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はてなキーワード: 目的論とは

2024-04-14

[] 2024-04-13

夜ふかしをして以下の動画をみた。

Roy Baumeister: Free Will, The Self, Ego, Will Power

https://www.youtube.com/watch?v=aXoK-C2c2AQ

収穫があったと思うのは、まず自由意志というものがあるなら、それはランダム性とは関係がなく、また生きていく上で便利なものであろうということ。

例えば大統領演説原稿を書くという作業があるとき自由意志が使われるなら的を射たものであるはずだ。

自由意志関係がありそうなものとして「意識的努力」と「自動操縦」について話しているが、

意志力が強いと言われる人の多くは習慣化能力が高く、それは自動操縦的であり、意志力が高いわけではない可能性があるという。

では意志力を要する「意識的努力」がどこで使われるかというと、例えば「計画」という作業には意識的努力必要だが、これは将来的に行われるであろうタスクエネルギーを減らすために行われることが多いという。

一部の科学者は人々に対して「自由意志存在しない」ことを説得しようとしているが、実用的に見るとこれは逆効果だという。

どういうことかというと、自由意志存在すると信じていれば悪さをする可能性が減るわけである

自由意志が無いと考えれば「コントロールできない、なら悪さもしょうがない」と考えてしまうわけである

自我の枯渇」という点は興味深い話だが、要するにタスクをこなせばこなすほど消耗し、自制心は減っていくということだ。

このため、意識的努力をするためには、十分なエネルギーを残している必要がある。

「自制心」と「知性」は基本的に向上させればさせるほどよく、マイナス面が無いという。

 

この動画をみたあとでも、私の宗教観は揺るがなかった。

まり意識とは存在する意味の一つであり、意識を持った主体がこの世に存在しなければ宇宙存在無意味である

そして自由意志は、意識の持つ機能の一つである。予め決められた通りの人生決定論的に歩むなら、それもまた存在の意義を失わせるに違いない。

目的論的にみて、意識自由意志は神が与えた存在の意義の一つであると思うわけである

2024-02-19

宗教」という問題について語ろう

「私に宗教必要ありません」

宗教勧誘を受けたときによく口にしてしまうこの言葉

多くの日本人にとって宗教は「必要のないもの」という感覚が共有されているように思う。

しかし、本当にそうだろうか。

あるいは、「宗教必要のないもの」という認識宗教問題について冷笑的な態度を生み出し、本当にその問題について考えることを無意識的に避けてしまうのではないだろうか。

宗教(Religion)」という言葉は実は近代語だ。

もともと、この語源となるラテン語における「Religio」は、「(精神的な)深い絆や繋がり」を指す言葉であり、もしくは今日においても「Religious」が指すように「信仰深い態度」そのものを指す言葉として使われていた。今日における「○○教」といったような言葉は、単に「○○の弟子たち」あるいは「○○の後を追う者」といったような言われ方がされてきたし、日本においても「茶道」「武道」などの言葉に残るように「仏道」など「○○道」という言葉があてがわれていた。近代に入るまで「信じる」ということが、より実践的な行為と不可分なものとして扱われていたことがうかがえる。

私なりに「宗教」という問題が何を指すのかを考えてみるところ、それはおそらく「生き方(a way of life)」そのものなのだ

このように言うと、「ならやっぱり必要ないじゃないか。現に私たち宗教に頼らずとも、自分たち生き方に不満がないのだから」と言いたくなるかもしれない。それもひとつの「生き方」だ。

しかし、もう少し俯瞰してみると、これには以下のような構造が見て取れる。つまり日常生活においては必要のないものいるかもしれない。しかし、自身の生きる目的や指針などが根底から揺らいだ時にも果たしてそうだろうか。宗教的契機は必要ときに必ずや立ち現れるものなのかもしれない。

少したとえ話をしよう。

人類史における長い間、「地球は平だ」とする見方が優勢だった時期があった。しかし、当時に生きる人々はそもそも、大半が一生を自分の村で過ごす農民だ。たとえ貴族であっても交流範囲は限られていた。シルクロードを通じて、遠くから物品が運ばれてくるとしても、それは「遠くから運ばれてきたもの」であり、具体的にどのような道を通ったのか、その間に地平線を意識することもなければ、時差について説明する必要もあまりなかったはずだ。つまり、「丸いと考える必要がなかった」のだ。

