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2020-07-05

anond:20200705184911

にっ き [0]【日記

①日々の出来事感想などを一日ごとに日付を添えて、当日またはそれに近い時点で記した記録。古くは「御堂関白記」「玉葉」「明月記」などが著名だが、職掌上交替で書き継がれた「御湯殿上日記」などもある。日誌。にき。

②「日記帳」の略。

2015-07-09

輯佚

プリンプリン物語』というNHKが生み出した古典的人形劇がある。

この『プリンプリン物語』。初めの二年間分のマスタービデオテープ現存していない。

1970年代当時、NHKであってすらビデオテープを上書きして使っていたからだ。

1000年代を生きた藤原道長日記御堂関白記』は、すべてではないが自筆原本が子孫の近衛家に伝えられた。古い時代の写本もある。

道長と同時代人、藤原実資(さねすけ)の日記『小右記』は原本存在しないが、過去、様々な公家重要性を感じ、書き継いでかなりの分量が現代に伝わる。

御堂関白記』『小右記』は伝本の種類や、文字の異動などが網羅的に調査され、今では東京大学史料編纂所ウェブサイト全文検索なんかができたりする。

刊行本である大日本古記録』シリーズリンクされていて、図書館とかに行かなくても道長や実資の記録にアクセスできる。

話を『プリンプリン物語』に戻そう。記録と言うものは簡単に失われる。

電子化が進んでもそうだ。今フロッピーデータをすぐさま利用できるだろうか? 営業を止めたウェブサービスが(インターネットが生まれたかだか十数年の間に)どれだけあっただろうか?

改めて、記録と言うものは簡単に失われる。しかし。

2000年代後半からNHKは『プリンプリン物語』の失われた話をビデオで録画して今でも持っている人を探している。他にも捜索願が出ている有名番組があるようだ。

http://www.nhk.or.jp/archives/hiwa/boshu3.html

歴史上失われ、現在では伝わらない文章逸文(いつぶん)という。諸本引用された文章から、失われた本体復元する作業を輯佚(しゅういつ)という。

1000年前の道長や実資の記録はもちろんだが、たかが数十年前の記録に対しても輯佚は行なわれうる。

そして重要なことは、実は私たちデータの断片を持っている可能性がある点だ。

偉そうな言い方だけど、歴史を記録し後世に伝える機会が、もしかしたら私たちにもあるかもしれない。

こんな文章書いているからわかる通り私は歴史好きだ。でもこういう現代のやがて歴史になっていく部分を記録する、っていう営為結構好きだ。

今の時代も1000年後には1000年前になってるわけだしね。

2014-11-01

平安時代無能公卿藤原顕光

つの時代にも仕事ができないやつがいる。

から1000年前、教科書で習う藤原道長時代にもそんなやつがやっぱりいた!

その名も、藤原顕光。

こいつはひどい。

道長日記御堂関白記』や、有職故実に通暁していて『小右記』という日記を残した公家藤原実資から馬鹿にされまくる。

曰く「こいつの儀式でのミスを書いていたら多すぎて筆の毛が無くなるわwwwwwwwwwwwwww」とか

曰く「こいつはアホ中のアホである」とか。

少なくとも日記を読む限り、諸卿から笑われる人物であったことは間違いないようだ。

藤原顕光と藤原道長はいとこの関係だが、実は顕光の方が兄の家系に連なっている。

から1000年前は、道長がさまざまな事情により世の牛耳を執った時代だったのだ。ここら辺はいろんな本に詳しい。

さて、本題。顕光は本当に無能だったのだろうか?

無能無能だ、と笑った側の日記しか残されていないのが問題である

政権当事者である道長は、正嫡となりうる顕光をはたして褒めるだろうか。

小野宮流という有職故実を守る立場にあった実資が、他流の顕光の挙動をはたして褒めるだろうか。

ここら辺は考えながら、顕光のことを考えねばならない。

さて現代にいったん話を戻そう。

仕事ができないやつって結構いるんだけど、割と楽しそうだ。というか上手いこと楽している。

もちろん人はそれを批判する人のだが、仕事しねえやつってのはなんだかのらりくらりそういうのをかわしながら日々生活している。

ある種タフさがある。上手いこと流しちゃうのだ。そして多少の陰口を言われたところで動じない。

仕事できない人の完成型は、ただ仕事をしない部分からのみ成り立つのではない。タフさがそこには必要だ。


1000年前に時は遡る。

顕光は散々バカにされながらも、右大臣から左大臣へ、大臣20年ほど務めている。道長の全盛期にである

顕光は道長や実資や、その他の貴族揶揄を、あまり気にしなかったのではないだろうか、と想像する。

想像をたくましくし過ぎだが、実資なんかが意識している細かい儀礼なんて、どうでもいいと感じていたのではないかとすら思う。

1000年後の私たちほとんどが実資の有職故実を全然気にしないのと同じようにね。

実は顕光は、私たちが習う教科書的、あるいは道長的な平安貴族論理とはや離れたところで、平安ライフを満喫していたのではないか、と想像させられる。

そうした仮定にたったとき、彼の眼から眺めた平安時代は一体いかなるものだったのだろうか。

 
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