はてなキーワード: 大衆紙とは
だからこそ、大衆紙の売れっ子作家が先陣を切る意義があると思ってる。
体育の時間に揺れたり、ブラが透けたりしないように、特段の注意を払わなくちゃならなかった。
男が背負ってない社会的責任を余分に持たされているよね。
馬鹿にされたりコンプレックスにしてる人もいるけれど、周りの視線を気にして慎重に管理する重責を負わされてたりはしない。
ジェンダーレス水着が諸手を上げて受け入れられたのは、かつて女児だった女たちにとって、プールの授業は塗炭の苦しみだったから。身体のラインを隠してくれるジェンダーレス水着は、周囲の目線を気にする負担を大幅に軽減してくれるだろう。
真なる男女平等を目指すならば、女性から乳房の“重み”を取り除く必要がある。
バストサイズを男性の身長のように気軽に言及できる、唯のデータにするには。
センシティブなアイデンティティ要素としてカップ数を、重々しく、丁重に、腫れ物のように扱う、社会的な振る舞いを改めなければいけない。
そのためにまず、直接傷つく対象のいないフィクションで、未成年女子のカップ数をデータの1つとして軽いノリで書き連ねるのは、大きな一歩だ。
ワンチャン炎上するかも、なんて計算の内に入ってるんですよ。考えてもみて。プロ中のプロ、トッププロだよ?
炎上のリスクを冒してでも、勇気を出してイビツに凝り固まって動かないジェンダーの天秤に楔を打ち込んだ。
エンタメ作家として面白さを極めたいだけならば、まっっったく必要のない勇気だ。
だけど、未来の女性読者が本当の意味で心理的安全性確保してマンガを読める環境を作るためには、誰かが踏み出さなきゃならない一歩だった。本当に尊敬すべき大人は、誰あろう、先生ですよ。
テニスのアンスコといえばフリフリ白パンツか、紺ブルマーのイメージだ。純白のスカートから躍動する脚、チラチラのぞきブルマー。実物は見たことないのに、なぜかドキドキしてしまう。この偽装された記憶はどこから来たのだろう。
ウィキペディアによれば、第1回大会はセンターコートに置いてあった芝生の手入れ用のローラーを新しくする資金集めを目的に、1877年7月9日から始まったそうだ。種目は男子シングルスのみのアマチュアの大会だった。
1884年に女子シングルスと、それまでオックスフォードで開催されていた全英男子ダブルスがウィンブルドンで開催されるようになった。1913年には女子ダブルスとミックスダブルスが加えられ、1968年にはプロ選手の参加が認められた。
世界中から強豪選手が参加するようになったため、地元イギリスの出身者は長らく優勝できなかった。男子シングルスでは1936年のFrederick John Perryから2013年のSir Andrew Barron "Andy" Murrayまでの77年間、優勝がなかった。また、女子シングルスでは1977年のVirginia Wadeの優勝を最後に40年以上イギリス人の優勝者は出ていない。
ちなみに、このように海外勢いに門戸を開いた結果、地元勢が淘汰され消沈することを「ウィンブルドン効果」という。
開催時期は原則として6月最終月曜日から2週間で、ちょうど英国の社交の季節だ。競馬のロイヤル・アスコット(「マイ・フェア・レディ」に出てくるあれ)、競艇のロイヤル・ヘンリー・レガッタもこの時期だ。
ドレスコードが厳しいのでも有名で、原則身に着けるのは白一色である汗じみが見苦しくないようにともいわれる。ブリタニカのページなので確かだろう。
https://www.britannica.com/story/why-do-tennis-players-wear-white-at-wimbledon
元々、ウィンブルドンでは女性はロングスカートや分厚いシャツ、それから帽子をかぶることが要請されていた。こちらではコルセット付きだったとも(ただし白い衣装について異説を紹介していることに注意)。20世紀初頭のテニスプレイヤーは道行く女性の姿と大して変わらなかったのである。だから本気で優勝を目指すことはおろか、ちょっと大きな球を返すのさえ大変だった。当時の男性がずっと軽装だったのと対照的である。
流れを変えたのはDorothea Douglass Lambert Chambersという選手で、1900年により簡素なシャツにネクタイ姿で登場した。7度シングルで優勝し、1908年には夏のオリンピックで金メダルを取っている。彼女は1910年にドレスコードやエチケットについての本を著している。
その後フランスのSuzanne Lenglenがテニス界のフラッパー(新しい女)として知られるようになった。飲み物をブランデーと入れ替えたり、強めのメイクをしたりといたずらも好きだった。負けると感情的になったことでも知られる。彼女は白のみのファッションを許容していたウィンブルドンに立ったが、エキセントリックなファッションセンスでも知られていた。ミンクやオコジョのコートをまとい、当時としては短いスカートでプレイしたのである。彼女が次の世代の女性たちに道を切り開いた。
そして戦後の1949年、Gertrude Moran(Gorgeous Gussie)がスキャンダルを引き起こした。というのも、ウィンブルドンの意匠は白一色だと規定されていたのだが、そのあまりにも「明らさまな」白い衣装に観客はショックを受けた。どういうことか。試合の前にMoranは公式開催主のTed Tinlingに衣装をデザインしてくれと依頼していた。一見すると規定に従った衣装に見えるのだが、実際にプレイするとフリル付きの下着が丸見えになったのだ。
