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はてなキーワード: 感じない男とは

2023-09-30

ぬいぐるみペニスという表現の逆のネーミングを考えたい

 ぬいぐるみペニスとは?

 ぬいぐるみペニスショック症候群というのです。

 症状は一般的にいうと男友達だと思っていた性的に魅力をまったく感じない男から性的に好きだとアピールされてキモ

 ってなる病です。

 男からしたらマジショックだし、女からしたら可愛がっていたぬいぐるみからある日突然ペニスが生えてきて貞操危機を感じるという。

 男も女も不幸にする症例なわけですが。

 性的に魅力を感じない仲の良い女性から告白されて男側がぬいぐるみペニス症候群なる言葉を考えたい。

 候補

 好きな声優の顔が不細工だったショック症候群いまいちしっくりこない)

 候補

 カップラーメンからゴキブリが出てきてビックリ症候群(なんかちがうな)

 

 そもそも男はそういう症状にならないからネーミングのしようがないのかもな。

 しかし、ぬいぐるみペニスショック症候群ってワード作ったやつは本当に言いえて妙だなと感じる! 

 

2021-05-21

anond:20191019133314

俺は割と好きだな、乙女ゲー男性キャラ描写

長所のみならず適度に短所も愛でようという気概が感じられて、「あ、女の人って男キャラのそんな部分も愛してくれるんだ」って気付きがあるし。「短所を愛する」は萌え文化に通じるよね。

あとは血が通ったキャラには単純に魅力も感じるから

ただ男の俺から見て魅力を感じない男キャラダメかなぁ。なんでこんなクズみたいな奴を?みたいに思う事も。魅力がしっかり描けてれば良い。

からギャルゲー好きな女ユーザーがいるのと普通に理解できるというか共感はできるな。

2020-09-14

多くの女性にとって、肉体に接触されうる

魅力を感じない男から好意や興味は、

面倒だったり不安だったりすると思うから

女性にはできるだけ近づかないようにする男性がいる。

人気のある女性配信者は上のような事情理解してだと思うが、

(肉体に接触できる距離まで近づこうとしない限りは、)

自分への好意を表出することを自分は喜ぶと明言することもある。

本当に好かれることを喜んでいるのなら問題はないのだが、

視聴者への気遣いで言わざるをえないとかもあるかもしれないと思う。

肉体に接触するのはまず不可能からといって、

面倒さや不安が減るほど都合よく心ができているわけではないが、

頑張って面倒さ等を感じてないように振舞っているとか。

2020-03-21

anond:20200321234121

抱いて、と女に言われて何も感じない男は、想像より少ない。

 

っていうか俺が奥さんに言って欲しいよね。

2019-12-29

雄犬の乳首には何の意味があるのだろうか

人間の雄はまだ性感帯として機能しているから、存在価値がわかる。(故に乳首感じない男は猛省して欲しい。)

では、雄犬の乳首はどうだろう?

犬の性行為乳首を弄るのは見たことがない。

でも雄犬にもキッチリ乳首がある。しかもたくさん!

私は愛犬(雄)の乳首ぷにぷにと触ったことがあるが、そのうち前足か後ろ足で「やめろあほー」と言わんばかりに押しのけられてしまう。これは、嫌よ嫌よも好きのうち?なのか。

ぷにぷにと触った乳首が、人間の様に固くなることが確かにあった。まだ愛犬が若い時に。今はもう13歳なので、感度が鈍いせいか「やめろあほー」もされないし、ぷにぷにコリコリに変わる事もない。ちなみに愛犬は今でも健脚で元気いっぱいである。

さて、本題に戻ると、雄犬の乳首には何の意味があるのだろうか?である

若い雄犬を飼っている皆さん、ちょっと愛犬の乳首を触ってみて頂きたい。

触ったら

犬種、年齢、ぷにぷにコリコリに変わったか、愛犬の反応、触ってみた感想」を教えて欲しい。我が家の愛犬は庭で走り回っているのがデフォなので、流石に躊躇いやらなかったが、愛犬の乳首なら吸える!とお思いの方がいたらその感想もぜひ。お願い致します。

追記(12/30)

早く雄犬の乳首レポを投稿してください。みんな年末で暇だろ。

追記( 1/1)

ブコメ冬休み子供相談からの回答を載せてくれた方、ありがとうございます。わざわざ聞いてくれたのですか?優しい。貴方乳首に幸多い事を!

2019-09-27

「男のくせに」はなくても「男らしさ」は求められる

男として生まれて育ち、社会の中で生きていく中で、男としての「性的役割」についての社会的期待を感じない男がいるだろうか? ようするに「男らしく」という呪い負担に思ったことがない人は、本当にいるだろうか?

男性を「男の分際で!」と貶める言葉は、存在しないのだ。

……

男性は「男のクセに」と言われたりセクハラを受けることで就業先が限定されたり業務に支障が出たりすることが、女性に比べてどの程度あるだろうか。

https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09261100/?all=1&page=1



歴史的に、男性社会の中で有利なポジションを占め、男性向けに社会デザインしてきた結果として、この社会では男に対して「分際」という言葉が使われない。それは事実かもしれない。「○○の分際で」とか「○○のくせに」といった言葉は優位から劣位に対して投げかけられる言葉なので、そもそも用例として少ない、とは言えるかもしれない。

だがそれでも、「男らしさ」のような呪いが、個人に拭いがたい違和感を与える現象は常に存在するし、見過ごしてはならない、という視点を失ってはいけないと思う。

たとえば自分は、絵を描くのが好きだった。右手を奪われたら生きていけないだろう…と思っていた若い頃、それでも「男として生きていく中で、いわれ無き暴力に立ち向かうことが『男として』期待されることがあるだろう」という事実に直面して深く考え込まされたことがある。つまり右手の拳をふるうこと」が求められる(ふるわなければ「男なのに!」という批判さらされる)可能である。ちなみに、拳というのは、素人が強めにふるうとかなり痛めやすい。もし後遺症が残れば、柔らかく繊細な線を引いたりすることは大変難しくなるだろう。

