はてなキーワード: 思い当たるとは
素人では手に負えないから行政に任せよう!一切関わらないのが正解!!って、確かに正論ではあるんだがなあ…とひたすらもやついていた。
人手不足やら何やらで子供の福祉について行政の手が(地域によっては、だが)回ってないのは散々言われてるし、
行政に働きかけて体制を変えていくにしても、今そこにいる困難を抱えた子は結局切り捨てられるしかないんだろうか。
自分自身所謂「ちょっと変な子」として捉えられるような振る舞いをしてしまう子供だったので(放置はされてなかったが、親自身子育てをよく分からないまま雰囲気でやってたんだろうなと思い当たる部分はちょいちょいある)、なんだかちょっと他人事には思えないんだよな…。
大昔は麻なんて誰もが育ててて、6 ~70年代ならどこのバンドでも誰か一人は麻薬漬けの人がいたもの
でも、40年ほど前から少しずつ麻薬をする学生は減ってて、ここ20年ぐらい、社会で麻薬する人を見かけることもほぼなくなっていた
それがここ10年くらい?若者が20年ぶりに麻薬をするようになりだしたんだよ
自販機にも麻由来のものが増えているし、確実にここ数年で急な大麻ブームが来ているように思う
でも何で?
それが思い当たらない
大麻なんて遥か昔からずーっと今でもあるものだし、それが急にヒットしたような記憶もない
とすると増田が疎いyoutubeとか、動画関係か、SNS関係か?と思うんだけどわからない
なんで急に大麻はやってんの?
誰か思い当たることあれば教えて
昔は麻雀なんて誰もがたしなんでて、20年以上前ならどこの大学でもサークル棟とかで麻雀漬けの人がいたもの
でも、20年ほど前から少しずつ麻雀をする学生は減ってて、ここ10年以上、学内で麻雀する人を見かけることもほぼなくなっていた
それがここ1年くらい?大学生が20年ぶりに麻雀をするようになりだしたんだよ
ガチャガチャの景品にも麻雀牌のものが増えているし、確実にここ1年で急な麻雀ブームが来ているように思う
でも何で?
それが思い当たらない
麻雀マンガなんて遥か昔からずーっと今でもあるものだし、それが急にヒットしたような記憶もない
とすると増田が疎いyoutubeとか、動画関係か、SNS関係か?と思うんだけどわからない
なんで急に麻雀はやってんの?
誰か思い当たることあれば教えて
昨日Twitter見てたら強迫性障害で拒食症になってしまった漫画(https://x.com/mamimumemotsuo/status/1741036833860129034?s=20)が流れてきたので読んだ。
かなり思い当たる節があったのだが(自分の中に“神様”がいる/触らないと不幸になると思ってしまう など)、この方ほど日常生活や心身に支障をきたしてはいないので、まだ自力で治せる段階かも…?と思ってしまう
私は触りまくらないと、というより特定の箇所を特定の回数触らないと…という感じで、そういった儀式のようなものが日常生活に組み込まれている。あと数字に対してすごいこだわる。理由はちょっと恥ずかしくて書けない(恥ずかしいと思うほどおかしいのは自覚ある)。具体的には顔を洗う回数とか前述の儀式のときに触る回数とか。
もしかしたら強迫性障害とは違うなにかかもしれない(私はその一歩手前のあたりでは?と調べているうちに思った)/そもそも思い込みの可能性も含めて怖くなってしまった。
儀式があることが当たり前だったがその漫画を読んでから普通はしないことだよな…という当たり前のことに気がついて、辞めれるなら辞めたいが、それをしなくなることによって不幸になるのでは…?という観念は残っているのでやはり診てもらったほうがいい気もする。わからない。結局、昨日の夜に漫画読んでそう考えたあとも儀式をしてしまったし。
↑上記内容を書いたものですが、今日やはりちゃんと話し合わねばと思ったものの、流石にこの増田をそのままコピーするのは憚られたため、
「セックス中に上の空な感じが気になる」といった内容を旦那に文章で伝えたところ、返信が来ました。
それによると、
「○○(私)が最近子供たちへの当たりが強すぎて気になる、それで集中できない」
本人は自覚してなかったものの、恐らくそんな気持ちをゲームの話で紛らわせてたのかと。
あっこれ完全に私のせいか……ってなってメンタルがマリアナ海溝どころか地球の反対側に突き抜けるレベルで落ちてしまい、しばらく寝室で完全に放心状態になってたわけですが、その雰囲気を察したのか子供が明らかに不安定になってヒスりだし、どう考えても自分のせいなので慌てて落ち込みモード解除、なんとか子供も落ち着いてくれました。