しかし、時代は移り変わり大航海時代領域国家なども生まれ、人々の交流範囲がどんどんと地球規模に発展していった。その過程で、例えば「他国より手短にインドに行ける方法」を知らなければいけなくなったし、「離れた地域の人と連絡を取る方法」を考えなければいけなくなったし、「大規模な航海を行う必要」にかられた。その過程で、新たな発見を迫られ、徐々に「地球は丸い」という考え方が受け入れられてきた。

これは、地動説VS天動説しろアリストテレス目的論VSニュートン力学しろニュートン力学VSアインシュタイン量子力学しろパラダイムシフトというのは、往々にしてこのように「新たな問題に気付き、これを解決する過程で、認識全体が変容する」ことによって起こってきた。

宗教においてもおなじことがいえる。

まり、「宗教」というものも、そのようにより深い、目の前の生計や、人間関係さらには政治技術、そういった問題を超えた「自分自身は何のために生まれて、何のために生きているのだろう」「この世界は何のためにあるんだろう」といったような問題対処するための、プラグマティック実践論といえる。

そして、「自身生き方に行き詰ったとき」「自身生き方を見直さなければならない時」に、必ずこうした宗教問題に取り組む契機が訪れるのだ。

これは、「既存伝統宗教新興宗教は信じるに値するか」といったような問題とは異なる、より根本的な「宗教的契機の構造」の話をしている。その上で、「どんな信仰体系がその個人にとって意味があるのか」は、その個人マインドセットや、置かれている社会的文化的環境によって異なってくるだろう。もちろん、その人が置かれている社会的文化的環境によっては、特定信仰体系が反社会的であるとされることも容易に想定できる。それこそ、人々が宗教的契機に恵まれる、「自身生き方根底が揺さぶられるショック」を受けた状態に、巧みな言葉を投げかけ、献身的信者を作ろうとする商業主義宗教は、必ず唾棄されなければならないと考えているし、宗教もつ「強固な集団形成力」が誤った方向に向けられ多くの不幸を生み出した事例は人類史を見ても枚挙にいとまがない。伝統宗教価値を見出すとすれば、それは「長年生き残ってきた風習であることに意味を見出す保守主義観点からだと言えるかもしれない。いずれにしても、それが「生き方」の問題である以上、ひとりひとり、さらに状況によっても異なって当たり前だし、多様な実践が見られて当然だろう。

宗教は我々の生き方(a way of life)を根底から見直すときに必ず立ち現れる根本的な認識論であり実践である

これが私の考える宗教という問題であり、宗教に関する多元主義的視座の土台である。ぜひ、みんなの意見も聞かせてほしい。

2023-06-14

ソロキャンプはするけど世間話はしたい勢

https://tandokuyaei.com/2257/

「なぜソロキャンプをしているのか」それを考えれば誰でも話しかけに行ってはいけないことくらい分かるはずです。

 

独りになって孤独を楽しんだり一対一での大自然との対話を楽しみたくてソロキャンプしているのだからしかけるなんて無粋だ、と言いたいのだろう。

でも、その目的論を持ち出すのだったら、人間ウヨウヨいるキャンプ場なんかにテントを張るなと言いたい。専用設備のある場所しかできない(教え魔から逃げられないスポーツジムや打ちっ放しやボウリング場とは違う。キャンプ人間から逃げようと思えば好きなだけ逃げられる。それができるのにあえて人の集まるキャンプ場に来てるんだから、ある程度のコミュニケーションは許容しているものとみなされても仕方なくないか

 

俺はソロキャンしててもコミュニケーションは歓迎している。よほどのことがない限り自分からしかけることはないが、話しかけられるぶんにはウエルカムだ。そこから世間話をはずませて出会いを楽しみ友情を育むか、相互に「怪しい者ではない」確認を済ませたらまたそれぞれの孤独に戻るかは、大人コミュ力でケースバイケースに判断する。相手が話し好きそうな人ならナンボでもつきあう。

もちろん俺とて孤独を楽しみに来てはいるが、立ち話なんか意識して長く引っ張っても数分程度のもので、そんなことで邪魔されたとは思わない。一日中べったりつきまとわれるわけではあるまいし、残りの十数時間は俺ひとりのものからだ。十分だろう? ともかく、そういう人もいるってこと。

