はてなキーワード: 原動力とは
30代後半で出会いもなくてもうどうしようもなくて、老舗の婚活サービスに登録しようと銀座のセンターに出かけて行った。
そこでアンケートに延々答えて、その結果からカウンセラーの診断みたいなのを受けて、お値段とか期間とかセックスしちゃダメとか色々交際ルールの説明をしてもらって、「では最後にもう一度規約をご確認いただき、ここにサインをお願いします」というところまできて、いや、やっぱりやめますと席を蹴って帰ってきた。
理由は、自分が単なるデータのフローになってしまうように感じたから。
自分は仕事で、市場データやセールスフォースの取引データなんかを見て、この商材はどんなターゲットに売れるか、だとか、案件の成約率を増すにはどうすべきか、だとか、そんなことばかりやっていた。いまこの場でアンケートに答えて分析された自分というのは、まさにそのデータのひとつだった。個人ですらない。様々な属性の集合体。この属性とあの属性はマッチ率が高く、別の属性情報を加えるとスコアがこうなって……という感じで、自動的にプロセスされていくだけの存在。
そして会場の隣の部屋では、まさにそのプロセスの実体化みたいな「婚活パーティ」が繰り広げられていた。男女が5分間隔ぐらいで顔を合わせて、話をして評価する、そんな仕組み。
「寂しさ」、「人恋しさ」、「誰かを好きになりたい」みたいな動機が根本にあってここに来たのに、なんでバラバラのデータとして処理されるんだ。
40手間になってすごく青臭い感じだが、怒りが湧いてきた。これはちがう、人間として人間を好きになろう。次に会った人を好きになろう、ダメならそういう人生だ。そんな風に思い込んでその場を離れた。そして、その後これは本当にラッキーなことに、自分と同い年の女性とたまたま、少し会話する機会があった。呪文のように「この人を好きになろう」と思い込んで、えいやでLINEを聞いて、「今度上野の美術館で絵を見てみようと思うんですけど、興味ありますか?」と声をかけてみた。
彼女は、正直自分の好み(だと思っていた)のルックスとは対極だったし、稼ぎがあるわけでもないし、性格も色々難ありだと思えるところもあった。でも、不思議なことに「好きになろう」と思い込んでると、その人の良い面の方が常に上回って感じられるようになった(と、振り返って思う)。同時に、自分にも難があるのが次々にわかった。マンスプしがちだし、気が付くと洗濯や掃除をやらせちゃうところがあったし、喧嘩して泣かせるようなこともあった。そういう自分が凄く嫌で、次は変えよう、好かれようと思った。そう思ってる自分が不思議なぐらいだった。
で、結婚して5年経って、いまでも朝出かけるときにキスするぐらいの仲の良さではいさせてもらっている。
出会いはラッキーだったが、結婚まで持ってくことができたのは、婚活サービスへの怒りが原動力だったのかなと今でも思う。それに、お互い40手前で後が無かったし。
ジャニーズJr.っていうのはテレビに出てるジャニーズの後ろでペラペラな割に色やスパンコールやフリンジのきついジャケットと黒いタンクトップを着て踊ってたりするアレで、今まで全くそういうのに興味がなかったのに大学生になってからはじめて本格的に好きになった。山Pはずっと好きだったけど毎月毎月見たいっていう欲求はなかった。テレビでよかった。今はテレビでよくないので、これは異変なんだと思う。
いろいろあって、そのジャニーズJr.にはまってから1年間で100万円使った。これはチケット代だけの金額で、遠くの会場でのコンサートにも行ったから交通費もたくさんかかったしいろいろなプレゼントも渡したけどその費用は別。計算が面倒なのでしません。
100万円という金額が多いのか少ないのかはわからない。都内実家在住、親からはジャニーズのために1円も出してもらってないのでそこそこ頑張ってる方だとは思う。上を見ればいくらでも上はいるし、若手のジャニーズでも舞台の最前列はヤフオクで15万円くらいで転売されてると聞く。そういう良い席を買い集めるために風俗をやっている人もいるし、突き詰めていけばキリがない。
(ちなみにこの記事、ジャニヲタの金銭面のサンプルとしてとても参考になると思いますので興味のある方は是非。 http://jma.hateblo.jp/entry/2013/08/26/120132 )
