はてなキーワード: 帝京大とは
俺は苦労して医者になった。
両親は高卒で、片方は貧困のため仕方なく、もう片方は学力的に、それぞれの理由で大学進学を諦めて働いていた。
俺はそんな両親の長男で、田舎レベルではあるけれど、そこそこの頭の良さと、かけられた期待のおかげで、それなりに優秀と言われて育った。(親戚は高卒だらけだったが、唯一旧帝大卒のおじさんがいてそれを目標に、とか言われていた)
共働きで働いていた両親に変わって、母代わりの祖母が家にいて俺はよく慕っていた。祖母のお茶飲み友だちにもお前は頭がいいと褒められていた。
俺が小学校低学年の夏、その祖母が交通事故で重傷(ちなみにこれは医学用語ではない)を負ってから、俺は医師になることにした。小学校の卒業文集には未来の「増田医院」の話を書いた。
中高時代のことは面倒だから省くが、俺は医学部には入れなかった。偏差値が5以上足りなかった。通える範囲の地域で一番の進学校だったけれど、現役で医学部に進学したのは4人(国公立3人、自治医1人)だった。
なんとか浪人させてもらえることになり、政令指定都市にうつり寮から予備校に通った。
結果から言えば、俺は医学部には入れなかった。2浪はできないので、センター試験で85%以上なければ医学部は受験しないと両親と約束したからだった(具体的には84%に止まった。全統記述は偏差値67程度だったので、無理はできなかった)。俺と同程度の偏差値の奴らが少々の国公立医学部に受かっていった。俺より悪い成績の奴らがいくつかの私立医学部に受かっていった。俺は俺でも受かりうるレベルの私立医が3000-5000万の学費がないと通えないことに絶望を覚えた。(当時、帝京大医学部の学費は4900万くらいだった)
やりたいこともなかったが、旧帝大の工学部に合格したので進学した。
やりたいことがなかったので、1年生のときは単位をほとんど取らなかった。「旧帝大の工学部」の合格ごときで喜んだ両親をなぜか恥ずかしいと思っていた。2年目は休学した。休学して再受験しようと思ったけど、思っただけで、びっくりするほど何もできなかった(抑うつ的だったし、適応障害的だったなあと振り返って思う)。
復学してからは進級できて、そのまま4年生になり、大震災があり、思うところがあり、残り10ヶ月の期間だけ勉強して医学部を目指すことにした。両親には黙っていた。予備校には通えなかった。教授には2ヶ月後の記述模試でA判定を出さなければ受験を認めない、と言われた。3ヶ月後、教授から受験の許しを得、両親に黙ったまま勉強を続けた。
お金がなく、模試も全部で4個くらいしか受けなかった。2万円弱のセンター試験の出願料だけでも生活費を圧迫した。1校6万円する私立医の併願など、もちろん念頭になかった。
国公立医学部を受けるとして、地方の受かりやすいところを探せば統計的には確実に受かりそうではあったが、遠くに受験しに行くお金はなかった。女性ではないので性別を理由にした入試差別を受けることはないが、再受験生は性別によらず差別のリスクがある。こういった差別的傾向は当時も医学部受験界隈でよく言われていて、そのため差別のない(と言われている)大学の医学部を受けることが再受験生の受験戦略となるのだった。こうした入試差別は、偏差値に比例してなくなっていくとされていた。旧帝大医学部は純粋な学力勝負ができる。俺はそのまま部屋から受験しに行ける旧帝大医学部を受験することにした。
前期試験一発勝負をして、約10日後「合格」の文字を見ることができた。
医学部生活は面倒だから省くが、一言でいえば普通に部活をし、遊び、勉強をした。留年することなく進級・卒業し国家試験にも合格した。俺は医師になれた。
研修医生活は本題ではないので省く。でもちょっとだけ言うとすれば、医師の労働環境は、人間のする働き方ではなかったということだ(俺は比較的楽な方の研修だったが、週1,2回の連続30時間勤務や25連勤でもう無理だと思ってしまった)。女性医師は出産や育休で労働時間がああだこうだと言っている人がいるけど、この働き方は男でも無理である。東京は医師が多いのでまだ余裕があるが、俺の出身地方はすでに医師がどんどん減ってきており、崩壊は当然に時間の問題である。医師の使命感と根性で成り立っている地方は特に女性医師にやさしい環境ではないし、女性医師にやさしい環境でない地域は女性医師が残らないので、つまり男性医師も残らないか人柱になって折れるのを待つだけだろう。
