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2024-04-14

anond:20240414170733

為替レートはその国の通貨に対する相対的需要で左右されるのでインフレ率は直接的に関係ないんよね。

金利が高い、という理由資産運用のために需要高まる場合やその国の工業製品付加価値が高くて高まる場合もあるし、逆にジンバブエみたいな国内産業壊滅してて買うものが何もない国の通貨とかは誰も欲しがらん。

追記:書き忘れてたが為替市場のその通貨供給量も当然影響する。為替介入はこの供給量の操作為替レートをいじろうとするもの

裕福な女子が余裕を持って格上受験するから医学部合格率が低い

表題のことを書き残したい。

医学部入試男性のほうが合格率が高いのは差別の結果、というのは数年前よく見かけた。上野千鶴子2019年東大入学式"祝辞"でも冒頭で以下のように触れられている。

「全国医学部調査結果を公表した文科省担当者が、こんなコメントを述べています。『男子優位の学部学科は他に見当たらず、理工系文系女子が優位な場合が多い』。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。」

しかし、慶応医学部医学科 ("祝辞"では”事件”のあった東京医科大や順天堂大と混ぜて紹介された)は、点数操作無しで合格率男女比1.37で、上野の母校である京大("祝辞"には登場しなかった)も1.27だ。こちももちろん点数操作は無い。根本的な原因が点数操作以外にあることは、文科省調査結果が出たときから明らかだった。

医学部と他学部合格率男女比が異なることへの私の説明表題の通りで、詳細に言うと以下になる。

受験者の全体平均と医学部など難関大学受験者に多い富裕層では、受験選択の傾向が異なる。富裕層女性偏差値的格上校を積極的受験するため、合格率は男性なみかそれより下になる。》

難関大学は、特に理系医学部以外でも男性のほうが合格率も高い(ことが多い)

2019年4月時点で、一般人でもweb複数年・多数の学部の男女合格率を拾えたのが早稲田 だ。

学部ごとに'13~’18年の6年間の一般入試合格率男女比平均値を出すと

政経0.92, 法学0.97, 文化構想0.94, 文学1.03, 教育1.02, 商学1.22, 社会科学1.22, 人間科学1.20, 基幹理工1.47, 創造理工1.17, 先端理工1.57

となる。文系は男女拮抗が多いが、理工系3学部男性のほうが合格率でもはっきりと高い。

女子枠創設が話題('24年春時点)の京大理系は、‘22年、’23年の合格率男女比が理学部で1.55、1.79、工学部で1.38、1.29となかなかの値だ。

'23年の教育学部(理)も合格率比0.45とすごい値だが、ここは約10名という定員数の影響が大きいだろう。

裕福な家庭の女子学生には余裕がある(?)

 

学部日本大学全体の平均を見ると文系理系女性のほうが合格率が高く (あるいは男女拮抗)、難関大学では男性合格率が高いなら、普通大学難関大学では合格率の男女比がはっきり違うことになる。

よく知られているように難関大学学生受験生の学力面以外での特徴は、経済的に余裕がある割合が高いこと。大学受験で難関大とフツーの大学で違う、はだいたい、リッチ受験生とフツーの受験生の行動が違う、になる。

リッチでそこそこ以上に成績が良い高校生が難関大を挑戦的受験するときは、都市部の中堅以上の私大を滑り止めにしていることが多い。

また、滑り止め大学受験・進学が容易な富裕層大都市居住者女性大学進学率が男性並みか、それ以上で、日本大学受験生の全体平均、ましてや就職コースを含む高校生の全国平均とは状況が大きく異なる。

富裕層女子学生でも進学についてのプレッシャーが強い、とも言えそうだが、"祝辞"では

女子学生浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります

と言ってこれが絶賛されたのだから、フツーは買えない余裕を高い家庭経済力で買っている、という認識が良いのだろう。

たぶん、都市から地方への進学がカギの一つになっている

逆転に至るさらなる要因として、都市から地方大への進学者数が男女で大きく異なることが挙げられる。例えば以下の調査結果

ttps://www.ipss.go.jp/publication/e/jinkomon/pdf/19823104.pdf

都市から地方公立大に進学する動機で大きいのは、一人暮らしをしたい・学費を低く抑えたい、だろう。男性理系との相性がいい。

女性が格上大学記念受験する傍らで男性都市部から地方に進学すると、男性の難関大合格率が相対的に上がる。

社会学徒的には初歩の初歩?