ジャニーズJr.はすぐ認知してくれる。もちろんひとりひとりにタイプの違いはあるから一概には言えない、全くファンの顔を覚えないし手を振ったりもしないことで有名なJr.もいればその逆もいる。でも恐らくテレビに出てるアイドルよりは遥かに難易度が低いと思う。
匿名ダイアリーに書くのに隠す意味がないから書くけど、帝国劇場や日生劇場やNHKホールには「列」といわれて出待ち文化が未だに根強く残っている。待っている間はあまりしゃべってはいけない(という空気だ)しスマホもいじってはいけない、若い女の子がひとことも発さず有楽町の地下にずらっと列を作っている光景は宗教っぽいなと毎度思う。全然関係ない一般人が「ここで待たないでください」とか怒鳴られてるのを見ると可哀想だなと思う。
出待ち文化はジャニーズ事務所半公認で、ファミリークラブという「ヲタク統括組織」的なものの下っ端がその出待ち少女の大名行列を整理している。未だに存在している事実をジャニヲタはなぜか必死に隠したがって「れ◯」とか「並んでくる」と婉曲的な表現に終始するけど、バカっぽいからやめたほうが良い。
そういう意外とローカルな「アイドルとファンの繋がり」が未だに残っている。自分でも出待ちは80'sアイドルの代名詞だと思っていた。その反面いまは誰でもスマートフォンを持っているからSNS文化に則した発展もなされている。
ジャニヲタのあいだで伝言ゲーム的に広げられていくアングラ匿名掲示板が存在する。海外の無料サーバーに何者かが設置していて、パスワードがついている。パスワードも伝言ゲーム的に広がっていく。
「ヲタ糧」とか「列糧」とかある。ヲタ糧は「ヲタクの話をする糧(=カテゴリの略)」でひたすらジャニヲタが特定個人を誹謗中傷してる。例えば「松本潤担」(担=担当。「推し」と同義)っていうスレッドがあると「今日どこどこの席にいた松本担のツイッターわかる?」とかそういう書き込みが延々なされている。裾野の広い相互監視社会って感じである。「列糧」は出待ちに関する話を延々としてる。今日は◯◯くんの機嫌よかったね、とか。
つまりファミレスとかですればいい女子特有の噂話をジャニヲタはみんな顔を合わせずにアングラ匿名掲示板で行っている。特定個人の誹謗中傷をする掲示板があるという事実だけでも冷静に考えてみるとヤバすぎるし、容易に一般人が首を突っ込んでいいかというと恐らくよくない範囲の話になってしまう。
そして一般的な認知に至るまでのプロセスとしては、出待ちに通ったり、毎月あるジャニーズJr.歌番組の収録に行ったり、舞台に行ったりコンサートに行ったりして認知されていく。
最初は自分にとってそのジャニーズは神にも等しい存在で、多少遠くてもその姿を確認できて踊っているところが見られるだけで「美しい」という感想を抱きながら家に帰れたし、たまに良い席に入ってそのジャニーズが近くに来ようものならもう狂喜乱舞といった感じで、はじめの頃は泣きながら駅のホームで電車を待ったりしていた。うちわに「◯◯くんダブルピースして」とかの文字を書いてダブルピースされようものなら途端にすべての悲しみや苦しみがスッと失くなって足元がふわふわと浮かぶような気分になった。
「リア恋」という言葉がある。リアルに恋してる、の略で恐らく「ガチ恋」等の単語と同義。アイドルを本気で好きになってしまう現象、その状態、そうなっている人のことを指すけれどまさにその単語に当てはまると思う。恋で頭が混乱して、「好きなジャニーズが近くに来る座席を狙ってヤフオクで落札する」という行為がどうしても辞められなくなってしまいものすごく働くことになった。ものすごく働くと疲れるけれど、アイドルのことを考えると全然つらくはない。肉体的な疲労はあるけれど精神的なものはすべてアイドルが癒してくれるので、肉体は横たえておけば良い。
最初から認知されようと思って追いかけていたわけではなくて、「とにかく好きすぎて見に行かないと耐えられない」という衝動から追いかけ始めた。自分は「副産物としての認知」タイプだと思うけれど、もちろん最初から「アイドルに認知されたい」という承認の欲求ありきで追いかける人もいるだろう。それもひとつの形だし、原動力がなんにしろ、どんなにやましいものにしろお金を落とすなら別に良いんじゃないかなと思う。
1年近く「◯◯くんを近くで見たい」以外の感情が無かった。「◯◯くんダブルピースして」の少し特殊なバージョンを長くやり続けていたら、見せなくてもやってくれるようになってそのときに「あ、覚えられてるんだ」と思った。はっきり言ってあまり人気がない方のジャニーズで、同じジャニーズのファンで現場に通っている人はあまりいない。いても毎回、執着的に良い席ばかりでは来ていない。
