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はてなキーワード: 明治元年とは

2024-01-11

「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた

おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる

結論から言うと、明治元年1868年)ごろから急速に地震信仰は失われたと思われる

天保元年ごろ(1830年ごろ)

高野長英蘭学者

『泰西地震説』を執筆

オランダ辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した

安政元年(1854年

安政の大地震

鯰絵が大流行した

しかし「鯰絵が流行した=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……

というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化け妖怪実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる

お化け妖怪実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚21世紀に生きる人間感覚だろうか

『泰西地震説』が世に出ておおよそ20年後出来事

『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまりまれなかったのだろうか?

江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?

当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?

ここは特に追加調査必要

鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査図書館本屋資料を入手してからになる

明治元年1868年

小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物

天変地異』を執筆

小学校教科書にもなった本

雷、地震彗星、虹といった自然現象に科学解説を行った本

地震原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている

こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか

明治元年でいきなりこんな教科書を出すとは正直驚きを感じる

西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする

明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた

これによって明治に生きた若者地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう

明治に書かれたエッセイ新聞記事を探したい

「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……

また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?

追加調査必要

民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?

明治13年(1880年

横浜地震

M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ

この地震体験したジョン・ミルンというイギリス人地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した

明治24年(1891年

濃尾地震

安政の大地震以来の巨大地震という言及が当時の新聞にある

科学者が地震調査のため派遣された、のような記事新聞に載っている

大正12年1923年

関東大震災

このときいくらかは鯰絵が描かれたようだ

ただ「鯰絵が描かれた=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう

大正15年(1926年

井上江花、新聞記者

『江花叢書』第1巻

当時のエッセイ的な読み物

関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある

一部引用する

鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、

「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る

1926年時点で安政の大地震はおおよそ70年前くらいか

「おじいちゃん子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ

科学とか西欧合理主義流行った結果、地震信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ

ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい

あと、柳田國男著作をまだどれも読んでいない

先に読んだ方が民俗学視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない

日記

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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない

あるいは調べ方が悪いのか……

幕末日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?

あるいは最初からモノの喩えだと認識していたのか?

もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか

そういった研究痕跡を見つけることができない

見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない

儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい

日本儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸民衆のその説をどの程度認知していた?

あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か

日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない

調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史選択しておけばよかった

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施政者が失政すると地震が起きる」みたいな思想もある

また、火山雷雨地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある

ナマズじゃなくても結局別の信仰になってしま

ナマズが俗説ってそういうこと?

まり俗説でない主流の説は鹿島神だとか龍神に原因を求める?

この観点でも調査

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本屋に行ったが鯰絵関係の本が一冊もなく購入できなかった

しかし『陰陽五行日本民俗』という本を購入

陰陽五行について何も知らないに等しいので勉強しなければ

しか本来本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事関係ない本ばかり買って読んでしま

悲しいね

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トラバブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率不毛なので)、今回は必要を感じた

鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感

ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズ地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……

これに強い疑いを抱く

しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロ研究家が思いついていないわけがない……

なにか根拠があるはずと信じる

あと、この日記以外に書いている場所はない

清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない

追加調査資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い

追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある

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先行研究

記録表現にみる中世日本の地震認識

ナマズ地震が紐づけられる以前の地震認識

断層沿いに立地する神社とその周辺環境に関する研究

近世地震認識記述がある!これをベースに調べるのが最善か

江戸時代の宗教観と芸能の盛行

幕末明治海外の人から見た日本人の宗教観記載がある

神や仏に敬虔祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる

この庶民信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治来日したアメリカ女性教育者アリスベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘不可思議事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。

考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ

この引用箇所は別の文献から孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……

該当箇所は『逝きし世の面影』という本から引用……kindleあるじゃないか、買います

これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない

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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴン実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか

(「実在」という言葉定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)

同様に幕末江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化け実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある

ここらへんは本当に現代日本パラダイムに考えが支配された人間にとって想像しにくい領域

2023-03-14

anond:20230314103432

こういう感じか

若草 日本生命支援元三財閥系)

・BOND 寄付収入多額だが出所不明 なおbondは債券の意

・PAPS 韓国の同業団体連携

・colabo 日本財団米国メットライフ保険支援再保険会社不明

メ社:創業1868年明治元年)、戊辰戦争には米軍人も参加(なお元年刑法には一家死刑制度もあった)

ラジオ体操日本に普及させたそうな

左翼活動団体保険会社支援は珍しくない

右翼金融団体は受け皿も作るということかな

2023-01-08

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福沢諭吉福翁自伝岩波文庫)の中で、朝鮮人は卑しいなどの差別表現や、車夫、馬丁、人足、小商人といった下等社会などの差別表現文章)は何頁に記載されていますか。よろしくお願いします。

福沢諭吉の福翁自伝(岩波文庫)の中で、朝鮮人は卑しいなどの差… - 人力検索はてな

福沢諭吉「車夫、馬丁、人足、小商人のごとき下等社会の者は別にして、いやしくも話のできる人間らしい人に対して無礼言葉を用いたことはない」

明治元年から150年、何が変わって何が変わらなかったのか――新書時評 | 文春オンライン



福沢諭吉について6

1889年(明治22年)に時事新報社社説に書いた「貧富痴愚の説」では、

「最も恐るべきは貧にして智ある者なり」(全集第12巻62ページから

 と言い、智恵があるのにそれを生かす財力がなく貧しいと、貧乏という名の鎖に繋がれた猫の仔同然で、実に哀れである

福沢諭吉について1-6 | 雁屋哲の美味しんぼ日記



神社のお札を踏みつけ、尻を拭く

福沢諭吉は神様の名前が書かれたお札でお尻を拭き、罰が当たるかを実験した

「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」

[報国致死][社中][福澤諭吉]「報国致死はわが社中の精神」

人倫 の大義に背きたる人非人の振舞なりと云ふの外なし

窃(ひそか)に其無教育破廉恥を憐むこそ慈悲の道なれ。

一 婦人気品を維持することいよ/\大切なりとすれば、敢て他を犯さずして自から自身を重んず可し。

滔々(とうとう)たる古今の濁水(じょくすい)社会には、芸妓もあれば妾奉公する者もあり、又は妾より成揚(なりあが)り芸妓より出世して立派に一家夫人たる者もあり、都て是等は人間以外の醜物にして、固(もと)より淑女貴婦人の共に伍を為す可き者に非ず、賤(いや)しみても尚お余りある者なれども、其これを賤しむの意を外面に顕(あらわ)すは婦人の事に非ず。