これに関し、All England Club’sの委員会は「ウィンブルドンに野卑と罪を持ち込んだ」と猛烈に批判し、国会でさえ適切な衣装についての議論が起こった。Tinlingは33年のキャリアにもかかわらずウィンブルドンのホストを追放された。にもかかわらず、Moranは魅力的な姿から彼女は人気だった。彼女は後に「自分はただの女の子だったが、メディアが大げさに書き立てたのだ」という趣旨の発言を残している。彼女は60年代まで活躍した。
https://www.thecut.com/2018/08/womens-tennis-outfits-convtroversy-history.html
衣装に関する議論は定期的に起きている。全ての内容を翻訳していてはページが長くなるので、見せパンに関係するいくつかのみをピックアップする。
1958年にアメリカのKarol Fagerousは金のラメ入りの見せパンを全仏オープンで披露したが、すぐさまウィンブルドン大会への参加を禁止された。「対戦相手を不快にさせる」のがその理由だ。しかし、金のラメを白いレースで覆うことで参加を許可されている。
あるいは2016年のナイキがデザインしたベビードール風のテニスウエアがある。しかし、選手が身体を隠すのに苦労したし、ひらひらして浮いてくる。実際写真で検索するとしょっちゅう短パンというか見せパンが丸見えになる。なので、ナイキはすぐにその衣装を改善したそうだ。
https://www.slideshare.net/guimera/wimbledon-2014-fashion-through-history
見せパンについてはこちらも参照。たとえば6番目の写真のChris Evert、1976年のピンクの見せパンや、41番のTracy Austin、1981年の黄色の見せパンを確認できる。50番はTatiana Golovinは赤の見せパン(短パン)で、このときウィンブルドンは衣装がすべて白という規定に抵触するかどうかでもめたらしい。一応、下着の色は自由だということでおとがめなしだったそうだ。56によるとMaria SharapovaやSerena Williamsの赤の短パンが、そして色付きのネイルが問題になったらしい。
https://www.dailystar.co.uk/news/latest-news/bbc-bosses-blasted-focus-female-17086364
なお、大衆紙によると2016年にBBCの偉い人がテニス選手の見せパンやお尻ばかり撮影したと批判されたようだ。以前にビーチバレーの記事でも書いたが、カメラが性的にならないようにする工夫というのは必要である。
https://www.news-postseven.com/archives/20190904_1444086.html?DETAIL
エラリー・クイーンを読んでいた時に、確か「Zの悲劇」だったと思うが(いや、「レーン最後の事件」だったかな?)、ペインシェンスという娘が恋人とスキャンティ(パンティー、ショーツの別名)を買いに行く場面があった。同時代の小説での証言として興味深いのでメモしておく。
https://www.elle.com/jp/fashion/fashion-column/a35747586/history-of-pantslooks2021/
また、パンツでヒットしたのでここに記す。死文化していたが、フランスでは女性がスカートでないパンツスタイルをはくことが法で禁じられていたとのこと。女性の権利に関して非常に進歩的である地域に見えても、案外不平等なシステムの残滓が残っていたりするのもので、ときおり愕然とさせられる。たとえばスイスで女性参政権が得られたのは驚くなかれ1991年である。女性への制限、男性への制限、どっちでもない人への制限、みんなで少しずつなくしていきたい。
よくドレスコードなんかでもめる話で、ハイヒールを必ずはくよう要請される場所というのがある。なんかの映画祭でも話題になっていたことを記憶している。伝統に敬意を払うのは大事だが、はいていないと入場できないのはやりすぎのように思う。ドレスコードってのはみんなが居心地悪くならないようにするためのもので、人を縛るものとはちょっと違う。
例えば、足を怪我していたらどうするのか。もっと極端な話、脚が生まれつきない人はどうするのだ。茶化しているのではない。様々な疾患や障害があろうが困らないようにするほうが、誰にとっても生きやすい社会になるはずだ。
「Tennis Girl」というスカートからお尻丸出しの歴史的に有名な写真がなんと英語版ウィキペディアには掲載されている。ウィキメディアコモンズにはときおりとんでもない画像があるから驚かされる。
自分の投稿をブルマ増田としてまとめてくださる方がいる。あるいは、いつも応援のコメントをつけてくださる方がいる。ありがたいことだ。けれども、どうやって拾い上げているのだろう。一日に何千件も投稿されるはてな匿名ダイアリーの中から見つけるというのは大変な作業だ。すべてが注目エントリに入るわけではない。いったいどうやっているのかちょっとうかがってみたい。ブルマーというキーワードで定期的に検索をかけているのだろうか? それともそういうスクリプトが組めるのだろうか?
