はてなキーワード: 子供のこととは
妻のタイミングで出すとのこと。
もう別居の手配もできているようで、今週末に家を出ていくそうだ。子供がいなかったこともあり、トントン拍子で離婚が進んで行き、現実感もまだあまりない。
5年前、妻との結婚を選んだのが正解だったのか、今でもわからない。
趣味や見ているyoutubeが近く、会話のペースなども合っていたため、居心地の良さから付き合っていた。
性格も良く、相手のことを考えられてかなり献身的な人だなと思っていた。
しかし、学歴が専門卒で頭があまり良くなく、収入も年収ベースで300万円程度とかなり低く、結婚や子育てを考えると少し不安だなと思っていた。
また、顔がお世辞にも可愛いとは言えず、子供のことを思うと少し後ろめたい気持ちになっていた。
趣味こそ合わなかったものの、性格が良い子であることは部活をしていた時から感じており、顔も平均程度には綺麗な子だった。何より同じ高校出身ということで、ある程度学力のレベルが合っていたのが心地よかった。
一緒にいて楽しいのはマチアプで出会った子ではあったものの、やはり将来のことを考えると部活の後輩の子の方が良いように思い、アプリのことは付き合いつつも、後輩の子ともデートを重ねる日々だった。
たまたまその子の教育担当となり、日々仕事を教え、時には仕事での悩みを聞いたりしながら時間を過ごすうちに、私に好意を抱いてくれるようになった。
その子は上記の2人よりも可愛く、また学歴も、年収も1番高かった。自立していて、人に依存しなさそうなタイプなのも好印象だった。
趣味や性格はまだよくわからなかったが、少なくともメンターとして話を聞いている限り、謙虚でいい子だと思っていた。
そんなこともあって、最終的にはマチアプの子と別れ、後輩の子とも連絡を断ち、会社の後輩と付き合い、そのまま1年半の交際を経てゴールインした。
実を言うと趣味は全く合わず、向こうはスポーツや旅行などアウトドアな趣味であったのに対し、私は映画やアニメを家で見たりゲームをして過ごすことが多いインドア人間だった。
それでも趣味を理解してくれて、一緒に映画やゲームを楽しんでいた。
性格も謙虚だと思っていたが、思ったより我が強く、自分の意見を曲げようとしないタイプだった。
結婚までの1年半は、お互い好きという気持ちが冷めなかったため、多少の衝突はあれどもお互いに我慢し、歩み寄っていた。
しかしながら、結婚してしばらく経つとそのような気持ちも失せてしまい、次第に険悪になっていった。
疲れているのに外出しようと無理に誘っては、断る私に対して激昂するような調子だった。
皮肉にも向こうもそれなりに収入があり、自立したタイプであったために、離婚という選択を相手が取るまでにもそう時間はかからなかった。
あの時3人から今の人を選んでいなければ、離婚には至っていなかったんだろうか。
あの時取るべき正解はなんだったのか、教えてほしい。
2歳の息子がイヤイヤ期で、何かと時間がかかる。ご飯食べる?→イヤ! なんでもかんでもイヤで、なんでもやりたくて、大人だけだと5分で済むことが数倍以上の時間がかかる。
イオンモールで50メートル先のトイレに行くのに寄り道しすぎて30分かかったのでびっくりした。ひたすらにピカチュウとアンパンマンに目を奪われてた。
仕方ないから、気が済むまでずっと待ってるんだけど、気長な夫婦と言われて、嬉しかった。
よく怒らずに見守っていられるなあと自画自賛していたので、その通りの評価が得られて安心した。
今日も回り道しすぎて1時間くらい道草食ってた。本当に寒かったけど、苛立たずに、見守ることができたので、よくやったなあと思う。
でも最近、20代前半になって、周りの友達が当たり前のように「〇〇歳くらいまでには子供欲しい」とか、遊んでいる時に子供を見かけると「かわいいー!早く産みたい!」とか言ってて衝撃を受けている。全然子育てに興味がわかない自分からすると、彼女たちのように心から子供を欲しがる人たちが眩しいし羨ましい。当たり前のようにそう思える心が欲しかった。
自分にとって、子供というのは高リスクかつ金ドブというイメージしかない。
