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はてなキーワード: 感動とは

2009-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20090730205832

ケータイ小説馬鹿にして、エロゲー感動するのって

意外とPCユーザーにとっては普通のことなのかも知れない

ケータイユーザーPCユーザーネット世界ってずいぶん違うから

だから2chとはてなが変わらないのは当然なのかもしれない 

音楽感動しない私の音楽の聴き方

まず、

聴こうとしないことね。

ただたんに、

音楽右から左に、(もしくは左から右)(もしくは前から後)(・・・)流すって事。

次に、

何かを得ようっていう、気持ちは絶対だめ。そういう人は簿記資格でも取ってなさい。

そうしたら、

音楽はあなたを癒してくれる。

変な批評はつけちゃだめ。

「この部分は、悲しみを表現している」

あんた、バカ?

言葉にしちゃいけないの。捕まえようとしちゃいけないの。

感動しようとしちゃだめ。

ただ、体をからっぽにするの。

そうしたら癒してくれる。

なにがいいたいかっていうと、

なつやすみって、たくさん時間あるわよねってこと。

2009-07-28

乳首をさらけ出して初めてわかる世界がある

吹き抜ける風が俺の乳首をくすぐる

春の訪れである

春の日差しに暖められて、俺の乳首は薄ピンク色に染まる

そう、頭上で満開に咲いている桜の色だ

春は生き物が活動しだす季節でもある

おや、乳首に蝶が止まったぞ

甘い香りに花と勘違いしたようだ

タンポポの色は鮮やかで良い

桜とはまた違った魅力のある春の花だ

乳首に貼り付けることで季節を取り入れたオシャレアイテムとしても使用できる

アリさんは甘い物が大好き

蜂蜜を塗りたくった乳首の上でアリさん達がパーティーをしているよ

みんな嬉しそうな顔してる

春といえば入学式の季節でもある

ピカピカのランドセルを背負った子供達に挨拶したよ

みんな良い笑顔をしているね

桜が散る

若葉が生える

そして乳首が伸びる

もうすぐ梅雨が来る

ザーザーと雨が降る

梅雨あんまり好きじゃない

乳首に干した靴下がなかなか乾かない

いつになったら洗濯ハサミをはずせるのかなぁ

あっ かたつむりさんだ

僕は雨は嫌いだけど、かたつむりさんは大好きみたいだね

僕は手に取ったかたつむりさんを、そっと乳首に戻した

町に出ると真新しい傘を持った子供達が遊んでいる

雨が好きなのはかたつむりさんだけじゃないみたい

僕が挨拶をするとまた可愛い笑顔を見せてくれた

雨が本当にすきなんだね

お出かけをしたら急に雨が降ってきた

傘を忘れてしまったので走って帰ったけど、びしょびしょにぬれてしまったよ

でも、雨の中を走り抜けるのはすこし楽しかったな

乳首に当たる雨のしずくが心地良い

ちょっとだけ雨が好きになりそうだ

夏がきた

青い空、青い海、青くペイントした乳首

空にはさんさんとお日様が輝いている

夏は楽しい

だけど、日焼けはちょっと嫌

顔、手、腕と日焼け止めを塗る

特に乳首は入念に

夏の夜空を花火が彩る

大きな花火大会楽しいけれど、庭でする花火もまた楽しい

様々な花火を堪能したら、やっぱり最後は線香花火

パチパチと火花を散らしていた玉が乳首にぽとりと落ちる

せつないね

夏は色々と楽しみだけど、僕はかき氷が時に好き

乳首に山盛りのかき氷

右はイチゴシロップ、左はブルーハワイ

どっちから食べようかなぁ

怖い話も夏にはかかせない

近所の子供達を集めて肝試しをしたら、みんな意外と驚かない

現代っ子ってやつかなぁ

逆に僕の方が驚いて、乳首きゅんなっちゃった

今日は待ちに待った夏祭り

人混みを進むと乳首をつねられる程に賑わっている

色々な出店が出て、連なった提灯が不思議な光を漂わせる

女の子達は浴衣可愛い着て、りんご飴にかじりつく

夏祭りって、良い

夏の終わりを知らせるのは

日焼けの痛みが引き始めた乳首と、突然の夕立

それと

宿題に追われる学生

秋は実りの季節

金色に輝く稲穂は本当に美しい

乳首つまみながらいつまで見ていても飽きない程に

秋の夜は虫達のコンサート

ほら、みんな一生懸命に鳴いてるよ

リーンリーン、ジジジジジ

虫は羽根をこすりあわせて鳴くんだって

僕も乳首と壁をこすりあわせたら良い声で唄えるかもね

秋は読者の秋でもある

本を読んでいたらいつの間にかに何時間も過ぎていた、なんてのはよくあること

本を閉じる時に乳首を挟んじゃった、なんてのもよくあること

もう紅葉が美しい時期になった

赤く色づいた葉は

限界までつねった乳首を思い出させるね

空気も段々と冷たくなってきて、冬が近づいたことに気付く

吐く息は白くなり

乳首が寒さで縮こまる

冬は温かい物が美味しいね

アツアツの石焼き芋を頬張る

甘くて、ホクホクとしていて、本当に美味しい

胸に押し当てれば、思わず乳首もほころぶよ

子供は風の子、元気の子

こんなに寒い中でも子供達は公園で遊んでいる

僕が乳首をこねくり回しながら挨拶をすると

やっぱり彼女達は笑顔挨拶をしかえてくれたよ

可愛い

クリスマスは聖なる夜

恋人達は愛し合い

子供達は家族と共にご馳走を食べる

僕は乳首デコレーションをして特性ケーキを作る

とっても美味しいんだよ

ふと窓の外を見ると、雪

ホワイトクリスマスサンタさんからのプレゼントかな

大晦日一年間に感謝する日だと思う

お世話になった方々

感動を与えてくれた事物

そして可愛い俺の乳首

ありがとう

そう伝えて乳首を軽く撫でてあげた

年が明けた

新しい年が始まる

今年はどんな一年になるのかな

草木はまだまだ茶色いけど、実はみんな生きてる

凄いパワーだね

僕も負けずに生きていこう

今日乳首をさらけ出して

2009-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20090727223354

射精させるための機械作業。

人間として扱われていない。「メス」だ。

違うだろ。そういうお客さんは女の子慣れしてなくて何していいかわかんないだけだよ。

「メス」や「機械」としてなんか扱ってない。気持ちいことできるのはやっぱり人間だと感動してる。

俺がそうだったからわかる。

死にたくない

結婚することになった。

ひどい失恋をして仕事もうまくいかなくてもう一人で生きて死ねばいいと思っていたのに急に出会った相手と結婚することになった。

お互いの親に挨拶が済んでこれから住まいを一緒にして入籍や挙式の準備を進めている。

借金があった。

学歴はなかった。

借金は整理しつつあるが仕事は日々の暮らしはなんとかなっているという程度でたっぷり貯金があるわけでもないし人との付き合いが苦手で職場出世もできるかわからないし一生楽にしてやれる約束なんてそうしたい気持ちはあるがたぶんできない。

でもそれでもいいのだという。子供もいつか持てればいいけれども二人で一緒に生きることが出来ればどちらでもいいと言ってくれる。

病気をしたり疲れすぎて倒れていると泣くほど心配をしてくれる。

親や兄弟にも否定され友人もいなく仕事で強く求められるわけでもない自分の事を。

こいつは頭がおかしいんじゃないか、なにか裏があるんじゃないかと思うけれど、もし騙されたとしても借金はもうどこにもできないし資産があるわけでもないし実家金持ちなわけでもないのでまったく目的がわからない。

わからないと思いながら信じたいと思っている自分がいる。

寝顔を見ているだけで「おかえりー!」と言ってくれる声だけで作ってくれる味付けがしょっぱくなりがちなメシを食うだけで、もう十分だと思えてしまう。

そうしたら死ぬのが怖くなってきた。

あいつの親が死んであいつが泣くのもいやだし俺が死んであいつが泣くのもいやだしあいつが死ぬのはもっといやだ。

40になっても、60になっても、こうして手をつないで夕方の商店街を歩いて「夏になったね」「春がきたね」と毎年同じ会話をしていたいと思ったら、猛烈に死ぬことが怖くなってきた。

