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2017-02-25

森友学園国有地取得で会計検査

森友学園国有地取得で会計検査

https://this.kiji.is/207438898890506241

情報提供の受付

https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2

二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつ伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである

戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである

保守勢力自民党文教族文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚国歌斉唱、「教育勅語」の再評価修身の復活などを主張してきた。

国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣天野貞祐文相は、その嚆矢である内藤誉三郎(文部事務次官参議院議員第一大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。

教育機関国民国家歴史や意義を教えることは必要である国民国家は、現在国際政治基本的単位だ。これを否定するつもりはない。

グローバリズム時代国民国家というシステムいかに無理なく保守管理運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。

パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。

ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である

あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である

東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。

東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い

今日ほど「君が代」に関する議論劣化した時代はほかにないだろう。

君が代」を歌うか、歌わないか問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守愛国であり、歌わなければ左翼反日である即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している

1999年に「国旗国歌法」が施行された

ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼のもの勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。

1890年2月帝国議会の開会を直前に控え、地方治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳樹立を求めた。

→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。

日本神の国であり、世界指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである

しろ教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。

当時の日本に、空想をもてあそぶ余裕などなかったのだ。

日本日清戦争日露戦争勝利し、帝国主義列強一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた

君主たるもの特定政治的宗教的思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的否定言葉を使うべきではない

また、井上帝国憲法の起草者として立憲主義尊重し、「君主臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。

もちろん、自由民権運動対策念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想軍国主義権化のごとき過激ものでもなかった。

追加修正

西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

1919年、『勅語衍義』の執筆者井上哲次郎によって「教育勅語修正を加へよ」という論考が発表された

この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

1948年6月衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左

教育勅語」は、狂信的な神国思想権化ではないが、普遍的通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

2008-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20080216204820

うっとうしい話でスマン。

昭和33年の改訂を出した意図は、戦後かなり早くから道徳(の時間)の必要性を唱える人が少なくなく、

それはきちんと法制化されていた、ということを強調したかったから。

意外にも、単に戦前への回帰というわけでもないし。

有名なのはこの人とか:天野貞祐 - Wikipedia

一応、戦後一貫して道徳教育について言えることは、建前上、道徳教育道徳時間だけに限らず

学校での全活動を通して行う、ということだけ。

道徳教育は、道徳時間だけでなく教科の時間や学級活動など諸々の場所で学ばれるものであると。

そういう意味で「道徳時間空洞化」はあったのかも知れない。でもそれは「道徳教育の排除」とは大きく違う。

学習指導要領のその後の改訂を見ても「道徳教育が徹底的に排除された」ような事実がないのは、

改訂のまとめ部分だけ見ても分かると思う。もちろん「修身」的なものは排除されたわけだけども。

各所に見える「人間性」とか「人間形成」とかって、全部道徳教育意識した言葉だよね。

まあ個人的には、戦後道徳教育は「マスゲーム的なもの」が担ってきたんだろうと思ってる。

そしてマスゲームには修身的な匂いもある。

で今、またぞろ道徳教育重要性が叫ばれている理由はよく分からないけど、

いよいよ何か踏み切らざるを得なくなったきっかけはサカキバラ事件なんじゃないかな。

要は「生命の価値」を伝える教育、命の教育が大事だと。

まあ大事だと言うだけは簡単で、そういうことをどうやって教えたらいいか、分かってる人はどれくらいいるのか、

もしそういうメソッドが仮にあったとしても、それって国家主導であまねく実現できるものなのか、疑問は尽きないわけだけど。

また難しいのは、こういうのはただ考えて分かるだけのものでもないところ。

だから、今の道徳教育の問題を語るときに、戦後教育個人主義の行き過ぎだったとか、日教組のせいだとか、

旧来のイデオロギーを持ち出した時点で大外れだと思う。

というか「戦後教育」とまとめた時点でアウトかなと思う。

一番の問題は、伝えたい内容があっても、学習指導要領的な発想では、それを伝えるためのメソッドが結局のところ、

修身的なものかマスゲーム的なものしかない点じゃないのかな。

「反復→暗唱」とか「KY同調」といった学び方ではどうにもならない。

もし勇気があるなら、学習指導要領に「道徳時間屠殺見学が必須」とか明記すれば、

ずいぶん命の教育にはなるんじゃないかと思う。

 
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