詳細な検討にはデータ (滑り止めと、進学実績水増しのための多数校受験区別とか) が足りない。

しかし書いていて、家庭経済力の差・都市地方における滑り止め確保のコスト差・男女の自主的な行動の違い、が組み合わさって自然難関大学では女性合格率が下がる、というのはむしろ社会学の知見としては当然の結果に思えた。

ただ、そう明記しているものを見つけられなかった。

難関大学における女性学生や志望者の少なさを問題視する論文はすぐ見つかるが、一般社会では数年前に問題視され、"祝辞”でも触れられるくらい話題になっていた合格率は、あまりアカデミック社会学では考察対象になっていないようだ。

かに、人気になれば下がる合格率にやっきになるほうがおかしい。しかし、余計な男女分断を避けるためにもそう言ってくれれば、文科省も何年も調査しなかっただろうとも思う。せっかくなので、ここに書き残しておく。

借金やきついバイトをさせないのは性差別” と上野千鶴子に言われたくない

あの"祝辞"は冒頭の後、こう続く。

2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。『息子は大学まで、娘は短大まで』でよいと考える親の性差別の結果です。」

原因がやはり家庭経済状況と、それへの対処の男女差に要因があることは明白だろう。例えば2014年に発表された調査では、奨学金借金している割合男性理系50%、女性理系46%、男性文系44%、女性文系41%だった。

学生数は男性が文:理 =約1:1、女性が同4:1なので、調査結果の数字を当てはめると借金率男女差は約5ポイントとなる。そして借金だけでなく、きついバイト貧乏生活、長距離通学など、大学進学の金銭面をどうにかするのは基本、男性のほうが適性がある。

借金などムチャをして進学できるのは男性有利な構造があるため、と主張はできる。ただ男性のムチャの動機は、自分より高所得パートナーを得るルートが無い、社会保障も届かない、という要素が強い。

エリート女の泣き所はエリートしか愛せないってこと、主夫 (ハウスハズバンド) を養うなんて現実的じゃない」

という上野本人の有名な言葉が、そしてこの発言をした上野がこの「祝辞」を述べる栄誉を与えられ、なおかつ今も権威として君臨している現実が、男性女性よりも進学や労働でムチャをする理由、ムチャせざるを得ない原因を端的に示している。
一方でそれらのムチャは、よく死ぬ(もちろん同じルート突入たからには男女問わず)、という副作用と、それでもそれがマシ、というつらい現実を伴っている。

上野の主張は、彼女ほど親の経済的援助(大学近くに住居を準備し、かつ博士課程修了までの学費生活費も支える)に恵まれていない子と、そこまではできない親の苦労と苦悩を無視している。また大学進学以外のキャリア視野に入っていない点でも同じ傾向で多様性を欠いている。

そして、大学進学率の低さを解決するために非エリート家庭への経済的支援模索するのではなく、エリート女性を含む女性全体に対する性差別解決せよと主張するのは、自らの指導地位を利用して非エリート女性被害者性を奪う行為だ。

他人の苦難に親身になるのは素晴らしいが、"彼女たちは苦労させられている" を "私たちは苦労させられている" に変換して他者非難し、自己権益を主張する行為を、私は当時も今も好きになれそうにない。

2024-04-13

NPCのみなさん、いかがお過ごしかな?

君たちの話はいつもくだらない話で盛りだくさんだね

もっと数学とか音楽とか芸術的な話はないのかな?

君たちの知能が低いおかげで、俺の品性相対的バク上げってわけだ

だが、平和な世の中を構築するためにはちゃんと頭で考えないとだめだからね

約束だよ

2024-04-11

anond:20240411214032

>「男女関係なく」を貫くべきだった

本当にそれ。

増田魑魅魍魎クズだらけなのは残念だけど覚悟してた。

だけどここ以外も地に落ちつつある意味が分からない。

相対的過激派フェミニズム価値が増すじゃん。

LGBTsに理解のない外野紋切り型の断定も邪悪

TERFらに都合のいいお気持ち社会なっちゃうよー。

2024-04-10

学力知能指数ではふるい落とせないタイプ馬鹿

GTR持ってると言ってるのにカリーナ営業トーク延々とし続けてくるやつとか。

全然ランク違う車持ってるのに惹かれるわけねーだろってわからないものか。

1元1次方程式レベル問題解説されても理解できないやつもあれだが、そういうのと比べても別格でたちの悪い頭の悪さを感じる。

こういうのが労働者階級に潜んでいているというおそろしさ。潜るまえにブロックできるようなシステムを作れないものか。

俺は相対的な優劣で人を馬鹿にするようなことはしないけど、こういうできて当然のことすら理解できず不合理な行動に走るやつに目の前にいられるといらいらしてくるんだよ。

みんながみんな最低限の読解力と情報処理能力持ってる世の中ならあとは人それぞれの個性(そのひとならではの特技)に目がいくからイライラすることなんてないんだよな。んでそれ以下の絶対的意味での馬鹿がいるのが問題

anond:20240410104504

逆逆

移民結婚する人が増えて、移民差別によって不都合を被る人(主に移民結婚した旦那)が無視できない規模になったから「移民でも嫁の鑑みたいな人はいるんだよ」って話を流布したわけ

