「広島弁」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 広島弁とは

2024-03-27

じゃねぇ

広島弁だと詠嘆になってしま

広島弁で「強意や罵倒をこめての否定」を表すと『じゃあなぁよ』で語尾がネコみたいになっちゃ

2024-03-15

integerの広島弁感は異常

雨がふろーとばーちゃーがいんてじゃ

雨が降るだろうとおばあちゃんが言ってた、的な?

2024-02-11

anond:20240211081348

「しちゃったん?」は「なさったのですか?」「されたんですか?」の広島弁

2024-01-28

anond:20240128181808

ウィキペディア見たら「身長は160cm位で強度の近視、足が細い、広島弁、顔にニキビの跡がある、唇が厚いなどの特徴を持つ」だって

指名手配用の情報だろうから間違いはないだろう

2023-10-18

anond:20231017122906

広島県民だけど、わざわざインターネット広島弁使うやつは気持ち悪くて嫌いだよ。

なんかマイルドヤンキー修学旅行とかで他県行ってキツい広島弁使ってイキってるの思い出す。

anond:20231014203526

まず「~やめろ」→「やだよ」で終わる話。

そもそもの話をすると言語は伝播するもの方言フォロワー不快ってなるのは

メタ認知能力に欠けたアホ

自分が該当することを考えたほうがいい。

方言アレルギー起こすよりもネット蔓延っている現実人間相手には言えない様々な罵倒語に対して反応起こしたほうが幾分か建設的だと思うんよね。

ちなみに自分は育ちはほぼ東京だが広島出身祖父母バリバリ、母は語尾やイントネーション広島弁からこれは元増田的にセーフになるのか?

こう考えるととても馬鹿らしい物差しだよな、方言はその地域出身者じゃないと話してはいけないってルール

2023-10-17

なんよ不快増田さんへ

anond:20231014203526

昨日過去一でド不快増田を見てしまって寝て起きたら忘れるだろうと思って朝見たらクソバカで愚かな元増田がゲボのような追記をしてさら不快だったので書いておく。

まず俺は愚かで浅はかな元増田が触れていた千鳥と同じ備後出身人間だ。テレビ普段見ないので千鳥がどのようなノリ・状況で「なんよ」を使用しているかは知らないが、「なんよ」はごくごく普通に日常会話として使う。なんなら方言として意識したことさえないくらい当たり前に使う。当然俺の父も母も祖父母も使う。

その言葉がどうやら非常に残念な元増田にとっては不快らしい。いや、別にいいよ不快であるとか表明しても。好きにしたらいいさ。

でもこれはなくないか

これは元々方言であって、ノンネイティブの人が使うのは問題ではないが、エセ関西弁と同じで薄ら寒いネイティブの人が使うのは別にいい。これは偏見という自覚はあるけども、私はこの言葉遣いをした時点でメタ認知能力に欠けたアホではないか懸念を抱く。


お前は一体何様なの? 『この言葉遣いをした時点で』って俺含む西日本地域のこの言葉を当たり前に使ってる人間ネイティブかどうかお前のうっすいリテラシーでは当然ながら判別ができないのだけど、「なんよ」を使った時点で他者を『メタ認知能力に欠けたアホ』カテゴリに入れるらしい。お前に十全に備わっているらしい自前の「メタ認知能力」とやらでそんな自分認知してみてくれ。

ネイティブ別にいい』とか相当腹立つし何俺が故郷言葉を使うのにお前にいちいちお伺いを立てないといけないのかとかマジでこいつ何様何目線だとかあるけどまあいいわ。

「なんよ」を使っている人は以下の点について自問してほしい

1. なぜ自分がそのような言葉遣いを選んでいるのか? 1で無意識流行り(?)の口調を真似て使ってしまっていたという人は、この機にやめてはどうか?

そうだよ。無意識家族の、地域地元の人たちがしゃべってる言葉模倣したんだと思いま〜す。やめてはどうか?だってカスが。お前今何言ってるかわかってる?

