、言うまでもなく大半はイスラム教徒で、古くからマホメット信仰している。

漢族回教徒を目の敵としたのには歴史因縁がある。

中世から近世にかけて現在中国北西部を収めていた元は原住民イスラム信仰には介入しなかった。近代になっていまのカザフスタンから新彊ウィグルにかけて「東トルキスタン」が建国されると、復古を主張する地下運動が盛んになり、血の弾圧に屈しないばかりか、ますます闘志をかき立てて原住民漢族に立ち向かうようになった。

新彊ウィグル自治区の党書記・王楽泉(山東人)はすでに十年以上(駐 執筆時点。いま現在は17年)に亘って、この地域の党書記として君臨している。

あたかも欽差大臣のごとく居丈高に振る舞っているが、九八年九月二日の記者会見で!)宗教管理をさらに強める!)共産党員はイスラム寺院に行ってはならない!)女性が顔を隠すのを禁止する!)ウィグル青年が長期不在となれば「過激分子」とみなし「宗教の自由」を剥奪する、などと時代錯誤の対策を語った。

 

ウルムチへ入った。ウルムチ市内には西安チチハルの清真寺のように迷路の奥の路地裏の、さらに裏にこじんまりと立つ小規模なモスクもあれば、福建省泉州のように街の真ん中に公園化した瀟洒なモスク漢字で「清真寺」を一般的に充てるが、泉州だけは「清浄寺」という)もある。道路沿いに多くの信者が住んでいるが、各地で表向きの信仰生活がみられない。公安の警戒を懼れ、モスク信者がちかつかないのだ。

冷戦終了直後に旧ソ連領のカザフスタンウズベキスタンタジキスタンを歩いた経験があるが、随所で早朝から大きなスピーカーで「アッラーアクバール」とコーランが流れているのを聴いた。

ホテルでこの聖なる音に目覚め、やおら窓を開けると、♪アラーは偉大なり♪

イスラム圏のまっただ中にいるという旅情がわき上がってきた。バグダットでもイスタンブールでも、エルサレムアラブ街でもサマルカンドやタシュケントでも同じ情景があり、必ずそこに宗教音楽が付帯した。

しかし中国は違っていた。宗教音楽はおろか公然とした祈りさえないではないか。

▲ウルムチは「砂漠チャイナタウン

一方でアルカィーダ秘密基地に「東トルキスタン独立」を掲げたイスラム原理主義過激派が訓練を受けていた。

寧夏回族自治省のみならず新彊ウィグル自治区トルコ系住民のなかにイスラム原理主義が拡大している事態の到来は、五輪をひかえた北京中央にとっては鮮明なる脅威という認識である。

北京は「9・11事件」の事後処理に便乗し、ウィグル独立運動を「テロリスト」とそそくさと規定した。そのうえで米国に圧力をかけ、容赦ない弾圧を新彊ウィグル自治区で強化した。911テロ以降も一万人もの「テロリスト容疑者」を拘束、一部を拷問にかけた。

イスラムの動きに鈍感で敵対心を潜在意識に潜ませる欧米諸国は、ウィグルに関してはチベットに寄せる同情心と較べるとやや薄い。まして米国は02年八月にアーミテージ国務副長官を訪中させた際に「ウィグル独立運動」を中国が要求するまま「テロリスト」に認定し直した。イラク包囲網を実行し国連で武力容認決議を急ぐあまり米国拙速にも北京と妥協したのだ。

 (中略)

村全体がウィグル人だったりする農村では、当たり前のようにモスクに集う人々の姿がある。また西安のような大都会でも、中心部のイスラム寺院「清真寺」には人々の礼拝が絶えない。モスク近くでコーランテープCDを買おうと尋ねてみるが、一枚もない。一軒だけコーランの経文を売る店がトルファンにあったが。。。

あまりの弾圧ぶりに、宗教活動は地下に潜ったのだ。年齢によって差はあるが、人々の服装を見ても若者の一部はイスラム帽もかぶらず、ピアス茶髪ショートパンツが珍しくない。ウルムチにさえディスコカラオケがあって暴走族がいる。カザフ・カラーという独特の模様の民族衣装はかろうじて残るが、TVと新聞北京に握られている以上、イスラムの主張は宥和的、微温的にならざるを得ないようだ。

ウィグル族の首都であるにもかかわらず、ウルムチには圧倒的に漢族が多い。動物園にはパンダ市民公園遊園地漢族家族連れが目立った。いまやウルムチは「ウィグルチャイナタウン」ではないか。

街の看板漢字アラビア文字が併記されている。ところが目立つのはカラオケ、瀟洒なビジネスビル大通りに溢れるのはトヨタ日産ホンダの車である。

服装もあか抜けしたデザインが主流で、ウィグルカラー民族衣装を着た人は少数派になりつつある。自転車が道に溢れ、商店の物売りたちの活気ある呼び声。バザールの喧騒。中国全土のどの都会にも見られる風景で、設計思想は似通っている。

最近のおびただしい漢族の入植は、この地にも工業化をもたらし、経済的な発展を遂げた。生活が少しでも豊かになれば物質的な欲望が果てもなく拡大するのは致し方のないものであろう。

都会のウィグル人の若者は懸命に北京語を学んでいる。言葉ができないと官として出世は望めず、給料も上がらないからだ。

中国沿岸部の人たちは競って英語日本語を習得し、外資系企業に勤め、うまくすれば外国人の伴侶を見つけて外国籍をとりたいと考えているようにムスリムのあいだにも漢族と同化し暮らしを豊かにしたいと考える若い世代が増えている。むろん村の古老たちはこうした現象を苦々しく見ている。