結果自分がゴミクズすぎて起こした今回の騒動でしたが、年始から自分の未熟さと向き合うことになって結果的には良かったのかと…問題はセックスじゃなくてもっと別のところにあるのをあらためて認識した出来事でした。
あとは子供たちと旦那に全力で反省をしていく日々になると思います。前回コメント下さった皆様ありがとうございました。やっぱり話し合いは大事だね……猛省です。
むかし真面目系クズって言葉があって、それを聞いたときに「受け答えは一見真面目っぽいんだけど冴えなくて仕事ができないクズ」を上手く言語化したなぁって感心したんだけど、クズに対して真面目という言葉を使うのに抵抗があったのかイマイチ定着しなかったんだよな。
その後継に近いのがチー牛だったように思う。海外だと童貞歩きってのがあるけど確かに所作からして気持ち悪いんだよなアイツら。後ろから見てもわかるもの。
チーズ牛丼特盛って台詞もいいんだよ。大人しくて内気そうなのに食欲や性欲だけは人並み以上に持ってる気持ち悪い感じがよく出ている。最近話題の食いつくし系の男に通じるデリカシーの無さも暗に表現できていてスキがない。
そもそもチー牛のイラストに似てるってだけなら別に悪口じゃないでしょ。特別ブサイクでもないし。でもみんなああいう顔のキモい陰キャに思い当たるフシがあるから悪口になっちゃうというね。ほんとすごいイラストだよ。大好き。
社会人になってからコツコツと貯金し投資をして43歳になって4000万ほどになった。
上を見たらきりがないという意見は重々承知している。しかし、金がない。という考えが湧いて出てくる。
特に芸能人やユーチューバーの年収を見た時や、〇〇の発行部数が何百万部突破とかの記事などを見た時。
嫉妬とともに普通に働いている自分がとても無駄なことをしているように感じ、足りない感が増してくる。
増田たちは、こういった考えとどうやって折り合いをつけているのか知りたくて、慣れない文章を書いてみた。
どうやって楽しく生きているんだ?
これは一応わかっている。もともと俗にいうミニマリストで物欲に乏しいので、必要な額は月に10万くらいしかなかった。
増えてもまったく使う予定はなく、なぜか足りないという感覚が襲ってくるんだ。
ググったが思い当たる節がある。普段は大丈夫だけど、足りない感がくると何も手につかなくなって、
金のことだけで頭がいっぱいになる。病気かもしれないな。
同じ役割の担当者にも何人かいるけど、それぞれふわっとシルエットと声の質だけ覚えてる
こないだ、そういった業務上のやり取り相手から、マジマジと見られたような気がした
ん?と思ってこちらも見返した
それ以上は相手からは特にリアクションもなく、なにかおかしなことをしただろうかと考えたが、思い当たることもなく、そのまま忘れた
その後にその担当者と何度か顔を合わせる機会があるのだけど、妙にお互いぎくしゃくしている気がする
少なくとも自分はそれだ
相手がNPCではなく人間に見えてしまって、適切に人間相手に振る舞わなければと力が入ってしまうというか
こういうふうに感じると、良くも悪くも人見知りと苦手意識が出てきてしまう
早くNPCに戻って欲しい………
公開御礼という言葉が書かれた紙をおじいさんが勝訴みたいな感じのポーズで見せびらかす姿が右側に描かれていて、左側には正面を向いた黒髪ロングの女の子が描かれている絵が、透けるスマホカバーに挟んでる人がいて、なんの漫画あるいは誰が絵師か気になりました。ちなみに女の子の画風は遠目なので、なんとも言えないですがなぜか横槍メンゴのクズの本懐かレトルトパウチで見たことあるような感じの女の子に見える画風でした。
写真があればわかりやすくなったと思いますがさすがに盗撮するわけにもいかず…
この手がかりで思い当たる漫画等あったら回答よろしくお願いします。
「アイドル」が優秀賞を外したことで侃侃諤諤のレコ大だが、ひとつ思い当たることがあってタイトルの通り調べる
先に書くが説は不成立でした
現在どうなっているかは調べていないが、ドラマの主題歌等は権利者としてテレビ局が名を連ねることがたまにある。バンドスコアにドラマ主題歌が入ると、コピーライト表記にテレビ局の名前がしれっと書いてあったりする
あと特別賞に「呪術廻戦」が入っているし、問題の「アイドル」は作曲賞を受賞している(YOASOBIは特別国際音楽賞受賞)。