年代女性の方々が「いわれ無き暴力への不安と恐怖」に曝されていただろうその同じときに、同じ若い年頃の男性である自分は「いわれ無き暴力に立ち向かうことを社会的に要請される」結果として、「命にも等しい右の拳を致命的に失う恐怖」に怯えていたのだ。男性であるというただそれだけの理由によって。

私は、前者の不安後者より軽いという見方にはもちろん与しない。同じ理由で、後者不安を前者より軽く見るという見方にも与したりはしない。少なくとも、それは私にとって、以後数十年にわたってひたすら拳を鍛え続けるという行動に繋がった程度には、人生の中で重い出来事だったのだから。私は社会が期待する「男性」像を認めつつ、自分の期待する自己像を失わないために、「殴り方」と「殴った程度では壊れない拳」を身に付けざるを得なかったわけだ。

ジェンダーが人を苦しめることがある〉という知見を、こうして私は得ることになった。(もちろん「絵を描くなんて男らしくない!」という批判にも日々さらされていたわけだが、そういう「他者から直接に投げかけられる言葉」というのには鈍感になれば済む話なので、大した問題ではなかった。)


これまで「男」に蹂躙されたくない、という思いで、この社会の下でひたすら自己物理的、社会的に鍛えあげた女性の方々に、私は深い同調共感と敬意を表する。同様に、私は、社会要請する「性的役割」を理解しつつ、それとは無関係な「自己」を保全するため、懸命に拳を鍛え続けるという行為に没頭した自分の思いに対しても、ある切なさと同情心と称賛を送りたいと思う。それは、社会要請する「男性像」から私自身」を守るために、どうしても必要だった。それを私は一応やりとげたと思っている。そして、可能なら、こんなくだらないことを、自分より年若い世代の人々が感じたり考えたりしなくなると社会は少しだけ住みよくなるだろうと思っている。私にとってフェミニズムというのは、そういうことだ。

もちろん、年を取れば、自分が「社会的に期待される性的役割」を演じることで得られる果実があることも知る。「男らしい」男性が「男らしさ」を発揮することで社会的によい立場評価を得る(そしてその逆もまた)、という風景は、誰もが一度ならず目にしていることだろう。それどころか、むしろ「正しいこと」と考える人だって世の中には多いだろう。意識してそうする人もいれば、単に経験的にそうする人もいる。だが、一度このこと、すなわち「ジェンダーは人を苦しめることがあり、それに苦しむ人がいる以上は、ジェンダー肯定して受益する人は〈搾取者〉である」ことに気付いてしまえば、残念ながら自分はもう「期待される性的役割」を果たして受益する側には回れない。フェミニズム同調するか否かというのは、ただ単に、このような〈気付き〉にあると個人的には思っている。

少し話しがそれたが、「フェミニスト」を自称する人が、最初記事のように、男性自己性的役割に苦しまされることなど「どの程度あるだろうか」(いや、ないだろう)といった反語的な言い回しで、その被害を「大したことねえだろう」というような片付け方をするのは、大変に筋が悪いことだと思う。性的役割に苦しまされることに、性差などない。個人の苦しみを簡単に計量することなどできない。そういう視点を見失っては、フェミニズムを唱える大義自体が失われてしまう。

フェミニズム自称する女性中心主義的主張をツイッターなどで見かけるのは、もはや日常になった。それどころか、私の思う「まともなフェミニスト」を見かけることの方が大変少なくなった、という方が適切かもしれない。ただ、確実に言えるのは、そういう「ジイ」的主張は、物事解決に導くことがないということだ。それは「示威」であり「自慰」的である。見たところ威勢がよくて気持ちいかもしれないが、仲間内にだけ通じる耳障りのいい言葉であり、自分と異なる他者との対話から未来を開こうとする言葉ではない。もちろん、「お前のこの書き込みだってカウンターに利用されれば、充分分断的に働くぞ」というご批判もあろう(それはなるほど事実かもしれない)。だが、少なくとも私のこの言葉は、最初記事を書いたライター、それに同調する方々に向けて書いた言葉である。私はここまで、あなた方を無駄に傷付けるための言葉は使わなかったと思っている。そうでなく、あなた方が何かを考える際のとっかかりになれば幸いだと思っている。私の言葉は、あなた方に向けて開かれている。

まり、「あなた、私のような男性フェミニストに対しても、その主張をするの?」ってことだ。一度考えてもらいたい。

たとえ、この社会で生きていくために一見無意味な(たとえば自分の拳を痛めつけるような)作業必要だ、としても、少なくとも「私は社会に傷付けられたが、私は誰かを傷付けるようなやり方で自分を守ることはしなかった」と、自分死ぬ時に自分に言うことができるというのは、割と大切なことだと思っている。あなたに同じことを強制するつもりはないが、あなたがどう考えるのかは聞いてみたいと思う。

2015-01-14

まずは男性男性を救う責任がある

責任所在はどこにあるのか、と言えば、全てにある。女を自分のお遊びとしてしか考えていないオッさんたちにも、それについていってしま女の子たちにも、そして彼女たちを救えない若い男性たちにも。

岡田斗司夫騒動にみる、愛人になった「彼女」とならなかった「私」 - あの子のことも嫌いです

岡田斗司夫のような男性女性が引っかかってしまうことについて「彼女たちを救えない若い男性たちにも」「責任所在」があるという内容に否定的コメントが多数寄せられているが、この部分について否定的コメント男性から寄せられるという事実のものが、鶉氏が嘆いている「救えない若い男性たち」の内情を示しているように思う。

まず私は彼女いない歴=年齢期間を長々と過ごしていた「若い男性たち」の一人なので、この内容に否定的コメントを残したい男性の気持は良く分かる(ただし、単純な女性蔑視コメントを残している荒らしの心理はこの記事では扱わない)。

