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2023-02-06

両親が離婚し、会社に行かなくなってから2年半が経過した。

コロナウイルス流行りだした2020年の某月、両親が離婚し母が実家から出ていった。

原因はお金問題にあった。両親は共働きだったが家計管理は上手く共有できておらず、父親実家のローン返済に充てるはずの退職金を使い込んでしまたことが発端だった。

(何に使ったのかは未だに明かさないが、自分小学生の頃、父親携帯で遊んでいた際にふと開いたメールボックスキャバ嬢らしき人物メールのやりとりがあったのを覚えていたので女にでもつぎ込んだのだろうと考えている。)

自分実家で両親と暮らしており、社会人で貯蓄もそこそこあったためローン返済の問題はなんとか解決の目処が立ったが、

両親の仲は悪くなる一方で、寝室を別にしてから1年、遂に別れの時が訪れた。

母が実家から出ていく日、自分仕事があったため朝7時頃には家を出なければならなかった。

母に行ってきますと別れの挨拶をする際、情けないことに涙が溢れてしまった。マザコンではないのだが、息子としてもっと何かできなかったのかとその時になって後悔した。

会社への足取りは重く、仕事殆ど身が入らなかったがオフィスでは何もない素振りをしていた。

それから3週間が経過し月末に近づいたある朝、ベッドから起き上がるのを強烈に拒んでいる自分がいた。

体が動かないわけではなかったが、とにかく起き上がるのが嫌だった。2時就寝7時半起床で睡眠時間が少ないのもあったが、普段はそれでも問題なく出社していた。

前日は会社の先輩と普段乗る駅を飛ばして歩きながら帰宅した。先輩は仕事について楽しそうに語り、自分自分仕事の考えをそれとなく話し自販機ジュースを買い二人でタバコを一本ふかしてから解散した。

夜飯を食べていなかったためコンビニ弁当を買い帰宅した。時計は既に23時半を指していたが何事もなく食べ始めたのだが、買った弁当は味がしなかった。

その時、薄暗い部屋でスーツを着た大人が、広いリビングで1人コンビニ弁当を食べているという事実に気づいた。

何を言っているのか分からいかもしれないが、今までは家族で囲んでいた食卓が1人のものとなったことに対して、とてつもない虚無感が時間差でやってきたのだ。

ちなみに父親無職)は2階で寝ていたのだが、母が出ていってからは一切口をきいていなかった。

そして翌日。ベッドから起き上がらない自分は「あ~このままだとやばいな~」「あと15分経ったら始業時刻にぎりぎり間に合う電車乗り過ごすな~」「あとちょっとで朝礼始まるな~」と迫りくる始業時刻に焦りを感じながらも天井をただただ見ていた。

そして始業時刻になった。やってしまったと思ったが、変わらず天井を見ていた。始業時刻の5分後には上司から社用携帯電話がかかってきた。が、出たくなかったのでとりあえず無視した。

しばらくして自分から上司電話をかけ、ベッドから起き上がれなくなったと伝え有給を消化することになった。それから3日間トイレ以外はベッドで天井を眺めて有給を消化し続けた。

病院にいってほしいとお願いされたため、それから数日後に病院に行ったところ適応障害と診断され休職することとなった。

休職手続き診断書原本の提出と会社資産物の返却)をしなければいけないため一日だけ顔を出せないか上司にお願いされた。電車に乗ることはできなかったが車なら行くことができる気がしたので車で職場に向かった。

手続きは1時間もかからなかったが駐車料金は3000円近く取られた。休職となりとりあえず脳死で休めるとなったので気持ちが楽になり車の中で奇声を上げながら帰った。

何もしないでベッドにいると自殺を考えることが増えたため近所のパチンコ屋で連日暇を潰した。それまでパチンコ殆どやらなかったのだが、爆音と散財はその時の自分には救いとなった。

もともとアニメを観るのは好きだったためパチンコ時間をつぶすのは簡単だった。減るはずのお金が何故か増え続けたのが面白かった。これがビギナーズラックかと思った。

休職してから2週間が経過した頃、体重を測ったら3kg落ちていた。食事を一切摂らず開店9時~22時50分までパチンコを打っていたため当然の結果とも言える。

これからどうしようかな~とYoutubeを観ていたら競艇CMが流れてきた。11月ボートレーサーの試験があることを知り自分受験資格があることが分かったため気晴らしに挑戦してみようと思った。

当時体重は60kgだったが、ボートレーサーは52kgに近づけないといけなかったため大きな減量に挑戦する必要があった。両親が離婚してから食欲がなくなっていったのは逆に都合が良かった。

炭水化物は一切取らず、鶏胸肉、豚肉、卵、アボカド納豆などを中心に食べた。ある程度鍛えなければならなかったためゴールドジムに入会した。

また、筆記試験もあったため数学国語理科社会(いずれも中学生レベル)の勉強をする必要があった。そこそこの大学を出ていたため筆記もまあ余裕だろうと思いながらも気晴らしになると勉強した。

11月になる頃には体重は52.5kgになり二次試験への準備もできた状態で一次試験を受けた。試験は上出来だったが二週間くらい経った頃に来た結果は不合格だった。年齢の問題もあるよなとあっさり受け止めた。

適応障害の診断は変わらずだったため休職を延長しつづけ、翌年の3月末に休職の期限が限界となったが働く気が全く起きなかったため退職することになった。無職誕生である

それからは家ではネットサーフィン、外ではパチンコ風俗三昧だった。パチンコでは期待値の追い方、捻り打ちを覚え風俗では上手なデリヘル嬢の選び方、本番交渉の術を習得した。

