・VRおじさんの初恋
・創作文芸サークル「キャロット通信」の崩壊
]]>プロかアマか知らんが文芸に関わってる(あこがれてる)のか?
ポエム調文章って主張が弱いから増田ではバズらんぞ
]]>A.タイトルも内容も可燃性が高すぎた。特に内容は原書が米国で問題しされており、差別や偏見を齎すのでは?と指摘されており、所謂エセ科学本と同じ扱いを受けていた。
『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』、この本のタイトルを読んだ際に何を我々を思うのだろうか。
現在、先進国に済む我々はこのようなサイトを見ている時点でSNS漬けである。
そして、SNS漬けであるがゆえに、こう思った人は少なくはないだろう。
「は?性転換ブームなんて来てないんじゃが」
コレがまずX(旧Twitter)で本書が盛大に燃えた一つの要因であろうと私は考えている。
なにせ、薄っぺらいタイトルテンプレ小説みたいな事を言っていて現実とのたまっているにもかかわらず、そのような事を我々が認識できる現実範囲内ではほぼ観測できないのである。
それに、トランスジェンダーについてはツイフェミ諸氏であるとか、昨今の教育だとかで非常にデリケートかつナイーブでセンセーショナルな単語となっており、ツイ廃と呼ばれるような人間は非常にその単語について敏感であった。
タイトルにどこで、どう話されたか書いていないため「身近で起きたのか?そんな事ないよな?」が「デマだ!嘘八百書きやがって」に変わり、内容を知らないままに刊行中止運動に参加した方はそれなりにいただろう。
せめてタイトルに米国だとかアメリカだとか、この本が執筆される国の名前程度は入れるべきであった。
少なくとも、それで「遠い場所でおきた出来事だから」でタイトルだけを見た人間が刊行中止運動に参加することはなかっただろう。
おそらく、米国に情報網を貼っていた正しい辞書通りの意味のフェミニストや、セラピスト、トランスジェンダーの方々は、この本について最大限に警戒していたと思われる。
それくらいにこの本の内容は駄目なのである。
内容を簡単に言えばカウンセラーとトランスジェンダーの会話の盗み聞きであったり、トランスジェンダーの子に絶縁された親へのインタビューである。
大問題である盗み聞きはもうこの時点でアウトとして、トランスジェンダーの子に絶縁された親へのインタビューについてははっきり言ってエモーショナル・コア、共産主義、無神論者、日本のアニメ・ゲーム、ファーリー(要するにケモ)などへの偏見とヘイト、責任転嫁が見受けられるトンデモインタビューがたくさん載っている上、トランスジェンダーの子供本人へのインタビュー記事は一件がほんのちょっぴりしかないのである。
簡単に言えば平等、生きやすさの表現の一種であるトランスジェンダーを掲げるこの本は偏見と憎悪に満ち溢れた不平等な内容にほかならない。
さらには本書には海外掲示板のログのURLが注役として記載されていたり、どの章も結局トランスジェンダーへの拒否と拒絶に執着していたり、トランスジェンダーは感染するとかいう小学生のいじめ並の主張も書かれており、本当にコレ出版社が刊行を許したの?となる。
その上で、内容の順番自体が保守派の伝統的な家族観への誘導に溢れており、読んだ人間を反トランスジェンダーへと誘導する悪意に満ち溢れている。
正直に言って、文芸ノンフィクションとして刊行すれば、きっとあのとき以上の大炎上が起こることは想像にかたくない。
この本の刊行中止は所謂エセ科学本の一冊が水際で刊行中止になったのと同じ事であり、欺瞞と憎悪と偏見に満ちた書籍が一冊KADOKAWAからこの世に産み落とされることがなくなっただけである。
これが私がこの件について出した答えだ。
出版社はどの本を出版するか選び、あるいは拒絶することが出来る。
拒絶された本は他の出版社へ持っていってもいいし、個人で印刷なりデータなりで販売することが出来るし、KADOKAWAも版権関係をちゃんとするなら普通に「自由にしていいよ、ただしウチからは出さない」程度の扱いだろう。
つまりこの本の刊行のチャンスは失われておらず、決して消されたわけではない。
なので焚書となったわけではないと私は考えている。
なのでそのうち「某社で出版拒否の問題作!」みたいな帯を装着して書店に並ぶ未来も存在するのかもしれない。
この本がなぜ出版中止になったのか、その疑問を持っている方はその未来を待つか、一足先に英語版を読んでみるのもいいだろう。
・今更なんでこんなの書いたの?
