はてなキーワード: 家電とは
ロボット掃除機をうまく運用するための、床に物置かない&そもそも片付けておかないといけない&結局本体が吸ったゴミ処理をしないといけないという現実。
なお、ここで話が違うじゃねーかと思う奴は現代に生きているくせにいくらなんでもあまりにも事前のリサーチ不足である。
規定量超えると割と一発で乾かなくなるし電気代は食うし埃の目詰まりするし……と結局、悪天候時以外は乾燥機能を使わず普通に干すようになったりする現実。
なお、ここで話が違うじゃねーかと思う奴は現代に生きているくせにいくらなんでもあまりにも事前のリサーチ不足である。
食洗機のメリットは「手で洗うより絶対にキレイになること」「食洗器に収まる範疇でなら洗い物の量が増えるほど水&洗剤の使用量と時間効率が良くなること」「乾燥棚がいらなくなること」以上でも以下でもなく、上手く使うには合った運用をする必要があるという現実。
なお、ここで話が違うじゃねーかと思う奴は現代に生きているくせにいくらなんでもあまりにも事前のリサーチ不足である。
あと一つは?
https://www.athome.co.jp/vox/ovo/all/47487/
全国の食洗機の普及率は平均28.4%。47都道府県の中で普及率が高かったトップ3は、1位「奈良県」(49.6%)、2位「香川県」(46.2%)、3位「広島県」(43.5%)。逆に低かったのは、47位「北海道」(15.5%)、46位「青森県」(18.9%)、45位「沖縄県」(19.6%)で、全体としては“西高東低”だった。
この理由はなかなか分析が難しそうだが、各地の特性や県民性に詳しい矢野新一氏が、県民性に見る食洗機の普及率の違いについて解説してくれている。食洗機は、家電の中でもまだ歴史が浅く“新しい”もので、かつ食器洗いをするのはほとんどの場合が女性である、というのが前提。つまり女性の意見が購入にあたって強く反映される家電だ。新しいものに対しての興味関心の度合いと、女性の家庭内での“強さ”が、食洗機の普及率と県民性の関連を紐解くカギだというわけだ。
そりゃ新築の時はスタイリッシュでいいかもしれないけど、戸建てって修繕しながら30年40年と暮らすのに対して、家電の寿命ってせいぜい10年で10年もすると部品が廃盤になって修理もできない。
うちの実家はコンロ一体型のオーブンレンジがついてたけど、壊れて修理もできなくなった。一体型で全部機能がまとまっていた分、他の家電を置くスペースが全く用意されていなかったし、オーブンレンジだけを取り外すこともできなっかたので完全に無駄空間となり、リビングにIKEAで買ったステインレスの台を置いて、その上にオーブンレンジを置くこととなった。
スタイリッシュさの欠片もない。
後年、コンロが壊れて修理不能になってIHに切り替えたんだけど、コンロに比べて2周り程小さくなったので無駄空間ができた上、コンロを取り外した所は壁紙がないので、ホムセンで売ってるアルミの衝立で油ハネ対策をした超絶ださい空間となっている。
大型リフォームをする余裕があるならともかく、そうでないならビルトイン家電を使うより、家そのものには最低限の機能しか持たせず、広い空間を用意しておいて、その時々に必要な独立した家電を置く方がいいと思うんだけど、どうなんだろうね。
これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638
巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋駅から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。
一番反対したのは洋菓子店のタカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。
これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン。
地下道は都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。
しかし地下道入口に東急ハンズがオープンすると付近にカメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル、映画館が誕生し、池袋駅東口~東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。
90年代にJRAは女性をターゲットとしたCMを打つなど競馬のイメージアップに努めてはいた。
だが池袋駅東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージの悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRAは土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロンや飲食室などを設ける大規模な計画だった。
この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗の第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在のLABIとなり、池袋の家電激戦区っぷりに火を注いだ。
米軍が接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地や家屋に収用が掛かった。
これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地内侵入などの事件が起こり大騒動になった。
憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件。
この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍は立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町の横田基地に集約する事を決定。立川飛行場は日本に返還される事になった。
箱根ヶ崎付近の八高線と国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である。
返還された立川飛行場は学校や研究所、法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。
真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。
なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7
(よく見ると滑走路アプローチの>>>>のペイントがうっすら残る)
東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音と振動が問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線のゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。
そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民の利益にもなるスキームにした。
この為に赤羽~大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮駅北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。
なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。
空襲焼失地区の戦後の復興は東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。
そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的な方法を試す事にした。
しかし優越な資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。
しかし建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火と風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。
戦後の歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。