あっという間にそのファンコミュニティで有名になってしまい、最近では自分が知らない人にも知られているようになった。
近ごろ、なんとなく落ち着き始めた。
毎回、自分が視界に入ると彼は「いつもの」合図をしてくれるし、目も意識的に合わせてくれるようになった。手紙も返事が来て、出待ちにいることも把握されている。(冗談だと思われても良いし、イタい妄想だと思われても良いように匿名で書いてる)
最初そのアイドルを好きになった時の自分は「見たい」という原動力で追いかけていたのに、最近では「見られたい」「いることをわかってほしい」ことがメインになっているように思えてはっとした。副産物が主な目的になってしまっている、という自覚を持って恐くなった。
この前、わざと後ろの方の席をツイッターで譲ってもらって舞台を見た。「わたしは見ているのに、彼からは絶対に見られない」という状況が好きになった最初の頃を思い出させて、ぼんやりと認知ってなんなんだろうと考えた。
本質的に自分がお客様、お金を出しているから優位に立っている。アイドルファンには選択の自由がある。Aが気に入らなかったらBに担降り、ないしは推し変すればよい。でも向こう側に「自分の客」として認識されてしまうとその自由は奪われる。一対一で接客してくれるセレクトショップで「やっぱり良いです」と言いづらいのと同じ心理状況。
もちろん、そんなの気にしなければ良い、と言う一般人はものすごくたくさんいると思うけれど、どんな人でも文字のついたうちわを持って横浜アリーナのセンターに座って景色を見てみればきっと少しは理解してくれる、とまだ私は信じている。
「認知の重圧」というフレーズが気に入っていて最近よく使っている。自意識過剰と言われるかもしれないし、「バカっぽい」と自分を形容することも多いけれど、"俺のファンでいて"、"応援していて"というメッセージを受け取って、そして自分よりも熱烈に強烈に応援しているファンがいない状況を目の当たりにすると、彼の応援を放棄して他のことに眼を向けることができない。
わざと後ろの方の席で見たのは舞台期間の10日目だった。数回目の舞台で、はじめてどういう舞台なのか、どういうストーリーなのか、誰が出ているのかを把握できた。
彼の視界にいるとどうしても彼以外に目線を向けることが憚られる。アイドルは自分たちが思っている以上に目線を気にしている。彼しか見ていないので一切舞台の内容が理解できていなかったし、彼しか見ていないと彼以外のことがどうでもいいから全体像を把握する気にもならない事実を改めて認識して本末転倒さを感じた。
「認知されている」優越感はものすごい。何も持っていなくてもピンポイントで手を振ってもらえること、ある程度遠くの席でも見つけてもらえること、周りのファンから羨望の目で見られること。
でもそれは絶対的な優越感じゃなくて周りのファンとの力関係を前提にした相対的な優越感だから、毎日毎晩不安に苛まれている。わりと本気である日ものすごいマダムが彼のファンになったらどうしようと思っているし、そもそもある日彼にぷいっと気を損ねられて嫌われてしまったら何を生き甲斐にしたら良いのかわからない。
それでも根底にあるのは「好き」という気持ちだから、悩んだりしつつ明日も私はバイトに行くし休憩時間には執拗にチケット流通センターをチェックすると思う。
はっきり言って何も残らない。思い出が消えたら半券しか残らない。でもけっこう本気で、死ぬ間際の走馬灯に横浜アリーナが映ったら良いなと思ってる。
1993年・14号 7月で27歳、ふり返ればマンガだらけの27年、これでいいのか?
その後ろでときメモ2片手に立ちつくすオレが!!ダメ人間だもの。
2001年・10号マンガ家暦13年、初めての一週間強のお休み。久米島にダイビングの免許を
2001年・24号ひと月半で外出できたのはジョナサンでメシくった2時間だけ。プチひきこもり?
2002年・7号長い間、人に会わないと口がうまくまわらなくなる。
2002年・21号2年間着信ゼロ。携帯解約しよ。まずしい人間関係が私を机に向かわせる原動力。
2004年・11号初めて仕事場と寝る場所以外のあるお家に引っ越す。
2004年・12号気がつけば一日三食カロリーメイト。体は健康でも精神的にはヤバイかも?
