はてなキーワード: 微分可能性とは
三角関数やその加法定理を教える事や測量などへの応用を教える事まではいいとしておいて…
数IIIや数Cまで学習する高校生には三角関数の微分(と積分)まで教えるのが当然という風潮があるがそれでいいのか少し疑問はある
というのも三角関数の微分というのは高校生が学習するには難しい部分が多分に含まれているからだ。加法定理より難しい
まず sinx/x=1 (x→0) さえ証明できれば加法定理を使ってsinxの微分が分かり
その後に他の関数の微分可能性や微積分が求まるのは事実である。しかしsinx/xの極限については証明が中々難しい
S^1を合同変換群の制限と同型になるような群とみなして実数群R^1からS^1への準同型のパラメーター表示として与えられるものやその亜種が
sinx,cosxの幾何的な定義であり高校数学の三角関数もこの類に連なる定義を採用している。この場合はsinx/xの極限は直ちに求まるものではなく
高校数学の範囲で証明しようとするとうっかり循環論法になる事がある。証明が台無しになるのを避けるのが中々難しいのだ。
一方で代数関数の積分として逆三角関数を定義してそこから三角関数を定義する流儀もあり、高木貞治の解析概論ではこの定義を採用している。
この場合は微積分はほぼ自明なものとして導かれるが上記の幾何的な定義との同値性を示さない事には
三角関数の幾何的なお話が全く出来なくなってしまい教育として足りなくなってしまう。
このように三角関数はどのように定義しようが微積分が難しいか幾何的な性質との関係を示すのが難しいかの何れかの困難が立ちはだかる物なのである。
そこを曖昧なままにして大雑把に教えるやり方もあるが、その場合は当の高校生達に「数学が厳密な学問ってギャグなの?」と笑われても仕方ないものになる。
結局どうすればいいのやら…
「一致の定理」とは、ある条件(正則性)を満たす2つの関数が、ある条件(集積性)を満たす無限個の点で値が一致すれば、定義された面全体で値が一致するというもの。
つまり、いくら無限個と言えども、点でしかない値の一致が面全体にまで拡張できるのだ!!
この驚きがわかってもらえるだろうか。
「一致の定理」とは、微分可能な2つの関数がいっぱいある点で同じ値になるなら、全体で一致している、ということを言っているのだ。
これは例えば、ある日同じ行動をする2人の人間は必ず、これからもずっと同じ行動をしている、みたいなことを言っているのだ。
ある期間の行動をトレースするだけで、一日の行動がわかってしまうようなものなのだ。
そして、その「期間」はいくら短くてもいい。いくら短くても、その「期間」には無限の点が含まれるからだ。
つまり、行動が一瞬でも一致したら、その2人はもう永遠に同じ行動を共にすると言っているようなものだ。
「一致の定理」とは、本当に驚きの結果だと思う。
数学書に書いてある日本語は全て完璧で論理的であるかような気がするが、たまには上記のようにしれっと面倒を避ける人間臭いところもあったりする。
上記の言葉は、複数回の微分や偏微分、微分形式などを説明するときに、微分する関数等が何回微分可能なのかをいちいち書き記すのが面倒だから、細かい説明を避けるために使う用語。数学書ではわりとよく出てくる。
でも私なんかは人間関係にこそ必要なだけ微分可能性(ある種の滑らかさ)を仮定して、そうであれば解析しやすい相手の心を数学のごとく計算して易々と生活したいものだと常々思っている。
例えば、相手の心が十分に滑らかであれば、ある時点で微分してテイラー展開できる。そうすれば、相手の心というあんな複雑な関数でも多項式で表せる。
まだ無限の多項式ではあるが、十分なレベルの項まで取れば後は誤差項として切り捨てられる。あんな面倒な相手の心というものが、こんな単純な式に落とせるなんて!
それが普段できないのは微分可能性が証明できないから。読者なんてまさにその典型例。微分可能性を仮定するあの言葉も、そんな叫びを隠したものなんだろうと私の心で思ったりする。