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2020-07-08

平家系、源氏

上方(かみがた)は平家系、関東源氏系」

「何で?」

「そらそうやよ? 平家きらびやかさは、まさに上方好み。驕れる平家言葉もあるけど、驕ってたんは藤原氏源氏も変わらんし、平家が生み出したもんは藤原と比べても遜色ない。平家納経、厳島神社日宋貿易薩摩守忠度和歌……何と言うても、家紋揚羽蝶平家を名乗った織田信長家紋の一つも、揚羽蝶

優雅やね」

「一方、源氏は……頼朝らは大阪発祥河内源氏』の末裔やけど、関東ローム層という厳しい土地磁場のせいか、華やいだ文化には至らなかった」

質素何が悪いねん、て源氏ファン関東人さんらは言わはるんちゃう?」

「それが『民族性』ということ。上方圏は平家寄り、関東圏は源氏寄り。『平家海軍国際派』という言葉がありますが、裏を返せば『源氏陸軍国内派』……これ、関東のものと思わへん?」

鎖国陸軍暴走関東軍、国際連盟脱退……ほんまやね。ほな上方平家民族で、海に向かって開かれてるわけか。インバウンドが絶好調やったんもわかる」

平家ゆかり厳島神社がある広島壇ノ浦平家について戦った松浦党ゆかり長崎……関東が始めた戦争で何であんなことにならんとあかんかったんやろね? あの戦争で起きた空襲地上戦核爆弾も、それと今問題タンク入りの汚染水も、全部その原因作った地方で引き受……」

「それ以上はあかん! そう考えたことある人は案外多いかもしれんけど」

2020-05-04

平家系、源氏

上方(かみがた)は平家系、関東源氏系」

「何で?」

「そらそうやよ? 平家きらびやかさは、まさに上方好み。驕れる平家言葉もあるけど、驕ってたんは藤原氏源氏も変わらんし、平家が生み出したもんは藤原と比べても遜色ない。平家納経、厳島神社日宋貿易薩摩守忠度和歌……何と言うても、家紋揚羽蝶平家を名乗った織田信長家紋の一つも、揚羽蝶

優雅やね」

「一方、源氏は……頼朝らは大阪発祥河内源氏』の末裔やけど、関東ローム層という厳しい土地磁場のせいか、華やいだ文化には至らなかった」

質素何が悪いねん、て源氏ファン関東人さんらは言わはるんちゃう?」

「それが『民族性』ということ。上方圏は平家寄り、関東圏は源氏寄り。『平家海軍国際派』という言葉がありますが、裏を返せば『源氏陸軍国内派』……これ、関東のものと思わへん?」

鎖国陸軍暴走関東軍、国際連盟脱退……ほんまやね。ほな上方平家民族で、海に向かって開かれてるわけか。インバウンドが絶好調やったんもわかる」

平家ゆかり厳島神社がある広島壇ノ浦平家について戦った松浦党ゆかり長崎……関東が始めた戦争で何であんなことにならんとあかんかったんやろね? あの戦争で起きた空襲地上戦核爆弾も、それと今問題タンク入りの汚染水も、全部その原因作った地方で引き受……」

「それ以上はあかん! そう考えたことある人は案外多いかもしれんけど」

2020-05-02

平家系、源氏

上方(かみがた)の文化平家系。対して、関東源氏系」

「何で?」

「そらそうやん。平家きらびやかさは、まさに上方好みやよ? 驕れる平家言葉もあるけど、驕ってたんは藤原氏源氏も変わらんし、平家が生み出したもんは藤原と比べても遜色ない。平家納経、厳島神社日宋貿易薩摩守忠度和歌……何と言っても、家紋揚羽蝶平家を名乗った織田信長家紋の一つも揚羽蝶

優雅やね。女子受けしそう」

「一方、源氏は……頼朝らは大阪発祥河内源氏』の末裔やけど、関東ローム層という厳しい土地磁場のせいか、華やいだ文化には至らなかった」

質素何が悪いねん、て源氏ファン関東人さんらは言わはるんちゃう?」

「それが『民族性』いうこと。上方圏は平家寄り、関東圏は源氏寄り。『平家海軍国際派』という言葉がありますが、裏を返せば『源氏陸軍国内派』……これ、関東のものと思わへん?」

