はてなキーワード: 無限とは
そこそこ長い間婚活をしていた。
まったくうまくいかなかった。
スペックは年収 800 万円で旧帝工学系修士号で 30 台前半だったことが長所で、短所は 165 cm で童貞なところだった。旧帝工学系によくあるスペックだ。
女に興味がなかったわけじゃない。婚活を始める遥か前から少なくない回数デートをして性交渉することなく毎度あえなく振られるという有様だっただけだ。
誘っていなかったといえばそれはそうだが、明確に付き合うということができていなかったしむしろ明確に振られている状態のまま強引に繋ぎ止めるような関係をつづけていた手前誘う勇気がなかったのだ。
あの頃のあの女性らを誘ったところでまぁダメだっただろうなと今でもそう思う。
「あなたはとてもいい人だと思う」そう言って彼女たちは消えていった。
女性と接点がなかったわけでもない。少し女性の多い競技スポーツをやっていたのでそこで出会いは潤沢にあった。でもダメだった。
女は見る目がないとかいうつもりもない。私はなるべくしてそうなっていたのだろうと納得もしていた。
しかし結婚をしたかった。だから婚活をした。でもダメだった。少なくない回数デートをして性交渉することなく毎度あえなく振られるという有様を繰り返した。
そして毎回「あなたはいい人だと思う」とそういう言葉を聞かされた。
私はしかし絶望しなかった。私は行動する童貞でありたかった。行動しない童貞はただの童貞だ。不完全な童貞はその不完全さゆえの行動が要求されるのだ。
そして私はデリヘルを呼ぶことにした。特に確固たる理由はない。ただなんていうか今更素人とか玄人とかそういうことにこだわっている自分が馬鹿らしくなってきただけだ。
それでなにかが好転するとは思わなかったし、そんな理由では断じてなかった。
ただ私は事実としてデリヘルを呼んだ。自宅に。そしてすっきりさせてもらった。本番はしなかった。それでもなんていうかなんでもないなと思った。世界はなにも変わらなかった。
それからしばらくしてなんとなくメールボックスを見た。過去何度か私を好きだと言ってくれた女性から連絡が来ていた。
あまり合わない人で好きなタイプでもなかったがそういう拘りも気持ち悪いなと思ってどうでもよくなってメールを返した。
それでなんか知らんけどセックスをすることになった。あっちもはじめてだった。彼氏はいたらしい。フェラ抜きだけしてたらしい。
30代の童貞処女でセックスをした。当たり前にうまくいかなかったがなんとか挿入まではできた。なんでもなかった。世界はなにも変わらなかった。
そのあとその女性がなんかたくさん連絡をしてきてうざかったがまぁ因果応報だなと思い対応していた。彼氏に私とのことをラインで言ったら無言ブロックされたと言っていた。そういうこともあるんだなと思った。
私には恋人がいたことがないからそれすら羨ましいと感じた。たまに電話が来て深夜まで対応したりしていた。文句はかなりあったが常識的には私が悪いのだろうからまぁいいやと思って対応した。
そして婚活を再開した。相変わらずよく振られた。しかしそのことがなんかどうでもよくなっていた。
そして並行して相変わらず継続してデリヘルを呼んでいた。それは素直に楽しかった。婚活のデートの前日は必ずデリヘルを呼ぶことにした。
なんかデートがうまくいくようになった。女性一般のことを言うつもりはないが私が好きになる女性はなんか性的な飢えみたいなそういうものに敏感なのかもしれない。
デリヘルの病気が怖くなったのでペイターズに移行した。ガチの大学一年生とかいて楽しくて仕方がなかった。安いし。
ただ飢えみたいなものが消えたからかなぜか三人の女性と普通にうまくいってしまった。
経験的に振られるつもりだったから結果三股みたいになってしまった。
どうしようか迷ってその中で一番最初に結婚という言葉を使った女性と結婚した。今ではうまくいっている。
今はもうデリヘルもペイターズも使っていない。
ただ結婚する二年前くらいに金で買うことを覚えて二年くらい遊んで結婚したかったなと思っている。半年くらいしか遊べなかったので。
でもまぁいいかなと思う。
無限降下法は背理法の亜種だが、受験界隈でもあえて習わない上に、基本的に何を言っているのか分からない論法であって嫌悪されている。
考えてもいいが、そもそも、自分で自由自在に用いることができるようなドリルが入っていないので、考えても無駄である。
不定方程式に解が存在しないことを証明する手段が存在しないわけではなく、
x^n+2y^n=4z^n