TikTokで人気が出たらしい。そもそも2020年配信で今年になってようやくアルバムに収録された。発売時にそれらしいタイアップがない
テレビ朝日系列「日曜の夜くらいは…」主題歌 つまり説は正しくありませんでした さらに言うと配信リリースで物理リリースがないので、「オトナブルー」が今年ようやくCDになったから受賞したのかな?というのもない。"TikTokで話題"の中国に尻尾振り説まで出てくるぞこれ
こちらも配信。USJのハロウィンイベント合わせで制作されたと記憶している
新メンバー初のMV参加など、グループ的にはトピックたっぷりだが、シンプルな新曲リリース
K-POP。こちらも本年リリースではない。ちなみにグループは特別賞。露骨なK-POP推しじゃねーか!と俺も言いたいが、界隈の熱で押し上げられた純烈がいるので微妙。2組目が出たら考えよう
半分K-POP半分吉本のダブル手回しとか言われてそう。さっき言ったことについてはまだ1.5組目だしめんどくせえなこれ この曲はシングルのカップリング
昨年8月リリース。というかimaseは物理リリースがない。一応instrumentalがタイアップしたが後付け
演歌枠
アニメ外しの評価もやむなし、といえる一方露骨なK-POP押しも微妙。なんというかレコード大賞の関係者がそれぞれ知ってる良かったものだったり人気っぽそうな作品やアーティストを集めたようなラインナップだな~というなんともネットニュースの過熱とは真逆の「そんなもんだよこういう賞は」という考えに至った。TAMA映画祭とかブルーリボン賞みたいな同好の士が集まってたたえてるようなもんだなあと思う
テレビ中継するもんだからこんだけやいのやいの言われるだけで、これを見る限りでは「新聞記者」を選んだ日本アカデミー賞よりかはよっぽどマシだなというのが自分の所感です。バズって燃えてるだけ。以上
普段は都会と呼べる場所で暮らしているが、常に何かに急かされているように感じる。
行き交う車、人がすし詰めとなった電車、道を歩く人の群れ。仕事では8時間以上パソコンの前に座り、仕事の関係者とのやり取りをメールやメッセージツールで延々と続ける。
仕事が終われば終わったで、SNSや動画サイトでぼんやりと情報を見つめ続ける。就寝しようとベッドに横になっても、気がつけばスマホを触って取り留めなく情報を探している。
脳が、心が落ち着く暇がない。
プライベートの時間にパソコンやスマホを触るのは自業自得ではある。だがそれもストレスからの逃避行動だ。情報に触れすぎて疲弊したストレスで情報を眺め続ける。スマホ中毒、PC中毒と呼ばれる症状なのだろうが、冷静に考えてみると末期感が半端ない。まるで泳ぎ続けなければ死んでしまう回遊魚のようだ。
そんな風に家ですら心が安まらないので、街から離れ自然の近くまで来た。
少し長めの休みを取って。
寂れた温泉街は良い。人も車も少なく、営業している店も少ない。刺激が少なく、やることもない。精々が温泉に入るか、散歩をするくらいだ。
沸き立つ源泉の湯気や、しとしとと降る雨粒を眺めていると、どれだけ心が疲弊していたかに改めて気付く。
ずっとこうしていたい。働くことに、普通の人として生きていくことに疲れた。
そういった生き方もあるのだろう。臆病過ぎて、今の生活から離れることが出来ないけれど。
他の人達はどう耐えているのだろう。苦しくないのだろうか。凄いなぁ。
こんなゆったりとした時間を子供の頃にも過ごした覚えがあるな、と記憶を掘り返してみると思い当たる思い出があった。
あれだ、正月の祖父母の家で、こたつに入りながら面白くもない正月番組を見ていた時の時間の流れかたと似ている。当時は退屈で仕方が無かった時間を、こんなにも貴重に思うようなるなんて。随分と歳を取ったものである。
しみけんが「手で刺激与えてから勃起して射精するのはふにゃちん射精の原因になる」みたいな事言ってて、それの対策として理想なのが「妄想、想像の力だけでガチガチに勃起してから手淫」することらしい。それによって刺激を伴わずに勃起できる回路が育って、ギンギンのまま射精出来る身体になるらしい。
仕事で疲れてたり、休みの日やることが多く、気づけば最後に社製のは8月だったと記憶している。
早速俺は色々想像した。昔好きだったAV、行きずりで寝た女、セフレとのセックス。
……全く勃たない。チンピクどころか、わずかな膨張すらない。
ぐったりしてやがる。
散々息子のこと放置しておいて、今更心配して父親面すんなってことか?
