「希望の会」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 希望の会とは

2017-03-20

(追記しています)

頑張っていれば、努力していればいつか報われるなんて言うのは嘘だよ。努力したって一生懸命頑張ったって報われない事の方が多い。

生きていればいい事があるというのもほぼ嘘。ただ生きていたって良い事など何もない。

平等っていう言葉も嘘だよね。人間は生まれながらにして不平等なんだし。

---

でも、無駄だと言って頑張るのをやめたりうまく行かない事を何もかも全部自分のせいにしていたら生きているのが嫌になってしまう。

そんなの悲し過ぎる。一生懸命頑張ってる自分を認めてあげないと、いつか歪んでしまうよ。

って誰かに話しかけてるけど結局これって自分に言ってるんだ。

実は私、雇い止め仕事がなくなったんだ。

部署人達は◯◯さんにしか出来ない仕事も有るからいなくなったら困ると上に抗議してくれたけれど、部署の統廃合の都合でなので、上の決定は絶対だった。

それでずっと就職活動をしてた。面接の為に仕事を休む事が出来ないか面接を入れてもらうのは仕事が終わった後の夜遅く

対応してもらえる会社も少なくそれだけで面接を受けさせてもらえないこともあった。

それでもなんとか書類が通った所の面接に行き、毎日毎日少しでも分母を増やさないとと応募件数を増やす為に昼休みには携帯求人サイトに入り浸り。

でもメールをチェックする度に届くのはお祈りメールばかり。

面接までしたのにスキルや年齢ではねられることも多い。人柄はいいんだけど経験がねぇと面接で言われた時には流石に参った。

持病(身体的なもの)を理由に落ちる事も多い。それでも最初の内は仕方ないと思えてた。まだまだこれからだと思えてた。

でもお祈りメールが100通を超えた辺りからどんどん堕ちて、2月の頭には「今の仕事が終わるまでに次の仕事が見つからなかったら死のう」と思っていた。

甘い考えだというのはわかってる。でもその時はどうしようもなかった。そう言う風にしか考えられなかった。

不安を口に出す事も出来ず頼れる人もいない。時間けが進んで行き、仕事は見つからない。

就職活動が長引きそうだから事前に窓口で失業手当について聞いてみたけれど派遣は出ないと言われた。

何の為の雇用保険なの?と思ったけれど窓口の人には言えず、薄ら笑いでお礼を言って帰ってきた気がする。

役所相談しに行った際には仕事が無くなってからまた来いと言われた。

それでも凹む訳に行かないから人前ではずっと笑顔でいた。当たり前の話だけれどこれが結構辛かった。頭の中は常に不安でいっぱいだった。

一人暮らしから仕事が無ければ家賃を払えない→家賃を払えないならここを出なければならない→ここを出たら行く所がない・・・

マイナス方向へどんどん連想ゲームをして「そうか、死ねばいいんだ。なんだ簡単なことじゃないか」となった。

その考えにたどり着いた時に私は笑ってた。清々しい気分ですらあった。

でも今はもう少し頑張ってみようと思えてる。状況は何も変わってないけれど、もう少し足掻いてみようと思ってる。

死ぬことはいつでもできるけど、生きる事は今しかできないから、生きることを諦めないでみようと思う。

■追記■

先程これを書いた後にメールチェックをしたら、希望の会社ではないけれど1社から合格通知が来てた。

収入は今の3分の2になるけれど全くないよりマシだと思った。

残業も多く休日出勤も多いと言われているから実際にお願いするかどうかは病院身体の状況を詳しく聞いてからだし、

そこで働くとしても時給900円のバイトと変わらない金額からそれだけ暮らしていけない。副業も探さないと。

この仕事をどう思うかを相談出来る人もいない。

薄々は自分でもこの仕事ヤバいんじゃないかと思ってはいるけど、背に腹はかえられないという思いも大きい。

ちなみにその会社面接を受けたのは「ダメだったら死のう」と清々しい気持ちで思った直後だった。

諦めてしまたか自然体で面接を受けられたのかもしれない。笑い話にすらならないな。