~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~

仏教遺跡はすべて破壊された

「交河古城」は岩の大地を上から発掘して造った、世界でも珍しい彫刻都市である。

南北一キロ、東西が三百五十メートルの大地の真ん中を道路が貫いている。寺院仏塔、住居跡が掘り起こされていて壮観であるが、どんな理由があってこんな苦労をして大地の中に都市を閉じこめようとしたのか。異民族の進入を防ぐための秘密都市だったのだろうか。

交河古城はそうした思惑の通りには行かず、漢族に滅ぼされ、城は徹底的に破壊され、新たに建てられた高昌城にとってかわられた。その高昌城とて後年には唐の大軍隊が侵略してきて滅ぼされた。数千年の間、仏教イスラムの苛烈な戦いが繰り返された新彊ウィグル各地の仏教遺跡には、一つとして満足な仏画仏像がない。偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒の手によってことごとく破壊されたからである。

嘗てタリバン支配下のアフガニスタンではヘラートに近いバーミャン石仏イスラム原理主義過激派らはミサイル破壊した。「世界遺産」であれ、なんであれ狂信的教徒は他宗派を認めない。それは共産主義も同様である。

南に天山山脈を挟むクチャ、カシュガルともなるとイスラム教俄然、強い色彩を帯びる。カシュガルのエティカルモスク中国イスラム教徒メッカだ。ここに巡礼を果たしたイスラム教徒は仲間の尊崇を集めるという。 

現代の宗教の一つである共産主義は他の宗教指導者逮捕し、拷問にかけ、北京に刃向かうと見れば次々と処刑した。モスクを物置にされたイスラム教徒怨念はなまなかなものではなかろう。

血の弾圧を受けた新彊ウィグルの民は、チベットと同様にイスラム教への信仰をひたすら内面に押し込めた。その分、人々は心の中に蓄積された漢民族に対するルサンチマンを歪んだ形で膨らませだ。歴史的に蓄積されたこの反漢感情のエネルギーに火がつけば予想外の炎となって燃え広がるのは明らかである。

イスラム歴史と文化は漢民族に蹂躙され、独自の文明形骸化した。イスラム教は地下に息を潜めている。したがってもしイランホメイニ師のごとく強靱な精神指導者が現れたなら、かつてシャーを打倒したイラン革命のように漢族に対する一斉蜂起が起こるだろう。

 

拙著トンデモ中国 真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)からウィグル箇所をダイジェストしました。同書は全33省を寄稿した、おそらく日本で唯一の本です。アマゾン ↓)

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2009-07-13

新彊ウィグル自治区の南方(南彊)に警備重点を移行

新彊ウィグル自治区の南方(南彊)に警備重点を移行

カシュガル、ホータン、イリを周永康(公安ボス)が緊急視察

カシュガル、ホータン、イリはイスラム教聖地をかかえ、多くの敬虔なウィグル人が住まう。北部ウィグルと異なり、工業化、近代化が進んでいない。

北部(北彊)はガス、原油などの生産基地があって石油化学金属冶金などの産業が発達したが、南彊は核実験場とされたり、砂漠地帯が北彊とを地形的に分けているためだ。

イリでは1997年「イリ暴動」が起こった。ホータンでも昨年は数百のデモがおこり、またカシュガル中世からのイスラム城が取り壊され、世界遺産の指定を自らはずし、住民を近郊のアパートに強制移住させた。

カシュガル城旧市内の破壊は文化と歴史破壊であり、「あれはまさにバーミャン石仏ミサイル破壊したタリバンの暴挙に匹敵する」と批判が強い。

さてウルムチでは騒擾から一週間を閲し、モスクの一部が再開され、街は平穏を回復した、かに見える。

モスクの再開を当局が許可したのは犠牲者の葬送をウィグル人が行うためであり、しかしモスクや周辺の壁には「密告奨励」のビラが貼られている。

ウルムチには6月に広東の玩具工場でおきた漢族との武力衝突以後、同工場で働いていた600名のウィグル労働者が帰っている。

在米華字紙の論調は「上は国家安全部から下は武装警察まで総力をあげて『テロ』に挑んだと言いながら、大規模な騒乱を防げず、これは政府無策による虐殺であり、政府責任がある」とするものが目立つ(たとえば博訊新聞網、7月12日)。同紙はつづけてこういう。

工業化で恩恵を受けたのは入植した漢族が殆どであり、石油企業金融、輸出企業などにウィグル人が雇用されておらず、教員北京語強要されて以来、30万人のウィグル教職員が追放され、貧富の差はますます拡大した。とくに王楽泉・書記とその家族は比べる者がないほどの富を得た。

中央政府は実態をみずして、胡錦涛は「『宗教指導者』『民族分裂主義』『テロリスト』の“三股勢力”が騒擾の原因である」などと言いつのり、団結を叫んだものの、『中華民族』の標語は虚ろであり、このあまりの少数民族への虐待に、かれらウィグル人が民族記憶を呼び覚まし、国際社会における汎トルコ主義に目覚め、独立を目ざすのは自然の流れと言える」。

7月11日には中央政治常務委員の周永康(政法委書記)は国務院ならびに軍の高官を引き連れて、急遽、ホータン、カシュガル、イリを視察し、「ウルムチはおさまったものの、これら三地域では暴動再発の危機は高まっている」とした。

カシュガルは嘗て短命に終わったとはいえ分離政権が存在した地域でもあり、『三股勢力』が猖獗している。ホータンもイスラム原理主義過激派が強いカシミール国境と近く、テロリスト密輸ルートである」などとして、特別警戒に入った(多維新聞、7月13日)

 
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