今の若い男性の多くは、自分の中の男性性が暴力性を伴っていることに対して敏感である(少なくともまったく無反省ということはない)。

岡田斗司夫事件は極端だけれど、様々なシーンで男性性欲の暴力性が女性を傷つけていて、世の中の女性がそういうことに憤っていることをよく知っている。

で、暴力的な男性性欲は良くないよねってことになる。

ここで問題になってくるのが、男性性欲の暴力性について男性自身否定的になると、定期的にオナニーして射精することを義務付けられ、親しくない女性に対しても十分に性衝動を感じ得る自分の性も、同様に暴力的で良くないんじゃないか、ということになってきてしまうことだ。

男性性欲の暴力性に否定的になることは自分の中の男性性欲の存在のもの否定的になることに直結する。

そうなった結果現れるのがいわゆる「草食系男子」というものだ。

彼らについて性欲が少ないとか無いとか平然と言ってしまう人は認識を改めたほうが良い。

早い段階で男性性欲の暴力性を認識し、自分の中の男性性欲を表に出ないように徹底的に抑圧しているのが草食系男子である

この抑圧の過程の多くは男性本人にとっても無意識下に行われるのが厄介だ。

ここでやっと冒頭に戻るが、そういう男性からしてみると、日々自分の性を抑圧して苦しんでいるところに「救えない責任がある」などと言われてしまうと、いやいやあなたたちが怒るから必死女性を傷つけないように頑張ってるのに責任があるとかおかしいでしょ。ましてやメンヘラとか自己責任だし。自分自分を救えよ。という風に感じてしまうのは無理からぬこなのだ

だが、こういう反応そのものが鶉氏の言う「若い男性たち」(その実この問題は「若い男性」のみではなくあらゆる世代男性にあてはまるのだが)の問題点を示している。

それはどういうことかというと、彼らは「救う」、「責任」という言葉字義通りに解釈して反発しているのであって、鶉まどか氏という一個人が本当は何を言いたいのかという点には目を向けていない。

鶉氏の言いたいことは、その後のツイートに端的に書かれている。

まどか @uzuramadoka

わたしは男性に「女の子お姫様扱いして大事しろ!」なんて言うつもりは毛頭ない。責任は、目の前にいる異性をちゃんと等身大存在として認めないことにある。女だって苦しんだり悩んだりするし、そして当然男だって同様だ。それをお互い理解しようよ。お互い理想ぶつけあってどうすんだよ。

https://twitter.com/uzuramadoka/status/554973171615408128

「目の前にいる異性をちゃんと等身大存在として認め」よう、つまり「他ではない私を見て」ということなのだが、そもそも自分自身男性性がまったく受容できていない男性にはただ一人の他者も受け容れる余裕がない。

女性からしてみれば、周囲の男性の多くが自分ありのまま存在を受け容れてくれず、男性性の葛藤からの逃避過程で生まれファンタジック女性像に夢中になっているのは、やはり「救われない」状況なのではないだろうか。

少なくとも岡田氏の愛人のような女性に実際に関わって救う義務が全ての若い男性にあるというような議論が展開されているわけではないことは明らかだろう。

ただ、男性性が抑圧下にある男性には目の前の女性個性を受け容れる余裕がない。

私が提言したいのは、男性性の抑圧の過程男性自身によって明確に言語化され客観視されるべき、ということだ。

意識さえされれば、男性性を適切に解放するための物の考え方(具体的に言えば女性とのコミュニケーションの取り方)は現状の知見でも十分過ぎるものが揃っている。

まずは、男性男性を救う責任があるのではないだろうか。

追記:

mak_in 草食系男子を性の暴力性を恐れ無意識抑制する存在批評してあるのは面白かった。誰かの引用

森岡正博氏の『感じない男』の思考過程を参考にしています

ただ、私は森岡氏が『草食系男子の恋愛学』で定義するように「草食系男子」に「異性と肩を並べて優しく草を食べることを願う」というような属性付与できるとは考えていません。

2014-12-12

セックスから学ぶ恋愛いろは

世の中には『すべてはモテるためである』のような素晴らしい完成度の恋愛本があるけれど、案外がっつりセックス方法から考えてみたほうが恋愛についての基本的な考え方を把握する上では近道な気がする。少なくとも私の場合はそうだった。

ここでいうセックス方法を考えるっていうのは、異性(私は男性なので女性)にとって気持ちいい(或は不快でない)セックス方法を考えるってことなのだけれど、色々と調べると、目から鱗の連続面白い

まずは、これは有名な話だけれど、AVセックス描写現実セックスは別物であるということ。

日本の(というか世界の)AV標準的セックス描写が何かおかしいっていうのは、予備知識皆無の童貞でも気づく部分は多いんじゃないかと思う。

汚いおっさんが凄まじい速さでピストンして、膣からペニスを抜いた後に自分の手でシゴいて顔射するっていうのは明らかに変だと思っていたし、暴力的過ぎて勃たないので、私なんかはよりソフトポルノを好んでいた。

でもエロ漫画とかを見てもとにかくセックスってガシガシ挿入する感じだから、なんとなくそういうものなのかなあと思っていた部分もある。

ところが、現実女性意見を見ると、AVみたいなガシガシオラオラセックスが好きな女性は少数派どころかそもそも存在しないといっていいほどであるということが分かる。

これは私にとっては結構救いになった。ああ、ああいうことはしなくていいんだ、誰も望んでいないんだって

セックスの基本スタイル(もちろん応用もあるが)は優しく丁寧に女性を扱う、ということだろう。

このことと関連して重要になってくるのが、コミュニケーションだ。

今触っている部分が痛くないかということをきちんと確認する。セックス中に喋らないというのは良くない。

たとえAVみたいなセックスをする彼氏だとしても女性は演技をしてでもその行為を受け容れることが多い。

それが女性の優しさであり、愛なのだけれど、やはりより良い関係を目指す上ではきちんと言葉コミュニケーション意思確認をする必要がある。

そしてこの意思確認と関連して開けてくるのが性感帯の幅広さと個人差のこと。

童貞的な認識の性感帯って男なら性器、女なら乳首クリトリスと膣って感じだけど、実際はそれだけではない。

例えば夏目ナナのセックス講座の動画を見るだけでも髪、耳、瞼、首筋、脇、肘、指、脇、臍、背中、太ももが挙げられている。実際はもっと多い。

これらの性感帯を女性の反応を窺いながら愛撫してゆく、タッチの強弱とか舌を使ったりとかの触る側の要素も考えれば無数のヴァリエーション存在するわけだ。

そしてどの性感帯が気持ち良いのかというのにはかなり個人差がある。

この個人差という発想は重要で、例えば上記の夏目ナナ動画では背中が至高の性感帯で挿入時間は最低でも10分以上ということが語られているが、これは完全に夏目ナナ個人の趣味で、背中が一番感じるとは限らないし、膣内でイケる女性にとっては挿入時間は長ければ長いほど良いだろうが、そもそも膣内でオーガズムに達せられる女性というのは少数派で、長い挿入時間必要ないか、むしろ短い方が良いということも有り得る。