移民結婚させたいからそういう話を出してきたわけじゃない

そもそも東南アジアもっと貧しくて封建的規範に沿って生きる女が多かった時代普通に国際結婚奥さん多かったよ。

実際、田舎道の駅特産品コーナーとかでレジ打ってる現地の農家のばあさん、いかにもフィリピン人みたいな人わりと多い。

今、国際結婚がかつてほど盛んではないのは、日本相対的に貧しくなり、アジアが豊かになった結果として海外の見知らぬおじさんと結婚して姑に仕えるようなかつての海外花嫁みたいな人が単純に減ったからでしょ

欧州の電力市場で何が起きているか

考えをまとめるために書いているので長くなってしまった。

なので最初にChat GPT要約をおいとく。

要約

再エネ以外に投資が来ない。

投資マネーが再エネに集まり既存電源に行かない状況が続いている模様。

再生可能エネルギーは、施設製造建設・設置、さら運営ノウハウが溜まってきて再エネが安定した投資先と見做されてきており、潤沢な資金供給が続いている。

例えば、利回りなども、再エネ設備耐用年数を従来は20年などで計算していた。これは公的補助が20年だったと言う前提だが、次々と公的補助が終了した結果、耐用年数を30年以上で計算するところが増えていて、それらをミックスした投資商品が登場、安定した資金調達に繋がっているようだ。


一方で、相対的既存電源に対する投資が減っている。欧州でもエネルギー安全保障観点からイギリスフランスなどで原発新規計画が出てる。

今時、国の金だけでやると言う計画イギリスが建てるはずも無く、資金募集しているのだが、全然投資が集まらなくてかなり苦戦している。

これとは別の話として、エネルギー安全保障観点だと言っているのに、当初目論みの建設費で手を上げたのが中国企業中国"系"ですらない、中国国営企業しかないと言う状況で、これだとまずいと言う事で、新規設置の原発が生み出す電力の買取保証価格をつり上げたところ、なんと再生可能エネルギーの2倍から3倍の価格になってしまって問題化している。

エネルギーの安定供給安全保障観点という点では色々な電源をミックスするのは当然で、そういう点では単価の高い電力が混ざっても仕方が無い。

が、その国のエネルギー価格は、その国の国際競争力に直結する。製造業はもちろんのこと、ITデータセンターの立地、研究施設の立地など情報系にも影響してくる。

国策である程度電力価格コントロールできるからと言って、上げれば今度は国際投資が逃げていくということで、苦しい状況が続いている。

既存電源の採算割れ

欧州と言うより主にフランスでの問題なのだが、フランス原子力発電所で発電した電力を他の国に売ると言うビジネスを行っていた。

ところが、再生可能エネルギー市場を荒らすようになってしまったため、もくろみが崩れてしまって採算性が悪化している。


既存電源と再生可能エネルギーの違いは何かと言うと、限界費用が全く違う。再生可能エネルギーは、燃料費がないと言うところが大きくて、0円以上で売却できれば利益になる。というか、勝手に発電されるので止める意味が無い。

そのため、他の電源では燃料費が上回って赤字になるケースでも電力を市場に流す事ができる。そんなもの価格競争しても意味が無いので、例えば火力発電所は再エネの供給が大きくなったら発電を止めて、採算より高くなったら稼働すると言う事を行っている。

特にLNGガスタービンは即応性が高いため、再生可能エネルギー追従して運転をするのに適している様だ。


一方、そんな器用なことができない電源がある。

それが原発

原発は燃料を燃やしているにもかかわらず、再生可能エネルギーと似たような性質を持っている。発電を始めたら勝手に発電されるので止められない、出力調整が難しい、燃料費に比べて設備費・初期投資割合が大きいといったことだ。

そのため思いっき市場を食い合っている。再エネがピークで安い時は下手するとマイナス金額(つまり、売買に関わる諸経費を発電側が持つというようなもの)で売却される電力に対して経済面追従を迫られる。

それでも、再エネが担う割合が低いころは、それ以外の時間帯で収益を出すことが可能だった。しかし、段々と再エネだけで賄える時間帯が増えてしまい採算性が悪化しているのである


また、原子力発電所など大規模電源は30年以上の耐用年数を見込んで採算が取れるように投資商品にするのが一般的で、原発場合は40年以上も当たり前だ。その間当然リスクを見込んでるんだけど、変化が急激すぎてそのリスク範囲を超えてしまっていている模様。