こうして夜中にPCに向かっていると昔のことを思い出すがもうそうじゃない。

死んでもいいし明日が来なくてもどうだっていいと思っていた日には戻れない。

死ぬのが怖い。

死にたくない。

何も怖くなかった日々が終わってしまって毎日どこか死への恐怖と一緒に暮らしている。

みんなこんなふうにして死への恐怖を抱えて生きているんだろうか。

そしてどうやってうまくやっているんだろうか。

教えてくれ。

※追記

釣りでも創作でもないが増田が初めてだったんで改行が多すぎたりして申し訳なかった。

減らしてみたがこれでいいんだろうか。あとコメントをたくさんありがとう。

「死にたくない」じゃなくて「お前と長生きしたい」って今夜言ってみる。

ブクマしてくれた人、コメントくれた人、本当にありがとう。

こんな自分の書いたものにたくさんの人が何かを返してくれたことに感動している。

「生きているといいことがあるな」と思ったのは初めてかもしれない。ありがとう。

ありがとう。

2009-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20090725220556

今日は午後から雨が降るらしい。

私の考え方では、世界は大きい世界だけで、自分たちの存在はあくまで世界の一部と言う捉え方。

あなたのいう「小さい世界」を、「意識」あるいは「命」と言う言葉認識してるので

認める/認めないと言う話も、「意識世界に対して開いているか?」と言いたかったんだよう。

世界の捉え方に多様性があるのを許容するのも、私が抱く多重世界観なのですよ。

だから、当たり前だけれど、あなたの考え方を否定するつもりはないし、そもそもそんなことは私にはできない。

ただ、おそらく私は、「意識」とか「命」と呼ばれれいるものと「世界」そのものを、言葉が違うだけで等価値で見ているんだと思う。

認める/認めないという話って一文からの件が個人的に難解なのだけれど、私の捉え方でいけば、「意識世界に対して開く」。あるいは「常に開いている」

それは個人個人の「小さな世界」に対してもそうだし、共有している「大きな世界」に関してもそうだ。

私という世界が行動を起こすことは、立脚する足場はもちろんのこと、隣接する周りの人々にも影響を及ぼすことだから。

うーん。ここまでの流れの中で、私にはあなたとの差異が上手に見出せていないから、少し歯切れが悪くなってしまうな。難しい。

共鳴とか振動とか、波のモチーフで捉えるのって一般的な感覚なのかな。

どうなんだろう。でも、鳴ることとか震えることって、要はある対象が幅を持って移動することを差している訳じゃない。

緩やかにたゆたう波を具象として考えるのは、もしかしたら一番イメージしやすいのかもしれないね。

それぞれの人がそれぞれの波形を持っていて、たぶん分かり合えるってことは、一部だけでも同じ波形が生まれることなんだろう。

あと、共鳴したりするのは人同士だけじゃないとも思ってる。

そうだね。存在というものは少なからず、何かしらの波形を有しているもの。

人は言葉のない音楽感動するし、物言わぬ芸術に胸を打たれてしまう。

自然の中ではその偉大さに平伏するような気分になるし、人工物に囲まれて無機質な気分になることもある。

アニミズム精神になるのかもしれないけれどさ、やっぱり土地や物体が存在することからも人は影響を受けるし、物体同士でも互いに影響しあっているんじゃないのかな。

そこに世界を見るかは、また違うお話になるのだけれども。

2009-07-24

元増田主治医です。

この度、このような記事を元増田が投稿するに至ったことは、

主治医として、大変残念な事であり、また、治療の効果が

まだまだ現れていないことを証明しているため、そろそろ

最終的な決断を下す必要があるようです。

みなさんお聞きになったことがあるかもしれませんが、

必ずしも心の病は、特殊な病気ではなく、誰もがそうなる

可能性があります。しかし、だからといって、これ以上、

元増田放置することは、例えば何の関係もない人を傷つけたり、

逆に元増田自身の将来にとり、必ずしも良いことではありません。

そこで、私は、元増田の両親、臨床心理士などとも相談して、

元増田をしばらくの間、ネットの出来る環境から離して、

濃密な人間関係の中で治療をすることにしました。

元増田にとっては、納得がいかないことかもしれませんが、私も、

医師免許をかけて、元増田を徹底して治すことに致しました。

どうかみなさん!元増田が戻ってきましたら、このような人を悲しませる

記事ではなく、みんなに感動を届ける以上の人間になっていると

思いますので、暖かく見守ってやってください。

2009-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20090324213407

もう終わったっぽい話に申し訳ないけど、友人の例。

友人(下戸)当時番組制作会社勤務。

当然体育会系なノリで酒の場も多い。上下関係が激しいのでなかなか断るのも難しい・・・

彼の工夫。

率先して幹事、もしくは早めに行って店員に耳打ち

「俺がウーロンハイって言ったら、同じグラスでウーロン茶持ってきて!」

それでも場が盛り上がって「一気!」とかになった場合

「俺はジョッキじゃなくてこっちでいきますよ!」

とか言ってテーブルの下から出した瓶ビールで一気。(中は当然ウーロン茶

これ聞いた時純粋感動した。

多分ここまでやっておけばばれても面白い。

まぁ特殊な環境である種の決意があるから出来たんだろう。

見習えよとかでなく思い出したんで。

カーテンコールの憂鬱

ミュージカルを観てきた。

普段こういうのを観ない人なので、どんなモンなのかとお試し的な感覚で臨んだものの、かなり楽しめた。

で、最後にカーテンコールがあるわけだけど、お客さんの拍手が鳴り止まないこともあってか、何回も何回もカーテンコールが続くわけ。

で、で、最初は良かったんだけれど、出演者の満面の笑みを見せ付けられるウチに、何でこっちが高いカネ払って観に来てんのに、アンタらの自己実現のお手伝いをしなきゃなんないのさ、みたいな邪悪な感情が沸いてきて、さっきまでの感動がさめちゃった。

もう何か、自分の心が貧しいのが恥ずかしいやら何とやらなんですが、でも、ミュージカルなんて観る心の余裕すらない人だったら、こう感じる人も少なくないんじゃないか?、と。

幸い、多くの観客(特に女性)は精一杯のエールステージに向けて送っていて、帰り道でも幸せそうな顔をしている人が大多数だったので、妙にホッとしてしまったが、これはみんな普段の生活でも幸せだからこそ、他人の幸せ純粋に楽しめたり、幸せシェアリングを抵抗なく受け入れられる証なのではないか?

格差社会やら何やらで幸せを楽しむ余裕がない人が増えてしまうと、結果としてこの種のエンターテイメントが成り立ちにくくなってしまうのかもね。

2009-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20090722173238

無気力、無感動死にたいんでしょ?鬱じゃんそれ。

「全然別な感じ」とか言ってないで精神科行きなよ。

前とは別な症状の出方をしてるのかもしれないし。

http://anond.hatelabo.jp/20090722143851

ずっと張り付いて20分待っててくれたんだ。

感動しちゃうな、ありがと。

2009-07-21

python便利すぎワロタ

ファイル操作とかがもう感動するほど楽だな。

C++で書こうとすると発狂しそうになる処理がいとも簡単に!

素晴らしいぜ…。

2009-07-20

アメリカの二枚舌、はてなの二枚舌

http://anond.hatelabo.jp/20090719131317をみて思うところがあったので書く。

・原因は見ずに結果だけ見て感動するスイーツ(笑)級の馬鹿たち

アメリカスクールカーストのこともあるけど、男は男らしくあるべき論が根強い

男はスポーツを見るべきだ!という感覚も根強い

女性軽視も根強い。魔女狩りは過去のことのように言ってるやつが多いけど、キリスト原理主義者が今でも結構多いのでシャレにならない

だからハリウッド黒人枠のように、社会女性枠を無理矢理作って、我々は平等で~す。とか茶番劇を繰り広げるわけだな。

つまり、アメリカはこういった(感覚)と(時代)が普通なんだよ。

自分がやっていることは相手もやっているに違いない」という前提で批判することは良くある話だ

アメリカはまさにこの自分感覚でことさら日本を非難するわけだな。

聖書の段階で男尊女卑だからな。どうせこれいってもあれこれ都合あわせた解釈をはき出すだろうけど

はてな馬鹿は、立ち上がらざるを得ない状況をつくったアメリカ社会の腐敗には目が行かない。

立ち上がったアメリカ人だけを見る。そして「素晴らしい!感動しました!」と映画宣伝みたいに言う

マッチポンプとは言わないけれど、間抜けな原因を作ったアメリカが、自分ズッコケテ、自分で起き上がっただけだ。

不良が改心した感動ドラマみて涙流すスイーツ(笑)と変わらない。

馬鹿にあわせるな

はてな馬鹿に似た馬鹿の話があって

子供教育シンポジウムで、そこに出席していたテレビ局馬鹿

「私は現在米国向けアニメの輸出をする仕事に関わっていますが、アメリカ規制に対する姿勢が素晴らしく、子供のことを第一に考えている。

銃の表現一つとっても厳しく規制がされていると。これは日本も見習うべきだ」みたいな事を言ったそうだ。

でも考えてみてほしい

普通感覚では、まず第一にやるべきは銃規制だろとw

表現規制で体裁を保とうとするアメリカがおかしいと思うのが普通だ。

でもそこは馬鹿なので、相変わらず日本は駄目論を展開する。なんで馬鹿にあわせて銃表現規制しなきゃいけないんだ。

ちなみに、自称「他国の文化に寛容なアメリカ様」だけど、子供向けアニメ日本的なシーンはことごとく削除される。

曰く、子供が見るのに適さないだそうだ。

子供日本価値観を植え付けられるのを嫌うのかな?それでなにか困るのかな?

