「教養部」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 教養部とは

2024-04-15

   (1)初等的な数学の分野である問題発見してそれを解く作業となるが、現代数学の分野になると、大量の定理発見して証明し、次第に大きな問題を迫っていくような

      1つの教科書を書くことになるような作業をすることになるが、現在裁判所は、そのような真面目で技術的に美しい領域には立ち入りたくないから。

    (2) 警察の末端の職員が、テクニックという言葉に拘るにしてもなんにしても、技術の話をすると、いきおい、受験勉強の話に流れていくことになるが、地方創生時代にあって、

       教養文化的な話をすると、その辺に住んでいるバクサイの労働者が困ることとなるので、文科省司法職員は、へぇはいという応答をするように命令されており、難しい

       話はしないように指示されているから。

    (3) 東大総長藤井輝夫は理工学系の研究者で、東京大学にも多くの理数系のエキスパート存在するが、地方創生経済実利優先主義の世の中にあって、高等学校

       教養部門のような話はできないから。

2022-10-14

東工大医科歯科大の合併理由について

どうなっていくのかについては言及されても、何故合併するのかについての言及が少ないような気がしたので書いてみる。先に言っておくが、これから先に書くことに明確な根拠はない。最近の国の方針から俺が独自に推測しただけだ。

少子化に伴って大学学生の獲得に躍起になってる。その対策として大学統合有効手段だ。ただ、東工大医科歯科大も超人大学で少なくとも今後100年は安泰と言って良い大学だろう。

では、なぜ今回統合したのか。まず前提となる知識として、あまり知られていないが東工大医科歯科大どちらにもリベラルアーツ教養部という名で文系学問をする部門がある。当然だがそこには人文系社会科学系を専門とする教員が在籍し教授役職についてる人もいる。

そして今回の統合はこの教養科目の負担を減らすためではないだろうか?

今の日本は「選択と集中」という政策をとっており、その中で理系優遇されやすく、文系待遇が悪くなる場合が多い。そして東工大医科歯科大も理系単科大学であり、自分大学内の文系学問に対してあまり期待していないのだろう。ここの負担を減らすために今回統合に踏み切ったのではないかと俺は考えてる。

加えて、医科歯科大に関しての話をすると、医学を学ぶのに必要自然科学知識は実はかなり限定的だ。例えば医学を学ぶのに数学はいらない(医学部に入るのにほぼ必須なので実際の医者ほとんど数学できるけど)。この辺の医学には不要自然科学系の教養科目の負担東工大に任せられるのは願ったり叶ったりだろう。

東工大に関してはあまり詳しくないが生命理工あたりは医学部の知見を生かす機会があるのではないだろうか?

今回の統合は両大学にとって傍流でしかない文系科目を共有することで負担を減らし、それぞれの強みを合わせることでさらなる飛躍を遂げることになるだろう。

次に誰に影響があるのかについて簡単予測してみる。

まず東工大生は医療費負担が減る可能性がある。医学部のある大学医療費補助があることが多く東工大もこの恩恵を受けられる可能性が高い。

次に医科歯科大生はあんまり変わらないように思う。強いて言うなら東工大第二外国語ロシア語があるのでこれが選択出来るようになるかもしれない。

そして東工大医科歯科大の教授はは変わらないのではないかと思う。ただし、医科歯科大生用の教養科目を東工大教授担当することになるかもしれない。

最後に、一番被害を受けるのが教養科目の教授らだろう。確実に予算が減らされる。東工大医科歯科大の教養科目の予算の合計より合併後の大学で与えられる予算が多いことはまず間違いなくありえない。さらに授業が統合されることで非常勤仕事は減るので、この辺の立場の人は今頃戦々恐々としているだろう。

最後簡単にまとめると俺は今回の統合理系分野を強くしつつ、文系分野を弱体化させる政策だと思ってる。個人的には東工大医科歯科大は理系分野に集中してもらって、文系分野の研究はそれこそ一橋あたりにでもやらせておけば良いと思ってる。(余談だが一橋にも自然科学を専門とする教授がいるが、これも正直いらないと思ってる)

最初にも言ったがこれは俺の憶測に過ぎないので過信しないでくれ。

2022-06-10

anond:20220610095827

大学友達いなかった陰キャ文系だが

同じ学年のやつらがなんか盛り上がってるくらいはわかるぞ

特に一年のうちは教養部棟でよくポスターとか目にするし

研究室所属するともう見なくなるけど

2022-01-26

東京医科歯科大学フランス語教員外大からレンタルするってやつ、

わざわざ他大学、それもその分野で権威あるところからわざわざおいで頂くって形よりも、

立場の弱い非常勤講師」をこき使ったほうが安そうな気がするけどそのへんどうなんだろう。

以前問題になった東大の、教養部語学非常勤への無礼な扱いみたいなのを外大から招聘した先生相手にやったら外大との関係とかもややこしくなりそうだけど

そのために非常勤待遇を実質良くするぐらいに予算つかってしまっても良いのだろうか・・・

2022-01-24

オッカム先生出版してほしい

twitterに書いてることを本として書けば良いと勧られた件で盛り上がってるけど、

自分としてはオッカム先生にぜひ普段ツイッターで書いてることを本にしてほしい。

北海道とか稚内とかの地域格差の話とか、自分史としてまとめたら普通に意義があるのではないか

自分史的な構成で、ツイッターやってる大学先生が書かれた本というと、最近出た中公新書にもそういうのはある。


普段からツイッターでいろいろと長い理論を書かれてるけど、それこそ本としてまとめたらいいのではって感じでしょ

地域格差関連は多分まとまった考えを持っている人による論考は多く求められるものだと思う。北海道という地域研究としても重要だろう。

まとめておけば、1つの資料として後世に対して有意義ではないか


たぶん北大法学部関係の学界の話題とかも見るべきものがあると思うし、理科大長万部の話も有用と思うんよ。

工学部ヒラノ教授」で大学で苦労した話を先生が語るって本はすでにある。

大学に入る経緯の点なども含めて、大学文化を語る上で重要史料になりうるものだと思ったんよな。

ヒラノ教授の作者も「語り部」としての活動だといってた気がするし。同じような形で、教養部オッカム先生とかの本にできんかな。



池内先生でも誰でもいいか出版社に力持ってる人どうにかして実現させてくれないかな。

2021-06-08

anond:20210608123702

北大助手は2,3年で慣例によって辞める形になってて、その後長万部理科大教養部で苦労して、そして東京の有名私大に映ってきたという経緯。

国立大学教員だったのは多分その2,3年だと思う。

2021-06-07

anond:20210607152002

「専門の授業をする」ってのはどの程度学者にとって必須ものなん?

教養部適当に授業しつつ研究邁進するとかを選ぶ人もいそうな気はする。

まあ長万部幽閉はそれ以前の問題だろうけど。

2021-02-17

anond:20210217183907

アメリカ大学学部(Undergraduate)は、教養部みたいなもので、専門課程大学院(Graduate School)で修める

専門的職種はほぼ全員大学院に進学(飛び級普通にあるので、最短で学部3年修士1年博士2年の24歳でphd)

その感覚で話すと学部卒は短大卒みたいな感覚に受けとめられる

日本が(今は崩れているが)教養2年専門2年の構成になったのは、戦後学制改革時に旧制高校専門学校も全部大学に昇格させたか

日本もそろそろアメリカ押し付けられた6・3・3・4制を変更したほうがいいのかもしれない

ちなみに戦前は6・5・3・3だった

2020-08-08

anond:20200808213154

昔は教養部ってのがあってな

あと大学院大学は分かれてたので教育比重が大きかったんよ

今は大学大学院が一体化して学生労働力と見るようになったからな

2019-06-11

大綱化を巡る歴史修正主義

河野太郎氏の私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々

を読んだ。最後の方に次の一節がある。

これが分断統治であるということの意味は、「教養対専門」の対立は、「大学改革」を押し進めるための人為的対立だ、ということである

これは事実に反すると思う。「教養対専門」の対立は「大学改革」を押し進めるための人為的ものではなく、新制大学発足当初からある構造的なものである。そして、大学設置基準の大綱化を奇貨として大学側が旧教養部を解体したことで、むしろその対立が緩和されたと考えられる。

例えば、平成10年の大学審議会議事録に以下の認識が残されている。

大学審議会大学院部会(第102回)議事要旨

△ 教養部再編の時に各大学積極的になったのは、教官グループ内の差別がなくなるということがインセンティブになったから。これから大学専任学部専任という仕分けができてくるとすると、教養部の時に一度解決しているのに新たな差別を持ち込むこととなり、非常に強い抵抗があると思う。

また、旧教養部の成立から解体までを詳しく分析した第3章 教養部の形成と解体 一教員の配属の視点から 吉田文は、大綱化の背景を以下のように要約している。

P.61

一般教育に関わる規定大学設置基準から消えた背後には、一般教育のものに対する大学内外から批判不要論よりもむしろ一般教育のみを担当する教員やその所属組織存在に対する大学教員自身卑下格差解消の願望の歴史があったといってよいだろう。

もちろん河野氏も「とはいえ、大綱化によって、それまで存在しなかった教養対専門の分断・対立が生まれたという話ではない。その対立はずっとあった」と述べてはいるが、ではその対立とは一体どんなものだったのか。

吉田氏の論文から引用しよう。

P.65

民主化旗手のようにいわれて新制大学に導入された一般教育であるが、専門教育しか行ってこなかったうえに、新制度下の組織編成も専門教育を行う学部が中心であった旧制度下の大学には、一般教育根付く場がなかったのだといってよい。新制のもとでの教育スタートしてわずか数年のうちに一般教育の座りごこちの悪さは、どのようなタイプ大学にとっても問題となって、それぞれの方式解決策を見出そうとした。

で、一般教育の座りごこちの悪さはどのようなものだったかというと、

P.66

こうした(引用者注:教養部を法制化して学部格差を埋める)要望が出されるに至った背景には、教養部が劣悪な教育環境条件におかれていたことがある。名古屋大学場合では「学部だと・・・文科系教授三十二万五千円、助教授が十七万円。・・・理科系になると教授二十三万円、」助教授でさえ七十五万円になる。それが、教養部となると、教授でも文科系十三万五千円、理科系四十四万七千円。とても学部助教授諸君の足元にもよれない。」(名古屋大学、1989、p. 250)といった状況が記されている。こうした物質的な条件格差に加えて、「ごく最近のことだ。全学教授が顔をそろえた席上で『大学ではねぇー、こんな風にやっとるんだが、教養のはどうだね』と、・・・教養部の教授たちは、さぞくちびるをかみしめたことだろう」(名古屋大学、1989, p. 251)というような、条件格差身分格差とみなすような日常教員間には醸成されていたようだ。

このように、大綱化のはるかから深刻な「教養対専門」の格差対立存在したのである上記名古屋大のエピソードは1950年代後半から60年代初頭の間のものと思われるが、そのエピソードをわざわざ1989年発行の大学史に載せるぐらいだから、大綱化直前の大学内の空気推して知るべきだろう。そして、大綱化によってカリキュラム編成の裁量拡大が大学側に与えられ、このような格差是正するために旧教養部を解体することを大学教員側が決断したのである

ツイッター上には大学設置基準の大綱化によって旧文部省大学教養教育破壊した、という言説が蔓延っている。しかし、教養教育破壊したのは1990年代の当の大学教員である。「教養対専門」対立に関する河野氏の主張も含めて、これらは大綱化を巡る歴史修正主義ではないか

2018-09-20

anond:20180920183434

そもそも今の大学っていわゆる「教養課程」が存在しないか非常に少ない場合が多いし

一年・半期にとれる上限の単位とかあるし

教養部がないから室の高い教養教育提供できる教員があまり居ないし

リソース的に厳しそうなイメージが有る、昔に比べると。

数学に当てられる時間が増える要素としては第二外国語の削除くらいか

学習指導要領を読んでから書いてみる

学習指導要領から○○が消えたー。あり得ない。」は、教わった世代ノスタルジーを含むケースが多い。

ベクトルが消えた!物理が教えられない!」 → 「力の合成くらい物理教師が頑張れ。どうせ微積を使わない高校物理なんか制限だらけだ。」

行列が消えた!3DCG機械学習理解できない!」 → 「大学線形代数で頑張らせろ。どうせ高校行列なんてタダの計算練習パズル行列式も固有値も教えない程度だ。」

数学Cがなくなっていた時代がかわいそう」 → 「数学Ⅲ 3単位数学C 2単位を新しい数学Ⅲ 5単位として教えていただけ。どうせ数学C取ってる奴はほぼ数学Ⅲやってたんだし。」

個人的には思うのだが、「理工系人材には高校数学の○○が必要だ」というのは高校数学に期待しすぎ。

あとは90%以上の人間高校まで進学する時代に、共通教養として必要な内容が高校数学でしょ?

から確率だけではなく統計ガンガン数学に入れているわけ。

ちなみに新しい学習指導要領でも復活する数学Cまで学習すればベクトルあるよ? 高校物理力学に間に合わないだけで。

今の学習指導要領数学Iに統計が入り、箱ひげ図や四分位図が必修だけど、40代以下はこんなのやってないっしょ。

今度はそれらは中学数学下りていく。統計の検定まで高校数学に入ってくる。

新しい学習指導要領で学ぶ内容は、これら。

数学Ⅰ:① 数と式  ② 図形と計量  ③ 二次関数  ④ データ分析(仮説検定の考え方を含む)

数学A:① 図形の性質  ②場合の数と確率期待値を含む) ③数学人間活動整数ユークリッドの互除法、2進数など)

数学Ⅱ:① いろいろな式  ② 図形と方程式指数関数対数関数 ④ 三角関数  ⑤ 微分積分の考え

数学B:① 数列 ② 統計的な推測(区間推定及び仮説検定を含む) ③数学社会生活(散布図に表したデータを一次関数などとみなして処理することも扱う)

数学Ⅲ:① 極限 ② 微分法 ③積分

数学C:① ベクトル ② 平面上の曲線と複素数平面 ③ 数学的な表現の工夫(工夫された統計グラフや離散グラフ行列などを取り扱う)

ベクトルあるよ?

行列あるよ?

今は、一般受験以外に多様な方法大学入学してくる。既習範囲理解確認や基礎の定着のために、まともな理工系大学なら昨今は非一般受験組にはe-ラーニングなどで補習や指導をしている。

そういう意味では、大学から教養部を廃止して、早くから専門バカを作り出す改革が失敗だったのでは?

教養部があったら高校学習内容を研究して大学の初年度数学の改善を続けられる教員が残れたのでは。

2018-09-07

anond:20180907014353

それだといわゆる

教養科目と専門科目」って枠組みにおける「専門」って言葉なわけだけど

じゃあ

大学とは専門を学びに行くところだ!」って主張してる人は、

いわゆる教養科目を全否定する意味で言っているはずだってことなのか?

もちろん昔から教養解体があった以上、そういう思想もあるんだろうけど

ボランティアみたいなのではなく専門的な知識を~

って言ってる人たちが本当にそんな意味でばっか言ってるのかって言うのはよくわからんな・・

anond:20180907014028

一昔前の教養部制とかじゃあるまいし、

教養科目だからどうこうとかそんなにこだわることなのか今でも

なんかメリットが有るならともかくややこしくしてるだけじゃんその流れだと

昔がこだわるものだったのかは知らんけど

2018-04-23

anond:20180423121329

教養部」はなくなったけど

教養科目」が形式的にはともかく実質的に消えたわけではない大学も多いよ。

だいだい、専門科目だって講義形式、も未だにわりとあるわけで。

anond:20180422092449

うーーーーーーーん、なんとなく大学イメージ古典的大学イメージからアップデートされていない気がする

もちろんガチガチ講義なんてつまらないことこの上ないし、言いたいこともわかるけど、

映画小説の中のザ・大学生活ってやつを想像しすぎなのでは?

このイメージって教養部があった時代大学イメージで,現在教養部は多くの大学廃止されてしまったし、

また、講義スタイルも座学中心ではなくて、プロジェクトベースや少人数スタイルが増えてきているし

授業をふけて図書館勉強って時代じゃなくなってる気がする

論文電子ジャーナルだし、pdfしか読まんよね

2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170418155313

ブラタモリ面白いのは、ちゃんとタモリが何に食いつくかを考えたうえで、テーマ選択して番組をつくってるスタッフの手腕があってこそだとは思う。

んで、番組中でタモリ専門家の話を遮らずに聞いて、タモリリアクションを返して、でちゃんとエンタメとして成立してる。

ダメ教養番組は、専門家が話してる最中芸人ボケるので、教養部分に興味持って見てると「はなし遮るんじゃねえよ!」って芸人ヘイトたまっちゃうんだよね。ブラタモリにつるべえがゲストに来た会があったがまさにそういう展開になっててダメだった。同じNHK教養枠でも探検バクモン太田が余計なボケをするのでダメ

ちゃんと専門家を呼んで、専門家芸能人が適切なキャッチボールしながらエンタメとして成立してる番組が少ないから、多少ひいきめに持ち上げられるのは許してくれ。専門家よんでるのに「よくわからんけどすごいですねー」とか「なんでそこまで詳しいのおかしいわ」みたいな失礼なリアクションする番組が多いから。

 
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