これは時限爆弾みたいなもので、実はちょっとヤバいと思われる。

電源関係投資ってかなり安定的投資と見做されてる影響で、年金など公共性の高い投資商品に基礎的なものとして組み込まれていることが多く、吹っ飛んだら電力関係だけじゃ済まないと思われる。

そしてここが不安定なので、従来型の大規模電源開発投資が集まらない状況が続いている。

環境 テロリスト 団体はESG投資の結果だとか宣伝するし、それに呼応するように原発 村の盲信者 関係者が陰謀論じみたことを言ってるけど、実際には経済的リスクが大きい一方で、利益が少ないことが要因だと思われる。

今後の見通し

もはや後戻りができないぐらい進んでしまっている。この流れは止まらないだろう。

ただ、各種のデータを見ると本当にこれで電力の安定性大丈夫なの?と心配になるんだが、進んでいる源が経済という祟り神なので止めらんない。すると安定化する方法はそれに対応する電源開発なり大規模蓄電なり水素アンモニア製造するなりしかないと思われる。

実は、原子力発電所も、負荷変動に柔軟に対応するようなもの設計可能らしく、そういったものが出てくる可能性はある。が、投資基準再生可能エネルギーに対してになるので、それより優位なものが作れるかはわからない。

翻って日本

日本は電力の自由市場の中にはいないので、急激な変革に巻き込まれはいない。

また電力価格の決定が統括原価方式なので、例えば発電所を30年使うと設定して投資した場合原則的建設費などの初動費は30年間固定されて電力価格転嫁することが認められている。

ある意味再生可能エネルギーの固定価格買取制度によく似ているが、そちらとの違いは、稼働していない発電所の維持費も電力価格転嫁できる仕組みであるということ。

例えば原子力発電所で再稼働出来てない発電所は多くあるが、発電して無くてもそれらの費用は電力価格に乗ってきているし、原発が稼働してない分だけ維持している旧式の火力の維持費なども当然ここに乗っかってくる。

これによって電力価格の上昇を抑え、安定化すると言う効果があるのだが、ここ15年ぐらいの急激な環境変化に対応できなくなってきているのも否めない。

ただ、制度を続けていけば、急激な市場の変化は発生しないと思われる


と、国内だけを見てればいいのだが。

既に書いたが、その国のエネルギーコストは、その国の競争力に直結する。国際競争に晒されている今、エネルギーコストが高いと企業立地などを逃すことになるので投資が集まらなくなる。

直近の動きでは原発を再稼働させようという取り組みが継続して行われている。

原発燃料費よりも建設費・維持費がかかる。それらは再稼働しなくても電力料金に乗っかってる一方で、それに加えて燃料費割合の大きい旧式火力を回さなければならない。これが電力料金を上げる要因になっているのは確かだ。

から短期的には原発を再稼働させるということはあっているのだけれど、長期的に見ると、ライバルになり得る欧州再生可能エネルギーという安いエネルギー源を苦しみながらも獲得しつつあると言う事には追従出来ていない。

さらに、欧州環境対応大義名分に、自分たちの有利な点を伸ばすような、再エネを使った製品では無いと追加の関税を課して保護政策を実行してくるのも間違い無い。自由貿易どこいったって思うが仕方が無い。


日本でも再生可能エネルギーは最も安い電源になりつつある。

環境問題への対応はもちろんしていく必要があるが、今一度、エネルギーコストをどうやって下げていくのかと言う基本に立ち戻って電源の選択を考える時に来ていると思う。


その点では、洋上風力発電を巡る汚職が痛かった。かなり安い入札が行われていたのに、なんだかんだと理由を付けて不可とした。

その結果、国内商社と組んでいた海外電源開発会社投資を引き上げちゃったんだよな。

せめてそういうことは二度と無いようにしたい。

2024-04-06

anond:20240406175246

しろ日本大人大学遊んだあと社会に出てからまともに勉強しないしズルのやり方ばかり覚えるので、経験も知性も高校生ピークで相対的にそのあとはどんどん底辺化してくよね

大学鬼のよう勉強する場所で、社会に出た後も学び直ししたり大学に行きなおしてキャリアを広げたりする社会大人になってからもどんどん経験と知性を積み重ねるから

anond:20240406014344

下請けいじめイメージが先行してるだけでしかいからなあ

実際車関連の製造業に就いてればわかるがトヨタ本体理不尽なこと要求してくるのはあまりない

3次請け、4次請けから降ってくる仕事や他業種から仕事の方が単価安くて無茶が多いからむしろ相対的に見ればトヨタはかなりマシな方に映る

2024-04-03

かえりたい

ブラインドを閉じる

コピー機の電源を切る

シュレッダーの電源を確認する

モニターの電源を切るのを忘れない

システムの打刻

最終退館の入力

照明を落とす

施錠とセキュリティを起動

廊下の消灯で一度真っ暗になる

エレベーターで1階に降りる

玄関は閉じているので裏口に向かう

駐車場横のシリンキーを開けて出る

一階のピザ屋の匂いを嗅ぐ

大通りを歩く

高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている

小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代合唱コンクール課題曲でも。車が多いか迷惑にはなっていないと思ってる。

いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。

自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。

自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。

酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。

誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日ちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式最初ちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さな1人遊びがたくさんあった。

何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分なかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、

あのとき取りこぼしてしまった自分気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。

泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。

公園の横を抜けて、ファミレス駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端惣菜軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員シフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。

徒歩25分。家も職場も駅からまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。

机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。

日中は、

食事睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」

「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」

「この会社栄養剤がよく効くのであっちのコンビニで買う」

大丈夫だと口に出せるうちはまだきっと大丈夫

働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。

 

「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫

「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫

「朝は起きて支度できるからまだ」

部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマデスクワーカーの職業病

「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。

つのまに切り替わったかからないが、これらの一つ一つが「まだ私が壊れてくれないから、大丈夫じゃなくなるのを待つしかない」のカウントになっていた。

勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。

ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。

対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫

大丈夫自分を演じているのか、大丈夫ではない自分演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫ってなんだ?

わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないか大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。

わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある

他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものあなた拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた

書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ

病院探しを始めた。

躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。

まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。

うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。

身体精神状態を書き連ねた。

相手自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった

紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。

名のついた診断が出た。

有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫から、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端診断書を持ち帰った。

朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのもの業務差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。

今思うと、「大丈夫」と「ダメ」は同じ線の両端ではなかった。

なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。

もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。

この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから二元論で考えることが間違っていたと思う。

この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫大丈夫の数をまだ数えていた。

かに怒っている日、逃げてしまおうと思う日、何も感じない日

そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日

物音が大きく聞こえる日

なんてことないじゃないかと思う日

そんなものちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった

退職願を書いた。

できるだけ綺麗な文字しかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。

遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。

下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。

退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分バツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。

ある朝、9時前、出勤してメール確認する

同僚が出勤してくる

涙が止まらない

頓服を飲んで、会議室に閉じこもって効くのを待ってみる

10時半過ぎ、何も変わらない

ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした

トイレに逃げて、別の場所で勤務する上司に早退の連絡をする

そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分社会と切り離すことに成功した

今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。

出かけなくても良くなった今も、どこかに帰りたいような気持ちだけ残っている。

anond:20240403162502

ギャイーン!と脳に衝撃が走ったかもしれないが存外そんなもんだよ。

そういうやつがいると相対的増田を「真面目、誠実そう、お付き合いするなら増田さんかな」と思ってくれる女性も低確率で湧くから

中途半端な芋メンが転がってるよりよっぽどマシさ。

2024-04-01

空間光速を超えないかもしれない

宇宙光速を超えて膨張しているなんていわれてる。

かに光速を超えて遠ざかる天体からは光が届かないのでハッブル球より外は観測できない。

だが少し考え方を変えると光速を超えられないともとれる。

例えば空間をたくさんの立方体で区切るとする。

□□□□□□□□□

それぞれの空間が膨張して端から反対の端を見たら光速を超えているとする。

だが1つ隣はそこまで速く遠ざからない。

空間はそれぞれの場所基準座標みたいなものを持っていて隣の空間と離れていく速度は相対的となる。

この相対的な速度の積み重ね(たくさんの立方体を並べた状態)で光速を超えていると観測されているが

それぞれの場所にある空間は隣の空間との相対的な速度しか違いがないのではないか

もし空間光速を超えるなら重力波光速を超えてもおかしくないはず。

2024-03-30

外国がどうとか知らねーよ、そんなの。

あのさ、人間幸福って言うのは半径3メートル相対的環境によって規定されてるんだって

まり人生っていうのは、紛争地域スラムに比べれば天国なところさんにいても、いじめや悶絶少年にあっていれば不幸なんだ。

じゃあこいつにぃ、

anond:20240330201128

お互いに別の要素を求めること自体別に良いんだよ

問題は、男性社会的地位が、女性男性に求める経済力キャリアによって担保されているのにも関わらず、他方では男女同権を要求するという矛盾

自分より給与が高い男を選ぶなら、相対的に男が家計を支えることになり、女は家事育児負担の押しつけ場所が無くなるから、女が家庭に押し込められるのを同時に許容しなきゃダメでしょ