しかし高田馬場を始発駅とする西武新宿線が新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町の付近に仮駅を設置された。
当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地を勝手に占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しかも権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。
その為に歌舞伎町の地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。
そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。
ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638
流山は常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。
田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦、牛久沼、手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。
問題は北千住から柏で、今の南回り松戸ルート、八潮→三郷→流山の北回りルート(TXコース)がある。
でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川、古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウンの南側は田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮の市街で出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車の振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。
だから日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ。
日光御成街道の宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市に吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし
これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。
日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。
上野駅を出た京浜東北線(大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。
地球の海面は氷河期には氷河や南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。
縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野は海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)
海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである。
すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである。
つまり、上野~赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。
波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。
上野~赤羽では小規模な波蝕台が連続し京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。
この波蝕台跡は他の低地より少し高いから田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。
陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である。北海道標津の野付半島や京都の天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。
この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴は江戸時代の荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。
当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防(曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。
川口町駅からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。
南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。
浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である。
大宮から先も小さいカーブで芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体が芸術点高いルートを通っているのでこの区間はコピー忍者って感じだ。
このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。
文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?
お雇い外国人の英国人の力だけではない。江戸時代に新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ。
台地上に水田を作る場合、もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。
やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。
更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側から何センチ下/上がっているかが判る。
これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。
という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。
同世代の中ではそれなりの裕福度になると思うが、
今後の日本の景気や今後発生するであろう家・子供・介護等の出費を考えると全然豊かな気がしない。
10万円程度する iphone はもちろん Google Pixel なども気が引けて買えない。
金額が大きくなる家電だと顕著になっていかに性能がいいかではなくて、
いかにコスパがいいかだけで判断してしまうので必要最低限って感じのアイテムになり、
全然オシャレじゃないし全然ゆとりのある生活ではないと感じる。
都会に住んでいるのも影響しているかとは思うが車なんて高すぎて全然買いたいと思わないし、
いつになったら何かを買う時に一番コスパがいいものではなくて、
ある程度欲しいと思うものを値段あんまり気にせずに購入できるようになるのか。
・食洗機は5~6年で壊れる
何を買えばいいの?
あと他の製品でもこういう罠があったら教えてほしい。
・パソコン:15万円(満足している)
・デスク:0.5万円(満足している)
・モニター:5万円(満足している)
・モニター台:1万円(今年度導入してかなり満足度が高い、デスクの面積を最低限に押さえたままモニターまでの奥行きを確保できた)
・テレビ:なし(満足している)
・折りたたみベッド:1万円(満足している)
・布団:1万円(満足している)
・電気毛布:0.5万円(今年度導入してかなり満足度が高い、夜にエアコンを消せて1シーズンで数千円の節電になった)
・紙パック掃除機:2.5万円(満足しているがもっと楽な家電があれば教えて欲しい、ダストカップ方式はホコリが舞って後悔したので不可)
・冷蔵庫:5万円(満足している、改良の余地は無さそう、冷凍庫の容積が大きいものに買い替えるくらいか?)