この辺りをきちんと把握する為に、性的なことまでオープンに話せるような、パートナーとの信頼関係の構築が重要になってくるだろう。

最後に、ジェンダー規範から解放というものが、セックスにはある。

今まで男性側がリードするような書き方をしてきたが、男性もまた、性器以外の性感帯を女性に触って貰うべきだろう。

森岡正博は『感じない男』で現代男性の「不感症」を指摘したけれど、実際インターネットを介して余りにも充実してしまったオカズ環境でシコられまくっている男性器は、すっかりすれてしまって、一般にイメージされるほどには感じていない。

下記3つの風俗での童貞喪失増田エントリで、いずれも「セックス(挿入)の気持ち良さはオナニーと同程度或はそれ以下だった」という趣旨の報告があることは注目に値する。

「ソープへ行け」というから行って来た

そういや先日ソープ行ったんですよ。初めてだったんですけど。女の人とエ..

初めて風俗に行ってきたので考えたこと、感じたことをつらつら書いていこ..

彼らの問題点は身体の感じ方がオナニーからセックスに移行できていない点にあるが、こういう「不感症」を解決するために、男性女性乳首とか耳とか責められてどんどん喘ぎ声とか出すべきだと思う(逆にいえば、女性性的積極的になることを躊躇わなくていい)。

そもそも喘ぎ声については現代男性プロフェッショナル足り得る。

しろ週2でオナニーして、毎回10種類のポルノを見ると仮定すると、年間約1000の喘ぎ声のサンプルが得られ、更に二次元声優の喘ぎ方なんかも意識的採取、消化して自分の物とすれば、一般女性よりも優れた奥行きと幅のある喘ぎ声が出せるはずだ。

感じさせるだけではなく感じなければ勿体無い。言葉責めなんかもするのもされるのも最高に楽しい

と、ここまで見てきた要素をまとめると、セックスにおいて重要なのは

・思いやり

コミュニケーション

信頼関係

性差認識

個性認識

ジェンダーに囚われない相互に与え合う関係

ということになるわけだけれど、これらは恋愛全般のコアに成り得ると思う。セックスから得られるのは快楽だけではない。

2010-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20101215003917

私の心の底には、まだ自分男性ホルモンも、筋肉も、体毛も、精液も満ちていなかった、あの少年のころの体へと戻りたいという思いがある。そしてできることならば、あの思春期の分岐点を、男性ホルモンも、筋肉も、体毛も、精液も存在しない「女の体」のほうへと向かって、大きくカーブしてみたかったという思いが存在する。(森岡正博感じない男』)