こういうの聞くと、アメリカ映画をどういう意図で輸出しているか、分かってくるよねw

アメリカ自分に甘く他人に厳しい国

自分にできない事は人に言わないという、日本感覚は彼らには無い。

グローバルスタンダードヤードポンド米国流。

鯨の件でもそうだ(アメリカの一地方伝統だからと許可してる)

そのくせ日本知識人はてなみたいなネット連中も、このアメリカの言い分を信じやすいわけだ。

アメリカを拒否しながらも、アメリカの言い分に取り込まれるというのは、反権力主義者、特に反米主義者に良くある話だな。

反米してたらいつの間にか反日になっていたでござる

みたいな

はてなにはこういう奴らが多い。

俺は、はてなのその日和見った、そのくせ自分は分かってる風な態度が心底嫌いだ。

そして彼は憂国の士となった。

高坊の頃、学年に「ウヨク」と言われる男子がいた。

サクラ大戦主題歌完璧に歌い、友人に「歴史教科書の間違い」を熱く語る。

歴史の授業では教師に

太平洋戦争じゃない『大東亜戦争だ!!!!!』」と食ってかかった事もあったそうだ。

(隣のクラスである私でさえ知っていたのだから、相当有名だったと思う)

そして卒業式、式もクライマックスを向かえ、国家である「君が代」が流れた。

鼻をすする人、目頭を押さえる人、鼻声で歌う人……

それぞれが高校時代を思い出し、君が代を口ずさむ。

特に高校生活に思いれが無かった私も

雰囲気に飲まれポケットからハンカチを取り出した。

その時、突然「この野郎ォオオ!!!」と罵声が体育館に響いた。

と、同時にバチーン、ドターンと言う音。

静まりかえる体育館

ワンテンポ遅れ、全生徒が「え?」「何?」と顔を見合わせる。

更にワンテンポ遅れ

「何やってるんだ!!!!」

体育教師を筆頭に男性教師の声。続いて

「何で歌わねぇんだよぉおおお!」との怒声。

どうやら、「ウヨク少年」は「君が代」を歌わなかった教師に我慢がならず

一発お見舞いしたそうだ。

結局卒業式は静かに流れる君が代をバックミュージック

少年と教師の怒鳴り声、生徒たちのざわめき

何が起こったのかさっぱりな在校生保護者で幕を閉じた。

私達の感動的な卒業式の思い出は、ウヨ学生がサヨ先生を殴りとばした。

そんな思い出深い卒業式となったのだ。

今も高校時代の友人と会うと

「彼どうしてんだろね?」

「あーあの右翼?」

と始まる。彼は無事憂国の士になれただろうか?

私は君が代メロディ、歌詞が好きなんで

こんな良い歌を歌わないのは勿体ないなと思ってるが

やはり、卒業式暴力で締めくくられた身としては

過激なウヨは(勿論過激なサヨも)勘弁してチョ!と言う事です。

2009-07-18

あぶのーまる

暑くて、変な夢を見た。昔体験したアブノーマルな体験だ。

相手の人とは、何度か一緒にホテルへ行っていちゃいちゃした。どちらかというと、こちらが主導権を握って、自分の欲求を満たすばかりだったと思う。相手もそれなりに満足してくれていたと思うが、私の方が満足感が大きかったと思う。それがあるとき、相手が上に覆い被さっている状態の時、おしりを触ろうと手を伸ばすと、指先が相手の穴に触れてしまった。それまでの経験で嫌がられることが多いことを知っていた私は咄嗟に「ごめん」と謝った。しかし、相手は「気にしないで」と言ってくれた。むしろ、喜んでくれた。相手が喜んでくれたことに感動した私は、調子に乗って指を入れてみた。すると、相手はもっと喜んだ。話を聞くと、実は好きだということ。しかし、受け入れてくれる人が少なく、あまり大ぴらにしていないという。それはかわいそうだと思った私は大いに攻めてあげた。いつもは私が攻められているが、そのときばかりは相手に喜んでもらえるよう大いに攻めた。おもちゃも使った。もっと大きくて熱いものも入れた。こんな経験は初めてだった。しかし、しばらくして、相手は私の前から姿を消してしまった。また、あそこに入れたいし、彼にも入れてもらいたいのだけど……。

2009-07-14

旬を過ぎたけれど けいおん! について書く

やあ

もう旬は去ったけれど、

とりあえずこれを聴いてみてください

最初のほうだけでいいので

(ごめん動画の貼り付け方わかんない……ので、URLをぺッタリして視聴してください)

桜高軽音部 - ふわふわ時間

http://www.youtube.com/watch?v=hTf5VVxDRl8

銀杏BOYZ - NO FUTURE NO CRY

(45秒あたりからを特に)

http://www.youtube.com/watch?v=YgvAe3-IWUA

NEW YORK DOLLS - Jet Boy

http://www.youtube.com/watch?v=_Y8-CBXfzhE


曲の入り方と、手拍子のリズムのとりかた

に注目してみてください

ワォ

アニソン作る人も、いろいろ勉強してるんだね」

……とは、友人の弁です。僕んじゃない

二三週間前、くらいだったかな

けいおん! の最終話くらいの時期

に、音楽に詳しい彼に教えてもらったのです

ちなみに彼、本編には微塵も興味を惹かれないそうですが

僕が、最近話題なら、というので、その二週間前くらいに会ったときに話に出したのを、

きっちり覚えていて視聴してきたという

そいで、 ふわふわ時間 のギターパートを簡単に弾いてくれました

「ちょっと感動して、覚えちゃったよ」

って、感動したのはアニメに対してではなく、

アニソン洋楽のきっちりした曲からの流れを受けて制作されていたこと

らしいのですが



―――と、数週間前に書こうと思っていたのに、ずいぶんと月日がたち、

この話も旬ではなくなってしまった

でも、ようやっとかけたからいいや

すっげーすっきりした

ところではてな匿名ダイアリーに、どうやったら youtube動画を貼り付けることができるのかもわからない僕は情弱なんだろうか…………

2009-07-10

久しぶりに鉄板引っ張り出してきたら

鉄板鉄板の間から

それはもう

感動するほどに

漫画のように

ぺったんこひらひらになった

Gが

女の話。

さっき「ごきげんよう」を見てたんだけど女優名前忘れた)の話を見てて「これがよく言われる要点の無い女の話か…」と思った。

1つ前のFUJIWARA(主に藤本が喋ってた)の話はなんか前に聞いた事あった話だったけど、テンポがよく聞いてて面白かった。

女優の方は前提を話切るまでが長く、更に「あのー、」とか「えっと、」が口癖なのか何度も話の節々に入って中々話が進まない。

しかも前提を話すまでが長ったらしかったくせに、話のオチは結構手短に話してしまいしかもそれが特に上手いと思えるようなものでもない説教話。(超大御所俳優さんがこんな教訓を言っててそれにすごい感動したという内容だった気がする)

その女優だけがすごいつまらないというわけではないんだけど、っていうか女だからというのはぶっちゃけ関係ないんだろうけど、タレントなのに話が下手な人って居るもんだなと妙に感心してしまった。前のFUJIWARAがテンポよかっただけに余計に目に付いた。

それにしても小堺さんはやっぱり話し上手だね。そんなつまらない話も真剣に聞いて合間合間に盛り上げるような相槌を打って、オチにはFUJIWARAをいじって笑いを取ってた。

中古PC市場が物凄いことになってる件について

もうビックリした。興奮してるよ。勢いで書くよ。

俺は以前から、仕事用に小さい安いノートパソコンを買おうと思ってたんで、今日というか、さっき調べてみたんだよ。

そういえばネットニュースEeePCっていうのが3万円で買えるとかって話題になってたんで、それを見てみようと思ってググったんだよ。

んで、見たらEeePCはまあまあ悪くないと思ったんだけど、やっぱり画面が小さいのは使い難いかなと迷いだしたんだよ。

それで同じくらいの価格帯ではどんなのがあるんだろうと思って、検索してみたんだよ。

そしたらさ、ゴロゴロ出てくるわけ。3万以下のノートパソコンが。何で安いのかっていうと、中古品だからなんだけどさ。

でもスペック見てると全然悪くないわけよ。ネットメールするには充分じゃないかと。

音楽製作映像ネトゲプログラミングもやらない人には何も問題ないと思うんだよ。

スペックによって値段は上下するんだけど、俺には19800円くらいので充分だよ。

だいたい2.3万あればお釣りが来ると考えていいと思う。セール品だと9800円とかもあったよ。

ただ、デザインは黒いやつが多いね。IBMとか。サラリーマン仕事用に使ってた感じなのかな。

黒いのが一杯並んでると、白いやつが可愛く見えるよ。俺それに一目ぼれした。

はてなの人たちはそういう事情に詳しいから、みんな知ってるのかもしれないけどさ、俺は知らなかったよ。

一般の人よりはネットに詳しい俺が知らないんだから、一般の人は全く知らないと思う。

だから教えてあげたいなと思った。

電気屋さんで売ってる新品のパソコンって大体10万円前後でしょ。安くて78900ってとこでしょ。

あれ買う人がバカバカしく思えてくるよ。「情報弱者」って言葉を使いたくなるよ。

PCデビューのお爺さんとかは知らず知らずのうちに買っちゃうんだろうな(´;ω;`)