 

そして、グループキャンプだと事情は180度変わる。

一般ピープル向けのオートキャンプ場には、キャンプに不慣れな人々も何割か混じる(近代設備の充実度と客の経験値反比例する)し、みんな大自然の中でオープンマインドになっているのでコミュニケーションにはむしろ寛容な空気すらある。俺のグループも、お隣でテントを張るのに四苦八苦している初心者ファミリーを見かねてお手伝いしたことは一度ならずある。もちろん親切の押し売りにならないようにちゃんと「お手伝いが必要ですか?」と声をかけているし、その後は向こうからも話しかけてきてくれたり、一杯二杯ごちそうになったりすることもある。そんな一期一会だってキャンプの楽しみのひとつではあるわけで、そういう場所で「話しかけんなオーラ」を出してるのはむしろ自然というか、それこそなんでここに来たのって話に戻る。

 

別に、下心むき出しでアプローチしてくるスケベオヤジ擁護するためにこの文章を書いたわけではない。不躾なやつはどんなTPOだろうと迷惑だ。だが、そういうやつは正直どこにでもいるし、根絶するのは無理だ。マナーの悪い客がいて落ち着いて食事ができないのはガストスシローを選んだお前が悪いのだ。静かに食事をしたかったら家族連れのヤンキーが集まるような店を選ぶな。それと同じことだ。話しかけられたくなかったら人間の集まるところに来るな。

2023-02-13

[]情報意味とは

宇宙について、情報意味を重視しない方法論がある。ビッグバンからまり量子場が形成される。それぞれの場は量子粒子と関連している。宇宙が膨張し冷えるにつれて、これらの粒子は結合したりしなかったりして、陽子中性子電子光子が残る。そして銀河、星、惑星といったより大きな物理構造へとつながっていく。そのうちの少なくとも地球では、生物進化している。そしてその世界とある種の生物の頭の中で、神経活動が行われ、思考可能になる。思考可能になった時点で意味が出現した、とこの方法論は言いたいのである

情報記述について明確に欠落しているのは、意味である。シャノンは、記号の列がどのように通信路を伝わっていくのかを理解するという目的のために、意図的目的論を排除した。しかし、生活経験では、情報直感的に意味と結びつけている。情報重要なのは、何かを意味するからである

意味情報とは一体何か。意味情報定量化できる数学的な基礎とはなにか。どういう状況にどれだけの意味情報存在し、それがどのように発生し、システム使用するためにどれだけのコストがかかるかを理解することはできるだろうか。

システム環境区別する」という発想がある。システムとは、細胞であったり、動物であったり、あるいは動物社会的集団であったり都市国家と考えることもできる。環境は、システムの存続を維持するために資源が引き出される「場」である。定式化するにあたって、意味情報システム環境区別関係するだろうか。生命起源を探る場合創発を引き起こすなにかがある。

細胞化学物質区別が生じるのは、細胞膜が情報を使って、何を入れて、何を入れないかを決めているからではないか。そうやって自己と外界を区別しているのでは。細胞化学物質の中で生きるなら、細胞システムで、化学物質環境ということになるのか。そしてシステム環境の出現を可能にするために、何かが存在しなければならない。

科学する世界は、決して人間から切り離すことはできない、とするならば、科学の背後のシステム環境理解することが肝心なのではないか

生命が他の物理システムと異なるのは、時間を超えて情報を利用することかもしれない。この情報アーキテクチャは発展し続け、進化における淘汰が機能した結果である。「生物においては、経路依存性と歴史の混在が新しい形態を生み出す。進化はそれぞれ、それ以前のものを基礎としており、しばしばこ時間を超えて相互作用し、より古い形態とより現代的なものとが相互作用する」 といったことを言う人もいる。

物質から生命に至るまで、創造物は私たち一人ひとりの中にあり、その構造に関与しているのかもしれない。物質の中に潜む意味は、それを支えているのではないか

2022-10-11

anond:20221011145805

かといってたがだか一人の奮闘で別の一人あるいは複数傲慢さが矯正されるとも思えんが

そういう目的論的じゃなく激情に基づいてしたいことしてるだけってなら構わんけど

2022-09-27

anond:20220927150230

>「圧力をかけるための批判」って具体的に何?

