はてなキーワード: 寸止めとは
現代人はちゃんとプロレスを学ばずに、そこから派生した漫画ばかり読んでるから理解が浅いんですよね。
プロレスっていのは端的に言うと「より観客から「強い」と思わせた側が勝つ仕組みのヒーローショー」なんです。
何故かって言うと、プロレスっていうのはガチの勝負が持つ「え?それで勝てちゃうの?」を排除して「より納得感のある勝敗の決まり方が行われるようにした格闘技」だからなんですね。
たとえばボクシングってたまたまブロックが開いた所に頬をかすめる完璧なパンチが入ったら脳みそシェイクで一発ダウンのジャイアント・キリングがあるじゃないですか。
でもあれって納得できます?
なんかこう「裏で人間競馬やってる人達の八百長なんじゃ?」みたいな感じが一瞬よぎりませんか?
プロレスはそれを排除して「観客から見た「ダメージが入ってる感」が、それぞれの闘士の「観客から見た耐久力ある感」を超えたら負けになる」っていうルールを採用してるんです。
そのためプロレスの技は実際のダメージより「ダメージがある感」が重視されます。
ダメージが実際にあるかではなくダメージが演出できるかが大事なんです。
たとえばドロップ系の技で衝撃を逃がすかのようにわざと大きな音を出すじゃないですか。
あれって少し分かってきたと思い込んでるニワカは「ごっこ遊びで怪我しないために音にしてエネルギーを逃してる」で終わらせるんですよ。
でも違うんです。
あれは、「相手の体内への衝撃として吸収されてしまったらダメージ演出効果が薄れる」のを回避するために「音を出すために相手を叩いてるように魅せつつ実際はリングを叩いてインパクトを演出してる」んですね。
この方が「観客の査定によってダメージが決まる仮想HPダメージが増える」んですよ。
バトル漫画の勝敗決定もこの文脈からの派生で「よりダメージを与えている感を出したほうがダメージが増える」がルールなんです。
その中で能力開示をするっていうのは「能力を開示しても影響がないぐらいに強さに自信がある」を演出する効果がまずありますし、そもそも「自分がかこれから使う技の効果を読者に説明する」という効果により読者による仮想ダメージ査定を増やす効果があるんです。
この後者の「自分が使う技の性質が読者に伝わる」っていうのは本当に大事で、読者に威力が伝わりにくい技を作中で強く描くのってバトル漫画的には無しなんですよ。
なぜなら「効いてなさそうな技で勝っちゃうと八百長感が出る」から。
そのためバトル漫画において威力のある技ほど「嘘科学」とかによってその理由が補足されているんです。
そしてこの技の補足は出す前にやることで最大の効果を発揮するわけです。
つまり強い技を出したいなら技を出す前に効果を説明しろってことです。
だからってそれを相手にわざわざ伝える必要がないと思うでしょう?
「来ると分かっていたのにまともに食らってしまった技」と「不意打ちだったからまともに食らった技」、どっちの方が「ヤバイ」気がしますか?
たとえばプロボクサーが「今から君に寸止めパンチするから避けてみてよw」とワンツー打ってきたら、大抵の人はガードさえまともに出来ずに風圧を顔面にモロに受けると思います。
確かに「不意打ちで食らった」はダメージを補強するロジックとしては強いっちゃ強いんですよ。
でもソレ以上に「分かっていたのに防ぎきれなかった」の威力はヤバイんです。
「今のはメラゾーマではない」という言葉の直後に発射されるカイザーフェニックス、台詞自体が予備動作になってるんだからマホカンタすりゃええやんって気もしますよね?
でもそこで現れる圧倒的力は、「来るのが分かっていた所で何の意味もないような絶望」を読者に与えてくるんですよ。
これもしも不意打ちでカイザーフェニックス打ってから「そうか!これがアイツの本当のメラゾーマなんだ!」となっても、絶望の深さが大幅に目減りするわけですよ。
わかります?
これがプロレス的文脈における「仮想HPを仮想ダメージで削る際に演出の差が及ぼす影響」なんですよ。
バトル漫画の攻撃って結局は全部仮想のものだから、読者がより「これはまじでヤバイ!死ぬ!」と思った度合いこそがダメージ値になるんです。
それをアップさせる方法として「能力を開示する」はアリなんです。
半端にリアルを追い求めて漫画を読むと忘れてしまうでしょうが、バトル漫画のバトルのルールはプロレスからの派生。
ダメージを決めるのは「観客への印象」なんです。
例のアレな。
分からんやつは無理に混ざらないで各々が武道の嫌いな所について語ってろ。
防具つけていようが竹刀だろうが武器振り回してド突き合ってんだから怪我したり最悪死ぬのなんてお互い様でしょ。
それが嫌なら最初から武器を振り回すスポーツなんてしなければいいと思う。
これがサッカーでいきなり顔面を蹴っ飛ばされたとかならサッカーは相手を蹴り飛ばすスポーツじゃないから損害賠償請求も通って良い。
でも武道ってのはどこまでいっても相手を傷つける行為を繰り返し続けるスポーツなわけじゃん。
寸止め空手で寸止めしなかったならともかく、ルール上認められている行為(中学までは突きが禁止だったといっても高校行ったらすぐに習うんだから予習しとけっつーか高校で指導受けに行く前に勉強しろ)で傷つくのはどちらが悪いとかじゃないと思う。
これっていわばバンジージャンプをする前に「私はこれでどんな目にあっても自己責任だと納得します(ただし、縄がまともに整備されてなかったとかならお前を絶対許さん)」ってサインするのと同じなんじゃない?