次の段も腹立つわ〜。

ちょっとアホっぽいからやめようと思わないだろうか?もしそうならば、あなた一定の状況下ではアホっぽい振る舞いをしていたことになる。自分言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか?

大学進学で上京したとき方言からかってくるやつら当然いたけど、こういうメンタルだったんだな。首都圏いるからには方言なんてしゃべったら「お里が知れる」し周囲に配慮できないのはアホなんだと。『自分言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか』お前自分の主張がある特定属性人間にどういう印象を与えるかもう少し意識的になれば?お得意のメタ認知でさぁ。

人のふるさと言葉ケチつけといて、その根拠が結局徹頭徹尾文系特有のポエティックなお気持ちに終始しているから始末が悪い。「理知的な俺が言葉の使い方について啓蒙してやる」みたいな手触りの文章ゲボ吐きそう。ダメ押しgoogleサジェスト出してくるのびっくりしたわ。ダサすぎでしょ。データ笑を用いて客観的な俺すごいって?

「ぼくだけじゃなくてぇ〜、なんか他にも気持ち悪いっていう人がいるみたいなんでぇ〜、やめたほうがいいと思いますぅ〜」

お前さぁ、「広島弁」でサジェストかけたら「汚い」とか「気持ち悪い」とか出てきますけどお前の理屈でいえば広島弁喋んない方がいいんですかね。いいんですよねきっと。

ほらほら警鐘鳴らしちゃってくださいよ、広島弁が汚くて気持ち悪いことにさぁ。

なんらかの強い理由がなければ今後は使わないで欲しい。

はーっ、てめえの根拠の浅い快不快感情はだれかが故郷言葉を使う理由にも優先されるらしい。故郷言葉を使うのに理由なんかねぇよボケ

個人で言えばべつに一部で流行りの言葉になっているらしい「なんよ」を非ネイティブが使おうがどうでもいいわ。地元方言で色々いじられたりしたことあったけど過去ここまで方言のことでムカついたことはないわ。リアルめの倍率で表現すると方言いじりの30倍くらい不快

からといって元増田は主張を取り下げることを俺は望まないです。

首都圏に住む人間がどれほど無意識無自覚軽率に浅はかなノリで傲慢地方文化を見下し、下賤なものとして見ているかを示す貴重なサンプルであり証拠なので消さずに残しておいてください。望むとしたらそれくらい。

2023-10-16

anond:20231016220713

千鳥と同じ地元出身だけど

岡山弁をテレビっぽくするとああなるのかと感心したな

大阪人がみんな吉本新喜劇みたいな感じで話すわけじゃないみたいな?のを改めて知ったというか

ちなみに千鳥出身笠岡広島との県境で、市民は基本広島側に買い物に行ったり通勤したりするので文化圏としては広島(というか福山だが)だし、言葉岡山弁より広島弁にちかい

ワイが岡山市に進学したときは「岡山の子言葉は柔らかくて上品じゃな……」と思った

2023-07-18

anond:20230718110622

いまだにゲンで覚えた広島弁が口ついて出るからコンテンツの影響はあると思うが、

良い影響悪い影響の可能性を事前検閲して選別するなんて不可能だろう。

オウム日本赤軍に影響を与えた書物を全部選別して発禁にできるか?