今、凄く凄くやりたい仕事案件に応募している。

書類が通らないと面接に行けないし恐らくリミットを超えてしまう気がするけど、諦めないでアピールしていきたいと思う。書類で落ちたらどうにもならないけど。

■死の扱いについて■

ブコメトラバ死ぬことについて苦言をいただいておりますが、確かに皆様の仰る事はもっともです。

ただ私は昔から身体が弱く通院し続け薬を飲み続けていないと生きるのすら困難なので、仕事がなくなれば薬を飲めない→薬を飲めなければ・・・

健康体になりたいですがこの病気は完治しないため健康体にはなれません。

普通な一人暮らしなどしてはいけないそうですが、諸々の事情により一人暮らしせざるを得ません。

身内はいません。こういう事を話せるような友人はいません。

私の病気を知っている人は「薬を飲み続けなければ死ぬような人といるとこっちが滅入る」と言って離れていきました。

何回か友人の前で薬を飲んだことが嫌だったようです。

一時は生きるために必死に恥を恥と思わず色々な所に相談に行ったりしました。

何もしていない訳ではないですが、きっと私の努力が足りないのでしょう。それでも今自分が出来ることを必死にやっています

正直なところ、この状況で諦めずにいるだけでも精一杯です。

どうしてこう人生って苦難ばかりなのかな・・・勿論このご時世苦労しているのも苦しいのも私だけではないだろうけど・・・

2017-03-17

子供が欲しくない

私は20代前半。

人生で一度も、子供が欲しいと思ったことがない。



理由を色々考え、出た結論は「面倒なことが増えるから」だった。



妊娠出産育児エッセイを何冊か読んだ程度の知識なのでザックリとしているが、

つわり地獄のような苦しみや、大きなお腹を抱えて生活することの大変さを知った。

食生活に気を使い、妊婦に優しいアイテムを買い、定期的に病院検査し、マタニティスクールに通い、

役所病院費用補助金申請し、生まれてくる子供のためのグッズも揃えないといけない。

この時点で「めんどくせぇ~」と心の底から思った。



出産もめちゃくちゃ痛い。無痛分娩もあるが、「産むときだけ痛くなくても、いてえのは陣痛だよ陣痛」と

母親によく言われるので、まったく痛みのない出産はまず無理なんだろう。怖い。

まあとにかく生まれました。おめでとうございます。あー終わった終わった、というわけにはいかない。

この世の右も左も分からない赤ん坊を、同じく育児の右も左も分からない母親が育てるって超難易度高い。

でも面倒だからお世話やめた、なんてことはできない。もう生まれてるんだから



もしも子供が生まれつきの持病を持っていたら。不便なアレルギーがあったら。アトピーがあったら。

とんでもなくブサイクだったら。発達障害だったら。学校いじめられたら。逆にいじめっ子になったら。

夫が育児に非協力的で理解がなかったら。偏食だったら。

同じクラスメイト母親が変な人だったら。担任先生が変な人だったら。

PTAが面倒臭かったら。受験に失敗したら。就活に失敗したら。悪い友達とつるんだら。

学生のうちに妊娠したりさせたりしたら。「産んでくれって頼んでない」と言われたら。

様々な不安が尽きない。そのくらい我慢しろよと言われるものも沢山ある。



でも嫌なのだ可能性として起こり得ることを考えると、子供はいらない。

子供に何かあったとき自分人生経験知識が乏しすぎてフォローできず、母親失格になってしまう。

子供もきっと苦しむ。



これまでの人生出会ってきた多くの選択出来事は、「ミスしたら自分に返ってくる」ものだった。

志望校に落ちようと希望の会社に不採用になろうと、嫌な思いをするのは自分だった。

勉強しなかったツケ、就活対策をちゃんとしなかったツケは自分に返ってくるだけ。

しか妊娠中の生活に気を使わなかったり育児を面倒臭がって放棄したら、苦しむのは自分ではなく子供である

親が徹底的に子供の見本となり、子供を守り、道に迷ったときに手を差し伸べなくてはいけない。

自分がそんな立派な人間になっていないのに子供を作っては子供がかわいそうだと本気で思っている。