俺はそこは目的論というか、法律で言うところの「動機」で判断するべきだと考える。

 

映画の内容が放送される価値のないクソのうえ社会に悪影響がある、と感じたからそれを表明するのは、表現の自由のもと許される。

しかし「映画の内容がクソだって煽って社会問題化して監督経済的被害を与えたろ!」という動機のもと、自分の考えとは関係なく意見拡散するのは、これは表現の自由への攻撃であり許されない。

 

お前は、その二つの区別はつかない、と言うだろうけど、違うよね。

から区別がつかなくても、意見を言ってる本人にだけは、絶対にわかってることだよね。

これは法律の条文じゃなくて、倫理哲学に関する話なんだから、外部から不明であることとか関係ないのよ。己がいかなる行動をとるべきかの話だと俺は考える。

 

その点、お前の「圧力をかけるためでもラインを超えてないならいい」って態度は、容認できないな。少なくとも他人にそう教育してはいけない。

スピード違反をしてなければ危険運転をしてもいい、と言ってるようなもんだ。

2021-06-19

anond:20210619214012

不勉強な君には「義務論」「目的論」「帰結主義」の言葉を贈る。

あとはググって自分勉強してくれ。

2021-02-05

anond:20210205095530

生物目的生殖っていうのも過度な目的論的自然観だろ

お前、俺と言ってること大体一緒だぞ

2021-01-18

anond:20210117132830

それで、この中でまともに心理学勉強した人間はどれだけおるんや……?

少なくともこの話がヒュームからまりファストアンドスローなどでも言及される「経験する自己」と「記憶する自己」や「システム1」と「システム2」のような概念と関わりがあることなどはわかってコメントしてる?

そういった知識に裏打ちされた質的洞察に基づいて誤謬ポイントを指摘するなら、安易に読んで納得してはならない点として価値ある情報だ。

けれど、プペルがどうのこうのと関係ない話にすり替えたり、システム1が「なんかこいつ胡散臭いな」と感じたことを補強するために話をしてるような連中のコメントは無価値だ。

かにこの漫画には問題点があるので、例示がてらこの問題点を指摘してみよう。

催眠体験の詳細があまり描かれていないのは好ましくない。うつイメージはこれほどキャッチーに描いているのに、催眠において起きた心的作用が何だったのかを描いてなさすぎる。

もし実際にアドラー目的論的な「不幸を望んでいる」状態にあった人間精神が移り変わるのであれば、相応に強い心的体験があったと考えるべきだが、そこへの言及が弱いのが「うさんくささ」の原因だろう。

この漫画におけるうつ病のイメージも、アドラー心理学解説も非常に分かりやすい例だが、果たしてこの自称カウンセラーのマエダ氏に依頼したからといって、漫画のようにあっさり治るとは考えづらい。

このような論理展開がこういった作品への批判として為されるべき事ではないだろうか。

うつ病には一定数「頭が良いかうつ病になる」タイプがいるように思われるのだが、この漫画に反応しているような人達は少なからずこういったトピックに関心があるのだろうから、むしろこの漫画を発端として、アドラー心理学などを学び理解を深めればいいのでは?

あるいは、こういった怪しげなものが世の中に跋扈するのが好ましくないという正義感があるのであれば、より誤謬のない作品を世に出すなり、こういったもの17万も出してしまうような人をネットで見つけて親身に相談に乗るなりすればいいではないか

2018-12-06

anond:20181206224353

他人に薦めるなら、こういう知識があったからみんなと違うこういう見方ができて面白かったよ!みたいな例教えてよ

進化目的論的な説明なんて専門家でもするときあるし、それを生物分かってない例にするのはちょっとなあ

2018-11-21

anond:20181121003311

現在私が抱えている10課題

・「隠れた変数」の発見によるEPR paradox証明

・いわゆる「主客問題」の解決

カントール対角線論法を超える方法論による「実無限」の証明

・「私」と「現在」と「ここ」と「同一性問題解決

・「言語」と「論理」と「物自体」との関係性の規定

ライプニッツの「普遍数学」に倣った「普遍統計学」の確立

・「普遍統計学」を応用した株価予測技術の開発

純粋唯物的脳科学アプローチによる「倫理」「美」「目的論」等の「価値問題」の完全処分

・余白が足りない

2017-12-06

農業IoTボトムアップ

「もうからないのが一番の問題だ」 IIJが語る“農業IoT”の課題 - ITmedia NEWS

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1712/05/news092.html

 