育てるのが大変な障害を持って生まれてくるかもしれない、犯罪を犯すと親である自分も迷惑を被る、正常に生まれてもしつけとか親の責任重大な面倒ごとが多すぎる
金ドブ
健康に安上がりに育てたとしても20年近くの生活費と学費+αは親の責任として捻出する必要があるがその支出をペイできるほどのリターンを得られる確率は限りなく低い、自分が元気な20~40代にかなり重い支出を強いられる
正直子供のことは手間と不利益ばかりかかるのにやたら高額という最高レベルの負債にしか思えない。
しかし友人たちにとって子供や子育てというのはみている限り心から魅力的なものらしい。なかには「結婚(=旦那さんができる)そのものには興味ないけど、子供が欲しいから結婚相手探してる」みたいな、自分からしたら信じられないような子もいる。
彼女たちをみていると、心から子供が欲しいと思える人格に生まれるというのはかなり幸運だよなあと眩しく感じる。今更どうにもならないことだけど羨ましく思う。
そういえば10年以上前に、子持ちの友人から「今の小学生男児は漫画すら読まない(映像がメイン)」「漫画でもいいから文字と物語を読む練習してほしい」と担任に言われたって話聞いたなぁ。息子が漫画読まないのに、漫画の悪影響に気を揉むお母さんとなると、ちゃんと子供のこと見てる?という事に…。
子供のことは大好きだ。
例えば、突然闇の魔王があらわれて「子供の命が惜しければお前の命を差し出せ」と言われたら秒で「どうぞ」と言う自信があるくらい愛している。
でも、子供の世話をし続けることがまるで奴隷のようで疲れてしまった。
母親8年目でフルタイム勤務。二人目不妊で子供は一人。都内核家族。ジジババ遠方でヘルプなし。
仕事で忙しい両親のかわりに、やさしい祖父母が世話を焼いてくれた。
ありがたいことになんだかんだで私の世話をしてくれる人がその時々であらわれそばにいてくれた。
夫もそのうちの一人で、子供が生まれるまでは私のお世話をせっせとしてくれていた。
そして子が生まれ、乳幼児の間はとにかくこのか弱く、意思表示もうまくできないかわいい人を
快適に過ごさせてあげなければいけないという使命感でがむしゃらに世話をしてきた。
子は8歳になった。今でも見るたびに「かわいい!」と胸がきゅんとするほど大好きだ。
でも、1日に何度も「牛乳ちょうだい!」にこたえ(我が家は冷蔵庫がガスコンロの近くにあって危ないので親がかわりに牛乳を入れてあげている)
子供とお風呂に入って「週に1回くらい前後の時間気にせずゆっくり入浴したいなぁ……」と思ってしまうたび、
人のお世話係やり続けるのしんどいな、私世話得意じゃないんだよなと心が曇る。
もちろん子供が学校に行っている間や寝ている間は直接的にはお世話しなくてもいいんだけど、
それでも心はいつでもお世話にかけつけます!!状態でスタンバってる。疲れた。
年末年始に実家に帰省した時、私の両親と弟兄弟が入れ替わりで子供の相手をしてくれて、
本当に助かった。私と夫の他にも子の世話を一時でもしてくれる人がいるというのはなんと心強いことかと思った。
今だけだよとか、いい思い出になるよ、とか、心ではわかっているし、
実際に子供といる時間はかけがえがなさすぎて時計止まれ! って思うこともある。
でもなんかとってもしんどくなってしまったよ。
何度言っても分からないだろうけど。
でも書くよ。
まずさ、ガチャを引くのは親なんだよ。
父親の精子と母親の卵子の組み合わせによって子供の能力が決まるから、これこそガチャだよね。
で、子供のことだけど。
たとえばその子供をAとしよう。
Aは、その父親の精子の一つと、母親の卵子の一つが組み合わさったから産まれた訳だよね?
他の精子や卵子の組み合わせだと遺伝も違うし、Aは産まれないよね?
だから、Aはその両親から産まれるか、受精せずに産まれない(存在しない)かのどちらかなんだよね。
うーん、上手く伝わってない?
そりゃそうだよね?
ガチャを引くあなたがそもそも存在してないのに、どうやってガチャを引くんだ?
だからさ、その親がいなかったら、あなたは存在してないんだよ。
だからこう問うべきなんだよ。
じゃあ、その親でもいいから生まれたい!この世で人間として生きたい!ってならないか?