女性は人数多くてもマイノリティー」武蔵大・千田有紀教授

https://news.yahoo.co.jp/articles/e61e3635e2e9e21ec5a6d4f62a369c770740015a

これまで女性スペースの安全性女性スポーツ公平性身体によって担保されてきたが、性自認尊重が過ぎれば社会システムが崩れる。例えば、女子トイレ女性社会参加する上で基本的インフラだ。女性トイレでの安全性担保されないと外に出られない。性自認自由だが、別に制度的な解決政治に求められる。

GB活動家から女性マジョリティーだ」といわれている。女性妊娠する身体を持ち、相対的脆弱(ぜいじゃく)だ。数が多くても女性マイノリティーだということを分かってほしい。

2+2=4だね

anond:20240330084927

2024-03-29

スキップローファーをまとめ読みした感想 ネタバレ注意

持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。

人間だれしも自分特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、

自分自分環境立ち位置理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。

高校生のみつみちゃんは「まだ」自分ちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。

作品内で扱われている「人間関係ポジショニングゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップローファーキャラクター演出をしている。

氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。

作中では、稠密人物内面描写キャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間相互作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。

グループで過ごす時間不協和音スレスレスクールライフコメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的空気を持っているのは作者の技量だと思う。

スキップローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。

田舎と都会、陰キャ陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃん水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。

そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女物語を大きく動かす役割もつ可能性は高いか

このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。

恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来パートナーのために舞台装置出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、

ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。

本当はもっと掘り下げたり、メタ視点から感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクター名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。

需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性ありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。

自分には価値自己肯定感がないから……自分肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。

スキップローファーではそもそも都内進学校に通える学力があって、経済的問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。

志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。

スキップローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺世界とは無縁だよね。という強がりの業か。

アフタヌーン掲載漫画結構心理描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。

漫画を読んだ後、こうやって乱文でも書かないとやっていられない27歳誕生日

スキップローファーをまとめ読みした感想 ネタバレ注意

持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。

人間だれしも自分特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、

自分自分環境立ち位置理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。

高校生のみつみちゃんは「まだ」自分ちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。

作品内で扱われている「人間関係ポジショニングゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップローファーキャラクター演出をしている。

氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。

作中では、稠密人物内面描写キャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間相互作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。

グループで過ごす時間不協和音スレスレスクールライフコメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的空気を持っているのは作者の技量だと思う。

スキップローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。

田舎と都会、陰キャ陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃん水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。

そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女物語を大きく動かす役割もつ可能性は高いか

このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。

恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来パートナーのために舞台装置出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、

ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。

本当はもっと掘り下げたり、メタ視点から感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクター名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。

需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性ありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。

自分には価値自己肯定感がないから……自分肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。

スキップローファーではそもそも都内進学校に通える学力があって、経済的問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。

志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。

スキップローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺世界とは無縁だよね。という強がりの業か。

アフタヌーン掲載漫画結構心理描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。

漫画を読んだ後、こうやって乱文でも書かないとやっていられない27歳誕生日

もう受験生でもない自分高校レベル参考書問題集いつまでも解いたりするべきなのか分かりません。

解いたりするべきだと思う以下の持論を持っているのですが、この持論が正しいかどうか全く確信が持てません。

以下から持論です。

まず、高校で習うことを理解していなければ、大学以降のより専門的なことが理解できないことがあるというのは確かだと思います

から私を含めそういう専門的なことを理解したい人は、高校レベルのことの穴を埋めるべきだと思います

それをせずに大学レベルのことの学習に手を付けても理解できることがある可能性はありますが、その理解したという感じに錯覚場合が混ざるおそれがでてくると思います

まり理解してないのに知った気になる、いわば「何がわからいかからない」状態に陥る可能性が出てくると思うのです。

そのうえで、そのような大学レベルのことを理解していないと理解できない、より高度な理論を学ぼうとすると、今度はわからないという自覚はあるが「なんでわからないのかわからない」という状態に陥ることになります

まりその高度な理論理解するのに必要なそれに比べれば相対的に基礎的な理論概念複数あることも当然考えられ、そのどれを理解してないのかがわからない、特定できない、ということが考えられるわけです。

理解しなければならないこととしては当然高校レベルの部分に穴がある可能性もあるでしょう。

しかし学ぼうとするものを見ても、その理論等の全容を見て、具体的にどんな知識必要か余すことなく把握することは意外に難しいでしょう。

単に用語意味を知らないといったことなら、その用語ネット検索で、その用語を使っている理論のなかでもっとも基礎的なものが何かということを目星をつけて、そこから学ぶという方法がとれるでしょう。

しか学術文章理解できない原因は必ずしも「単にこの言葉がわからいから」というような、わかりやす輪郭を持ったものに由来しているとは限らないと思うわけです。

大学レベル参考書(学術書)や論文を書く人は受験競争経験した人なわけですが、受験勉強で得た「考え方のひな型」のようなものが、少なからずその後の思考やそれに基づく文章に影響を与えていると私は考えます

