はてなキーワード: 建国神話とは
例えばアメリカはとにかく自由を重んじる国だが、その根底にあるのは(実際がどうだったかは別として)圧政に立ち向かって自分達の国を勝ち取ったという建国神話だ
そのせいで政府が国民の権利、州の権利を制限する事に対して物凄く批判的な国民性を持っている
自由と平等のどちらかを選ばなければならないとしたら、自由を選ぶのがアメリカという国だ
自由でなければアメリカではなく、アメリカとは自由でなければならない
「何をもって自由であるとするのか?」という問いへの答えは人それぞれ違うはずなのに、「アメリカは自由の国」という幻想は共有してる
自由という概念こそがアメリカ人にとっての想像の共同体の核の部分なんだよ
天皇制を廃止するって事はアメリカ人にとっての自由に相当する概念なり、モノなり、制度なりを日本人が一から獲得しなおすって事だ
>エアプまるだし。
エアプ初めて聞いた。今調べた。まさに自分のこと。MMORPGはほとんど経験なくて、ドラクエXだっけ?をちょっとやってやめたくらい。
>「神話が語り継がれているのは普遍的な魅力があるから」というのと、「読者が英雄になりたい」論がまったく噛み合ってないぞ。
ここは確かに雑です。
主語が少し大きいかもしれないけれど、物語を読むときって何らかの形で、登場人物に自分自身を投影するということが起こるように思っています。異世界転生ものにしろ、神話・昔ばなしの英雄譚にしろ、何らかの形で感情委移入:投影が起こる。
神話の世界には自分を投影するというと誇大的になるかもしれないけれど、個人的な読書体験として、自分は王子でも何でもないけれども、ホメロスでもマハーラーヤナでも主人公に対するいくばくかの投影があったために物語を楽しむことができたのかなと思っています。勝手な想像だけど、ムラの長老がたき火を囲んで部族の子供たちに建国神話を聞かせるなんてイベントが、その時代には娯楽の一つであって、私がラノベを読むのと同じようなわくわく感を、その時代の子供たちも持っていたかもしれない、などと考えます。
物語を楽しむためには投影がなされる、その意味では神話もラノベも同じようであって、主人公への投影を容易にする点では、普通の人が転生して大きな力を得るという形式は、優れた構造といえるかなと思います。
>「異世界転生には神話類型が見られるから魅力的である」で済むところに、ゲーム云々を持ち出す必要があるか?
>「異世界ものが下敷きにしているMMORPG」?SAOからの流れでMMORPGの要素が一部に取り込まれているだけで、ジャンル全体に言えるような傾向ではまったくないが?
ジャンルもすべて把握しているわけではないので、この界隈の知識不足は否めないですね。
語りたいこととしては、異世界転生ものへの批判対象の一つである、「スキル、レベル、ステータス」といったモチーフのことです。これらはMMOでないRPGに起源があると思いますが、異世界転生ものが量産される背景として、MMORPGで主人公になれないユーザーのフラストレーションが、少なくとも初期にはあったと思っています。SAOはMMORPRGの要素が取り込まれているというよりは、MMORPGを題材そのものとして取り扱っているように思います。
なぜゲームを持ち出す必要があるのかというと、まさしくご指摘の通り、エアプな私が、ゲーム的な異世界転生ものをそれなりに楽しんで読んでいる傾向があるからです。MMORPGへのフラストレーションが著者の動機にある(あった)と考えているのに、フラストレーションを持つほどにMMORPG親しみを持たない”エアプ”の自分が、そこそこ異世界物を読むのはなぜなのか?それは、異世界物がライトな消費物としての、物語であったとしても、何らかの普遍的な構造を持っているのではないか?という疑問がエントリーの原点になっているからです。
>つか異世界ハーレムで挙げるべきは異類婚姻譚よりマレビト信仰だろ。異類婚姻譚を挙げるならモンスター転生などを挙げるべきだろ。
マレビト信仰も、場合によっては異類婚姻譚の亜型ととらえることはできるかもしれません。
https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/833-56.pdf
モンスターのような外形上明らかな異質性を持つ”異類”でなかったとしても、異世界ものでは異世界を訪れており、そこで生活している人を転生以前の世界と変わらぬように描いていたとしても、構造上は、転生者にとって異類であると思います。
>まあ結局は後知恵の辻褄合わせとしか思わんがな。
おっしゃる通り。異類婚姻譚をもちだしたのは、神話類型に寄せるためのこじつけ感は否めませんが、ハーレム展開とまでいかなくても美しい異性と結ばれたいという構造はやはり神話・昔ばなしと同根と思えてしまいます。
>次はロクに研究対象も読まずに文学論モドキを騙る馬鹿がなぜ出てくるのか分析してくれよ。
jungianでもないのに、神話類型を持ち出して、文学論もどきを語っても、ちゃんと読んで批評してくれるからです。ありがとう。
まず、戦術的にも後背地を襲撃するのはセオリーだ。彼らの唯一の戦訓は朝鮮戦争のそれで、すなわち緒戦に奇襲を以てすれば劣悪な装備でも南側を蹂躙でき、増援を断てばそのまま勝利できたはず、という代物である。増援の出撃基地は今も当時も日本なわけだ。ここを直接に叩き潰す誘惑は捨てがたい。
戦略的には、第一に日本が「弱い鎖の輪」であることだ。日本は異常に戦争忌避が強く、かつ自発的な第五列が何の見返りもないのになぜか反戦活動をすることが十分以上に期待できる。さらに法的な問題もこれあり、交戦・反撃能力はない。つまり攻撃を加えるにあたって一番リーズナブルなのである。総力戦時代にあっては敵国の世論を破壊することも十分に戦略目標たりえる。出血の強要によって厭戦気分を盛り上げて日本を対北連合から脱落させれば、後背地を無力化するという目標は十分に達成できる(日本はほぼ唯一戦略爆撃のみによって降伏した国でもある)。
第二には、史上核戦争が起きていないこと。まあ当然なんだが。
核保有国同士では核の投げ合いになって両者死ぬから、基本的には自制が働くし、それはコンバットプルーフを得ている(印パを見よ)。しかし、いわゆる「核の傘」はどうか。これは実証されたことがない。ましてや米は米自らも民主国家である。ゆえに、数百万の自国民を掛け金にして他国(同盟国とは言え)のために核戦争を起こすことが果たしてできるのか。ましてスイッチを握るのは自国優先を唱える男だ。
第三には朝鮮半島は南北は一応同一民族(たまたま南北の反対側は叛徒が制圧しているのであって、住んでいるのは成分最悪であるとはいえ国民)であるという建前があるうえ、北韓南鮮さらにはその後背に控える中共は反日国家だ(現状の政策はもちろん、建国神話が反日であって路線の修正はあり得ない)。最低限の大義名分は立つ上に、南に対する強力な正統性のアピールとして使えるだろう。
始まる前の予想では、どうせ美少女が銃に載って戦うだけなんでしょって思った。
このマンネリ感をいい意味で覆してくれたので、イゼッタを見るのを楽しみにしている。
まず、お姫様が良い。最近斜に構えたポンコツ姫やツンデレ姫ばかりが多い中で、責任感の強そうな正統派金髪姫が見ていて清々しい。物語が女の子中心に進展していくのは、戦争モノで緊張感があるのに食後の一服のような安心感を思えるほど。つぎに、兵器描写がミリオタに一定の評価をウケれているらしい(自分は詳しくないので評価できないけど)。戦闘アクションシーンとかも、きちんと言いたいことの伝わるいい絵が見れました。
で、このアニメを見ていて思ったことがある。イゼッタはWW2のドイツ軍とそれに抗するヨーロッパ小国を描いている訳なんだけど、日本人って本当にヨーロッパ好きだよね。アニメ絵でヨーロッパの風景を描くと、現実味より異世界感が満載になって歴史を元ネタにした暗さを全く感じさせないのが素晴らしいよなと思う。
これが、もしWW2のドイツではなく、日本だったらゼッタイにアニメにはならないに違いない。例えば、ミッドウェーで皇族(美少女)が戦線に立ち、幼なじみの巫女さんが神通力で戦艦や空母を次々となぎたおして日本軍を勝利へと導く。兵士たちは建国神話の神武東征の再来じゃーということになって、万歳三唱。これは八紘一宇エンド待ったなし!やばいでしょ、これは。