鎖国陸軍暴走関東軍、国際連盟脱退……ほんまやね。ほな上方平家民族で、海に向かって開かれてるわけか。インバウンドが絶好調やったんもわかる」

平家ゆかり厳島神社がある広島壇ノ浦平家について戦った松浦党ゆかり長崎……関東が始めた戦争で何であんなことにならんとあかんかったんやろね? あの戦争で起きた空襲地上戦核爆弾も、それと今問題タンク入りの汚染水も、全部その原因作った地方で引き受……」

「それ以上はあかん! そう考えたことある人は案外多いかもしれんけど」

2016-01-26

名付けのリテラシー

名付けについて、もう何度目かっていう議論が巻き起こっている。

昔は通名でも諱でも、ある程度ルールがあった。

いわゆる諱だったら大抵二文字で、家ごとに通字がある。源氏のある種の家系松浦党は諱一文字で特例だ。通字は一種類のこともあれば、たまに二種類のこともある。三条家とかは二種類通字がある。諱が二文字になる以前の古代の話は省略するぞ。すまんな佐伯今毛人。

通名もある程度ルールが決まっている。江戸時代百官名東百官など。東百官って実はルールの逸脱なんだけど、それがルール化してしまっている。

要するに昔は名前の付き方にかなり厳格なルールがあったということ。

江戸時代農民はどうやって名前を付けていたんだろう。

言い方は悪いが、キラキラネームを付ける人は教養がない人が多い(書いてて思うが、こんなこと増田じゃねーと書けないな)。

江戸時代農民はまぁ教養はそんなにないだろう。キラキラネーム付けちゃうことはなかったのだろうか。

個人的には農民であってもある程度名前ルールがあったように思う。すなわちキラキラネームは付かない。なぜか。

彼らはほとんど名前について考える知識も素養も機会もなかったから、そこらにある名前をあまり考えずに適宜つけていたか教養のあるお坊さんなんかに頼んだのではなかろうか。

これならば著しいルールからの逸脱は起こらないだろう。

明治時代になっても、何らかのルールはあったはずだ。次第に通名と諱の区別が無くなる。私の曽祖父祖父明治期茂三郎と名乗っており子孫も茂三郎じいさんと呼んでいたようだが、天保期の文書には茂三郎直俊とある明治時代に諱を使用しなくなった世代なのだろう。あるいはこの世代の中には諱の方を名乗りに採用した人もあるだろう。とにかく、何となくルールは存続する。「~子」という、伝統的に見えてその歴史結構浅い女子への名付けも、元は公家社会女子名にルーツがある。要するにルールがある。

さていよいよ戦後だ。戦後民主化。これが実はキラキラネームの直接的な引き金になっている。またその基礎部分には西洋文化の流入がある。この流入は明治維新前後から連続しているが、本格的に高度経済成長を迎えるところに画期があるように思う。服装和服が消えるころ。このころに、名付けというか、名付け方への変化が起こる。

要するに民主化なのだ。個人個人が投票権を持つようになったのと同様に、個人個人が考えて名前を付けるようになったのだ。だからキラキラネームが続出する。とくにルール意識されていた世代が亡くなったのち。江戸時代農民と今のキラキラネームを付ける層(雑駁な分類だとはわかっているがあえてこうするぞ)。両者の違いは何か? それは「自分で考え行動する度合い」だ。選挙が本当にわかやすい。江戸時代人間為政者を決めることはできないし決める必要もない。個人に人権が与えられ個人の権利がなんと国の根本法典にまで認められた現代では、個々人が自由に選択し思考することを全く妨げない。ここに両者の違いがある。知識のない人が自由に考えた結果どうなるか? 光宙が生まれるのだ。

これは必ずしも悪いものではない。知識や故実に詳しい人、少しでも馴染んでいる人はキラキラネームに顔をしかめることもあるだろう。しかルールなき名付けこそが民主化成熟とも言いうるのだ。だがここに民主化問題点も浮き彫りになる。教養がなくてもやっていけるのだ。教養批判なんてそこらへんで見かける。確かに教養ってのは鼻につく存在で、自分がそれを知らないとバカにされたような気になって教養批判に走りがちだ。しかし、なんと、これが現代では許される。何故か。自由憲法保障されているから。江戸時代じゃ無理。武家社会でやってけない。今なら別に教養無くてもいい。あってもいいけど。ということで名づけのルール消失現代社会を占う一つの要素だ。私としてはこういう自分で考えなければならない時代からこそ個人で努力し、考える力をこそもっとも重視して培わなければと思う。

 
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