はてなキーワード: 厭世主義とは
富野はキャラクター没入型の作品作りをしないから一つの作品に強い女だったり昭和の少年だったり多様な人物像が混在して描かれることが多いと思うが
たとえばあるキャラクターが男尊女卑な発言をして物語内で咎められないというだけで作家の男女観や家族観を判定するといったタイプの間違いを犯しているというわけではないんだよな?
その上で、主人公格のキャラクターに一貫性が感じられないという話ならば、富野アニメの時代においてはアニメの主人公として選ばれる年代である思春期の少年少女にアンビバレントさが盛り込まれているというのはごく「自然」なことのように思われる
というのは物語が志向されていた時代においては、特に富野のような作家がめざしていそうな「現実に即した」少年少女たちというのは、常に変化し続ける生き物として描かれるからで、そこに現代にみられるような少年少女が特定の「キャラ」という固定化した役割を担うことで状況をシミュレーションするタイプの作劇を念頭に置いたキレイで一貫した解釈を当てはめても一面的になりすぎてうまくいかなくなるのが当たり前な気がする
こういう時代の物語においては、女に対して苦手意識の表出をするような少年が「キャラ」変のイニシエーションシークエンスを挟まずにいつのまにかだんだん女と仲良くなっているというのはかなり素朴な描写として「自然」で「現実的」なものであり、少年が女嫌いのような言動をとるのはそれがそういった主義や「キャラ」を持っているからではなくて、たまたまある期間そのような過程にあるということが「現実」の少年によくあるという時代の了解のもとに表れているものだと思う
逆に女に対して永遠に拒絶的であるというような描写があるとしたらむしろそれはなにがしかの強い主義のもとに描かれていて「不自然な」少年像として提示されていて、それならばのちの時代に「キャラ」として表出するフレームと同じものとして解釈するのはうまくいくかもしれない
富野のアニメに出てくる少年少女の人物像がそうした「キャラ」としての造形であるという解釈をするにはかなり強い根拠となる描写の検討が必要になると思うが、そういうのはあげられるだろうか?
一般に登場人物の言動が作者の主義の純然たる反映だという解釈はかなり危なっかしいのと、富野の主義が厭世主義や反出生主義であると表現から読み取れることと物語の登場人物が物語においてそれに違反した言動をとることは両立するということがあり、たとえば時代の要請する規範がどれだけ描写に影響を与えるかということとかもそうだし、逆に違反してみえる言動が読み取った厭世主義や反出生主義のアンチであるという解釈にもどれくらい正当性があるのか考えるとというあたりに議論が必要になる話題だと思う
先日、一人の友人の部屋に遊びに行った。便宜上、彼のことは〝彼〟と表記する。
初めて会った時から変なやつだとは思っていた。ろくに授業も聞かず、学校も部活もサボってばかりいる割にテストの点だけは良くて、ラノベの主人公みたいだという印象があった。
帰り道が同じ方向なので、僕はしょっちゅう〝彼〟と一緒に帰っていた。話してみれば面白いやつだった。僕も根は真面目ではなかったので、〝彼〟とは仲良くやることができた。
進んだ高校は別々だったが、もう一人別の友人を交え、僕たちは三人でことあるごとに集まった。
いつも遊ぶ場所は僕の家だったが、ある時〝彼〟の家に遊びにいく機会があった。
〝彼〟の家はすごく辺鄙な立地で、信じられないくらい細い路地を進んだ袋小路の先にあった。
外観はゴミ屋敷だった。銭湯の下駄箱とか、シーサーみたいな動物の置物とか、そんなもんどこで拾ってくるんだよと尋ねたくなるようなゴミで溢れかえっていた。
内装はバカの家だった。玄関のドアを開けるとまず真っ先にバカみたいなサイズの水槽の中に入った故の知れぬナマズみたいな魚と、明らかに飼い主の手に余っている気性の荒い大型犬が三頭出迎えてくれた。当然床はゴミであふれていて足の踏み場もない。大量の段ボール箱とか、いつ食ったのかもわからないコンビニ弁当のガラとか、とにかく生活感のあふれるゴミがわんさか転がっていた。あと窓ガラスが割れていて、ビニールテープで雑に補修してあった。
多分〝彼〟のご両親は頭がおかしいんだろうなと思った。先生の話を聞かないのも、一番身近な大人がちゃらんぽらんだから敬うことを知らないせいだろうと思った。
のちに聞くと、彼の父はDV常習犯の躁鬱病患者、母はそんな夫を見限ってまだ幼い息子二人と娘(〝彼〟には二歳下の妹と六つ上の兄がいた)を放って家を出て行ったのだとか。本当に両親揃ってダメ人間だった。
現在、〝彼〟のTwitterアカウントはFF比が3くらいあって、2000人くらいフォロワーがいた。投稿内容はアルファツイッタラーもどきの気持ち悪いツイートであふれていた。マッシュ頭に丸メガネというテンプレート通りの外見の自撮りを投稿して囲いのメンヘラ女を喜ばせたり、学問の話をして身内と盛り上がったりしていた。
あと〝彼〟は常に病んでいた。メンヘラというより厭世主義者で、誰かにかまってほしいから病んだふりをしているというより、本質的に狂っているような感じがあった。なにが面白いのかさっぱりわからない上に、なにか僕の感性の根本的な部分が拒否反応を起こすので普段はミュートしている。
〝彼〟の感性は普通ではない。太宰や芥川の作品のような雰囲気を纏う芸術の類ばかりを愛で、普通の恋愛とか、人間関係にはほとんど関心を示さなかった。恋人はいたし、その相手とは僕も交友があったが、やはりどこか壊れている女ばかりだった。援交でお金稼いでるとか、エロい自撮りを鍵もかけていないアカウントで上げているとか。
〝彼〟の感性は普通ではないから、部屋で遺書を見つけた時もただの悪ふざけかと思った。だって「遺書(これは常備のものなので私が死んでいない時には読まなくてよい)」とか書いてあるんだもの。けれど、悪ふざけにしては度が過ぎている。自殺する気があるのかどうかは知らないが(決してないとは言い切れない)、少なくとも常人よりは死を身近に感じているような雰囲気があった。
少し迷ったが〝彼〟は階下で僕と飲むためのお茶を用意してくれていたので、その隙に僕は勝手に内容を検めた。好奇心に負けた。
遺書は封筒にすら入っておらず、B5のコピー用紙の片面に印刷されているだけで、その乱雑さも〝彼〟らしいと感じた。
中には男女1人ずつのフルネームと連絡先が記されていた。男は大学で同じゼミに所属している人間で、女は元恋人だった。男には〝彼〟のスマートフォンの完全な破壊を、女には引き出しに入っているという手書きのメッセージを引き取るよう指示してあった。流石に女に宛てた手紙を勝手に読むことは良心の呵責が許さなかったが、いったいどんな手紙を残したのだろうか。(すでに良心が〜とかどの口が言うんだ、くらいのことをしているとは自分でも思うが)
〝彼〟は無駄なことをわざわざする人間ではない。誰にも発見されないかもしれないのに手の込んだネタを仕込むようなお茶目なやつでもない。
だからあの遺書は多分、本気で書いたものなのだろう。本気で彼はスマホの破壊と、童貞を捨てた相手にメッセージを伝えるくらいしか自分が死んだ後に望むことがないのだ。
言葉にし得ない虚しさがあった。育ちや環境に同情するには遠過ぎた。ただ、哀れに思った。
こんなことを考えるのは不遜にもほどがあるとは思う。人の遺書を勝手に暴いてこんなところに晒しておいてケチをつけるとは何事だと、これを読んでいるあなたはきっと思っていることだろう。
けれど、僕は悲しいのだ。仮にも数少ない友人である〝彼〟の人生が、こんな詰んだものであることが。
遺書には男の名を指して「君くらいしか頼める相手がいない」と書いてあった。
僕を頼れよ、とは思わない。だって僕は彼を救いたくないから。本当に気色悪いと思っている。
ただ、彼の人生が詰んでいるのが、ひたすらに悲しい。
〝彼〟はまだ生きている。3年前と同じことをツイートしている。
そして、僕の知らないところで人知れず死んでくれ。
いわゆるボーダーや、境界性人格障害というのが存在することは知っていたが、他にも複数の人格障害が存在し、「自己愛性人格障害、回避性人格障害」というのがあるということを先日知った。
特に「自己愛性人格障害」は夫にしてはいけないらしい。15年も一緒にいて今知ったことがあまりにショックで、書くことで気持ちを整理している。
人格障害は病気とちょっと違うから、薬なんかじゃ治せないらしい。ただ、本人が自覚することはほとんどないらしいが、夫は10年ぐらい前から人格障害を自覚していた様子。自分はボーダーだと信じていた。
自営の仕事で辛い局面に何度も立って、それが彼を気づかせてくれたのかな?とも思う。…と信じたい。が、その頃から極端な厭世主義者になってしまい、世の中の悪と自分が決めたことに関する仕事はことごとく引き受けなくなってしまった。1度成功しているから、2度目を期待して(ま、私もだけど)はや10年。ヒットを出せないと、恥ずかしくて故郷には帰れないと言う。その気持ちはわからんでもないが。大の大人が10年近くもプータローをできるんだろうか?