問題意識低く、DNA鑑定軽視 遺骨取り違えで報告書 厚労省調査チーム
横田めぐみさんの遺骨は本当に偽物か?火葬された遺骨からのDNA鑑定はほぼ不可能
遺骨からDNAを検出できなかったのはなぜか? 吉井講師は、ネステッドPCR法によって鑑定を進めた。ネステッドPCR法は、DNAを増幅するPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法の1種だ。DNAを十分に増幅できない場合は、検出感度を上げるために反応を2回行う。
その結果、感度がより高まるが、コンタミネーション(試料汚染)が起きやすく、検出時間がかかり、分析精度が低減する欠点がある。しかも、吉井講師は、火葬骨の鑑定経験がまったくなかった。また、遺骨は鑑定時に使い果たし、再鑑定は不可能になった。
DNA鑑定の最高権威として知られる米国国立標準技術研究所のジョン・バトラー博士によると、1200℃で焼却された遺骨をDNA鑑定するのはほぼ不可能という。世界的なDNA鑑定の専門家の多くは、北朝鮮が提供した遺骨のDNA鑑定の結果は疑わしいと見ている。
朝鮮半島に火葬の習慣はないため、北朝鮮が提供した火葬骨の捏造への疑念を主張する論調もある。
拉致事件を時系列に追うほど、内外の情報を集めるほど、ますます真相から遠のき、視界が悪くなる。なぜか?
『ネイチャー』(2005年3月号)は、論説『政治と真実の対決』を掲載、「日本の政治家たちは、どんなに不愉快でも科学的に信頼できないことを正視しなければならない。日本政府は、科学的整合性を犠牲にすべきではない」と強く反論。
さらには、「別人判定を下した帝京大講師がその後、科学捜査研究所の法医科長となり、インタビューが事実上不可能になった。この転職は拉致事件の調査を妨害する」と日本政府を批判している。
拉致されて38年となった昨年
未だに、○○大ラグビー部と聞くと、10年以上前のレイプ事件を連想してしまう。
自分の記憶では「○○大のラグビー部が集団でレイプをした」ということになってた。部ぐるみというイメージ。10数人とかそんなかんじの。
それであってるかな、と思ってググったら、実際はちょっと違うみたい。
「卑劣!帝京大ラグビー部員 19歳OL集団レイプ!」、「カラオケボックスに誘い込み 10数人が関与!? 部員5人緊急逮捕!」
( http://www.bpo.gr.jp/brc/decision/001-010/006_k_ntv.html)
といったテロップを使ってたというから、それでイメージが刷り込まれたのだと思う。
報道の影響力ってすごい。
で、実際どうだったのか。
日本は航空産業が非常に低調なため、それに従事する学生を育てる大学の学科もとても少ない。
しかし、航空産業は見た目かっこよく比較的人気があるため、実際に中身を伴っていなくても航空学科を名乗るところも多い。
そのため、実際の中身で比較してみたのでランキングを作ってみる。
*注1:宇宙は別。航空宇宙工学科などの名前は多いけれど、実際は航空と宇宙が分かれている。
*注2:機械、電気、情報などと違い、航空学科は数が少なくかなり貴重で世界も狭い。
A+:名古屋大(機械・航空工学科)、九州大(機械航空工学科)
A:首都大(システムデザイン学科航空宇宙システム工学コース)、大阪府立大(航空宇宙工学科)、日大(航空宇宙工学科)
基準は、
で選んだ。
こう見ると日本で航空宇宙に関して勉強するためにはかなり狭き門である。個人的にはA以上の大学でないと、あまり航空を学んでいる意味がないと思う。ほかのところは名前をそれっぽくしてごまかしているだけのところか、数ある研究室のひとつが航空機に関係する何かをやっている、というくらいのモチベーション。あまりにもしょぼい。
機械と名前がつく学科が多いのも特徴。機械は航空と非常に近い分野、というよりは航空学科でやることは機械の中でも航空機に限ってやることだけをまとめて、特にそれだけやる学科というようなものなのでそういうところが多い。だからと行って、飛行機をやりたいのにミスって機械科で妥協してしまうと流体と言えばポンプのこと、材料といえば鉄のこと、制御といえばロボット、という悲しい世界に入ってしまうことになる。