まあ、これはこれで良いのかも知れないが、「儲かる・儲からない」の話にするならば、例えば、家庭菜園用の農業IoTキットを売り出すとか、

目的論的にやるのでは無く、趣味的にやらないと上手く行かない気もする。

民間企業を巻き込むなら尚更、勝算のある戦いでないと巻き込めないと思う。

 

プログラムにしても、"Hello world"の表示から始める訳で、小さなことから始めて応用発展させて実用に耐えうる物を作っていく、

という流れの方が収益化は早いと思う。

もちろん、寄り道したり、ステップを踏んだ発展をするので、時間はかかると思うが(なので、目的論的な研究必要だとは思うが)、

まず米農家問題解決よりも先にビニルハウス野菜問題を先に解決しよう、的なスタンスもありではないかと。

穴埋め問題のように楽な所から問題解決する。

 

今までの研究の流れというのは軍需産業からトップダウン的に降りてくる物が多かったが、これからもっとボトムアップ的なやり方を

有効に利用するべきではないかと思う。深センの流れにしても、ボトムアップ的に技術が育ちやす土地からという面は大いにあるあるだろうし。

 

セールしている下の本も似たようなことを言っているのではないかと思うが(ステマという訳ではない)

 

シビックテックイノベーション 行動する市民エンジニア社会を変える (#xtech-books(NextPublishing))

https://www.amazon.co.jp/dp/B075Y93Y67/

2017-08-25

アドラーを少し勉強したら変わるかもよ

アドラーを少しずつ勉強し始めた私が来ましたよ

https://anond.hatelabo.jp/20170825010818

> おそらく、人間が最も不幸な状態というのは孤独なのだろう。

アドラー幸せ人間関係の中にしか無いと言っている。なので、極めて「正しい」。

> しかし、現実には容姿やら金やらが絡んでいる。「孤独ひとつにまとめることはできない。自分容姿が醜い。これだけで毎日が不幸になる。

アドラーでは、これを原因論、と言っている。~~だから~ていうのが原因論ね。

全部やめて目的論で読み替えろと言っている。

孤独になっているのではなく、目的があって孤独になっていると考える。

何か理由があって、孤独でいたいのではと考える。

例えば、その孤独は「金があれば」「容姿がよければ」解消するのだろうか。

「金があれば」「容姿がよければ」孤独は解消されるのだ、という可能性に納得したいためにそう思い込もうとしていると考える。

大抵はそのどちらか、または両方が解消されても駄目で、第三のもっとショックな原因を知ることになる。

あ、原因論にこだわった場合ね。

人間関係上下関係で成り立っていると、他人が羨ましくなりやすい。

他人を羨む時、どこかで、他人を見下す。

顔が良くなるってことは、それよりも、良くない顔を見下したい、ってことに違いないからだ。

多分あなた自分のことに興味がありすぎる。

アドラー

自己受容(たいしたことのない自分を受け入れる。特に優れていることもなく、劣っていることもない、普通である自分を受けいれる)

他者貢献(他人のために貢献する。テイクを考えちゃ駄目)

他者信頼(相手を信頼する。相手を信頼していなければ他人のために貢献しても嬉しくないからね)

幸せプロセスだと言っている。

まずは自己受容からだ。

感覚的には、自分自身に対して無関心になること。

どんな顔してたか忘れちゃうくらい。

不細工だなんてことを気にしている時点で、自分に興味がありすぎる。

2016-11-19

日本人の美意識

日本人の桜の花の愛し方は実に変わっている。世界の人は普通、満開の花を愛するものであるが、日本人は散り際の桜をこそ最も愛するからである

それは諸行無常への愛である。一つの生を生き切った花を見送ると同時に、それは新しい芽吹きへの予感を伴っている。

それは死と生と常に変化し続ける世界をそのまま認める態度である。だから散り際は切なくはあっても悲しくはない、むしろ愛おしい。


同様に、日本人未完成もの、左右非対称な歪んだものを愛する(茶道の歪んだ茶器や左右非対称が基本の生け花のように)。

それは「世界には意味がある、完成形がある」という目的論への強烈なアンチテーゼである

現実をきれいに整理整頓して大きな意味をもって見ようとする欲望世界中にあるが、この欲望はあるがままの現実直視できない弱さでもある。

この混沌現実をそのまま受け入れて愛でる、そういう愛し方ができる日本は素敵だと思う。

2016-10-16

違和感ない?