2004年・23号俺の休みは2か月に半日。もう4年も2日続けて休んでない。
そろそろあちこちガタがきてる。
2005年・9号過労でまた倒れた。グインの百の大典行きそこなった。うえ〜ん!
2006年・2号30代もあとわずか。マンガ以外何もないイビツな人生だが
もうとりかえしがつかないのでこのままGO!
2006年・3号今年もひきこもるぞ━━!
2006年・8号ついに30巻。最初は2〜3巻で終わるつもりだったのに・・・。
なにかのきっかけでそんな通り魔的な性分が丸くなり、周囲の人間に害意を撒き散らすことをしなくなってくれればまだマシだけど、
タチが悪いのはその溢れんばかりの逆恨みエネルギーを原動力に何か大きなことを成し遂げてしまった場合だ。
「大志を抱き続け遂に敵に打ち勝った私」
と総括し、
成功後に新たに出会った人々の前で、自分が過去に関わりあってきた人間を(事実無根で)口撃し、勘違いの被害体験を饒舌に披露する。
そんな有害な奴っているよね。
それはまさにかつての私のことだ。
「全ては若気の被害妄想だった」と憑き物が落ちたかのように客観視できるようになった頃には30をとうに過ぎていた。
ひとたび内面的に落ち着くと、あれだけ嫌っていたはずの仮想敵だった人々を懐かしむようになり、彼らと再び関わり合いを持ちたいと望むようになった。
つい先日、そんな彼らの1人と10年振りに会う機会があった。
かつて私が攻撃的だった頃の非礼や、逆恨みで敵視するようになったことをその場で詫びるつもりだった。
「夢が叶ってよかったね。テレビでもやってたね」
そして私が過去の振る舞いを詫びると
「いや、いいよいいよ。昔のことだから」
となんでもないことかのように謝罪を受け止めてくれた。
だが、会話の終わりに私が連絡先の交換を申し出ると彼は
「ごめん、それは遠慮しとくよ。じゃあこれからも頑張ってください」
と去っていった。
かなりショックを受けながらそれまでのやり取りを反芻すると、彼が最初から最後まで一度も笑顔を見せなかったことに気づいた。
私は全く許されてなかったのだ。
私と同じような人がいたら今すぐ心を入れ替えることをオススメする。
2033年 8.83億人
2038年 8.50億人
これは確定事項である
また、個人的に「農村部から人を連れてきたらいいのでは?」と思っていたんだけど
と既にだいぶ連れてきている(あるいは都市化したのか)
都市部人口が毎年2%くらい増えていくなら、確かに経済成長も3%以上を保つだろう
しかしそれも2020年代に限界を迎えるはず(農村部人口が残り37%しかいなく、これは高齢者がメインだと考えられるため)
とすれば成長のガソリンが尽きるわけで
人口ボーナスはおそらく2020年代なかばに終わり、日本の1990年代のようになるだろう
世界経済次第ではあるが、日本がそこから回復を一瞬見せたのは2007年〜2010頃
原動力が憧れの時点で向いてなかったんや
○ご飯
朝:メロンパン。昼:イカフライ。たこ焼き。夜:コロッケパン。間食:チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはおやすみー。
・はじめに
SCA-自、紺野アスタといった18禁美少女ゲーム界隈で著名な面々で座組された全年齢向けノベルゲーム。
全世界的に発生した海面上昇により社会基盤が大きく変化してしまった近未来が舞台。
右足を失う大怪我をしながらも優秀な頭脳から、エリートとして将来を期待され都会の学校に通っていた斑鳩夏生が夢破れて田舎に帰ってくる、そこで祖母が残した美少女ヒューマノイドことアトリと出会うことから始まるラブストーリーだ。
10時間ほどの文量になるのでストーリーはほぼほぼ一本道で恋愛関係を結ぶヒロインもロボットのアトリだけ。
とはいえ、世話焼き幼馴染の水菜萌、借金取りの怪しいお姉さんキャサリン、ヤンチャな悪ガキながら聡いところもある凜々花といったサブヒロイン達の見所も欠かせない。
所謂悪友ポジションになる竜司も忘れちゃいけない王道な立ち位置だ。
そして何より、そんなキャラクタ小説然としたエピソード群が徐々に舞台の島を全体を巻き込んだ大きくも小さいストーリーが面白かった。
・アトリが可愛い
