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はてなキーワード: 直観主義とは

2024-02-17

anond:20240216124331

まず

>ユークリッド幾何学での直線は「幅をもたず、両側に方向に無限にのびたまっすぐな線」

ではなくね?

他の用語なり論法なりは数学上で数学的には無矛盾で厳密で一意だろ

別に直観主義なり形式主義なりを持ち出さなくとも

「本当に厳密」は例えば幾何学で直線を扱うとき必要でないから扱わない。で解決する

「本当に厳密」に拘るなら数学は「本当に厳密」ではないでいいんじゃね?

「本当に厳密」なもの論理的には存在しないから展開せず意味がないけど。

数学を一番に置きたい人種数学の厳密性が高いってのは相対的な話であって絶対的な話じゃないだろ

2022-05-09

anond:20220509102649

はいはい、それでキミは直観主義を排したらどういう理由でいつから権利主体になると考えてるの?

卵子受精?着床?

2016-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20161025075914

重要な点は"最初に"、「0.99....が数であるとした時点で必ず1になってしまう」こと自体を納得させることだと思いますよ。

その上で、0.99....のようなものでも同種の数となるように"作られた"のが実数である、という話にすればいいでしょう。

無知状態から認識をもたせる上では、(数学書のように)先に一般化した条件を証明してあとで具体論で確認させる手順こそが問題です。かんたんに一般化された定理のほうへ話をすすめてはいけません。

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もちろん「1以外のすべての数」でない数は1だけ、というのが論理として正しいか、というところには疑問の余地があって、そうとはいえないとするのが直観主義で、直観主義立場を取るなら実数など認められないという話になるわけです。

ただ実数を認めないなら平方根円周率を含む中学数学自体もみとめられないことになるので、この場ではそうではない実数を認めなくてはいけない立場にある、でよいのではないでしょうか。

2015-10-21

余冪に対応するプログラムの要素ってどんなの

デカルト閉圏というものがある。これは型付きλ計算直観主義論理モデルとなる圏だけども、その特徴は

である。これらをプログラム対応させると次のようになるだろう。

対象unit
直積直積
関数の型

これらの双対概念は次のようになるけども、

-双対概念プログラムへの対応
対象対象終了しない計算(例外)
直積直和判別共用体
余冪???

余冪に対応するものがよく分からん。余冪の定義からいうと余冪を X**Y と表現することにすれば

Hom(X**Y, Z)≅Hom(X, Y⊕Z)

が成立すればよい。だから

IntOrString = IntValue of int | StringValue of string

let f(x:int) : IntOrString = if x >= 2 then IntValue(1) else StringValue("1")

なんて関数があったときに、これを一意的に

let f'(xy:X**Y) : string = "1"

のように書き換えることができればそれは余冪と言えると思えるのだが、そのような書き換えは可能なのか?

とりあえずこの場合に限れば、

exception Y of int

type XToYCopower(x:int) =
    let x' = if x >= 2 then raise(Y(1)) else x

let f'(xy:XToYCopower) = "1"

みたいにして、呼び出すときは、

let mutable z: IntOrString = IntValue(0)
try
    z <- StringValue(f'(XToYCopower(0))) 
with
    | Y(y) -> z <- IntValue(y)

とすると、書き換えができているような気もするし、やはり何か違う気もする。

よく分からんなぁ…。

2015-03-03

世界 2015-03-03

↑new

対象を具体的に構成することによって証明可能ならば, 存在しないと仮定して云々ではなく, 実際に構成したほうがよい」あるいは「(最狭義の)背理法なしでいけるならそうすべきだ」(これらは別の主張である)という主張なら意味は通りますが. もっともこの種の議論教育云々に属すので.

彼の意味の非背理法証明古典論理に従う通常の証明であり構成証明直観主義的な証明などとは異なる. だから直観主義型理論証明からrealizerとしてプログラム正当性証明抽出する話とか, 直観主義論理存在具体化性なんかの話とは全く関係がない.

機械的に書き換え可能なら情報量は変わらないのでは」という簡単な突っ込みもできる. 幾らかの人達は「とはい計算数学なんかでは背理法に依らない証明を考えるのは意味があるのでは」といったことを述べているが

件の著書の内容紹介に【「背理法による証明」を、格段に情報量の多い「背理法によらない証明」に機械的に書き換えることができる】とある. これは, 彼の意味背理法による/よらない証明と, 古典論理/非古典論理による証明, または非構成的/構成証明, との対比を混同している.

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「LKもcut-free LKも非背理法的ということではないのか. そうだとするとカット除去定理背理法除去とは無関係ではないのか.」

他方で彼の著書では竹内・八杉『証明論入門』を引用してカット除去定理背理法除去を一般化した定理だとも主張している. ここでひとつ反論ができるとすれば「sequent calc.も非背理法的な証明体系ではないか. 証明に現れるsequentは全てvalidではないか.」

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他方で彼のいう非背理法証明というのはそういう状況が起こらない証明をいう. Hilbert流の証明体系では途中にprovableなformulaしか現れないことを想像せよ. したがって彼の数学としての主張は「自然演繹とHilbert流の体系は同値. よって背理法は除去できる」

実際efqを用いた証明ではefqの適用の直前に矛盾が導かれているはずだから「途中に正しくない主張が現れる」という状況に適合している.

から彼の拒否する証明法は広義の背理法よりももう少し広いものと考えられる. 例えばex falso quodlibetがnonsenseな証明法だと捉えていることは彼のサイト記述から明らか.

正確にいうと彼のいう背理法は「否定導入と最狭義の背理法」を合わせたもの. 背理法拒否する根拠は「背理法を用いた証明では途中に正しくない主張が現れる」こと. 自然演繹証明図は途中にunprovableなformulaが現れることを想像せよ.

また「背理法を用いて証明できるなら用いないでも出来る」というのは彼の言葉定義では正しいので「直観主義論理が云々, 派生規則から暗黙に背理法が使われてる云々」は反駁にならない.

教育の話だろ」という人間には「教育論の補強に数学を濫用しているし, 数理論理学教科書まで出版している」と反駁しましょう.「それでも教育的な価値は云々」という人間には「教育論として批判しているのではなく数学として批判しているのだ」と反論しましょう.

適切に批判しないと「(最狭義の)背理法なしでは(通常の述語論理形式的体系において)証明できない命題があるなどという人間は(彼の意味では背理法なしでも証明できるので)数理論理学理解していない初心者である」などと云われて, 傾げる首を切り取られてしまった人間賛同するので

2013-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20130418103425

本をたくさんお読みの文系のお偉い先生の論説が

けだし(誤用

思うに(お前の思い込みが論拠かよ)

で埋め尽くされる自称論理的な代物である件について反論をどうぞ。

文系でも理系でも論理学を学ばずに用語「論理的」を語るなかれ。

論理主義直観主義・形式主義といった深いところまでは知らなくても良いけど。

 
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