であれば、無限降下法で存在しないことが証明できると、赤チャート632頁に載っているが、上の、 2,4がなくて全部係数が1になると
途端に方法がなくなるというだけ。
解が存在しないことの証明は、 2006年の東大理系の問題を始めとしていくらでもあるが、フェルマーの大定理の場合は、なぜか存在しない。
アニメ制作の流れや、趣味や商業目的で使用されている技術についての説明に使えそうな動画を探してたら、かなり辛辣というかキツい主張をしているアニメーターの動画を見つけた
- アニメーターの平均年収は440万円で、日本の平均よりも若干高い
- トップ層のアニメーターは年収が1000万円を超えるし、原画もトップ層は1600万円を稼ぐこともある。トップ層には届かずとも、監督であれば600万円台の年収が見込める(これは地方の役職付き社員や首都圏の中堅社員と同等の水準)
※1と2は、一般社団法人日本アニメーター・演出協会の情報を参考にしている模様- アニメーターは誰でも目指せる職業だが、そのためにトップクラスとそれ以外の間に大きな差が生じている。技術が低いアニメーターのポンコツ作画を修正するのは、作画監督やより優れたアニメーターの仕事となっている
- 稼げない、生活できないのは単純にアニメーターに向いていないからでは?トップクラスになれなくても、必要な技術や能力があれば、平均的なサラリーマンよりも稼ぐことが可能
- ポンコツをクビにしたくてもできないというか、技術が低いポンコツアニメーターが多いことがアニメ業界の本当の闇
動画主(アニメーター) の主張を聞いたワイの感想は、その意見も一理あるというか、ほぼ全面的に『まあ、そうでしょうね』という感じ
特に、動画主(アニメーター)が指摘する『トップクラスとそれ以外の間に大きな差が生じている』という現象は、アニメ業界に限らず、ほとんどの分野で見られる
例えば、『20代から40代までなんとなく続けてきた人』と、『40代から新たに挑戦する能力の高い人』だと、後者が勝つ傾向にあったりする
これは、人間の能力が、身長のように目に見えるほど差があるという、残酷な現実を示す一端だ
だからこそ、世に溢れる自己啓発書では、わがままが許される状況下なら、『特別に好きなこと』もしくは『競争に勝てる得意なこと』のどちらかを仕事に選ぶべきだと大昔から説いているんだね
競争に勝てなくても三度のメシより好きなことに情熱を注ぎ続けられるなら、後悔のない自分らしい人生を送れる可能性が高いし、好きなことでなくても競争に勝ち続けられることなら、プライベートに注力できる時間や余裕が生まれるから
ちなみに、年収が低いアニメーターはアニメーターに向いていないという意見だが、IT業界にも当てはまる。年収が低いIT屋が、IT屋に向いていない可能性はそこそこ高い(もちろん、金銭的な成功ではなく、技術探求に情熱を注ぐ人もたくさんいるし、無給で自宅で勉強するのではなく、会社で給与を得ながら学ぶ戦略を一時的に取る人もいるので、そういうのは例外)
強いて動画主(アニメーター)の主張に対してワイがツッコミを入れるとしたら、ポンコツアニメーターも人間であり、尊重されるべき存在であること、ポンコツにも生活があることを忘れずに、接しましょうかな。気軽にクビに〜とか言ってるけどね。つか、業務を依頼したり、雇用した時点で、責任は伴うもんでしょうよ
自分がどのポジションにあっても、すべての人に敬意と思いやりを持って接するべきだよね、スキルに関係なくさ
ちなみに、日本のIT業界も、アニメ業界と似ていて、業務に必要なスキルを持った人を揃えることができない問題に直面することがそこそこある
要領が悪いSIのSEや社内開発のプロジェクトリーダーが、業後や休日にポンコツ技術者の作業を手直しているケースを見かけたりもする(おそロシア)
これは、過労死リスクを高めるだけでなく、まぁフツーにプロジェクトの遅延にもつながるよね
しかし、本当にやるべきなのは、適切なスキルを持つ人材を事前に準備し、アサインすることなんだよね
事前準備や根回しが間に合わない場合でも、『いや、○○の経験をある人揃えられないなら無理ッス』とハッキリ言って、とにかく周囲に理解を求め、状況に抗う姿勢を示すことが大事なのよ(無理なものは無理)
政治的または予算的な制約で人材確保がどうしても不可能な場合は、開き直って、誰が参画してもスムーズに業務を進められるような効率的なワークフローを構築することに全力を注ぐべき。社内の過去案件の資産を徹底活用し、チームで仕事ができる環境を整えることが最優先。つか、ITは本来、効率的なワークフローを作るお仕事だからね