友人とも普通に遊び、泊まり旅行富士急に行ったりもした。それまで仕事に向けていた熱量を遊びに向けた。

その頃家に帰ればいた父親仕事が見つからず他県に引っ越すこととなった。実家一人暮らし無職誕生である

父親は時々実家に帰ってきたが口をきかなかった。顔を合わせるのも嫌だったので自分引っ越しをしようと決めた。

友人と気軽に遊べなくなるのは寂しかったが、父親と顔を合わせるほうがもっと嫌だったし、アパート探しをして新天地にひとり行くのも楽しいと思った。

そして現在引っ越し完了し1人で暮らしているが、どうにも働く気が起きずこれまでと同じような日々を過ごしている。

貯金無限ではないため、底をついたら生活保護を受けることになるのだろうか。それもまあ別にいかと思っている。

最初は考えていた自殺も、時間が経てば死ぬより身近な快楽を得ていた方が良いのではと考えるようになった。

これを見た人はどう思うのだろう。自堕落生活をして情けないと思うのだろうか。さっさと死ねと思うのだろうか。

精神疾患に対して一定理解のある人はどう思うのだろうか。「いやでも遊べてるやん」と思うのだろうか。

いや、そもそも自分精神疾患なのだろうか。病院には継続して通っているが精神疾患ではなく自分がただのゴミクズなのではと思っている。

働くことは一生できないかもしれない。糞尿製造機でも胸を張って生きて良いと誰かに言ってもらいたい。

2023-01-07

anond:20221223090818

集中して人の話聞けてねえだけじゃん。友達の辛い話ぐらいちゃんと聞いたれよ。

友人が勤めてる一流企業が大リストラニュースを出して、

友「俺もどっかに出向になるかもなぁ…」

みたいな話をしてる時にも、(うおおお、新天地で新たな人間関係技能を得られるうううう)みたいなことをついつい考えてにやにやしてしまうことがあったりする。

当然、友人から見ると他人の不幸を笑ってる最悪のクソ野郎になるのだろう。

2022-12-23

つらい時に笑う癖があるので友達を失う

からつらい時は笑って乗り越えようという思いがぼんやりとあった

そういう主人公が出てくる漫画を読んだのか

あるいは笑顔を作ると脳が勘違いをして幸せになれるとか読んだのか

とにかく、高校生のころから部活死ぬほど走り込みしてる時とか、受験勉強でつらいときかに笑顔を作る癖があった

けっこうそれにつられて頭の中もハッピー

「うおおおお、俺めっちゃ経験値稼いでるうううう!!!

一世一代の試練やってきたああああ」

みたいなノリだった。

つらい時にヘラヘラ笑ってるからドMだろ」とか言われるけど、別にドMではない。

ただ乳首責め風俗亀頭責め風俗が好きなだけ、ああいう店ってなぜか客の手足を拘束する店が多いけど別に俺はそれを求めて行ってるわけではないのでドMではない。

 

大人になってからもその癖は残ってるんだけど、

他人のつらい話を聞いているときにも、その癖が出るようになってしまった。

友人が勤めてる一流企業が大リストラニュースを出して、

友「俺もどっかに出向になるかもなぁ…」

みたいな話をしてる時にも、(うおおお、新天地で新たな人間関係技能を得られるうううう)みたいなことをついつい考えてにやにやしてしまうことがあったりする。

当然、友人から見ると他人の不幸を笑ってる最悪のクソ野郎になるのだろう。

さないように気を付けてはいるんだけど、人のつらい話は急に来るので、ついうっかりで2人の友人を失った気がする。

2022-12-16

anond:20221216000112

失踪というと過去の人関係は全て断ち切るものだと思っていたから新鮮だった。

かに理解ある友達がいるに越したことはないのかも。

俺がその友達立場だとして、絶対元増田の居場所バラさない自信があるかというと微妙かもしれない。

何もなければ口を割らないが、断ち切った家族病気とか、あるいは元増田自身の困窮とか、

何かそういう事態を知ってしまったら口を割ってしまうかもしれない。

あるいは警察が介入してきたら…とか。

それでも友達0人は避けるべきというのは感覚にわかる。

元増田新天地での人生が良いものになりますように。

2022-12-11

中古品を買う習慣が抜けない

しかった学生時代の名残だろうかと思いながら生活してきたが、30代になっても全然変わらない。それどころか使い古されたものの方が好きになってしまった。中古品には誰かの影が残っていて、耳を傾けるとものを言う。昔の何気ない日常を熱心に語る。そういうのを聞くのがすごく好きだ。

車も中古車だし、服も靴も半分は中古だ。椅子中古コンテッサ。パナの加湿器モンベルテントクリステルの大鍋も中古。これは蓋が別売りなのだが、それも中古。鏡面仕上げの隅に磨き傷がある。その他に目立った傷はない。気軽にクリームクレンザーか何かでひと拭きしたところで、粒度が粗すぎたことに気づいたのだろう。

フェールセーフ機能したが、蓋を閉めるたびに自分ミスを突きつけられているようで我慢ならなかったのだ。ところが私は他人である他人些細なミスを引き受けるのは容易い。その蓋は「本来そういうものなのだ。少し奮発してぴかぴかの鍋を買い、うっかりから無用の傷をつけてしまたことにどうしても耐えられなかった。この悔恨の情が彼女の影を色濃くし、おでんを味わい深くする。

オーブントースターは知り合いの厨房お下がりだ。ボロボロの佇まいが妙に魅力的で、もう使えないというのに無理を押して譲ってもらった。洗い場の棚にあったもので、戦場罵声と泡まじりの飛沫にさらされ続け、2015年製とは思えない錆び方をしている。引き取るときグラタン用だったから...」と口を濁していたのが印象的だったが、電源を入れると漂うチーズ香りで腑に落ちた。私の好きな磯辺焼きがまずくなるため、しばらく使っていたのだが捨ててしまった。

正直にいうと中古電気シェーバーを買ったこともある。先回りしておくが、いくらなんでも刃は取り替える。一応健康リスクという言葉くらいは知っている。だが日常的に使いこんだ道具には特別な魅力がある。いずれ中古住宅も買うだろう。割れ石畳が並び、炭酸カルシウムのこびりついた亀の子格子がついているといい。長く使われた板の間はゆるやかに窪んでいて、松の木は取り返しのつかないほど枯れているといい。秋めいてきて、私は出どころのわからない隙間風を止めるのに必死になる。これは懐古趣味が行き過ぎていると思う。

食器中古の方が好きだ。それもできるだけ多くの人の手に渡ったものがいい。骨董屋も好きだが、掘り出し物を探しに行くというよりは単に古い食器を見に行く。欠けたり萎びたりしているもの、古いものほどよい。こういう目線も一つの美観だと思えなくもないが、その一方で品評基準技術的なことはあまりからない。開き直ったように、不完全な主観を甘やかしながらものを愛している。貴重性のようなわかりやすものなら理解できるのだが、知れば物怖じの原因になるだけだ。かといって知らないまま使って台無しにしてしまっては寝覚めが悪い。人並みの道徳心が働く。したがって、ただ古いだけの日用食器が一番よい。器の前に座った昔の人々を想像しながら、手の中でくるくる回して欠けやひびに入った汚れを眺めるのが好きだ。あまり酒は飲まないが、熱い湯を李朝の徳利に移してから注ぐと、300年前の丸い赤ら顔がうっすらと蘇ってくる。底座はすり減っていないがヒビは濃く色づいている。清潔な卓の上で大切に使われていたに違いない。奥の間の文机には美しい硯が置かれていて...