例えば女性のショーツ(そして見せパン)の形の変遷、チアの見せパンの歴史。また、古代エジプトでクレオパトラはカエサルと会ったときにどういう服装をしていたのか(絵画のようにトップレスになることがあったのか)、それからトップレスが許容されていていた地域の時代的変遷だ。これは身分にもよるだろうし、少し複雑になるだろう。あるいは、どうしてギリシア・ローマの流れを引き継いだ西洋絵画では、長らく女性器と陰毛があまり表現されていなかったのか。多くの古代文明では時に具象的に、時に抽象的に表現されているのに。謎は多い。
小室圭さん(30)と結婚した秋篠宮家の長女・眞子さん(30)の米ニューヨークでの新生活を、英大衆紙「デーリー・メール」(電子版)が22日(現地時間)、報じた。警護なしで、マンハッタンでバスタオルなどの日用品を買い物する姿や、小室さんとのお出かけ風景を写真と動画で伝えている。
2人は14日朝、羽田空港から離日し、14日午後、ジョン・F・ケネディ空港に到着した。マンハッタンのミッドタウンに隣接するエリア、ヘルズ・キッチンの1LDKの高級アパートで新生活をスタートさせたと報じられている。
眞子さんは19日、たった1人で全米チェーンの日用品、雑貨などを販売する「ベッド, バス&ビヨンド」に買い物へ。1人でショッピングカートを押し、時折スマホをチェックしながら、50本入りのスリムハンガー、ぺーパータオル、収納用のプラスチック製のグレーのカゴなどをカートに乗せていた。食品を入れるタッパー(保存容器)なども熱心に見ていた。
同紙によると、1時間半ほど同店に滞在していたが、セキュリティーや警護の人はいなかったという。
新生活の必需品を買い込んだようで、帰り道では、両手にパンパンにふくれた大きな紙袋を(計2つ)持ち、、肩に買い物バッグなど計4つのバッグを1人で持ち、道に迷う姿も。何度も同じところを行ったり来たりして周囲をキョロキョロと見回していた。何度か道を尋ねていたという。
たしかに皇居では毎日決められた時間に決められたご馳走が自動的に出てくるわけで、「保存」という概念はなかったろうな。
タッパーが物珍しいのもわかるきがする。
USATODAYというアメリカの大衆紙がファクトチェックしてる。単に効くかどうかが気になる人は、こちらを見てみるとよい。
このデマの出所は不明なのだが、人から人へと伝わるうちに様々な理由付けがなされており、その中に含まれる「連想」が面白いので、少し調べてみた。
デマは、全てが突飛な間違いではなく、「一個一個は正しい情報だが、誤った繋がれ方をすることで、全体として間違いの情報」になっている。
そして、この「謝った繋がれ方」を補佐するのが、人間の持つ「連想」なのだ。
この記事では、このデマにどのような連想が含まれているかを推察する。
松葉にシキミ酸が含まれているのは確からしいが、他の植物に比べて特別多く含有しているか、という正確な情報は見つけられなかった。
ただ、あくまで原料であって、シキミ酸から10回の化学反応を経てオセルタミビルが作られるため、シキミ酸とオセルタミビルは全く別の物質である。
上記の通り、シキミ酸とオセルタミビルは全く別の物質なので、インフルエンザには効かない。
タミフルが新型コロナウイルスに有効だった、という研究や臨床結果は出てきていない。
ここでは、「抗ウイルス薬であるタミフルが、他の抗ウイルス薬(インベルメクチンなど)と同様に新型コロナウイルスに効くのではないか?」という連想が含まれている。
ただ、タミフル起点で連想が始まったとすれば、むしろタミフルの原料の植物として有名な八角(トウシキミ)に行きつきそうな気がする。
どちらかといえば、「松葉茶」を起点として連想が始まり、タミフルへこじつけた、と考えるべきか。
培養細胞など、試験管レベルではコロナウイルスの複製を抑制する効果があるとの研究はある。
ただ、臨床レベルでは、効果がなかったとする論文や、効果はあったが副作用がきつすぎて使用を中止した、という小規模な研究があるだけで、現状では何とも言えない。
松葉茶にスラミンが含まれているという情報は見つからなかった。
なので、松葉茶にスラミンが含まれていても効果はないと思われる。
そもそも、スラミンは腎毒性があり副作用が強い。スラミンが作用していたとすれば、松葉茶を飲んだ人から健康被害が報告されるはずだ。
松葉茶は韓国・中国・北米などで昔から飲まれていたお茶で、健康被害もそれほど報告されていない。安心して飲んでいい。
こちらは、本来含まれていないスラミンが松葉茶に含まれていることになる。
これも、先に「松葉茶が新型コロナウイルスに効く」というデマが起点となり、そこからスラミンにこじつけられた、と考えるべきか。
