はてなキーワード: 歳暮とは
テレビでやってた「007は二度死ぬ」(日本を舞台にした1966年のジェームスボンド映画)を見ていた。
ボンドが優雅にウイスキーを愉しんでいるシーン。ところがテーブルに置かれている瓶はサントリー・オールド、「ダルマ」だった。
歴代ボンドガールに劣るとも勝らない容貌を持つ妻と二人で「そこでダルマかよwww」と指さして笑った。
英国スパイが嗜むウイスキーとしてダルマを出すとは、いくらなんでも場違いに見えてしまったのだ。
よほどサントリーがゴリ押しでタイアップさせたのだろうが、主演のショーン・コネリーは生粋のスコットランド人だし、無粋だなあと思った。
だが。
今でこそダルマはかなり庶民的なイメージのウイスキーだけれど、どうも調べてみると、60年代当時はもっとグレードの高いイメージのお酒だったようだ。
サントリー公式サイト オールドの歩み 60's~70's にはこうある。
“原酒100%のウイスキー”であるサントリーオールドは、中元歳暮の時期を除いて店頭に並ぶことがないとさえいわれる高嶺の花でした。働く男たちの憧れの酒──1950年代から60年代にかけて、オールドは「出世してから飲む酒」の象徴だったのです。
高級品だった!
(儀礼的なプレゼント、例えば中元歳暮の類を用意するのは女性の役割、それが夫の関係者へのものだろうとな)
女性は子供のうちから母親に「贈り物をする際の常識的なマナー」的なものを厳しく躾けられるし、
本人も社会で生きていくに当たってそういう知識が必要という意識があるから知識が身についている人が多く、だから女性は恋人へのプレゼントもあまり外さないが
男性は「贈り物のマナーを身につけなければならない」という文化も感覚もなくそういう事を学ぶ機会も少ないから
店選びも同じで、非常識な店選びをしたら叩かれることが多いのは女性の方だからこそ
女性はそういった常識を身に着けている(身につけなければ社会的に生きていけない)けど
男性は身につけなくてもいいとされているから非常識な店選びをしてしまう
全部逆なんだよなあ
男性は贈り物とか店選びについて社会的な責任がないから平気で女性に変なもの贈るし変な店に女性を連れていく、
(そもそも「好きな女性を口説く」時くらいしかそんな事を求められない、ってのもある)けど女性は責任があるからそうではない
以前電通だかの人の接待ノウハウがホッテントリにあったけど、男性でもああいう仕事をしている人なら知識があるし女性相手でも変な事はやらかさないだろう、
子供時分に商店の倅だった者だが、コロナ騒ぎを見ていて、またいくつかの店が飛ぶ
と思うと胸が痛い。こういうことになると、だいたいギリギリでやってたところが、
卸との間に支払いが滞ったのか、棚がどんどんスカスカになっていった。主人は
確か脱サラした細身の男で、東京六大学を出たとかで、田舎にしてはしゃれた柄物
のブラウスとか扱っていたが、最後空っぽのガラスケースに囲まれて、家賃も
払えなくなっても、店の真ん中の椅子に座り込んで、立ち退こうとしなかった。
なんか最後、何人かスーツ着た男の人が来て、連れていったそうだ。
・手を広げて夜逃げした贈答品店
中元歳暮や婚礼などの進物を扱う店で、郊外のロードサイドにも店を出すなどして
羽振りが良かった。倅が小学校の同級生だったので、家に呼ばれてよく遊んだ。
おやつに皿に乗った紅茶が出て、ブルボンとかの透明な袋に入ったお菓子が添えて
あるのが衝撃だった。ある日突然店が閉まってスッカラカンになった。親父に聞くと
手を広げすぎて、以前から経営は良くなかったらしい。自慢のキャラクター付きの
自転車が店の前に放置されていたのが生々しく、記憶に残っている。学校の噂で
大阪の方に行ったと聞いた。
これはうちも迷惑を被ったので、よく覚えている。親父も、工事の代金を踏み倒されて
あの野郎と、怒りまくっていた。以前から、支払いが渋いことで商店連中の間では有名
だった。小さい娘とその弟がいて、店のカウンターの端っこで二人並んでよく勉強してた。
ある時、地元のチンピラともめたのか、普通の定食屋だったのにガラの悪い連中が入り
びたるようになった。そんで一気に客足が遠のいて、潰れた。問題は潰れる直前に取込み
詐欺みたいなことをやって逃げた。高価な食材や機器、家電などを馴染みの店に注文し、
届くと同時にドロンした。親父は大家と一緒にシャッターをこじ開けてなかに入ったが、
めぼしいものは持ち去られた後で、残っていた子供の目覚まし時計を持って帰って
そもそもそれで言われるのって「常識的に考えてこりゃ有り得ないだろ」ってのだらけだし。
別に男から女へのプレゼント以外でも、ナントカ祝いの類やら中元歳暮やらで非常識なもの貰ったネタ話はよくあるんだけど
贈り物のマナーに女が厳しいのは、自分がその厳しい目に晒されているから、ってのもある。
例え男であっても変なものを贈った場合、独身なら「母親が悪い」既婚なら「奥さんが悪い」とされる風潮があるんだよ。
だから女は幼い頃からそういうマナーを「女性の常識」として母親からきっちり教えられる事が多いけど、
息子だとそういう躾は疎かにされがちだから、若い男はマナーを知らない人が多い。
http://anond.hatelabo.jp/20130329203456