状態が良い中古もまた良い。大切に扱われてきたものには独特の緊張感がある。タグが破れかかるほど繰り返し洗濯されているのに、型崩れもせずきれいに保たれている服。裏返しにしてネットに入れ、丁寧に洗って乾かしてもらっていたんだろう。自分几帳面な人ではないので、几帳面の染み込んだ服は神々しくさえ見える。隅に手垢がつくほど読み込んであるのに、折り目の一切ない本を見たことがある。それは大正後期の本で、日焼けして小口にはポツポツとカビが生えていたが、中は一昔前のCGみたいに均一だった。人が何度も開いた本は湿気を吸ってごわごわしていくので、それとわかる。奥付に強い朱色で購入年月日が書いてあった。尾の長い達筆だった。日常生活勝手に楽しまれるのは気味の悪いことかもしれないが、増田に書くぐらいはよかろと思う。

本は好きでも間の悪いことに古典思想書が好きだ。浅学なので最先端思想技術吟味するような知識はない。開拓された新天地を後から眺め、「おお」とのけ反ることしかできない。だから勧められて読むことはあっても新刊あさりをすることはない。死ぬまで教わる側だろうと思う。買うのは電子書籍を優先しているが、それはスペースが足りないからだ。遠慮なくびっしり引いた傍線や、付箋や、日付入の署名はいつでも恋しい。折り目もないよりはあった方が好みだ。

新しいものというのは、誰にも使われていないものだ。時代の御沙汰を経ていないものだ。自分には後世に残すべきものを見抜く目がない。最大多数の最大幸福というものが、わかるようでまるでわからない。誰かが作ったもの勝手理屈でうなずき、あるいは名批評情熱を譲り受け、誰かの生活勝手に愛することくらいしか幸福に向けた積極性を持っていない。でも世の中の多くのもの価値は、そこにくっついた誰かの影ではないかという気がする。誰かの生活を愛する時間時間の間に、それらの記憶記憶の隙間に、ガスのように後の未来からゆっくり幸福が満ちてくるのではないかという気がする。中古品を買い漁っているとき、この作用に期待しているという自覚がある。それらを構成するのは自分記憶でなくとも良いのだ。

作った場所から直接やってきたものが、何か恐ろしい未知の存在に見えることがある。そこに何が宿っているのか、自分の目には判断がつかない。それはひとりでに明らかにはならない。誰かが指摘してはじめて、私達は宿るものの姿を見ることができる。ここまであえてこの言葉を使わずに来たが、どうしても気持ちが悪いので書いておく。私はこれが魂だと感じている。私が勝手ものの中に見出し、呼びかければ話し出す誰かの姿。恋人にもらったネクタイに宿ると感じるもの。死んだ犬の首輪に宿るもの。それに触れた子供の指に宿るもの。それを見た私の目に宿るもの。こうして文字したことでどこかのあなたの目に宿るもの言葉と物とが受け継がれる中で、それは形を変えながら宿主を移り、誰かの指摘によって唯一性を獲得しながら無限に増えてゆく。歴史生活の集合であり、魂の集合であり、決して失われない無限価値だ。こういう虚構を片手に中古品を愛でている。あと中古品は安い。そこもいい。

2022-11-25

広告SNSも、意味あるのかな

企業SNS担当やってる。

特にInstagramは私が担当してからサイト流入が2倍になったし、アナティクス上のCV数(Instagramからサイト流入して来店予約した数)も1.5倍になった。

・・・といっても、月平均3人から4.5人になった程度ね。

今年のトータルのお客様数は激減している。

アナログな業界なので紙のDMがまだ一番集客には有効なんだけど、それもパタッと来なくなった。

なんで来ないんだろうねぇ。という事でWebコンサル相談を依頼する事になった。

それで、Webコンサルの人が言うには今はSNSだの、広告だの頑張っても大体ダメで、

一番に信頼されるのは「口コミ」なんだってさ。

日々感じている仕事の虚しさの正体はこれだよなぁ、と思った。

どんなに素晴らしいSNSでも、サイトでも、口コミイマイチなら来ないと。

コロナ禍において最前線接客する販売職の方々には頭が上がらない。

だけど、たまに現場で一緒に作業をすることがあるのだが、素人目にも店舗自体が「イケてない」と感じる。

内装といい、店員覇気の無さといい、中途半端に高い価格設定といい。

紹介してもらう事が大事な業種だが、紹介が起こらない時点でもうダメなんだろう。

結局、私のやっているSNSとか広報仕事だって、店自体の評判に乗っかっているだけなんじゃないか。と思う。

自体ダメなら成果は上がらない。

逆に、店自体良ければ成果も上がりやすい。

私の発信なんて、店に来たい人の思いを補強する程度の役割しか果たしていないんじゃないか

なのに最前線に立つ販売職より給料が高いの、何でなんだろうね。

もう店潰れそうだから転職するけど、またSNS運用仕事する。

プライベートでもSNS好きだし、とりあえず向いてる仕事からね。

新天地で頑張ろうという気持ちもあるけど、

やっぱり会社商品サービス自体の評判に乗っかってる仕事だよね、感は否めない。

会社商品ネタに発信して遊んでる、みたいな感じ。

もちろん、仕事からデザインとか統一感とかはちゃんとやるけどね。

なんだろう。好きな仕事だけど虚業みたいに感じるよね。

2022-11-09

かに転生ものって不可抗力的に異世界に転生する話が多いよな

別に現代社会では評価されてないか自主的異世界移住して能力を発揮する話でもいいはずなのに

事故にあって死んでしまったりとか召喚士に強制的召喚されたりとか自殺したら異世界にいたとか

俺は今の環境を捨てて新天地へ行ってそこでやり直すんだ!

という自主性すら読者にとってノイズになるんだとしたら、あまりにアレすぎない?