それはもはや自覚的に認識できるものではない、無意識下にある思考の体系であるわけです。

その「枠組み」を共有していない人にとっては、より言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずに、その部分の言語化をせずに文章を書いている部分があると思います

特に幾何学が絡む記述は、センス=ひな型・枠組みを持つ著者自身には空気のように当たり前のことであるために記述シンプルになってる説明に対して、枠組みの無い人にはなんでそうなるのということがまるでわからないということが起こり得ます

それは著者すれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えないほど逆に理解しがたいことです。

これは大学高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いかもしれませんが、たとえば高校物理である部分の角度と別の部分の角度が同じという事実から式を導出することにおいて、なぜ角度が同じといえるかということの説明まではされてないみたいなことがあります

これは、角度のことについてなら、中学受験算数の難問を数多く解いてきたりその答に対する解説を見た経験が、まさに有機的に思考の枠組みとして血肉化した書き手自身には、条件反射的に当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明がないとわからない、という枠組みの有無による断絶ともいうべきことが生じているのだと考えられます

しか書き手にはすべての読者のレベル対応することは不可能ですし、そもそも「枠組み」がある当人には1+1=2のレベルで当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことが起こると思うわけです。

そしてこの枠組みは「枠組みが足りてないか理解できないのではないか」という必要性の認識に応じて選択的に必要十分なもの特定して身に着けられる、という性質のものでないわけです。

上記高校とそれ以下のレベルでの話ですが、大学とそれ以下のレベルという場合でも同じ構造問題を共有していると思います

因数分解極限値を求めるための式変形の定石や、その他証明問題などに対して定石と呼べるような解法から定石ではない解法まで、その問題をこなしてきた人たちにとってはその経験が枠組み化しています

なのでその人たち自身が見てきた高校レベル参考書では途中過程として式変形など書かれていたものが、当人研究者になって書く大学レベルの本ではその本人の主観的自明性が強すぎてその途中過程を書くような発想すら存在しないわけです。

ですから大学レベルの本を理解するには、およそ考えられるかぎりのあらゆる高校レベル以下の問題を解いて理解することを片っ端から行いその経験を積んで枠組みとする必要があると思うのです。

でなければ結局「何がわからいかからない」「なんでわからいかからない」という状況に陥ると思うわけです。

予備校講師数学アドバイスで「数3は数1Aと数2B知識がなければ理解できないというが、だからといって数1A・数2B完璧してから数3に取り掛かる必要はない。完璧は難しいのだから同時並行でよい」という趣旨のことを書いていたのを見たことがありますが、まずこれは受験勉強に関してのアドバイスであるということに注意するべきだと思います

まり点を取るためなら、完璧でない理解でも、ふわっとした理解でもパターンとそれへのあてはめとして、問題は解けてしまうということは十分考えられるからです。人口無能、あるいは中国語の部屋のようなものかもしれません。

一方で学問として理解するということにおいては、厳密に完璧理解していなければ、ただの知ったかで、それは全く理解してないのと同じ価値しかないのではと思うわけです。まさに論理として理解しているのではなく「受験で点が取れる感覚」でパターン認識としてわかった気になっているだけだと思うからです。

また、大学以降のより専門的なことが理解できれば、高校で習うことはすべて理解できる、というわけでもないと思います

先ほどの高校物理の例にあるように、高校レベルのことが当たり前になってる人が書いた大学レベル文章には、高校レベルのことは書いてないことがあるわけです。

そして、どの大学レベル理論を学ぼうとするかによっては、自分の持つ枠組みで十分にその理論理解できるということはありえます。ありとあらゆる高校レベルの枠組みを網羅している必要はないわけです。

なので、大学レベルのことは理解してるが、その大学レベル文章高校レベルのことは書いてないかもしれないので、その後大学レベルのことにしか触れなかった場合高校レベルだけど初見だと解けない問題死ぬまで解けないままであるということが起こり得ると思うわけです。

たか高校レベルから、初歩的なんだから受験生じゃなくなっても真面目にとりくむほどではないと思うかもしれません。

しかしそのように単なる初歩的なこととされるかは、意義深いこととされるかは、時代次第の相対的なことではないでしょうか。

2000年上前ならピタゴラスの定理理解することも十分意義深いことだったでしょう。

時代が進むことによって、より高度な定理理論発見され、既存定理はそれを理解するためのより初歩的なことと規定し直されるというだけです。

このような文脈での主語あくまで「人類」です。言い換えれば、人類のうち誰かひとりでも知っていたり理解していたりするようなことを全て知っているような、仮想的な知性にとっての意味付けだと言えると思います。なかば無意識的にこのような仮想的な知性と自分主語のうえで同化させてこのような「初歩的/意義深い」という価値判断をくだしているにすぎないのではないでしょうか。

