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2014-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20140320223649

ええとね、「大江光」「和波孝禧」「辻本伸行」「フジ子・ヘミング」「川畠成道」あたりでぐぐってみてからそういうことは言おうね。

クラシック界ではもともと、障害と結びつけてお涙頂戴物語で売り出すって手法はこの数十年常套手段だったわけ。

その一方で、こういう人たちはそういうお涙頂戴物語下駄を履かせて貰ってるだけで、実際の演奏はたいしたことないって批判もあった。

実際、上に名前を順不同で並べたけど、正直言って実力はこの中でも千差万別だからね。障害がなくても売れてただろう人も、そうでない人もいる。

で、本当の意味で「障害者を受容する」ってことは、「障害者」を特別扱いしない、する必要がない状態のことを言うってのはいいよね。例えば近視なんて昔なら弱視とかわらない視覚障害者だったわけだが、今となってはメガネコンタクトがあれば「健常者」と区別する必要は全くない。パイロット採用試験とか除けばね。

その上で、「特別扱い」されずとも芸術家として高い尊敬を受けてる人ってのはクラシック界にはもともといっぱいいるわけ。ベートーヴェン自身がまずそうだし、それからたとえば現役で世界的に有名な例でいうとパールマンとかクヴァストホフとかかな。こういう人の音楽聴くとき、この人たちが身体障害者であることなんて誰も意識してない。

はっきり言うと、ディープクラシックファンはベートーヴェンパールマンやクヴァストホフは尊敬してても、佐村河内守(発覚前)とか大江光とかフジ子・ヘミングなんてのは馬鹿にしてたりするわけ。理由は単に「腕が良くない」から。二流音楽家がお涙頂戴物語のせいで超一流の椅子を奪っていると、眉を顰めているといってもいい。小保方晴子にたいしてアカデミアが厳しいのと同じ理由の一部とも重なるだろうね。

そういう意味では、佐村河内だのフジ子だのを甘やかす「社会」というのはバリアフリー思想観点でも、クラシック音楽への理解観点でも、はっきり言って底が浅いとしか言いようがなく、批判されても仕方ないと思うよ。

 
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