無理にやれば規制側の思い込みで際限なく暴走するしかない。

影響されて「行動に移した」時に、その行動を起こした人間を罰するを粛々とする他なかろう。

それ以上を求めるのはゼロリスク信仰と同じ心理だと思う。

2023-07-12

ヴォルケーノの広島弁感は異常

あそこの飲み屋はヴォルケーノみたいにぼるけえの(火山のように不当に高い値段をふっかけるからね)

2023-06-19

anond:20230619145548

千鳥と同じ地元出身だけど

岡山弁をテレビっぽくするとああなるのかと感心したな

大阪人がみんな吉本新喜劇みたいな感じで話すわけじゃないみたいな?のを改めて知ったというか

ちなみに千鳥出身笠岡広島との県境で、市民は基本広島側に買い物に行ったり通勤したりするので文化圏としては広島(というか福山だが)だし、言葉岡山弁より広島弁にちかい

ワイが岡山市に進学したときは「岡山の子言葉は柔らかくて上品じゃな……」と思った

2023-04-01

中学時代に知り合った子と再会した


当方、30代後半になる。会社員男だ。現場仕事疲れた時、帰りに自分好みの居酒屋に寄ることがある。約一年前に、そこで珍しい体験をした。あんな気分になったのは初めてだった。懐かしいし、嬉しいけど、でもちょっと怖い。ツキがありすぎて、逆にツイてないんじゃないかと思った。

実をいうと、中学生の時に柔道合宿で知り合いになった女性と再会した。二度と会えないと思っていた。思い出が記憶水槽に残っていたのを自覚した。

それは、居酒屋カウンターに座った瞬間だった。どちらからともなく「昔会ったことあるよね」「増田君だよね」「Yさんだよね」という流れになって、しばらく話し込んだ。

少しばかり、昔のことを綴ってみたい。2000年代前半のことだ。



中二の夏休みだった。当時、広島県の海の見える田舎柔道をやっていた。普段中学校単位練習しているが、隣の市にある工業高校柔道合宿があるらしい。顧問先生が是非とも参加したいと主張していた。それは6泊7日の長期合宿で、うちの中学は途中日程で二泊三日だけお邪魔させてもらうことになった。

当時は弱い方だった。黒帯には遠く及ばず、公式戦でも黒星が多かった。白星が増えつつはあったけど。不安だったのを覚えている。高校生ボコボコにされると思った。でも柔道は好きだったから、ちょっと期待もあった。


朝八時くらいに工業高校に到着したのだが、柔道場に入ると、すでに数十人の高校生と、県大会活躍するレベル男子中学生が畳の上でぐったりしていた(ランニングウェアで)。朝6時から朝練で相当しぼられたらしい。

朝9時半に柔道練習が始まったのだが、背丈が185、体重が90くらいある高校生が、「これから、午前の練習を、始めるッ!!」みたいに野太い声で開始を宣言した。今でも覚えている、とても高校生には見えなかった。『テニスの王子様』で、すごいおっさん高校生が出てくるだろ。そんな感じだった。

準備体操受け身練習を終えて、中学生だった自分達は、いよいよ投げ技の打ち込み(二人組になって技に入る直前までやる。20本で交代で、組み合わせが順番にグルグル回る)に入った。高校生と組むことが多かったのだが、レベルの差がありすぎて向こうの練習になってなかった。こちらは、綺麗に受けてくれるお陰で練習になっていたが。


柔道場には女子が何人もいた。別に珍しくはない。工業高校があるのは大きい市だったから、柔道をやってる女子はたくさんいる。うちの地区には女子は数えるほどしかいない。

その中で、打ち込み練習自分の前に立った女子(Yさん)は、ほかの女子とは違う気がした。体型は大きめで、上半身が丸っこい感じがしたのを覚えてる。

めっちゃ気が強そうだった。目の鋭さが違う、子どもって感じがしない。実際にそうだった。打ち込みで自分と組み合ったと思うと、真っ先に大外刈り(※技の解説はあまりしない。適当にググってほしい)に入り始めた。女子と打ち込みをしたのは、その時が初めてだった。なんか、男子と明らかに感じが違う。柔らかくて繊細で、リズムがあった。

残念ながら、リズムが良すぎて技の受けが噛み合わなかった。「んん~!!」という不機嫌そうな声とともに、Yさんは20本目を終えた。Yさんと交代して自分は、おそるおそる大外刈りの打ち込みに入った。