もちろん、ちょっとナレッジ整えて教育したくらい、枠整えたくらいでは、どうにもならねぇポンコツメンバーってケースもあるだろう
しかし、それでもやっぱりやるべきことは、ワークフロー構築に全力を注ぐだよね
なぜなら、どうにもならねぇことはどうにもならねぇからだ。選択肢は、『メンバーが育つのを待つ』か、『危機感を持った人が人材を投入してくれるのを待つ』か、『プロジェクトから逃げる』の3つだよ
いや、それで査定は乗り切れない、俺私の無限残業でリカバリーする!!!!って言ったって、どのみち、俺私に社内やプライベートで予期せぬ予定が入る度に、プロジェクトは遅延するよ
同じ体力と時間を使うなら、予期せぬ事態にも対応できる体制を作り上げることの方に使おう(次回も使える)
IT屋さん(geekではなく、並な人々や技術がポンコツな人々)にとって、効率的に少人数で業務を回し、負荷が偏らないようにチームで仕事をする仕組みを作ることは何よりも重要だけど、
動画主(アニメーター) の辛辣な主張のように、パヤオのような天才やトップ層だけいれば、ポンコツな人々はいなくていいみたいなマッチョな思想の人が多い業界なのかしらねって思いました
多くの数学者は最も美しい証明を見つけることに意欲を持っており、数学を芸術の一形態と呼ぶことがよくある。
「なんて美しい定理だろう」「なんてエレガントな証明だろう」と言う。
完璧な部屋の形状は、ルネッサンスの建築家によって、壁が一定の比率を持つ長方形の部屋であると定義され、それを「黄金分割」と呼んだ。
建築家は今日でも、最も調和のとれた部屋には黄金分割比があると信じている。
この数値は、多くの数学的現象や構造に現れる (例:フィボナッチ数列の極限)。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、均整のとれた人体と顔の黄金分割を観察した。
西洋文化やその他の文明では、均整のとれた人体の黄金分割比は、上部 (へその上) と下部の間(へその下)にある。
モザイクは、固体部分(木、石、ガラスなど)を重なりや隙間なく平らな面に組み立てる芸術形式である。
その洗練された形式では、モザイクには認識可能なパターンがあり、それが 2 つの異なる方向に繰り返され、中心も境界も優先方向も焦点も特定されない。
19 世紀には、数学的な観点から、タイリングには 17 個の対称性しか存在しないことが証明された。
アルハンブラ宮殿のモザイクは、考えられる 17 の対称性をすべて表していることが発見された。
タイリングを形成するとは、2 次元平面を幾何学的形状 (多角形または曲線で囲まれた形状) で重なりなく完全に覆うことを意味する。
タイリング画像を変更せずに仮想的に回転または反射できる場合、タイリングは対称と呼ばれる。
歴史上最も印象的なモザイクは、中世のイスラム世界で活躍した芸術家、特にスペインのアルハンブラ宮殿の美しく洗練されたモザイクを作成した芸術家によって制作された。
アルハンブラ宮殿は、グラナダの旧市街を見下ろす赤土の丘に、13 世紀初頭にムーア人によって建てられた。
ここは、膨大な量の模様、装飾品、書道、石の彫刻など、イスラム教の建築とデザインを展示するものである。
オランダ人芸術家MC エッシャーはアルハンブラ宮殿を 2 度訪れ、宮殿と周囲の中庭のタイルに見られる華やかな模様をスケッチし、カタログ化した。
これは、タイルが一定の間隔で表示または発生することを意味する。
何百年にもわたる熟練した建築、タイル張り、 (調和する力としての)対称性への深い敬意、(宗教と商業のための)幾何学の研究と知識により、17 の考えられる対称性グループすべてがアルハンブラ宮殿の壁に表現される。
自然界の結晶(雪の結晶、鉱物、宝石など) は、秩序と対称性規則に従って原子的に構築される。
非周期的タイリング、つまり周期性のないタイリングは 1960 年代に数学的に可能であることが証明されたが、当時は秩序はあっても周期性を持たない固体構造は自然界には存在しないと考えられていた。
1982 年、イスラエルのテクニオン大学のダン シェクトマン教授は、後に準結晶として知られる自然が作る非周期結晶の存在を予測した。
このような自然で作られた石は、ロシアの山岳地帯で最初に発見された。
2009年、この発見はプリンストン大学の教授であるポール・スタインハートによって科学的に発表された。
2011 年、シェクトマンはその予測によりノーベル化学賞を受賞した。
そうでないなら、美しさは見る人の目にあるか?