2010-05-17

甲斐性がある」は「好意」ではない。

『「寄生対象に見られる事≠好意」だから。これを当然の如くイコールしてある論調には頭痛が。

"男"としては軽蔑してるから"金"の部分を経済的に利用してやろうとする女もいるんですよ。女性はそういう目に遭う事ないのかな』

というブックマークコメントを付けるのもなんだし、もっとちゃんと書きたくなったので、久しぶりにエントリを立てました。


以前、「寄生対象としてだけではなく人格を尊重して好きになって欲しい」という交際相手への要求を、

「幼稚な願望」だか「男らしくない願望」だかと皮肉っていた女性がいた。その女性はきっと、

交際相手から人格を無視されATMや庇護者としてだけ扱われることに全く異議を唱えないご立派な人なんでしょうが、

わたしはひとをそんな目で見てつきあいたくはないし、実際にそんな交際はしてこなかったし、

人格はいらない。財布としての機能だけが欲しい」と本気で思っているような女性も真っ平です。

人間らしいお付き合いがしたいよねー。ということのどこがお子様レベルの高望みなんでしょうね。


あと、「交際相手として扱われたいなら対等な人間として扱われることは諦めろ。両方望むのは男の欲張りだ」

という理屈を振りかざす人も存在するのですが、わたしにとって恋愛対象の人は同時に対等な人間なので、

これもちょっと何言ってるんだかわからないですね。

要するにこういう人々は、「女性様に利用価値見出してもらっているのに文句を言うとは何様のつもりだ?」、

あるいは「私は結婚相手として意識されたことすらないのに、男ときたら、あれはいやだこれもいやだと贅沢なんだよ!」と

言いたいだけなのだと思われるが、こちらとしては「あなたに寄生対象として見てくれと頼んでない」、あるいは

「あなたが経済不安を抱くのは勝手だが、やつあたりするのはやめてほしい」としか言いようがない。


そういうおかしな人たちは横に避けておくとして、たいていの人は性別に関係なく、

人格を無視された上で見栄だの金だのだけに執着されても侮辱としか思えないものだ。

男女ともにそうであるはずだ、と思う。

しかし現実には性によって意識の差が現れる。

仕事経済力に惹かれてもらえば嬉しいでしょ。甲斐性があると見られてるってことなんだから」

「男として認められてると思えばいいのに」

と無邪気にのたまう女性が多く見えるのに対して、なぜ男性の多くはそれを嫌悪するのだろうか。


それは男性にとって「寄生対象としてのみ扱われた時に生じるリスク」」が、圧倒的に高いからに他ならない。


想像してみて欲しい。人として尊重していない男性、その経済力だけが目的である男性に対して、

いざその男性の目が離れた状況になった時の女性がどうふるまうものか。

もっとも最悪な可能性は結婚詐欺オプションとして睡眠導入剤練炭)だが、問題はそれのみにとどまらない。

結婚することに合意したとして、まず、その女性は、夫婦間の貞操に対して非協力的である可能性が高い。

浮気しないでくれと言っても、ATM―――いわばお財布なんちゃらとしか思っていない男の人格

女が真剣に気づかう必然性などどこにあるのか。

「うっかり別の男の人と生で中出ししちゃったテヘッ」と言ってカッコウ戦術に出ることにも

罪悪感や抵抗を感じないだろうことは想像に難くない。

托卵と性感染症危険ダブルパンチである。


また、身勝手な要求をされる可能性も非常に高い。何度も言うがその女性にとって相手は体裁・金銭のための道具にすぎないのである。

嫌だと拒否することを、強制的にされたりさせられたりする可能性が高いということだ。

拒絶したら生活を人質に取られるか、恫喝でやらされるか(何せ男性の気持ちなど尊重していないのだから躊躇はないし、

興奮状態にある女性が通常より利己的になることは言うまでもない)、

ドラマのように出来ないお前は男失格だ」など言葉暴力で攻撃されることもある。

「以前からやりたかったことをお前の金で試せない私は被害者だ。何のために結婚しているのだ」という自己中な理屈逆ギレされる可能性もある。

すべてが匕首で刺されるような暴力である。

一言で言ってしまえばヒューマンライツの問題であり、人格を無視され現金引出機としてだけ扱われるということは、

そうした生活の自己決定権を侵害される危険性が極めて高いということだ。

歴史的に男性はそれを侵害されてきたし、今なお世界中の国や文化圏では、婚姻関係において上述のような暴力的状況が出来(しゅったい)している。

夫婦が本格的はじまりである。


結婚をする関係にある女性に、「人として」尊重した上で好意を抱いてもらわなければダイレクトに心身に損傷を負う危険がある。

それが男の抱えている深刻なリスクである。お子様願望だの、ありのままのボクを愛してだのというぬるい話ではない。

人的社会生命的危機感がある以上は最低限の要求なのだ。

だからこそ男性は「自分を寄生対象としてしか見ようとしない女性に対する嫌悪感」が無意識レベルでも強い。

この女はアレだと勘づいたら早急にシャッターを下ろしてそれ以上近寄らせないように「自衛」するのも当然である。

でなければ「結婚をする関係性」になる以前に、まずを食らう可能性がある。

とにかくそういう女性が近寄ってくることには「リスク」しかないのだ。

「「収入・地位に関心=好意を持たれてる=モテてるってことだよね~♪」」などと

、無邪気に喜んでる場合ではないのである。

その女性経済的関心がちゃんとこちらを一個の人格として尊重した上で付随されているものなのか、

それとも完全に「財布」という記号にしか見えていないのか、見極めなければ手酷い傷を負うことになる。


「養ってと迫る女がいるだけで甲斐性だと考えている男もいる。理屈に合わない」

「男をモノとして扱う鬼女に平気で給料全部吸い上げられてる奴隷男が山のようにいるじゃないか。何がリスクだ」

という反論が聞こえそうなので一応。

そういう男性は単にリスクを顧みず結婚しているだけの話であって、リスクそのものが無くなったわけではない。

女性より法的立場が弱く、扶養の義務を持っている限り、危険はどんな男性の上にも平等に降りかかる。

信頼関係を築き上げた女性が相手の時でさえ、本当に結婚に踏み切ろうと言う前には足がすくむものだ。

そういう恐怖を克服しても、この人がいい、この人を信頼した、信頼すると自分で決めたからリスクも背負う、

と思える相手でなければ結婚できませんね。わたしはね。

そのリスクを深刻な危機感として感じない男性も中には存在するというだけの話である。


えーと。蛇足だけどついでに。

「年齢がアラサー差し掛かってるから、どうしても男性のことを考え始めると地位や年収でおおざっぱに認識しちゃうけど

 オンナノコとして当然なんですう。えーんえーん。でもワタシ根は無害で純粋な子羊だから。

 いざリアルで相対すれば男性をモノ扱いしたりしないよ!そんなことするのはビッチだけだよ!」

などと言う女性が時々いるのですが、メディア年収年収・遊んで買い物して旅行は年○回・専業主婦で楽になりたいなどと

寄生虫臭いことを喚き散らしていれば、

あー、男を生活安定させるための道具としか思ってないのね。

 女としての自尊心を回復して同性に見栄を張るためのツールとしての夫が欲しいだけなのね。

 単に魅力がないだけで中身はビッチじゃん」

と冷ややかに突き放されるのは当然でありまして、

リアルでは少女の心を失わない純粋なワタシ」などと言い訳しても説得力など皆無であります。

だって、文章だけだって十分暴力になりうるからね。

このエントリだってある種の女性にとっては暴力になりうるのを見れば一目瞭然でしょう。


このあいだ三十路女性から、

「私婚活中なんです。凄く焦ってるのでお付き合いしてください。まだ結婚してないのは友達の内で私だけなんです。

 飲み会で友達に同情されるのはもう嫌なんです」という告白だかなんだかわからないような告白を受けて、

そんなこと焦る必要ないと思うけど、金が欲しいだけなら風俗で働けばいいんじゃない

とニッコリ笑って言ってしまった経験のあるわたしですが、

風俗行けなどという暴力的な言葉を返されたくなければ、無自覚に暴力を振るわないように気をつけた方がいいと思います。

(これ言われた時は、「うわー・・・つきあったら『友達が飲み会で自慢していたことを全部私にして。経験ないのは私だけだから』

とかムチャクチャな要求をしてきそう。しかもそれを飲み会で友達に全部自慢しそう。絶対無理」と思いました)

http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2010/0517001413.php

2009-12-09

ミニスカートに欲情するとはいかなる事態か?