……やっぱり、男子とは明らかに違う。振りかぶった足で相手を刈る技なんだが、大外刈り相手と胸を密着させる必要がある。男子だと問題なくできるのだが、どうしても胸が合わなかった。こちらの胸板をぶつけると、反動とともに弾き返される。何度もぶつけようとするが、うまくいかない。Yさんの方から、「チッ!」みたいな舌打ちが聞こえた。正直ビビっていた。

自分はナメられやすい見た目だった。あなたの周りにも、40代ほどで小太りで、中肉中背のマッタリとした雰囲気のおじさんがいないだろうか。その予備軍みたいな中学生だった。今の妻にも「おじさんみたいじゃん」「お腹触らせて~」などと言われることがある。※けっこうな頻度でぜい肉を握られる。

打ち込みでは、その子以外の女子とも組んだ。背負い投げは背丈の関係で入りにくそうだったので、全員大外刈りにした。でも、Yさんほど入りにくくはなかった。みんな、スッと胸を合わせて密着することができた。


そんなこんなで投げ技の乱取りが始まった。ここからは男女別に分かれた。男子は40人以上いて、女子は6~8人だったかな。女子柔道場の端っこの方で乱取りをこなしていた。黒帯白帯も一緒だった。やはりYちゃんは圧倒的な強さのようで、福山市では中二にして57kg級で優勝していた。

ところで、当時の日記には「強くなれる機会だ。でも、高校生に投げられたらめちゃ痛そう」と書いていた。実際そんなことはなかった。というのも、白帯白帯だけのグループでの乱取りだった。黒帯グループを見ると、自分がいる市で一番強い体重90kgほどの男子が、細身の高校生にボロ雑巾のように背負いで投げ飛ばされていた。

その時、見てしまった。その男子が体格を活かして大外刈りに入った――と認識した時、一瞬で空中二回転半する勢いで、その高校生のしゃがみ込む背負いで畳の上に叩きつけられていた。いや、あれはもう畳にめり込んでいた。「バァーーーンッ!!」という音がしたのを覚えてる。でも不思議かな、そんな勢いで強い人に投げられてもぜんぜん痛くない。


当時の自分は、柔道が強くなりかけていた。黒帯にはほど遠かったけど。黒帯乱取りグループに入れてもらいたかった。だから、頑張って、頑張って、ひたすらに白帯中学生高校生を投げ続けた。そしたら、あっちのグループに入れてもらえるかなと思った。そんな気配はなかった。




午後は、寝技稽古だった。初めの方は先生が模範の攻めパターンを見せてくれて、二人組を作って互いに掛け合う流れだった。やがて、小休憩を挟んで寝技乱取りスタートした。自分はやはり黒帯グループに行きたかったので、必死相手を抑え込んでいた。

それで、寝技乱取りの三本目か四本目の終わりに「ビイイイイッッ!!」と電子タイマーのブザーが鳴ると、工業高校先生と、もうひとりの先生(Yさんの顧問)に呼ばれた。ほかの白帯も二人ほど一緒だった。


「おみゃーらは、次はこっちに入ってもらうけえ。君らの先生許可はもらっとる」

 ※標準的備後弁名古屋弁×広島弁みたいな感じ)だ。特に乱暴な口調ではない。


その時また、電子タイマーのブザーが鳴って――目の前にはYさんがいた。この時が、人生で一番驚いた。黒帯グループを夢見ていたのに、反対に女子グループに入ってしまった。


「お願いしまーす!!」

「……」


礼儀正しい方がYさんだ。自分は無言だった。「なんで、なんで」と心の中で思っていた。当時の感情は覚えてる。ウダウダしていて情けなかった。

Yさんや、ほかの女子との寝技乱取りを回想してみる。当時の乱取りは確か、互いに両ひざをついた姿勢スタートだ。Yさんはフツーに力が強かった。筋肉がある。男子と比べても劣らない。