子供PC買い与えようと思ってる親御さんなんかも中古で探してみるといいんじゃないかな。

勢いで、発展途上国に送ってあげたらいいんじゃないかとか言いたくなった。

以上です。

あんまり興奮と感動を伝えられなかったかもしれないけど、本当に胸が熱くなった出来事でした。

返信いっぱい付いたらうれしいです。

ちなみに、本当はVIPスレ立て用と思ったんだけど、規制中なんで増田に書きました。

2009-07-09

人生と言う名のギャルゲプレイしてみた

彼氏が泣きながら薦めて来るのでクラナドプレイした。mixiに書こうと思ったが自重してこっちへ。

なんつうか無理。頑張って2人EDを見たけどテキストがとてもじゃないが読むに耐えない。

文章が下手だからという意味じゃなく攻略可能ヒロインが皆致命的にあたまわるすぎて会話にイライラさせられっぱなしで感動どころじゃなかったからだ。

ヒロインだけじゃなくて親友の春原も酷い。あれはアホはアホでも直接人に不快感を振りまく有害なアホ。どう見ても立派なDQN

ギャルゲ主人公の親友熱血漢の3枚目でお人よしで主人公に行動のきっかけを与える役回りと相場が決まっているが、正直アレはいらない。中の人は好きだがそれでもうざくてずっと台詞スキップし続けた程だった。

でも一番イラつくのはアホや知恵遅れレベル取り巻きを自ら集めておいて「俺の周りの奴は何でアホばかりなのか(笑)」とか見下して悦に浸ってる主人公。

スクイズの誠は異次元の住人なので特に怒りも感じないが、こいつは心底うぜえ。

お前、自分が優しいとか頭良いとか勘違いしてるの見え見えだけど、それ周りがあまりにも酷すぎて相対的にマシに見えるだけで実際大した事ないから。

オタクプレイヤーがいかにも感情移入しやすいような属性をゴテゴテ付加した主人公だけど私的には「すごぉい、お客さんって頭良いんだー☆マユミ(仮)馬鹿だからわかんなくてぇ↑↑」みたいな

ベタ過ぎるキャバクラ接待を延々受け続ける苦痛がある訳ですよ。馬鹿にしてんのかお前と。当の男性オタクプレイヤーもそう感じている人は多いんじゃないかと思うんだけどどうですか?

もしくは「はじめてのおつかい感覚ヒロインが(シナリオライター的には)感動する純愛アプローチを仕掛けたように見せても、図式的に「一人で寂しかったけど泣かなかったね偉いね」ってレベル

健気な幼児の行動にしか見えない。そしてそれを上から目線で見守る主人公にまたイラッとする訳だ。それで恋愛感情なんかよく抱けるな、お前真性ロリだろ主人公。

これでもサクラ大戦や葉っぱやアリスギャルゲは好きだしアイマスも好きだし(りっちゃん派)、鍵のゲームは知らなかったけどニコニコの「だんご大家族」は聴いてて感動したしリトバスにも興味津々だったけど、

正直クラナドで激しくがっかりさせられた。恐らくこのブランドの最高傑作であろうクラナドがこの有様なら、他のタイトルなど一体どんな低脳集団が襲い掛かってくるというのだろうか。

そして「泣ける」というのはやはり知性ある人間同士の交流ではなく「はじめてのおつかい」でようし"ょの姿に涙涙、と言った感覚のものしかないのだろうか。

純粋と書いてバカと読む系は常識人とワンセットで一人置いとく位で丁度いいのに登場人物全員それにしてどうすんの?マニアック過ぎるだろJKと激しく突っ込みたい。

個人的に良かった点は渚のテーマ声優陣の豪華さだけでしたとさ。


とまぁここまで延々コキ下ろして来たけど完全に信者入ってる彼が、厄介な事に毎晩毎晩クラナドプレイ進捗を電話で聞いてくるんだよ…

本音としては「あんたの恋愛観や人生観まで疑っちゃうほどドン引きしたよ(はぁと)」なんだけど、さあてどう言ったもんか。

いまさら田母神論文のこと

2009/4/7の読売新聞の論点にて元陸将が田母神論文批判を書いていた。

だいたいこんな内容。

●(田母神さんは)自衛官が命を捨てる国防の根拠を「侵略の過去を持たない良い日本の歴史」に求めているが、

交戦国は互いに異なった正義があるのは世界常識で、日本の主張だけを正義とするのは客観性に欠いている。

自衛官の決意の前提(文のまま)を「良い日本の歴史」とするならば、歴史の評価が定まるまで

自衛官国防の決意は存在しないことになろう。

●今の日本を見れば、政治道徳も決して良い日本とは言えない。それでは「良い日本」が存在しないから、

自衛官は命を捨てる国防の決意を持たないことになるのだろうか。

自衛官国防を決意する根源は歴史でなくて、「自分の国は自分の手で守る。主権者には国防の義務がある」と言う

民主国家原理であると信じている。

●私も在職中に政治決定への反論を考えたことがある。だがその都度、先輩から「軍人は所詮職人だよ」と諭されて受け入れてきた。

 組織のトップがこのルール破れば、部下はそれに倣って勝手放題の行動を取るかもしれない。

己の所信に忠実ならんとして、組織を省みないのはトップではない。

軍国主義華やかなりしころの軍人は今の自衛官に比べて遥かに自由であったことと思われる。

だが一部の現役将校たちは、専門外の軍事以外の分野に発言を求めだし、クーデター純粋青年将校の行為と主張したのではなかったか。

http://kakisyann-kaisou.seesaa.net/upload/detail/image/001-6e6f8-thumbnail2.jpg.html/



でもってそれに関するネタ2ch軍事板で探してたらこんなスレ発見


694 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 00:52:06 ID:???

読売に元陸将がタモ批判論文載せたそうだけど

読んだ香具師いる?

696 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 11:32:05 ID:???

ああ、読んだよ。

至ってまともなもんだよ。

戦中派とか厖大10期ぐらいまでは、組織人としてごくまともで、非常にラディカルでバランスのいい

方々が多かったなあ。

ところが俺が厖大にいた頃に冷戦構造が終わり、さてこれから日本の防衛をどうするべきかって

学生なりに真剣に考えていたところに、タモさん世代は混乱して、なぜか皇軍に「原点回帰」しちまった。

講話とかで平気で旧軍を「先輩方」と言ってしまう神経には、呆れたものだよ。

自分たちの存在意義や使命感を半世紀前に求めるって、どんだけよ?

ああこういうバカな司令官になっちゃいかんのだなと、その時みんなで思った。

ちなみに厖大一桁は、旧軍将軍を「諸君の先輩は」と言った旧軍将官に対して

「我らに先輩なし、我ら自衛隊歴史の始まりなり」

といって、新たな国防の担い手であることを高らかに宣言したという逸話がある。

隊内のいわゆる「むかし防人、いま自衛隊」ちゅうたとえは、そこから来たわけで。

そのころの気概に比べ、タモさんの劣化度と言ったら(泣

705 名前:696[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 12:54:42 ID:???

「先輩なし」というのは、表面的につながっているとか継承された部分があるとか、

本質はそういう話じゃないと思うんですよ。

彼らが任官したとき、上司も部下もみんな「旧軍関係者」なんです。

にもかかわらず、20代のそこそこの若者が、周りが旧軍出身という環境で、

自称「大先輩」にそれを面と向かって言ったという、その勇気気概が痛快で

見事なわけで。

組織を担う人間としての、精神的な宣言な訳です。

もっともこの勇に至ったのも、当時講話なんかを旧軍関係者がすると、平気で

当時の海軍陸軍の礼装で来きて、ひたすら武勇伝を宣う、今で言う「KY」な

連中が多かった反動という話も聞いたことがある。

負け戦しといて、軍装して自己弁護とは、なんのこっちゃと。

こりゃあ、指揮官がこんなのだから戦に負けたんだなと思ったんだろう。

井上成美は、こういう連中に「恥知らずが!」と激怒した話があるらしいけど。

706 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 13:51:56 ID:???

なるほどね。そういう背景があったんですなぁ。

了解しました。

昔の自衛官はえらかったんだねぇ。

そういう自衛官精神をぜひとも継承してほしいものだ。

むしろ我々もみならわなきゃいかんね。

720 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 16:38:45 ID:???

井上成美は、こういう連中に「恥知らずが!」と激怒した話があるらしいけど。

当時は蟄居して自伝書いて印税を部下の遺族に渡してたんだっけ?