・炊飯器:2万円(満足している)
・電子レンジ:2万円(フラットテーブルで満足している、オーブンは汚れがこびりついて洗い辛いので不可)
・縦型洗濯機:4万円(ドラム式は試したことがないが、ヨーロッパなど節水したい地域向けで汚れ落ちが悪いらしいので変える気はない)
・自動車:なし(満足している、運送業界と救急車に感謝している)
・自転車:5万円(満足している)
・ヘルメット:0.5万円(満足している)
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・精神障害による生活保護受給者であることを自覚し、社会的に無価値であると感じる
・自殺を試みるも失敗
・自治体による致死量ペントバルビタール投与による安楽死を希望
・中学受験で第一志望校に合格するも、中学でのいじめによって人生が狂う
・安楽死への切実な願い
・苦しんでいる人々に寄り添い、支援する
原文は、「精神障害による苦痛と孤独を抱える生活保護受給者からの訴え」です。安楽死への希望は、生きることへの絶望の表れであり、社会に対する深刻な不信感の表れでもあります。社会としては、このような訴えを真摯に受け止め、精神障害者への理解を深め、安楽死に関する議論を深めていく必要もあると言えるかもしれません。
遺伝子レベルで劣っている自分がこの世に生まれてきたこと自体、大きな間違いです。
私の祖母や伯父も生活保護受給者であり、一族には複数の精神障害者と自殺者がいます。
詳細は割愛いたしますが、私は遺伝子レベルの先天的欠陥を複数抱えております。
私のような多重障害者が生まれる確率を試算してみると、一つの都道府県に一人いるかいないかの頻度のようです。
人並みに恋に憧れたこともありますが、私のような欠陥人間は人を幸せにする能力がなく、愛する異性に全く相応しくないため、これまで全ての恋を断念してきました。今後もそうです。
遠くない将来、孤独に死んでいく予定です。
このような暮らしは私としても荷が重いので、家電製品の電源をオフにするように人生を静かに強制終了させたいと昔から考えています。
しかし、その方法が見つからないので困っています。バルビツール酸系睡眠薬を使った自殺には既に失敗済みです。
自治体で致死量のペントバルビタールを用意していただければ、積極的安楽死することに何ら吝かではありません。
オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、カナダ、コロンビア、スペインなどのように日本でも積極的安楽死が合法化されることを切望してやみません。
そのためにはどこに陳情すればいいのでしょうか? よろしければご教示いただけると幸いです。
それにしても、中学受験で第一志望校に合格した数十年前は、自分の人生がここまで暗いものになるとは全く予想していませんでした。
入学した中学でのいじめが原因で私の人生はすっかり狂ってしまいました。
結論から書くと、能力の場合、他の人々にとって新たな学びや価値を提供するものには、どんな能力でもなり得ない
例えば、ポンコツのワイくんが出来ることは人類の9割くらいが出来る。既に出来ていることから得られる新たな知見はないだろう
じゃあ反面教師としてワイくんが役立つのかと言えば、これもまた役には立たない。なぜなら、ポンコツのワイくんが出来ることは9割くらいの人類は苦なく出来るからだ
既に出来ること、一度も失敗していないことから、改善は学べない
だったら、ポンコツや一般的な能力ではなく、天才や難しいチャレンジをしている人なら参考になるかと言えば、やっぱりそれも新たな学びや価値を提供するものにはなり得ない
なぜなら、その能力や環境をほとんどの人類が持っていないからだ
稀有な能力でも一般的な能力でもポンコツな能力でも、能力そのものから得られる学びは等しく何もない
ただ、"態度" や "作品(学術書も含む)" だったらどうでしょうね?そこには無限♾️の気づきや学びや改善があるだろう
ほんま、"態度" や "アウトプット"って大事だなぁって改めて思いました
アウトプットについてはまぁいつかの機会にするとして、態度についての反面教師的な共有を書いとこうと思います
・・・うーん、書いてみて思ったけど、古代からいろんな人間が言ってきていることをただ雑に書き殴っただけだね
ワイくんも子どもの頃にこれらの言葉をそれらしい文章で見たと思うが、頭でなく実感で理解出来るようになったのは今だ
人間は先人が散々○○だぞ!って言ってもけっきょく同じ轍を踏むんだね・・・
亡きオカンの場合、海の向こうで生まれてすぐに帰国して以来、他界するまで同じ市内で暮らした。隣県の小都市に短期間だけ在住しただけで、ごく稀な旅行で数百km先の県で数日の観光をしただけだったようだ。生家は市内の中心地域にあり、結婚以後は数km離れた借家住まいで一生を終えた。
昭和の自動車のキャロルで、若い頃は走り回ったとか言っていたが、県内止まり、良くて隣県に1泊するかしないかだったと思われる。まったくもって、旅情など感じさせない、生活に追われるだけの女だった。
誰しも旅行を嗜むものでもないけれど、それにしたって。若くぎらついていた頃は丁度高度成長期に重なり、すべてが明るく美しく輝いて見えていてもおかしくなかったはずだ。職人の4人の子供のひとりで、裕福ではないにせよ、道楽がなかった祖父が遊ぶでもなく溜まった金で家電を導入していたらしいので、貧しくもなかったようだ。その中で育ち、それでも方々を旅行するという発想とは縁がない生活とはどういうことか。
映画『PERFECT DAYS』ではないが、座標を変えずに手を伸ばせば届く範囲に収まって、決して無理のない、一方では飛躍とか大胆な希望とは無縁の日常の永続に飽くことのない個人もいるということ。