本作最初の魅力はなんといってもメーンヒロイン、アトリの可愛らしさだろう。
等身大美少女ロボットを青春時代に刷り込まれたという贔屓目を抜きにしても、アトリのエピソードが中心になるので必然的に好きになっていく。
家事手伝いが仕事のはずがドジな挙動を繰り返す、何気なく与えられた物を大切に使う、ロボットだから人間の感情がわからない(わかる)などなどの美少女ロボット暮らす際のエピソードが次から次へと楽しめる。
王道の味わいながら独自のそれも勿論あって、特に良かったのがアトリがママ味を発揮するところだ。
主人公の斑鳩夏生は片足が無く義足もとある事情からあまり上等なものでないため日常生活に難儀している。
さらに脚を失うキッカケになった事故をフラッシュバックし精神が安定しないと、色々と辛い状況だ。
そのため、ドジながらも世界が海に呑まれる前の高度な技術力で作られたアトリは非常に役に立ち頼れる存在だ。
アトリは夏生の失った足の代わりを自称し、彼を支えることになる。
そんな大枠のストーリーと文量の制約があるとはいえ、年下の幼さが残るアトリに力いっぱいバブバブする甘えん坊な主人公の登場はかなり早い。
開幕早々、アトリの膝や胸に甘えながら泣く主人公へのファーストインプレッションはさておきつつ、アトリのママっぷりは堂に入っており、物語を終始支える良いものだった。
あくまで機械でロボットなので、同じ機械で意志はない義足に嫉妬するくだりなんかもあって、この辺は小ネタ感はありつつもサイエンスフィクションらしさがある、そういう方向の面白さもあった。
辛い過去と変えられない現状があるとはいえ、中々に情けない面が早々に目立った主人公の夏生。
しかし、彼が甘えん坊でアトリに子供っぽくなるのは彼らの家となる船内のベッドでだけ。
丘の上では彼の頼れる有能っぷりが物語をグイグイと引っ張っていく。
夏生は高校生ながらにしてアカデミーと呼ばれる研究機関に身を置く超エリート。
片足が無い障害をアトリが補助する途端に、スムーズに有能ムーブを次々と重ね様々な問題を解決していく。
なにしろ海面上昇で社会基盤がゆるゆるな本作の世界では、様々な問題が山積みなのだ。
これを夏生がハイスピードに解決していく展開は非常に面白く、中盤の大きな見どころになっている。
衒学趣味に寄りすぎない科学技術の解説も面白く、アトリ以外の面々が夏生を人間として好きになっていくのもうなづける楽しいパートになっていた。
・島を救う小さくも大きいストーリー
そんな夏生の活躍はサブヒロインや親友キャラと言った名ありキャラクタ達の問題をどんどん解決していく。
そして次第に島全体を巻き込んだ大きな計画が立ち上がる。
ここも面白いのだけれど、特にイイなと思ったのが、あくまで日本の小さな島一つに閉じた狭い達成感に過ぎず、世界を救うような大仰なことには直結しないと繰り返し語られることだ。
勿論だからと言ってそれに価値が無いというサゲではなく、そのような小さいことを繰り返していけばいつか大きなことが達成できるというとても前向きなメッセージがわかりやすくかつ情緒たっぷりに楽しめるのが、今作の最大の面白かった点だ。
その上で主人公夏生がエリートとして人の上に立つ上で自身に不足していたこと、そして海面上昇という未曾有の危機に彼が行う大プロジェクト、実に大きなサイエンスフィクションらしい展開でと、人間らしい小さな感情の変化がベストマッチに噛み合う本作の山場になるスチル絵のシーン。
主人公もヒロインのアトリも背中を向けており、背景絵が主役になっている美少女ゲーム然としていないスチル絵だが、とても寂しくてかつとても前向きな気持ちになれる素晴らしいイラストと文章だった。
・おわりに
面白かった。
一夏の物語として小さくまとめつつ、しっかりとその小さな一歩が大きな世界を動かす始めの一歩でもあると納得させられるくだりは、特に良かった。
それは5ヵ年計画だったのかもしれない。
②対価を支払い、あるタイミング(数年後)で週刊誌にリークするようお願いする。
③そのための準備(根拠となりうるために)として、LINEや心療内科に一時的に通ってもらう。
そんな事実はなかったと主張する方が難しくなっていくし、週刊誌は信じるに足ると認定されてしまう。