 ミニスカートに欲情するというとき、いったい欲情している男には何が起こっているのだろうか。ミニスカに欲情するということを、即「ミニスカをはいている女とセックスしたがっている」と解釈するのは間違っている。

 僕の考えでは、ミニスカに欲情するとは、ミニスカをはいている「状況」あるいは、その状況が喚起する「イメージ」に対して欲情しているのである。森岡正博も、『感じない男』のなかで、征服萌えについての説明の中で、「制服射精したい」という言い方を、「少女制服を着ているという状況そのものに向かって精液をかけたい」と言い直している。ミニスカへの欲情も、これと似たことがいえるのではないだろうか。

 ここで一人の天才の話を出そう。哲学者ウィトゲンシュタインである。彼は、数式を解きながらオナニーをしていたという。どうしてそんな話を持ち出すのかというと、ウィトゲンシュタインオナニーと、ミニスカへの欲情は構造的に似ていると思われるからである。

 ミニスカという格好は、その中に隠されたパンツが、見えるかもしれない、という予期を強く喚起させる。欲情するかどうかはともかくとして、とにかく他の格好と比較して圧倒的にパンツが見える可能性が高いのがミニスカである。ミニスカを見れば「自然に」欲情してしまう、という意見に賛同できない人も、それがパンツの見える可能性を高める格好である、ということには同意していただけるのではないだろうか。そして、ここに数学の問題とミニスカの共通構造が見出される。すなわち、隠されているものが露わにされることへの予期を与える、という構造である。

 違うのは、隠されているが露わになる可能性のあるものが数式の答えであるのか、パンツであるのかということである。このように考えてみると、性的興奮を感じる本質的構造の一つとして、「隠されているものが露わになることへの予期」ということが定式化できるのではないだろうか。

 他に補足的なことも少し述べる。ミニスカが「自動的な」欲情の対象ではない、という意見を主張するために、ミニスカの機能性に注目し、「ミニスカは動きやすさのためのものだ、それに欲情するのは欲情する人間が下衆なだけだ」という主張がなされることがある。しかし、動きやすさだけを考えるなら、そもそもスカートそのものをはかなければよい。パンツ一丁になればよい。なぜそうしないのか。恥ずかしいからである。パンツを覆う服は絶対に必要である。ゆえに、パンツの上に穿くミニスカは「パンツを隠している」という意味の読み込みを避けられないのであり、そしてパンツが他の服に比べてより見えやすい格好であることによって、ミニスカは「パンツを隠す」という意味をより強く読み込ませてしまうのである。そして、上述のように、そのことに対する欲情とは、ミニスカをはいている女とセックスしたいという即物的なものではなく、あくまでも構造的な問題であって、女そのものというよりは、「状況」に対する欲情なのである。

 ついでに、いわゆる、「男は獣」という表現についても一言。「男は獣」というとき、批判派はすぐに「男は獣」→「男は理性では性欲を抑えられない」→「レイプ自然なこと」→「加害者は免責される」という自動化されたロジックを前提にしている。しかし、僕としては、理性で制御できない欲望がある、ということと、レイプ自然なこと、レイプ加害者に非はない、ということは自動的に結びつくわけではないと考える。たとえ自分の意のままにならない欲望があるとしても、それに責任を負うのが人間てものでしょう。それに、「今」は制御できない欲望も、「将来」は制御できるかもしれない。人間は変わりうるからね。だから、そのために、加害者を免責するのとは別の意味で、加害者の欲望を、なぜそんな欲望を持ってしまうのかということを考えるのは重要だと思うよ。

2008-10-20

森岡×宮台に好き勝手突っ込んでみる

せっかくid:heartless00が起こしてくれたので、森岡正博×宮台真司 なぜ日本人は結婚しなくなったかに好き勝手突っ込んでみる。発言順の編集有。

30~34歳の未婚率

70年 男 11.7%  女 7.2%

05年 男 47.1%  女 32.0

宮台:これはすごい。70年はほとんど結婚していた。結婚していない場合かなりの説明を要する。

しかし30代前半ということはこれから結婚の可能性が高く、単に晩婚化を示した数値だからなあ。寿命が延びて教育が長期化した当然の帰結だし。「なぜ日本人結婚しなくなったか」がテーマならせめて30代後半、生涯未婚がテーマなら40代以降の数値を出して欲しかった。

まあどの年代の数字を出してもこの傾向は示せると思うけど、テーマに対する的外し感と一番数字が離れて見えるとこを狙った感が見え見えで萎えるなー。

武田:原因として、男性の収入減があげられているが、本当にそうなのかと。

宮台:ヨーロッパではむしろ収入が少ないから結婚する。

宮台:フランスではまったく逆。収入が少ない事、孤独である事はむしろ結婚動機付けになる。

早く男性性なんて捨てちゃえばいいのにね。2人口で細々やっていくか、女に食わせてもらうのも普通になればいいんだよ。

宮台:「感じない男」は衝撃的だった。思春期男子射精をする自分は汚いと思う、女の子に生まれてくればよかったのに。

女の子女の子で、その汚い射精や劣情を惹き起こさせる存在である自分を汚いと思ってるよ。どうせ汚いなら他人の汚さ(を喚起するという自分の性質)に振り回されるより自分でなんとか出来る方がいいじゃんね。自分の汚さの源泉が他人の欲情だったらもう本人にはどうしようも無いよ。鈍感になるくらいしかないよ。女に生まれたかったなんて考える潔癖症気質の繊細クンは実際に女に生まれてたらもっとドツボにはまってたと思う。(そういう性質の人にとっては)男に生まれてラッキーだったと思うよ。

宮台:アキバ殺傷の書き込みを見ると、「顔が醜いからモテない」それが彼を絶望に追いやっているが、これはありえない勘違いナンパカメラマンは平均的な顔で、イケメンはむしろ女性に警戒される。

ですよねー>「イケメンはむしろ女性に警戒される」

女の行動原理は自らに向かうナルシズムであり、イケメンはナルシズムの妨げになる。話は逸れるが、女性描写でこのナルシズムを正確に書いてあると、やるなこの筆者と思う。男から見た俺が女だったらこうだろう描写が多すぎるから。「顔が醜いからモテない」はその典型例だなー。お前が顔重視だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるんだろ。

武田キャリアウーマン女性は・・ネタなのか、自分を負け組定義していたりはするようだが・・

宮台:あれはむしろ女子高文化的、「他とは違う自分」肯定の身振り。

宮台うぜーーー。お前が負け組語りをするとしたら「他とは違う自分」動機しかありえないってだけだろーが。まさに手前が○○だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるメソッド発動中。女で高学歴高収入キャリアってのはヒエラルキー的には下がるんだってば。履歴見ただけで高慢で嫌な奴だと推定されるからお腹見せスタンスではじめてバランスがとれるんだよ。お笑いで生きづらさを解消してるんだよ。他にもピエロ役いっぱい買って出てるって。そんなん現代を生きていたら嫌というほど分かるって。

森岡:事実婚というカテゴリーはどうなっているのか。ヨーロッパでは事実婚が大きな位置を占めている。

森岡:婚活とか言われているが、法律婚にすぐ結びつくのは危険。男女の関係、いっしょに生活をする観点から考えれば法律婚だけが結婚ではないはず。法律婚一種類を前提にすることが少しおかしい。もっと多様な結婚形態があるべき。

法律婚とか待ってるから少子化とかするんだよ。もっと婚外カップルやその他のパターン婚外子を想定すべきだよなあ。そんで授かったもんは全部有難く育てればいい。産む人と育てる人が別でもいいよね。養子制度がもっと普通になってさ。

森岡:「草食系男子の恋愛学」は恋愛のススメではない。今の社会は「恋愛しなればならない」という言説が振りまかれすぎている。その言説によって苦しんでいる男女がたくさんいる。それは問題で、「恋愛しなければ一人前じゃないというのは嘘だ」というのは前提として・・。

森岡:私の若い頃はモテず、好きな女性からは必ずフラれていた。それでも恋愛したかった。肉体的な欲求もあったが、もっとメルヘンチックな感じの欲求があった。

森岡:非モテの場合問題になるのは劣等感。誰かと比較して、だからオレはモテないんだと。

どうでもいいけど非モテとか草食系男子(予備軍)とかは非モテ同士でくっついて慰め合って、必要ならセックスもそこですればいいのに。お互いに一番よく分かってるじゃんね。メルヘンチックな欲求も劣等感も。そんなもん他人に向けんなよ。

森岡:それは微妙で・・。世界的に見ても「男たるもの、マッチョたれ」という言説があふれてて、「草食系でもいい」というメッセージはあまりない。だから私はそういうメッセージを投げたかった。

森岡:僕の場合草食系だったけど、モテるためには肉食系にならなけばならないと思って、筋トレしたり、マッチョに付き合ったりしたんだけど、結局アイデンティティークライシスに陥った。

読めば読むほど自分(達)で完結すべきで、他人を巻き込むなよと思うんだが。森岡はストレートに先輩非モテから後輩非モテへのメッセージだけしてればよかったのに。なんでそこで女を介さないといけなかったのかね。対象にされた方は気分悪いよね。

森岡:私の場合は思春期の頃、自分が男として生まれてきた事がどうしても肯定できなかった。今だからその感覚言語化して考える事ができるが。社会は男にマッチョたれとずっと言って来た。稼げ、戦えとか。それも疑念だったがそれとは別に、男は汚いと思っていた。すね毛は生えてくるし夢精はするし、肯定できなかった。

宮台:僕もまったく同じで、自分が女の子だったらよかったのになと思っていた。小学校の頃、女の子とよく戯れていて、男子中高で女の子と接しなくなって、大学に入ったらショックを受けた。合同サークル女の子達は男に色目を使う性的な汚い存在だった。

再び女の子になりたい発言。しかしこの発言、この2人の対比がよく出てるな。どっちかというと森岡氏の方が付き合いにくそうな。こういう思考が内に篭るような、なんかあると全部自己帰着させちゃうタイプの人は扱いにくい(哲学者なんで本業のためにはいいんだろうけど)。女なんて汚ねーとか言って外に出してしまう方がまだ健全な気はする。

森岡:社会男の子はかくあるべし、と言って来たし、いつのまにか女の子もそれを内面化してたのかもしれない。僕は今でも女の子が2人で手を繋いで歩いてるとこ見ていいなぁと思う。男同士じゃ出来ない。

そんなこと言わないで非モテ同士で手をつないで歩けば世の中も平和になるのに。その代わりこっちも一切の男性性を求めないから。

宮台:デートレイプの話ですが、今は彼氏彼女がいてもメルトモがいたりする。束縛男の場合、疑心暗鬼になって相手の携帯を見る。30分おきに居場所を報告させる。自分がいるところの写メを送らせる。そんな監視状態に置かれた女の子がどんどん増えている。それは暴力的で、女の子開放してあげたいと思うし、男の子も不自由だと思う。監視を承認の代替物として受け取っている。そんな男の子にどう言えばいいのか。

いや宮台それはちょっとレア事例すぎだよ。それになんでこれがデートレイプなんだ?いくらなんでも言葉を軽く使いすぎじゃないの。

宮台:(略)ずっと監視して汚いものにさわらせないのがイノセンスだ。というのは僕に言わせるとステージが低い。

ステージ(笑)前後で言ってることは間違っちゃいないけど、それ以上に、こういうことを高いだの低いだので発想するのがそもそも「ステージが低い」わ。陳腐過ぎて眩暈がする。このひとホントに言論人かね。想定読者を意識して意図的に言ってるんだとしても、読者を馬鹿にし過ぎな印象。

かしこ引用しながら偉そうに言いたいこと吐くid:**********メソッド(各自好きなidを入れてお楽しみください)ってうざいな。我ながらキモいものを書いてしまった。

追記

はてブを見たら、追記をしておく必要を感じたので。

この記事を書いた自分は、射精や男の体そのものが汚いとは全く思わない。しかし「思春期男子が」「射精をする自分は汚い」と思う、そう思ってしまう子が一定数いるのは無理もないと思う。そして自分の欲望を汚いと思いながらそれを向けるとき、向けられる側としてはどうしようもないということ。欲望を持つ側がそれを汚い欲望だと思えば「汚い欲望を喚起する汚いわたし」になるし、そう思わなければならないで済む。

2008-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20081016211711

本能」としか言いようがないくらいコントロール不能な性欲を持ってる男もいれば、まったくそんなこと感じない男もいるってことなのかな?