「今更」になったタイミングなので言いたいこと言ってスッキリしたかったから
・産経から出るよ
しらんかった・・・そんなこと・・・
・ニューヨーク・タイムズが支持してるで
あそこジェンダー関係でなんかやらかしてなかったっけ・・・そもそも最近の主張がものっそい偏ってるのでそこの支持の時点でお察し
]]>板橋区舟渡2丁目の公衆便所に、真夏になると湧いて出て来る、10匹のゴキブリや、人糞のような物。
]]>藤井セイラ
@cobta
たしかにりりちゃんは悪いことをしたでしょうけど、彼女につながれなかったら、それこそトー横とか売春とか大変なことになってた人もいるんじゃないかって気がしてて。若者を暗黒面に向かわせないセーフティネット構築をあわせて進めないと。むしろりりちゃんにアドバイザーをやってもらうくらいの。。
午後11:25 · 2024年3月15日
27.5万 件の表示
藤井セイラ
@cobta
3月15日
政治家はいないと困る、ではなく、政治家がずるいと困る、のです。市民の声を代弁する代議士です。だから入れ替わりうる存在です。裏金議員は金額の多少にかかわらず、議員辞職して立候補できない、などにしないとおかしいと思います。少なくとも平成前半の政治汚職ではもっと厳しく騒がれていたはず。
藤井セイラ
@cobta
3月15日
だからその見せしめで重くしていいのか?という話をしておりました。
藤井セイラ
@cobta
3月16日
やっぱり女の人に任せちゃダメってさらっと口に出る人がいる(思ってる人は100倍はいるでしょう)から、司法や検察に女性が極端に少なくて、性被害者がセカンドレイプで心が折れて起訴をやめたりするんだと思いますよ。。同質の犯罪で比べると、警察官なのにロマンス詐欺して捕まった人は求刑3年です。
https://x.com/cobta/status/1768656598237593729
藤井セイラ
@cobta
家族/文芸/ドラマなどのエッセイを書きます。 #えのなかのねこ で猫のアートを紹介。 #食べ物の色は幸せの色 で写真を投稿しています。セザンヌ/雪佳/ボナール/マティス/雪岱/御舟/漱石/一葉/賢治/大島弓子/プリキュアなどが好きです。集英社で連載中/Eテレに出演/保育士で学芸員で絵本専門士で幼保英検1級です
まず詐欺マニュアルをつくり、それでネットワークを作り、何億もの金をだまし取ったうえ返さない。
そのお金はどこに行ったのでしょうか?
極めて悪質です。性犯罪より厳罰でも構いません。女性は性犯罪で被害者にしかならないので。
しかもこれでも女性割が聞いています。
このような誤った考え方は女性を差別しています。女性はウソをついていい、悪いことをしていいということです。このような人間こそ女性を差別している。
見せしめで重くしているわけでもない。甘い方です。事実関係を理解せずエッセイストをやるのはアウトでしょう。どこまで愚かなのでしょうか。
というか女の人に任せちゃだめってご自身も思っているから悪いことをしても罪になるのはおかしいと思っているわけです。あほか。
]]>なる
@nalltama
犯罪者擁護頑張るね
つまらん。そんな情報の羅列は読む気がせん。
「どのように感得してどのように構成されているか」は羅列によって作成できるものではない。
ではどのように表現するか?人間失格から例を上げる。
また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、
「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」
などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激な言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、
「何か面白い本が無い? 貸してよ」
と言いました。
自分は漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。
「ごちそうさま」
アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓の思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から、自分の経験に依って知っていました。
注目してほしいのは「蚯蚓の思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。」という書き方だ。どれだけ嫌なのかよーく伝わってくる。理解不能であることがよく伝わる。そしてパターン認識によって対処していることも読者が実感できる。そのためには当然、前段の文脈も重要である。
もう一つ例を上げる。
酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。
自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
感情を分解してよくよく精細に描写している。マリヤの円光を現実に見た夜もあったとは、体験しないと書けない表現だろう。
では期待してるぞ。人間は苦しいときに最も文芸的になる生き物だからな。
]]>文芸とは自己の解体と観察、言いますのでそれをしてnoteあたりに上げると面白いのではないかと思います。
]]>◯ 文芸や書物、学問は有用だが文系から出てくる社会人が総じてクソ
]]>日本で言う「伝奇もの」は、山田風太郎とか、荒俣宏、夢枕獏、奈須きのこ、とかの、
時代ものでも現代ものでも、現実世界の舞台に、多くはなにか伝承とか都市伝説とかの元になるモチーフを含みつつ、妖術とか吸血鬼とか超能力とかの超自然要素を使ったエンタメ小説、であることを指す。
たいていはローファンタジーだろうけど、英語の定義とはまた別の分類でしょうよ。
]]>そもそも絵画や文芸みたいなものになんで著作権をわざわざ作ったのかの背景も考えずに、これは権利であり絶対的なものだ!という謎の信仰心なんだろうね。
そして著作権自体理解してないから著作物じゃないアイディアや絵柄にまで著作権があると思いこんでるのもな。
さすがに著作権著作権も言うやついなくなってきて、更には違法学習っていうアホ丸出しの言葉も見かけなくなってトーンダウンしてるの受けるw
まぁ受けるも何も、当たり前なんだから当たり前だよなってう感想。
しかし、初手で著作権法律むしして画像生成を利用してるだけの人たちを吊し上げて犯罪者扱いして大暴れしたからな。そりゃ馬鹿にされるわ。
]]>消滅可能性都市の特徴やん
田舎、地球温暖化、若い女性の消失
]]>
この時点で俺は間違えている、しゅうびとか読んでた
意味:
美を最高の価値として、美の世界にひたり楽しむこと。 美にふけり陶酔すること。 唯美。
イメージとしては「自分の世界に入っちゃってる系の絵画」だけど、あってるんだろうか
耽美主義:
19 世紀 せいき 後半にフランス・イギリスを中心にしておこった 文芸思潮 ぶんげいしちょう 。 「美」のみを 最高 さいこう の 目的 もくてき と考えて追究する立場。
これわからないよな字面じゃ
調べた
https://art.japanesewriterinuk.com/article/aestheticism.html
芸術の目的は、道徳や教訓を伝えるものや利益をもたらすものではなく、単純に美しい存在であることだという思想
現在では、「耽美」という言葉は、上記の耽美(唯美)主義の他に、少し毒気を含んだ美というものも指して使われていると思う。ただ美しいだけではなくて、陰のあるもの。病弱、破滅、官能、死、影、悪、闇、悲哀、倒錯、耽溺、狂気などなど。
そうそう、そういうイメージしてた
合ってた
堕落した色っぽさ、みたいな
社会からは批判されるような感じ?
そうだそうだ、ジョン・エヴァレット・ミレイだ、よく見かけるの
なんか沈んでる女性
エロいよね
類語:唯美
所感
苺ましまろの「かわいいは正義」ってつまり耽美だよね、不道徳てきなところとか
]]>パソコンは、平成12年頃の、 LAVIEの時代だと存在していたが、最近の電気店に置いてあるものはほとんど詐欺である。ここであえて詐欺と言っているが、昔のように
あるわけではなく、強い指令で、視覚的にあるように設計している。一部の奴があると思っているだけで子供には既にばれているといった状況。
社会評論的立場からは加藤周一が、文系はデザインで成功すると宣言したが、 行政のほとんどが失敗し、安倍は暗殺された。
要するにデザインで成功すると言っているため、金を持っていても、 相手方にいう「デザイン」(視覚的な設計)を間違えると、失敗する。
]]>「良さ」の基準を共有する必要があるわけで
高学歴は学生時代に文芸サークルでこれを共有して訓練してるからその「良さ」の枠内で戦って勝てるわけがない
そこに入れって言ってるわけじゃなくて
別の「良さ」があると思うならそう思う連中でつるんで研鑽したり文芸誌つくったり評価する側に回ったり
それを楽しめなきゃそりゃあ評価されませんよ
文学ってのは一人でやるものじゃないんだから
]]>特許権や実用新案権になるとあまりに知的レベルが高いのに対して、デザインというのは結局、人間の視覚を通じて対象に美観があるようにみせる仕掛けや設計
最近インターネットにあがっている意匠の例として、自分で解いたわけではないもの、 フェルマー予想の論文といったものがあげられる。特殊なやり方で自分で論文を書いたもののように
みせているだけで全然面白くない。しかし、自分で解いたかのような陶酔感を得られるという意味で、それが意匠である。それを権利として保護することに何の価値があるのか。
意匠法では、工業製品と一体となった進歩性の高いデザインに関して、意匠権として権利を認める。 しかし、デザインは、視覚に訴えて、人間をして幸福にしなければ文芸的価値がまるで
ないので、
]]>こういうこと言ってるやつ他のフリーレンの話題でも見るけどさ、言うほど文芸的か?
おっしゃるとおりで、さして文芸を語ることもない人間が、文芸的という例えを出したのは迂闊でした。
言いたかったことは
心情表現が直接的じゃない、台詞だけに頼らない
というところが近年の話題作より長けているなというところです
よって自身の意見は
あれ心情描写の心情表現が直接的じゃない、台詞だけに頼らない巧みさウケてる側面があるから
そういうコ(ry
に更新したいと思います。
ありがとうございました。
]]>心情表現が直接的じゃない、台詞だけに頼らないって点がそうだと思ってるのかも知れないが
肝心のキャラクターが記号的でペラッペラじゃね?
表現方法にこだわってても結局奥行きがないんだよなあ。
特にフリーレンとヒンメルが書き割りみたいでつまらないんだよな…
小説でもそういうしょうもない作品あるから、普段読んでる文芸の質が違うのかもしれんけど。
]]>そういうコンテキストや言外の意図みたいなのを読めない人には「ナニコレ?」になるんだよね
設定とか舞台とかバトルは適当だし
]]>NPOを作ったことで、立命館大学が主催するゲーム保存連絡協議会ともつながるようになり、そこからあっと驚く国会議員陳情にまで至る話になるのですが、それはまた次回以降の話ということで。
https://twitter.com/nakatsu_s/status/1757621540722741746
すでに国会議員2名が動いているという、ちょっと洒落にならない事態になりつつあるので、現状報告が必要なんですよ。各所からお知恵を拝借したいのです。
https://twitter.com/nakatsu_s/status/1758730975364927909
私一人では荷が重いし、忙しすぎるんですよ。すでに2名の国会議員を巻き込んで、色々と進めていく案件になっているので、なかなかに大変です。ライトノベルに詳しく、一般文芸などにも通じて知見を得やすく、かつベテランから新人まで幅広く繋がる人望のある方、協力お願いします。てなとこと今晩の→
https://twitter.com/nakatsu_s/status/1758733916016660538
地方の図書館は、まず「地方図書館の利用率をあげて地元住民に寄与する」ことを優先しなければならないので難しいんですよ。韓国が漫画やサブカルチャー保護を熱心にやっているように、日本も国家レベルで考えないと。自治体レベルでは解決できないという風に、山田議員からはうかがっております。
https://twitter.com/nakatsu_s/status/1756541528057823483
赤松先生、言及ありがとうございます。現在、私の方はラノベ名作復刊に携わると同時に、文芸評論家・星敬氏が遺されたラノベ7万冊を活用できる方法を探して、山田太郎先生にもご相談をしております。この7万冊は緊急でどうにかせねばならないため、またご助力の方などお願いいたします。
山田太郎はほぼ確定か?
正直、山田にしろ赤松にしろ、名前が出たら反発する層もいそう。
]]>まず第一弾として予定されてる作品は、蓬莱学園シリーズ。それから、ザンヤルマ、カイルロッドあたりも視野に入っているようだ。
いずれも現在は絶版で電書化もされておらず、読み直そうと思ってもそこそこ高い中古品を漁るしかないシリーズだ。そういう作品が容易に手に取れるようになり、かつ作者に利益が還元されるようになるのであれば、それは素直に喜ばしい。
特に、未完のシリーズである蓬莱学園は単なる復刊だけではなく、1巻が出たきりで中断されている「革命」の続きも上手くいけば出せるかもしれないそうなので、是非とも成功させてほしい。
ただ、この事業の立ち上げ人?だという人物の発言を見ていて、少し違和感を覚えるところがあった。
twitter.com/nakatsu_s/status/1759434045719560485
ライトノベルが「独自の文学ジャンル」として認められるか否か、みたいなのが関わってくるんでしょうね。売れ数とは違う価値判断基準がないと、文芸は単なる「商品」に堕してしまうので。ライトノベルにも「芸術品としての価値」を認められていく必要があります。
twitter.com/nakatsu_s/status/1759434645471690948
世界のあらゆるコンテンツには、「商品」の側面と「芸術作品」の側面があって、これがバランスが取れていると、大衆文化の寿命である半世紀を超え、文化として生き残っていく。ライトノベルは、やや商品(売れ部数、覇権とかのモノ言い)側面が強すぎるので、芸術的な評価を高めないと残っていかない。
辞書的な意味では当然ラノベも芸術であり文学だけど、ここで言われてるのはもっと日常的な用法としての、いわゆる「芸術」、いわゆる「文学」だと思われる。
うーん……
なんだろう。文化として残るためには芸術・文学でなくてはいけないと言われると、それは本末転倒ではないかと思ってしまう。小説は「文学」ではなくてはいけないという思い込みから自由だったからこそ、ラノベは読者に支持されたのではないか。
こういう姿勢で、たとえば(「芸術」「文学」に位置付けるのは極めて難しそうな)あかほりさとる作品なんかを残すべき文化に含めることができるのだろうか?
(検索してみたところ、あのあかほり作品も現在はセイバーマリオネット以外電書化されてないっぽい。ショッギョムッジョ…)
NPOとして国会議員すら巻き込んで(本人のツイートにそう書いてた)活動していくためには必要な方便なのかもしれない。それでも、本当に主張すべきなのは、(いわゆる)芸術・文学ではなくても文化であるし残す価値がある、ということの方だと思う。
繰り返すが、復刊・図書館計画自体はたいへん意義のあることであり、応援していきたい。それだけに、できれば価値観的にはもう少しだけニュートラル寄りに修正してほしいな、と思う。
(追記)
本人からブコメが付いた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4749545057711008128/comment/otokinoki
「文化として残していく価値はあるの?」というのは、後代にならないとわからないので、まだ50年という若いジャンルでは全部残していくしか無いのよ。
うーん…
誰にとっても、現在の評価を問わず一律に「全部残していく」ことができるならもちろん理想的だが、そちらの発言(「ライトノベルにも「芸術品としての価値」を認められていく必要があります」とか「芸術的な評価を高めないと」とか)を見ていると、むしろその逆の思想のように見えて不安である、という話なんだが……
なんか余計に心配になってきた。
]]>イエロージャーナリズム、必要悪、とかいう話ではもう済まないわ。
罰金払っても黒字だからまたやる構図が完成してるのはヤバすぎる。
罰ってのはね、悪行をやったから受けているんですよ? ターゲットになったやつが悪いかどうかは関係ない。悪い奴なんですよ。
何をどうすれば文春にまったかけられるかね?
]]>男子小学生がそんなの読むわけないだろ
おっさんオタクは「可愛い女の子が表紙=全部おっさん向けエロ」と認識するけど
実際はそういうのは女子向けとして作られてて女子に売れてる
プリキュアが男子向けか?違うだろ
女子は女子が出る話が好きなんだよ
絵は萌え絵ではなく少女漫画絵だしエロ要素もないしキャラも女子が共感するよう作られてるし女子ウケするイケメンも出てくる
つーか少女漫画や少女小説とおっさん向けエロの違いも分からないのは解像度が荒すぎるだろ
ゾロリとか読んでる低学年までは男子も児童書読むけど
中学年以上だと小説読む子は女子に偏ってくる
だからつばさ文庫とかみらい文庫のような中高学年向け児童書レーベルは女子向けが多い
そういうのを読む女子はそれを卒業すると一般文芸やライト文芸に行く
んでその歳の男子は漫画や動画、アニメに行く
大人でも小説読むのは女性が多いし漫画やアニメは男性が多いけど10代も同じ
]]>聖書 vs 記紀と教育勅語
イーリアス vs 平家物語(ただし叙情詩)
マルクス vs 江戸三大改革(書籍はない)
高慢と偏見 vs 源氏物語
印刷 vs 筆写
フォークソング vs 和歌と俳句(民間芸能)
メイフラワー誓約 vs 日本国憲法
]]>サークルに困るやつがいる
https://anond.hatelabo.jp/20231222061940
作文が酷すぎるので添削してさしあげる
そして添削してなんかわかったことも書く
自己紹介、普通の地方大学生。
要らない
そいつは普通のやつで、ほんとうに良くも悪くもなんか普通のやつなんだが…
要らない
そいつは実家から大学に通ってる、だから電車で大学の最寄りまで向かって、
要らない
そこから大学のバスに乗って向かう形になってる。
要らない
そいつはサークルに二年生の時に入ってきたのだが、
要らない
そいつは帰るとき当然バス停までは徒歩なんだ。徒歩。
要る
しかしなぜ徒歩が「当然」なのかはわからないし
そいつ以外は別の交通手段があるらしいことが推測できるもののそれが何かも書いてない。
余計なことはゴチャゴチャゴチャゴチャ書いてあるのに
必要な情報が色々欠落している。
これ言うとばれるかもしれないけど、うちの大学は結構敷地がでかくて大学のバス停まで、サークル棟からだと結構時間がかかる、それこそしゃべりながらだから30分ぐらい。
要る情報が含まれる
が無駄が多すぎ
しかも実は、サークル棟からすぐ近くのバス停もあるのだが、なぜか最後までついてこようとする。わけわかんない。そこに向かったらいいと思うんだけど…。
「実は」じゃねえ
まとめて書きましょう
ていうか明らかに内容が矛盾しててもはや意味がわからない
サークル棟すぐ近くにバス停があるのに歩いて30分の方のバス停を使って帰宅するのは何故?
大幅に想像で補完すれば理由を考えられないことは無いが、とにかく必要なことが全然説明できてない
俺の大学は敷地が広く、サークル棟からバス停までが遠い。
ちんたら歩けば30分かかる。
俺達のサークルではバス停まで自転車移動だったが、
今年から入ってきた新入りはバス停まで徒歩移動をする奴だった。
サークルメンバーもその速度に合わせて帰るようにになった。
自分にとっては帰宅時間が30分増加しただけで、
そいつとの帰り道の会話も面白くないので苦痛。
楽しかったサークルが憂鬱になっている。
これ以外全部ぜい肉。
大学のバス停まで、サークル棟からだと結構時間がかかる、それこそしゃべりながらだから30分ぐらい。
こいつのせいで帰宅時間が15分から45分に増えた。
ということは従来はバス停まで所要時間ゼロでワープしてたの?
トラバで自転車なの?とか聞かれ、焦点のぼやけた回答をしてるので結局よくわからない
(なんとなく賛同してくれてる部分にだけ反応し、確認されてることに答えられない子)
一応自転車だということにしたがはっきりしていない
敷地が広いので大学構内自転車移動が基本の大学?
自宅から通ってる学生は構内では”当然”徒歩移動になるらしいが、なぜそうなるのかわからない。
まあ相談の本論とは関係ないまるごと無駄情報なんだけど、情報が中途半端で読む者を悩ませる。
何故サークルメンバー全員でサークル棟近くのバス停を使わないのか。
サークル棟近くのバス停はルートやダイヤがよくない?
想像しか出来ない。
おれはこれが時間の無駄に思えてならない。本当に無駄。くそほど時間の浪費だ。
このレベルの文を書いてしまう人間が
明晰な思考に基づく効率的な生活を送っていると思えない。
書く文章がこれならば口頭の会話もまとまりを欠き説明も下手だろうから、
これの相手をする方こそ「時間の浪費」と言いたくなるだろう。
にも拘らず時間の浪費についてこれだけ居丈高で攻撃的と言うことは自己客観視がかなり苦手な人物。
で、疑問なのがサークルのほかの人たち。この人たちはなぜかそれについて一切疑問を持ってない。みたいにおれは感じる。普通に一緒に歩いて帰ってる。
なんでなんだろう?どういうことなんだろう?普通人は面白くなくても一緒にいて苦痛じゃないのか?わかんない。
もしくはこのぐらいは我慢するべきなんだろうか?
言いにくいのだが
問題の新入りは人気者なのではないか?
少なくとも既に元増田よりは人気も人望も勝ち得ているのではないか?
話を聞く限りではむしろみんながそいつと帰りたがっているように思えて、
魅力的な面白い人物な可能性が高いように感じる。
ということは、一人で苦痛と不満を疑問をため込んでいる元増田は、
他のメンバーが理解や感受している面白味、もっといえば情報を受け取れていない可能性がある。
元増田が誰か特定できる状況では言いにくいことだが折角匿名だから言ってしまう。
・大学生としては異様に下手糞な作文
・サークルメンバーの(元増田からすれば)理解不能な不思議な行動
・皆が一緒に帰りたがる人物の話が全く面白くない(おそらく内容や含意が理解出来ない)
・トラバに対する要領を得ない受け答え
材料や状況をまとめて総合的に考えると
元増田は知能か発達もしくはメンタルヘルスにおけるなんらか支障を抱えているのではないだろうか?
そしてこれまでの人生でそれに気づけていない。
社会に出てから気付く人もままいるので珍しいことでもない。
今のうちにきちんとした機関で相談して検査を受けてみる方がいいかもしれない。
大学にも相談できるところはあるはず。
結果的に
作文開幕のたどたどしく無駄っぽい部分が全ての伏線になっていて
自己紹介、普通の地方大学生。
と語り手は認識している
そいつは普通のやつで、ほんとうに良くも悪くもなんか普通のやつなんだが…
と語り手は他人の普通を判定している
という構成になっているんだよな。
まあ文芸じゃないのでこの「普通」に結構言及する当たり
当人もうっすら自己や他人の「普通」が気になる、何らかの自覚の萌芽ぐらいは持ってたと見るべきなのかもしれない。
おわり
]]>