で、ぐいぐいと畳に引き込まれて、コロッと転がされた。脇の下にサッと手を入れられて、そのまま横四方固めになった。こんなにあっさり決められたのは、言い訳になるがショックを受けていたからだ。

Yさんの身体越しに真上を見ると、さっきの工業高校先生こちらを観ていた。恥ずかしい気分になった。黒帯グループに入りたかったのに、とまだ未練がましく思っていた。先生が「Y。ええぞ、逃がすな」と言っていた。

その瞬間、自分は空いていた右手でYさんの黒帯の後ろを掴んだ。左手の肘を同じく太ももに押し当てて、ブリッジをした。すると、Yさんの体がきれいにひっくり返って、そのまま横四方固めをやり返す格好になった。


「あぁーーーーーもーーーーーッ!!!!」


今でも覚えてる。Yさんは本当に叫んだのだ。横四方で抑え込まれたまま、わっせわっせと両手を互いの身体の間に挟んで、腹ばいに転がろうとするのだが、当時の自分体重は65kgあった。女子の力で動かすのは困難だった。

しかし、女子を横四方固めで抑えると、両者の身体の間に空間ができることがある。Yさんの場合特にそうだった。Yさんの顧問先生も、ずっとこっちを見ていた。


「Y、あと10しかない、逃れろ!!」


先生の声が聞こえてきた。

Yさんの抵抗が激しくなって、指先を顔にぶつけてきて痛かった。人差し指が唇にぶつかって、「いてっ」と叫んだところで、ぐるりと転がって脱出された。

また、寝姿勢のまま組み合ったところで、Yさんが自ら背中をついて(いわゆるグラウンドポジション)、こっちを引き込もうとして、もちろん抵抗して――終了のブザーが鳴った。


「うん。次はこっちじゃ」


連れて行かれた先には、ほかの女子がいた。今度は白帯の子だ。小柄だった。自分と同じ市の中学一年生だった。

電子ブザーが鳴ると、両ひざを立てて組み合ったのだが、Yさんに比べると力がない。組んだ感じだと、その子体重は40~45kgだった。指先をひねるくらいの勢いで押すと、真横にコロンと転がった。よいしょっと上に乗って、丁寧に上四方固めになった。

今度は余裕があったから、「両手をお腹のところに入れて」「押して押して、空間を作って回転して~」みたいに教えていた。教えるのはおこがましいかもしれなかったが、でも、その子練習にならないから……と思っていた。

あと、一人か二人の女子寝技乱取りをした。Yさんと同じくらい力のある子はいたけど、本気でやると自分が勝った。男子女子には体力差があるのだ……。その後、白帯グループに帰された。

それから立ち技寝技乱取り最中に、たまに先生方に呼ばれて女子練習相手をした。Yさんという例外を除いて自分が勝つので、ずっと相手の実力に合わせるみたいに柔道をしていた。周りの先生が、その女子リアルタイム指導をするのを聞きながら。


さて。柔道経験者であればわかると思う。

当時は、女子と組まされて悔しい!! と感じたけど、感覚としては間違ってない。今の自分は、柔道を教える人としては約十年目なのだが、あの先生方の気持ち理解できる。あの時、あの場所ではこういう情況があった。


1.強い女子(Yさん)の練習になる相手がいない。男子と手合わせさせたい。

2.手合わせする男子候補

 ①白帯か弱い黒帯であること

 ②Yさんと同じくらいの体格

 ③女子選手性的な目で見ない、セクハラなど論外

 ④女子相手でも手を抜かない

3.白帯グループから2.の傾向がある子を抜いて練習相手にする


こんなところか。要するところ、あの先生からはこういう視線で見られていた。


増田はほどほどに弱い

・体格がそこまで大きくない(164cm,65kg)

 ※Yさんは当時おそらく163cm,55kg前後

性的に疎そう(第二次性徴が遅そう)

柔道の動きが遅い(リアルタイム指導がしやすい)