2022-11-08

anond:20221108195204

昔も外国土地を奪わない限り、農民流動性はなかったわけで

近代世界シェアを争う新天地の分野では流動性はあったはず

 

ただ戦後音楽CDとかウォークマンとかツイッターとか拡大縮小もあった

 

ということで固い職業公務員大手不動産法律系だけど、そこは世襲も多いというジレンマ

2022-10-25

anond:20221025141838

このあたりは習おじの食事概念が見てとれます

"食事代は私が払った "習近平飲食への公金投入にブレーキ

習近平はどこで食事をしても、必ずお金を払うことを忘れない。 あるとき習近平正定西蔵コミューンブリーフィングに行き、食堂食事をした。 食事をする「テーブル」は、コミューンの庭にあるコンクリートタイルで、その下にレンガを数枚敷いたものだった。 椅子がないので、そこにしゃがんで、普通の水を飲みながら食べる。 食後、習は "私が払います "と言った。 当時は肉まん2個で8セントキャベツの炒め物で10セント、合計18セントだった。 食事代は習近平が全額負担してくれた。

2014年習近平は蘭香を再訪し、昼食に蘭香打包、開封小籠包、白米を食べ、カリフラワー乾物炒め、中原チャウダー羊肉の煮込み、キノコ入りローストビーフ、冬瓜と豚バラ肉スープという4品とスープを食べた。 食事が終わった後も、習近平は今まで通り食事代を支払った。

2014年習近平ランカーオを訪問した際の食事領収書は、当時の実勢レートと食事回数に応じて支払い、合計160元が満額となった。

習近平は友人を招いたとしても、迎賓館での夕食に招待することはほとんどなく、もし招待しても自腹を切るのが常であった。 たいていは、缶詰野菜などを買ってきては、事務所でその友人たちをもてなす。 週末であれば、友人とお酒を飲むこともあったようだ。 また、食堂に行って料理を2品注文することもあったが、その場合も必ず自腹を切っていた。

正定回天ファイル写真

正定委員会規則では、公金で客人を接待することは認められていない。 しかし、『正定新天地に立つ』が出版されてからは、記者がどんどんやってきて、食事問題顕在化してきた。 また、「確かにジャーナリストは "お客さん "だが、仕事をするために降りてきているのだ。 気軽に食事ができるようにするべきだ。"

習近平の言うことは一理あると誰もが感じた。 習近平国家主席は、さらに3つのおもてなしの指針を示した。1つ目は、礼儀正しく接すること。 2つ目は、無駄がないこと。 第三に、食事に同伴できるのは一人だけで、他の幹部スタッフには同伴できないことである。 当初、記者には一人分の餃子を食べてもらうことにした。 その後、正定で買った麺類麻婆豆腐バクラヴァなどの軽食に変わり、安くて美味しかった。

からの客人を伴って食事をする場合自分の分まで、客人の分と合わせて、すべて自分の懐から出して、いらないと思ってもダメです。 国民が払うべきでない金に対して、いつも「計算」していた。

当時、国内では前例がなく、正定で行われた仕事画期的ものだった。 習近平はまた、組織機関幹部が公金で飲食することを禁じ、単位宴会に招待することを禁止する規則を作った。

は、"Science "の略称で、"S "は "Science "を意味します。 1989年3月、彼は率先して「地方委員会行政院指導幹部の清廉さと自己規律に関する若干の規定」を制定し、その内容は12からなり、その中の一つに、草の根の人々はたくさん飲食してはならず、接待基準に従って食事運営し、必要な食費を支払うことを厳格に要求される、というものがあった。 この経済精神は、その後の習近平政権にも反映され、2013年には「飲食物の無駄遣いの抑制を呼びかけるネットユーザー」に対して、「党、政府、軍の各級機関人民組織国有企業、そして各級指導幹部は、先頭に立って公式接待制度を厳密に実施し、あらゆる経済措置を厳格に実行すべきだ」と書き込んでいます政府、各級政府機関軍機関、人民組織国有企業、各級指導幹部は、率先して公式接待制度を厳格に実施し、各種節約策を厳格に実行し、公的資金の浪費に断固として終止符を打たなければならない。

習近平の "メニュー "とは? 手料理に勝るものはない。 しかし、これらの料理には、習近平民衆に対する献身的姿勢、心からの素朴さ、そして清らかな決意が感じられます

出典:『正論』『新華社』『人民日報オンライン』などの習近平編集部/斯青(シーチン

https://news.sina.cn/gn/2019-08-06/detail-ihytcerm8718713.d.html

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2022-10-24

特にしたことのない同僚に退職メッセージカード書くことになった

新天地でもご活躍できるよう願っております

・・・ぐらいでええんやろか?

2022-09-24

anond:20220924185806

続き↓

 この日だけは生理にならないで欲しいと念じ、部活に励んでカロリーを消費しまくった時に限って、予定でもなかったのに生理になる。それがぼくのあるある事象で、修学旅行でも、ぼくは三日前から生理になった。荷物の半分が生理用品になる。トイレにやたら時間がかかり、ただでさえ移動中に立ち寄るトイレはとても混雑するのに、ぼくはそわそわとして落ち着けない。レイジとは同じ班になったが、レイジは相変わらず女としての煩い事には無関係の人だから、どこへ行っても楽しそうだ。

 自由行動の日、レイジはぼくがトイレに行ったきり中々戻って来ない間、もっぱら寺社境内で鳩とたわむれて時間を潰していた。ぼくが貧血と歩きすぎとでふらふらの状態トイレを出ると、レイジの周りをうろうろしていた鳩達が一斉に飛び立つ。背の高いセーラー服少女と鳩という、ミラクル光景レイジがつくりだしている。眩しくて目眩がした。観覧した寺社の事なんかろくに覚えていやしないが、その景色だけは今でもよく覚えている。

 夜、泊まった宿では大浴場が貸し切りで使えたが、生理の生徒は部屋の内風呂を使ってよいとされていた。ぼくは当然内風呂に入ることになったが、大浴場を使える女子達はひとの気も知らずに一緒に入ろうよと誘って来る。ぼくはうっすらと屈辱を感じつつ断る。相部屋にも何人か内風呂を使う人はいたが、ぼくは「先に入る?」という気遣いを全部断って一番最後に入った。

 せっかく広いお風呂に入れるはずが、見たことのないほど狭い風呂我慢しなければならないのは惨めだが、レイジの裸を見ないで済んだのは良かった。小学5年生で行った臨海学校風呂を思い出した。あれがぼくが集団で大浴場に入った最後の機会だったが、当時既に同級生には女らしい体型の女子が何人もいて、あれはかなり気まずかった。どこを見ても生々しい女体が視界に入るのが嫌でずっと俯いていたし、落ち着いて湯船に浸かっていられなかった。あの頃は成人女性のような体つきの女子ほとんどは薄手の子供用の肌着を着て、その上に体操着を着ていたのだから、思えば気持ち悪くクレイジー文化を生きていた。それを許していた大人達の気が知れない。

 修学旅行の夜は恋ばなで盛り上がるのは定番だが、同室に奇跡的にオタクばかり集結してしまったので、ぼく達は漫画アニメの話ばかりをしていた。だがみんなそれぞれ好きなものが違うので、話が全く噛み合わない。なのに何故か会話は成立しているように見えた。

 23時を回る頃には話のネタも尽き、昼間の疲れも出てきて、皆口数が減ってきた。ついにここにはいない他人の恋ばなくらいしか話す事がなくなってきた時、レイジがぼくに言った。

「なあ、お前は男同士って、どう思うの?」

 誰にも聴こえるような大声でいうから、同室の極めてお喋りな女子が、

「きゃー、レイジさんったら急に何を言い出すのーー!?

 と盛り上げてくる。レイジのご指名はぼくだったから、全員が興味津々でぼくの答えを待っている。

「うーん、」

 そういえばレイジって「やおい」が好きなんだったなと思いつつ、ぼくは答えた。

「男同士も、ぼくはいいと思う。ただし、美しいのに限る」

 皆はぼくの答えにキャーキャーと黄色い声をあげた。ぼくは半ばレイジに当て付けて言った。いつもぼくを驚かせてばかりいるんだから、たまには君もぼくの言うことにびっくりしろと思った。レイジにはぼくの意図が伝わったらしく、

「ああそうかよ、つまんねーな」

 といい、さっさと布団を被って寝てしまった。

 同室の女子達はカマトトぶっていたが皆「やおい」が大好きだった。学校までエロ同人誌を持って来て回し読みをしている連中(そういう奴らに限って本当はオタクではない)は他の部屋だったにしろ、みんな男同士の禁断の関係性に興味があった。禁断だからこそいいという価値観の共有されているところへぼくが堂々と「いいと思う」と言ったのはかなりウケた。隠すべきとされているものを隠さなくていいと言ってのけるのは、その時はまだ新しすぎる考えだったのだ。

 実はレイジは「やおい」の愛好者で、そうとうの数のやおい同人誌を持っているらしかった。一年生の頃、ぼくの家にレイジが遊びに来たことがあるのだが、その時レイジ同人誌を何冊か持って来た。二人で格ゲーで遊ぶのに飽きた頃に、レイジが鞄からそれらを取り出して見せてくれた。それは幽遊白書同人誌で、レイジが開いて見せてくれたページには、いやにリアルな筆致で描かれた幽助と蔵馬があられもない姿でぼくには理解不能なことを行っていた。ぼくは気持ち悪くて無理だと言った。ついでにいうとぼくの一番好きなキャラクターは軀だから、軀が出てこない時点でかなりがっかりだとも言った。するとレイジ

まだ子供のお前には早かったな」

 と言って本を仕舞い、代わりにもっぱらギャグ漫画ばかり載っている同人誌を出して、ぼくに貸してくれた。たぶん、レイジは「やおい」というものの中でもぼくが「気持ち悪い」と切って捨てた部分こそが好きだったのだと思う。

 やおいというもの自体はわりと好きだとぼくは思った。でもぼくはそれを男同士というよりは人と人同士だと思って読んだ。女でなければ無性別性別が無いというのは人として完璧なのではないかと、あの頃のぼくは思っていた。今となって思えば、そんな考えは母親譲りの潔癖症的な考え方であまり良いとは言えないのかもしれない。

 修学旅行から帰った後、ぼくはレイジとは違う高校に進学しようと決めた。レイジは市内にある名門女子高を受けるといっていたので、ぼくは電車で何駅もある遠くの共学を受けることにした。レイジの行きたい女子高はぼくの母親の母校だったから、そこを目指すのは母親の思うつぼにはまったようで嫌だったのもある。

 レイジと二人でつるむのは楽しいが、いつまでもそしているとぼくの世界は広がらないのではないかと思った。ぼくは一人で新天地を目指したい。だがそれは大きな間違いだと知ったのはそれから何年も先のことだ。現実には、一人でいるとずっと独りぼっちになりやすい。二人で楽しそうにしていると、それを見て何人もの人が集まってくる。友達が増えれば世界が広がる。独りきりで見える世界は、とても狭苦しくて窮屈だ。

 だが、誤った道を選んだおかげでぼくの今の暮らしがあると思えば、それはそれで良かったのかもしれない。

 レイジとは別々の高校に進学して以降は二度くらいしか会っていない。いつだったか、一緒にどこか遊びに行こうと約束して待ち合わせたら、レイジはまるでデキる女の休日ファッションみたいなスタイリッシュ服装に薄化粧までして現れた。ぼくはといえば、男ものの服を着れば男の子のようになれると信じた結果、ただの引きこもりみたいなダサい格好をしていた。どっちに合わせても相手が浮くし、そもそもお互いに学チャリで来て一体どこに行けるのかということで、近場の公園のベンチに座り、レイジがわざわざぼくに食べさせようと作ってくれた焼き菓子を食べながら雑談をした。

 最後に会ったときはぼくはもう結婚していて、久しぶりに実家帰省した際にレイジの家に遊びに行った。中学時代レイジがぼくの家に遊びに来たことは何度かあったが、ぼくがレイジの家に行ったのはそれが最初最後だ。

 レイジの部屋はすっきりと片付いていた。オタクらしいのは座卓の上を立派なデスクトップパソコンとその周辺機器占拠している事くらいだったが、それだって配線がごみごみと見えないよう置き方が工夫されていた。オタクの部屋というよりは仕事でよくパソコンを使う人の部屋といった感じだ。

漫画同人誌をいっぱい持ってるって昔言ってたけど、もう全部捨てたのか?」

 ぼくが問うと、レイジは「いや、」と言い立ち上がって部屋の奥の襖を開けた。

「さあ見れ!」

 その時ぼくは初めて、筋金入りのオタクは押し入れを改造して大量の蔵書を隠し持つのだと知った。

「だが、お前の読むようなものは何もないけどな」

 レイジお子ちゃまはそんなもんよりもこれでも見てろと言い、パソコンを起動させて秘蔵の面白動画を見せてくれた。ぼくらは中学時代のようにくっついてそれを見て、腹がよじれるほど笑い、床を転がった。

「お前ほんとに中学の頃から変わらないよなぁ」

 と、レイジは言った。

レイジだって服装以外は大して変わっていないだろ」

 ぼくはそう言い返した。

「そうかもな」

「でもぼくはもう結婚した。だからけっこう変わったと思う。ところで、レイジはぼくが結婚なんかするなんて変だと思わないの?」

 ぼくはレイジに聞いてみた。ぼくの家族特に母親はぼくの結婚をついに人生に敗北したと言って馬鹿にするし、昔の同級生からも祝われるよりも先に引かれがちだった。

「変だとは思わねーな。だいたいお前、中学の時だってなんだかんだ好きな男いただろ。案外普通女子なんだなと思ってたよ俺は。ずっとふらふらしてるより早々に結婚ちゃう方が良かったんだろ、実際」

「確かに……。ぼくはかなりモテいから、夫と結婚しなかったら永遠に独身だという自信がある。けど、ぼくだってぼくなりに頑張って、何人かと付き合ってはみたんだが、まあ色々と、無理だったかもしれない」

「色々っちゃなんだよ」

「言っても引かない?」

別に引かない。俺は自分に話す事が何もないぶん聴き手に回り易いから、ダチの恋ばなを聞き慣れてるんでね。だからさら何が飛び出しても驚かないぜ」

「じゃあいうけど、夜のあれがつまらなくて……別に苦手な訳ではないのだが……」

あはははははははは!」

「笑うな! 何が飛び出しても驚かないって言ったじゃないか

「いやいや驚きゃあしないって。むしろお前らしくて笑うわ。お前、本当にいつまで経ってもお子ちゃまなー」

「うー、うるさい。でも、否定は出来ない……。ぼくはもっとこう、セックスとは楽しいものかと思ったけど、全然そうならないんだ。しか十中八九、ぼくのせいで盛り下がっているという、自覚がある」

「なぁ、膝出してみ?」

「膝? はい

 いぶかしみつつもぼくは素直に片膝を立てた。そこへレイジが指をさわさわと這わせた。

「ひゃあ! くすぐった! しか気持ち悪いっ!」

「それだからお前はなー。じゃ、今度は俺に真似してやってみ?」

 ぼくはレイジの膝を擽った。だがレイジはぞくぞくするどころか擽ったさも感じないと言う。

「まぁまぁ。毎日部活に出て稽古に励んでも全然強くならなかったほど、運動神経のないぶきっちょさんのお前さんがさ、セックスの時だけ上手い事やれるなんて、その方がおかしいだろ? 女だからやれて当然じゃないんだ。才能のないもんはどうしようもない。諦めろ」

「そういうもんかな」

「おー。そういうもんだと俺は思うぜ。でもまあ結婚はしたんだからよかったじゃん。婚姻届出しゃあもう、お前のエロさが足りないなんて理由簡単に別れる事なんか出来ないんだぞ」

「だといいけど」

浮気されたら愚痴でもなんでも聴いてやらぁ。そういうの聴かされるのは慣れてるからよ」

レイジ何気にひどい事いうよね」

「ははは。それより、子供が出来たらちゃんと連絡くれよ。そしたらお祝い包んでやるからさ」

「そういうのはいいよ。友達なんだし、変に気を遣わなくても」

「単に俺がそうしたいだけなの。うちは兄貴結婚しそうにないし俺はこんなだから、がきんちょにお小遣いくれてやる機会があまりなくてな。ダチの子供にお年玉やると、俺も大人になったなーって思えるし、気分がいいんだ」

 そんな事をレイジは言った。

 確かに子供のためにお金を遣うと大人になったという感じがする。一度に三万円は痛いが、それで子供達が喜んでくれたのだから、大した事のない出費に思える。しかしぼくは今やただの大人じゃなくて親だから子供にしてやらなきゃいけないことは、他にも沢山あるけれど。

2022-09-19

anond:20220919065748

Twitter本垢とは一切関係ない二次創作垢つくって小説あげてたら、ちょっとバズったタイミング本垢10年来の相互いいねRTフォローされてびびったことならある

バズったといっても数千とかなんだけど、新天地で再出発のつもりだったのに2駅しか離れてなかったみたいな、そんな感覚をおぼえた

2022-08-18

anond:20220817230541

ありがとう地元から離れるのはいいかもしれないな。

今のコミュニティだと、まず学生時代同級生は一切話聞いてもらえない感じになってる。相当嫌がられてたみたいなんだ。特に戦争の話があった時にいやー泣ける泣ける良い話だって言った時からクラスほとんどのやつから避けられてたし。

新天地で今のままじゃダメだし頑張りたい。

2022-08-17

anond:20220811223024

何年か前に(コロナ前)、関東から秋田県方面日本海側を周った。2-3日掛けたけどいい旅でした。人々に触れて人情に触れてね。でも、良いことばかりじゃなかったネ~。

丁度、関東ingressやってたので新天地プレイしてみたんだよ。荒んだ関東とは違うと思ったから。けど、違ったね。人情はあったけどゲーム世界では、もっとしかった。何と言うかゲスいって言うのかね。山形県から秋田県のあたりだと思ったけど、夜中に駅で休んでたついでに駅でポータルキャプチャしたのね。まさかの、5分程度で来るってね~(汗)。停めてた車を一台一台チェックしながら取り返して帰って行きましたわ。関東圏ならわかるけどまさか田舎でも殺られるとは。民度問題とか言う、愚か者がホザいてるけどイチャモンつけるなら大して変わらんのと違いますか?真実が解らんのに、他人が口出すのは言語道断ですよ。

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-07-12

都会ASD生活騒音

ASD田舎迫害され

新天地埼玉マンション他人干渉されない自由を得たまではよかったが

隣の野郎の炸裂声がうるさい

夜中の洗濯機

夜中のシャワー

歩行音

ドスドス歩く

家にいるだけて増田の心は荒れていく

それなりにいい家のはずなんだが

発狂しそうな日々が続く

2022-06-28

鍵垢同士で繋がった4X歳神絵師が怖かった話

私はジャンル複数掛け持ちしているが、ものさな人間なので、趣味垢は3つ……今は実質2つしか持っていない。

1つ目は表垢。普段つぶやき作品公開、他者との交流はここでする。

2つ目は特殊ジャンル垢。R指定ではないがかなり特殊ジャンルのため、垢分けをおこなった(現在はほぼ稼働していない)。

3つ目は裏垢。鍵をかけている。表では言えないR指定作品センシティブ作品を発表したり、愚痴を言ったりする。

この裏垢は8年ほど前から稼働しているが、滅多に人には教えていない。全員ほぼ相互フォロー20人もいないくらいだ。そして大抵鍵垢同士だ。自分性癖は人にバレたらかなりアレだと自覚しているので、複数通話したり、己の弱みを握り合った状態でないと相互にならない。

そして去年の秋頃、そこに新たな相互を数人、加えることとなった。どの方も複数通話し、お互いにアレな性癖があるのを晒し合い、全員成人済で社会人確認が取れたので相互となった。きちんと人から見えないところで、思い切り性癖の話が出来るんだろうなと私はワクワクしていた。

最初の頃までは。

新たに相互になった数人の中に中心的な人物がいた。名前をAさんとする。私は最初、Aさんと表垢同士で繋がり、次に裏垢同士でも繋がった。Aさんの表垢からも私の裏垢にフォロリクが来たので、それも許可した。彼女は、表垢でン万人のフォロワーを抱える神絵師だ。そんな人でもアレ性癖があるのが意外だったが、裏でこっそり楽しいお話が出来るならそんなことは関係ない。表垢での発言良識がある(ように見えた)し、通話でもちょっと押しが強かったが、明るく積極的性格の方で、楽しい話題提供してくれた。大抵の人間を『悪さをしてなければいい人』と捉える大雑把マンの私の中では、彼女は『いい人』だった。