デキ婚する人はどうしてすぐ産もうと決断できるのかわからない。その度胸はどこからくるんだ。

たまにネット出産が「3000万ガチャ」と揶揄されるが、本当にそのとおりだと思う。莫大な金がかかる。

そんなガチャをうちの親は私の前にも何度も回してきた。尊敬する。



今まで何人か彼氏がいたし、今もいる。

「この人と結婚したい」とは思っても、「この人との子供が欲しい」と思ったことは一度もない。

ずっと2人きりでいたい。夫との時間を独占したい…とよく思っていたけど、

まあずっと同じ屋根の下で2人でいたら、恋人時代気持ちなんてすぐ消えて

だんだん生活マンネリ化してきてうまくいかなくなったりもするんだろうな。

から子供がいたほうがいいのかもしれないけど、そんな緩和剤代わりに子供をポンとつくっていいのか。



妊婦子連れベビーカーバッシングネットでよく目にする。

保育園も落ちれば国に死ねと言いたくなる。

育児中にあった嫌なことや肩身の狭い思いをした体験談も沢山見る。

(家庭板のまとめを読むのはやめたほうがいいかもしれない)

自分がその当事者になることを恐れている。

私が万が一妊娠してしまったら、周りは「おめでたいこと」と捉えるから、きっと産むんだろう。

人間ひとりつくって育てるというとんでもない行為は「やっぱりやめた」ができないから、恐ろしい。



今付き合っている彼氏とうまくいって結婚の話が出たとして、「子供が欲しい」と言われたら本気で悩む。

「夫が子供を欲しがっている」とか「(義)両親が孫の顔を見たがっている」という理由

私が折れて妊娠出産していいものなんだろうか。母体は望んでいないのに。

周りが希望してるから命をつくるなんて無責任ではないだろうか。

「産んでくれって頼んでないのに!」って子供に言われてしまったら、

「私だって産みたくなかったわ!」って思っちゃうんだろうか。

私は自分に面倒事を沢山もたらした原因である子供を愛せないんじゃないか



どんな理由であれ、私のように子供が欲しくない人はきっといるんだろうけど(多分)、

子供は欲しいもの、望むもの、みたいな風潮が世間にある。

少子化という言葉があるということは、子供とは「産んで増やさないといけないもの」なんだろう。

私か相手子供をつくれない体なら仕方ない。それよりも「つくらない」ほうが周囲から疑問視されそう。

育児がしにくい世の中になってるのも問題だけど、そういう社会的な面よりも私の心理的な面が大きい。



こんな私が、子供が欲しいと素直に思える日はくるのだろうか。

それとも、たいしてよく考えないまま流れに身を任せていたら、案外大丈夫なものなんだろうか。



一応言っておくと、親に虐待されていたわけではない。むしろ末っ子なので甘やかされて育った。

子供はあまり好きではなかったけど、最近は仲の良さそうな親子を外で見かけると微笑ましいと感じる。

ただそれは楽しそうなほんの一部分を見たからで、

その場面を自分が得るまでにどれほど苦労しないといけないのかと考えると子供を欲しいとは思わない。

甥・姪をめちゃくちゃ可愛がってしまうのと同じだ。

あと、反出生主義という主義があるけど、そこまで過激な考えではない。出産尊いものだと思っている。

私は出産したくないというだけ。



今ふと思ったけど、学生時代全然楽しくなかったことと、この考えには関係はあるだろうか。

まらない地獄のような学生時代子供に味わわせたくないとか無意識に思ってるんだろうか。

そこはよくわからない。



とにかく、子供をつくることによってありとあらゆる責任が降り掛かってくるのが面倒で耐えられない。

面倒事は回避したい。だから子供はいらない。

2017-02-27

普通」の社会に過剰適応しないでほしい

残業規制にまつわる借金玉氏の言説に非常にモヤモヤしていた。というか、この頃考えていたことをまとめる良い機会になったので書いてみたい。


私もADHD自己診断をするとそれなりの数の症状に該当するうっかり者ではあるものの、たぶん薬を処方されるレベルではない。それでも例の「出力が安定しない」問題は大いに共感できる。