今では納得している。実際、2.の③④は特に重要だったりする(女子保護者から言われるのだ……)。

よくない人間だと、指導とみせかけて女子選手身体を触るとか、嫌な気分にさせるとか、そういうことが実際にある。一般的寝技練習風景だと、男子女子寝技乱取りをすることになった場合女子の仲間が数人単位乱取りの様子をずっと見ているのが基本だ。「セクハラは見ています」というメッセージを暗に伝えている。

また、練習環境によっては、女子選手が自ら男子選手を捕まえて乱取りをせねばならないことがあるが、女子が捕まえる男子は、概ね2.の条件を満たしている(女子選手人間なので、特定男子大人気で順番待ちということもある)。


合宿のすべての日で、Yさんと乱取りをすることになった。寝技の方はだいぶ慣れた。抑えたり抑え込まれたり、実力は拮抗していた。

立ち技が難しかった。はっきりってYさんの方が強かった。体力では勝っているが、Yさんの方がセンスがある。組み手争い(上手く組めると優位に立てる)について、Yさんは特にこだわるタイプだった。うまく組めなかった場合だと、「ああ、もおっ!!」みたいに怒り出してしまう。男性ホルモンが強いタイプ女子だった。


ところでYさんは、合宿所に自転車で来れるくらいの学校に通っていた。漫画アニメに出てきてもおかしくない学校名だったのを覚えている。それで毎朝早朝、自転車工業高校にやってくる。

当校にとっての合宿最終日の朝、柔道場がある体育棟の軒先でYさんと出くわすことがあって、「おはようございます」と言った。Yさんも「おはよ」と言って、ほかの女子数人と着替えに行った。

三日目もこれまでと同様、白帯グループ女子グループの間を行ったり来たりだった。だが、この日の最後にはなんと、黒帯グループに入ることができた。もちろんコテンパンにされたけど、いい経験になった。

それで、最終日の夕方の部のことだった。この日は、ベテラン講師陣によるストレッチ講座があった。この日だけは、ほかの中学女子は帰らずに参加していた。

講師が二人いて、ほかの生徒らはラフな格好で畳に座って開始を待っていたのだが、そこにYさんが黒いTシャツと、下はジャージ姿で現れた。入口スノコが踏まれた時の音を覚えている。

あの光景は、当時男としては相当初心だった自分でも察せる状況だった。ほかの男子は皆、畳の上を颯爽と歩くYさんを観ていた。一応、いろんな人が読んでる場なのでサクッというけど、物凄い大きさだった。その膨らみが、真っ黒のシャツの中で踊っていた。自分は知っていたけど、柔道着なしのTシャツ越しだとさらに目立っていた。

しかし、当時の自分は関心がなかった。大きいなぁとは思ったが、すぐにどうでもよくなった。畳に視線をやって、ジャンプ漫画ジョジョ(第6部・ストーンオーシャン)のことを考えていた。

性の目覚めが遅いタイプだった。『いちご100%』を読んでも何が面白いのかわからない少年だった。初めて人を好きになったのは21の時だ。遅すぎる。


それで、ストレッチ教室講師説明を始めて、いろいろ体を動かして、いろんな部位がグキグキッとなって、1時間も経つ頃には終わって……うちの中学解散ということになった。顧問先生と一緒に、最後工業高校柔道部員みんなに礼をして、さあ帰ろうかというタイミングだった。

柔道入口スノコの前まで行ったところで、Yさんやほかの中学女子が屯していた。Yさんがこっちを見ていた。声をかけようか迷ったけど、けっきょく声をかけた。あまり知らない異性に声をかけたのは、おそらくこの時が初めてだ。