我は清し、汝は濁る、我は高し、汝は卑しと言わぬ許りの顔色して、明らさまに之を辱しむるが如きは、唯空しく自身品格を落すのみにして益なき振舞なれば、深く慎しむ可きことなり。

或は交際の都合に由りて余儀なく此輩と同席することもあらんには、礼儀を乱さず温顔以て之に接して侮(あなど)ることなきと同時に、

窃(ひそか)に其無教育破廉恥を憐むこそ慈悲の道なれ。

要は唯其人の内部に立入ることを為さずして度外に捨置き、事情の許す限り之を近づけざるに在るのみ。

福沢諭吉 新女大学

2022-10-12

anond:20221012171926

時間的な長さと言うか古さを根拠としてる否定論者も多いが、

2022年明治元年から154年経ってる

  

十分な長さだと俺は思うが、まだ短いというなら具体的に何年以上続けば

伝統資格が得られるのか知りたいところ

ブコメではせめて江戸時代から続かないとダメという人を確認した

2022-07-09

明治新政府は、幕府大和国奈良)に大本営大和鎮台を設置した(西暦1868年2月明治元年旧暦1月)。のちには「大和鎮撫総督府」(やまとちんぶそうとくふ)と改称し、有栖川の東征軍で東北北海道に侵攻(西暦旧暦2月)。そして中国四国九州方面には「裁判所総督」兼「鎮台総督」(各軍司令官)を送って日田一揆などを潰し、裁判所技能地元の実力者やカトリック信者死刑にしていった

最高裁判事全15人を勝手に任命して退任した安倍晋三が、銃撃されて人工呼吸も受けずに死んだ場所は、そういうことで、死刑執行軍の発祥地でもある奈良だったとか

裁判所軍の工作員もいたんじゃないか

2022-06-13

anond:20220613131046

明治元年当時だと、大久保利通大阪遷都構想を考える程度に、大阪は栄えていたみたいよ。

もしも、大阪遷都計画が実現していれば、日本首都大阪だった。

2022-06-11

anond:20220611115823

明治元年1868年)、政府はかつての幕府の直轄地であった地域のうち、重要地域を「府」、それ以外を「県」と定めました。

これにより、箱館府東京府神奈川府越後府甲斐府京都府大阪府奈良府度会府長崎府が置かれました。

その翌年、東京府京都府大阪府以外は「県」に改められました。

2022-05-28

明治時代、庄屋の娘が夫のDVから逃げて上京議員財政を立て直した話

矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日天保4年4月24日〉 - 1925年大正14年6月16日)は、日本女子教育者社会事業家

肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児誕生は歓迎されず、名付け親10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰徳冨蘆花兄弟を生んでいる。蘇峰は明治大正昭和にかけての大論客、蘆花は明治大正文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。

かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。

妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事副知事兼務左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。

このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄から手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本学校生徒35名による花岡キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰徳冨蘆花も参加している。やがて熊本学校廃校になり、彼らの一部は、新島襄同志社入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンド札幌バンド横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。

明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国宣教師教育者マリア・ツルー夫人運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。

自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年築地新栄教会ディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である富久子、横井つせ子、竹崎順子洗礼を受けている。当時17歳キリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。

明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在校長理事長を兼ねた職)代理就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。

明治23年(1890年)、櫻井女学校新栄女学校合併して女子学院となり、初代院長に推される。

明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。

一方、恵まれなかった結婚生活小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。

楫子の情熱日本に止まら日本国外にも向かい明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年1925年6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。

大正時代華族の娘が50歳の男に売られた話

anond:20220526160552

2022-05-19

[]フルベッキ群像写真

フルベッキ群像写真(フルベッキ写真

フルベッキ群像写真(フルベッキぐんぞうしゃしん)は、在米オランダ改革派教会から派遣されたオランダ出身宣教師グイド・フルベッキとその子[注 1][1]と佐賀藩藩校「致遠館」の学生教師との計46名で写した集合写真俗称である[2][3]。撮影時期は、明治元年1868年10月から11月推定[2]されている。「フルベッキ写真」、「フルベッキと塾生たち」とも呼ばれる

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AD%E7%BE%A4%E5%83%8F%E5%86%99%E7%9C%9F

こんなんどーみてもフルボッキにしかみえんわ・・・

百歩譲って~群像写真ならまだわかる

でもさー

。「フルベッキ写真」、「フルベッキと塾生たち」とも呼ばれる

って!!!

もうどうみてもフルボッキ写真だろ!!!

2021-12-07

anond:20211207135101

実際の東京遷都は以下の三つの出来事を経て実施されたと考えられる。一つは、1868年明治元年)7月17日の江戸東京と称する

詔書の発表である。この詔書で「江戸ハ東國第一ノ大鎮」であり、「自今江戸ヲ称シテ東京トセン」とされている(写真1.参照)。二つ目

天皇東京行幸で、同年9月に行われた。この行幸はきわめて華やかに行われ、京都から東京までの道中では、沿道の民衆へ金品を下

賜するなど、新たな時代天皇としての一大デモンストレーションとも言えるものであった。その様子は錦絵にも残されている(写真2.