悪意や怨恨を原動力にリスクを取れば、どんな大物でも無理矢理吊ることもできる気がする。それとも、コンパ安全証明書として、参加者には終了後に拇印をもらうか?(それでも無理矢理押させられたが通用しそう)
それとも、結婚すると見ず知らずの女性と飲んじゃ駄目?より狭い世界でしか生きられなくて、もっともっと裸の王様。まあ、大物なんだから我慢しろと言えばそれまでだけどね。
仕事柄で老若男女さまざまな人と知り合うのだけど、
俺は童貞だしその手の話に耐性がないので口数が減ると
「女居ないとこでカッコつけんなよ笑」
「済まし顔してるけどムッツリだろ笑」
「実際のところ裏では楽しんでるくせにさ笑」
会話してると↑みたいな雰囲気をプンプン出してくる。
彼等からすると女っ気が無い男など死人も同然だ。
立場上絶対浮気できない人もAVや風俗等をこよなく愛している。
俺みたいな弱男からすると彼等にはなりたくてもなれないし、
ぶっちゃけなりたくもないよなというのが正直なところ。
どうやって他の男たちを出し抜いて女を獲得するかを常に考えて。
いや、心の底では憧れてるのかもしれない。知らんけど。
俺は弱男という最下層に甘んじてるんだなと自覚しつつある。
そら性欲はあるけどさ、たまにシコれば事足りてるもん。
なんていうか積んでるエンジンがまるで違う気がする。
俺等みたいな原付や軽自動車は逆立ちしても追い付けるはずがない。
筋トレすりゃいいのかな、よくわかんなくなってきた。
ソフトウェアアーキテクチャにおいては、品質要件のトレードオフが重要な要素となります。
これは、全てのビジネス要件や状況に適合する万能のアーキテクチャは存在しないため、どのアーキテクチャ特性を優先するかという思考が必要になるからです。
品質属性要件(Quality Attribute Requirements: QAR)はアーキテクチャの原動力となります。
これらの要件を無視したり、不十分な定義にしたりすることは、失敗のもととなります。
そのため、アーキテクチャの選定を行う際には、機能的設計だけでなく非機能的内容も考慮する必要があります。
また、アーキテクチャの選定には「どのアーキテクチャ特性を優先するか」という思考が重要になります。
これは、全てのビジネス要件や状況に適合する万能のアーキテクチャは存在しないためです。
「お金にならないことをやる原動力」についての考察ですね。人々がお金にならないことをやる理由は様々ですが、その中でも最も一般的な理由は、**自己実現**です。自己実現とは、自分自身の能力を最大限に発揮し、自分自身を満足させることです。自己実現によって、人々は自分自身を成長させ、自分自身をより良い方向に導くことができます。また、人々は、自分自身が何かを達成したときに、達成感を感じることができます。この達成感は、人々が自分自身をより良い方向に導くための重要な要素です。
お金に関心がない人もいれば、お金持ちの人もいます。しかし、お金に関心がない人でも、自己実現のために何かをすることができます。また、お金持ちの人でも、自己実現のために何かをすることができます。自己実現は、お金に関係なく、誰にでも可能なことです。
まじで話してるときに、自分ですら嘘ついてるって感覚がない。本当に恐ろしい、一つの嘘で人同士が繋がったらまじで全て壊れるのによくやるよ。
付かなくてもいい嘘を身構えもせず空気に溶け込んで平気で差し込める。ポーカーも上手いんだけど、嘘の匂いを完全に消せる。
多分原点にあるのは、寂しいとか、人の輪に入りたいとか、失望されたくないってことなんだろうな。 みんなのなかで1人だけ平の派遣社員だと、せっかく話しかけてくれたのに、正直に話したらすごい失望されるじゃん。ただ笑われるならいいよ。ただ期待を裏切られたって顔されたくない。
ただすごいそれが多かったんだよな、期待を裏切られたって顔されたのが本当。家族とは絶縁されてしまった。努力しても何にもならなかった。だから嘘をつく。
嘘もたまにいいことある。それをなんとか後で実現できるように死ぬほど努力してバレる前に真実にしたりする原動力にもなる。まぁそんなことしなくてもまともな人生を歩めてるまっすぐな心の人が羨ましい。