そりゃ恥知らずって怒るのも判る気がする。

そもそも敗軍の将が平気で兵を語ってるんだからな

http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239170839/


久々に2chで興味深い意見を読んだ。

はるかに年下の若造が、大先輩に対して「我らに先輩なし!」と言い切れてしまうその若さ気概にちょっと震えるくらいの感動を覚えた。

自衛隊にはその精神を失わずにいて欲しいものだ。

2009-07-08

私がいままでの人生感動したモノコランキング

私がいままでの人生感動したモノコトを勝手ランキングさせていただきます


第3位 排水管のトラップ

有名な仕組みだしみんなもすごいと思ってるはずですけれども、いやマジでこれを思いついた人のことは尊敬せざるをえないです。

水そのものに蓋の役割をさせるという発想の転換がすごい。排水管は排水を流すための仕組みなわけなのに、その流す排水自身にも役割を持たせてしまう一石二鳥感といいますか。

仕組みが機械的でないことで故障率はゼロに近くなるでしょうし、メンテ掃除程度なのでねじ蓋を底につけるだけでよいっていう潔さもさることながら、洗面所で流してしまった指輪なんかもトラップのところで助け出すこともできる副次的効果もあるだなんて。一粒で二度おいしいなんて。

天才すぎます。


第2位 +と-

プラスとマイナスです。特に「温度」を考えるときに感動したといいますか。

たとえば冷蔵庫っていう機械はものを「冷やす」のですけど、この「冷やす」っていうアクションはなんというか能動的な感じとでもいいますか、冷やす=温度を引く、という表現がしっくり来なかったんです。温度を引くってわからない。

でも、冷やすっていうのは「-の温度を足すんだ」って考えたときイメージがものすごくマッチしたのです。

マイナスのものを足すっていう考え方は私にとってものすごく大きかったんです。

マイナスすごい。



第1位 お母さんとビニール

メビウスの輪による表裏の消失メビウスの輪に鋏を入れたときの形とか、◎(二重丸)を一筆書きで書く方法とか、ドラえもんワープ理論(二点間の最短距離は?)とかとかの感動物語を抑えて第1位に輝いたのはお母さんとビニール袋です。

いわゆるお母さんがスーパービニール袋に野菜を入れるところに感動したというか。

普通に考えて、野菜を袋に入れようってときには、「野菜を」「袋に入れる」と思うんですよ。当たり前です。

でもお母さんたちは、「袋に手を入れて」「野菜をつかみ」「袋をひっくり返す」ことで結果的に「野菜を袋に入れる」んですよ。

なんというか、プロセスと結果の乖離とでも申しますか、結果が予想できない感のかっこよさがあると思います。だって袋に入れるはずが袋をひっくり返すって! しかもいつの間にか目的が達成されてしまっているだなんて! 裏が表で表が裏て!

これを見たとき、うちのお母さんは天才だと思いましたね。もうね、神かとゴッドかと。

2009-07-07

THE END OF EVANGELION」の感想集 2

http://anond.hatelabo.jp/20090707100038 の続き

 弐拾六話では全ての人とあっさり和解でき、すんなり受け入れられた。
しかし世の中そんなに甘くないというか、実はそれこそが自己中心的世界
と言える。もっとリアルに描いてみよう、というのが26話ではないかと。

 何故なら「本質的に解り合うことのできない他者が存在する」というこ
と、他者を認識するとはそもそもそうしたことである筈だったから。庵野
氏の構図で言う幻想世界の内部において、シンジはどうしてもそのことを
容認できず、他者を理解できないまま、自分を理解するよう他者に縋り続
けた。補完計画が完成し、群体から単体に還元され、全てを包含レイに
抱擁された時点で、彼はやっとそのことに気付いた。
 ラストアスカを殺そうとしたのは、アスカが正に他者であることを、
彼が遂に知ってしまったから。でも結局殺せないし、前のようにエヴァの
胎内に逃げることもできない。そこは既に第弐拾六話の月面と同様に、後
戻りの聞かない場所、補完が導いた現実世界。・・・

 なんと、エヴァと融合し全てのヒトを包含した神が、人一人殺せず、孤
独に耐えかねて泣いているんです。
 私はここに最高のユーモアカタルシスを感じました。こんなに見事な
ラストは、これまで観たことも読んだことも恐らく無かったです。(^-^)
宮村優子さんのラジオ発言とか最近目にするようになった彼女の雑誌のコメント
を見ると、宮村さんは今回の劇場版をお気に召さなかったのかなとも思います。
自分でも「なかなかのモノが出来た、俺の選択って凄いぜ。フフン」と庵野監督
が思ってたのに、いざ、脚本を渡したら宮村嬢からの冷たい反応。それにショッ
クを受けてああいったラストにしたのかな(^^;?
無責任な憶測ですけど
 あのラストシーンは,シンジが選んだこの世界が決して「気持ちのいい世
界」ではないことを辛辣に描いていました。しかし同時に,そこには絶望だけ
でなく,わずかな希望もあることをも示していたと思います。


 希望アスカの手,シンジの涙。 
                  そして,『会いたい』という気持ち。
 ラストシーン絶望的。シンジはほんの少しだけ変わった。もうひとり、ほ
んの少しだけ変わったひとがいるみたい。でも、その「ほんの少し」への一歩
のなんて遠いこと。2人は、まだ変わっていないみたいに見える。だけど、絶
望は希望の裏返し。これからどうするか、それは、私たちに委ねられたのかも
しれない。
  ひとつだけ考えられるのは、シンジ物理世界に戻ろうと決意したのをアスカ
  も知っていて、そんなシンジとだったら一緒にいても良いかな、って思ったの
  かも知れない。
  でも、砂浜で再び自分の首を絞めてる彼を観て「ああ…やっぱり何も変わって
  ないんだな…」と思っちゃったとか。
 寂しいことを言ってしまえば、アスカにとって、自分のために泣いてくれた人
を身近で感じたのは初めての体験だったのかもしれません。初めてで慣れてない
から、「気持ち悪い」のかも。
庵野監督は最後までアスカの扱いに困ってしまったようですね。その苦悩がラス
トシーンにも出てしまったのでしょうか。「おまえがいるから滅茶苦茶になっち
ゃったんだ~!」ってね。でもその存在を消せない(笑)
 嫌悪も一つのコミュニケーション。心の壁は現実そのもの。
 そして、今までと同じ、自我と、人を代表とする非我との戦いがつづく。
 何度もそれを確認しながら、幸せにも不幸にもなれるラストだったと思います。

 ラストシーンアスカ。第1話のレイと同じ場所に包帯を巻き、首を絞められな
がらもシンジの頬をなでる。
 これって、つまりアスカの中の“母性”を表してるのかな、と思いました。綾波
レイは「母」のメタファーそのものと言っていいでしょう。そして、シンジの側に
横たわっているアスカレイと同じ姿であることは、彼女もやはりシンジを優しく
包み込む“母性”を内に秘めていることを意味しているように思えます。その後の、
シンジの頬に触れる行為も。

 しかし、彼女最後の言葉は「気持ち悪い」。シンジを拒絶する言葉です。これ
は“14歳の女の子”として、「私はあんたの母親になる気なんて、今のところ、
さらさら無いわよ」と言ってるんじゃないでしょうか。「あんたが何を求めてるの
か分かんないけど、受け止めてあげる気なんてないわよ。余裕もないしね」と。ま
あ、あのシンジ-自分を傷つけるかもしれない他人を殺すこともできないで、ただ
しゃくりあげている-を受け止めることなど、14歳の少女に過ぎない、もちろん
自身それなりに問題を抱えているアスカに、できるわけないでしょう。たとえ“母
性”を持っているにしても。むしろ、一方的に求める方が酷です。(さらに、相変
わらず求めるだけっていうのも、また問題だ)。

 しかし、将来的には彼らがどう成長し、変化するかは分かりません。そういう意
味では、もう多くの方が感想に書いてますが、「これから」を感じさせてくれるラ
ストシーンではありました。もう語られることのない物語の続きの中で、彼らは彼
らなりに成長していくのでしょう。
不快感(=気持ち悪い)」というのは、赤ん坊が最初に感じる感覚だということを聞いた
記憶があります(←記憶あやふや)。そうでなくとも、「気持ちがよくない」という感
覚は、まぁ、「夢」だとか「望んだ世界」ではなく、「現実」を示唆しているのかな、
とも深読みしましたが・・・深読みしすぎかな?
 シンジアスカは、それこそお互い誰でもよかったんだと思います。憎む相手も
愛する相手も。でも、自分を互いに真正面からぶつけ合った過去が、二人には出来
てしまった。互いに、相手に対する憎しみも、相手が欲しいという気持ちも、相手
を拒絶する言葉も告げてしまうほど、互いの気持ちを相手にぶつけた。そして、そ
の憎しみも欲求も、おそらく今後の彼ら自身の心を強く拘束していくでしょう。
 ラストシーンで、くびを絞め、瞳を動かし、頬をなぜ、涙を流し、気持ち悪いと
つぶやいた二人は、それこそ、愛よりも深い、憎しみもかなわない、たとえ離れて
も、ひととき忘れても、もう互いの心の一部そのものにまで結びついたように見え
ました。

 One more final:   I need you.
 