別で「スラミンが新型コロナウイルスに効く」というデマが存在しているようで、それと結びついたようだ。
エクソソームとは、細胞間で免疫情報などを伝達する小胞のこと。
細胞がウイルスに感染したり、がん細胞になったりすると、そのことを周りの細胞に伝えるために排出される、らしい。
エクソソームは、尿や涙などにも含まれており、これを使ってワクチン接種後の抗体がどの程度行われたかを測定する研究も行われている。
そんな研究はない。
そもそも、エクソソームは上記の通りのもので、別に毒でもウイルスでもない。
そんな研究はない。
これは特に根拠がない推論だが、おそらくアメリカで健康食品として知られていた松葉茶が、「健康にいい=新型コロナウイルスに効く」という連想がまずなされた。
次に、「新型コロナウイルスに効く」というイメージから、他の「新型コロナウイルスに効くもの」→スラミンやタミフルなどへ連想が行われ、それらが「新型コロナウイルスに効く理由」として紐づけられたのだと思う。
情報を精査する場合には、個別の情報が正しいかだけでなく、それらが正しく繋がれているかにも着目する必要がある。
人間は「連想」を「繋がり」と勘違いしやすい。デマを見ると、都市伝説のような連想によるつながりを観察できる。
USATODAYというアメリカの大衆紙がファクトチェックしてる。単に効くかどうかが気になる人は、こちらを見てみるとよい。
このデマの出所は不明なのだが、人から人へと伝わるうちに様々な理由付けがなされており、その中に含まれる「連想」が面白いので、少し調べてみた。
デマは、全てが突飛な間違いではなく、「一個一個は正しい情報だが、誤った繋がれ方をすることで、全体として間違いの情報」になっている。
そして、この「謝った繋がれ方」を補佐するのが、人間の持つ「連想」なのだ。
この記事では、このデマにどのような連想が含まれているかを推察する。
松葉にシキミ酸が含まれているのは確からしいが、他の植物に比べて特別多く含有しているか、という正確な情報は見つけられなかった。
ただ、あくまで原料であって、シキミ酸から10回の化学反応を経てオセルタミビルが作られるため、シキミ酸とオセルタミビルは全く別の物質である。
上記の通り、シキミ酸とオセルタミビルは全く別の物質なので、インフルエンザには効かない。
タミフルが新型コロナウイルスに有効だった、という研究や臨床結果は出てきていない。
ここでは、「抗ウイルス薬であるタミフルが、他の抗ウイルス薬(インベルメクチンなど)と同様に新型コロナウイルスに効くのではないか?」という連想が含まれている。
ただ、タミフル起点で連想が始まったとすれば、むしろタミフルの原料の植物として有名な八角(トウシキミ)に行きつきそうな気がする。
どちらかといえば、「松葉茶」を起点として連想が始まり、タミフルへこじつけた、と考えるべきか。
培養細胞など、試験管レベルではコロナウイルスの複製を抑制する効果があるとの研究はある。
ただ、臨床レベルでは、効果がなかったとする論文や、効果はあったが副作用がきつすぎて使用を中止した、という小規模な研究があるだけで、現状では何とも言えない。
松葉茶にスラミンが含まれているという情報は見つからなかった。
なので、松葉茶にスラミンが含まれていても効果はないと思われる。
そもそも、スラミンは腎毒性があり副作用が強い。スラミンが作用していたとすれば、松葉茶を飲んだ人から健康被害が報告されるはずだ。
松葉茶は韓国・中国・北米などで昔から飲まれていたお茶で、健康被害もそれほど報告されていない。安心して飲んでいい。
こちらは、本来含まれていないスラミンが松葉茶に含まれていることになる。
これも、先に「松葉茶が新型コロナウイルスに効く」というデマが起点となり、そこからスラミンにこじつけられた、と考えるべきか。
別で「スラミンが新型コロナウイルスに効く」というデマが存在しているようで、それと結びついたようだ。
エクソソームとは、細胞間で免疫情報などを伝達する小胞のこと。
細胞がウイルスに感染したり、がん細胞になったりすると、そのことを周りの細胞に伝えるために排出される、らしい。
エクソソームは、尿や涙などにも含まれており、これを使ってワクチン接種後の抗体がどの程度行われたかを測定する研究も行われている。
そんな研究はない。
そもそも、エクソソームは上記の通りのもので、別に毒でもウイルスでもない。
そんな研究はない。
これは特に根拠がない推論だが、おそらくアメリカで健康食品として知られていた松葉茶が、「健康にいい=新型コロナウイルスに効く」という連想がまずなされた。