この世界宇宙、あるいは宇宙がができる前の全ても含めた)が「ある」っていうのにすごい違和感を感じる。機械論自然観じゃなくて、どっちかといえば目的論自然観の方で。なんでみんな、さも「ある」のが当然みたいに話すんだろう。

2016-05-02

アドラー心理学コミックで分かる)

監修 向後千春(早稲田大学教授 アドラー心理学

人間の悩みはすべて「人間関係」でできている

アドラー心理学全体像 ①目的論全体論社会統合論④仮想論人は他者自分・周りの世界自分が見たいように見る⑤個人の主体性

因果律ではなく、「目的論」で考える

劣等感」を発見したのはアドラー

優越への努力→完全への努力

ライフスタイル

受動的VS能動的「好かれたい」「安楽でいたい」「リーダーでいたい」「優秀でいたい」

対人関係優先VS課題解決優先

ライフタスクは3つである

他者との協力」「他者とのよい関係」「人類継続

所属→貢献→自己受容→信頼のサイクル

共同体感覚を磨くことで幸せになる

   

2016-02-18

ハースハウス自然主義ってのは同性愛は不自然だとかいとき

自然」の意味での自然主義なんだろうな。

種の存続が重要だとか言ってるし。まあ目的論だろう。

同性愛者でも、種の存続のために我慢して異性間で性行為をし続けたり、

人口妊娠に関与したりすれば、そのことが有徳であることに貢献するのだろうな。

自然主義っつうか、非超自然主義なんだろうな。

敬虔からよい行為をすることからは有徳とは言えないとするってことは。

2015-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20151206104644

「異常」って言葉否定的雰囲気で使う人もいると思うが、

たんに割合が少ないってだけの意味で使う人もいるってのが大きいと思う。

たとえば人口の5%にみたないのは異常くらいに使うなら、

国立大学入学した人は異常みたいな感じで。

まあなんかアリストテレスだかキリスト教だかみたいな目的論的な世界観の人も

けっこういるようだな。

2015-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20150611200441

横だが、

単に物理現象として一定の条件を満たした物質自己複製するという以上のことは言えないでしょ?

目的論云々には与さないけど、この増田の元々の「繁殖しない個体エラーである」っていう主張に戻して考えるならば

自己複製する個体一定割合以上存在するのが正常な状態である

自己複製をする個体マジョリティ形成する正常な個体である

くらいのことは、人間に関して言えば帰納的に言えるんじゃねーの?

2013-04-08

目的を探すために手段を使えばいいじゃない。

http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/54448950.html

初音ミクとかを見ていて思うんですが、初音ミクを使っている人って、音楽表現したいことがあって、その手段として使っているだけじゃないと思うんですよね。(そういう人もいるとは思いますが)

初音ミクを使いたいんですよ。この素晴らしいプロダクト、キャラクター世界観を使って何が表現できるだろうと思ってワクワクしてるんじゃないかって。あ、こういうことも歌ってもらえる、こういう世界表現できそう、こういう曲はどうか?こういう歌詞にしたら受けるんじゃないか?そう思って作っている。


こんな記事のこんな文言を読んで思ったことを描いてみる

タイトルの通りというかそれが全てなんですが、目的を定めるってとても難しいことで何も成し遂げていない何も学んでいない人間がいきなり掴み取れるものじゃないと思うんですよ。

哲学世界でも目的論は一大テーマであり未だに完全な答えが出たとは言いがたい、というか出ないことがはっきりしてるっぽい?

そんな世界中人間が探しあぐねてる目的なんてものをまず最初に見つけろってナンセンスじゃないでしょうか?

それよりもとりあえず一番気に入った手段を利用して目的を探していく作業にこそ価値が有るのかもしれない。

と、いうメモでした 以上

 
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