「お、これはYさんではないですか。お疲れ様です!!」

「お疲れさま」

「修業になってよかったね」

「うち、今日で終わりじゃないよ。最終日まで。あと二日あるんよ」

「Yさんは近所の学校なん?」

「うん」

「俺は尾道

「うん。知ってる」

「県大会で会ったら声かけるね」

「うん」

絶対だぞ」

あん白帯で出れるん?笑」

「……頑張る」

「多分もう会えんよ」

「うん、そうかも」

「どうやって帰るん?先生の車?」

福山駅まで歩く。親戚の家まで電車

「うちも歩くんよ。福山駅まで」


この日の夜、家族が泊まってる親戚の家に合流することになっていた。家族柔道合宿に合わせてくれたんだと今では思ってる。親戚の家の最寄り駅まで、誰かが迎えにくる予定だった。

この時、Yさんに「じゃあ一緒に帰ろうよ」と提案した。

同じ中学柔道部員は外に出ていたが、顧問先生こちらを見ていた。「ほかのみんなは先生の車じゃけえ。暗いから気を付けるように」と言って、スノコを踏んで体育棟の出口に歩いて行った。それから自分も、Yさんと一緒に工業高校を出た。

Yさんと駅まで一緒に帰る途中、いろいろ話はしたけど内容はよく覚えてない。柔道の話ばかりだったのは覚えてる。冗談で、Yさんにお腹のぜい肉を触られたっけ。最後メアドを交換する話になったが、当時は携帯電話を持ってなかった。

あっという間に福山駅に着いて、Yさんと手を振って別れて(またね、とお互いに言ってた)、福塩線電車に乗って、親戚の家の近くの駅で降りると、叔父さんと叔母さんが迎えに来ていた。


それから、Yさんと話すことはなかった。県大会の会場でも、中国大会の会場でも、お互いに姿を認めることはあったけど、別に話をすることはなかった。目は何度も合ったのだけど、こっちは試合前でピリピリしてるし、Yさんもそうだと思うと話しかけづらかった。

それで、高校になるとYさんを見かけることはなくなった。Yさんとの思い出は終わったのだ。



冒頭に戻る。

偶然、Yさんと居酒屋で再会して話が盛り上がった。確か、こんな感じのことを話した。


・Yさんは遠くの高校へ進学し、大学まで柔道をしていたこ

自分は今でも柔道をしていて、先日四段を取ったこ

・お互いに1回離婚をしていること

・お互いにあまり変わっていないこと

・Yさんの子供も柔道をしていること

・二人とも同じ市内に住んでいること


最後電話番号を交換した。Yさんと話ができて一番よかったのは、当時の感情脳裏に浮かんできたことだ。中学二年生の時の思い出が蘇るって、あんなにしみじみとした気分になるんだな。

自分気持ちを吐き出すことができてよかった。また明日からは一読者だ。面白い日記があることを期待して土日を過ごしたい。

23/4/4 追記

書こうかどうか最後まで迷いましたが、私の再婚相手がYさんです。

2023-03-12

chatgptは関西弁しか知らない

それを津軽弁で言ってください。

「ほんまのこと言うと、アドラー先生が言うたように、人生で悩みってのはほとんどが人との付き合いがからんでるわけよ。でも、アトピーのかゆみのように、身体的な苦しみとか病気とかは、独りになったところでもしんどさは変わらへんわ。でも、人とうまく付き合うことで自信をもって、生きがいを見つけたりすることができるんやで。つまり人間関係大事なんやなってことやな。」



やっぱり広島弁で言ってください。

「ホンマのこと言うと、アドラー先生が言うたように、人生で悩みってのはほとんどが人との付き合いがからんでるわけや。でも、アトピーのカゆみのように、からだ的なしんどさとか病気とかは、独りになったって、めちゃくちゃキツイんよ。でも、人とうまく付き合うことで自信持ったり、生きがい見つけたりすることができるんやで。つまり、ヒトとの関係って大事なんやなってことやねん。」

2023-02-14

anond:20230214220338

広島はだーれも関西なんか向いとらんよ、ほいでみぃな自分標準語しゃべっとるゆうて広島弁で考えとるんよの(苦笑)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん