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はてなキーワード: 大塚幸代とは

2021-07-20

初期Quick Japanって、大泉実成など、弱者に寄り添う感じもあったのに、イジメ紀行みたいな醜悪なやつもあって、なんだったんだろうね。赤田祐一弱者に近いと勝手に思ってたから、あの感じはなんか意外だった。

小山田圭吾過去の精算の余波で、久しぶりに赤田祐一でてきたらいいのにな。いまこそロングインタビューだと思うけど。読みたい。

あと、赤田祐一後のQuick Japanといえば、いろいろ面白いことやってたにもかかわらず、大塚幸代イメージけがつよい。本当にキモかった。でも、あのキモさは、小山田圭吾インタビューキモさに通じる。後に、ああいキモライターの箱になったことを思うと、小山田圭吾記事みたいなのがでた風土QJらしさだったのかな。

まあ、当時から、「消えたマンガ家」だけ立ち読みして、あとは特集によってたまに買う、というくらいにしかハマれなかった程度の自分感想です。当初は、自分達の世代&サブカルチャー代表する雑誌にならないかなと期待してたけど、期待ハズレでした。

2016-01-01

2015年増田10

増田文学個人的体験談を中心に。

順番は特に付けないが、俺的増田大賞は「ホモがFableIIIというゲームプレイした話」にあげたい。

02/11 仕事終わって近所のスーパー行ったら 67

http://anond.hatelabo.jp/20150211174124

06/15 私の洗濯機! 242

http://anond.hatelabo.jp/20150615104726

06/26 2chおっぱい晒す卒業した 84

http://anond.hatelabo.jp/20150626210241

07/01 ホモがFableIIIというゲームプレイした話 112

http://anond.hatelabo.jp/20150701003420

07/01 父が死んだ 155

http://anond.hatelabo.jp/20150701193718

07/13 聞き間違い過多 358

http://anond.hatelabo.jp/20150713150524

10/11 北海道増田投稿歴史 89

http://anond.hatelabo.jp/20151011221528

11/02 おっさんは光の戦士になりたかった 268

http://anond.hatelabo.jp/20151102022114

11/20 妻の元彼に頼み事をされた 299

http://anond.hatelabo.jp/20151120141725

12/11 掻爬(そうは)手術を受けてきた 290

http://anond.hatelabo.jp/20151211212703

番外

04/03 大塚幸代さんが嫌いだった(削除済) 138

http://anond.hatelabo.jp/20150403122312

http://megalodon.jp/2015-0403-1256-08/anond.hatelabo.jp/20150403122312

ほかの人による増田

2015年 増田文学傑作選

http://anond.hatelabo.jp/20151231094805

2015年増田について個人的感想とか

http://anond.hatelabo.jp/20151230232140

増田が選ぶ今年の増田トップ10

http://anond.hatelabo.jp/20151216012218

2015年増田記事トップ10

http://anond.hatelabo.jp/20151214180958

2015-04-08

大塚幸代さん

きっかけは忘れたが、デイリーポータルにはまって、大塚さんの書く文章の虜になった時期があった。

中学生の頃。当時私は転校をして、今までの自分全てを変えたかったけれど、何もかも上手くいかなくて何もかもに傷ついて、人とちゃんと付き合うことも出来なければ引きこもる勇気すらなくて、居場所がなくて辛いのにプライドだけは人一倍高く、泥のような毎日インターネットを心の拠り所とするのは必然的な流れだった。

大塚さん文章の一つ一つ、写真一枚一枚はそんな不器用な私の心理を見事についていた。

デイリー過去ログを全部読んで、ブログ過去ログも全部読んで、ネットラジオも初めて聞いた。

メールを出して、その返答がブログにアップされた時には読者全てにこれ私です、と言って回りたいほど感激した記憶がある。(当時の紙の日記にも書いている)(http://blog.hibi.her.jp/?day=20050401

東京デイリーイベントに行って本人にお会いしたことも一度ある。人見知りでほとんどろくにお話はできなかったが。

次第に私の頭は自分の恋の行方や進学や部活でいっぱいになり、デイリーポータルを初めとする当時の有名テキストサイト日参もおろそかになった。大学入学するころには新生活に夢中になってインターネットから離れていった。当然大塚さんの事もほとんど考えることがなくなった。

これで良いんだ、と思った。インターネットばかり見てなくても寂しくない。

もうほとんど忘れかけてた頃の、この訃報

今更都合のいい話かもしれないけど。今になって、もっとちゃんとお話してみたかった、あまりにも立場が違うし、合う話なんて何もないかもしれないけど。

あのときのグラグラ揺れていた女子高生は、大塚さん記事もおかげもあって、なんとか思春期脱出して生き延びることができました。

生きる支え…とまでいうのは語弊があるけれど、大塚さん記事をよんでホッとしたり、泣いたり、救われるような気分になったことも何度もあった。ありがとうございます

繊細で、不安定で、アンテナを貼りめぐらせていて、時々自分の中の澱を文章でぶちまけていた、その少し危ない感じが、目が離せなくて追いかけたくなった。

大塚さんさびしいです。本当に。もう一度お会いしたかった。

ご冥福をお祈りします

 
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