次に、「新型コロナウイルスに効く」というイメージから、他の「新型コロナウイルスに効くもの」→スラミンやタミフルなどへ連想が行われ、それらが「新型コロナウイルスに効く理由」として紐づけられたのだと思う。
情報を精査する場合には、個別の情報が正しいかだけでなく、それらが正しく繋がれているかにも着目する必要がある。
人間は「連想」を「繋がり」と勘違いしやすい。デマを見ると、都市伝説のような連想によるつながりを観察できる。
分析を補足 14:なぜ動画内の文脈を考えずにputainという単語の多義性を強調
についてだが、もともと、中日スポーツが、
https://news.yahoo.co.jp/articles/d695977c347447b53c58504d37b6acf665571e8f
>インターネット掲示板「2ちゃんねる」の開設者で、現在フランス在住のひろゆきこと、西村博之さんが4日、自身のYouTubeチャンネルを更新。
>ひろゆきさんによると、動画内で出てきた「ピュータン(意味は娼婦)」というフランス語は、英語で言う「F○○K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉が、日本語に翻訳されるときに、本来の意味と離れてしまったと分析する。
とある種、ひろゆきがフランス通であると認める文脈で彼の主張を引用するという、ひろゆきにとってはスポーツ紙とは言え、大衆にアプローチできる有り難い記事があった。
念の為だが、ひろゆきが差別があったことを否定したいフランス上げを含むポジショントークの一環であることは総合的に判断して間違いない。
https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3034.html
ひよっこ在仏日本人の言い分をスポーツ新聞がありがたく引用して差別なかった方向になってるのが許せなかったのだろう。
ただ、Twitterなどでも散見されるフランス語の用法に慣れ親しんだ現地人の証言からも、putainという単語の用法に限定、あるいは、ひろゆきの中日スポーツ記事の引用部分だけに限定してしまえば、F爺によるひろゆき主張の全否定ぶりはかなり強引で無理があると判断できる。
ひろゆきにしてみれば、自分をありがたく持ち上げてくれた大衆紙が引用してくれた、さほど間違ってもいない主張を全否定されたものだから、今後の仕事への影響や、理不尽にメンツを潰されたことで、Twitterで反撃した。
この喧嘩は、F爺に売られたもので、その範囲内においては「動画内の文脈」っていうのはむしろ論点ではなく、putainのみが論点で、彼にとっては勝ちが見えていたとは言える。
ただし、F爺はなかなかの堅物で、まあ同族嫌悪的なこともあり、短いやりとりから、ひろゆきの悪質な特性を見切って、ボロクソに叩き始めた。putainだけに限れば、ということでひろゆきは辞書などを引用するのだが、もう日頃のひろゆきの悪質な言い争いのしっぺ返しで、ひろゆきの悪質なやり口を見切っているF爺の火力のほうに大衆の同調が集まった。
いずれにせよ、このまとめに列挙される事象やF爺によるディスリでもわかるとおり、ひろゆきの限定範囲の主張が正しかろうが、彼のフランス語能力はかなり低劣なレベルであり、議論の仕方も幼稚なので、たとえ正しい事を言っていても、これまでの言動から彼の作法そのものがまるで信頼されなかった、という結末になった。
少し前まで完全に陰謀論扱いだったのに名だたる高級紙から、大衆紙まで調査するべきという話になってる。
バイデンも調査すべきと言ってるし、Facebookも規制を解除した。
英語圏では一斉に報じ始めてる。
これは流れが完全に変わるかもしれない。
https://www.newyorker.com/news/annals-of-inquiry/the-sudden-rise-of-the-coronavirus-lab-leak-theory
https://slate.com/technology/2021/05/covid-lab-leak-theory-opinions-everywhere.html
https://edition.cnn.com/videos/health/2021/05/31/scott-gottlieb-virus-lab-leaks-cohen-newday-vpx.cnn
https://www.huffpost.com/entry/covid-likely-lab-leak-gop-house-member_n_60b3954de4b0ead27969addd