なんらかの武道を始めるってのは「僕はこれで死のうが障害者になろうが、その道を選んだ自分の責任だって諦めます」って宣言することに他ならないと思う。
ただ、この考え方が日本に浸透してないってのは良くないと思うね。
子どもが気軽に空手を始めたりするのがそもそも間違っていると思うし、ましてや小中学校の授業で武道を強制的にやらせるのは教師の監督権限を超えた行為だと考えて良いんじゃない?
それでオリンピックとかで後れを取るとしても、それは暴力的な人権後進国とはレベルをあわせないって生き方だと考えるべき。
そもそもさ、若い頃に大会に出すぎるとかえって変な癖がついて弱くなるって話もあったよね?
子どもに武武道をやらせるメリットなんて日本という国には一切ないんじゃない?
児童誘拐を減らしたいとか言い訳を通そうにも、防犯グッズを小学校で毎年配ったほうが絶対いいしやっぱり子どもに武道をやらせる理由がないよ。
あっごめん。
冒頭の話についてはちょっと言い方を変えるわ。
「悪いのは剣道を始めたら死ぬより辛い人生を歩む覚悟が必要になることをちゃんと伝えなかった親や小中学校の教師だと思う」にしていい?
五等分の花嫁を読んでたのは数年前なので記憶があいまいだし、そもそも読んでる当時も女子がかわいいという点に集中していて、ストーリーの把握はおろそかだった者の意見として聞いてほしい。
四葉が嫁に選ばれた瞬間というのは、120分の映画でいえば90分~100分目くらいの最高潮、すべての伏線が結論にむかって収斂する場面であるはずである。連載第1話から提示されていた最も重要な謎の答えがでる瞬間である。
それでは読んだ当時のおれの反応が「なるほど四葉だったのか!!」だったかというと、なんかそんな感じでは全然なかった気がする。過去の連載でちりばめられてきたものがここで全部スパークした高揚感みたいのはなかった。
現在、五等分の花嫁は弁当屋「ほっともっと」コラボをやっているが、そのポスターを眺めていて去来する思い出というのはやはり四葉が選ばれた場面ではなく、連載中間でさまざまな女子と恋愛寸止めみたいなことをやっていた場面ばかりである。
この感想は普通なのか、なにか重大なものを取りこぼしているのかどっちだと思いますか?あなたは四葉というオチについてどう思いますか?
あの寸止め女今何してるんだろ…
まず「萌えとは何か?」を考えてみよう。
「さくらちゃん可愛い」と「さくらちゃん萌え萌え〜」はイコールである。
ただし、「可愛い」は形容詞であるのに対して、「萌える」は動詞だという違いはある。
つまり「俺はいまさくらちゃんのことをめちゃくちゃ可愛いと思っているぞ!」というアピールが「萌え」なのである。
では「萌え作品(萌えキャラ・萌え漫画・萌えアニメ・萌えゲー…)」とは何か。
本来の「萌え」は、なにものかに「可愛い」を見出したときに使う言葉であるが、
特に「萌え作品」と書くときは「オタクを萌やすことが主目的の作品」ということになる。
それはつまり「可愛さが主題の作品」と言い換えることができる。
多く「エロ描写が薄くストーリーがシリアスではないもの」のことを指した。
本番シーンまで踏み込むとそれは「可愛い」というより「エロ」になってしまうので、
あくまでエロは添え物として扱うのが「萌え作品」の特徴となる。
全年齢向けの萌えラブコメなどでも同様の「寸止め」傾向があると言えるだろう。
ただしややこしいのが、この「可愛さ」とは世間一般の「可愛さ」ではなく、
オタクを萌やすために奇形的に進化した「可愛さ」を指している、ということである。
俺は全力で当てにいってよくて相手は基本的に軽く当てる&ボディは寸止めっていうルール
マスより2歩くらい踏み込みを深くしないと当たらんよと言われてスタートするも全然届かん(笑)
かなりの接近戦になるのでビビって腰がひけてしまったのもあるけどあと10センチが届かない
マスと違いパンチが顔面に当たるのでどんなに息苦しくても口は閉じておかないと口の中を噛んで血だらけになると思った
あと顔面にもらうと頭ごと後ろにもってかれてムチウチ的な感じになるんだけど、喉(首)にかなり負担がきて終わってからしばらくはタンがからんですげえ気持ち悪かった
つねに顎を引いておかないとゆるいパンチでもかなり危険だと思う
今回当てる練習ではあったけど2ラウンドやって当たった数はゼロ(笑)
なかなか難しかったです
普通、寸止めって手とかでシコシコシコってfinishにさせるような速度でピストンを上下させるんだけど
男が射精しそうになるとパッと手を離すという感じだと思う。
でも、おねえさんがやってくれたのはすごくやさしい寸止めだった。
プレイ終盤になっていよいよ射精への機運が高まってきたところで
すぐイカないように我慢してみてね、というフレーズとともに寸止めプレイ開始。
カリの上の方だけを指でピンポイントでゆっくりと擦るような感じで
シコシコというよりスリスリとしてくれる。
そうされてると気持ちよくなってグッと力が入ってイキそうになってくんだけど
ゆっくりなスリスリをさらにゆっくりにして我慢を利かしてくれる。
これが気持ちいい。
しかし本格的な射精をしていないので賢者モードに入ることはない。
おねえさんは慣れたものでこっちが射精を耐えきったのを察知すると
再びスリスリと始める。
こちらも意味がわかってきたのでスリスリの気持ち良さには素直に体を委ねて
射精しそうになったらこらえる。するとこらえきれなくて精液が漏れてしまうと、そのぶんの小さな射精感が再び訪れる。