それぞれの男は「男はこんな生き物だよ」とわかったつもりになってるが、実は想定している男性観はまったく違っているって感じ。

2008-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20080714201949

感じない男の人曰く、男性射精そのものに快感は無いらしい

は?何言ってんの?

感じない男の話をなぜ男全体に一般化すんの?

論理ってわかる?

2008-02-27

Scrub for the freedom.

射精に関するチラ裏。長いよ。

射精神話:出されるだけの女たち - 手記

d:id:nichijo_1の元エントリで問題にされている「射精=イク」なのかどうかは、「イク」の定義が難しいので置く。

オーガズムの有無を論ずる前に、セックスについて語る前に、射精そのものについて、もっと語られなければならない。

射精快感度を考える際、古き良き歓楽街の、客引きのオバサンの

「お兄さん、ちょっとスッキリしていきなさいよー」という台詞のうちの「スッキリ」という言葉がそれを見事に表していると思う。

何からスッキリするのか。ここは「感じない男」を参照したい。

まさに男は射精によって「男という性に対する自己嫌悪感」からスッキリと逃れるのである。

女子高生のソックスに、近所の奥さんの胸元に、コンビニの店員のお姉さんのポロシャツの脇からちらちら見える白い布地に、

d:id:soulfireの胸に……そういったものにいちいち一喜一憂する、そんな、男に特有の欲望からいっとき自由になる、

唯一の手段が射精だ。

ライヒの言う「嫌悪感をともなう排泄」というのは、それが一種の排泄行為であるというのはその通りだが、正確でない。

ライヒなんて全然読んでいないのだが、放出嫌悪感を伴う、という言い方は、嫌悪の対象から自分自身の性、

男性自身を切り離しているところに違和感がある。また、単純な女性嫌悪と受け取られる可能性がある。

そうではなくて、いわば(男という)性に対する嫌悪感そのものを放出する行為が射精なのだ

「性への自己嫌悪感を精子とともに排泄する行為」が射精である。

しかも、男性の場合はそれがまさに性行為そのものであるところに、男性の性の複雑さがある。

射精する前の自分」と「射精した後の自分」、どちらが本当の自分なのか、どちらが本当の「男性たる自分」なのか、

それに答えることは難しい。

(しかし決して、幸せ射精がない、というわけではない。)

つまり、射精快感は、満足感や充実感と似てはいるが、異なるものだ。

満足感や充実感は、その射精に、何らかのヒトやモノといった存在を介して様々な意味付けをすることで、初めて得られる。

決して射精そのものから満足感や充実感が導かれるわけではない

しかしどん射精にも「解放感」だけは存在する。そして射精快感は一瞬だが、解放感だけはその後も持続するのだ。

その「解放感」は「敗北感」や「諦観」に近づく場合はあっても、「解放感」というだけの快感はある。

だからどんセックスでも女性は「出されるだけの女」とか卑下することはないが、その場合、

男性はあなたから解放されるためだけセックスをしているという、より残酷な可能性がある。

極論する。男は快感のために射精するのではない。自由を手に入れるために射精するのだ。

何から?男から、女から、そのセクシャリティから。

2007-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20070819231011

ふーん。

この前彼女としてて、「生でして」と言われた。なんでと聞いたら、「だって感覚が全然違うんだもん」と答えた。

ま、いろいろわけありなわけだけど、「ほんとうはあなたと子どもをつくれたらいいのにね」と言ってくれた。若い男だとどんびきなんだろうけど、俺はうれしかった。いっしょに子どもを産んで育てたいという気持ちになってくれるのは、最高の愛だと俺は信じている。

ま、余談だけどその彼女とはペニスとヴァギナのあたり方で気持ちよさがどう変わるか研究している。これは案外面白い。結局体位を変えたり、足の位置を変えたり、グラインドの仕方を変えるということは、どこを刺激するかといことにつきるのだと身体でしった。

うまくいったときは、すでにシーツ潮吹きのおおきなシミを作れたし、座位でやっているとき彼女の中でペニスの上から熱いものがおりてくるのがわかった。彼女自身もいずれも初めてだと言っていた。「女は男に合わせて身体や感じるところも変わるんだよね」と言っていた。

本当だと思う俺は単純すぎるのか?

感じない男の話とか聞いたけど、男の側が女の喜びを自分の喜びと感じられるかでセックスって全然意味が違うんだろうなとか、思う俺はやっぱり年よりなんだろうな。

2007-03-17

自殺の値打ちもない

1、早漏、性器短小になやんでいる男。

2、大学受験に失敗した男

3、ローリング・ストーンズをきいても何も感じない男

4、イボ痔になやむ男。

5、なんとなく人生がいやになった男。

6、パチンコをやりすぎて叱られてばかりいる男。

7、「センス(意味)とは? ナンセンス(無意味)とは? 体系化された思想は意識の私有化にほかならず、一九二〇年以降体系化されたイデーは常に歴史的に体制の補完物にすぎなかった。われわれはナンセンスに走る傾向をもっていたことを自己目的的に追求し自己のブルジョア限界を感じ…」(原文のまま)、こうした問いつめ方ばかりしている男。

8、童貞処女

9、低所得労働者

10、まだフカヒレスープを飲んでみたことのない男。

11、女の子に「愛してるわ」といわれたことのない男。

12、高倉健映画をみて「うらやましいなあ」と思っている男。

13、公金使い込み、倒産、生活苦などをかかえた男。

14、水虫治療中の男。

 
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