3.参照)。天皇は同年12月に一旦京都へと戻るが、翌1869年明治2年)3月28日再び東京へと行幸する。この時政府は、「東京城西

ノ丸ヘ御駐簾、依テ、皇城ト称ス」と発令した。『江戸東京になった日 明治二年の東京遷都』の著者である佐々木克氏はこれをもって

東京遷都としている。なお、この東京再幸の際には、新政府の中枢機関であった太政官東京城内へ移されている。

https://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/service/newsletter/pdf/77/i_02_77_2.pdf

2020-09-12

日本人口

12400万人

東京23区 969万人

東京23区以外 430万人

神奈川県 921万人

埼玉県 734万人

千葉県 628万人

ここまでで日本全体の30%

 

大阪府 882万人

愛知県 517万人

福岡県 510万人

兵庫県 544万人

宮城県 229万人

 

世田谷区 91万人

練馬区 73万人

大田区 73万人

江戸川区 70万人

 

明治元年日本人口 約3400万人

大正元年日本人口 約5000万人

2020-08-02

戦史叢書、各巻の概要(書きかけ)

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戦史叢書

防衛研修所戦史室(現・防衛防衛研究所)が編纂した太平洋戦争及び日中戦争大東亜戦争)に関する公刊戦史。

開戦経緯、戦争指導、個々の作戦等について、各種文書口述記録並びに外国の公刊戦史等を元として、記述するもの

1966年昭和41年から1980年昭和55年)にかけて編纂・発刊。

大本営関係34巻 · 陸軍戦史37巻 · 海軍戦史21巻 · 陸軍航空戦史9巻 · 年表1巻の全102巻で構成

戦略レベル以上の分析史料批判に欠ける。旧軍所属していた元軍人が書いているため、身内に係る批判がされにくい。陸海軍対立編纂事業にまで及ぶ。捕虜の取り扱いや占領行政に係る記述が無いか少ない。索引が無い。誤りが多い等の問題点が見られるようだ。

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戦史叢書第099巻 陸軍軍戦備

 日本陸軍の軍備及び戦備並びにこれらに関連する事項について記述官制について記述

 扱う期間は慶応3年1867年)~昭和20年1945年8月15日

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戦史叢書第008巻 大本営陸軍部<1>昭和15年5月まで

 明治元年1868年から昭和15年1940年5月までの約70年間に亘る陸軍中央部施策中、大東亜戦争関連事項につきその大綱を概説して記述国防上の政策軍令機関等の制定改廃、帝国国防方針の制定改定等について記述

 扱う期間は明治元年1868年)~昭和15年1940年5月

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戦史叢書第009巻 陸軍軍需動員<1>計画

 主として大正6~7年(1917~1918年)頃から昭和12年1937年)頃までの約20年間に亘る陸軍軍需動員の計画準備について記述徴発制度法令官制計画等について記述実施面については、戦史叢書33巻『陸軍軍需動員<2>実施編』に詳述。

 扱う期間は大正6~7年(1917~1918年から昭和12年1937年)。

戦史叢書第065巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<1>

 大本営陸軍部の立場から大東亜戦争日中戦争太平洋戦争)に至った政戦略の経緯や戦争指導について記述。主として「大本営政府連絡会議」及び「御前会議」の運営及び開催に伴う陸海軍及び外交当局の動きについて記述

 扱う期間は昭和6年1931年)~昭和16年1941年8月30日

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戦史叢書第091巻 大本営海軍部・聯合艦隊<1>開戦まで

日本海軍創設から大東亜戦争」開戦までにおける海軍中央部施策 、開戦から終戦までの大本営海軍部・連合艦隊戦争指導および作戦指導概要記述

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戦史叢書第088巻 海軍軍戦備<2>開戦以後

 日本海軍の軍備及び戦備並びにこれらに関連する事項を重点的に概述。

 扱う期間は昭和16年1941年11月昭和20年1945年8月15日

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戦史叢書第043巻 ミッドウェー海戦

 昭和17年1942年6月5日から7日にかけて行われたミッドウェー海戦及びその前後海軍作戦について記述。本作戦は、戦争全般ターニングポイントとみなされている重要な戦役(戦闘)であり、本作戦の失敗(敗北)以降、開戦から常に先手を取り続けていた日本海軍は、守勢に回ることとなった。なお、本作戦は、アリューシャン列島西部要地攻略作戦と一体の作戦として計画及び実行されたものであり、戦史叢書第029巻『北東方海軍作戦』を関係して参照することが望ましい。

 明治戦争勃発前までの海軍作戦構想が概述されている。

 扱う期間は昭和17年1942年1月昭和17年1942年6月

 (但し、海軍作戦構想概略部にあっては明治以降)

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戦史叢書第046巻 海上護衛戦

 海上輸送及びその護衛について総合的かつ包括的記述

 外地特に南方占領地)から海上輸送は、戦争中の国力維持に対し極めて強い影響を与える。戦争敗因の一大要因として、わが海上輸送力の減退に基づく国力喪失が挙げられており、それらの実相並びに諸対策実態を明らかにするためにも、これらの関連分野全般に亘っての総合研究叙述が必要とされるところである

 扱う期間は明治40年(1907年4月昭和20年1945年8月

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戦史叢書第082巻 大本営陸軍部<10昭和二十年八月まで

 昭和20年1945年1月8月にかけての大本営陸軍部の作戦指導及び戦争指導の経緯を記述

 扱う期間は昭和20年1945年1月20日~昭和20年1945年8月15日

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2020-07-03

anond:20200703185350

たとえば

1945年8月15日できっぱり「戦前的な価値観」は消滅たかと言えば

そんなことはなく、教育勅語軍人勅諭を叩き込まれ復員軍人

戦後もしばらくあちこち職場軍隊価値観実践していた

明治元年できれいさっぱり武士の習慣は滅んだわけでもなく

私的個人的ちょんまげを結い続ける人や

維新以前の教育方針ほとんど変わりない教育方針

武道道場やら朱子学を教える私塾などを運営する人は大量にいた

鎌倉幕府ができた瞬間に平安貴族死滅したわけでもなく

京都公家にはその後も平安時代と変わらん感覚人間大勢いた

わかるかなあ?