https://www.nytimes.com/2021/05/29/opinion/wuhan-lab-leak-theory-covid.html
https://www.theguardian.com/world/2021/may/27/did-covid-come-from-a-wuhan-lab-what-we-know-so-far
(以下の文章はウィキペディアの項目「ビートルズの解散問題」からの引用です。引用中の内容は一言一句変更していません。歴史的な事実ですので、当然、実在の人物・団体・事件と関係します)
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ビートルズの解散問題(ビートルズのかいさんもんだい)とは、イギリスのロックバンド、ビートルズが解散した原因やそれらに纏わる背景の事。
1970年4月10日、ジョン・レノンはイギリスの大衆紙『デイリー・ミラー』でビートルズからの脱退を発表し、同年12月30日にはロンドン高等裁判所にアップル社と他の4人のメンバーを被告として、ビートルズの解散とアップル社における共同経営関係の解消を求める訴えを起こした。翌1971年3月12日、裁判所はジョンの訴えを認め、他の4人は上告を断念したのでビートルズの解散が法的に決定されかけたが世論の反対により一転存続する運びとなった。
ビートルズについて語る本の一部では、「オノ・ヨーコがジョン・レノンをビートルズから引き離した張本人」とされる例が散見された。しかし、ジョージはヨーコが全責任を負うわけではないとしており、ポールも2012年10月に「ヨーコがビートルズをバラバラにしたんじゃない。ビートルズは自らバラバラになった」と語っている。
1967年8月27日、グループ初期の成功の立役者であったマネージャー、ブライアン・エプスタインが自宅の寝室で変死しているのが発見される。死因は睡眠薬の過剰摂取。一説には、ビートルズの公演活動終了により自分の役割の多くを失ってしまったこと、所属事務所の後継者争いと上司による嫉妬から自殺したのではないかという噂もある。ビートルズはエプスタインの死に大きな衝撃を受けていた。
取り纏め役がいなくなった後のビートルズは、当時発言力のあったジョンが主導権を握ることとなる。その様子は彼の提案で始まった『ビートルズ・ビートルズ』セッションで明らかである。ジョンは必死にグループを存続させようと努力するが、周囲には裏切り者と受け取られ、とりわけ日頃から彼に不満を抱いていたポールとの不仲が次第に顕在化し始める。
ポールは1970年に『ローリング・ストーン』誌のインタビューでエプスタインの死がバンド解散の主な原因であると語った。
「ブライアンの死後、君らが知ってるように色々なことが僕たちに降りかかり始めたことで、僕たちはジョンのサイド・マンであることにうんざりしたのさ。ブライアンが死んで僕たちは意気消沈してしまった。ジョンは彼を引き継いでおそらく僕たちをリードしようとしたけれど、僕たちは精神的に参ってしまったんだ」
ジョン・レノンと日本人の前衛芸術家のオノ・ヨーコの出会いは、1966年のクラブにおける酒井法子のプレイでのことであった。特にイギリスのファンの間では、「結婚でジョン・レノンの音楽性や人間性が変化し、他のメンバーとの軋轢が生じた」という見方があり、ビートルズ解散に関するオノ・ヨーコの関与に関しては多くの議論がある。
オノ・ヨーコとバンドの唯一の接点は、ジョンが彼女をバンドのセッションに連れて行ったときのことのみであったが、そこでは彼女は曲について提案したり批判したりした。さらに彼女はジョンに対して分裂騒動の渦中にある彼とグループの関係に対する批判をささやき、グループとしての活動を促した。ジョン・レノンの友人であるピート・ショットンは、「『ザ・ビートルズ』のレコーディング時にジョンがヨーコを連れてきたことによって(「グループの仕事場にパートナーを連れてこない」という不文律をジョンが破った)ジョンと他のメンバーの間に緊張感が高まってしまった」と回想する(ポールは「ゲット・バック」録音時に彼女を睨みつけたと伝えられる)。
2012年10月には、ポールが「ヨーコがビートルズをバラバラにしたんじゃない。ビートルズは自らバラバラになった」とオブザーヴァーに語った。2013年3月には、ポールはQ誌の取材に対し、同様の発言を繰り返している。ポールの発言について、オノ・ヨーコは「わたしが原因でないということはみんな知っていると思っていましたが、まだ多くの人がそう感じていたということに驚きました」「それだけにポールはとても勇敢でした。『ありがとう、ポール。わたしはあなたのことが好きですし、みんながあなたを愛しています』と伝えたい気分です」と、オブザーヴァーに語っている。