ひょっとして俺EDになった?
「母の仮面がしんどい」とか、「母になる前の自分に戻りたい」とか、母親として押し付けられるアイデンティティに対する辛い心情の吐露が、度々話題になる。
私もそのような言説を見聞きして、自分も子供を持つとそのような息苦しさを感じるようになるのかとぼんやり思っていたが、実際に子供を持ってみても全然そんなことはなかった。
育児休業を取得し、1日のほとんどを育児時間に費やしても、私はずっと私のままだった。日常的に二人称として「お母さん」と呼ばれるようになったが、それは想像以上に私の自己感覚に影響を及ぼさなかった。
なぜだろう、と考えてみると、複数の要素に思い当たる。思考の整理の意味で、要素を書き出してみる。
ちなみに「母の仮面」がないことと子育ての大変さは無関係である。夫婦双方の実家が頼れない状況で、それなりにハードな毎日を送っている(抱っこのし過ぎで膝が曲がらなくなってきた)。
自分の母親(絶縁状態)の育児が思い返せば思い返すほどひどいものだった。なので「自分の親は偉大だった」と気づいて自分の育児のハードルが上がるようなイベントが起きない。この点に限っては、自分の親は偉大なのかもしれない。復縁するつもりはないが。
母親になって以前のようにファッションが楽しめなくなったと嘆く人は少なくないかもしれないが、普段からノーメイク&カジュアルファッションだった私は子供を持つ前と装いがほとんど変わらなかった。せいぜい立ったまま脱ぎ履きできる機構がついたスニーカーや、立ち回りに便利なボディバッグを導入した程度(これらのアイテムも元々物ぐさな性分によく合っていた)。
むしろ子育てしながらメイクやネイルもキマっている人ってどうやっているんだろうと恐ろしくなる。
自分の家庭環境が劣悪だったので、子供を持つ前に子育てについてしっかり一度勉強しておこうと思い、社会人になってから保育士の資格を取った。
そのおかげか、子育てに対する姿勢に「保育者」としての目線が入り、一歩引けているのかもしれない。
「この子には私しかいない」ではなく、「この子に対して、この社会では第一義的に責任がある」という感覚。
保育士の資格勉強を通じて、歴史上たくさんの大人たちが子どもの権利を守るために力を注いできた、ということを知られたのは本当に良かった。自分もまたそのような大人でありたい。
家庭環境が最も悪化していたときに禅の思想に出会い、そのときの感覚を今でも大事にしている。
言葉にすると浅学さが滲むが、「本当の自分」という考えに執着しない姿勢でいる。「子どもを持つ前の自分が本当の自分」という考え方そのものが、私にとっては自然でない感じがする。
もちろん、「子どもを持った自分が本当の自分」という考え方も同様である。
これが一番大きい気がする。
自由時間が大きく減る中で、SNSを見る時間が圧倒的に減った。代わりに子どものために外に出かけて、自然に触れることが増えた。もともと植物が好きな自分にとって、大きくプラスとなる変化だった。
絵本を借りるために図書館に行く日も増え、子どもと楽しむという名目で様々なジャンルの図鑑を借りたが、予想以上に知識欲が刺激されて面白い。
SNSから離れたことで、趣味の絵もマイペースに自分が描きたいように、ができるようになってきた。増田に長文投稿するようになったのも子どもが生まれてからだ。
趣味嗜好に関しては、むしろ子どもが今まで被ってきた仮面を捨ててくれた、という感覚がある。これは子育て固有の変化というより、広い意味での「自分に気づきを与えてくれる人物との出会い」だと思う。
これを書いている隣で子どもが寝ている。保育園に入って「〇〇ちゃんママ」と呼ばれるようになったら、また心持ちも変わるんだろうか?