自分はラノベとか隣接ラノベ本(ちょっと大きいヤツとか)を出してる増田です。
かれこれ20冊くらい出せていますし、目下専業ですので食えてる方に分類されると思います。
ただ、大前提として、健康で社会常識がある人向けのサイトだな、とは感じました。
というのは作家志望さんは不健康で社会的常識がない人もいたりするからです。
健康だの社会常識だの、そんなの誰でもあるだろ? そんな事今更いってどうすんだよ……と思われる向きも多いかと思いますが、このふたつ、大事です。加えるなら、コミュ能力で3つですね。
肉体精神がタフであるって言うのは、これはもう、武器です。手入れの必要がある能力だって認識して、自覚的に管理すべきです。
フットワークを軽くして、病気しない程度に身体を鍛えた方が絶対によいです。
本が出れば嬉しいことも沢山ありますけれどへこむことだってやっぱり沢山あります。
ぐっとこらえなければならないことだって沢山あります。心を固くして無感動になればそういった雑音はスルーで来ますが、あんまり無感動だとそもそもエモーショナルな物語が書けなくなります。ラノベ周辺のキャラクター小説は間違いなくエモーショナルな物語の一派なので、困ります。
普段肉体を健康に保つことと、一緒に騒げる友人がいるってのは、大事です。
社会的常識に関していうと、出版業界自体が一般社会に比べれば、格段に緩いトコなんで、付け届けだ歳暮だ時候の挨拶だなんてあたりまでしゃちほこばってやる必要はありません。(そこまで気の行き届いた人もいますが、周囲にもプレッシャーを与えるので、善し悪しはケースバイケースです)。
しかしその一方、Twitterで他の作家さんともめ事起こすとか、絵描きさんDisりはじめるとか、洒落にならないです。ずばっと言ってやった俺格好良いぜ! とか、面倒くさいことにしかなりません。あと同人書いてくれてるクラスタの飲み会に突入して酔ってセクハラとか。まじ勘弁して下さい。近くで見てると寿命縮みます。わたしのHPはもうゼロなのよ。
学校で学んだこと、バイト先で、就職先で学んだこと「普通であること」は、作家にとっても変わらずに重要です。奇矯であったり奇人変人である作家さんはいますが、あれはごく一部の大成功をした作家さんが、結果論的に「そう」なだけであって、普通のラノベ作家がそういう「俺は変わってるんだぜアピール」をしたところで、なんの益もないばかりかデメリット満載です。
コミュニケーション能力も重要です。編集さんは通常、その業務にコミュニケーションが含まれていますが、コミュ能力が高いとは限りません。
また作家側の業務にコミュニケーションが含まれていないという事実はありません。
打ち合わせを高密度で行ったり、相手のいっている意向を受け入れて試行錯誤の精度を上げるためには、コミュ能力が高いにこしたことはありません。
そもそも書いた文章というのは「読者の人との遠隔コミュニケーション」なので、気持ちを届けようとするならば、コミュ能力は編集さん云々以前に最初から必須です。
(打ち切りだとか、返事が来ないとか)担当編集さんを信じられなくなって疑心暗鬼になるくらいなら、はじめの頃から呑みに行ける程度の関係を成立させておくべきです。そのためには担当の人に「こいつは、ある程度売り上げやレーベルの希望、読者の反応などを、ぶっちゃけても平気だな」という程度の信頼をしてもらわないとなりませんし、それは最初に述べた「精神的タフさ」も必要になります。
まとめるのならば。元増田氏が書いた「文章力いらないよね」とか「絵が描けないんでラノベ書くわ」なんてのは、(努力すれば)なんとかOKですが、一方で「他人と一緒に働くのがいやだから」「俺は社会に縛られたくないからラノベ書きになるわ」というのは、かなりNGです。
痛いニュース(ノ∀`) : ひろゆき 「福島に残ってる人は、家族の命より日銭が大事な人」 - ライブドアブログ
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1669995.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1669995.html
覚悟を決めてるのか、楽観的なのか、何も考えてないのか
「仕事がある」とか言ってる人って、
この主張、何が問題なのか。
ブコメの主張はまあ、もっともだが、お前ら擁護モドキ(もちろんすべてではない)に問いたい。
私はひろゆきの主張を支持するし、自分の住む街で生活保護受けたいといってもその行動を支持するが、これの実現は無理だと断言する。なぜなら、
当然放射性物質に汚染された瓦礫等々は地元で処理することになるだろう。
年金辞めますか?それとも、生活保護辞めますか?なんて選挙が近いうちに起こるだろう。
復興市民がやりたいようにやればいい、海岸近くにまた復興しようが、それが当事者の選択なのだから気にしてはならない。1000年に一度の津波の警告は、市民ベースでは800年経ってから考えりゃいいじゃん、という気楽さでいいというのだろう、馬鹿げた話だが。
というか、今回の発言は(被災者感情無視するな派 + 放射能は穢れだから差別されても仕方ないこっちくんな派 + 生活保護は甘え派)などなど混濁となってるのだろうが、こういうのを「一丸となって」とか「共闘」とかいう表現はできないよな。