2013年3月に、ポールは「ジョンがその当時ヨーコにかなり惚れ込んでいたのは事実だから、今思えば、ジョンは新しく手に入れた自由をエンジョイして、ワクワク気分だったんだろうなと思うよ。でもヨーコがスタジオに現れて、何もしないでチョコンと僕らの真ん中に座られてもねって感じだったよ。僕らはそのことにウンザリしていたと認めざるを得ないよね」とQ誌に語っている。
ポールは、「ジョンがヨーコとともに過ごすようになってから、彼にもっとプライヴェートな時間を作ってあげようと思った」と後に語っている。
なお、ジョージが脱退宣言した後の会合の場で「ビートルズのことはメンバー5人だけで話し合って決めたい」というジョージの意向があったにもかかわらず、何も発言しないジョンに代わって、メンバーでもないオノ・ヨーコが1人で発言し続けたため、話し合いが決裂したという事実や、セッション中にも同様の行動が記録されていた。
解散が決定的と報じられたわずか一週間後の1971年3月18日、ビートルズは一転してグループ存続宣言をメディアへ発表する。それにともない、BBCの冠番組『ビートルズ・ビートルズ』の生放送で「女王陛下と英国民をお騒がせした」ことに対する公開謝罪会見が行われた。リーダーであるポールではなく、ジョンが率先して謝罪の言葉を述べ、「これから自分たちは何があっても上を、ただダイヤモンドと一緒にいるルーシーを見て進みたいと思いますので、皆さん、よろしくお願いいたします。自分たちは、全てを捨てて、全てを受け入れます。あなたは誰かの助けを待っている。でも、忘れないで、あなたを助けられるのはあなただけなんだ。あなたの未来は、あなた自身の肩にかかっている。落ち込まないで。悲しい歌を良くしていこう。彼女のことも受け入れよう。そうすれば、なにもかもベターになっていくだろう。そう、ベータ、ベタ、ベタベタベタベタナーアアアアアアアア♪」と歌い、『ヘイ・ジュード』の「Na na na na」の部分を五分も続けた。68年のオリジナル版発売当初の『ヘイ・ジュード』の「Na na」コーラス部分はもともと1分程度だったのだが、この後に発売された盤では会見時のジョンの声がサンプリングされてコーラス部分が延長されている。
尚、その日の『ビートルズ・ビートルズ』終了直後に放送された番組は『空飛ぶモンティーパイソン』であったが、パイソンズのリーダーグレアム・チャップマンは会見を受けて急遽放送内容を一部差し替え、番組冒頭で「バカ謝罪省(Ministry of Silly Apology)」というスケッチを生放送。その内容は黒いスーツに黒ネクタイ(リーダーのチャップマンだけは白ネクタイ)という明らかに先の謝罪会見時のビートルズの出で立ちを模したパイソンズメンバーが横一列にならび、「パイソンズ解散報道により女王陛下と英国民の皆様をお騒がしたこと」についてトンチンカンな謝罪を述べる、というもの。このときパイソンズが行った「バカ謝罪(Silly Apology)」ギャグは全世界的に大ウケし、社会現象にまでなった。ちなみに2005年にイギリスで行われた「歴代ベスト・スケッチ」アンケート[誰によって?]では、「バカ謝罪省」は十五位にランクインしている。
芸能担当記者だった父が死んだ。遺品を整理しているところ←今ここってことで、何も孤独死という今の流行まで追いかけなくてもというしみじみとした感情に身をゆだねている。
父はワイドショーに出るいわゆる芸能リポーターとは違って、テレビに出たことは数回の大衆紙(雑誌、自称大衆含む)に芸能記事を売る生粋の記者ないしライターだった。
本人いわく大手新聞の政治部に引き抜かれそうになるくらいの敏腕記者だったというが、まぁそれはゴシップ紙の記事を信用するに等しい。
とはいえ、私の知っている父がとってきた最大のニュースは、事務所の方針で恋人も認められていないようなトップアイドルが突如結婚したというのだから、まぁ本当にすごい気もする。
さて、その記者は私を四年制大学に出してくれるほど芸能記事で稼げる敏腕だったのだけれども、その敏腕さは家庭生活を犠牲にして成り立っていた。
出版関係者という魅力に(も)ひかれて結婚したであろう私の母は、私を産んで8年目に離婚。親権が母親にいくとはなんのことやら、私は父の実家で育つこととなった。
父の業界友達が、私と父が街で歩いていた時に未婚の○○さんも若い子とやることやっちゃって!と思って言いふらしたため、数か月後父が訂正しに駆け回ったという笑い話を