このチビー→チビ「ギャオオオオオオオオオオオオン!!(30人しか見てない配信でチビ男を拒絶され無理やり燃やす、ニュー速芸スポ嫌儲なんJ勢い1位、Yahooニュースコメントランキング1~5位独占、たぬかな自宅に無限電凸し父と弟が出たら引っ込む、全板のたぬかな復帰スレを数日間スクリプトで潰し続ける、スクリプトが規制されたら芸スポでスレが立たなくなるまで数日間ほぼ寝ずにスレ違いの高卒叩きコピペで埋める)」
マルチバース理論で生まれ変われると知ってから、夢の喪失感は消えたぞ。
宇宙って実はここ一つじゃなくて、いま現在、無限に、同時に存在してる。
このマルチバース論は科学界で広く支持されてる。矛盾が少なく色んな事象をうまく説明できるから。
で。
ポイントは異なる物理法則が支配する宇宙が「無限に」存在するということ。
今の俺の状態って原子や電子の電気的な配置ですべて決まるじゃん?
だとすると、今の俺とピッタリおなじ状態の瞬間が別の宇宙に存在しうる。
無限に続く円周率の中に、111111のような奇跡的な連なりどころか、シェイクスピアの戯曲だって全部入ってるのと同じ。
俺は大人だが夢を持ち続けられてるよ。見知らぬ女の子の初恋相手になって、俺も彼女を好きになって、結ばれる。幸せになるんだ。
数理談話会
会場: ハイブリッド号室(大学院数理科学研究科 大講義室+zoom)
講演者
講演題目
© 2024 東京大学大学院数理科学研究科 ビデオアーカイブ・プロジェクト
講演題目
フェルマーの最終定理は、 x^p+y^p=z^pには解がないという定理として確立したもので、不定方程式と素数という一見無関係なものの間を統一する定理である。
しかし、不定方程式に対する解の不存在性は、無限降下法の他に、まどろっこしい方法しか知られておらず、初等数学界では、どのようにしたらいいのかが知られていない。クンマーのイデアル理論は、z^p-y^pを因数分解して迫る理論である。しかし、それによっても、全部を解くことは出来なかった。1つの考え方として、国際数学オリンピックの問題作成者、解答作成者たちに解答を求めるという方法もあるが、
東京大学を含む学会では、そのアプローチを試みた者は誰もいない。そこでこの講義では、高校生向けに、なぜこの問題が解けないのかの様々な理由を紹介することとしたい。
しかし黒羽刑務所のような制限的生活の中で集中していたとしても、森脇と言う驚愕的な体験があるので、それなりに成長すると思うが黒羽には座学授業がないので、系統的体系的に
何かを教わるわけではない。幾何学の授業はない。 驚愕の森脇に、古典の長谷川、が10工場の中身である。長谷川が古典的な生活を指導して対象事物の中に真理を見出させ、
森脇が驚愕させて発見させたり技術的に完成させる。しかし、森脇が驚愕させたとしても、受刑者が発見するのは指数定理程度である。森脇が驚愕させることでIMOの問題が発見できれば世話
はない。ゲーテは非常にあいまいなことを言っており、真理は深いところに収まっているので、誰でも発見できるものではないという。そういうことになると、幾何学なら、定理や問題も発見できなくなるし
教科書に書いている基本的な方程式すら発見できなくなる。これだと何が天才で何が平凡であるかの区別も分からない。
経時的時間の中で美しいものだけが最終的なものであろうと思う。しかし、数学では、定理は、一般には美それ自体とはされていない。数理哲学者のロタは、定理は、永遠不変に美の輝きを
持つわけではなく、 発表されたときに驚愕される。逆に、証明における驚愕的な証明は、その証明自体が永遠不変の輝きをもつとされる。したがって数学では構成の手段の中に永遠不変の美が
あり、結論における美は、そのうちになくなるということである。そうすると、神は、技術的構成中の美において永遠不変を認めて、結論の美については、いつまでもそれに対して美を与えないという意思
があるように思う。
ゲーテの言っている、 未知の無限の可能性、可能なものの限界は測ることはできないから絶望よりは希望する方がよいと述べているが、仮に到達不可能な領域があるとしてもそれも結局、
大勢の前で話す時に緊張して声が震えてしまうという悩みがある。これのせいでたくさん恥ずかしい思いをしてきたし、パフォーマンスが出せず評価を失ってきたし、最近はこれのせいでこの先のキャリアを諦めようとも考えだしていた。
それを最近インデラルという薬で克服することができた。
本当に感動したし今後の人生プランが明るい方に行きそうな気がしている。本当に助かった。。。。。!!!!