 もう一つの終局もすべてのおしまいではありません。英語のタイトルは『私はあ
なたが必要である』でした。
 そして、皆に等しく、同じ戦いが、始まり、続きます。
 でも生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにだってあります。だって生
きてるんですから。

 愛よりも深く。
 夏の映画は誰も他人を受けいれられなかった二人が、とにかくも深く結びついて、
そこから再び、同じ戦いが始まる、終局であっても、何も解決していない、ラスト
でした。
シンジ内面に問いかける声も、もはや静かなレイの後ろ姿ではなく、アスカの
赤裸々な罵倒へと変化しました。「お願いですから、もう電話してこないで下さ
い。」「よりを戻すつもりは更々ないの。」「その、やっぱり、友達以上に思え
ないの。」「ハッキリ云って迷惑なの。」「これ以上付きまとわないで下さい。」
これらのセリフ作品の展開からは伺うことができない以上、庵野監督自身の人
生から引用してきたものと解釈されます(もちろん脚色を加えているでしょうけ
れど)。つまり、劇場版におけるアスカは、これまで庵野監督を傷つけてきた
「5人の女性」のような「他者」を象徴する役割を与えられるようになったのだ
というのが僕の理解です。
 そうすれば、ラストシンジアスカの首を絞めかけたり、アスカがその後で
「気持ち悪い」と言ったりする寒々しい展開も、すんなりと納得できるのです。
現実の他者は、お互い決して期待通りの反応をしてくれない存在ですから。
 オタク依存を打破するために作ったアニメが、逆にオタク依存の代表になっ
 てしまった苦い皮肉。昨日某アニメショップで見かけた会話。

 「これ買えば」(とシンジ君が表紙のアニメディアニュータイプを指さす少女)
 「えーいゃぁー」(と汚いものでも見るかのように嫌悪する少女B)

 彼女らの心の中にはカヲル君しかいないらしい。作品全体のテーマを見ようとせ
 ず、自分のお気に入りのパーツを使って幻想エヴァを作り上げて固執する。虚
 構からも逃げ続けている。自分以外のエヴァはいらないのだ。そして、そのこと
 を指摘されると過剰に反応し激怒する。「ぱふ」の一部読者はひどいものだ。無
 論、綾波アスカの一部ファンにも言える。
 そういう意味で、庵野さんが「気持ち悪い」と言わざるを得なかったのは良く分
 かる。だから実写を入れてこれでもかこれでもかというぐらいに観客に語りかけ
 た。でもそれは届かない。最も病んでいる人間、庵野さんが最も一言言いたい人
 間は嫌悪する現実ファンタジーに変えて消し去ってしまうのだ。
シンジくんの首締めはちょっと??な気もしましたが
アスカシンジの頬を撫でて「気持ち悪い」は、
頬を撫でるシーン拒否、否定の感情からではなかったと思ったので
集合体としての生命の海から浮上して「こ」の世界の「ここ」にいる
「こ」の自分を認識し他の存在シンジ認識し
「気持ち悪い」ことも沢山あるけど「ここ」に自分と他人が存在
することを知覚認識して噛みしめていると感じました。

いやぁすっかりアスカが主役でしたね。
ここまでアスカ映画になってくれるとは
嬉しい誤算でしたってのはアスカ者の偏見でしょうが。

      とでも思わなきゃやってらんないよなぁ。
かくして、シンちゃんはアスカちゃんのドレイとなり、
一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
                                                       <終劇>
       自分は性的嫌悪感からくる言葉だと思ってるんですけどネ。
       DEATHの新作カットの「ミサトやバカシンジの使ったお
       湯なんて~」の頃には、もうシンジ君が自分の事を性的対象
       して見てる事に気づいていたのでは?このぐらいのお年頃の
       と女性ってそういうのたまらなく嫌だと思うのですがどうで
       しょう?
シンジアスカを殺そうとするが思い止まる。アスカに優しい言葉を期待する
"ファン=シンジ"だが"虚構=アスカ"は"気持ち悪い"と突き放す。

そういうことか?ヒゲメガネよ。
それと映画アスカシンジを否定したのは
(自分の勝手解釈ですが・・)
「シンジアスカの事を、好きで求めているのではないのを、
アスカは気付いていた。なので、コーヒーメーカーに激突させ、
最後に’気持ち悪い’とまで言った」
好きで求めていない、というのは、恋愛感情のみ、でなく、
シンジは弱い自分を何とか持ちこたえさせる拠り所に「強く
見えるアスカ」にすがっていたふうに見えたからです。
アスカにしてみればそんなおかんのような役、あまり嬉しく
ない気が・・・。
 また、最後の台詞「気持チワルイ・・・」ですが、ラストシーンでのアスカ
の様子を見てみると、腕と頭部と目に包帯およびガーゼが当てられており、
これは第壱話においてストレッチャーに乗せられてシンジ君の前に初登場
した綾波レイそっくりの状態で、加えてあの目線から察するに、アスカの
中には、彼女自身の魂や人格に加えて、レイの魂が入り込んでいるのだと
私は感じました。

 いわば、アスカとしてはトラウマを刺激するモノとして忌み嫌っていた
レイの魂が自分の内面において(シンジへの想い故に)融合しつつある
ことについて現在のところ「ケンカカレー」(歳バレ?)の状態にある、
ということで「気持チワルイ・・・」という言葉に繋がったのだと私は考えた
のですが、みなさんはどう思いますか。
あのラストシーンは実はハッピーエンドである。
あの砂浜のシーンは補完直後のシーンではない。
実はその前にシンジアスカを見つけ、傷の手当をし、ミサトの墓を作ると
いう一連のシーンがあったのである。
しかしアスカは何も話さない、何も反応しない病室アスカの状態に戻ってし
まっていた。(偽りの復活)
そんなアスカを不憫におもったシンジは思い余った挙げ句、彼女の首に手を
のばす。
しかしその時、今まで何も反応しなかったアスカの腕が動き、シンジの頬を
撫ぜる。
嬉しさのあまり、涙を落とすシンジ。
更にアスカは言う。
「(あんたバカー、何泣いているのよ)気持ち悪い(わねえ)」

そうあのシーンは「クララが歩いた」パターン感動的なラストシーンなの
である。
しかし観客の期待を裏切る事ばかりを要求された監督は素直に感動的なシー
ンを作る事ができずにあのような解りにくい形にしてしまったのである。
だが安心したまえ、ビデオ・LD収録時には完全版として失われたカット台詞が収録され、誰の目にもハッピーエンドである事が解るに違いない。
(笑)
シンジ監督アスカ・観客に置き換えると、あのラストシーンは
また違った見方が出来ますね。
現実から遊離してしまっている観客を不憫に思った監督真心アスカが無反応だったら悲惨ですね。
それより、もし「気持ちいい」と言われたらどーする(笑)
 シンジ・観客、 アスカ監督ではどうでしょうか?

 シンジ「わーん。こんなEVAはいらないよぉ~。
     謎もあまり解明されてないし~
     そこで気絶してないで、もう一回EVA作り直してよ~」
 アスカ「(まだやれっての?)気持ち悪い....」
1:呼吸困難になった為の気持ち悪い
  えー、シンちゃんに首をギュッとね!(爆)された惣流ちゃんですけど意識
  の無い状態で首を思いっきり絞められては血のめぐりも悪くなり気分が悪く
  なったという、低血圧で良く立ち眩みしてる女の子意見がありました(苦笑)
2:あのセリフみやむーちゃんのアドリブ説
  庵野監督に捧げるアドリブ説(黒い説ですわねぇ(苦笑))という人若干名
3:怪我のために気分が悪い説
  右手の謎の治療跡で判ると思いますが怪我してる場合気分が悪くなるもんです
  (経験者談)
4:2日目説
  ・・・・・・(^^;)・・・・・・
5:観劇してる人へのメッセージ説
  ・・・・・・
 「きもちわるい」。
 他人の体温が気持ち悪いことって、ないですか?
 でも、その嫌悪感を、人は「愛情」で中和させる。
 けれどそれは「無理をしている」のかもしれない。
 本当は、人なんて、生まれてこない方が良かったのかもしれない。

 だけれど、生きている。
 それでも、生きている。
 生きていなければならない。
 
 決して理解できない「他人」の隣で、それでも「一人ではなく」生きている。
 エヴァみたいな「黙示録もの」のラストって、和解・融合、善悪何れかによ
る統一、純粋な荒廃、・・・みたいな一元的な世界の出現で終わるのが相場じゃ
ないですか。これは魅力的だけど、弱点があります。つまり、解り難いんです。
 具体的にどんな世界になるのかが想像できない。私達の周りにあるのは、一
元的把握が通用しない、それこそ「他者」が存在する世界です。争いの無い平
和な世界、とあっさり書くことはできるけれども、そこがどんなところなのか、
人或いは人々が何を考えて生きるのか、よく考えると理解できない。
 放映版の受け入れ難さって、ラストのそういう典型的ユートピアが、観る側
の想像力を麻痺させたせいがあると思うんですよね。