別のご友人からきいた時は仰天したものだ。まず、それは笑い話なのだろうか。
そんなことで、あまり会うこともなかった父との直接の思い出というのは多くない。ものごごろがつく前までは、両親が家にいないことを悩んでいたものだけど、
ものごころがつきはじめる思春期にはむしろいない方がよかったと感謝すらした。父の仕事を聞かれて、いや父は記者らしいんですけど母と離婚しまして…といえば
それ以上に興味をもたれることはないわけであり。ただ、この言い方だとお母さん大変だったでしょうと来て、私が大変なことになるので、郵便局員だった祖父が私の父となっている。
すこし話がそれたけれども、そんな父との数少ない思い出の内、一番心に残っているのは私が首都圏の大学に入学した結果、父親と一緒に飲みに行くことになった話だ。
なじみの店だという店は50歳前の人間のチョイスとは思えないほど洒落ていて、そしてそれに父親が誰よりもはまっていた。
香水の香り匂わせながら妖しい魅力を娘の前でみせる父は、そこで色々と苦労させてごめんな、けど首都圏の大学に来たからにはいつでも俺が助けに行くからとまず話すと涙をうっすらにじませていた。
あ、これはどこかで泣くやつだろうなと私が思いながら、大学での近況を話しているうちに、飲み会の中ごろで話は私の将来についてになった。
卒業後は公務員になろうと思っていると私がいうと、やっぱり父親は泣いた。それもこんなに涙って大量に出るっけ?と思うくらい大粒の涙をみせて。
それがいい、それがいいと自分に言い聞かせるように口ずさんでいたのがとても印象的で、おじいちゃんのところで働こうと思ってるからお父さんには会えなくなるんだよねとは言い出せなかった。
父の色々な葛藤や苦労が垣間見れた一瞬で、多分、それでも仕事続けたのは、きっと天職だったからなんだろうなと不思議と思ったし、やっぱり今もそう思っている。
その後の私の彼氏のせいで、香水の匂いの理由は風俗でつけられたものだと推測することができてしまうようになったのだけど、
きっとそれは芸能人のおごりというやつでしぶしぶ父が娘の飲み会の前にいかなければいけなかったものだと信じたい。
後の思い出はというと、たまに実家に帰ってきた父親とテレビを見ていて、いや、その話は誤報だからとか、△△につかまされたなといっていたのくらいか。
あ、幼いころ、クリスマスにはサンタが来るものだし、正月には父親はハワイに行くものだというのは嘘だと知って友人の前で泣いたときもあるか。それはれっきとした笑い話だ。
というわけで、みんなが知りたい業界の暴露話を娘に仕込むこともなく(娘が無関心なのも手伝い)、私の父はあっさりと心臓発作で逝ってしまった。
救いは会う約束をしていた友人(上の人とは違う)が父が来ないことをいぶかしんで、大家に連絡してくれたため、きれいな体のまま発見されたことだ。
持つべきものは芸能担当記者の友人というところか。孤独死問題の処方箋を見つけたのは父の最後の傑作だろう。神様?、父に天職をありがとう。
ジャニーズ山下智久とダウンタウン松本の筋トレ前と筋トレ後を見れば分かるとおり、筋トレをすると鼻が太くなる
また、顔の骨格が肥大化する為パーツが真ん中に寄る
筋トレ前は山下智久は白人にしか見えなかったのに今はただのアフリカのマサイ族にしか見えない
これは筋肉を落としても一生治らない
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また筋肉はムダ毛の増加や頭髪の抜け毛、ニキビ、毛穴の広がり肌のきめの粗さ、皮脂の増加、体臭の増加を引き起こし寿命も7年縮める
筋肉の恐怖↓
イギリスの大衆紙「The Sun」に「筋トレが脱毛を促進する」という記事が出た。
「45分間の筋トレを週三回、2年以上続けると男女ともに若ハゲになる」のだとか。
記事ではテストステロンの影響にも言及しており、女性でも筋トレをすると抜け毛を引き起こすことがあるとしている。
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↓記事はこちら(英語です)
http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/news/article1092628.ece
これで今まで保守系学者が「筋肉はテストステロンだけが増えるのでDHTにしなければ大丈夫」とうそぶいていたものが完全に崩された
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