1989年1月8日でいきなり世の中ぜんぶリセットされたわけじゃないんだよ

地方で当時40代以上のおっさんばかりの職場なら

平成10年ごろまでは職場精神空気は「昭和価値観」そのまんまで

そこから昭和の気風というものがおおむね類推できる(全部ではないが)

たまーに一部のネタウヨ

終戦時に小学生だった世代より俺らの方が戦前戦中を知ってる」

とか偉そうにドヤ顔するけど

そういうのは大抵、大東亜戦争の意義がどうのとか大本営真意はどうのとか

大局の話ばっかりで、軍隊内のイジメ上下関係軋轢、銃後の食糧

慰問袋を作ってた人たちの日常勤労動員させられてた人たちの日常

そこでの苦楽(単にひもじかったとか疲労したとか、物資が不足して

病気がろくに治療できなかったとかの肉体的に辛かった経験

とかの細かい実感的デテールはすっぽり抜け落ちてる

終戦時に小学生なら少なくとも親兄弟就職後の数年歳上の世代から

書物によらない直接に耳で聞いた知識としてその辺がたっぷり身に染みてる

平成元年に18歳でも

平成生まれ正真正銘アニメで見た知識だけで語ってる奴よりは

昭和職場がわかってるつもりだぜ

ことに地方高卒就職した身とあっちゃね

2018-03-22

福生市民の心の雄叫び anond:20180322220849

嘘松語源福生村の松茸であるという嘘松論破する。元福生市民より。

史的事実を踏まえると、明治元年品川県となり、その後、神奈川県多摩郡となったり、

村内対立解体したりという複雑な歴史福生は持っている。

その中で、今回は、昭和15年11月10日福生村→福生町(合併により)となったという

事実重要である

次に、日本人がいつから松茸を珍重し始めたか重要である

実は、昭和20年代であれば、庶民が誰でも食べられた。

赤松林に行けばそこら辺に天然モノの松茸が生えている環境であった。

高度経済成長が始まる頃、マツクイムシの影響などで

採取量が減り、珍重され始めた。これが昭和30年代の話。

(注)この時代、実は、椎茸プレミアム扱い。

椎茸の枯木養殖確立され、椎茸庶民化が成し遂げられた。

さて、賢明な読者諸兄は「嘘松福生村の松茸」説が嘘松であることに

気づきであろう。私は寝る。

2017-11-24

明治元年ポリティカルコレクトネス

近頃はポリコレつったらLGBTイコール保護対象ってのが決まりでさ

日本も昔は同性愛に寛容だったけど、明治時代西洋キリスト教価値観を受容した結果、

同性愛異端視されたっていうのもよく言われてる

でもこれって、日本近代化西洋化を目指した結果として、ゲイ迫害されたってことだよね?

LGBTの皆さんは、これについてどう思ってるの?

そりゃもちろん、現代ポリコレ近代価値観が同じなはずはないんだけどさ、

西洋価値観を無批判に受け入れることの危うさを、あの時代ゲイ証明しちゃってない?

ポリコレで殴られる人間が出るかもしれないということに対して、みんな無頓着だと思わない?

それとも、自分が殴られないで済むなら、かつて自分らを殴った理屈正当化ちゃうの?

2017-05-09

[] 大みか饅頭

 日立名物として長年親しまれてきた、運平堂本店が製造する薯蕷饅頭(じょうようまんじゅう)。

薯蕷饅頭は、山芋をすりおろし米粉を加えた皮が特徴の、白さ・上品さ・美しさを兼ね備えた和菓子の神髄とされる逸品。

  

 自慢の餡はもちろん自社製、小豆十勝産を厳選し丹念にさらしてなめらかに仕上げている。

米粉特別にひいてもらい、大和芋も産地を指定

  

 明治元年創業以来、保存料を一切使わず、自社で研究開発した昔ながらの製法製造で作り続けている、素直で品のある味わい。

http://www.brand-hitachi.com/brand/qualified_product.php?product_id=15

2016-07-13

 「明治」の出典は『易経』の中に「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む」という言葉の「明」と「治」をとって名付けられました。明治改元にあたっては、学者松平春嶽(慶永)がいくつかの元号から選び、それを慶応四年(明治元年)九月七日の夜、宮中賢所(かしどころ)において、その選ばれた元号候補の中から明治天皇御自ら、くじを引いて御選出されました。

五経の一つ。儒家重要経典宇宙原理・万象の変化を陰陽二元をもって説き、人間道徳も陰陽消長して万物を生成する天道に従うべきだと説く。

※『書経五経の一つ。上は尭舜から下は秦の穆公(ぼくこう)にいたる政治史・政教を記した中国最古の経典

※『五経中国古典である経書のうちでも代表的な五つの書物。『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいう。前漢武帝時代に、この五書を五経と名づけ、それを専攻する五経博士を置き、儒教国教化したときに始まる。儒家基本的教科書であった。

※『史記二十四史の一つ。黄帝から前漢武帝までのことを記した紀伝体の史書。

ふーん。て事は、やっぱ漢文とか国語学者みたいなのと一緒に決めるんかな

公募はないよね

2015-10-26

日本の製糸技術歴史経緯について

NHKドラマが叩かれ気味なので、擁護してみようと思う

ちょっと調べた程度で専門家ではない

背景

もともと日本蚕糸業は国内向けだったため、品質価格国際標準に届いていなかった。

しかし、蚕病により海外生産量が減っていたこから日本生糸世界の注目を集めることになる。

また、高品質生糸よりも安価な物が求められていて、日本の低品質生糸でも十分に需要があった。(日本の糸は、海外では横浜での相場の2倍ほどで取引されていた)

品質な糸の使い道は、織物の横糸など。

織物は縦糸と横糸で構成されている。

機織りの工程では縦糸は強く引っ張るが、横糸は縦糸にくぐらすだけなので品質の悪い糸でも問題なかったりする。

年表

1840年フランスで蚕病が発生
1853年フランスの蚕病がピーク
1860年横浜港開港 生糸輸出開始 蚕病の影響で日本の輸出増
1868年明治元年イタリアで蚕病ピーク
明治3年藩営藩営前橋製糸所を開設(日本で初の洋式器械製糸所)
明治5年富岡製糸場操業開始 "官営で"初の洋式器械製糸を導入した(日本で初とは言ってない)
明治6年星野太郎前橋製糸所を参考に、水沼製糸所建設民間洋式器械製糸所)
明治11水沼製糸所製、パリ万博で一等賞金牌を受賞)

ドラマでの描かれ方

ドラマでは富岡製糸場を視察に来た星野太郎

日本生糸世界一品質」なのに

「諸外国に不当に安く買い叩かれている」

発言

水沼村に器械製糸所を作った」と紹介されていることから明治6年~の場面だろう。

・「日本生糸世界一品質

日本全体で見れば嘘。

品質であっても安いから売れていただけ。

・「諸外国に不当に安く買い叩かれている」

これは本当。

前述したとおり、海外では2倍で取引されていた。

擁護してみる

日本生糸品質が悪かったのはどうやら事実らしい。

しかし、外国人技師を招き、洋式器械をそのまま導入した「前橋製糸所」「水沼製糸所」「富岡製糸場」においては品質世界にもひけをとらなかったのではないか、と推測している。