一番重大なのは、私が唯一夫を信頼して疑わなかった「強すぎるほどの責任感」、これがハリボテだったということ。
人格障害のことを調べていて、はっと気づいたのだった。
その責任感は、相手にバカにされないための完璧さを求めるがための「あがき」ともとれる言動で、責任感ではなかった。それに気づいた昨夜はショックで、今までの尊敬が一気に冷めてしまうと同時に、ここ15年の彼の行いが、すべて優しさや思いやりからではなく、他人にどう見られるか、他人に謗られたくない、自分は正しく立派な大人でなければならない、という完璧主義からきているものだったこと。母親が年老いたことで全てが上手くいかなくなってきたために、今まさに逆ギレ行動が私に向かって起きていたこと。
すべて辻褄が合う。
もしかしたら、ある種の鋭い人は、夫のそういう面を肌で感じ取っていたのかもしれない。私や息子可愛い母親は、全く気づかなかったというのに。
ガラガラポンで放り出された私は、これから、当てもなく独居することに。今、夫がやってくれている全ての親切がどうにも嫌らしく汚らわしく感じられてしまう私は、私の方がおかしいんだろうか? ただの飯炊き女&セックスマシンだったのか?
周りの友人も「いい旦那さんだね」って言ってくれる。そりゃそうだ、そういう夫を演じ続けるのが夫の大命題なんだから。
世の中の女性に気を付けてって言っておきたい。いつか、病気になるかもしれない、事業がうまくいかなくなるかもしれない、不景気で収入が減るかもしれない…そういう人生の危機のときしか、自己愛性人格障害の人は正体を現さない。「運悪く」何もかもうまく行っていると気づけない。
それには、付き合っているときにとことん彼の育った環境を聞いておくことだ。ググればどんな人がなり易いか、たくさん書いてある。フェミニストはうれしいけど、それが心からのものなのか否か、ときどき吟味してみるといい。
夫の場合は、その原因とも思われる出来事を昨夜聞かされた。なんとなくは聞いていたけど、あんまり立ち入ったら申し訳なくて詳しく聞いてこなかった私も悪い。何しろ世の中にそんな人種がいるなんて思いもしなかったから。
経済的に恵まれていた夫は、欲しいものは全て手に入れ、いじめられると親がしゃしゃり出、自分は悪いと諭されることなく、大人になってしまった。社会人になっても居心地が悪くなると(1つでもボロがでると)コロコロ職場を変えた。
夫の母親は未だに私を嫁と認めず、自分の息子が成功しなかったのは全て私のせいだということになっている。病気になってしまった妻なんかさっさと別れて帰ってきなさいといい、それができないのはお金目当ての嫁のマインドコントロールだという。…そんな華麗なる一族だったなんて先週初めて知ったし、籍もいれてくれないし、私には事実上の夫といっても何の金銭的メリットもない。保険金の受取人だって母親のままで、せめて1/2ずつとかにもしてくれなかった。わたしはさっさと彼を受取人にしていたけど、さっき変更しようと決心した。