インデラルは単純に言えば血圧を下げる薬だけど、血圧つまりドキドキを抑える薬なのであがり症にも効く。
なぜインデラルを処方してもらうになったかは、数ヶ月前に「結局脳も臓器だから気持ちや性格なども薬でどうにかできる」みたいな内容の増田を読んでからだ。
その増田ではいままで自分の性格だと割り切ってた良くないところが薬でよくなったという内容だったはず(探してみたけどもう見つけられなかった…)
若い頃は大勢の前で話す機会は多くなかったのでなんとかなったが、最近はもうだいぶ管理職みたいな感じにもなり、大勢の前で代表して話すみたいな機会が多くなった。
しかも話す相手は数十人だったり、その日初めて会うお客さんだったりと、緊張しやすいシチュエーションばかり。
声が震えてしまったその瞬間もそうだけど、後からもその時のことを思い出して苦しむ。いい年なのに恥ずかしい。みんな笑えるとかよりも可哀想と思ったんだろうなとか。
シャワー中とか寝る前にフラッシュバックしては死にたい気持ちになった。
これはしかも準備ができてないから緊張するのではなく、私の場合は準備すればするほど「準備したのに」というプレッシャーを感じで緊張してしまう。
カンペを用意してそれを一字一句読むだけならいけるのでは、と思ったけどダメだった。
コロナ後テレワークできるようになってからはオンライン会議が主流になったので、酔った状態でやれば緊張しないのではと会議の前に強いお酒を一気に飲んだりもした。だめだった。普通に緊張したし、会議後に気持ち悪くなって最悪だった。
もうこの仕事辞めようかな。みんなの前でスラスラ話せたら可能性は無限に広がる。けどそれができない。頑張ってるのに。むしろ頑張りに比例して緊張は膨らみ声は震える。
そして数ヶ月前、件の増田を読んで本当にハッとした。
自分のこれもれっきとした「症状」であり、であればこれを治す薬があるのでは。
なぜ今まで薬に頼らなかったのかとも思った。
呼吸法とか話し方によっては改善できるみたいなのは「声が震える 対処法」みたいな検索でたどり着いたけど、薬で解決するは考えたことも検索結果に出てきたこともなかった。
増田を読んでから「声が震える 薬」みたいな感じで検索して、インデラルという薬があがり症の対処に使われていることを知った。
薬の口コミをみると(昔は個人輸入で簡単に手に入ったけど、いまは病院でしか処方してもらえない)自分と同じような人たちが同じ症状を克服していた。
早速オンライン診察してくれるところでインデラルを処方してもらった。
オンラインで診察してくれた先生にインデラルを飲みたい理由を話すときに「これのせいでキャリアも諦めようと思ってた」と話したら自然に涙が出てきた。
諦める必要はないですよ、って先生が言ってくれてさらに涙がでた。
つらかったんだなー。
会議が始まると、緊張してる感覚はあるけど、心拍数はあがらない(Apple Watchで都度確認してた)。そして緊張なく声は震えることなく上手く話せた…!
心臓がドキドキしないと緊張は薄れていくことが体感でわかった。
緊張のスタートは気持ち(脳?精神?)だけど、それによって心拍が早くなって、緊張が加速•持続するんだね。
結局緊張も身体の反射なんだなーと。
なのでそこの心拍数があがるのを薬で止めると緊張がなくなると。
同じこと悩んでる人、思い詰めてる人がいたら薬でどうにかできることを知って欲しい。
処方してくれた先生が言うには、薬で成功体験をたくさん作れば、そのうち薬がなくても緊張しなくなる、とのことだったので、自分もそこを目指してる。
と思うじゃん?
4090持ってるけど無限に生成されるエッチピクチャーは何の感慨もないし微妙に自分の趣味から外れてるのを軌道修正する作業はめんどくさいしで別に良いもんじゃないぞ