あるいは「文明」を擬人化して主語においているとも言えるかもしれません。「文明」にとって、容易に理解できる初歩的なことかどうかということです。

一方実際に世界経験する主体単位は「個人」であり、わたしであり、あなたです。

ある時代にとって意義深いけれど今は初歩的なことを理解してない個人がいるならば、人類文明主語である場合、それが最先端知識=未知であるか、または既知となって間もないか、で意義深いかどうかの価値規定されていたのですから個人主語にした場合も同様に考えればよいのではないでしょうか。

まりその個人理解してないのなら、それはその個人にとって意義深いことなのだと思うのです。

大学レベルとか高校レベルとか関係なく、「自分が知らないという意味で意義深い」解ける問題を増やしていくことは、この世界現象に対する理解解像度をあげると思うのです。

から大学レベルのことには書いてない高校レベル問題の解法も赤本や難関大意図した参考書には無数にあるので、それを解き続けることには、それを飛ばし大学のことを学び始めることを通じては経験できない意義深さがあると思うのです。

まとめれば、高校レベルのことが足りないために大学レベルのことが理解できないこともあれば、大学レベルのことでは身に着けられない高校レベルのこともあるので、結局この世の中をよりよく理解する手段として高校レベルのことも大学レベルのことも等しく有効なら、まずは高校レベルのことを完璧にしなければならないのではないか、と思うわけです。

ここまでが持論の全容です。ですが世の中の成果をあげている科学者の全てがこのようなことをしているとは到底思えないので、自分の考えが合っているなどという確信は全く持てないわけです。

なので、ぜひ、反論できるところがあったら教えてください。

IQ - Intelligence Quotient:知能指数

基準値を100とし、IQ分布正規分布に近似していることを前提とする。要は相対的な数値。

測定方法は多様。統一された単一国際標準は無い。WAIS、ビネー式、RCPM...

IQ20以上違うと会話が成立しないって言うけど、測定方法に触れられることは絶対に無いんだよな。これを盛んに喧伝する奴らは、どの測定方法の前提で話してるんだ?

2024-03-28

数って人間が扱える数少ないプリミティブな概念だよな

人間は長さや重さを直接表現できないか単位量がいくつ分かで表す

これは直接知覚したり表現したりできない概念を数に落とし込んでる

絶対音感の人は音の周波数を知覚できるから周波数はプリミティブに見えるが実際は違って、周波数振動の回数を数えてるから本当にプリミティなのは

他に人間相対的じゃなく絶対的に知覚できる概念って何?

2024-03-27

anond:20240327135038

お前が長生きすれば相対的に他の人は早死になる。

anond:20240327132628

間違ってない、確かに止まってる(苦笑

大体は王手企業が内部プールしてる(後はそれを役員報酬にしてる)。

止まってる結果、金の流動性は失われるから流通しない金はインフレを抑える結果になるのは事実

とはいえ、それが全てかと言われるとそうでもなくて、日本流通する物品の原材料殆ど海外産。

2022年インフレは何かというと、ロシア天然ガスを止める→ガス起因のエネルギー高騰(電気とか含む)→代替原油高騰→原油製品輸送網も高騰→世界的にインフレ

2023年インフレ通貨価値が下がったことでのインフレでしたね。米国が利上げした結果、米国ドル流通量が減る→ドル市場総量が減る→ドル高→相対的円安輸入品目総値上がり→国内インフレ

ちなみに日銀安倍政権時代から、利下げ(金利を下げた)と並行して、日経株を金刷って買い込むことで、株価を上げつつ、刷った金を市場に投入してました。

→つまりかなりの日本円が市場存在はした。

で、日本労働賃金王手企業くらいしかマトモに上がってねーのに値上げラッシュ

コレじゃまずいってことで、ようやく2024年日銀も利上げするかーってなってきていると。

2024-03-26

anond:20240326184218

一応トラバする前に大辞林をチェックしたんだけど、②の「小さなごみ」の「小さい」に厳密な定義はないだろうし、「相対的に小さい」という意味でも通じるだろ。


ちり 【塵】


①こまかくとびちるごみほこり。「本棚の▼塵を払う」


②小さなごみ。あくた。「いとちひさき▼塵のありけるを目ざとに見つけて/枕草子」


ちいさ・い 【小さい】


(形)


①容積・面積・身長などの占める場所空間が少ない。

anond:20240326183233

チリ相対的な大きさで捉えてる奴なんていないだろ。

自室と東京ドームチリ感覚変わるか?

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