しかし私は効率が悪いながらに懸命に勉強し、「いい大学」に入り、希望の会社に就職した。効率が上がらないグズであると同時にそこそこの努力家でもあったと思う。とにかくここまでは良かった。

就職先では私と同じ職域の女子社員が極端に少なかった。ここで私は自分が「優れた女子なのだ勘違いした。

優れた女子なのだから、当然男の同僚とも対等に渡り合えるはずだ。むしろ女子の方が応募に対して選抜数が少なかったのだから、大半の男連中よりは優秀なつもりだった。男性より気が利くんだから、その分有利なはずだとさえ思っていた。

ある意味ではそれはその通りで、研修中の成績も上位に食い込み、周りからは大いに期待され、ここでもまた希望部署へ配属された。

問題はそこから。男の同僚連中は何かあればしょっちゅう深夜3時の残業明けに上司と一杯ひっかけてから帰る。すると次第に彼らの間にはなんとも言えない友情が芽生えていく(ように見えた)。そして年度末の評価や配置に微妙な影響が出る。もしも私に悩みがあったとしても日中の別室に上司を呼び出すしかない。そして上司の貴重な業務時間を圧迫し嫌な顔をされる。女の上司はいないし、いたとしても深夜3時に一緒に飲んでくれるわけがない。

私の気持ちだんだん腐っていった。

とにかく仕事残業まみれで、残業した方がえらい風潮の職場だった。土日も全部仕事に使うやつがえらい、責任感がある。えらい。

それでも数年間は私も皆と同じように働いて、深夜にラーメンを食べに行ったり雀荘に行ったりする男連中を横目に帰宅しギンギンに冴えて空回る頭を持て余しながらなんとか数時間眠ってまた働くという生活をしていた。しかしついには生理が止まり睡眠障害摂食障害がどうにもならない状態となり、30を数える前に死体同然の状態になってしまった。私は負けたのだ。

そこでようやく、私は自分と同じ仕事を選ぶ女性が極端に少ない理由が分かった。

こんな所で勝負しても、割りに合わないのだ。

私は自分が選ばれた人間だと自惚れて、戦ってはいけない場所にかじりついて死んだのである

正直言ってこうなる前は、仕事はそこそこに結婚して家庭を大事に…なんて人生はつまらないと思っていた。今となっては、そういう人生の方が100倍幸せだったに違いないとも思うが、排卵の止まってしまった私にはもう手に入らない可能性が高い。二兎追うものはなんとやらで、そっちの「普通」も今の私には望むべくもないのだ。何度考えてもまだそのことはまだ整理がついておらず、心がヒリヒリする。


とにかく、会社は男が作った場所から、男に有利にできている。同じように、健常者が作った場所から障害がある人には不利にできているとも言えるだろう。

普通」に仕事をするのが難しい人たちに言いたい。無理して「普通」の土俵勝負する必要なんかないはずだ。どこまでいっても、体力があって健康で育ちのいい人が勝つ。無理して心身をズタボロにしたりして、そんな自分だけを肯定するのはやめた方がいい。

自分人生を「普通」の人と同じ価値観断罪して、無価値だと思ったり、失敗したなんて思わなくていいはずだ。苦労するのが当たり前だなんて思わないでほしい。

そういう意味で、私は会社員残業規制に反対する人には反対だし「じゃあ死ねっていうのかよ」って言う人に考え直してほしい。残業がないと死ぬって言っている人たちは、もし自分残業できない体になったら自分死ねって言うのだろうか?そうであってはほしくない。

適応できない理由がなんであれ、弱者区分することほど愚かなことはない。私たちは何者であれ、「普通からはみ出ている者であるという一点で連帯し、互いの事情を汲んで居場所を作り、食い扶持を探し、多様性を許す社会、再配分する社会を求めていかなくてはいけない。そうしない限り、社会私たちにとって苦しい場所のままだ。そのためにはまず、既存価値観人生の成否を決めないことが必要だろう。当時の私みたいに自分だけは特別なんだなんて思いながら死ぬほど苦労して「名誉強者」たらんとすべきではない。それは立派なようでいて、安直で愚かな道だ。そういうことを、少しでも多くの人に考えてもらいたい。

そんなことを思いました。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん