はてなキーワード: 承認ゲームとは
実家は狭かった、精神的にも経済的にも貧しかった、うるさかった。
自分の部屋がない、限られた小遣い、周りに合わすためのゲーム、両親の喧嘩、姉の癇癪。
学者が夢とか幼稚園のとき言っていたけど、そんなことは誰にも聞いてもらえなかった。
両親、姉、祖父母、教師、クラスメイト、こんな繋がりしかなかった。
誰もかれも悪気はなかった。ただ中身のない、文脈のない乾いた笑いで過ごす。
いや、信頼を前提としたからかいというのに慣れていなかった、というか、信頼していなかった。
大学に行こうといった。反対された。
とめどない姉の癇癪。父親のうつによる自殺。時代遅れな母親の大学進学への無理解。
死にたかった。やっぱり自分なんて、夢を持っても、こんな家庭に生まれてしまって、何も抵抗できない。
他の家庭とは違う。子供の自立を考えようとしない。皆自分のことしか考えていない。
はい終わり。こんな世界もうイヤだ。生まれてこなければよかった。
結果的に推薦で大学に合格したけど、溜まりに溜まった鬱が溢れて、学校に行かなくなった。
父の自殺もあり、死が近くなった。自殺しようと思ったが、できなかった。
本能で死んでないだけ、踏み切れる気力もない。
ただただ、植物状態になっていた。
生きる意味など無い。気づいたのは遅かった。
大学のサークルにも入ったが、不毛な承認ゲームしかできなかった。
こんなことが自分の居心地の良い場所で、自分自身のことについて考えられるとは思わなかった。
難しいと思っていた学問も、時間をかければ自分で進めていけることもわかった。
実家がおかしいこともわかった。不毛な承認ゲームも無駄だとわかった。
育ちがいい家庭の重要な要因とは、「いつか自立するであろう子供」に対し、
自分の経験と他人の経験、また、現在の様々な業界の情勢を織り交ぜた、極力客観的な意見が言える親が居ることであり、
そんな人間、周りを見ても簡単に見つからないっていうことをやっと理解できた。
周りに居ないなら自分で獲得するしか無い。そのために本、映画、音楽などというものがある。
作品というのは、絶対に全てを知ることのできない他人と、意志を共有するプロトコルにもなりうる。
そのプロトコルを作る人間、使う人間というのがあって、どちらが偉いというわけではない。
でも、意識しなくても、自分でなにかプロトコルを構築した人間というのは、
他人に対して謙虚になれる。自分の意志で自分で作っているわけだから自信もつくようになる。
ていうかなんか作ろう。創作なんて馴染みがなかった。
酔いどれ20歳児でした。
私の前を歩く女子高生と目が合った。
同じ方向に向かって歩いているのに、前を行く人と目が合うとは何事か。出会え、出会え、ヒットラーをひっ捕らえよ。少し賢い人であればそう思うだろう。
しかし、私は決して賢いとは言えない頭と連れ添ってうん十年、そんな事など理解できっこない。目が合ったと私が言う限り目が合っているのだ。うん十年とウンディーネは少し似ているかもしれない。
少し気になったが、うん十年と言う表現は、実際何十年経過していれば使って良い表現なのだろうか?十年、二十年程度では「うん」の足下にも及ばないというのはわかる。五十年超えていれば良いかな?あっ、そうすると先程のうん十年は使っちゃダメだな。三十年だ、三十年。
しまった。おおよその年齢がバレてしまった。三十年も生きてきて、さっさと言いたい事も言えないのか。そう、反町に言われた気がした。調べたところ反町氏がpoisonしたのは氏が25歳の時で、結婚したのは28歳の時だそうだ。いやーんどんだけー!今の私より若い時に言いたい事言ってるー(憶測)
ドキドキ動悸、救心、救心。幸いにも私は求心力のあまり無かった上役と同じ名字であったため、その上役が居ない時には部下達が私のデスクに行列を作り、私の印鑑を求めた。承認。承認。誰かに見られて居ないだろうか。この不正なんだか不正じゃないんだかわからない承認ゲーム。
女子高生がつけていたヘアゴムは、お世辞に趣味が良い物とは言えなかった。血管の浮いた目玉を模したプラスチックの飾りが着いていたのだ。この飾りと目が合っただけである。あっこんな話をしていたら、乗車した駅まで戻ってきてしまった。
今度は きちんと やり直し したい