繋がってから、改めてAさんの裏垢を見た。彼女の裏垢は、彼女が表で見せないような攻撃的な発言が多く溢れていた。少し驚いたが嫌悪感は感じなかった。誰だって嫌なことはあるし、愚痴を全く言わない人間なんていない。私自身や私の相互鍵垢フォロワーも、表垢より過激なことを言ってるし。あの明るい性格からちょっと考えられないくらい意外だったが、まあこんなものだろう。あと愚痴まみれじゃなくて、普通にアレ性癖語りもしてて面白いし。おっこれ面白い。ファボろ。

こんな感じで、しばらくは平和に過ごしていた。

違和感を感じたのは2ヶ月ほど前からだ。

Aさんの発言には表垢と裏垢とで、矛盾が多いことに気づいた。たとえば、裏垢では「女体化地雷!嫌い!」と言っているのに、表垢では女体化を描いていたりしたのだ。表と裏での行動と発言が一貫していなかったことに、私はいつも首をひねっていた。でもまあ、人間表では言えないこともあるだろうし……私はその程度の認識だった。

それからほどなくして、Aさんの(裏垢での)不可解な行動はさらに目に見えて激しくなった。

Aさんは、ある絵師執拗に敵視していた。裏垢ではその絵師……Bさんのことを鍵垢引リツし、Bさんみたいなイナゴ絵師は最悪!という内容のことを叫んでいた。また、ある動画投稿者……Cさんもまた、Aさんは嫌っていた。Bさんほどではないが、動画面白くないとか、承認欲求強すぎて嫌だとか言っていた。

私は、裏垢に顔を出しづらくなっていった。

何故なら、BさんもCさんも、表垢での私の好きなクリエイターだったからだ。

かに、BさんとCさんは私から見ても調子に乗りやすタイプだったり、承認欲求の強さが垣間見えるところがあった。しかし、彼らの作品自分の好みだったのも事実だ。なので、Bさん、Cさんを私は表垢でフォローはせず、しかし定期的にチェックして楽しく作品だけを見させてもらっていた。

Bさん、Cさんの作品を見ているような人は信じられない、モラルに欠ける。そのようなことを、Aさんは裏垢で発言していた。

今まさに、裏垢にBさん、Cさんの作品を見ている私がいるのにだ。

私は表垢でB、Cの作品普通にRTしていた。表垢同士で繋がっているAさんにもまた、私のRTが流れてくるはずだ。つまり私は、Aさんに地雷を垂れ流していることになる。自分だったら、こういう風に後から相互さんが地雷だと判明したら、申し訳ないがミュート、ブロ解する。しかしAさんは私を(おそらく)ミュートしていない。私のツイートにも爆速で反応して、(フリだとしても)友好的なリプを送ってくるのだ。

私はAさんの地雷を目の前で踏んづけているのに、私のことが嫌いじゃないのか?どうしてミュート、ブロ解しないんだ?わからなかった。

私は雑多垢の人間だ。好きにツイートするのが信条だった。しかしいつしか、私は『Aさんの好み』を気にするようになってしまった。

次第に私は、Bさんの作品を追わなくなっていった。

Cさんの作品に、私は「面白いです!これからも頑張ってください!」といつか言おうと思っていたが、言えぬままCさんは消えた。病んで垢消ししたのだ。

他にも、私が最近いいなと思った絵師フォローしたアカウントを、Aさんは裏垢でことごとく晒しあげ、否定した。しかし何故か、私に直接文句一言も言わずに、だ。私は新たに好きなクリエイターを探すことすら億劫になっていった。

からない状況は、さらに加速する。

Aさんは、私が表垢で気に入ってRTしたものを、嫌いだと当てこするような発言をするようになった。

私が表垢でメイドコス絵をRTすると、「メイドコス絵とか、好きでもないのに大量に流れてくるから嫌いなんだよね」

私が表垢で大胆な構図の絵をRTすると、「こういう大胆な構図の絵は正直面白みにかけるよね」

(内容にフェイクは入れてますが、マジでこういう感じの発言です)

……一度だけなら偶然と思えたかもしれない。しかしAさんは、私が表垢でRTしてから必ず数分後にこういった内容の発言を裏垢でした。何度もだ。Aさんは神絵師で、私は絵が下手だ。絵についての知識ならば向こうが圧倒的にあるだろう。彼女言葉有識者から意見に思えた。私がRTした作品を好きになるような人は、目が曇っていると言われているような気持ちになった。自分の「好き」という気持ちが、どんどんしぼんでいった。

また、Aさんはジャンル愚痴も言っていた。私は現在、大まかに分けてα、β、γというジャンル活動している。このうちαでは本を出し、βでは来月本を出す予定で、γはROM専だ。Aさんとはαジャンルで繋がっていた。

Aさんは、裏垢であろうことかβジャンル悪口を言っていたのだ。今まさにβジャンルのドスケベ原稿真っ最中の私と繋がっているのに、だ。

βジャンルファンを……その、「キッズ」とか「ガイジ」とかかなりヤバい言葉で罵っていた。もう愚痴ではない。悪口だこれは。あなたの言ってる「キッズ」で「ガイジ」が、今目の前にいますけど?!裏垢を眺めながら私は宇宙フェイスになっていた。私はAさんがますますからなくなっていった。

さらに、これは完全に自分の落ち度だが、Aさんはフォロー許可した表垢から私の裏垢にリプを飛ばしてきた。やめてくれ!バレたくないんだ、裏垢同士で話すだろう、普通は!そう思っても、フォロー許可したのは自分なので後の祭りだ。これはマジで私が悪い。

それでもも限界だった。仕方ない、私がAさんをミュートかブロ解しよう!そう思い立って、はたと手が止まった。

こんな攻撃的な人をブロ解とかしちゃったら、私どうなっちゃうの?