 映画版は、そうした典型から脱したところが凄いと思います。シンジとゼー
レの意思に従って、一元的な新世界を一度は成就しておきながら、シンジの成
長というモチーフを重ねて「その先」を開いてしまった。この点に限れば、黙
示録を越えちゃってますよね。そうして出来上がった「他者の居る新世界」に
は、シンジがその成長の代償として手に入れた、純粋で人間的な憎悪や悩みや
悲しみがあり、観る側として非常に素直に感応できる。これがユーモアやカタ
ルシスでなくて何であろうかと。そしてまたそうした世界を、アスカの最後の
台詞一つで完成したところがまた見事なんですよね。
インパクトのある、出来るだけ短い、どうとでもとれる演出、ということで
ああなったんではないでしょうか。鏡のように、見たいものが見える、見た
くないものが見える、うがった人にはうがった見方が見えるラストシーンだ
と感じてます。
最後にアスカが包帯をしている意味は、
「アスカ自身が女になった」
「シンジにとってアスカが女になった」
という二つの意味を同時に持っていると思います。
「気持ちわる」という言葉には、リアリティを持たす効果と、
触れあいによって「産むことが可能な存在となった」=妊娠イメージを出す効果、
それに、存在が個に分かれていることの実感(喜びも悲しみも)が
表現されていたように捉えられました。
 最後のシーンについてはアダムとイブというよりアジア系神話 洪水で生き残った
兄妹の話(日本のイザナギイザナミの話でもこういう始まりのものもあります)
の方を連想しました。

 アスカの気持ち悪いのセリフですが考えによっては色々とれるセリフですね。
私はシンジと一線を引くセリフと取りました。
(ここから他人としてスタートとして2人の関係はどうなるかという・・・)
この最後はFANが自分たちで考える宿題だと思えました
最後のアスカも女っぷりがよかった!きっと、あれがアスカのやさしさじゃないの
かな?と思った。急にわかったようなアスカになったら余計かなしいもん。
とっても、ハッピーエンドだったと思います。映画みたあと結構すがすがしかった。

気持ち悪い,はよかった。絶望とそれでも幻想を構築しなくてはならないという
意志が感じられ・・・るか? 絶望だけか? 慰めてもらいたいのか?
立派に完結していたと私は感じましたし、救いもあったと思います。
ラストセリフは、生々しい接触も含めてアスカシンジを受け入れ始める、
という言葉ではないのか、と思うのですが。
少なくとも、突き放されて終わったとは感じませんでした。
私、あのシーンは本編に絡まないと思ってます。
庵野のファンに対する愚痴だと思ってます。
ファンによって傷つき首を絞められた「エヴァ」から、
おおよそ倒錯しているファンの一番多いアスカの声で、
ファンに対して文句を言ったんだと思います。 
創世記によればエデンの園では人も含めてすべての生き物は裸で(つまり自分自身
をすべて晒して)いても恥ずかしいとは考えなかった。ところがアダムエヴァが
禁断の知恵の木の実を食べた途端に裸でいることに気づいて恥ずかしくなり、身体
を覆って隠した。このことが神の怒りに触れ、2人はエデンを追放された。
・・・ラストシーンの2人はやはり楽園を追われたアダムエヴァなのですね。
自分の殻(ATフィールド?)を壊すことができなかった(あるいは自分の殻に閉じ
こもって出ることができなかった)シンジアスカだけは結局補完されることなく、
荒廃した世界に取り残された・・。それでもアスカシンジを拒絶するかもしれな
い・・と。
この映画を、人間の内面の描写をメインとして考えると、まさしく、私の好きな
ジャンルに入るんですよね。いっかい、救っておいて、最後にもう一回、落とし
ちゃうっていう。(笑)でも、最後は、あれでよかったと思います。だって、簡
単にシンジが、他人を認め、世界も、そんなシンジを喜んで、迎え入れるで終わ
ってたら(テレビの終わり方かな?これは。)、面白さ半減だと思います。そこ
で、アスカに気持ち悪いといわれて、自分の選んだ世界の厳しさというものを示
して、終わった方が、なんか、心に重ーくのこるじゃないですか!(だから、
ONE MORE FINAL なんだとおもいます。)

  補完中にシンジアスカと、ものすごい勢いで傷つけあいます。
彼は最後には彼女の首に、手をかけるのです。
そこまで他人というのは自分にとって厄介なものなんです。
理解不能ですからね。

  それでも、シンジは「融合」ではなく「他者との並存」を選びました。

  「共生」だとか「相互理解」とか美辞麗句に彩られた根拠なんて、
これっぽっちも示されないのに。
根拠があるのだとしたら、寂しさゆえの「I need you」くらいなものです。
単体になってしまったら永遠に孤独ですからね。
(この辺、あまり自信無いな。二回目を見たほうがいいかな?)

  目の覚めた彼は、隣で寝ているアスカの首を、再び絞めにかかります。
そりゃ、あたりまえです。
自らの選択とはいえ、自分を苦しめる元凶が、
現実に厳然と、そこにいるわけですから。
ほっとくと、こっちが殺されるかもしれませんし。
「他人がいる」─────本当に深刻です。この問題は。

  なぜか生きていたアスカが、そんなシンジの頬に手をやって、
彼に「他者のいいところ」をちょっち認識させます。
苦しみとともに、ヨロコビもまた確実にあるのです。
シンジの手から、力が抜けて、その後のアスカの一言で
「終わらない夏の物語」の幕が引けます。
 アスカの「キモチワルイ」発言は、相当ショックだったのですが、
彼女らしい発言だなとも思います。少なくとも、病院のベッドで
息だけしてる状態で生きている彼女より、ずっといいです。
 「詩編 The End of Evangelion」では、アスカの言葉は、
「あんたなんかに殺されてやるもんですか」が入っていますが・・。
 現実は、そうそう、都合のいいようにはならないんだという事に
通じている気もします。
私が思ったのは、アスカはショックで植物人間状態がある程度つづいており、
(目がサカナだった)シンジはいっそ楽にしてあげようとしたと見えたのです
が。包帯をきれいに巻いてあるところを見るとシンジが悩むに十分な時間はあ
ったのでしょう。(だからエントリープラグから気が付いたらあの場面、てい
う訳ではない。)そしたらもう動かないはずのアスカの手が動いたので、嬉し
くて涙が出た。ついでに「気持ち悪い」という正常なアスカがはくセリフが出
て、アスカが完全復活したという、無条件ハッピーエンドだと迷いもなく思っ
たのですが。
あの最後のアスカ首しめられシ-ンですが、そのあと
のアスカセリフが最後の最後に観客を現実に引き戻すオチ
みたいにかんじました。首しめ、まえふり?みたいな(笑)

 TVシリーズを見る限り、アスカシンジに対して14歳の少女らしい「嫌いだ
けど好き」という心理を抱いているようです(まぁ25話で助けられなかったこと
がしばらくもめる原因にはなるでしょうが)。それゆえに、シンジ腑抜けさに我
慢がならないのでしょうか。ただ、その心理とは別にエヴァパイロットとしての
ライバル意識も強烈ですから、非常に言動もわかりづらくなるのでしょう。

 シンジの方は、ミサトさんレイアスカもいいという宙ぶらりん状態ですが、
考えてみれば男ならたいていは心理的二股、三股は当たり前です。しかし、この中
で本当に可能性があるのはアスカだけなのですから(ミサトは年上過ぎ、レイは・
・・実の所は母、ユイですから)、将来的になんとか努力するでしょう。そのため
に現世に戻ったのですから。

 で、最初のコミュニケーションが首締めと「気持ちわるい」。一種ダークな感じ
もしますが、「他人とのコミュニケーションが最初からうまくいってたまるか」と
いうことであれば、先がどうなるかは・・・
 しかし、あのラスト必然とはいえ悲しい物がありましたね。
アダムにとってイブとは所詮他人であり、殺意を抱く対象であ
り、自分を傷つける存在なわけですから。
しかし、やはり最後はきついです。安易な現実礼賛はもっと嫌ですけれども
あそこにはやはり意地の悪さは感ぜずにはいられません。
少数派なのかもしれませんが、肯定否定はともかく「私の趣味としては嫌だ」
というのだけは間違いないです。こんな人もいるということで、一応、存在
を認めていただけるとありがたいです。
やはり、あれは監督からのメッセージと取るべきではないかと。
月に斜線が入っているように、もうこの「エヴァ」は終ったんだ、
もう人の作品に自分の考えに目くじら立てて攻めるのはやめてくれ、
見る側と自分は「他人」なんだ、そこまで立ち入らないでくれ、攻めないでくれ、
こっちにしたら「気持ち悪い」んだ、
エヴァ庵野の首を絞めるのはもうやめてくれ・・・
そういう事だと私は感じました。いつまでも他人に依存されると気持ち悪いって
事だと・・・そういう意味の、監督の「エヴァは終ったんだ!」という宣言
ではないだろうか。
私はあのラストシーンは
「自分に棘があることも、相手が針を持つことも、
全てを承知した上で敢えて一歩前に進む事が出来るようになった
シンジ君」に成長した、と言う風に考えています。