ならないか。じゃあまあそれでもいいけど。
でもその親がいなければ、今まであった楽しいことも、これからのことも、何もないことになるけれど。
子供を出産するのにもまず長い期間つわりをはじめとしたマイナートラブルに耐え、麻疹風疹の恐怖に怯え(ワクチン打ってればまぁ問題なさそうだが)、
近年話題の当たり屋がいる状況を回避しつつ無事に産む。しかし産んだ後の後遺症(会陰切開や長時間負荷がかかった事による体のガタつき)が重たいのってなんか現代に対して合ってないと思う。いま2023年だぞ。
そして産んだ後は2時間おきの授乳をはじめとした24時間の耐久。ワンオペならより負担が凄い。
授乳、ミルクを卒業しても子供は何をするか分からないので常に見ていなければならない。
もちろん全てのことにお金もかかる。
せめて出産前の費用は自費なぞ言わずに安くなって欲しいものだ。
ここまで書いて、乳児期まででもこんなに大変なのにどうして子供を産めるのだろうか。
パートナーに対する愛しさや2人の子供が欲しいという思いだけでここまでいけるのだろうか。
私自身結婚していて、夫に子供のことを聞くとあまり欲しそうな感じではない。どちらかと言うと夫婦2人だけの時間を楽しみたいと。
なら別に産むのも産まないのも自由だし考えなくてもとは思うのだが、先入観として子供を産みたい、産まなければいけないと思ってしまっている自分もいる。
子供は可愛いのは勿論だし、きっと産んだら可愛がると思う。9割の辛さがあっても、1割の幸せな時間が有ればそのために頑張ると思う。
世のお母様方は本当に凄い。尊敬する。
早いもので私も20代の後半にさしかかり、恋人が後々結婚と子作りを希望しているためそりゃ~どんなもんかねと将来を思い描いてみた。が、育児をする自分を想像するだけで寝込むほど鬱になった。
元々子供を特別好きだということはないが嫌いというほどでもないと思っていたので、床に臥す程かと少々自分の人間性に自信を喪失した。
ミノムシのように布団にくるまりうーんうーんと思考を巡らせた結果、子供そのものではなく、子供(育児)に付随するアレコレが嫌なのかもしれない事に思い至った。
思考の整理もかねて下記書き連ねる。
子供好きな人から見たら不快になりそうなことが書いてあると思うので自己責任で読み進めてほしい。
◆
私が子供を持つことに抱くマイナスイメージは下記のようなもの。
・寝られない。
・うるさい。
など。
こうして書き連ねるとわかるが、これは別に主語が「子供」ではなくても普通に不快になることばかりだ。
具体的にはこうだ。
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↓
辛くなったら適度に他人に協力を仰ぐ。もしくは外的サービスの利用を検討する。(パートナーの協力は前提だけどまだ足りないと想定しうるので)
恋人が「俺の収入だけで生活できる」と言っているので、自分の収入をサービスに充てることはできそう。
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・寝られない。
↓
完全母乳とかの神話を捨てれば母親以外も授乳できるはずなので夜間にまとめて寝ることもできる。
私は完全粉ミルクだった(母親が母乳が出ず)らしいけど健康に育ったので大丈夫だろう。
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・うるさい。
↓
よく考えたらそもそも大きい音が苦手なことに気づいた。(クラブ、映画館、耳の遠い高齢者も苦手だった)
全く聞こえないのは問題だが、静かにしてもらえないなら騒音の軽減のために音量調節機能のある耳栓を使用したい。
子供の声に耳栓なんて、、、子供の声が騒音だと思うなんて、、、という神話は忘れることにする。
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↓
好き勝手動いてコントロールできないのは大人であれ動物であれ同じなのでそこについては諦めるべきだが、ならなぜ子供のことだけコントロールしたくなるかというと、子供が何か問題を起こしたときに親である私の責任になってしまうからということがある。
例えば公共の場所で子供が騒いだ時に睨まれるのは親のほうだ。親としては静かにさせたいだろうがそううまくいく時ばかりではない。
解決方法について「公共での子供の粗相はある程度は自然災害のように思って自衛するしかないのだとの共通認識で皆が生き、親が必要以上に自分を責めなくていい雰囲気にする」、、、と言いたいところだが、それは「空き巣に入られたのは鍵をかけなかったほうが悪い」と言っているようなヤバさも感じないではない。難しい。
鳴き声くらい出させてしまっても気にしないタフさも必要かもしれないが、より建設的な解決方法としては、「問題行動が子供本人にとってメリットがない状態」を作るよりほかはないと思われる。