どっと汗が出た。今私は、裏垢同士で繋がってAさんのアレ性癖を知っているが、翻せば私のアレ性癖も知られているということだ。互いのタマを握り合っているに等しい。その上、Aさんつながりで相互になった鍵垢仲間の人は全員Aさんとの方が親交が深い。私はαジャンルで一番の新参者だった。今までの裏垢の発言とかスクショ撮られたとしたらどうしよう?もしAさんが被害者っぽく振る舞ったら、孤立無援の新参者と、万バズ神絵師世間はどっちの言い分を信じるだろう?脳内阿部寛と例のBGMがぐるぐる回りだし、私は指を動かせなくなった。

Aさんは、全てが非常識な人ではなかった。たとえば私が裏垢で「nmmn検索避けしない人ってヤバくない?」みたいな発言をすれば、「本当にそうですよね!」と同意リプを飛ばしてきた。アレ性癖は決して表垢で漏らさず、愚痴も表垢では言わなかった。私は表垢のAさんと裏垢のAさんが同一人物だと思えなかった。もういっそ千年アイテム持っててくれと願ったほどだ。

ほとほと困り果てた私は……別ジャンルフォロワー相談することにした。この時ばかりは、ジャンルを掛け持ちしていて良かったと痛感した。

αジャンルではAさんは有名人なので何も話せない。そこで、βジャンルの人に今まであったことを通話で掻い摘んで話した。すると、彼らは「それはおかしい!」と言ってくれて、彼女の不可解な行動をこう推測してくれた。

「Aさんは、あなた自分の都合のいいような存在にしたい、自分コントロール下に置きたいと思ってるんじゃないの?」

目から鱗だった。そういう人もいるんだ、という驚きと、今までのAさんの行動に納得がいった。行動の矛盾の多さも、自分の都合のいいことしか見えていない、自分のやることは例外だけど他者のやることはダメ、そういう彼女思い込みによるものなんだろうと思った。(それでも、万バズ神絵師のAさんが、私みたいなろくに作品も作らない、表垢でも吹けば飛ぶようなフォロワー数の底辺ツイッタラーをどうしてコントロールしようとしていたのかは、最後まで分からなかったが……)

Aさんはすごくまともそうな人だったんだけど……と話すと、βジャンルフォロワー苦笑いしながら答えた。「世の中には、めちゃくちゃ擬態の上手い人間がいるんだよ」

Aさんは自分の年齢を裏垢で公開していた。芸能人の〇〇と同じ、と言っていたので、おそらく4X歳だろう。その年齢で、他者自分コントロール下に置くためにこんな行動をする人がいるのか。今まで、誰にも「そういうことしたら人が離れていくよ」と言われなかったのだろうか。それが一番の恐怖だった。

βジャンルフォロワーには相談に乗ってもらった上で、さすがにあなたが迂闊だよと叱られた。その通りだと思う。私は自分軽率な行動を反省した。そうして、私はかたちだけでも円満に離れるために、8年慣れ親しんだ裏垢を捨てて、今は新天地へと向かっている。

①垢消しやブロ解などはせず、旧裏垢へのログインをやめる

センシティブ垢、愚痴垢のふたつの鍵垢をつくる

センシティブ垢は表で言えない『性癖』を話す垢。旧鍵垢のフォロワーは誰も選ばず、好みのクリエイターだけフォローする

愚痴垢は表で言えない『愚痴』を話す垢。こちらは完全壁打ち。誰もフォローしない

⑤表垢でのAさんとの交流を徐々に疎遠にし、しばらくしたらミュートする

Aさんに悟られず、私が徐々に消えていくためのプロセスはこんな感じだ。さらば、8年間の性癖を詰め込んだ裏垢よ。不甲斐ない主を許しておくれ。

でも、せめての感謝気持ちを込めて、最後に裏垢でセンシティブ作品を発表した。何も知らない鍵垢仲間のフォロワーは、私の久々の作品投稿を褒めてくれた。その中にはAさんもいた。それ自体は、本当にありがたいことだと思う。作品性癖語りは、誰かに見てもらうだけで奇跡みたいなものだし、それで互いの好みが一致するなんて本当に素晴らしいことのはなのだ。その上で他者コントロールしようとするなんて考えても詮無いことであると、Aさんがいつか気づいてくれれば良いのだが。私にはもう、彼女に何も出来ない。

老兵は死なず、ただ去るのみ。私は二度と、誰かに鍵垢を教えないだろう。

2022-06-22

引っ越したんだけど投票ってできるの?

この4月就職に伴って引っ越ししたんだけど、

まだ引っ越して3ヶ月経っていないか新天地での投票権はないんだよね。

でもどうやら実家のある選挙区投票権はあるらしいんだよね。

遠隔地でも投票できるの?でもそのやり方とか調べるのは面倒くさいな

住民票移していない学生とかどうやって投票してんの?

投票義務なので行いたいが、選挙だけのために実家に帰るのはさすがに面倒くさい。

2022-06-14

やったぞWeb3.0

メタバースが主流となり生活の基盤がネットになって、自分というものアバターになる

DAOの台頭で雇われることな仕事ができ、自由な働き方で稼げるようになる

見た目や収入弱者扱いされてた人間新天地だ。理想の世界だ。やったな!

2022-05-08

「逃げればいい」という言葉違和感がある

主に精神的な窮地を迎えた人間へのアドバイスとして、「逃げればいい」という言葉が用いられることがあるが、個人的には違和感がある。

それは、私もそのような窮地に陥ったことがあるからだ。

そのとき、私が本当にやりたかたことは、その窮地を終わらせたいということだけだった。

その窮地を逃げて、新天地で一からやり直したいというわけではなかったのだ。

そもそも、窮地に陥った人間にやり直す気力なんてないだろう。

から希望としては、窮地を代理解決するヒーロー存在が登場するか、完全なる無意識となるのを求めていた(怖くて死ぬことは考えなかった)。

まり、現状の窮地が消失するか、窮地を感じない自分となるかを求めていた。

新天地に逃げて、何も無い状態から全てをやり直すなんて考えてもいなかった。

新天地開拓なんて、今の窮地とさほど変わらないだろうと思っていた。

2022-05-06

anond:20220505163243

日本人の(いや他の国の人も?)多くは、過剰に安定志向なのがいけないと思うんですよ。

何があっても今の仕事(主に正社員地位)に必死にしがみついて、ひたすら定年まで勤める、ってのを至上命題に掲げてる感じ。

それ前提でしか考えられないなら、botとしてうだつの上がらないまま人生を終えるしかない。

生産的な趣味(もしくは新天地仕事)のスキルなんか、初めから備えてる人はいない。努力放棄して最初から諦めてるのはダメだw

50歳くらいで、それまでの仕事とは関係ない畑違いの伝統工芸職人かに弟子入りして、今では人間国宝レベルかになってる人なんてのも居るわけだし。

(今は亡き「和風総本家」で見たw)

2022-03-31

めんどくさい家族なんか捨てて新天地で新しい家族つくろうぜ。

しずかちゃんのパパみたいに。

2022-02-22

anond:20220222203423

まだ決まってないんか。そうか。新天地に行く君に幸運あれ。

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