「気持ち悪う。」の台詞に関しては、あそこから人類の新しい
時代が始まる的な雰囲気(オーケストラが聞こえてきそうな、
とでも申しましょうか。)の中で、劇の中の世界ではこれは
現実なんだ、と言う目的で入れたのではないでしょうか。
(日常性を出したと言った方がいいかもしれません。)
まあ、いわゆるハリウッド的な大円団では無いよ。ってとこですか。
私はいい出来だったと思ってます。
 アスカは「気持ち悪い」よりもその前に差し出した手の方が重要だと思います。
敗北の象徴である同じ右手だというのがヒントでしょう。
 シンジが心象世界ラストシーンアスカを求めて首を締める
シーンはレイプメタファーじゃないかという意見がありました。
確かにそう解釈するとあのラストも非常に理解しやすくなるんで
すよね。
そしてラスト台詞ですが、私はシンジだけでなく、世界の全て(自分も)
に対して感じたメッセージだと感じました。生きていくには気持ち悪い世
界だけど、やっぱり死ぬのは嫌だ、と。そもそもアスカシンジを好きだ
とは思ってなかったのでショックではありませんでしたが、手も触れず、
目も動かさなくてあの台詞だったら、やっぱつらかったかな(^^;)。ともかく、
我が儘を貫き通した監督に拍手!
やっぱシンジアスカの首を絞めたのは、ATフィールドの象徴で
しょうな。人は生まれながらにして、他人を拒絶すると


  

2009-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20090705223328

そうでなくて本当に世の中を動かす側に回る人になることを想定した大学であるならば、

やはりそういう世界もあるということを教えるためじゃないかなぁ。

関西の私大にそんな大学あるわけないじゃん

 

それはともかく、情報が少ないって言われたんでもうちょっと詳しく書きます。

 

  1. 学生数1万人以上
  2. この授業が行われた校舎は市内の割と真ん中
  3. 医療系の学部無し
  4. 授業は確か芸術学やったと思う パンキョーは間違いない
  5. 100人以上授業取ってた
  6. 講師と撮影者は別の人で、その授業の時は撮影者(テコキした人)も来て簡単に話してた

 

他の人も書いてたけど、障害者云々以前に気持ち悪い

男が男にテコキされてオゥフ、オゥフ言ってるビデオなんて見たくないわ

 

そりゃー障害者だろうが健常者だろうが性欲あるのは分かるし、

盲目の人がソープに言ったコピペもちょっと感動するよ

でも何が悲しくて♂×♂のビデオ見なあかんのか今でも分からん

障害者にも性欲あるよ、解消してあげれば喜ぶよって分かってるわ

 

それよりも、一度射精快感を覚えた障害者はその後どうするんだろう

あの男がずっと世話するならまだしも、10年20年とそれを続けるんだろうか

自分では手も動かせない人に対して、その人が望んだとは言え射精させることは正しいのかな

今後悶々とした気持ちをどうやって解消するんだろう

2009-07-05

俺の碇シンジを返してくれ

ヱヴァを昨日観た。まだ気分がもやもやする。増田で申し訳ないが、世間の絶賛の波に乗れなかった一人として感想を書き留めさせてほしい。(以下ネタバレを気にする人はスルー推奨)


旧作エヴァはとことん愚直に立ち止まって考えるアニメだった。「ぼくが何をやっても人を傷つけるだけだ、だったら何もしないほうがいい」。ロボットアニメの主人公がこんなことを言ってしまったら、物語はどこへも進まないのは誰が見てもわかる。あまりにミもフタもなさすぎる。だけどそこまで言ってしまうミもフタもなさに俺は惹かれた。ロボットに乗って戦う少年少女という「いかにもアニメ」な世界観を提示しながら、そこから視聴者を突き放すのがエヴァだった。

ああ、なのに。それなのに。10年経って帰ってきたのはいかにもヒーロー然とした碇シンジとそれを取り巻く生暖かい級友たち、そして予定調和がいっぱいの「いかにもアニメ」な世界だった。あのメガネ娘が空からシンジに衝突して「メガネメガネ…」と地面を撫で回し始めたところで俺はげんなりした。さんざんあれこれ遠回りして、結局戻ってきた場所がここかと。製作者は「アニメ的なお約束ネタとして楽しめるようになったんですよ」というつもりなのかもしれないが、単に居心地のいい世界に帰っただけにしか見えない。メガネ萌えというカルチャーや、美少女が主人公にぶつかるお約束を知らなければ、そもそもあのシーンの意味すらわからない。昔、あんなに「現実に帰れ」といっていたのは何だったのか。安野モヨコ漫画に対して「現実と向き合っている」とか「EVAでやりたくてできなかったことが実現されていた」と絶賛していたのに、そこから何も学ばなかったのか。

アニメ世界には、主人公にとって都合のいい女の子しか出してはいけないという憲法がある。旧作エヴァはその点を一応押さえつつも、あくまでも他者であるというエクスキューズを忘れていなかったと思う。アスカシンジを最後の一線で拒絶していたし、レイシンジに完全には心を開かなかった。それに比べて今作は、「シンジが望めば普通にやらせてくれそうな女子」が多すぎる。反吐がでそうだ。

そして何より、正真正銘のヒーローになってしまった碇シンジ。俺が思うヒーローの条件はいくつかあって、理由なく周囲から好かれていること、敵を倒すことに疑問を持たないこと、そしてストーリー重要でない人の存在を簡単に無視できることだ。ハリー・ポッターは悪人にもそれ相応の事情があるかもしれないなんて考えもしない。「この卑怯者め!」と言って打ちのめすだけだ。エヴァはそんなアニメじゃなかった。敵である使徒も本来は人類と平等の可能性をもった兄弟であり、一方でシンジの一番の敵は父である碇ゲンドウだという背反する設定こそが、エヴァをのドラマ性を高めていたはずだ。それが今作の使徒の描き方はどうだろう。あれじゃただのモンスターだ。特にあの空に浮かぶ球体のあいつ、シンジに心理攻撃を仕掛けた16話の使徒のエピソードがカットされてしまったのが痛い。使徒は憎むべきモンスターだという、ただそれだけで、シンジの心を映す鏡ではなくなってしまった。そんなの悲しすぎる。

今作のシンジは紛れもなくヒーローだった。カッコよすぎるくらいカッコよかった。本当は俺もシンジ君のカッコよさに素直に感動したい。褒め称えたい。でも、最後に一番大事な人の名前を呼ぶのに忙しくてもう一人の重傷者のことを完全に忘れていたところで、俺は動揺してどうしたらいいかわからなくなったんだよ。一番嫌だったのはあの「せめて●●だけは助けたい」ってやつだ。なんだ、その都合よく話をまとめるためだけの安い台詞は。要するに「もう一人の話は次回の映画伏線回収するので、いまはこっちの人に集中してくださいね」ってことか。物語的にはそれでよくても、俺はよくない。そんな製作者のご都合主義が匂ってくる台詞シンジから聞きたくなかった。そうやって感情を整理できるようになったんだね君は。立ち止まって考えるのをやめて、物語のために必要な台詞だけを吐けるようになったんだね。それが「大人になる」ことだって言うのなら、エヴァにハマったあの頃の俺を返してほしい。

幸福の科学アニメじゃあるまいし、あの程度の葛藤を乗り越えたくらいで頭から天使の輪が生えてくるのも気色悪い。こんな鈍感なヒーローが「人間を越えた天使」になるなんて、馬鹿休み休み言え。正直に言えば、旧映画版でもシンジだけが特別な人間として生き残ることには違和感を感じていたんだが、あの時はシンジがあそこまで自己否定して追い詰められた後だったからまだ理解できた。それがどうだ。こんなに易々とカッコよく天使になってしまう今作のシンジ現実世界にどれだけの絶望が転がってると思ってるんだ、もう一度「鳥についばまれて左目の飛び出た弐号機」からやり直して来い!

確かに旧作エヴァは病んでいた。エヴァを真面目に自分に当てはめようとすればするほど、自意識でがんじがらめになっていく感じはあった。だけどそこを出発点にして、みんな別のところに辿りついたはずじゃないのか、と思う。自分の場合、旧作エヴァを観ていた頃は熱に浮かされて「エヴァ的なもの」以外への興味をなくしていた。だけどそのあと、エヴァと全然違う面白さを持つ漫画小説映画とたくさん出会った。現実の生活にも10年分の変化があった。その中でエヴァという作品と距離を取れるようになり、エヴァを咀嚼して自分の血肉にできるようになっていったと思える。あの時エヴァにはまったほかの人も、それぞれ辿りついたんだろうと思っていた。その出発点が、今作で否定されている気がする。昔の友達にもらった手紙を大事にとっておいたのに、久しぶりに会ったら「あれ、なかったことにして」と言われた気分だ。

『序』『破』を見ていて飽きないのはわかる。映像に惹きこまれるのもわかる。だけど皆、こんな切実さのかけらもない馴れ合い世界で本当に満足なのか。スペクタクル萌え要素があればそれでいいのか。こんなものが50年後に残る傑作だなんて、何かの悪い冗談じゃないかと俺は思う。

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