事実星野水沼製糸所は建設からわずか5年でパリ万博でのお墨付きを得るほどだ。

あの発言星野太郎が「せっかく高品質生糸を作っても、日本の糸というだけで外商に買い叩かれてしまう」という状況に苛立ちを見せたセリフであって、(そして現地で直接取引という話につなげるためで)

脚本家が「日本の製糸技術は昔から世界一ィィィィーーーー!」という認識を与えたかった、と考えるのは少々うがった見方ではないか。

参考文献

NHK大河ドラマ花燃ゆ」(群馬桐生市 水沼製糸所跡) 生糸輸出切り開いた2人の兄弟

産経新聞ウェブ版)

http://www.sankei.com/premium/news/151025/prm1510250007-n1.html

桐生市周辺3(群馬県ホームページ

http://www.pref.gunma.jp/07/p20210002.html

富岡製糸場ホームページ

http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html

藩営前橋製糸所跡 - 日本すきま漫遊記

http://www.sukima.com/35_maebashi_ito/08hanei.html

星野太郎とは【日本人による日本製生糸の輸出を実現した先駆者

http://www.jpreki.com/hoshino-c/

「なぜ、日本は高品質生糸提供することができたか?」

http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~hjm_kwmr/9/spring/anma.pdf

2015-03-30

明治元年三月二十九日東地方裁判所判決刑集1巻23頁キラキラネーム事件

明治元年三月二十九日東地方裁判所判決刑集1巻23頁キラキラネーム事件

主  文

 本件行政処分取消ノ訴ヲ棄却

理  由

 本件ハ近年俄カニ子供ニ名付ケラルルヤウニナッタ所謂キラキラネーム」ト呼称サルル諸種ノ名前ニ就テ行政官庁ヨリ之カ命名権ノ濫用トシ違法ナル故ニ改名ヲ命セラレシ事ニ対シテ之ヲ命セラレシ両親数百名カ当該行政処分ノ取消ヲ訴求スル事案ニシテ原告等ノ弁護人及ヒ処分庁ノ主張ハ左ノ如シ

 弁護人ハ親ニハ命名権アリテ本件諸種ノ命名ハ一部ノ物ヲ除外シテ別段公共ノ安寧ヲ害スル所モナク何等違法性ナシト云ヒ

 処分行政庁ハ本件諸種ノ命名ヲ具体的ニ列挙スルニ水子(みずこ) 野風平蔵重親(のかぜへ) 四駄霊(よだれ) 幻の銀侍(まぼろしのぎ) 精子(せいこ) 新一(こなん) 羽姫芽(わきが) 光宙(ぴかちゅう) 愛歩(あほ) 愛歩(らぶほ) 希空(のあ) 宝冠(てぃあら) 黄熊(ぷう) 孟沙孜(むさし) 三二一(みにー) ハム太郎(はむたろう) 麗音菜愛梨亜(れおなあ) 永久恋愛(えくれあ) 亘利翔(ぎりしゃ) 誠希千(せいきち) 甲子園(こうしえん) 在波(あるふぁ) ゆとり沙利菜愛利江留(さりな) ララ桜桃(ららさくらん) 愛保(らぶほ) 泡姫(ありえる) 美勇人(みゅうと) 六花(りっか) 雪愛(ゆあ) 正義(じゃすてぃす) 本気(まじ) 最愛(もあ) 大熊猫(ぱんだ) 紅多(べーた) 心結(みゆ) 心愛(ここあ) サラン(さらん) 菜七(ななな) 空詩(らら) 聖星夜(あだむ) 水子(みこ) 真剣祐(まっけんゆう) ぷもり連夏江(れげえ) 麗姫愛(まひめ) 波波波(さんば) 彩華(いろは) 陽葵(ひまり) 愛梨(まりん) しきみ花実(かさね) 俐亜武(りあむ) 澄海(すかい) 出誕(でるた) アロエ(あろえ) 頼音(らいおん) 珠丸(じゅまる) 希和(まな) 楽愛(らあ) 鈴愛(りあ) 琥珀(こはく) 天子(てんし) 桜花(さくら) 宇佐美(うさみ) 匠音(しょーん) 陽愛(ひなあ) 憧れ(あこがれ) 月(らいと) 愛桜(あいさ) 亜紅弥(あくび) ソフィア百花(そふぃあ) 水野(みずの) 姫涙(きるい) 櫻司(おうじ) 希苺(きいちご) 心夏(ここか) 伽羅(きゃら) 結弦(ゆづる)其他数千ニ上ル命名例カアルモ概シテ我国通例ノ命名例セハ男子ニ就テハ「章」「雄二郎」「治」「照義」「正太郎女子ニ就テハ「由美子」「理恵子」「良子」「沙織」「愛子」「桜」等ノ命名カ為サレ来ル所ナルモ本件ノ如キ命名ハ明ラカニ堕落淫靡ナル土着的聴覚視覚心象ノ音形ヲ漢字ノ読ミヲ借リテ名ツケタル上其実質即チ音形ニヨル聴覚視覚心象トシテモ善美ニアスシテ醜悪ナル物多ク我国ノ之迄ノ経緯ニ照ラセハ明白ナル異常現象逸脱事態ニシテ斯クノ如キ命名ノ流行ハ断シテ法カ臣民付与セシ子ニ対スル命名権機能ニアラス其ヲ超脱スルモノニシテ宜シク裁判所ハ当庁ノ処分ヲ追認スヘキト云ヒ

 依テ案スルニ処分庁カ列挙セシ所謂キラキラネームナル物ハ或ヒハ水子(みずこ)精子(せいこ)心結(みゆ)心愛(ここあ)水子(みこ)桜花(さくら)宇佐美(うさみ)櫻司(おうじ)心夏(ここか)結弦(ゆづる)等ニ就テハ命名トシテ有得ルト思惟サルルモ処分庁カ列挙セシ圧倒的多数ノ命名例ニ就テハ処分庁ノイフ如ク外観ノ如何ニ関ハラス其実質ニ於テハ我国土着ノ音形ヲ漢字ノ読ミヲ借リテ表現シタル物ナル上ニ其大半ニ就テ殆ト善美ナルモノナク堕落淫靡極致ヲ為シ例セハ野風平蔵重親(のかぜへ)ナルハ意味不明発狂的ナルモノニシテ四駄霊(よだれ)ハ妄語ノ極ナリ新一(こなん)ハ単ニアニメノ主人公ノ名ヲ結合セシメタルニ過キス羽姫芽(わきが)ハ自分ノ子ニ腋臭ワキガ)ナル名ヲ付ケントスル物ニシテ醜悪ノ極ナリ光宙(ぴかちゅう)ハ之モアニメ登場人物名ニ之ヲ類推シメ漢字ヲ強引ニ当テタル物愛歩(あほ)ハ之モ妄語ノ極ニシテ愛歩(らぶほ)ハ所謂ラブホテル」ノ短縮ラブホ漢字音読ミシタル堕落淫靡極致ナリ希空(のあ)ハ「ノア」タル音形ノ聴覚心象トシテハ醜悪ナリトハ云ヒ得サル痴呆的ニシテ採ルニ足ラス其他圧倒的多数例モ要スルニ我国土着ノ何等カノ堕落淫靡極致ヲ為シタル聴覚視覚心象ヲ基礎トシテ之ニ適当ノ音形ヲ形成セントシ其形成物ヲ漢字ノ印象ト読ヲ借リテ表現シタル迄ノ物ニシテ此種ノ命名法即チ言葉ニ土着ノ自我感情付与シメトシタル物ハ必スシモ我社会絶対ニ許容サレサル訳テハナク其内容ニヨリテハ漢字ノ印象及ヒ読ヲ借リテ特定ノ土着ノ心象ニヨリ自己ノ子ニ命名シ得ルト云フベケンモ命名例中我国ノ公共ノ安寧及ヒ臣民ノ慶福ニ適合シ採ルニ足ルト思惟サルルハ例セハ「柏市柏の葉」ニ優シキ感情ヲ込ムルトカ「まなめはうす」「こなつみかん」ノ様ニ情愛溢レル心象ヲ平仮名表現スルトイッタ様ナ極限定的ノ例ニ限ラレ凡ソ高度発展ヲ遂ケタル我国社会ニ於ヒテ容ルルヘキヨウナキラキラネームノ例ハ十中八九モナク大半ハ堕落淫靡ニシテ公共ノ安寧ヲ紊シ且ツ歴史的形成サレ来タル臣民ノ慶福ヲ害スル所大ニシテ斯様ナル命名権行使ハ其外観ノ如何ニ関ハラ命名権トシテ許容サル機能ヲ超脱スルモノニシテ権利ノ濫用ニ他ナラス拠テ処分庁ノ為シタ原告等ニ対スル改名命令処分適当ニシテ何等違法性アルコトナシ

 依テ行政事件訴訟法相当法条ニ則リ主文ノ如ク判決

明治元年三月二十九日 東京地方裁判所第三民事部

明治元年三月二十九日東地方裁判所判決刑集1巻23頁キラキラネーム事件

主  文

 本件行政処分取消ノ訴ヲ棄却

理  由

 本件ハ近年俄カニ子供ニ名付ケラルルヤウニナッタ所謂キラキラネーム」ト呼称サルル諸種ノ名前ニ就テ行政官庁ヨリ之カ命名権ノ濫用トシ違法ナル故ニ改名ヲ命セラレシ事ニ対シテ之ヲ命セラレシ両親数百名カ当該行政処分ノ取消ヲ訴求スル事案ニシテ原告等ノ弁護人及ヒ処分庁ノ主張ハ左ノ如シ

 弁護人ハ親ニハ命名権アリテ本件諸種ノ命名ハ一部ノ物ヲ除外シテ別段公共ノ安寧ヲ害スル所モナク何等違法性ナシト云ヒ

 処分行政庁ハ本件諸種ノ命名ヲ具体的ニ列挙スルニ水子(みずこ) 野風平蔵重親(のかぜへ) 四駄霊(よだれ) 幻の銀侍(まぼろしのぎ) 精子(せいこ) 新一(こなん) 羽姫芽(わきが) 光宙(ぴかちゅう) 愛歩(あほ) 愛歩(らぶほ) 希空(のあ) 宝冠(てぃあら) 黄熊(ぷう) 孟沙孜(むさし) 三二一(みにー) ハム太郎(はむたろう) 麗音菜愛梨亜(れおなあ) 永久恋愛(えくれあ) 亘利翔(ぎりしゃ) 誠希千(せいきち) 甲子園(こうしえん) 在波(あるふぁ) ゆとり沙利菜愛利江留(さりな) ララ桜桃(ららさくらん) 愛保(らぶほ) 泡姫(ありえる) 美勇人(みゅうと) 六花(りっか) 雪愛(ゆあ) 正義(じゃすてぃす) 本気(まじ) 最愛(もあ) 大熊猫(ぱんだ) 紅多(べーた) 心結(みゆ) 心愛(ここあ) サラン(さらん) 菜七(ななな) 空詩(らら) 聖星夜(あだむ) 水子(みこ) 真剣祐(まっけんゆう) ぷもり連夏江(れげえ) 麗姫愛(まひめ) 波波波(さんば) 彩華(いろは) 陽葵(ひまり) 愛梨(まりん) しきみ花実(かさね) 俐亜武(りあむ) 澄海(すかい) 出誕(でるた) アロエ(あろえ) 頼音(らいおん) 珠丸(じゅまる) 希和(まな) 楽愛(らあ) 鈴愛(りあ) 琥珀(こはく) 天子(てんし) 桜花(さくら) 宇佐美(うさみ) 匠音(しょーん) 陽愛(ひなあ) 憧れ(あこがれ) 月(らいと) 愛桜(あいさ) 亜紅弥(あくび) ソフィア百花(そふぃあ) 水野(みずの) 姫涙(きるい) 櫻司(おうじ) 希苺(きいちご) 心夏(ここか) 伽羅(きゃら) 結弦(ゆづる)其他数千ニ上ル命名例カアルモ概シテ我国通例ノ命名例セハ男子ニ就テハ「章」「雄二郎」「治」「照義」「正太郎女子ニ就テハ「由美子」「理恵子」「良子」「沙織」「愛子」「桜」等ノ命名カ為サレ来ル所ナルモ本件ノ如キ命名ハ明ラカニ堕落淫靡ナル土着的聴覚視覚心象ノ音形ヲ漢字ノ読ミヲ借リテ名ツケタル上其実質即チ音形ニヨル聴覚視覚心象トシテモ善美ニアスシテ醜悪ナル物多ク我国ノ之迄ノ経緯ニ照ラセハ明白ナル異常現象逸脱事態ニシテ斯クノ如キ命名ノ流行ハ断シテ法カ臣民付与セシ子ニ対スル命名権機能ニアラス其ヲ超脱スルモノニシテ宜シク裁判所ハ当庁ノ処分ヲ追認スヘキト云ヒ

 依テ案スルニ処分庁カ列挙セシ所謂キラキラネームナル物ハ或ヒハ水子(みずこ)精子(せいこ)心結(みゆ)心愛(ここあ)水子(みこ)桜花(さくら)宇佐美(うさみ)櫻司(おうじ)心夏(ここか)結弦(ゆづる)等ニ就テハ命名トシテ有得ルト思惟サルルモ処分庁カ列挙セシ圧倒的多数ノ命名例ニ就テハ処分庁ノイフ如ク外観ノ如何ニ関ハラス其実質ニ於テハ我国土着ノ音形ヲ漢字ノ読ミヲ借リテ表現シタル物ナル上ニ其大半ニ就テ殆ト善美ナルモノナク堕落淫靡極致ヲ為シ例セハ野風平蔵重親(のかぜへ)ナルハ意味不明発狂的ナルモノニシテ四駄霊(よだれ)ハ妄語ノ極ナリ新一(こなん)ハ単ニアニメノ主人公ノ名ヲ結合セシメタルニ過キス羽姫芽(わきが)ハ自分ノ子ニ腋臭ワキガ)ナル名ヲ付ケントスル物ニシテ醜悪ノ極ナリ光宙(ぴかちゅう)ハ之モアニメ登場人物名ニ之ヲ類推シメ漢字ヲ強引ニ当テタル物愛歩(あほ)ハ之モ妄語ノ極ニシテ愛歩(らぶほ)ハ所謂ラブホテル」ノ短縮ラブホ漢字音読ミシタル堕落淫靡極致ナリ希空(のあ)ハ「ノア」タル音形ノ聴覚心象トシテハ醜悪ナリトハ云ヒ得サル痴呆的ニシテ採ルニ足ラス其他圧倒的多数例モ要スルニ我国土着ノ何等カノ堕落淫靡極致ヲ為シタル聴覚視覚心象ヲ基礎トシテ之ニ適当ノ音形ヲ形成セントシ其形成物ヲ漢字ノ印象ト読ヲ借リテ表現シタル迄ノ物ニシテ此種ノ命名法即チ言葉ニ土着ノ自我感情付与シメトシタル物ハ必スシモ我社会絶対ニ許容サレサル訳テハナク其内容ニヨリテハ漢字ノ印象及ヒ読ヲ借リテ特定ノ土着ノ心象ニヨリ自己ノ子ニ命名シ得ルト云フベケンモ命名例中我国ノ公共ノ安寧及ヒ臣民ノ慶福ニ適合シ採ルニ足ルト思惟サルルハ例セハ「柏市柏の葉」ニ優シキ感情ヲ込ムルトカ「まなめはうす」「こなつみかん」ノ様ニ情愛溢レル心象ヲ平仮名表現スルトイッタ様ナ極限定的ノ例ニ限ラレ凡ソ高度発展ヲ遂ケタル我国社会ニ於ヒテ容ルルヘキヨウナキラキラネームノ例ハ十中八九モナク大半ハ堕落淫靡ニシテ公共ノ安寧ヲ紊シ且ツ歴史的形成サレ来タル臣民ノ慶福ヲ害スル所大ニシテ斯様ナル命名権行使ハ其外観ノ如何ニ関ハラ命名権トシテ許容サル機能ヲ超脱スルモノニシテ権利ノ濫用ニ他ナラス拠テ処分庁ノ為シタ原告等ニ対スル改名命令処分適当ニシテ何等違法性アルコトナシ

 依テ行政事件訴訟法相当法条ニ則リ主文ノ如ク判決

明治元年三月二十九日 東京地方裁判所第三民事部

明治元年三月二十九日東地方裁判所判決刑集1巻23頁キラキラネーム事件

明治元年三月二十九日東地方裁判所判決刑集1巻23頁キラキラネーム事件

主  文

 本件行政処分取消ノ訴ヲ棄却

理  由

 本件ハ近年俄カニ子供ニ名付ケラルルヤウニナッタ所謂キラキラネーム」ト呼称サルル諸種ノ名前ニ就テ行政官庁ヨリ之カ命名権ノ濫用トシ違法ナル故ニ改名ヲ命セラレシ事ニ対シテ之ヲ命セラレシ両親数百名カ当該行政処分ノ取消ヲ訴求スル事案ニシテ原告等ノ弁護人及ヒ処分庁ノ主張ハ左ノ如シ

 弁護人ハ親ニハ命名権アリテ本件諸種ノ命名ハ一部ノ物ヲ除外シテ別段公共ノ安寧ヲ害スル所モナク何等違法性ナシト云ヒ

 処分行政庁ハ本件諸種ノ命名ヲ具体的ニ列挙スルニ水子(みずこ) 野風平蔵重親(のかぜへ) 四駄霊(よだれ) 幻の銀侍(まぼろしのぎ) 精子(せいこ) 新一(こなん) 羽姫芽(わきが) 光宙(ぴかちゅう) 愛歩(あほ) 愛歩(らぶほ) 希空(のあ) 宝冠(てぃあら) 黄熊(ぷう) 孟沙孜(むさし) 三二一(みにー) ハム太郎(はむたろう) 麗音菜愛梨亜(れおなあ) 永久恋愛(えくれあ) 亘利翔(ぎりしゃ) 誠希千(せいきち) 甲子園(こうしえん) 在波(あるふぁ) ゆとり沙利菜愛利江留(さりな) ララ桜桃(ららさくらん) 愛保(らぶほ) 泡姫(ありえる) 美勇人(みゅうと) 六花(りっか) 雪愛(ゆあ) 正義(じゃすてぃす) 本気(まじ) 最愛(もあ) 大熊猫(ぱんだ) 紅多(べーた) 心結(みゆ) 心愛(ここあ) サラン(さらん) 菜七(ななな) 空詩(らら) 聖星夜(あだむ) 水子(みこ) 真剣祐(まっけんゆう) ぷもり連夏江(れげえ) 麗姫愛(まひめ) 波波波(さんば) 彩華(いろは) 陽葵(ひまり) 愛梨(まりん) しきみ花実(かさね) 俐亜武(りあむ) 澄海(すかい) 出誕(でるた) アロエ(あろえ) 頼音(らいおん) 珠丸(じゅまる) 希和(まな) 楽愛(らあ) 鈴愛(りあ) 琥珀(こはく) 天子(てんし) 桜花(さくら) 宇佐美(うさみ) 匠音(しょーん) 陽愛(ひなあ) 憧れ(あこがれ) 月(らいと) 愛桜(あいさ) 亜紅弥(あくび) ソフィア百花(そふぃあ) 水野(みずの) 姫涙(きるい) 櫻司(おうじ) 希苺(きいちご) 心夏(ここか) 伽羅(きゃら) 結弦(ゆづる)其他数千ニ上ル命名例カアルモ概シテ我国通例ノ命名例セハ男子ニ就テハ「章」「雄二郎」「治」「照義」「正太郎女子ニ就テハ「由美子」「理恵子」「良子」「沙織」「愛子」「桜」等ノ命名カ為サレ来ル所ナルモ本件ノ如キ命名ハ明ラカニ堕落淫靡ナル土着的聴覚視覚心象ノ音形ヲ漢字ノ読ミヲ借リテ名ツケタル上其実質即チ音形ニヨル聴覚視覚心象トシテモ善美ニアスシテ醜悪ナル物多ク我国ノ之迄ノ経緯ニ照ラセハ明白ナル異常現象逸脱事態ニシテ斯クノ如キ命名ノ流行ハ断シテ法カ臣民付与セシ子ニ対スル命名権機能ニアラス其ヲ超脱スルモノニシテ宜シク裁判所ハ当庁ノ処分ヲ追認スヘキト云ヒ

 依テ案スルニ処分庁カ列挙セシ所謂キラキラネームナル物ハ或ヒハ水子(みずこ)精子(せいこ)心結(みゆ)心愛(ここあ)水子(みこ)桜花(さくら)宇佐美(うさみ)櫻司(おうじ)心夏(ここか)結弦(ゆづる)等ニ就テハ命名トシテ有得ルト思惟サルルモ処分庁カ列挙セシ圧倒的多数ノ命名例ニ就テハ処分庁ノイフ如ク外観ノ如何ニ関ハラス其実質ニ於テハ我国土着ノ音形ヲ漢字ノ読ミヲ借リテ表現シタル物ナル上ニ其大半ニ就テ殆ト善美ナルモノナク堕落淫靡極致ヲ為シ例セハ野風平蔵重親(のかぜへ)ナルハ意味不明発狂的ナルモノニシテ四駄霊(よだれ)ハ妄語ノ極ナリ新一(こなん)ハ単ニアニメノ主人公ノ名ヲ結合セシメタルニ過キス羽姫芽(わきが)ハ自分ノ子ニ腋臭ワキガ)ナル名ヲ付ケントスル物ニシテ醜悪ノ極ナリ光宙(ぴかちゅう)ハ之モアニメ登場人物名ニ之ヲ類推シメ漢字ヲ強引ニ当テタル物愛歩(あほ)ハ之モ妄語ノ極ニシテ愛歩(らぶほ)ハ所謂ラブホテル」ノ短縮ラブホ漢字音読ミシタル堕落淫靡極致ナリ希空(のあ)ハ「ノア」タル音形ノ聴覚心象トシテハ醜悪ナリトハ云ヒ得サル痴呆的ニシテ採ルニ足ラス其他圧倒的多数例モ要スルニ我国土着ノ何等カノ堕落淫靡極致ヲ為シタル聴覚視覚心象ヲ基礎トシテ之ニ適当ノ音形ヲ形成セントシ其形成物ヲ漢字ノ印象ト読ヲ借リテ表現シタル迄ノ物ニシテ此種ノ命名法即チ言葉ニ土着ノ自我感情付与シメトシタル物ハ必スシモ我社会絶対ニ許容サレサル訳テハナク其内容ニヨリテハ漢字ノ印象及ヒ読ヲ借リテ特定ノ土着ノ心象ニヨリ自己ノ子ニ命名シ得ルト云フベケンモ命名例中我国ノ公共ノ安寧及ヒ臣民ノ慶福ニ適合シ採ルニ足ルト思惟サルルハ例セハ「柏市柏の葉」ニ優シキ感情ヲ込ムルトカ「まなめはうす」「こなつみかん」ノ様ニ情愛溢レル心象ヲ平仮名表現スルトイッタ様ナ極限定的ノ例ニ限ラレ凡ソ高度発展ヲ遂ケタル我国社会ニ於ヒテ容ルルヘキヨウナキラキラネームノ例ハ十中八九モナク大半ハ堕落淫靡ニシテ公共ノ安寧ヲ紊シ且ツ歴史的形成サレ来タル臣民ノ慶福ヲ害スル所大ニシテ斯様ナル命名権行使ハ其外観ノ如何ニ関ハラ命名権トシテ許容サル機能ヲ超脱スルモノニシテ権利ノ濫用ニ他ナラス拠テ処分庁ノ為シタ原告等ニ対スル改名命令処分適当ニシテ何等違法性アルコトナシ

 依テ行政事件訴訟法相当法条ニ則リ主文ノ如ク判決

明治元年三月二十九日 東京地方裁判所第三民事部

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