当時幼心に「泣きわめいてもなんの意味もない」と思っていた記憶があるため、メリットがなければその行動をおこさないのではないだろうか。そんなに簡単な問題ではないかもしれないが。
だとして「この行動は本人に何のメリットが?」という問いかけは問題行動の解決に役に立ちそうな気がする。
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↓
正直これが一番きつい。
好きでやっている趣味や好きな仕事だって気乗りしないときにやるのはつらいのだから、気乗りしようがしまいが毎日こなさなければならない育児がつらくないわけないが、「思ってはいけない、その大変さすら貴ばなければならない」という母性神話に呪われている。
このご時世「身を粉にして働くことが素晴らしい」なんて言おうもんならド・ブラック企業認定されてしまうと思うが、子育てに関しては「親なら自分が飢えてでも子供に食わすもんだ」とか本気で言う人間がいるのだから驚く。
好きで生んだとしても嫌なものは嫌、つらいものはつらいと言っていいのだと自分に言い聞かせるしかない。
理解していても解呪に大変な労力を要しているので、こんな馬鹿げた神話は金輪際誰も口にしてはいけない。
「好きで生んだんだろう」という言葉のナンセンスさよ。アーメン。
◆
ざっと洗い出すとこんな感じになった。
状況的に解決が可能なことばかりだし、一部自分の思い込みのせいだったりするので「子供という存在」そのもののせいではないことが分かる。
上記の問題さえクリアできるなら子供を持つこともいいことだなと素直に思える。愛する人の子、両親の孫は見てみたい。
私は現在未婚小無しなので想像の範疇を出ず、経験者からしたらつっこみたいことが山ほどあるかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。
懸念材料をとっぱらって健全に子供が産みたいと思えるようになりたいだけなので。
その一方で、上記に書いたことは「子供のせい」ではないにしろ「子供がいると発生いしやすい状況になる」ことは間違いないと思うので、それをふまえてして子供を持たないという選択も全く大アリだと思っている。
解決できても解決そのものに価値を見出せないんじゃ意味がない。
どんな価値観、選択も間違いではないので、後悔の無いようにしていけたらいいよね~と思う。
ここまで読んでくれてありがとう。
「ちょっと困っている」のは誰が何にだろうってのを一回親側の頭の中で整理したほうがいいかも
ここで困ってるのはお子さんじゃなくて増田だよねたぶん
学校行ってたもんが急に行かなくなるのに困惑するのはおかしくないから責めるわけじゃないよ
ただ、本人が困っていないことを(あるいは今がマシな状態だと感じていることを)、他者が困った困ったと言ったりそういう姿が見えると、そこから「親の希望とずれた子供である」「自分の幸せを親は望んでいない」ことに苦しみだすなんてのはよくある話
子供の学年とか、元気そうとかそうでもないみたいなこととか、子供の状態についての描写がないから、そこは「子供のこと見ることできてる?」とちょっと気になる
ひとまず疲れてるならゆっくり回復させて、世の中のルールや知識(とりあえず中学は出なきゃいけないとか、中学卒業以降にはどんなルートがあるとか)を共有して、本人がやりたいようにさせてあげれば?と思う
あの人が良いとかこの人がいいとかあの人はここがダメとかあれがダメとか、色々選ぼうすると結局何も決まらない。
いざ子供作ってしまうとそんなの言ってる余裕もなくとにかく育てなきゃいけないがゴールになるのであれがダメこれがダメとか言ってられない。
そういう雑念的な所に目を向ける余裕がなくなる、逃げ道がなくなるというやつ。
二人とも少なくとも子供のこと優先で考えられる人という条件はあるが。
お金だって分の好きなように使いたいとかなくなるし、相手の年収どうだ言ってる場合じゃなく今ある条件でどれだけ子育てができるかに目を向けるようになる。
子供の名前は非キラキラだが読み方が複数あるものにした(例えば……幸子/ゆきこ/さちこ、優/ゆう/まさる/すぐる……等のように)
名前を伝えたところ、後日義両親より「その名前では一発で読めないから変えなさい」と電話がかかってきた
まさか口出しされると思わなかったので超絶驚いた
こちらの話に聞く耳を持たず「変えなさい」の一点張りだったため、こちらから一言、絶縁しますとだけ言い放って電話を切った
自分の両親からは「名前はあなたたちで決めるべきだがとにかく絶縁宣言だけは取り消して謝りなさい」と言われたが、私は自身に一切の非がないと信じているので謝罪する気はゼロだし、今後義両親に子供を会わせる気はない
そのことを配偶者に話したら、私に理解を示しつつも落ち込み疲労困憊モードに陥っている
呪術廻戦の虎杖風にいえば、義両親の行為を許すということは、今後義両親にとって口出しすることが当たり前に選択肢に入ってくるのである
子供のことに口出ししてほしくない私としては、ここで絶縁宣言するほか無かったのである
さて育児頑張るぞ!